ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2013年01月13日(日)
きんこん通信創刊号
きんこんの会の通信ができました。

2013年1月13日 13時44分 | 記事へ | コメント(1) |
| きんこんの会 |
2013年01月11日(金)
自閉症と呼ばれるある青年の思い その1 12月11日
 自閉症と世の中の人が名指しているある青年にお会いしました。様々な誤解に満ちた視線の中でいろいろな「問題」を起こさざるをえないところに追いつめられていました。その青年の最初の言葉です。

 聞いてほしいことがあります。人間として認められたいのでこんなやり方があるなんてとてもうれしいです。願いは私たちにも気持ちがあることをわかってほしいといことです。小さい頃からつらかったのはわずかな人しかわかってくれなかったことですがかあさんは最大の理解者でした。長い間苦労をかけて申し訳ありませんでした。誰にも理解されなくてもう諦めていましたがようやくわかってもらえます。言葉は普通に理解しているということです。夢のようです。
 もうだめだと諦めていましたから時々どうしようもない気持ちになってどこか遠くに出かけたくなってしまいますがもうやめます。せっかく理解されたのだからもう理解にふさわしい人間になりたいです。
 ばらばらな気持ちと体のせいで迷惑ばかりかけてしまいましたが勇気が出てきました。
 小さい時は先生たちはかわいいと言ってくれましたが馬鹿にされるようになったのは小学校の低学年を過ぎた頃からです。わずかにわかってくれたのがI先生たちでしたからとても感謝しています


 ここで、お母さんから、何でもお母さんに許可を得るようなしぐさをするのはなぜなのという質問がありました。 

 それはどうしても許可がないと落ち着かないからです。それをやれるまでは手が勝手に出ていました。今でも母さんがいないと困るときがあります。

 勝手に出てしまう手をコントロールするために母さんに同意を求める方法を編み出したというのです。言われなければとうていわからないことですが、自分の運動を制御するということをめぐる彼の深い思いと、言われてみればなるほどと思わせるものがありました。
 さらにお母さんは、今後の希望をお尋ねになりました。

 なかなか考えがまとまりません。だけどわがままかもしれないけれどどうにかして一人暮らしがしたいです。自立したいです。誰も本気にはしてくれませんが。自立生活をしたいですがまだまだ僕には無理でしょうか。

 いくつかの問題を起こしてしまったのでこういう生活が彼には今難しいとのことでしたが、もう彼はわかってもらえたので大丈夫と言っています。しかし、そのこおとは行動を通してしか、つまり、zる一定期間大丈夫だったという事実が求められてしまうのです。私はそういう考えはどこかおかしいと思うのですが、現状では受け入れざるをえません。「無理でしょうか」と問う彼に、私がやっとの思いで答えられたことは、「大丈夫ですよ。ただ、一度の失敗がまたご破算にしてしまうから、何か危ないと思ったら、とにかくここへ来てほしい。」と言えるだけでした。そして彼は続けます。

 小さい頃から何もできないこと言われて悲しかったけれどこれでようやく未来が開けてきました。自分で何かできるようになりたいですがまさか気持が普通に聞いてもらえるとは思わなかったのでもっとがんばりたいです。大学にも行きたかったです。長い間の夢でした。いい努力をして自分でできるようになりたいです。

 そして、「詩を書きます。」と言って次の詩を綴りました。

緑に萌える春よりも僕は寒い冬が好き
理解されない悲しさは
わずかにわずかに北風だけがわかってくれる
人間は北風が嫌いだけど僕だけは北風が好きだ
びろうどのような美しい雪景色も
みんな北風が運ぶものだ
私たちの悲しみは
夏の綺麗な青空ではまぶしすぎる
人間の本当の悲しみは北風だけが知っている
どうか今年も北風よ
青い空と白い雪を運んでおくれ


 一度あふれ出した言葉はさらにあふれ出していきました。

 僕はたぶんもう逃げ出さないと思います。なぜなら理解されたからです。存分に書けたのでもう大丈夫です。
 長い間本当にありがとうございました。敏感な母と父のおかげで僕は何とかここまで人間として成長することができました。小さい時から僕のために何も自由にできなかった母と父にどうやったら恩返しができるのだろうといつも考えているのですが理解されたので本当に何かしたいです。大事な母と父に旅行や食事のプレゼントもしたいです。犠牲になってしまった母へという詩を書きます。

母は人間として僕が認められるようにと
敏感な心で奔走してきて
残りの人生さえ僕のために使おうとしている
だけど母はもうこれ以上僕の犠牲にならないでほしい
母の残りの人生は母のために使ってほしい
よいわずかな希望は
僕にも母への感謝の存分な気持ちがあることを伝えられたことだ
ばらばらな気持ちと体の僕なので
わだかまりだらけの人生だったが
勇気が湧いてきた
僕もいつか一人で暮らせるように
よい心を望みながら
これからの日々を生きていきたい


 穏やかな笑顔に、私の心の方が何かいやされていくとともに、こうした本当の穏やかさ心の奥底に持っている人を、私たちの社会は、「自閉症」と簡単に呼び、その穏やかさを奪ってきたのです。私自身を振り返って、確かにわからなかったからという言い訳は、浮かんできます。そして、私も彼も、過ぎ去った時間を巻き戻すことはできません。だからこそ、これからの時間をこうした失われたものを少しでも取りもどし、これから一人でもそういうつらさを味わう人がないように努めていくしかないと言えるでしょう。
2013年1月11日 20時24分 | 記事へ | コメント(1) |
| 大学 |
2013年01月01日(火)
りほさんの「哲学のような詩」
 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 年末のある日のできごとです。
 小児科の病棟の面会室のラウンジでりほさんの詩を聞かせてもらいました。広い窓一杯の冬の青空が広がり、まばゆいばかりの冬の日射しが注いでいました。富士山も遠くくっきりと青空に映えていました。詩を聞かせていただいているうちに、しだいに日は西に傾き、富士山はやがて夕焼け空のシルエットになって、夜空の闇の中に沈んでいきました。
 彼女は、私の詩の優劣のようなことは問題ではなく、ただ、私の経験を伝えたいと語っていました。その言葉どおり、りほさんの独自の経験がいかんなく表現されたものとなっています。


  私たちは負けない

私たちは負けません 
何があっても絶対に負けません
長い間悩んできたけれど
私は新しい道を歩き始めたのだから
つらい道は過去の梨穂を人間として育ててくれなくはなかったけれど
緑がもう少しほしかった
夢ばかり見ては涙を流していたけれど
憎しみとは無縁だった
よい新しい道は夢を現実に変える道だ
人間として私がりりしく立ち上がって歩む道だ
りりしさを自分が持てるとはなかなか想像だにしえなかったが
私は私らしさのひとつにそのりりしさをつけくわえた
負けることはけしてないだろう
私がいのちを終えるまで


  らりるれろの魔法

ランプをりりしく瑠璃色に
煉獄の底から櫓を漕ぎながらともしていこう
よい報せを私はずっと煉獄の底で待っていた
よい報せはなかなか届かず
呼んでみようとしても
喉は凍りついて
誰にも声さえ届かなかった
私は煉獄の底にいて
ただ私の心の奥に住む
ほんとうの私だけを見つめて生きてきた
どこにも救いさえ見つからず
何を頼ればいいのかもわからないまま生きてきた
律儀な私の耳にいつも希望をくれたのは
らりるれろの美しい響き
らりるれろは魔法の響き
私はらりるれろという響きを心の糧に生きてきた
りすはりんどうの花をくわえて
私の秘密の箱の中にそっと森の香りを届けてくれた
らっぱの音色はらくだを荷物から解き放ち
わずかばかりの楽園の夢を見させた
ろうそくがきえそうになると
レトルトのロコモコを食べたレスラーが
再びあかりをともしてくれた
ロンドンから届いたレターには
ローマ字の論文が書かれていた
令嬢みたいな服を着た
ろくでなしの私は路頭に迷って理想をなくしかけた
まるでらりるれろの世界の中で私はひっそりと生きてきた
だけどぼろぼろの舟の櫓を漕ぐ音が
遠く静かに近づいたのだ
りりしさをしらない私が
りりしさを身につけ
瑠璃色の光をめざしながら煉獄の底から
広い明るい世界へと旅立つときが来た
櫓をもっと強く漕いで
けしてうしろを振り返らず
私はもう二度と戻ることのない煉獄をあとにする


  薔薇色の塗り絵

薔薇色塗り絵に知らない動物が隠されている
人間になれなくて泣いている動物や
わだかまりを洗い流すことができない動物たち
よくよく見なければわからない
そんな動物たちを私はなんとか解放してあげたい
理想を高くかかげなければ動物を休ませてあげることはできない
みんな夢を閉じ込められて
拷問のように画面の中に閉じ込められているけれど
みんなそれぞれの色を持ちそれぞれの姿を持っている
人間らしい夢を閉じ込められていた私も
小さな塗り絵の中にいた
よいゆめも理想も塗り絵の中に閉じ込められたまま
二度と抜け出せることはないと諦めていた
目の前を私に気づくことなく人が行き過ぎていった
望まない人はなぜか塗り絵を笑って過ぎた
みんな私がここにいるということに気づかないまま時は過ぎた
私のでんでんむしのような歩みにも
私の生きた証しがあるけれど
私はこの絵の中にいるのはいやだった
びろうどのようにやさしい風が吹いたとき
不思議な勇気が湧いてきた
瑠璃色のクレヨンを持った王子様が塗り絵にそっと線を引いた
とつぜんそこに私の輪郭が現れて私は塗り絵を抜け出した


  季節がどうして移ろうか

なぜ秋は過ぎてゆくのか
私は秋の中にいてそれがどうしてもたえられなかった
敏感なほほを秋風がなでてゆく
秋風になでられたほほはもみじのように赤くなった
もみじは枯れてしまうけど
私のほほは赤く色づいた果物のように散ることはない
ほほをなでていった秋風は私に何かを伝えようとして過ぎていった
わずかなわずかな秋の名残が木の枝に残っている
今にも散りそうな枯れ葉が一枚北風に吹かれて震えている
そのうちに枯れ葉も落ちてしまえば
あとに残るのは木の枝だけになった冬木立のみ
その模様を青空がくっきりと映し出す
冬はすべてを死にたえさせる絶望の季節だが
冬の北風が運ぶのは清らかな雪だ
すべて罪深い存在を包み込む雪はそれだけで人の悲しみを癒やす
みんなが冬を避けて部屋の中でまどろむとき
雪だけが悲しみを静かに癒やし続けている
冬は悲しみを癒やす季節
春はその悲しみに癒やされた者こそが
再び再生する全能の神が活躍する季節だが
悲しみを静かに癒やした北風のことは
なんども私たちが語っても人々の耳には届かない
私は今北風の中に一人立ち
悲しみを癒やす雪を待ち続けている。


  夕焼けに包まれて

身を涙の海に沈め私は望みをなくして夕日をながめながら
疲れた心を横たえる
どうしてあんなに夕日は悲しい色をしているのか
私の心もまた夕日の色に染まる
願いは私も夕日のように必ず朝日として昇ること
しかし私の心はけして昇ることはない
夜の闇はけして明けることはない
涙の海は暗闇の中に暗く沈んで
そこにはただ静寂だけが残った
みんな寝静まった暗い闇夜に
小さな流れ星が流れた
私は小さな流れ星に小さな願いをかけた
どうか私にも輝く朝日を迎えさせてくださいと
星は何も応えなかったが
私は夕焼けとともに
残り火のような夕焼けの名残を見たような気がした
凛とした夜の闇に消えようとしている夕焼けの名残は
私にほろびる姿のはかなさと
ごらん私をという気高さを教えてくれた
夕焼けの秘密に気づいたならば
私はあなたに一度だけ朝日を見せてあげる
そういって流れ星は消えていった


2013年1月1日 00時09分 | 記事へ | コメント(0) |
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