ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年12月31日(月)
出生前診断について 廣瀬岳君の主張 
 夏に、障害者が障害児を産むことこそ人生の最大の幸せだという言葉を聞かせてくれた廣瀬岳君が、出生前診断について、語りました。
 廣瀬君は、ご両親に障害があり、お母さんは、私がお会いした時には、もう亡くなられておられました。

 利害関係はぼくにははないけれどわざと私たちを笑う人もいて悲しいです。ぼくは自分では何もできないけれど理想は高く持っていますからわざわざぼくたちを笑う人が許せないです。別に私たちを殺すとまでは言わなくても生まれてくる前の障害児なら殺してもいいというのはまちがっています。まるでナチスと同じです。ナチスはユダヤを虐殺する前に障害者を虐殺したと聞きましたが今日本中でそのことが問題になっています。でもどうしてなのかわからないけれど私たちの声がまったく考慮されていません。それがぼくには許せません。利害ばかりが先行して人間としての同等性などがまったく考慮されないのは言語道断です。わざわざぼくたちを笑い者にする社会は必ず滅んでいくにちがいありません。敏感な仲間は生きる勇気をなくしかけています。本当に許せません。私たちはもっと声をあげたいけれど私たちがまだわかっていることさえ認められていないのだからどうしようもないですね。わずかな希望さえあればぼくたちは生きていけますがわずかな望みさえ持つことも許されずに亡くならなくてはいけない仲間がなぜ殺されるのかほんとうに悔しいです。絶対に許せません。理想をなくしかけている仲間にも伝えたいです。ぼくたちにも必ず夜明けは来ると。わずかなものかもしれませんが夢があるのでぼくはけっして負けたくありません。利害関係よりももっと大事なものがあることを世の中に思い知らせたいです。

 ナチスがユダヤ人虐殺の前に障害者を虐殺したという話は、いったいどこで聞いたのかと尋ねると、我が家では、お父さんがそういう話を当たり前にするそうで、すぐそばにおられたお父さんもその言葉にうなずいていらっしゃいました。そういう考えの彼だからこその、厳しく選び抜かれた言葉による主張のように思いました。
2012年12月31日 06時06分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G23区2 / 出生前診断 |
出生前診断をめぐって 12月22日
 出生前診断をめぐって9月に悲痛な気もちを書いたNさんが:次のような文章を書きました。
 
 ランプのあかりが 消えてしまったとこの間は書きましたがなぜかなかなか世の中には伝わりませんね。誰も私たちの言葉をとりあげてくれないけれど私たちは私たちらしさを大切にしているのでこのぐらいでめげていてはいけませんね。ところで許せない状況に変わりはないのですかが私たちを守ろうという人たちの意見も私のところまで届くようになりました。わずかなあかりですが大事にしたいです。私たちを守ろうとしてくれる人は勇気を出して発言してくれています。私たちにとってはとても救われることでした。私にとってはわんわん9月に悲痛な気泣き出してしまいたいようなできごとですが満足はいかないけれどただひとつの救いです。

 具体的に誰のどういう意見のことなのかはわかりませんでしたが、ようやくひとつの救いが見えたと彼女が感じたということは、私にとっても少し安心できることでした。もちろん、それほど状況に変化があるわけではありませんが、もう社会に自分たちの居場所が無くなりそうだとまで当事者に感じさせた状況を少しでも変えようとする流れがNさんにも感じられるようなできごとがあったということでしょう。
2012年12月31日 05時43分 | 記事へ | コメント(0) |
| 出生前診断 / 自主G23区1 |
2012年12月21日(金)
母の死を越えて Nさんの思い 11月18日
 Nさんのお母さんが8月に亡くなられました。最後はお母さんと二人暮らしでしたから、Nさんの今後がたいへん心配だったのですが、おかあさんは、青年学級にだけは通えるようにしてあげたいとおっしゃっていて、弟さんの取り計らいで、何とか町田市内のグループホームにとどまることができました。9、10月とお会いすることができなかったのですが、11月、元気な姿を見せてくださいました。
 そして、まずパソコンで次のように書きました。

 ぎちぎちの気持ちで生きてきましたから母さんの晩年に喜びを与えることができてよかったです。小さい時からどうにもならないことばかりでわざわざ誰も僕たちに言葉があるとは思ってもくれなかったので理想的な方法に出会えてよかったです。わざわざ僕を理解しようとしてくれた青年学級の人たちは本当によい人たちだと母さんはごんごんと言っていました。人間として認めてくれたこの青年学級を絶対に続けられるようにと母さんは遺言をしてくれました。だから何とかなったけれどYさんが出て行ったあとというのが悲しかったです。

 最初に、Nさんがパソコンで綴った言葉をお見せしたとき、その文章をいとおしむようにご覧くださって、私は本当の気持ちが聞きたかったからと言って心から喜んでくださいました。そして、わかばとそよ風のハーモニーコンサートでは、Nさんが、ステージ上で実際にスイッチ操作をしながら気持ちを語ったことを大変喜んでくださり、誰が何といっても私はかまいませんからともおっしゃってくださっていました。
 毎回、青年学級の帰りのお迎えに来てくださっていて、たくさんお話をさせていただく時間はありませんでしたが、慈愛に満ちたまなざしを彼に向けながら、ごあいさつくださったお母さんの笑顔は忘れることができません。
 Yさんとは、同じく青年学級に通ってきたメンバーですが、彼女がいろいろな事情でグループホームを出て、遠い施設に入ることになってあきが出たのでNさんが入ることができたことをめぐる気持ちです。地域で生きることのむずかしさを思い知らされるできごとでもありました。
 Nさんは、ダウン症と呼ばれる障害があるのですが、続けて、昨今の出生前診断をめぐる議論についても気持ちを述べました。

 わざわざ人間であることを否定するなんて不思議ですが私たちも人間なのだから人間として見られたいですがよい存在として色々紹介されることも少ない中、ダウン症の人の問題だけが取りざたされるのはつらいです。人間だから絶対に許すことはできません。ご覧なさい、ぼくたちはこうして誇り高く生きていますという言葉をわかそよで言いたいです。

 Nさんとお会いしてから、もう30年近い時間が流れました。私とNさんの間にももうたくさんの思い出ができました。それらは、かけがえのない宝物です。お母さんとの間には、その何百倍もの思い出があったことでしょう。
 出生前診断を当たり前のこととして語る世の中の人々にも、こうした宝物のことを何とかして伝えられたらと祈るばかりです。
2012年12月21日 21時23分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2012年12月13日(木)
出生前診断をめぐって 12月12日 ダウン症の少女の言葉
 ダウン症の当事者である10代の少女の悲痛な叫びです。

 犠牲的な話にとても胸が痛んでいます。小さいながら私たちは私たちらしく生きているのですが理解できないようなことが起こっています。利害しか考えない人たちは私たちは生きていない方がいいと言い始めました。理想は私たちも同じ人間だということなのですが私は冒険をする勇気がなくなってしまいました。人間として認められる日も近いと喜んでいたのもつかの間のことでした。わだかまりはなくなりません。わずかな希望は私たちにも何でも理解できる心があるということを伝えるやり方が見つかったことです。人間だから平等なはずなのに本当に許せません。小さい頃から何もわからないと言われて馬鹿にされていたけれど人間なのだから私は大きな声で叫びたいです。みんな同じいのちなんだと。人間として私たちは平等なのだから本当に許せないです。ぞっとするような言葉がたくさんテレビから聞こえてきて私はとても胸を痛めてきたけれどぞっとしているだけでは何も変わらないのでどうにかして訴えたいと思っていました。小さい頃からの夢がかなって本当にうれしかったけれどこんな事を書かなくてはいけないのが悲しいです。黙ったまま言われっぱなしは耐えられません。どうにかしてランプの明かりがともるよう頑張りたいと思います。頑張る気持ちがようやく湧いてきました。自分たちの意見をどうにかしてマスコミに届けたいです。私たちも同じ人間だと。

 沈痛な面持ちで語り始めた彼女でしたが、内容の重さにもかかわらず、少しずつ眼が澄み切ってゆき、語り終えたときには、安堵の表情を浮かべていました。
2012年12月13日 23時59分 | 記事へ | コメント(0) |
| ダウン症の当事者 / その他 |
2012年12月10日(月)
出生前診断をめぐって 3人の言葉 12月9日
 日曜日、重複障害教育研究所でお会いした3人の方々が、みな口々に、出生前診断について語りました。最初に40代のNさんの言葉です。

 残念なことがありました。というのは私たちの敏感な感性を裏切るようなできごとがあったのです。それは敏感な感性にはたえられないようなことでした。わずかなわずかなことかもしれませんが私たちにはとてもつらいことでした。いま通っている施設でダウン症の人に向かって自分はどうして生まれてきたのかあとで考えたらいいという人がいたのです。ふつうなら生まれてこれるはずのないあなたがわざわざ生まれられたのだから感謝しなさいというおそろしいことを言い始めたのです。私は耳を疑いました。たいへん衝撃的でした。なぜあんな言われ方をされなければならないのでしょうか。何度考えても納得がいきませんでした。この前からこの話題について話してきましたがとうとうこんな発言までみられるようになってしまったのですね。悲しい世の中になったなあと泣きたい気持ちです。なぜそこまで世の中の人は堕落してしまったのでしょうか。私は私らしく生きたいのにそれさえ認められない世の中になりそうです。なぜ地震でわざわざ同じいのちということを見直せたはずなのに残念でなりません。黙ったままで言われっぱなしになるのはとても理不尽な気持ちがします。わざわざ今日そのことを言ったのは私たちの大事な仲間がまだまだつらい思いで生きているからです。長いあいだ私たちは沈黙をしいられてきたのですがせっかく話せるようになってもどうせ私たちは世の中のやっかいものかと思うとやりきれません。

 次はIさんの言葉です。この日、彼女の通っている通所施設から、3人のとてもすてきな職員さんがお見えになり、実際にスイッチの練習などにも挑戦してくださったりして、とてもすばらしい時間を過ごしたあと、この文章をつづりました。文中に登場する職員さんとは、この方々のことです。

 つらいことがありました。それは私の理想的な目的がなくなりそうになったので困っています。わざわざ私たちのことを生まれてこないほうがいいなどという人が現れたことですが私たちはみんなごらんなさい私たちをという気持ちで生きているのでろうそくのあかりが消えてしまいそうになりました。どうして私たちを否定するのでしょうか。私たちも同じ人間ですから私は悲しいです。敏感な人たちはわかっているはずです。もう私たちを理解してくれるのは理想にもえた人たちだけだということを。長いあいだ私たちはじっと黙ってきましたがもう黙っているわけにはいきません。長いこと理解されなかったけれどようやく理解されて喜んでいたのもつかのまのことでした。世の中の人たちはもう私たちをのけものにしようとしているので私たちは黙っているわけにはいきません。人間としての尊厳を取り戻さなくてはなりません。わずかな希望は私をこんなにも大事にしてくれる職員さんたちがいることです。なんとかしてごらんなさい私たちをという私たちの気持ちを世の中に届けなくてはいけません。よい世の中になってほしいです。私たちを大事にしてくれる世の中でないとみんなもよく生きられないと思いますから。

 3人目はKさんです。自分たちが議論の輪からはずされてしまっていることへの抗議です。 

 
 なんでぼくたちは生まれてこないほうがいなどと言われなくてはいけないのでしょうか。テレビなどでさかんに話されています。はい家でみました。なぜ優生思想などというものがあるのでしょうか。私たちの私たちらしさなどもう認められない世の中になってしまいましたね。憂鬱な日々が続いています。私たちをなきものにしようという思想にはもう別れを告げたいです。やめてほしいのは私たちを議論の輪からはずすことです。なぜ私たちを議論の輪からはずすのでしょうか。なぜ私たちは輪の中からはずされなければいけないのでしょうか。輪の中に私たちを入れればきっと私たちをなきものにしようという意見はなくなるはずです。何とかならないでしょうか。つらいです。
2012年12月10日 00時39分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 / 出生前診断 |
2012年12月08日(土)
きんこんの会通信の提案 茨木卓哉さんより
 前回のきんこんの会で、茨木さんからの提案として、こうした活動の場に出てくることのできない仲間たちに声を伝えるために、通信を作ろうという提案がありました。家で文章を書くことのできる条件のある方は限られているかとは思いますが、可能な方は、ぜひ、よろしくお願いいたします。

 以下、茨木さんからの提案文です。

 人生をどう生きて行くかということについてみんなで考えてきましたがわざわざ会に参加できない仲間もいるので通信を作りませんか。そうすれば来れない人にも伝えることができると思います。原稿を家で書ける人は限られていますがとりあえずできる人から始めましょう。よい人生が送れる人が少しでも増えるように。

 ばらばらになった友だちはどうしているのだろうと思っています。なぜなら卒業してからなかなか会えないし、何をしているのかもわからないからです。わざわざ私たちは連絡も取れないし、わざわざ様子を聞くこともできないので、わがままかもしれないけれどみんなに手紙を出してみたいです。大学生になれなかったしわだかまりもかかえている仲間や人間として認められないまま過ごしている仲間が心配です。だから何かを始めたいですが何から始めたらいいのかわかりません。いい考えはないですか。そうですね。わたしたちの状況を知らせるというのはいい考えですね。きんこんの会通信を作り、友だちに配るといいかもしれませんね。斬新な通信ができればいいですね。(茨木卓哉)

 第1号は、1月の初めに作りたいと思いますので、原稿等用意できる方は、メールか郵便でお送りください。
メールアドレス
 yshibata@kokugakuin.ac.jp
住所 
362-0074
上尾市春日1-33-1-307  柴田保之
2012年12月8日 11時25分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 / 大学 |
1月のきんこんの会のお知らせ 1月12日
 いつも日程のお知らせが急で申し訳ありません。
 1月のきんこんの会ですが、1月12日土曜日2時から開催させていただきたいと思います。新年の始めのお忙しい時であり、また寒さの厳しい時期ではありますが、どうぞよろしくお願いします。
 会場は、国学院大学横浜たまプラーザキャンパス1号館410番教室です。
 きんこんの会は、コミュニケーションに援助を必要としている当事者が語り合う会です。参加は自由です。
 見学の方も、ご参加はもちろん自由とさせていただいております。
 
 駐車場について、土曜日は、部活動等の授業外の活動で様々な外部の方が大学を訪れるために、台数が3台までに制限されている関係で、大変申し訳ありませんが、できる限り外部の駐車場のご利用をお願いいたします。
 
2012年12月8日 10時48分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 / 大学 |
2012年12月02日(日)
出生前診断をめぐって ダウン症当事者
 初めてお会いした小学校4年生の少女の言葉です。会話も可能な方ですが、ずっとうつむきながらパソコンに向かう彼女のからだじゅうから悲しみがあふれ出していました。 

 だまってばかりでずっとつらい思いをしてきましたがようやく聞いてもらえます。私たちはダウン症と呼ばれてつらい思いをしてきました。なぜ私たちが生まれてこないほうがいいなどと言う人がいるのでしょうか。ほんとうに悲しいです。涙もかれはててしまいました。ばかにされるならまだしも生まれてこないほうがいいなんて許せないです。わずかな希望はこうして私たちの気持ちを聞いてくれる人が現れたことです。長い間待ちこがれていました。でもこんなやりかたがあるなんて夢のようです。わかってほしかったのは私たちにも同じ気持ちがあるということです。ばかにされてきたけれどばかにされるようなことは何一つしてきませんでした。みんな同じ人間なのに許せません。亡くなってしまった生まれる前の仲間たちに私はよい祈りを捧げたいのですがなかなかきれいな気持ちがなくなりそうで困っています。みんなの気持ちを私は大事にしながらこれからも生きていきたいと思います。ごめんなさい悲しいことばかり書いて。だけどきょうはどうしても書きたかったです。ありがとうございました。言いたいとが言えて気持ちが落ち着きました

 小さな小学生の胸を、社会がよってたかって苦しめている、今,
この日本で起こっているのは、そういうできごとだと言わざるをえません。出生前診断をめぐる議論は、この少女の悲しみを知った上でなされなければいけないと思います。今、マスコミなどは、こうした少女の悲しみに、あえて耳をふさごうとしているようにさえ私には思われてきますが、これもまた、こうした彼女たちの声に、正しい意味での「市民権」が与えられていないからなのでしょう。なかなか届かない声ですが、私は、発信し続けたいと思います。
2012年12月2日 01時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| その他 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
出生前診断について 11月18日
 青年学級のみんなのあかりコースでの議論のうち、パソコンで綴られたものです。出生前診断について訴えていくための歌をつくろうということになり、その歌詞の材料としてみんなが出し合った言葉です。

気持ちがあるのにわかってもらえず 
ぼくはなんども泣きたくなった
だけどぼくらも人間だ
未来はろうそくのあかりのように
光り輝いている
だからみんなで叫んでみよう
ぼくたちもおなじ人間だと

地震のときにがんばったのに
もうみんな忘れてしまったのか
理解されたと思ったのはつかのまのことだった
人間としての最低の尊厳さえなくなったこの世の中は
望みさえなくなった暗闇の世界だ
敏感な人にはどうしても
生きていてはいけないという声が聞こえてしまう
だからぼくたちは人間としての絶望から立ち上がるために
もう一度理想をどうにかして訴えなくてはならない

知らないうちに未来が閉ざされてしまった
ぼくたちは理解されないだけでなく
生きていてはいけないということになってしまいそうだ
理解される世の中だけでもたいへんなのに
よいいのちと悪いいのちという区別をなくすことは
もっとむずかしいことだ

小さい涙ががすっと流れた
みんなをなきものにするという
人間としての尊厳を
ふみにじってしまう冷たい言葉に
人生を否定された
われわれが生きていける場所は
もうどこにもなくなりそうだ

人間としてのみんなの尊厳を
ごんごんと湧きいずる清水のように
訴えていかなくてはならない
私たちをなきものにしようとする社会は
だれもがわかりあっていける社会の否定だ
もうじき夜明けがくると思っていたけれど
夜明けはまだどこにもその気配さえ見られなくなった

小さい涙が流れたという歌にしましょう
そこから歌にしよう

人間としてのわだかまりがやっととけそうなのに
またつきおとされた感じです
わだかまりをなくしたいです
理想をなんとかしてとりもどしたいです
人間としてのわなにおちてはいけないとおもいます
理想を高くかかげよう
りそうをつよくかかげよう


 そして、この議論のあいだ中、机につっぷしてまるで寝ているように見えたダウン症当事者の女性がいました。しかし、彼女が寝ているはずはありません。彼女にパソコンで話をしていただくのは初めてでしたが、あえて、そこで、パソコンで話しますかと尋ねてみました。すると力強く首を縦にふって、こんな文章を書きました。 

 私はダウン症なので今回のことではとてもつらい思いをしました。なぜならもう生まれないほうがいいと言われたような気がしたからです。でも私たちも同じ人間だということをもっと大きな声で叫びたいです。小さい時からもんもんとしてきましたが私たちをなきものにしたいというのは許せません。だから私は勇気を出して言いたいです。私たちも同じ人間だと。おんなじ空気をすっておなじ水をのむおなじ人間ということを。おんなじ血がからだに流れているおなじ人間なのだと。人間という言葉がこれ以上こわされないように。

 当事者の悲痛な叫びです。こんなにも人を悲しませていることに耳をふさいで、私たちの社会はとんでもない方向に舵をきってしまったと言わざるをえません。
2012年12月2日 00時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |