ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2013年03月29日(金)
二人の卒業
 満開の桜が町中にあふれている中、久しぶりにSさんとH君の待つ病院を訪問しました。
 同じ病室にいるSさんは高等部を卒業、そしてH君は、小学部を卒業しました。久しぶりの訪問でしたが、二人は、卒業にふさわしい詩を作って待っていてくれました。

 まず、Sさんの詩です。

  瑠璃色の宝石 

銀世界になる雪の朝
私は瑠璃色の宝石を眠らせようと
そっと土に埋(うず)めた
瑠璃色の宝石は私にとって
大事な過去の思い出がつまった宝石
望みがかなわない頃のつらい思いも
つらさゆえに感じられた人の優しさも
みんなつまっている
瑠璃色の宝石を
優しい雪が包み込み
私はよき未来をさらに夢見る
人間として生まれて
人間として認められ
人間として生きていくことができれば
私はもう何もいらない
私たちは緑の風を
冒険への誘いとして
感じることができるだろう
私はつらい定めを
瑠璃色の宝石に閉じ込めたから
もう自由な人間だ
だから冒険を始めることにしよう
瑠璃色の宝石よ
静かに永遠の安らぎの中で眠りについておくれ


 そして、次のように続けました。

 私たちはこうして言葉を得て煉獄から抜け出すことができましたが本当に私はもんもんとした日々に別れを告げることができてよかったです。だから先生が忙しいほうがまたどこかで仲間がもんもんとした世界から抜け出せるのだと感じられてうれしいです。私たちは本当に幸せだなと思います。わざわざ忙しい中来てくださってありがとうございました。

 なかなか時間が作れなくなった私に対して、広い心からかけてくれた言葉でした。そして、もう一篇、詩を綴りました。

  めれんげの花に寄せて

メレンゲでできた甘く美しい花よ
あなたはろうそくがよく似合う
私は私の敏感な感性を光として
あなたのろうそくにともしてあげよう
理想がかなう日を夢見ながら
私たちはろうそくの光に祈りを捧げ続けよう
ろうそくの光ハイツまでも消えることはない
だがメレンゲの花よ
あなたはいつかだれかに食べられるだろう
もしあなたを食べた人が寂しい人だったら
あなたはきっとその人の寂しさを癒やすだろう
もし涙にくれている人があなたを口にしたならば
あなたはその涙を止めてあげるだろう
わたしはあなたのような魔法はできないから
ひたすらあなたに祈りを捧げていこう


 H君も、まず、忙しくなった私に対して、言葉かけてくれました。

 こんにちわ。先生が忙しくなって本当によかったです。僕はとても不安でした。なぜなら誰も先生やM先生を認めなければ僕やSさんの存在も永遠に認められないままになってしまうからです。

 そして、小学部を卒業するに際して、作った詩を聞かせてくっれました。


  卒業

ぼくは小学校を卒業した
まっさらなランドセルを買ってもらったのが昨日のようだ
まったく背負うことはなかったけれど
わずかなわずかな希望への道のようだった
またかあさんはがんばってぼくにかばんをくれた
まるで願いが詰め込まれているように
かばんはふっくらとふくらんでいる
わたしはよい中学生としてまた毎日を過ごしていこう


 最初にH君に会った時、彼は3才でしたが、大急ぎでひらがなを教えて、彼は少しずつパソコンで気持ちを表現し始めました。そして、それから3年後のある日、ベッドの脇に真新しいランドセルが置いてあったのです。今日という日だけを見つめていこうと考えて彼と接していた私に、未来を感じた鮮やかな瞬間だったので、私もランドセルをたいへん印象深く覚えていました。彼の言うとおり、そのランドセルに手を通すことはなかったけれど、彼の小学校生活をランドセルは見守って来たのでした。そして、詩を聞き取ったところで、目をベッドの脇の方にやると、そこに、すてきな青いリュックサックがありました。やさしくふっくらとした真新しいかばんに、また新しい未来が見えました。
2013年3月29日 16時25分 | 記事へ | コメント(0) |
| 小児科病棟 |
2013年03月18日(月)
人間と存分に呼ばれる世は遠し  Sさんの俳句
 9月に出生前診断をめぐるたくさんの俳句を作ったダウン症当事者である男性のSさんに、半年ぶりにお会いしました。

 小さい願いですが何とかして私たちのことについて理解を深めてもらってもっとぼくたちが生きやすい社会にしてほしいです。いちばんに言いたいのは出生前診断をやめてほしいということですがなんとかならないのでしょうか。人生を生きるのは何度も苦難を乗り越えていくことなのでもっと障害をぼくはプラスに捉えていいのではないかと思います。人間というものに対する理解がおかしいと思います。
 俳句にします。

はがゆき音われらをほかす冷たき目。
小さき穂摘みとられるなら実はならず。
人間と存分に呼ばれる世は遠し。
ぬくもりが僕を過ぎゆく強さ残し。
よい報せ届かぬ朝にわずかな日。
わずかな日射す今日の朝永遠に。
人間に理想を吹き込む息はどこ。
つらい輪にはいれず一人野をさまよう。
ろうそくの火をもう一度夜の闇。
分相応輪の外にいて指くわえ。
理想絶え緑も枯れた冬の野に。
わずかに身ひとつを携えわれ立てり。
わずかに身呼ばれぬままに理想絶え。
ずんずんと雪を積もらせ夜は更け。
わだかまる心は厳に冷えゆけり。
わずかな無夜の闇のどこに消す。
ずんずんと降り積もる雪無を減ず。
人間と呼ばれぬ身には罪な時。
人間として瑠璃色の空仰ぐ。
わずかな理われらにはあり強く立つ。
わだかまり消えぬまま音を奏で。
わずかな目心に届き涙落つ。
ぬくもりを感じながらも冷たき背。
ぶんどらぬわれらからなぜ奪う。
ゆゆしきは人間どうしの欲望と。
理想絶えし人間はこれからどこへ行く。
むずかしき議論に耐えて理想持つ。
ぶんどらぬわれらはただ理想持つ。
敏感な心に傷が増えし日々。
わずかな世未来を照らす理想の世。

 私たちのためにありがとうございます。人間としての理想を勝ち取りたいのでまたインターネットで発信してください。ずっと先生のブログで仲間の言葉を聞いて目を見開くことができますから。願いは僕たちのベロニカのような思いを分かち合いたいです。つらい思いの共有です。小さい時に聞いた話ですが最近テレビで聞いて思い出しました。わずかなぶんどらぬ私たちの理想をかなえたいですがよろしくお願いします。


 ダウン症の書家金澤翔子さんが、発言をしたことを伝え聞きました。当事者の言葉が少しずつ取り上げられ始めたというふうに私は理解したいと思います。
2013年3月18日 23時18分 | 記事へ | コメント(0) |
| 家庭訪問 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2013年03月15日(金)
成年後見人制度の裁判について
 ダウン症の女子高生が、成年後見人制度について語りました。私も今朝新聞で知ったニュースでした。

 私は後見人制度のことはよく知りませんでした。でも後見人を付けると選挙権が奪われるなんて許せないと思います。だからみんなががんばって法律を変えてくれてうれしいです。どうしてそんな法律ができたのか不思議だけどその間違いが認められて良かったです。ダウン症の人がどうどうと新聞に出ていてうれしかったです。ダウン症だって裁判の場に出られることも証明されました。ほんとうにうれしかったです。利害関係が少ないからでしょうか。出生前診断の時はあんなに悪く言われたのに夢のようです。なぜもっとダウン症の人に発言の機会を与えてくれないのかもっと私たちの意見を聞いてほしいです

 知的障害者の判断能力の問題が背景にはあります。今回の判決は、判断能力があるとかないとかにかかわらず、間違いであることをはっきりと告げていることにおいて、原理的な正しさを持っていると思いますが、事実問題として、想定されているよりもはるかに多くの人が判断能力を有していることがまだ見落とされていると思います。原告のダウン症の方は、まさしく自らの意志によってこの闘いをしたことは疑うべくもないことでしょう。新聞の写真のまなざしはそのような静かな強さを秘めたものでした。
2013年3月15日 22時35分 | 記事へ | コメント(0) |
| ダウン症の当事者 |
2013年03月08日(金)
美優さんの大学進学
 熊本からとても素晴らしいニュースが飛び込んできました。それは、手を添えられて相手の手のひらに文字を書く方法でコミュニケーションをしている熊本の柴田美優さんが、九州ルーテル学院大学に入学するというニュースです。

 ご本人とご家族のたいへんなご努力と、周囲の息の長い援助とが実を結んだ成果です。これからの美優さんが世の中に与えてくれるものに心から期待しています。
 記事にある作文の入賞作品は以下の通りです。


       手のひらで伝わる心
(心の輪を広げる体験作文:平成24年度高校・一般部門最優秀賞)
      柴田美優(熊本県・熊本県立松橋支援学校高等部3年)

 私は小さいころ病気になりました。その結果、指の先しか自由に動かすことができなくなりました。言葉もしゃべることができなくなりました。小さいころは、手を伸ばして周りにある物を触ったりしてみました。自分でできることは少しでもやってみようと思っていました。言葉はしゃべれなくても、私の表情や声で気持ちが伝わることもあったので、あまり悲しいとは思わなかったことを覚えています。
しかし、少しずつ大きくなるにしたがって自分の気持ちをありのままに伝えたくても、表情とかだけではうまく伝わらないことが増えてきました。私は周りにあるいろいろな物を見て、感じたことを伝えるために言葉がほしいと思うようになりました。特に体調が悪いときや筋緊張が強い時は、きつくて表情に出すことも難しい時がありました。一人では何もできない自分が悔しいと思うようになりました。周りの人が私を見て「何もできないんだ」と思っていることがいやでした。知らない人が私を見て「かわいそう」と思っているのが伝わってきました。私は「かわいそうじゃない」と必死で思っていました。 私は一人でできることは少ないけど、周りの人から「何もできない、かわいそう…」と思われるのはとてもいやでした。
四歳くらいのとき、母が泣いていたのを覚えています。母は私に「みんな美優のことをかわいそうだと思っている。でもそうじゃない。いつかきっとできることがみつかるはず。お母さんが絶対美優のことを幸せにしてみせるから、一緒に頑張ろう。」と言いました。だから私は今まで辛いことがあっても乗り越えられたと思っています。
私は松橋養護学校の小学部に入学しました。入学する前は、母が私に絵カードや絵本を毎日見せてひらがなや数のことをたくさん教えてくれていました。絵本も毎日読んでくれました。私はわずかに動く人差し指で、一人で覚えたひらがなを宙に書いていました。頭の中でひらがなや数を覚えていました。でも、まだ誰も私がひらがなが書けるということを知りませんでした。
小学部二年生の時に、初めてパソコンを使って「たこやきたべたい」と、文字を綴りました。それまで一人で指先で書いていた文字を、初めて周りに言葉で伝えた瞬間でした。私にとって記念すべき日になりました。自分の思いが周りの人に伝えられるという、普通の人にとっては当たり前のことが、私には新鮮でした。私が文字を理解していることがわかった先生は、パソコンではなく私の手を取って、一緒に文字を書いてくれました。私はそれまでたまっていた母への思いを吹き出すように詩に書きました。詩を書くと、自分の気持ちが周りに伝わるのがわかりました。そして私の気持ちが伝わったとき、みんなは喜んでくれました。私の詩でみんなが喜んでくれた時すごくうれしかったのを覚えています。
私を抱っこして支えてもらい、その人の手のひらに文字を書くようになり、いろいろな人と話ができるようになりました。でも私と文字を書くことはとても難しいです。慣れない人に抱っこされると筋緊張が入り、読み取る人はとても大変だと思います。できるだけ支えてくれている人に伝わるような言葉で伝えるようにしています。でも、何回も手に書いても伝わらないときはとても悔しいです。しかし、支えてくれている人の手に文字を書いているとその人の気持ちが伝わってくることもよくあります。手に書いた文字が全部は伝わらなくても、その人が私のことをわかろうとしてくれているかどうかは、身体を通して、指先を通して感じることができます。言葉が声に出なくても、私の文字を手のひらに書いてもらって、その人の気持ちが伝わってくるから、私は今の自分が好きです。これまで苦しい思いや辛い思いをしたこともたくさんあったけれど、私を見ていてくれる人がたくさんいるということを、手のひらに文字を書くことで知ることができました。
私は高等部の三年生になりました。今は大学進学に向けて勉強を頑張っています。先日大学のインターンシップに四日間参加することができました。ある先生の講義の中で、リフレーミングの演習がありました。「自分の中で嫌いなところは」という問いに、私は、「自分でしゃべったり書いたりできないところ」と書きました。それに対して同じ班になった学生の方が「周りの人と協力してしゃべったり書いたりできるのはすごい」とリフレーミングで返してくれました。私は、いろいろな物の考え方を知りうれしくなりました。
もし、大学に入学できたら心理学や福祉、そして、障がいについて勉強したいと思っています。友達をたくさん作りたいと思っています。たくさんの学生に、ありのままの私のことを知ってもらいたいです。いろいろな話をして、私が今まで聞けなかった話などをたくさんしたいです。そして、友達とつながっていろいろなことを体験したいと思っています。
こんな私が大学に行くことで、もっともっと、障がいのある人が当たり前に大学のキャンパスに集い、学ぶ機会を得て、社会参加できるような社会になるといいなと考えています。夢は思うだけでは叶わない。挑戦しないとただの夢…。
2013年3月8日 06時47分 | 記事へ | コメント(0) |
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意識障害と言われる方々も手を添えれば字が書けること
 遷延性意識障害と呼ばれる状況にある人に昨年の秋以降、お会いする機会が増えて来ました。これは、やはり、山元加津子先生と宮田俊也さんにお会いしたおかげです。
そして、今、たいへんなできごとに出会っています。それは、みなさん手を添えれば文字が書けるという事実です。私は、パソコンとスイッチを使って相手の小さな合図を読みとることによる方法に習熟しているので、そうした場面では必ずその方法を試みてきました。そして、幸い、医学的診断の内容にもかかわらず、その方々の言葉を引き出すことができて、実はその方々が当たり前に意識を持ち、豊かな言葉を持っているという事実に出会うことができました。しかし、私の方法はすぐにご家族が実践できるものではありません。パソコンやソフト、スイッチなどの設定の煩雑さにくわえ、50音表を行と段とをスキャンしていくという方法のなじみのなさや、もっとも決定的なことは、合図があまりにも微妙なので、なかなか感じ取るのがむずかしいということがあるからです。
 しかし、秋以降、私は、自分のその方法はその方の気持ちをひとしきり聞いた後、いったん置いておくことにしました。そして、ペンを手に握ってもらって、字を書いてもらう取り組みを始めたのです。これは、幼い時からの障害ある人たちとの関わり合いでも使ってきたものですが、それを、意識的に活用することにしたのです。
 まず、どんな持ち方でもいいからペンを持ってもらい、ペン先があたるようにスケッチブックを出します。そして、○と×を書くことを伝えてから、最初に○を書いてもらいます。すると、ここで多くの方がほんのわずかでもペンが動き始めるのです。別に介助者が動かさなくても、ほんのわずかな動きがほとんどの方で見られました。そして、きれいな○でなくても、ともかく曲線が描かれたことが確認されたら、今度は×に移ります。すると、明らかに○の時とは違う直線を引く動きが出てくるのです。×は一筆では書けませんし、交差も必ずしもうまくいくわけではありませんが、明らかに○を書く時の曲線の動きと×を書く時の直線の動きには違いがあるのです。曲線を書けばイエス、直線を書けばノーなのでそれだけで、やりとりは成立します。
 最初の○の動きがあまりよくわかりにくい場合は、一緒に○を書いてみます。そして、その時の手に伝わってくる感じをよく覚えておいて、今度は、×を一緒に書いてみて、その動きを覚えておきます。これだけでは、ただこちらが動かしただけですから、本人の意志があるとは思いにくいのですが、ここで、あえて、○を書いてほしいと言って直線の動きをしてみたり、×を書いてほしいと言って曲線の動きをしてみると、動きにくい感じがします。それは、お願いした○と×にちゃんと一致するように手を動かした時、本人もそのように動かそうとしたのに対して、お願いしたのと異なる動きをしているから互いの動きがぶつかりあってしまうからです。このかすかな動きを読みとるとなるとなかなかむずかしいかもしれませんが、それでも、ペンの抵抗などをうまく調整しているとみなさん少しずつ動き出したのです。
 そして、何と言っても感動したのは、その場で何とかご家族の方もこの援助ができたということです。あまり比較したくないのですが、中途障害と呼ばれる方々のほうが、家族がその場でできる割合がとても高いというのが印象です。その理由として考えられるのは、長年にわたって文字を書いた経験が体の細部に宿っているということです。物心がついたころから練習してきて、無意識にすらすら書けるようになった方と、イメージの中であるいはかすかな動きを独力で繰り返し練習してきた幼い頃からの障害のある方とは、実際の練習量がちがうのだと思います。(ただ、誤解していただきたくないのは、幼い頃からの障害のある方は、練習の量が違うだけで、慣れた援助さえあれば、すぐその場で書けるということと、実際にペンを持つことなく、そこまで独自に学んできた熱い思いのことをけっして私たちは忘れるべきではないということです。)
 ところで、長い時間をかけて筆談の練習の方法を考えて来られた当事者である里見英則さんは、○×の次に、数字がいいとおっしゃっています。ひらがなよりも数が少ないのと形がシンプルだからですが、実際に、みなさん、すぐに数字もできました。数字ができれば、いろいろなことを聞くことができます。3つの選択肢のうちの何番かとか、今日の調子を5段階で表せば何段階目かなどです。そして、数字ができれば、ひらがなはすぐそこです。
 まず、こちらで決めた任意の言葉を書いてほしいと頼んで書いてもらえば、添えた手がその文字のように動くのをわかると思います。本当はもっと長く延ばすべきところが短く終わったとしても、そこにはまちがいないくその文字を書こうとする意志が介在しますし、長く延びてしまってもそれは、止められなかったからだとすぐにわかります。
 確かに、いきなり気持ちを聞いたりすると、まだ、いったい何という字を書こうとするのかわからなかったりもします。しかし、よくよく軌跡をたどってみれば何かの文字であることがわかることもしばしばです。
 こういうことが、その日のうちに起こるのです。確かにご家族がお一人でやっても、なかなかうまくいかないかもしれませんが、そういう可能性があることを今、強く訴えていかなくてはいかないと思っています。
 
2013年3月8日 01時35分 | 記事へ | コメント(0) |
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