ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年12月03日(土)
「早く人間になりたい」 妖怪人間ベムの悲しみ
 最近、私が小学生の頃アニメで放映され、主題歌とともにずっと忘れずにいた妖怪人間ベムが実写版で放映されている。子ども心に感じていたものが何だったのかはよくわからないが、あれから40年あまりの時を経て、私には、忘れられないセリフ「早く人間になりたい」が、全く違った意味をもって響くようになった。それは、「人間として認められたい」という表現が、多くの障害の重い方々の言葉にあったから。そして、ある意味でひやひやしながら妖怪人間ベムの放送を見つめていた。
 すると、さっそく、何人かの人がこのセリフについてコメントをしてきた。

私たちは人間あつかいされていないのでまるで妖怪人間ベムですがはやく人間になりたいという言葉はまさに私たちの気持ちです。自由ばかりが冒険の合い言葉ですが、早く人間になりたいこそが私たちのほんとうの気持ちです。わがままではなく凡庸でもいいからぼろぼろでもいいから人間になりたいです。なぜばらばらになってしまうのはつらいですが未来を信じたいです。わずかでもがんばるきもちがでてきましたよかったです。

 人間になりたいという言葉が最近よく聞かれますが何も知らない人たちはわからないと思いますが私たちはとてもせっぱつまった気持ちで聞いています。何とかして私たちを人間として認めさせたいので理想をかなえ早く人間として見られたいです。まだまだ私たちは人間として認められていないので早く何とかしたいです。私たちにとって理解されない悲しみは学校時代から変わらないので早く認められたいです。人間として認められる世の中を早く実現させたいです。小さい時からの願いです理想を早くかなえたいです。(…)私たちにはその言葉の意味がよくわかりますが私たちだけですね、そこまで考えているのは。(ドラマは)見てはいませんがコマーシャルで聞いて驚きました。ぜひ番組も見たいです

 人間になりたいというセリフがありますがまるで僕たちのことのようでつらいです。理解されないつらさやびっくりしたのは理解されようとして頑張ってもなかなか理解されないつらさです。楽しいことは家族と過ごしている時間です。ほかは楽しいことは少ないです。そうです。なぜなら家族でいるときは全く人間として扱われていますがほかではなかなか人間として扱われませんから。学校では友達といるときが一番楽しいです。はい。お互いに言葉では通じ合えなくても気持が通じ合っていますから。でもそのことは誰も知りません。誰にも知られないまま僕たちは気持を通い合わせています。そうです。はい。こんなにすらすら話せるのにもったいないです。

 ドラマでは妖怪人間ベムたちがなぜ正義を大切にするかも語られる。そこでは、人間らしくありたいからというようなことがその理由だった。これもまた、みんなの言葉と重なり合う。多くの人が良い人間になりたいということやきれいな気持で生きて生きたいと言うことを語る。それは、誰にも認められない自分の存在を自分自身でしっかりと認めるためだということを聞いたことがある。
2011年12月3日 00時45分 | 記事へ |
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みんなのあかりコース 東日本大震災の取り組み 11月20日その3
 寡黙な50代のSさんは自分でも作文を書けないわけではないが、あえてパソコンを要求してきた。そして、以下の文章を綴った。

 なぜ津波はすべてを奪っていったのだろう。津波の力に僕は遠い過去のどうにもならない運命の力を重ねている。遠い昔の運命の力は僕の人生を切り裂いた。遠い昔の運命の力は根こそぎ僕の人生を流していった。わずかな明かりは今こうして何でも話せる方法が見つかったことだ。悩みも苦しみもたくさんどこかに流し去り、新しい人生を始めよう。津波もいつか遠くなり、被災地の人にも丸く明るい月が射す日が来るだろう。その日が待たれるけれど今は静かにまだ乾かない涙に耐えていよう。

 津波と障害を重ね合わせた人の文章はたくさん紹介してきた。しかし、Sさんの表現は、50代の方だからこそのものだ。自分の障害をめぐる若き日々のどうにもならない思いと、つらい経験。それを彼は、すべてを根こそぎ奪っていく津波と重ね合わせた。そして、最後に、被災地の方々へ静かな祈りを捧げる。たくさんの苦悩を越えてきた彼だからこそ、涙に耐えるという言葉が深く響いた。

 また、5月のわかそよのステージ上でみずからの津波の詩を紹介された40代のNさんは、次のような言葉を書いた。

 理解できないと思われているのにあんな詩を書いても誰も信じてはくれませんが満足できています。私たちをわかってくれない世の中がこの津波で変わりそうでしたがなかなか難しそうでしたが、そろいもそろって同じことを考えていたのですね。私たちは本当の仲間だということがよくわかりました。わずかな灯りがともったばかりなのでもっともっと考え続けていきたいです。

 これは、先に紹介したMさんやIさんの言葉を聞いて深い連帯感を感じたことを表現したものだ。そして、続けて次の詩を書いた。これは、この日の活動で、亡くなった障害者のことについての記事をみんなで見たことを受けたものだと思われる。

 挽歌

挽歌を一つ歌ってみたい
亡くなった仲間に向けて
まだ僕たちの時代は来ていないのに
見届けられずに逝ってしまった
未来はまだまだ遠いまま
つらい日々はまだまだ続く
だけどわずかな希望は見えている
わずかな希望は理解されて
初めて気持ちが言えたことだ。


 本当は、ここで終わったわけではなかった。たまたま私を急ぎのことで呼びにきたスタッフがいて、そこで、さっと彼が身を引くようにして句点をふったものである。あまりにもやさしい彼の配慮だった。
2011年12月3日 00時24分 | 記事へ |
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