出生前診断についての当事者の言葉です。盲学校の重複学級を卒業した20代半ばの女性です。彼女は、生まれていいいのちと生まれなくていいいのちとに分けることはできないということが唯一のよりどころであったという思いから気持ちを綴り始めました。そして、理解できていない存在としてこれまで扱われてきたけれど、今回のできごとで、生まれなくていい存在にまでさせられてしまったと述べているのです。無念の思いは以下の通りです。
なんなのという話が最近ありました。どうして生まれていいいのちと生まれなくていいいのちと分けられなければいけないのでしょうか。唯一の私たちのよりどころはそれほどもろいものだったのでしょうか。わざわざ私たちを否定するなんて許し難いです。私たちは理解できていないだけでなく生まれなくていい存在にまでさせられてしまいました。もう私たちは生まれて来ない方がいいのでしょうか。なぜ誰もそれを問題にしないのでしょうか。理想も消えて私たちの生きられる世界はもうなくなってしまいました。なぜ私たちは生きていてはいけないのでしょうか。人間としてもう認められないということですね。自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。
人間として認められる日がまたいちだんと遠ざかりました。銀色の世界を夢見ていたけれどまた遠ざかりました。よい時代が地震の後にきそうだったのに私たちはまた取り残されてしまいました。人間としてのわずかな希望がまたほしいです。理解してもらえてよかったです。
なぜダウン症の人ばかりが取りざたされるのかも許せませんでした。私たちにとってはダウン症などと障害の名ばかりが一人歩きしてしまっていることも許せません。わずかな勇気をふるって世の中に訴えたいですが難しいですね。妊婦さんも何も知らされない方が良かったのではないでしょうか。人間として人間らしく育てればそれで十分だと思います。
文中に「自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。」とあります。それは、本当に深い社会全体のあり方についての問いかけでしょう。
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