ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年10月12日(金)
出生前診断について 10月8日
 出生前診断についての当事者の言葉です。盲学校の重複学級を卒業した20代半ばの女性です。彼女は、生まれていいいのちと生まれなくていいいのちとに分けることはできないということが唯一のよりどころであったという思いから気持ちを綴り始めました。そして、理解できていない存在としてこれまで扱われてきたけれど、今回のできごとで、生まれなくていい存在にまでさせられてしまったと述べているのです。無念の思いは以下の通りです。

 なんなのという話が最近ありました。どうして生まれていいいのちと生まれなくていいいのちと分けられなければいけないのでしょうか。唯一の私たちのよりどころはそれほどもろいものだったのでしょうか。わざわざ私たちを否定するなんて許し難いです。私たちは理解できていないだけでなく生まれなくていい存在にまでさせられてしまいました。もう私たちは生まれて来ない方がいいのでしょうか。なぜ誰もそれを問題にしないのでしょうか。理想も消えて私たちの生きられる世界はもうなくなってしまいました。なぜ私たちは生きていてはいけないのでしょうか。人間としてもう認められないということですね。自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。
 人間として認められる日がまたいちだんと遠ざかりました。銀色の世界を夢見ていたけれどまた遠ざかりました。よい時代が地震の後にきそうだったのに私たちはまた取り残されてしまいました。人間としてのわずかな希望がまたほしいです。理解してもらえてよかったです。
 なぜダウン症の人ばかりが取りざたされるのかも許せませんでした。私たちにとってはダウン症などと障害の名ばかりが一人歩きしてしまっていることも許せません。わずかな勇気をふるって世の中に訴えたいですが難しいですね。妊婦さんも何も知らされない方が良かったのではないでしょうか。人間として人間らしく育てればそれで十分だと思います。


 文中に「自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。」とあります。それは、本当に深い社会全体のあり方についての問いかけでしょう。
2012年10月12日 22時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主グループ(視覚障害) / 出生前診断 |
出生前診断について 9月29日 ある少女の思いと詩
 わかっていもらえないことをめぐる思いを綴っていたある少女は、そこから出生前診断への思いを延べ始めました。

 私たちは人間として見られていないのがよくわかります。私たちは世の中ではもう生まれない方がいいと思われているのだというのがよくわかります。びっくりしました。テレビで出生前診断でみんなで私たちをなきものにしたいと思っていることに。理想がなくなっていって私たちを敏感な人たちしか何も手助けしなくなると思います。私たちはただ指をくわえていることしかないのでしょうか。

 この後、話は副籍交流の話となり、さらに次のように自分たちを取り巻く地域社会の問題へと話が続いていきました。

 地域は何で私たちを受け入れてくれないのでしょうか。地域の学校に行きたいです。むずかしいとは思いますが私はうらやましいです。ばらばらに分けられるのはいやです。いい敏感な人たちが増えるといいと思います。わずかな希望は私たちはようやくこうして話せるようになって未来が見えてきたけれど私たちをないものにしようという時代が来てしまったのでもう諦めるしかないのでしょうか。

 そして再び、出生前診断に象徴されている「自分たちをないものにしようという時代」の到来を嘆いたのです。
 そして、その後、こんな詩を書きました。

夏に疲れた私は秋風に身を委ねて
匂いのいい花に顔を埋めた
よい匂いの花は見たこともない美しいがんばりを讃えてくれて
私をやさしく包んでくれた
理解者をつらい気持ちにさせてしまって私はつらいの
どうしたらいいのかわからない
私はもう読んでしまった本を投げ出すように
敏感な声で答えてもらおうと
理解をしてもらうための物語を私は紡いだ
理想は私にも言葉があることをわかってもらうこと
理想はなかなかかなわないけれど
私としては理想をかなえるための新しい旅をしよう
花に包まれて私は祈った


2012年10月12日 21時37分 | 記事へ | コメント(0) |
| 家庭訪問 / 出生前診断 |