Kさんがあと一つ書きたいことがあると言って書き始めたのは、出生前診断についてのことでした。以下の通りです。
出生前診断について。
私は生まれてこないでいいようないのちなんてないと思っていますが世の中の人はなぜそのことを語らないのでしょうか。ずっと私は言葉の理解が難しいのでわかっていない子どもと言われて育ってきました。しかしそんな私たちでさえ同じ人間として喉から手が出るほどのことでしたが冒険ができる自由がほしいと願って生きてきました。私はそういうふうに見られていても必ず同じいのちだからと守ってくれる人に支えられて生きることができました。だから迷惑だと思う人もたくさんいるのはわかりますが私は迷惑などいのちを選ぶ理由になどにはならないと思います。いのちが同じだという言葉さえ語られないのは絶対におかしいと思います。なつかしいです。何もわからないと思われているにもかかわらず、同じいのちだと言ってくれた人がたくさんいた昔が。そんなどうでもいいいのちにさえ重きをおこうとしてくれた理想の時代はもう来ないのでしょうか。私にも言葉が理解できているということが理解されたにもかかわらず世の中はまだその事実に無関心でただ障害という理由だけで私たちをなきものにしようとしているなんて許せません。私は言葉にかかわらず人間です。そういう言葉にかかわらずという考えは理想論と片付ける人もいるかもしれませんが現実論として言いたいのは世の中の人たちがなきものにしようとしているいのちは世の中の人の思惑とは異なりみんな普通に言葉を理解していると言うことなのです。ここに二つの過ちが存在していると言うことがわかります。私たちの声をもっと聞いてください。以上です。
かつて、言葉がないとされてきた自分をも同じいのちだと言う人がいたのに、なぜ、今それを言う人がいないのかという切実な気持ちが綴られています。また、「迷惑などいのちを選ぶ理由にならない」という言葉も核心をついたものでしょう。理想論と現実論の両面からこの問題をつくという語り方は、大変説得力のあるものでした。
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