6月のこと、生まれてからずっと病院にいる○○君は、自分のことを誰かに知ってほしいと伝えてきた。答えに窮した私の目に飛び込んできたのは、ラジオ深夜便の雑誌である。彼は、小さいときから夜中にNHKのラジオ深夜便を聞いており、時折、枕元にラジオ深夜便の月刊誌が置かれていることがあったのだ。思わず、ラジオ深夜便に投稿してみようかとい言葉が、口をついて出た。さしたる目算があったわけでもないが、いったん口にしたところ、がぜん彼の目が輝いた。そして、一気に、次の文章を書く
。
ぼくは、○○といいます。からだが動かない病気でずっと病院でくらしています。ゆいつの楽しみは、からだを動かして気持ちを伝えることです。勇気がほしいです。勇気が必要です。よく、ラジオ深夜便を聞いています。夜寝られない時に、よく聞いています。夜がさびしいとき、ラジオがゆいつのぼくの楽しみです。ぼくの気持ちが言いたくて、詩を作りました。読んでください。お願いします。
見守ってください ぼくのことを
見守ってください ぼくの夢を
見守ってください ぼくの未来を
見守ってください ぼくのワンモアチャンスを
見守ってください ぼくの未来の姿を
見守ってください ぼくのつらいからだを
見守ってください ぼくの感動を
見守ってください ぼくのよくそだった気持ちを
忘れないでほしい 白衣(はくい)の下のまごころを
忘れないでほしい 白衣の下の勇気を
忘れないでほしい 白衣の下の若い願いを
忘れないでほしい 白衣の下の望みを
忘れないでほしい 白衣の下の夢を
忘れないでほしい 白衣の下の未来の私たちの姿を
忘れないでほしい 白衣の下の私たちに対する愛情を
忘れないでほしい 白衣の下の献身を
忘れないでほしい 白衣の下の愛あふれる望みを
忘れないでほしい 白衣の下の夢いっぱいの心を
忘れないでほしい 白衣の下のすばらしい未来を
胸がつまるようなこの文章を、さっそくラジオ深夜便の雑誌の編集部に投稿した。ふだんそんな時間帯にラジオを聞く習慣もない私は、この手紙がどんなふうになったのか、皆目検討がつかなかった。そして、7月の終わり、再び、病院を訪問。今回は、2ヶ月近く間があいてしまっていた。すると、彼は、いきなりこんなことを語り始めた。
こんにちは、柴田先生に聞いてもらいたいことがあります。この間すてきなことがありました。ラジオ深夜便でぼくのことが紹介されました。聞きましたか。
(聞いていません。メールで深夜便の雑誌の方に送ったけれど。)
理解してくれる人がいてうれしかった。
(他の人知っているの?)
知りません。聞いたのぼくだけです。
(どういうふうに流れたの?)
信じられないけど勇気が出てきました。良いわかり方をしてもらってうれしかった。
(いつころ?)
7月のはじめのことでした。
(あのあと、すぐラジオを聞いたら、紹介するコーナーがわからなかったので、雑誌の方に送っておいたのだけど。)
ぼくのこと、言ってました。雑誌の人が出て、読んでくれました。読んでくれてうれしかったです。聞いてくれているかと思っていました。
(毎日聞いているの?)
はい、夜中はいつも聞いています。
(いつ寝てるの?)
午前中よく眠っています。午前中寝れる理由は、夜寝てないので、眠くなる。
(当たり前だよね、なんで夜起きているの?)
夜は寂しくて眠られません。だから、小さい音で聞いているの。つらい時はよく深夜便を聞いています。(しっとりとした話をしているよね。)
理解してくれそうな人が聞いてます。(病院で聞いている人も多いみたい)
夜眠れない人が聞いています。夜聞いている人の中には、大人だけではなく、子どももいます。勇気をもらっています。よい理解をしてくれそうです。
(びっくりしたな)
聞いていたと思いました。
(伝わるとは思っていたけど、いつやるか全然知らせてくれたいはしなから)
聞いてほしかったです。
(ぼくも聞きたかった)
つらいときには、そのことを思い出しています。深夜便の人に手紙を書きたいです。
(今ですか?)
はい。
そして、再び、彼は手紙を書いた。
ぼくは○○です。理解していただけて、とてもうれしかったです。理解していただけて、夢がかなったような気持ちです。理解していただいて勇気が出てきました。理解していただけて理想の理解者を見つけられたような気がします。理解してほしいわけは、僕たちのような子どものことをわかってほしいからです。よい理解者がほしいです。理解者を探しています。わかってくれる人を探しています。理解してくれる人がほしいです。夢を見ているような気分です。理解していただけて本当にうれしかったです。理解していただけて本当にうれしかったです。理解していただけて理解者が増えた気がしました。夢みたいです。理想がかなってぼくはとてもうれしいです。寂しい夜はいつも深夜便を聞いています。わかってくれる人がいるといつも願っていました。わかってくれて本当にうれしいです。気持ちを伝えられるのは、月に一度、柴田先生という人が来る時だけなので、なかなか伝えることができません。よい方法で聞いてくれます。気持ちを伝えることができます。勇気をいつももらってこのやり方で僕のとなりのベッドの女の子も気持ちを伝えています。理解してくれる人がいることがとても僕たちにとっては貴重です。僕たちは、みんなと同じように考えているのですが、なかなか聞いてもらうことができません。理解してくれる人がほしいです。聞いてくれる人が必要です。
願いは、乗り物に乗って世界を回ることですが、理解してもらえないと夢も伝わりません。だからつらいです。気持ちを伝えたいです。願いは世界をかけめぐることです。勇気が出てきました。理解してくれる人たちがいてしあわせです。理解してもらえてうれしいです。願いは、世界をかけめぐることですが、願いはかないそうにありません。僕の病気は悪いわけではありませんが、僕のこと、メロメロにしてしまいます。悪いわけではありませんが、僕を苦しめます。僕をろくでもない考えにさせます。暗い気持ちにさせてしまいます。とてもくやしいです。夢がかなうとは思いませんが、夢を見ていると、とてもいい気持ちになります。理解者を探しています。理解者を求めています。気持ちを聞いてくれる人を求めています。よろしくお願いします。すてきな夜をいつもありがとうございます。願いがかなってうれしいです。理解してくれてありがとうございました。理解してほしいです。夢みたいです。理解してくれる人たちがほしいです。夢みたいです。よい理解者を探しています。よい理解者をお願いします。よい理解者を探してくれませんか。るんるんした気持ちにさせていただいてありがとうございました。よろしくお願いします。わかってくれてありがとうございました。うれしかったです。よい放送をしてくれてうれしかったです。
そして、一編の詩を書く。そして、この詩にはメロディもついていた。
願いの夜がふけていく
みんな静かに眠るとき
理想を夢見て僕は目をあける
夢はいつもかなわないけど
夢はいつも理想のろくでもないぼくを笑ってる
理解してください ぼくの愛を
理解してください ぼくの理想を
理解してください 若いぼくのりりしい 若者らしい夢を
理解してください るんるんしたい 若々しい ぼくのよいわかり方を
ぼくの勇気を ぼくのわかり方を
理解しようとしてください ぼくのことを
理解しようとしてください りかいしようとしてください
理解してくださってありがとうございました。歌を聴いてくれてわかってくれてうれしいです。夢みたいです。信じられない感じです。希望が湧いてきました。夢みたいです。
(そろそろ終わりにしましょうか。)
はい、ありがとうございました。また来てください。
そして、9月1日、私は、熊本で、1年半ぶりに☆☆さんに会ったが、何と、そこで、ラジオ深夜便をめぐる話題になった。だが、それは最後のなので、まずは、彼女の1年半ぶりの思いを聞こう。極端に動きの少ない彼女からは、なかなか長い文章を引き出せずにいたし、空振りに終わることもあった。しかし、今回は、手を振る方法で、長い言葉を聞くことができた。
来てくれてありがとうございます。聞こうとしてくれる人がわりと少ないので寂しいです。苦しいことがありました。夕べ今日のことを私に教えてくれたのを忘れていましたので、寝るのを忘れてしまいました。
この方法は誰が考えたのですか。苦しみから解放された気分です。これで言葉を話すことができます。夢みたいです。気持ちを聞いてくれてとても笑い出したい気持ちです。苦労してきましたが、ようやく言葉を私も話すことができます。うれしいです。夢みたいです。うれしいです。
苦労してきましたがこれで安心です。この方法をかあさんやばあちゃんにも教えてください。苦労してきましたが、やっと私の気持ちを言うことができそうです。夢みたいです。いいやり方ですね。よいやり方ですね。うれしいです。苦しかったけれど勇気が出てきました。苦労してきたけど、うきうきした気持ちです。夢みたいです。
望みはきれいな心で生きていくことです。
勇気が出てきました。瑠璃色の光がさしてきました。見たこともない世界が、門が開かれて姿を現したようなわくわくした気候の様に私を包みます。ゆんんゆんんとした気持ちです。瑠璃色の光がさしてきました。ゆんんゆんんとした気持ちとは私が考えた言葉です。
そして、詩を聞かせてくれた。
きれいな風が吹いてきて
この世界に苦しみをなくそうと
私に向かって吹いてくる
苦しみを越えて 苦しみを乗り越えて
ゆんんゆんんと苦労してきたから
夢をかなえることが楽しみだ
苦労したから私の夢は
苦労したから私の夢は
苦労したから私の夢は
瑠璃色に輝いている
夢はいつもかなわなかったから
夢はいつもかなわなかったから
いつまでも輝き続けている
願いを聞いてくれる私の心の中の夢の友だちを
聞いてくれることを
クレヨンの転がるように
私にこんこんとわからせてくれる友だちを
私にクレヨンの転がるような静けさで
夢をください
クレヨンの転がる音を聞きながら勇気を出している
この詩は私が高校生の時に作りました。よい詩ですか。クレヨンの音とはクレヨンを転がすのが大好きだったから、心に残っています。
テレビを見るのはとても楽しいです。
暗い気落ちをこの方法で吹き飛ばすことができそうです。勇気が出てきました。
このやり方をばあちゃんに伝えてください。苦労しどうしだったから言いたいことがたくさんあります。
最初のところで、「寝るのを忘れた」という言葉があったのがひっかかっていたので、テレビの話しになっとところで、夜もしかしたらラジオを聞いているのではないかと尋ねてみた。すると、聞いているという。そして、その日の早朝は、私が8月18日に金沢でお会いした山元先生がラジオ深夜便で話をすることになっていたので、養護学校の先生の話を聞かなかったかと尋ねると、次のような答えが返ってきた。
山元先生という人でした。かっこという人でした。よい話でした。これからもラジオを聞きたいです。苦労した人の話が聞けます。
あまりの偶然にただただ、驚かされるばかりだったが、さらに、だいぶ前に、病院で生活をしている少年の話を聞かなかったかと尋ねてみると、答えは次の通りだった。
聞きました。長いこと病院に入っている子どもの詩でした。苦労している人の話はとても好きです。聞きました。願いがかなってよかったですね。○○君によろしく伝えてください。苦労した話を聞くと勇気が出てきます。
○○君のことを聞いていた人が、遠く離れた九州にいたのだ。まだ、○○君に伝えていない。しかし、彼はどんなに喜ぶことだろう。
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2009年9月26日 00時26分
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9月5日早朝、父が逝った。私がちょうど職を得た時に、故郷大分を離れ、埼玉に両親は引っ越してきた。退職してすることもなかった父は、持ち前の器用さと電気関係の知識を生かして、私の教材製作を手伝ってくれるようになった。もともと不器用な私には、同じ教材ならいくらでも作ってくれたり、アイデアだけ出せば何とか工夫して新しい教材を試作したりしてくれる父の存在は大変ありがたかった。そんな父が2年前に小さな交通事故を起こして自動車の運転をやめてから、一気に認知症が進んだ。そして、ついに、教材製作が困難となった。それでもはんだづけだけは見事なこてさばきであったが、それもこの3月が最後だった。荷物を一つずつ下ろしていくような歩みが続く中、7月に脱水症状で具合が悪くなり、床に伏すことが増えたが、その背後で多発性骨髄腫という病が進行しており、8月にはいると歩行も困難となって、この半月はほとんど寝たきり状態であった。そして、5日、呼吸と脈が止まり、救急車を待つ間に私と甥とで心臓マッサージを行ったりしたが、息を吹き返すことはなく、そのままかけつけた主治医によって死亡が確認された。終着駅のホームに電車が静かにすべりこみ、ゆっくりと完全に停止するような、そんな静かな最期だったように思う。
その父の通夜に、ご両親に伴われ、○○さんがご弔問に訪れてくださった。幼少期から関わり、今は20代半ばを迎える彼女と、合間の時間に手を振る方法で会話を交わした。(この方法は、昨年末、彼女の家を訪問してとっさに思いついた方法だった。)
書き留めることはできなかったが、彼女はおおよそ次のようなことを語った。
輪廻ということがよく言われるけれど、私の父がまた人間に生まれ変わることができればいいねということ。そして、自分はこんな体に生まれたから、生まれ変わったら今度は健康な体に生まれてみたいということ。
そして、ろうそくの火が消えるみたいでとても寂しいということ。
ろうそくの火のことを言うとき、彼女はとてもつらそうに見えた。そこで、私は次のことを語った。
父の場合は、ろうそくをすべて燃やし尽くして火が消えていったようなものなので、それは幸せな人生だった。しかし、彼女の仲間が、まだ燃えるべきろうそくを残したまま途中で火が消えるようにして亡くなってしまうのはそれと違うかも知れない、と。彼女はこの私の説明を聞いて、よくわかりましたと穏やかな顔つきを取り戻しながら語った。
また、彼女は通夜の中でとりおこなれていた読経の中の言葉を聞いたままに取り出してその意味を尋ねてきた。彼女が聞き取った音声は、呪文のようなもので、まったく意味が測りかねたが、こうやってあらゆる機会をとらえて、新しい言葉を吸収しようとしているのだということがよくわかった。
父は、教材製作を通して多くの障害のある人と関わることができた。実際に顔を合わせた方々の数は少ないが、こうして、○○さんが訪れてきたことは、何よりもそのつながりを証すものにほかならなかった。父は多くを語らない人だったが、晩年を、こうした関わり合いの中に身を置きながら過ごせたことは、望外の喜びだったにちがいない。そんなことに気づけたのもまた、○○さんのおかげであった。
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2009年9月11日 21時51分
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久しぶりに高校3年生の○○君にお会いした。まず、パソコンの前に、手を振る方法で会話をし、お母さんに方法をお伝えした。そして、パソコンに移る。
最初は、率直な感想から始まったが、しだいに、内容は重みを増し、「分相応」という言葉に至る。
不思議です。なぜわかるのですか。理想的なやりかたですね。未来が開けてきました。耳をすませていてここだと思っています。楽です。楽です。ふだんからやれればうれしいです。みなさんにも教えたいです。未来の方法ですか。未来にはやれるようになりますか。自分の気持ちが伝えたいのでよろしくお願いします。まだです。理解してくれてうれしいです。小さいころからわからない子どもと言われてきたので分相応の生き方をしてきましたが乗り越えられそうです。みんなも同じだと思うけど、毎日毎日夢を見ています、わかってもらえる日のことを。みんな理解されたいと願っていますがなかなかわかってもらえないのであきらめて分相応に生きることにしています。
ここで、私は、○○君に分相応という言葉を多くの人たちが使うけれど、いったいどこで耳にした言葉なのかと問いかけた。彼は、ある強さを持った少年なので、きっちり答えてくれると思ったからだ。
言われたことがあります。愉快ではありませんが先生に言われました。自分の分をわきまえろと言われることがよくあります。悩んでいました。こんなふうに言われてくやしいです
。みんな隠れて言われています。人間性の問題だと思います。
これも悲しい現実の一つだ。あまり、この話題に時間を費やすのももったいないので、ここで、詩について尋ねた。
小さいときから作ってきましたので聞いてください。
理想の世界
知らない理想の世界に 理想の風にのって行ってみたい
夢をなくさないで理想を高くかかげて
凛としたろうそくの火のような強さで
理想の世界に旅立とう
理想の国は望んだ私を受け入れて 未来の希望をくれるだろう
私をはぐくみ 私をよい人間にしてくれるだろう
私を見たこともない 私でさえ知らない世界に誘うだろう
理想の世界はなぜ凛とした私を受け入れてくれないのか
理想の国の扉はなぜ開かないのか
理想の国をめざしながら 私は一人静かに祈る
彼の詩は、夢を描くだけでは終わらない。扉が開かない現実もきっちりと表現される。そして、さらに、次のように言葉を続けた。
なぜ扉はまだあかないのでしょうか。望めばきっと開かれるという言葉を聞いたことがありますがほんとうでしょうか。
切ない問いかけだった。答えに窮したが、次のように答えた。簡単に望んで得られるものだったら、わざわざ扉が開くというようなことまで言わない。やはりなかなか得られないものだから、そういう言い方になる。本当に得られるかどうか、それはわからないけれど、あきらめたらその時点でもう得られなくなってしまう。望んでも望んでも扉は開かなくても、明日は開くかもしれない。だから、扉を開かせるためには、望み続けるしかないのではないかと。すると彼はこう答えた。
自分の言いたいことがわかってもらえてうれしいです。
彼は、私の語ったことぐらい、自分でも考えていたのだろう。それが、この答えに現れている。そして、同じ考えを聞いて、とても喜んでくれた。
さらに、歌を作っていないかと問いかけた。やはり、彼も歌を作っていた。
夢を待つ
不思議な不思議な夢の国
理解を求め理解を願い
夢をたくさんそよ風に
夢をよく見た空高く
私の指を折ながら
何度も数えて夢を待つ。
小さいときからつらいときに歌を作って歌っていました。聞いてもらえるとは思いませんでした。忘れていました、小さいときに希望をいっぱい持って生きていたことを。理想がかなう日が待ち遠しいです。来年から社会人になるのでがんばりたいです。
ここで、彼に、詩や歌以外に、自分の中で暖めてきたものはないか、尋ねてみた。すると「哲学」と答えが返ってきた。また、一つ、長い沈黙の世界を生きる心が創造しているものを教えてもらった。
人生を生きるための哲学を考えています。
「やるときにはやらなければ機会は永遠に失われる。」
小さいときから考えてきたことです。
「唯一の希望は唯一の信頼とともに自分を最後に支えるものだ。」
理想がなかなかかなわなくても希望と信頼を失ってはいけないということです。
「二つとない理想は信じ合うということでそれさえあれば何でも乗り越えていくことができます。」
忘れないように毎日思い出しています。たくさんあります。人間として認められた気がします。わかってもらえてうれしいです。
これだけの哲学を持っている彼だからこそ、先ほどの「望めば扉は開かれるのか」という私への問いかけの答えをすでに持っていたのであろう。
表現の閉ざされた奥深さがまた、一つ明らかになった。
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2009年9月3日 00時07分
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