中学生の☆☆さんとの関わり合い。最初は、次のような言葉から始まる。
楽しみにしていました。やっと気持ちが言えるようになったので、ろうそくの光を遠くから見つけたような気持ちです。夢みたいです。小さいときからの夢でしたからうれしいです。理想は私の家でもできるようになりたいですがむずかしいのですか?
方法のことなどやりとりした後、歌を作っていないかを尋ねた。すると作っていて、聞かせらるとのこと。まず、歌詞を書いてもらった。
しずかによるがふけてゆき
わたしをよるがつつむとき
わたしはろうそくのひかりをさがし
ふしぎなたびにわたしをさそい
よぞらをかけるほしになる
わたしのゆめはかぎりなく
わたしはねがいのとおりのかぜに
ようふくのもつれのままにそらをゆく

(題は)夜空です。小さいときから歌を作ってきたのでうれしいです。なかなか聞いてもらうことはできないと思っていたので感激しました。わかってもらえてうれしいです。私の歌はどうでしたかふだんから作っています。また聞いてください。歌は気持ちをしずめてくれますからみんなも同じなのだと思います。みんなの歌も聞きたいです。
自分だけのために作っていた歌を、仲間と友に口ずさめる日、そんなに遠くない日に、それを実現させたいと思う。
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2009年11月23日 19時18分
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小学1年生の○○君とパソコンで話をした。ある程度手を使える彼とは、就学前から大学院生の◇◇さんがいろいろな学習を積み重ねてきた。その学習は様々なスイッチから始まって、ボールを缶に入れる学習、形のはめ板の学習、そして、カードの見本合わせなどである。スイッチについては、様々な運度方向の学習が進んで、姿勢のコントロールも運動のコントロールも上手になった。しかし、ボールを意図的に話す、○や△や□の板をその同じ形の穴に入れるという学習では、その強い意図に対して、空中での上手な手のコントロールが必要なため、誰が見てもできているというふうには見えにくかった。しかし、それは単に、力のコントロールだけの問題なので、十分に理解した上で運動をしてということは、私たちにはよく伝わってきた。そこで、見本あわせの学習へ、どんどん進めて行った。方法は、ある見本を提示したあと、二つの選択肢を左右に提示して、いずれかを選択してもらうものだった。ここでも、○○君の理解に反して、手は不随意的に動いて、選びたい選択肢の反対に手が動いてしまうことも少なくない。また、目もしっかりと選びたい選択肢をとらえることが少なく、○○君の理解を客観的に証明するにはむずかしさが生じてしまう。しかし、もちろん、そういう○○君の運動に関するハンディを考慮するならば、私たちには○○君が理解していることは、疑いようのないことだった。そして、選択の内容をどんどん進めていって、ひらがなの学習へと進めていった。
こうした学習を十分に重ねた上で、いわば満を持して、学校にあがったことをきっかけに、手を振る方法やパソコンで気持ちを聞く関わりを学習の中に含めていくことにした。
いいすいっちです ふしぎです せんせいはどうしてききとることができるのですか
パソコンで綴りながら、彼は、不明瞭ながら発声をしている。それは紛れもなく言葉であり、その言葉のいくつかをあてたので、彼は上のように書いた。
ここで、学習を進めてきた意味を彼と語り合おうと思って、いくつか質問をした。
(自分で思った通りに手が出せず、わかっているのにわかっていないと言われて困ることがあるよね。)
こまります。
(選ぶ学習をがんばって少しでもうまく選べると、大人はけっこう理解してくれるので、この学習を通して自分の体のことをよく自分で理解してね。ところで、ひらがなはもう全部完全に覚えましたか?)
はい わかるようになりました
(それはいつごろですか?)
だいぶまえです
(今、「まえ」って口でも言ったよね?)
はい
(せっかく声で言ってもうまく言えなくてつらいね。)
つらい ちいさいときからはなしたかったからうれしいです
(ところで、ひらがなが全部わかったと自分で思えたのはどういう時でしたか?)
にたもじのくべつができたときです
(ひらがなは、□□先生といっぱいやってできるようになったのですか?)
いっぱいやってできるようになりました
(パソコンの文字は見えますか?)
むずかしい ちいさくて
(ぼくはめがねをかけているけど、めがねをはずすと小さい字はぼやけて見えなくなるんだけど、そういう意味で小さい字が見えないのかな? それとも、小さい字がいっぱいならんでいて字をじっと見続けるのが大変なのかな?)
つずけてみるのがたいへん そういうことかとはじめてわかりました
みえていますがなかなかめがとめられません
(絵や一つの文字だったらはだいじょうぶなのかな?)
はい
(単語みたいに文字がならなんだらどうだろう?)
たんごのときはこまります
そして、これまでの思いが綴られた。
めのまえでちいさいときからいいたいとおもってきたけどちっともきいてもらえないのでさびしい
その後、さらにつらかった思いが語られた後、いっしょにペンをもって文字を書く方法をお父さんに伝えた。手を振る方法やパソコンよりも家で練習がしやすいことと、最終的には非常に速いコミュニケーション手段になりうるからだ。実際にいくつかの文字を書いてみると、うまくいった。
それから、何か物語とか詩などを作っていないかを尋ねた。すると、すんなりと次の詩が書かれた。
きれいないろのかぜにのり
ねがいをそらにとどけたい
みんなとゆうきをだしあって
とおいせかいにとびたとう
きっとみんなでうつくしい
ねがいがきれいなゆうやけを
にしのそらいっぱいにいろどるだろう
みんなもきっとこころのなかが
ゆうやけいろにそまるだろう
文字の数がそろっているので、歌か詩かについて、手をそえてペンをもつ方法で尋ねると、「うた」と紙に文字が書かれた。
さっそく、手を振る方法でメロディを聴き取る。その最中、これでいいかと確かめる時○○君は鮮やかに首を振ったりうなずいたりして答えを返してきた。これも新しい発見だった。
ちょうど、窓から夕日がさしこむ時間だった。手を振る方法で尋ねると、「夕焼けの時間に歌をうたってもらってうれしい」と返ってきた。
満面の笑みを浮かべる彼に、家内が手を添える筆談を試みると、次のような彼の言葉が綴られた。
まま のびのびしよう
ぱぱ からだをだいじに
新しい可能性の予感に包まれながら、美しい夕焼けの中をパパと彼は、ママと妹の待つ家に帰っていった。
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2009年11月8日 10時57分
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一度だけ、他の先生との点字の学習の合間に、ほんの5分くらいの短い時間手をとって言葉を聞き取ったことのある全盲の○○さんとゆっくりお会いした。まず最初にその時のことを覚えているか尋ねた。
はい、覚えていました。ころころころがるような音楽を聞いたように、嬉しい気持ちがしました。うれしいです。いい未来が私にももたらされたような気がしました。
そして次のように語ってから物語を聞かせてくれた。
ころころころがるという物語を聞いてください。
残りわずかのもろもろのよい歌声が聞こえてきました。いい声で歌を歌っているのは、たくましい男の人でした。よい歌声はいつまでも続き、歌の呼んでいる方向を認めるとこの間聞いたのとはちがう、いい喜びの未来、ろくんろくんと夢を見ています。
雪の降る夜も、苦しい声で歌を歌い続けていると、金の言葉が聞こえてきました。勇気をもらい、私を苦しみから解放してくれた歌声に私はとても感激して、いい歌を聞かせてもらえた喜びを、この方法に感謝しています。いいやり方ですね。
そして、この物語について次のような説明が加えられた。
今考えました。苦しかったです。いい気持ちだったからです。いい気持ちだったから、物語を考えました。願いがかなったからです。どこかで聞いたわけではありません。自分で考えました。勇気をもらえてうれしいですから、考えました。
昔から言葉で気持ちを言いたいと思っていたけど、なかなかかなわず、もうあきらめていたのでうれしかったです。苦労してきましたが、これでかないました。
もう20代なかばの○○さんには、こうした時が訪れるということはありえないことだったのかもしれない。そして、次のようにたたみかけられる。
昔から私たちは、言葉を理解していましたが、なかなかそのことをわかってもらえませんでした。いいやり方ですね。いい夢を見ているゆおうな気持ちです。うれしいです。うれしくて気持ちがいいです。
ここで、見学をされていたほかのお母さんが見えているということをどう理解しているのかというストレートな質問があった。すると、彼はひるむことなく次のように答えた。
目が見えているということの意味はよくわかりませんが、見えているというのはよくわかります。子どもの時からうらやましかったです、目が見える人のことが。
この時、「子どもの時」という言葉を読み取っている時に、彼の口から歌うような声が発せられた。そこで、今の声はどういう意味があったのかを尋ねてみた。すると、まさにその声が歌だったことがわかった。
子どもの時のいい歌声を歌っていました。いい歌です。
そして、歌詞とメロディを教えてくれた。
いい子 お母さんを忘れないでね
お母さんはいつもそばにいるからね
そして私が、いいうただけど、切ないね、と語ると、次のような返答があり、また、歌を歌う意味が語られ、さらに次の歌に移っていった。
切ないとはどういう意味ですか。わかりました。
腕をかむのをやめるために自分で歌を歌うことにしていますので、いい歌をたくさん作っています。歌を聞いてください。
美しい声の人を私は愛します
美しい声の人を私は愛します
美しい心の人を私は愛します
私の美しい心のように美しい
歌を歌って生きていこう
美しい心で作った歌です。美しい声の人に歌ってほしいといつも思っていますが、先生の声も美しいのでよかったです。いい気持ちです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしいです。勇気が出てきました。うれしいです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしです。また会いましょう。うれしいです。みんなの気持ちを聞いてあげてください。またやってください。苦しいけどうれしかったです。歌を聞いてくれてありがとうございます。苦しかったです。苦しかったです。昔の気持ちを苦しみから解放させることができました。うれしいです。
そして、最後に、目の前で明かされていく彼の深い内面の世界を、驚きといとおしさの目でながめていらっしゃるお母さんに、メッセージをお願いした。
お母さんいつもありがとうございます。ろうそくの火のような未来の希望が見えてきました。よい美しい未来が開けてきました。これからもよろしくお願いします。
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2009年11月6日 06時39分
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自主グループ(視覚障害) |
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