この春、小学校を卒業して中学生になる二人の女の子が出会った。一人は、特別支援学校に通い、一人は、すでに亡くなった障害のある伯母を持つ女の子。たまたま、亡くなった伯母さんは、同じ学校の大先輩だった。特別支援学校に通う☆☆☆さんは、同じとしの女の子に会って、とてもうれしそうだった。そこで、今日は、二人に心ゆくまで会話してもらおうと、ひたすら通訳に徹した。そして、こんなすてきなやりとりが生まれた。
うれしいです。おなじ小学生と話ができて。聞いてみたい。損得の問題ではないけど養護学校ではなかなか勉強をしてもらえずさびしいです。
(柴田:「文体、ですますでなくていいですよ。」)
聞いてほしいことがあるの。小さい時から私はよくわかっていないと思われてきて何も話しかけてもらえず損ばかりしてきたの。願いは本を自分で書くことよ。でも私はどうしたらいいかわからず、よく夢で自分で本を書いているわ。文章を書けるようになりたいの。願いをなんとかしてかなえたいの。絶対あきらめないわ。応援してね。
(え○こ:応援するよ。)
ありがとう。がんばるからそこのところよろしくね。勉強は好きですか。
(え○こ:好きです。)
こんど願いがかなったらなにか私のことを遠いけど手紙で伝えたいわ。住所を教えてもらえますか。そばなら何回でも会えるけど離れているのでそんなに会えないから手紙にするわ。小さい頃から手紙を誰かに書きたかったからうれしいです。帽子は好きですか。どんな帽子がすき?
(え○こ:野球帽が好き。)
私は花のついた帽子が好き。ぶかぶかでかっこわるいけどよく似合うと言われます。私は夢をよく見ますがえ○こさんの夢は何?
(え○こ:医者になることです。)
すごいね。いいお医者になって私たちみたいな子にもそこそこに理解できることを伝えてほしいわ。感動できるお医者さんになってね。願いは隣人愛にあふれるお医者さんがたくさん増えることです。人生について悩むことはありますか。
(え○こ:ありません。)
いいね。私はいつも悩んでいるの。小さいときからわかってもらえず無視ばかりされてきて損ばかりしてきたから。ほんとうに悲しかったけどこうして同じ歳の子と話せるなんて夢のようだわ。小さいときからの夢だったから今までいちども話かけたことがなかったのでうれしい。空に舞い上がるような気持ちよ。つらいことが多いけどこうして話していると忘れられるわ。小さいときからうらやましかった、みんなのことが。やっと話せて夢がかなったわ。小さいときからずっと話せなかったので勉強も教えてもらえずいつもよいほんとうの勉強ができるように祈っているの。なかなかむずかしいことを教えてもらえないわ。
何か聞きたいことはないですか。
(え○こ:学校ではどんなことが楽しかった?)
何もなかったわるいつもつまらないけど楽しいふりばかりしているの。
(ここで、かなえさんの作った歌をパソコンで流す。)
不思議な気持ちです。なぜわかってもらえたのか。無理かと思ってたわ。まさか私の作った歌を聞きとってもらえるとは思わなかったから。
え○こさんは歌は好きですか。どんな歌が好きですか。
(え○こ:平原綾香と絢香、いきものがかりが好きです。)
私はいきものがかりの歌が好きです。「私らしく」という歌が好き。
(え○こ:うちのCDには入っていなかったな。)
(柴田:そういう歌があるの。)
はい あります。ほんとうにいい歌です。
冒険の歌たがいいわ。悩みがふきとんでいくから。夢みたい。望みだったから。未来の生活がこんなふうになればいいな。夢だけどいつかかなえられたらうれしいわ。希望がわいてくるわ。おともだちになってね。夢みたい。のどから手が出るほどともだちがほしかったから。私のこと気にかけてくれてありがとう。きっといいお医者になれそうね。
自分の将来の夢は「れおろろらん」というお店を出すことなの。いい名前でしょ。私しか知らない言葉よ。月の国のよい夢を売るお店です。別にもうからなくてもいいの、みんなに喜んでもらえれば。
自分のことばかり言ってごめんね。え○こさんの残りのろうそくのような夢はありますか。
(柴田:残りのろうそくのような夢ってどういう夢のことかな。ちょっとむずかしいけど。)
そうかしら。かないそうでかなわない夢のことよ。
(え○こ;飛行機に乗ってヨーロッパに行ってみたいな。)
そうなの? もうすぐきっとかなうよ、その夢は。ほかにないかな。
(え○こ:リレーの選手になりたかった。)
なるほどね。よくわかるわ。私はリレーというものをよく知らないけど、かないそうでかなわない夢ね。
人間として認められることが私のかないそうでかなわない夢です。なかなか認めてもらえず悲しいわ。理解してくれてありがとう。かなえのことを忘れないでね。未来の私はもっと輝いていたいな。あとどれくらいしたら夢がかなうかな。夜になるとそんなことばかり考えて眠れなくなるわ。絶対にそんな時代がくると信じているけどなかなかうまくいかないの。小さいころからそんなことばかり考えてきて私は少しよくない子かもしれない。もっと素直に生きたかったわ。小さいころからの夢がかなってとてもうれしいけど、なんか私ばかり話してしまってごめんなさい。
え○こさんのおとうさんはやさしいの。
(え○こ:やさしくて、おもしろい。)
いいね、私にはとうさんがいないからさびしいわ。
雪のはなしを聞いても(らっても)いいかしら。
ほんとうのさびしさを知っている人には雪はやさしいの。外で雪を見ているともっとさびしい人がいることを知らされます。北のほうのさびしい世界に住んでいる人たちの悲しみが雪にはこもっていて、みんなには気づかれないけどさびしい気持ちで生ている人にはそれがわかるの。北の国の悲しみを運ぶ北風ぜもおんなじよ。だから私は北風が好き。瑠璃色の空に吹く北風はとくに好きよ。悩みが美しい空にに吸いこまれていくの。だから私は北風が好きなの。わかってもらえたかしら。
(え○こ:わかった。)
私の気持ちをわかってもらえてうれしいです。
(柴田、瑠璃=ラピスラズリの石の携帯ストラップを見せる。)
理想の色です。そうです瑠璃色。
(柴田、横にいるえ○こさんのいとこの赤ちゃんに語りかける。)
私はあかちゃんのときのことを覚えているわ。最初に覚えた言葉は、ゆんゆんだった。「れおららろろん」も小さいときに考えたの。すてきという意味よ。たぶん私たちは話すことができないから忘れないんだと思うわ。でも覚えていてもしかたないけど。
(柴田:え○こさんは、雪がふるとうれしい?)
(え○こ:はい、うれしいです。)
私もうれしいと思うけどなかなか外に出られないから残念だわ。
理想の家族ですね、うらやましいわ。私もいいおかあさんとかわいい弟がいていい家族だわ。全国には悲しいできごとがたくさんあって家族がばらばらな人たちがいるのが悲しいね。小さいころから途方にくれる子どもはかわいそうね。
指をくわえていつもうらやましがっているのは悲しいから私も私らしく生きていきたいな。未来に夢をつなぎたいわ。
え○こさんまた会えたらうれしいわ。ばかばかしい話につきあってくれてありがとう。
(え○こ:ありがとう)
ありがとう。え○こさんも夢に向かってがんばってね。
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2010年3月29日 01時21分
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個別的な関わり合いの場から、お互いの気持ちを語り合う場へどうやって発展していったらいいのか、その答えの一つが、ようやく出た。研究室が横浜たまプラーザキャンパスに移ってもうすぐ1年になる。ゆったりとした空間でできることはないかと、思い巡らしてきたが、答えはひょうんなことから訪れた。ともかく、来れる人で集まってみよう、それがきっかけだった。1月に町田のかりんくらぶのメンバーの三人と、横浜在住の青年とが私の研究室を訪れた。たまたまみんな去年の3月に学校を卒業した社会人1年目のメンバー。通訳を会しながら、話しは面白いようにはずんだ。そして、次の日程を3月に決めた。
横浜の青年と、かりんくらぶの女性1名は、体調不良で残念ながらこれなかったが、今回は、新宿の学習会サロンのメンバーが二人があらたに参加してくださった。
そして、そこへ、何と、東大駒場の哲学の先生まで来てくださって、話は哲学からコミュニケーションの方法まで、縦横無尽に広がった。
そして、そんな会話のさなか、かりんくらぶのメンバーの女性が、突如、この会の名前を「きんこん」にしようとパソコンで綴った。意味は響き合いとのこと。ひそかに、いつか会を作るとしたらどんな名前がいいだろうと想像をめぐらせていた私の貧困な想像力をはるかに越えて、すばらしい名前が提案された。
4月から、学生も交えながら、どんな展開ができるか、まったく未知数だが、来れる人が月に1度でも集まって言いたいことを言い合い
ながら、みんなの存在をどうやって社会に認めさせていくかを考えていきたいと思う。
開催日は、このブログで公表していこと思う。もし、興味のある日尾は、ぜひ、ご自由に参加していただけたらと思う。
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2010年3月19日 00時49分
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「勝手に体が動く」という言葉を聞き取ることができてから、私は障害のある方に対する理解の仕方を大きく変更せざるをえなくなった。
コードや紐が好きで、すぐに手を伸ばしてしまうというようなこと、自分で体をたたき続ける自傷行為と呼ばれるもの、となりの人の食事に手を伸ばしてしまうというようなこと、こうしたことは、どれも本人の意志があるのだから、それをできる限り尊重するということを大切にしてきた。それが、勝手に体が動くと本人自身は感じているというのは、想定を越えていたものだった。もちろん、勝手に体が動くとしても、そういう動きがなぜ生まれるのかという意味を考える必要はあるのだが、勝手に体が動いているという理解をそこに介在させることで、それらの見方は大きく変わった。本当の意志は目の前の行動とはまた別のところにある場合があり、そうした行動は本人自身を困らせるものでもありうるということなのだ。
私たちが何かルールを逸脱した行為をした時に、勝手に体が動いたというとあまりにも都合のいい言い訳になってしまう。しかし、本当にそういうことがありうるのだ。
最近、知的障害と言われる人が、小さな事件を起こした。障害があるということに対して理解が得られたので、特に大騒ぎにもならなかったのだが、残念ながらその理解は、その人に判断能力が欠如しているという理解だったことになる。しかし、彼は、見かけに反して、パソコンでは気持ちをたくさん綴ることができるし、当然、ものごとの善し悪しの判断はついている。それでも、自分をコントロールできなかったのだ。これだけでは、単純に勝手に体が動いたとは言い切れないし、もっと私たち自身が誘惑に負けてルールを逸脱した行動をする場合と同様に考えることもできるかもしれない。そこは、これからていねいに考えていかなければいけないことだが、私は、彼にできるだけ真正面から向かい合おうと考え、そのできごとについて2回にわたって、いつも行く居酒屋で、彼自身の説明を求めた。その文章の中に、非常に深く考えさせられる言葉があったのである。
自尊心があるので○○○わけにはいきませんが、人間としていい人生を生きたいのでできれば自分でくぐりぬけたいです。小さいときから言いたいことが言えたらいいと思ってきましたがつらいことばかりです。願いはみんなと気持ちをかわしあえることですがなかなかうまくいきません。自分でもコントロールできませんがなぜできないのかわかりません。いい自分になりたいけどなかなかむずかしいです。自分の気持ちが言えたらいいけれど人間として認められないと自尊心がずたずたになりそうです。コントロールできなくて悲しいけど人間として自尊心を大切に生きていきたいのでもう○○○することはやめたいです。はい人間として生きていきたいのでわかりました。人生を自分らしく生きていきたいと0思うのでよろしくお願いします。
自分のしたことにはすまないことをしたと思っています。人間あつかいしてほしいといつも思っているので悲しいです。人にはなかなかわかってもらえなくてむしゃくしゃしたから行きました。○○○がわかってくれなかったからです。考えたことを否定された。ぼくがせっかく考えたことを否定された。人生ということを探したいといったのに取り上げてもらえなかった。(…)はい、自分の気持ちが混沌としているからです。地域で生きていきたいので勇気がほしいです。かあさんやとうさんがだんだんとしをとってきたからです。むずかしいですひとりでくらすのは。自尊心さえあればぼくも体をコントロールできるとおもいます
体のコントロールと自尊心とが深く結びついているということは、考えてみれば当たり前のことだ。自分自身を大切に思う心があれば、人間は悪いことをしたりはしない。彼は、おそらく、30年間の人生で、いい家族に囲まれ、大切にされながら育ってきた。しかし、決定的に社会は、彼を、これだけのことを考える人間だとは見なしてこなかった。私だって、こうして彼がパソコンで文章を綴る姿を目の当たりにするまでは、そのように見てこなかった。もちろん彼を大切に考えてきたことはまちがいない。しかし、見かけの姿から彼をとらえ、本当の思いを十分に知ることはできなかったのだ。そんな中で彼の自尊心はずたずたにならざるをえなかったのではないだろうか。「自尊心さえあれば体をコントロールできる」という言葉は、彼らがまだ、偏見と差別の中を生きざるをえない現在の状況を悲しく訴えている言葉なのだ。
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2010年3月8日 13時19分
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