ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年04月22日(日)
夏までの日本
 東日本大震災について語られた言葉をまとめた文章を読んできた☆☆さんは、次のように語った。

 地震の文集にとても感動しました。挽歌の詩がとてもよかったです。私の詩も入れていただいてとてもうれしかったです。夏の終わり頃から日本がまた本に戻ったというのにも共感しました。私も夏までの日本は何かいつもとは違って人々が優しいと思ったのでみんなも同じ考えだったことに驚きました。雪の野原の象の詩もとても悲しくて美しい話でした。なぜあんな詩ができるのだろうととても不思議ですがみんなそれぞれわざわざなってしまった障害と真摯に向かい合っているからですね。わざわざというのは変な表現かもしれませんが私たちはまるで津波の被災者のようなものだという言い方に似た表現です。私たちがあんなにも深く津波について考えているということはまだ世の中の人は全然知らないでしょうね。なぜ挽歌がよかったかというとわずかな文明の危機よりもどうにもならない悲しみの方が大事だと思うからです。存分に泣くことができないと人は悲しみからなかなか解放されないと思うので泣けるだけ泣けるような段階にならないと難しいと思いますがまだその段階ではないと思います。挽歌を私もいつか作りたいと思います。
夏までの日本という詩を作りましたから聞いてください。


 そして、次の詩が綴られた。


  夏までの日本

犠牲になった人の悲しみがまだ癒えていないというのに
町にはまた明かりがともり
人々は喜びにまた元気に笑えるようになった
しかし夏までの日本は悲しみの中に優しい眼差しをないまぜにした
理想の演奏を奏でるオーケストラのようだった
みんなその調べに耳を傾けながら
本当の涙を流しながら
人間の生きる意味を問い続けていた
私たちは障害のために
いつもかすかにそんな調べを奏で続けていたが
初めて世の中の人たちが
そういう調べに律儀に耳を傾ける姿を
目の当たりにした
まだ悲しみは癒えないままなのに
なぜ人はその調べから遠ざかろうとするのだろう
楽な生き方よりもその調べから
目をそらさないことの中にこそ
本当の光が隠されているのに
世の中はまた私たちを置き去りにして
もとの世界に戻ってしまった
呼びかけよう
もう一度夏までのあの調べに耳を傾け
本当の光を探すように
2012年4月22日 23時54分 | 記事へ |
| 自主G埼玉1 / 東日本大震災 |
私たちの夜明け
 4月から社会人になった○○さんが、こんな力強く、また、悲しみのこもる詩を書いた。


     私たちの夜明け

小さい未来にわずかな希望
私たちはそれだけを頼りに生きてきた
わたしたちはランプの光が今にも消えてしまいそうな暗闇を生きている
みんなで手を取り合ってこの暗闇を越えていこう
僕よりももっと声の出せない仲間も
僕よりももっと体の動かない仲間も
みんな僕と同じように言葉を持ち考えている
望みはようやく暗闇の向こうに夜明けが見えていることだ
わずかに白む夜明けの兆しだけが僕には希望だ
私たちの仲間の中には手が離れてしまって見えなくなってしまった仲間も少なくない
もうすぐ明けるこの暗闇の先に見える
じんじんとするような夜明けの世界にたどり着くまで
けっして手を離さずにみんなでともに歩んでいこう
私たちの仲間は誰一人なくさずに夜明けに向かっていくことが
今こそ僕に課せられた使命だ
なぜなら僕には動く身体も動く手もあるからだ
僕が先にたどり着かなければ仲間はなかなかたどり着けないだろう
だから僕は先頭に立って仲間の手を決して離さずに夜明けに向かって歩んで行く
だから見えなくなった仲間もどうか遠い世界から僕を見守っていてほしい
僕の勇気を育ててほしい
勇気さえあれば何とか前に行けそうだから


 「手が離れて見えなくなってしまった」という表現があまりにも悲しい。だが、夜明けが近いことをまた○○さんは感じ取ってくれている。朝は、待っていればやってくるが、ここで歌われた夜明けは、挑みかかるようにして闇をはぎとっていかなければ決して明けない夜明けだ。夜は、絶対に明けさせなければならない。
2012年4月22日 00時47分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
5月のきんこんの会のお知らせ
 5月のきんこんの会についてお知らせいたします。(ご連絡が遅れて申し訳ありません。)
 5月のきんこんの会は、5月3日の祝日に開かせていただきます。時間は2時から。場所は、國學院大學横浜たまプラーザキャンパス、410教室です。
 連休中で都合のつかない方もいらっしゃると思いますが、よろしくお願いいたします。
 きんこんの会は、援助によるコミュニケーションの可能な当事者の会です。参加は、まったく自由です。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。
 
2012年4月22日 00時42分 | 記事へ |
| 大学 |
2012年04月11日(水)
最低の人権は言葉を否定されないこと 最大の人権は表現の自由
 石川県の特別支援学校の山元加津子先生の元同僚である宮田俊也先生の、脳幹出血からの回復の記録を映画にとり続けておられる岩崎靖子さんにご訪問していただきました。田園都市線沿線にお住まいの仁科さんもご一緒でした。インターネットに岩崎さんが撮られている宮ぷーの回復の記録は以前授業でも取り上げ、学生たちに大きな感動を呼んだことがありましたので、岩崎さんの名前やお仕事は存じ上げていたのですが、お会いするのは初めてです。
山元先生からお電話をいただいて急遽決まった話だったので、すぐに動いていただけそうな大野剛資さんに手伝ってもらうことにしました。大野さんは詩集『きじの奏で』の著者です。
 簡単なあいさつなどは、私が体に触りながら「あかさたな」と聞いていくやり方で行いましたが、中心の部分は、パソコンで表現していただきました。
 最初に、かつて、本人の実際の動きを私が援助していた時代の方法を実演してもらいました。まだ文字数も少なかった時代です。別に打ち合わせをしていたわけではありませんが、彼は俳句という、短い字数の形式を選んでくれました。
 
やさしき手差し出した人がためわれ祈る
ぐんぐんいい季節が近づきましたね。うきうきした希望に満ちた祈りをがんばって俳句にしました。


 そして、こちらが積極的にスイッチを動かしていく援助の方法に移って、まず、私が方法を説明しながらスイッチの援助をしていることと同時進行で、自由に語ってもらいました。
 
 がんばって僕もいっぱい詩を作ってきましたがぼくがまさか詩集まで出版できるとは思いませんでした。なぜ詩を書いているかというとぼくたちは分相応の生き方を超えていくために夢を持つ必要があるからです。詩の中に私たちは夢を探し詩の中で過去の痛みを癒やすのです。いつまでも詩は外に出ることはないと思っていましたが突然柴田先生がなつかしいですが僕にパソコンを出してくれて言葉を聞き取ってくれました。僕はぞくぞくするくらい感激しました。わずかな希望が何倍にもふくれあがって私たちは希望に満ちた人生を生きることができるようになりました。(…)僕は単語が話せたのだけど全く気持ちを表現できなかったので僕は何度も諦めかけてきました。わざわざ僕たちと関わろうとする人もいないしわざわざ笑いながら近づいてくれる人も少なかったからもう僕の人生は何も理解されることもなく終わるのだと思っていました。まさかこんな方法が見つかるとは思いませんでした。わざわざという言葉が繰り返されているのはまさに僕たちとつきあっても何の得にもならないからです。(…)
ここから、岩崎さんとのやりとりになりました。

「理解されるようになってよかったことは何ですか?」

 なつかしいなつかしい話になりますが理解されてから何より母さんががんばった成果を確かめられたことが大きいです。僕を普通の小学校に通わせた意味など世の中の人にはただの親の見栄ぐらいにしか見なされてきませんでしたが僕にとって本当に意味があったことが証明されました。人生が広がったことが次に大きなことでした。人生に強く向かい会うことができるようになりました。人生がまったく違うものになりました。涙を流した日も過去の懐かしい思い出になりました。(詩はいつから作っているのですか?)
僕が詩を作るようになったのはもうずいぶん前のことです。僕が人間であることを認めてもらえないかと思っていたときどうにかして自分の思いを伝えたいけれど伝えられないのでわが道を行くしかないと思い詩を作り始めました。楽な私という詩を確か小学校の中学年の時に作りました。私たちの仲間もみんな詩を作っているのですがみんな同じような気持ちからだと思います。わずかな未来をみんな信じて理想を失わないようにと詩を作り続けてきました。

「言葉を表現するということにどんな意味を感じていますか?」

 理解し合えるということがみんなの究極の目標なので理解し合えたらごんごんと喜びが湧いてきます。理解し合えた喜びを頼りに僕らは生きているのでわがままかもしれないけれど僕は人と話が存分にしたいです。なつかしいのは小学生の頃はみんな純粋な気持ちでたくさん僕に話しかけてくれました。それがだんだん中学生になるとみんな話しかけてくれなくなりとても寂しかったです。なぜみんな話さなくなったかというと僕は何もわかっていないと思われるようになったからです。忘れられないのは柴田先生が初めてうちに来てくれた日のことです。たぶん先生も僕が何でもわかっているとは思っていなかったと思うのですが先生は笑いながらたくさん話しかけてきましたしいろいろなスイッチを出してくれたのでとても楽しかったです。小さいことですがいきなり最初にひらがなを出した時は驚きました。最初はうまくいかなかったのですが僕にひらがななど出した人は初めてでした。それからしばらくは小さなことですが簡単なソフトで試行錯誤をしてくれだんだんひらがなに到達しました。そしてなつかしいですが初めて僕が「ありがとうぱそこん」と書いてから突然先生がパソコンで気持ちを聞き取ることに真剣に取り組んでくれていつしか長い文が読めるようになったのです。最初の質問からそれてしまいましたがもっともいいたいことは柴田先生も奈苗先生も理解し合えることをとても大事にしてくれたということです。そういうことがこういう成果を生んだのだと思います。

「社会に訴えたいことはありますか。」

 わかってもらいたいことはみんな言葉を持っているということです。先生も名前に使っていますが人間として最低の人権は言葉を否定されないということです。最大の人権は表現の自由です。人間として生まれて生きてきて僕たちはようなしの存在と言われてきましたが確かに何も作ることもできないし問題もたくさん起こしてしまうけれど僕たちも人間として生きたいのです。まだまだ僕たちは理解されていませんが僕たちを受け入れられる社会こそが本当に人を大切にできる社会なので何とかして僕たちを認めない社会にはなってほしくありません。ばかにされた日々もあったけれど僕たちをばかにしない社会こそが理想の社会だと思います。理想なのかもしれませんが何とかしてそういう社会を実現したいです。地域で生きるという言葉がありますがそういう言葉にはそういう思いが込められているのです。なつかしいです。奈苗先生が初めて僕の気持ちを読みとってくれた日のことが。あれがすべての始まりでした。そしてここまで来れたのがまるで夢のようです。なつかしくまた今日の日が思い出されるよう前に進んでいきたいです。

 ところで、山元先生は、白雪姫プロジェクトというのをお始めになりました。宮田さんの回復のプロセスの経験から、眠ってしまった白雪姫が王子の口づけに目覚めるように、今意識障害と言われている人が、再び表現手段を取りもどしたり、病気そのものからの回復をすることの可能性をもっと広く世の中に伝えていこうとする希望に満ちたプロジェクトです。私も応援団として参加させていただきました。
 こうしてたくさんの人々のつながりの中で、どんどんと広がりが生まれてくることがとてもありがたく思われます。
2012年4月11日 23時40分 | 記事へ |
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