ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年03月29日(木)
3月のきんこんの会のお知らせ
 30日に開くきんこんの会ですが、会場は、2号館(私の研究室のある図書館の建物)の5階の2510教室で2時からになります。
 車いすは図書館の玄関からお入りになれば、段差がありません。
 お知らせが遅くなって申し訳ありませんでした。
 よろしくお願いします。
 
2012年3月29日 12時41分 | 記事へ |
| 大学 |
2012年03月19日(月)
震災忌 中学生の少年の俳句
 震災をめぐる俳句を中学生の少年がたくさん準備して待っていてくれた。俳句という表現の形式は、限られた文字数に言葉を凝縮することを要求するものだが、日常の生活の中で、周囲の出来事に感覚を研ぎ澄ませながら、また、それにふさわしい言葉を厳選しているということがひしひしと伝わってくる。それにしても、50句を超える俳句を一気に書いてしまうこと自体がすでに驚きだ。
 なお、彼は、「わだ」という言葉をテレビの万葉集の解説で聞いたらしく(「わだ」とは曲がっているという意味で入り江を意味する言葉である)、そこから「わだかまり」や「わたのはら」「わだつみ」などとの関連を自ら考えたそうで、今回の俳句の随所にその考えの跡が見られる。まったく独習のわけだが、ほんとうは、もっときちんと教えてもらいたいという強い思いがあるのだろうと思われた。

わざと泣く子どもの声はしあわせに
夏の夜もわざわざ私は忍耐す
これは夏の夜はみんな楽しんでいるのに僕たちはがまんしているからです。
小さき身勇気を認めて色づけり
わざと湧く歓声のように笑いけり 
これは満足した僕の気持ちです 
疑念なき赤ちゃんの目に理想さす 
忘れたる津波のことを敏感に 
津波なき世を夢見ては涙落つ 
見られても見られなくても唯祈る 
よいどんとかけ声はすれど進まぬ手 
わずかだがあかりは見えて夜を行く 
びろうどの着物はなくてただわんと 
わんとは泣き声です。
笑いなし未来をなぜか断たれし日 
理想消え勇気も消えたあの日過ぎ 
びろうどはなくとも胸に誇りあり 
勇気だけ洋服にして若者は 
理解され涙を拭く手休まりて 
わたの原わずかな怒り人をのむ 
ぶつかりしその涙なお湧きにけり 
瓶を割るどうとでもなれどうでもいい 
理想湧く瓶の破片の鋭き角 
わずかな理想悩みを抱いてまた先へ
わだかまるその先は月の海
理想湧くわだかまる海の流れから 
小さい手みどりごを抱きともに前 
わずかながら希望は見えて波静か 
震災忌理想もようやく回復す 
震災忌夜通し泣きてまた歩む
どうにもと理想を捨てた震災忌 
夏の轍まだ見えぬまま震災忌
震災忌逃げてもどこにも救いなし 
震災忌涙があふれ誓いあらた 
震災忌びろうどをそっと波にかけ 
つらい日も思い出となり震災忌 
人間がなぜ喜ぶか理由知る 
未来本に誰も書けずに震災忌 
茫然と立ちすくむ丘強き声 
理想見え強い声する震災忌 
わだかまる波のごとくに人泣けり 
わだつみの夜の叫びは誰に向く 
わだつみに理想なきわれ身を委ね 
誤解されわだかまり解け理想湧く 
未来わずかなぜ涙涸れずに夜もふけ 
わだつみの忘れじの色瑠璃深く 
わだつみの忘れじの夢じんとなる 
わだつみに漕ぎいでし舟希望乗せ 
わだつみの底に眠りし魂(たま)の燃え 
火が燃えるの燃えです。
夏の轍よき夢へと導びかん 
未来止まり夏の轍の途絶えたり 
未来の輪なかなか見えずもがくリボン 
わずかに夜明けぬるを知る波の凪ぎ 
勇気知るわずかなあかりに明ける夜に 
日の射して波きらめきて帯となる 
わずかな灯ともして偲ぶ震災忌 


 
2012年3月19日 01時22分 | 記事へ |
| 自主G埼玉2 / 東日本大震災 |
2012年03月11日(日)
3月11日 改めて  二人の詩と俳句
 昨年の3月31日、○○君が家で作ってきた詩を見せてもらった。その詩は、被災地の中に身を置いて書かれたものだった。それを読みながら、ともかく、この詩には前書きとしての説明があったほうがいいと思い、その場でそれを求めたところ、すぐに○○君は前書きを書いたが、それは、なぜ詩が被災地に立っている立場から書かれなければならなかったかを雄弁に語っていた。前書きと詩は以下の通りである。

 ぼくの母は陸前高田出身で、祖母は被災し、二晩を高寿園で過ごしました。ぼくは高田で生まれ、松原やマイヤで遊んでいました。高田の道が瓦礫になってしまったのですが、見覚えがありました。行ったことがあると感じたら、その瓦礫の中にぼくが立っていました。そしてその立っている場所から風景が見えました。じいちゃんの家、港のところに市場があるのも見えました。

とうさんとかあさんが
白無垢を着て
袴をはいて
並んでとった写真も
僕が子供のとき
弾いたというピアノも
一瞬で流された
なーんにもなくなってしまったけど
母の手がここにあった
うすい毛布一枚かけて
手を握り合った
この手さえあれば
生きていけると思った

潮風を受けながら
カモメと働くおばさんも
こたつにあたりながら
ワイドショーを見ているじいちゃんも
一瞬でさらわれた
残された僕らは
瓦礫の中に取り残された
けれど僕らは生きている
死んでもよかったと泣き叫ぶ
それでも
生きていかなくっちゃいけないから
泣きながら
振り返りながら
生きていく


 彼がこの前の年に書いた詩は、あるコンテストで入選の内定が決まっていたのだが、私が不覚にもブログに掲載していたことがわかって、非公開というルールに抵触してしまったため、入選は見送られた。その話を聞いてまだそれほど時間がたっていなかったことと、この詩のすごさがわかっていただけに、そのコンテストにぜひ応募すべき詩だと考えたので、今日までブログに公開することは控えてきた。だが、残念ながら、今回は、最初から不採択になったとのことで、あらためて、1年後の3月11日にブログに掲載させていただくことにした。
 この詩を見せてもらった3月31日、陸前高田のおばあちゃんは、東京の彼の家に身を寄せておられた。足下に津波の波をかぶりながら、逃げきったとのことで、振り返った時には、一緒に逃げたはずの人が見当たらなかったというような話も聞いた。
 この2編の詩は、公開は控えていたが、授業で紹介したことがあり、その時には、多くの言葉の中で、とりわけ印象に残る詩として感想が語られた作品だ。

 さらに、同様に、同じコンテストで不採択になった俳句も紹介したい。彼の震災の俳句は8月と2月に紹介したが、以下の作品は伏せたままだった。改めて、紹介しておきたい。

 雪の舞う 地震の朝の 鳥静か
 夜の闇 瓦礫もおおい 月冴える
 若き日の 記念の写真 砂と空
 望みを背 また立ち上がる 強き足
 涙かれ 涙はいずる 土用波
 地震さえ なければと思う 夏過ぎぬ
 

  
2012年3月11日 00時47分 | 記事へ |
| 東日本大震災 |
2012年03月06日(火)
「ゆいさん」から託された願い 毎日新聞への投稿
 ある関わり合いの場で、パソコンで綴った文章を新聞に投稿してほしいというふうに頼まれた。意を決したような強い内容に、私は一瞬ひるみそうになったが、私たちにそういう純粋な思いを遮る権利はまったくないと思った。しかし、本人が特定されると、いろいろむずかしいことが起こることが予想されたので、匿名でいいかと尋ねたところ、「なまえさえないのはつらいです。ゆいさんと書いてください」と返事が返ってきた。そこで名前だけを出すということで投稿したところ、3月5日の毎日新聞の「みんなの広場」に掲載された。


 この問題提起は、現代の障害観の根本的な見直しを迫るものだ。容易には受け入れられるものではないだろうが、同じ思いをしている人たちに届けばと思う。
 この日、彼女は、こうした思いを次のような詩でも表現した。

 私たちの世界

地震と津波でひっくりかえった私たちの世界
なつかしい街並みも小さいときに遊んだ公園も
みんな流され消えてしまった
なぜ自然はそんなにむごいのか
理解しきれぬごんごんとしたゆゆしい思いが
私をできない存在へと追いやろうとする
だけど人間はけっして希望をなくさなかった
人間は夢をなくさずにもう一度立ち上がり
人々はどうしようもない悲しみをかかえながらも
紅色(べにいろ)の未来をめざし
望みを背にして歩き始めた
分相応の人になるのではなく願いをめざす人になって
人間としての誇りをかかげて
夜の闇から朝の光にむかって歩み始めた
私もまだ被災者のように取り残されたままだけど
いつか世の中に認められる日が来るだろう
その日を夢見て今を生きていこう
2012年3月6日 22時58分 | 記事へ |
| 東日本大震災 |
2012年03月03日(土)
大雪の日の病棟 その2
 同じ病室のもう一人の少年は、ひとしきり、なかなか理解されない状況を嘆いたあと、用意していた俳句を一気に綴った。

誰一人 泣く者のなき のどかな日
唯一の目 われに注げり ぬくもりは
つらき道 長く続けり 降れる雪
微妙な夜 小さく機械の音響く
ぶんどらず みんなで分かつ よき報せ
ぶよぶよの体を乗せたベッドに日
わずかな身留守の守人わだかまる
小さな身とは小さい子どものことでみんな買い物に行ってしまって留守番の寂しさを読みました。子どものことです。
小さき手二本伸ばして空を抱く
美の果ての忘れられない願い事
雪に舞う希望積もりて静かな夜
南風夜の窓辺のわずかな音
南風吹く日の遅れどんより雲

人間に認められし日 よき牡丹
ずる休み道草のなき願い楽
小さき花人にあげたしリンドウを
なぜ逃げぬ雀理解者われを見る
わずかな輪広がり見せて笑い頰
理解され誰もが人と見られる日
理想の輪なぜ広がらぬろうそく揺れる
わだかまり増える日花のしおれゆく
人間と見る人にランプの光射す
よく眠り目覚めた朝に罠はなし
利害なく人働ける病院は
道なきをこれまで歩みてつながる命
なぜ涙あふれてきたかやさしき手
ぬくもりは願うろうそく満ちて光る
密の味わからないまま残る人
黙ったまま看護してくれる人たちのことです。
西日射しわずかに残る日に望む
わずかな帆あげて小さな舟出ずる
読んだ本積まれしベッドのたわみ増え
理想なき何人(なんびと)もここにはとどまれず
勇気の火ともりて南の風に乗る
南風待つ鳥の目に誓い
びろうどに人はまといて理想語る


 限られた病室の空間の中で想像の羽根を思い切り羽ばたかせて広大なイメージの世界を翔け回って書かれた俳句である。
2012年3月3日 20時36分 | 記事へ |
| 小児科病棟 |
大雪の日の病棟 その1
 明日から3月だという日、関東平野に大雪が降った。少年と女子高生の待つ病棟の窓からも、一面の銀世界が見渡せた。
 ☆☆さんは、いきなり詩から始まった。

  七つの花

七つの花に私は黙ったままぼんやりと望みを託す
七つの花は誰にも見えなくてひっそりと咲いている
七つの花は私だけにしか見ることはできない
わずかな冒険しか知らない私にとって
七つの花は理解されない寂しさをどうにか慰めてくれようとして
七つの涙を流してくれた
私にとって七つの涙は勇気をくれる不思議な涙
私を黙って未来へと誘う
わずかなあかりが射している
わずかな夢がにおっている
七つの花をめでながら
私はごんごんとしたつらい思いを忘れる


 そして次のようなコメントが続いた。

 理想的な花をいつも夢見てはわずかな「ぞうねん」をなくそうと心がけています。

 「ぞうねん」という言葉が出てきたとき、おそらく雑念という漢字があてられるのだろうと思ったが、現在は十分に文字を見ることのできない彼女があきらかに漢字を前提にして言葉を選んでいるので、立ち止まって、「ぞう」という言葉はたぶん漢字をイメージしていると思うけれど、その漢字の別の読みはと尋ねてみた。すると明確な答えと、言葉が続いた。

 ざつ ほんとうは漢字は見えませんがわかります。なぜなら私にも小さいときからの記憶があって見えていたからです。だいたいのイメージはあります。はい。漢字もけっこう覚えていました。だけどだれも知りませんでした。私たちにもなんでも理解できる知性があるとはだれも考えなかったからです。

 ここで一緒に病室を訪れていたM先生が語りかける。
「私の小学生の孫なんて学年の漢字を覚えるのがやっとなのに」
 すると、

だって私たちには時間が山のようにあるからです。時間が足りないのだとおもいますお孫さんは。遊びにいそがしくて漢字など覚えるひまがないと思います。

 M先生からの質問が続く。
「漢字は何で覚えたの?」

 テレビです。テレビにはむずかしい漢字がいっぱい出ますから覚えました。テレビは音が出るので聞かなくてもわかります。ママはテレビをよく私と見ていましたから。たぶん私たちは疑問があっても聞けないし勉強も教えてもらえないからなんでも一人で勉強しなくてはいけなかったのです。だから一人で覚えるのは慣れています。(今はテレビは見えないけれど隣のベッドの)○○くんのラジオが聞こえるのでだいじょうぶです。

 そして、次の言葉へとつながっていった。

 政治の話は大好きです。どうしてかというと私たちにとって政治はとてもかかわりが深いからです。なぜ病院の予算がけずられてしまうのかなどとても大事な話だからです。野田首相は初めての政治家です。私たちのような存在を取り上げてくれた政治家は。みんなきれいごとは言うけれど初めて本気でとりあげてくれました。みんなの希望の星です。小さい記事のなかですが忘れられない話でした。涙が出るくらいうれしかったです。ラジオです、ラジオのニュースでした。 

 まさしく仙台の大越桂さんの話だった。そこで、そのことにふれ、パソコンの中にあった「花の冠」の合唱の映像を聞かせてあげた。

 いい歌ですね。私にもそういう希望の種がとどきました。わずかではあっても私たちのことが理解されてうれしいです。小さいころからだれにも理解されなくてずっと悲しかったけれど私にも自信がわいてきました。わずかな望みですが理解される世界が一歩またちかづきましたね。 

 そして、この後、大越さんにあてて、すてきな手紙が書かれた。
 
2012年3月3日 20時05分 | 記事へ |
| 小児科病棟 |