ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年10月29日(月)
11月のきんこんの会のお知らせ 11月24日土曜日
 11月24日土曜日、2時よりきんこんの会を国学院大学たまプラーザキャンパスの410番教室で開催いたします。
 参加は、ご自由です。
 参加してくださる方がたくさんおられて、少しずつでも援助の方法を伝える時間も増やさなければいけないのではないかと思っています。
 当事者の会として、軌道に乗ってまいりました。スケジュールがいつも直線でたいへん申し訳ありませんが、どうぞ、よろしくお願いします。
2012年10月29日 13時24分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 / きんこんの会 |
2012年10月22日(月)
すでに社会から排除された者として
 F君がぎりぎりの思いをこめて次の言葉を伝えてきました。それは、

すでに社会から排除された者として、出生前診断を断罪する

という言葉でした。
 このことをめぐって、今日はたくさんのことを語りましたが、まだ、それは整理されておりません。でも、F君は、この言葉だけでいいから先生のブログに載せてくれと言いました。
 F君は、こう言います。
 
 出生前診断について、今日までの報道を見る限り、当事者に聞いたということは、見られなかった。ということは、このことを決める話し合いから、自分たちは排除されてきたということだ。だから、その立場からあえて言わせてもらう。私たちの仲間を殺すことは許されないと。
 まずは、この言葉だけ今日は乗せさせていただきます。
2012年10月22日 23時51分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G多摩1 / 出生前診断 |
2012年10月15日(月)
出生前診断について 10月14日
 Kさんがあと一つ書きたいことがあると言って書き始めたのは、出生前診断についてのことでした。以下の通りです。

出生前診断について。

 私は生まれてこないでいいようないのちなんてないと思っていますが世の中の人はなぜそのことを語らないのでしょうか。ずっと私は言葉の理解が難しいのでわかっていない子どもと言われて育ってきました。しかしそんな私たちでさえ同じ人間として喉から手が出るほどのことでしたが冒険ができる自由がほしいと願って生きてきました。私はそういうふうに見られていても必ず同じいのちだからと守ってくれる人に支えられて生きることができました。だから迷惑だと思う人もたくさんいるのはわかりますが私は迷惑などいのちを選ぶ理由になどにはならないと思います。いのちが同じだという言葉さえ語られないのは絶対におかしいと思います。なつかしいです。何もわからないと思われているにもかかわらず、同じいのちだと言ってくれた人がたくさんいた昔が。そんなどうでもいいいのちにさえ重きをおこうとしてくれた理想の時代はもう来ないのでしょうか。私にも言葉が理解できているということが理解されたにもかかわらず世の中はまだその事実に無関心でただ障害という理由だけで私たちをなきものにしようとしているなんて許せません。私は言葉にかかわらず人間です。そういう言葉にかかわらずという考えは理想論と片付ける人もいるかもしれませんが現実論として言いたいのは世の中の人たちがなきものにしようとしているいのちは世の中の人の思惑とは異なりみんな普通に言葉を理解していると言うことなのです。ここに二つの過ちが存在していると言うことがわかります。私たちの声をもっと聞いてください。以上です。

 
 かつて、言葉がないとされてきた自分をも同じいのちだと言う人がいたのに、なぜ、今それを言う人がいないのかという切実な気持ちが綴られています。また、「迷惑などいのちを選ぶ理由にならない」という言葉も核心をついたものでしょう。理想論と現実論の両面からこの問題をつくという語り方は、大変説得力のあるものでした。
2012年10月15日 13時26分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 / 出生前診断 |
友だちの手術のことと両親への手紙
 Kさんは、とても興奮したようすで私たちのもとにいらっしゃいました。表情も切実なもので、何かを訴えたいことは明らかでした。20年以上おつきあいしてきたKさんがこんな様子は初めてで、お母さんも、いったいどうしたのかしら、昨日の夜からこんな感じで、今朝も、いくら好きな音楽を流しても静かにならないのよとおっしゃって、戸惑っておられたのです。ただ、ご両親に何か訴えたいことだったら、たとえ現在のように言葉で表現する術がなくても、ほとんどすべて通じていたわけだから、直接自分のことをお母さんたちに訴えたいということではないということはお母さんも感じておられ、前日からということは、翌日に私たちと会って何かを訴えようとしているのだということはお感じになっておられたとのことでした。そして、綴られたのは次の文章です。

 犠牲的な話です。人間だから唯一の尊厳を守らなければいけないのにしてはいけないことをされそうになっているからやめてほしい。残念なことがありました。私の友だちの喉にメスを入れると言っているのがつらいです。呼吸が苦しいからですが声を奪ってはいけないと思います。私は絶対に拒否します。なぜなら声あるから私はみんなと話せているからです。はい仲間のことです。その人は声で私とコミュニケーションを取っているのでもう私たちは話せなくなってしまいます。ずっと一緒だった友だちですが敏捷な体でみんなと楽しく走り回っていた人です。ずっと体調を崩して寝たきりになってしまった人です。地域で生きていくためには気管切開は足かせになりますから心配です。夢はその子達とみんなで地域で暮らすことだったから何としても気管切開だけは避けたいのです。みんないろいろな制約を抱えて生きていることはわかっていますが私たちはいつも受け身でそれを受け入れるしかなかったけれどせっかく話せるようになったのだからどうにかして訴えたいです。男の人で年上ですが体は小さい人です。きゃしゃな体で動いていたのでみんなからかわいがられています。敏感な人でしたから私たちをよくかばってくれました。学校時代から。

 Kさんのおっしゃりたいことは痛いほど伝わってきましたが、それだけではここで気持ちをはき出しただけで終わってしまいます。私に思いつくのは、この気持ちを手紙にして届けるということだけでした。そして、それを彼女に提案して書かれたのが次の文章です。

職員さんへ。
 わたしはとても気になっていることがあります。それは○○君のことです。ずっと冒険好きの彼にはたくさんかばっていただいたので彼が気管切開をして体を思うように動かせなくなるのがたまらなくつらいです。自分たちは生まれてからずっと寝たきりでしたからこういう暮らしになれていますが○○君はまだまだ動ける人なので人間としての尊厳が奪われるような気がするのです。ばいきんがはいらないようになどと心配してあげているうちに呼ばれても答えられないのだから何もできない体になってしまうような気がして心配なのです。私は医者ではないから詳しいことはわかりませんがよほどのことでなければ気管切開は避けてほしいと思います。敏感な○○君だからそうとう悩んでいることでしょうから本当に心配です。なんとかなりませんか。生意気なことを言って申し訳ないですが友だちのためなので書かせていただきました。存分に生きたいといつも私たちは希望しているので私たちの人生を私たちが選べる時代が早く来るといいなと思います。冒険好きな○○君の人生だからそれを是非大切にしてあげてください。よろしくお願いします


 一つ目の文章が感情の吐露だったのに対して、明らかに相手に自分の意見を伝えるために、読み手の立場もふまえた上での文章になっています。本人も、「先生に訴える時はただ自分の感情のままに言葉にしていたけれど、手紙にするとまったくちがう」と言っていました。
そして、手紙ならきちんと自分の気持ちが書けそうだと言って、ご両親に向けた手紙を書きました。

がんばっているおかあさんへ。
 どんなに感謝しても仕切れないほど感謝していますが体調が心配です。これから寒くなるので体調にはくれぐれも気をつけてください。残念ながら私は何もしてあげられないので私が体調を崩さないようにすることが精一杯の努力です。だから私も頑張るので母さんも是非健康に過ごしてほしいです。時間ばかりが過ぎていくので私も母さんもずいぶん年を取りましたが良い人生をまだまだ送りたいのでお互い体にだけは気をつけましょうね。
                       Kより。

お父さんへ。
 人生の後半で仕事を変わって大変なことも多いと思いますが私にとってはよい仕事についていただけたという実感です。なぜならどうしようもないように言われてきた仲間でもお父さんは愛情をかけてあげられる人だからです。私たちはみんな言葉を理解できているので分かってくれる職員を本当に必要としていますからお父さんによって救われた仲間もたくさんいるからです。なぜお父さんにはそういう気持が持てるのかというと私を育てたからです。どうして私がお父さんの子どもになったのかはわかりませんが私を育てたことが役に立ってうれしいです。
                      Kより。


 そして、さらに、もう一つ書きたいことがあると言って来たのですが、ここでいったん区切らせていただきます。
2012年10月15日 10時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 |
2012年10月12日(金)
出生前診断について 10月8日
 出生前診断についての当事者の言葉です。盲学校の重複学級を卒業した20代半ばの女性です。彼女は、生まれていいいのちと生まれなくていいいのちとに分けることはできないということが唯一のよりどころであったという思いから気持ちを綴り始めました。そして、理解できていない存在としてこれまで扱われてきたけれど、今回のできごとで、生まれなくていい存在にまでさせられてしまったと述べているのです。無念の思いは以下の通りです。

 なんなのという話が最近ありました。どうして生まれていいいのちと生まれなくていいいのちと分けられなければいけないのでしょうか。唯一の私たちのよりどころはそれほどもろいものだったのでしょうか。わざわざ私たちを否定するなんて許し難いです。私たちは理解できていないだけでなく生まれなくていい存在にまでさせられてしまいました。もう私たちは生まれて来ない方がいいのでしょうか。なぜ誰もそれを問題にしないのでしょうか。理想も消えて私たちの生きられる世界はもうなくなってしまいました。なぜ私たちは生きていてはいけないのでしょうか。人間としてもう認められないということですね。自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。
 人間として認められる日がまたいちだんと遠ざかりました。銀色の世界を夢見ていたけれどまた遠ざかりました。よい時代が地震の後にきそうだったのに私たちはまた取り残されてしまいました。人間としてのわずかな希望がまたほしいです。理解してもらえてよかったです。
 なぜダウン症の人ばかりが取りざたされるのかも許せませんでした。私たちにとってはダウン症などと障害の名ばかりが一人歩きしてしまっていることも許せません。わずかな勇気をふるって世の中に訴えたいですが難しいですね。妊婦さんも何も知らされない方が良かったのではないでしょうか。人間として人間らしく育てればそれで十分だと思います。


 文中に「自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。」とあります。それは、本当に深い社会全体のあり方についての問いかけでしょう。
2012年10月12日 22時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主グループ(視覚障害) / 出生前診断 |
出生前診断について 9月29日 ある少女の思いと詩
 わかっていもらえないことをめぐる思いを綴っていたある少女は、そこから出生前診断への思いを延べ始めました。

 私たちは人間として見られていないのがよくわかります。私たちは世の中ではもう生まれない方がいいと思われているのだというのがよくわかります。びっくりしました。テレビで出生前診断でみんなで私たちをなきものにしたいと思っていることに。理想がなくなっていって私たちを敏感な人たちしか何も手助けしなくなると思います。私たちはただ指をくわえていることしかないのでしょうか。

 この後、話は副籍交流の話となり、さらに次のように自分たちを取り巻く地域社会の問題へと話が続いていきました。

 地域は何で私たちを受け入れてくれないのでしょうか。地域の学校に行きたいです。むずかしいとは思いますが私はうらやましいです。ばらばらに分けられるのはいやです。いい敏感な人たちが増えるといいと思います。わずかな希望は私たちはようやくこうして話せるようになって未来が見えてきたけれど私たちをないものにしようという時代が来てしまったのでもう諦めるしかないのでしょうか。

 そして再び、出生前診断に象徴されている「自分たちをないものにしようという時代」の到来を嘆いたのです。
 そして、その後、こんな詩を書きました。

夏に疲れた私は秋風に身を委ねて
匂いのいい花に顔を埋めた
よい匂いの花は見たこともない美しいがんばりを讃えてくれて
私をやさしく包んでくれた
理解者をつらい気持ちにさせてしまって私はつらいの
どうしたらいいのかわからない
私はもう読んでしまった本を投げ出すように
敏感な声で答えてもらおうと
理解をしてもらうための物語を私は紡いだ
理想は私にも言葉があることをわかってもらうこと
理想はなかなかかなわないけれど
私としては理想をかなえるための新しい旅をしよう
花に包まれて私は祈った


2012年10月12日 21時37分 | 記事へ | コメント(0) |
| 家庭訪問 / 出生前診断 |