△△さんは、小2で出会って、この3月に学校を卒業し、地域の通所施設に通い始めた。出会ったときから、このグループではただ一人、コミュニケーションがスムーズにいくお子さんだった。輪郭線の絵など、いわゆる空間的な認知と呼ばれる領域が苦手で、一方でややぼけた犬の写真を見た瞬間に「犬に決まってる」と答えるように、質感はしっかりととらえていた。線図形の空間的な関係をすばやい眼球運動によって処理すべきところが、脳性麻痺のハンディが目にも及んでいるために、なかなかうまくいかないという仮説を私は持っているが、こういう視覚的な特徴を持っているとひらがなはとても難しいものとなる。それでも、様々な学習を通して、徐々に文字や数の学習は進んでいった。中学部に入って、書道の時間に先生が手を添えてひらがなを書く学習を始めて、新しい発見があった。それは、視覚的な弁別には困難があるにもかかわらず、ひらがなを書く手の動きはどんどん正確になっていくということだった。
そして、高等部の2年の秋、文字を綴る手段として、もっと運動障害の重い仲間たちが使っているパソコンの2スイッチワープロに挑戦してみることにした。しゃべることができ、手を添えれば文字も書くことができるという状況で、あえてそのソフトに挑戦してみることの意味をどう考えたらいいのか、はっきりとした説明はつかなかったが、しだいに驚くような文章があふれだしてきたのだ。彼女の文字の選択の方法は、もっぱら耳によっている。昔から耳がいいとは言われていたが、みごとに聴覚だけで文字を次々と選び出していった。しかも、驚くべきことに、文章とは必ずしも一致しないことをしゃべりながら、文字を選んでいくのであった。
最初に決意がこめられた文章は、2年の3月。「△△3ねんせいになる」、そして「×××のいえ(作業所の名前)いくじっしゅうー」「×××のいえにいきました。こあのはこづめがたいへんでした。そつぎょうしたらさびしくてかなしい。なつどうやってすごすかな。おおちざわにきゃんぷにいく。」と職場実習の話から少しずつ文章が長くなり始めた。そして、11月は一気に長文へ。
そつぎょうをしたらたくさんきぶんいいことをしえんしてもらう。
(中略)ふつうのがっこうにいきたかったけどしかたがない
すこしぐらいきぼうをきいてほしいとおもいます
りっぱなおとなになりたい
けっこんをしてみたいとおもいます
私たちの知らないところで彼女はもう立派な大人になっていた。次は1月の文章だ。
そつぎょうしきのれんしゅうがやっとできるようになりました。あっというまでした。おんがくをきいているとなみだがとめどもなくながれてきます。わすれられないたくさんのおもいでがよみがえってきていのりをささげたくなります。
ねがいはたくさんありますがさみしいとおもうのはこの○○○にはさぎょうしょがすくないことです。もっとたくさんかよえるばしょがあったらえらぶことができるのに。
なにをりそうにしていきていけばいいのかわからないけどりそうをみうしなわないでがんばっていきたいとおもいます。まえにむかっていっぱいむねをはっていきたいとおもいます。
以下、その後の文章。
そつぎょうしきがちかずきししゅんきのとしもおしまいになるのがかなしい。ふしぎなかきもちがわたしをおそう。
ひのあたるなみきみちをあるいていこう。もしかしてつかれてしまってたちどまることもあるかもしれないけどともにあるくなかまがいるかぎりまえにむかっていきてゆこう。わたしがしんじていくゆめはむずかしいけれどたたかいつずけきもちがつずくかぎりがんばりたい。
○○○くんそつぎょうしたらようごでがんばってね。わたしはりんとしたきもちで×××のいえでがんばります。めざすさきだけをみつめていきたいとおもいます。(後略)(2月)
わたしはそつぎょうしきがおわってからまいにちいえにいてしゃしんをみています。めをさますとがっこうにいかなくていいのがふしぎとおもいます。×××のいえにいきます。にゅうしょしきはよっかです。もくひょうはとおいけれどもよくばらないでがんばりたいとおもいます。ふまんはないけれどのぞみはむずかしいことをしたいです。てをつかってまたひょうげんしたいとおもっています。わたしもやっとおとなのなかまいりができます。わたしがうまれてからにじゅうねんちかくになるけれどじぶんしかできないことをやったことがないのでやってみたい。(3月)
げんきにかよっています。(中略)
ゆめがありますけっこんができるといいなとおもいます。ひとりでせいかつできるようになりたい。ひとりでわかなわないことかもしれないけどにほんぢゅうをたびしたい。なかなかかのうせいをひろげることはむずかしいけどみらいにむかってがんばっていこう。わたしのりかいしゃがほしいでもみつけるのがたいへんでなやんでいます。どうしたらりかいしゃはみつかるのでしょうか。ふまんはないけどわかってくれるひとがほしい。てのふじゆうなわたしでもできることがあるとおもうのでそれをみつけたいです。みつかるまであきらめない。いつのひかみつかることをゆめみながらがんばっていこう。(4月)
昨日の文章は、はじめ別のことを話した後で、次の文章が綴られた。
(前略)てをつかえなくてもけっこんすることができるかしんぱいです。けっこんすることができたらうれしい。よくわかってくれるひとがいればけっこんしたいとおもいます。わたしになにができるかわからないけれどほんとうのしあわせにむかってがんばりたいとおもいます。ふべんだなとはおもうけれどとてもしあわせです。ふしぎですべつにふこうではないのにふつうのひとたちはこんなわたしをわらったりしてばかにしたりします。わたしはもっとがんばっていきようとかんがえています。りそうしかいえないよのなかのやくにたたいとおもっています。
大人としての彼女の思いに私たちは、どれだけ寄り添っていけるのだろうか。私たちの無力さとは別に、自分自身の人生をみずから切り開いていくであろう彼女の姿が、今、目の前にある。
|
2008年5月24日 08時39分
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
自主G多摩1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/9/
○○さんは、言葉を初めて綴ったのは昨年の秋。関わり初めて11年半が経っていた。少しずつ仲間が語り始めていたけれど、なかなかきっかけがつかめなかった。方法は、仰向けに横になっている彼女の両手をとって、胸の前で両手を一緒にたたき合わせながら、パソコンのスイッチを私たちが押して、「あいうえお」、「かきくけこ」といってゆくと、選びたい行で手を大きく開いて合図を送ってくる。そこで、その行の頭から一文字ずつ手をたたき合わせながらパソコンで発声させていくと、選びたい文字で再び両手を開いてくる。この方法は、アニメや音楽のソフトならば上手にスイッチ操作ができるのだが、タイミングの調整がむずかしいために、ワープロとなるとうまくいかないという状態の中で、試行錯誤しながら見いだした方法だ。「かわいい○○です」から始まった彼女の言葉は回を重ねるごとに長くなっていった。
2度目の1月の文章は、なんと、今は家を離れて大学に通っているおにいちゃんの彼女の話。
「(お正月に)おにいさんあえてうれしかった。ほおまでうれしかった。たくさんしゃべりたかった。かのじょのしゃしんがみたかった。こんどかえってくるときにしゃしんをみせてかわいいしゃしんをとってきてね!めーるしてくださいおにいさんに」というもの。なんとも、ほほえましい文章。
3度目の文章は、2月。おとうさんが一緒に寝ようとするいやがるという話を受けてこう書いた。「ままのことがすき。ぱぱは、もちろんすき。ぱぱがすきだけど、ねるのはいやよ。おとこだからねるのは、よくないとおもってます。(後略)」ユニークな言葉だった。
そして、今回が4度目の文章。残念ながら、「ゆううつ」という言葉の入った、168文字の文章は、秘密の文章。その後、お茶をしながら、パソコンは使わずに、「あ」「か」「さ」「た」「な」というふにして両手をとってたたき合わせながら聞いてみると、文字が選べた。「のみもの」とか「もらってありがとう」など、なめらかに表現することができた。そんな最中に発作が。お母さんが、「最近発作のあと、笑うんだけど」とおっしゃったので、さっそく聞いてみた。すると「わるいとおもってわらう」と返事が返ってきた。
そして、今回の関わりの途中で、一瞬うとうとしてしまって読み取りが乱れてしまった私のことを話していると、すかさず、話したいというそぶりをして、私の顔をにやにやしながら見て、「つかれているの」と告げてきた。その自然なやりとりと、その台詞がいかにも○○さんらしさに満ちているということで、本当におもしろかったし、彼女自身も終始、おなかのそこから喜びがこみあげてくるような笑いをずっと浮かべていた。
半年前まで、言葉をひきだすことができなかった彼女が、今、ふつうに会話をすることができるようになったのは、まるで夢を見ているようではあるけれども、もちろん夢でも何でもない。この現実に私たちが気づくのがあまりにもおそかったということだけだ。しかし、まるでそんなことをとがめもせずに、○○さんは、一言でもたくさん話そうとして、私たちの手を取り続けた。
この独特のやり方が、一刻も早く、彼女のまわりの人たちに広がっていくことを心から願うばかりだ。
|
2008年5月24日 01時33分
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
自主G多摩1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/8/