言葉で気持ちを表現することを巡って、今日も、たくさんのことを考えさせられた。
高校生の○○さんは、「じのひょうげんのほうほうをおしえてもらってくのうのひびがよろこびのひびにかわりました」と綴ったあと、「すなおなじぶんになりたいとおもい がんばっていても なかなかみとめてもらえず だれかわかってくれるひとがほしいです」と思うように進まない理解にもどかしさを感じる気持ちを表した。彼女は、半年前の最初の出会いの日、「うれしいきもちです もうだめかとあきらめかけていたけれどきぼうがでてきました なぜわかってくださったのですか」と綴った方だ。そして「りかいがむずかしいのはなぜですかおしえてください」と私は問いを投げかけられた。答えに窮した私は、誤解されやすいからと説明をしたあと、率直に、手の運動やイエスとノーの答え方について、聞いてみた。すると、かりかりと頻繁に動く指の動きは、「かってにうごく」ということで、指をさかんに口にもっていく理由は「うごきをとめたいから」と明確な答えが返ってきた。そして、はいといいえについては、「めでうったえています なかなかうまくいきません」とのこと。「からだがうごかなくてもいろいろかんがえていてかんじています にんげんですから」と付け加えた。彼女のもつハンディの意味はなかなか理解されにくい。それが、いっそう彼女の理解を妨げているようだ。しかし、さらに、「でもわかってもらえてよかったです まだじかんがかかることはわかりました ねがっていればいつかかなうとしんじていきたいとおもいます」と結ばれた。
中学生の◇◇さんは、「てではなせてとてもかんげきしています ちいさいときからくだされたうんめいをどうしようもないとあきらめていましたが ねがいがかなってとてもくしんしてきたかいがありました」とどきっとするような言葉を綴ったあと、お父さんへの感謝の気持ちを綴り、「ふだんことばにできないのでやっといえました」とつけくわえた。そして、現在の心境として、「だれもわかってくれなかったからかなしかったけどいまはわかってもらえてごきげんです」と素直な思いを表した。
また、高校生の☆☆さんは、「りかいしていることがなかなかつたわらなくてこまっています」ともどかしさを表したあと、「ほんとうのきもちをわかってほしいほんとうのこころをわかってほしいゆめはきもちをみんなにわかってもらうことです」と綴った。○○さんと重なる思いである。ところで、☆☆さんは、文字を綴っている間に、何度か、パソコンのキーボードに手を伸ばした。残念ながら、彼女の現在の手の動きでは、キーを一つずつ区別して押すことはむずかしい。そして、大変申し訳ないことに、デリケートな機械だということで、その彼女の手を制してしまう。そこで、改めて、パソコンに手を伸ばした理由を尋ねてみた。そこで返ってきた答えは、「てがのびるのはぱそこんをやってみたいからです れんしゅうすればできるとおもっているから ぱそこんかってほしくてたまりません」であった。あまりにも当たり前のこの答えを、しかし、私は予想できなかった。○○さんのように、意図に反した動きではないかと思っていたからである。そこにパソコンがあれば誰だって手を伸ばしたいと思うはず。その当たり前のことさえ、見誤ってしまうほどに、私たちは、彼女たちのことをほんとうは理解できていないのである。
一つ一つの行動の意味も、また改めて私たちは問い直されているようだ。
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2008年6月28日 23時53分
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金曜日の関わりあいでのできごとから。
兄弟で関わっているお二人の男の子のうちの中学生の兄さんの方が母へ、次のような言葉を綴った。「にほんそばのおいしいみせをさがしていますが なかなかみつかりません。ねがいは おかあさんにおいしいそばをたべてもらうことです。くるしいときもかなしいときも いつもぼくたちのおせわでたいへんだから たのしんでもらいたいとおもいます。てがうまくつかうことができたら おかあさんにいろいろやってあげたいとおもうけど どうしてもうまくいかないのでかなしい。のぞみをかなえてもらえるとしたら おかあさんによゆうのあるせいかつをしてもらいたいし もっとたのしいことをいっぱいみつけてほしい。」中学になった兄さんの、母への思いは、深い。「おそば」というのはほほえましい感じだったけれど、それに続く言葉は、切実なものだった。母から兄弟へ向けられた深い思いと、それに劣らない兄さんから母へ向けられた思い。ただ感動させられるのみだった。
そして、さらに、兄さんは、「めをつぶるとよくみえるさんたのようなともだち」についても語った。そのともだちは「すてきなともだち」で「げんきなこどもにはみえません。ともだちにあえるのはともだちがみえるときだけです。」と説明をしてくれた。長い間、言葉によるコミュニケーションが閉ざされてきた子どもたちが、口々に語る想像上の友だち。「みえるとき」は限られているということのようで、想像上だからといって、いつでもあらわれるわけではないようだ。不思議なリアリティをもった存在のようだ。
高等部の○○君は、学校でのパソコンのことを綴った。最近、少しずつ、学校でパソコンを使い始めたということで、まだワープロはやっていないとのことだが、「すいっちがうまくできたら××××せんせいのじかんにできるかな。」とまず綴った。ワープロのスイッチの援助にはこつがいるので、そこをうまくクリアできたら、学校でもできるということだろう。ところで、学校には、みんなの仲間で亡くなってしまった◇◇◇さんのご両親が学校に寄贈したノートパソコンがある。10歳で亡くなる半年前から突然パソコンで語り始めた◇◇◇さんの思いを伝えていくためだ。○○君が使っているのは、まだ確かめていないが、もしかしたら、そのパソコンかもしれないとのこと。「◇◇◇さんものーとぱそこんおくってくれたのだからぼくねばりづよくがんばりたいとおもいます。」短い言葉だが、亡くなった友の思いを受け継いで、がんばらなければという熱い思いが伝わってきた。もう亡くなって3年あまりになるが、みんなの心の中に、◇◇◇さんは確実に生きている。
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2008年6月28日 01時13分
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火曜日、二人の小学2年生の少年と会った。
パソコンでの関わり合いが3度目になる◇◇君は、まず、「きてくれてありがとうすいっちがじぶんでやれるようになりたい」と手をしっかり支えられた状態で、2スイッチワープロとスライドスイッチを使用してすばやく綴った。彼にとっては、独力で文章を綴ることが自分で作った目標になっている。もう少し、この状態で気持ちを聞いておけばと思ったのは後の祭りで、彼の気迫に押されて、思わず、一人でやれる状況にした。今日用意した2つのプッシュスイッチは比較的よかったのだが、タイミングよく頷いたりするので、オートスキャン方式の1スイッチのワープロを見せてみたところ、俄然こちらが気に入った。残念ながら、スイッチ操作がまだうまくいかないので、なかなか単語を作るのもむずかしい。ちょっと手首を介助すればずいぶんと改善されるはずであることはわかるのだが、誇り高い彼は、そうした援助をきっぱりと拒否する。それは、幼い雰囲気をその表情に漂わせながらも、自分と勝負しているたくましい姿だ。「はいーといいえ」が明確に表現できる彼には、日常生活におけるコミュニケーションは、かなり円滑に進めることができるので、さしあたり、パソコンで何かを表現することよりも、一人で成し遂げることの方が、圧倒的に重要なのだ。今は、ただ、彼の誇り高い戦いを応援し続けることが、大切なのだと思った。
昨日、大学の授業に二人の障害者がゲストで見えた。彼らは戦う障害者だが、私には、もっと大人になって、たくましく自己を主張していける彼の姿が、彼らの姿に重なった。
パソコンでの関わり合いが2度目になる○○君からは、いきなり「くるしかったけどはなせることができてきもちがらくになりました。」という文章が出てきた。前回「ねがってきたきもちをつたえること うれしい ずっとまってきた」という思いと符合する。そして、悲しそうな表情をしながら次の言葉を綴った。「くるしいのはよくめがみえないことです。」4歳までは見えていたという。短い時間だったろうが、目でたくさんのものをとらえてきたにちがいない。その目が光を奪われた。
助詞の「は」の使用や促音の使用など、見えなければ、学べないものも彼はしっかり理解しているようだ。そこで、どうやって覚えたのと尋ねてみた。すると、「かあさんがえほんでおしえてくれた。ちいさいもじのえほんがべんきょうになりました。」という答えが返ってきた。
そこで、おかあさんにメッセージがあればと促したところ、「かあさんいつもありがとう。いつかしあわせにしてあげよう。ほんとうにかんしゃしています。」と綴られた。
さらに、彼の言葉はこう続く。「さみしいときにいつもおもいだしていますくるしさからかいほうされたときのこと。くるしさのみのじんせいはいやです。」「くるしさからかいほうされたとき」とは、初めて文字が綴れた時のことを指しているのだろうか。その時を思い出している彼を想像すると、私もまた胸がしめつけられた。
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2008年6月24日 23時40分
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家庭訪問 |
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障害が重いとされ、一見私たちの言葉を解さないように見える人との関わりにおいて、そういう人が実は豊かな言葉の世界を持っているかもしれないと考えて関わるようになったと、私はあちこちで公言してきた。そして、それは、私が参加している障害者青年学級でも例外であってはならない。しかし、これまでそのことを実践してこなかった方が一人、青年学級にいる。
新しい年度が始まって、久しぶりに彼と再会した。これまでの、本気で語りかけることをしなかった関わり合いを改めなければと、会った瞬間に思った。
彼は歩いて移動できるが車いすにのってやってくる。ほんとんど目が合わないため、意識しなければ語りかけのタイミングをつかむことがむずかしい。好きな物をいつも手に握りしめていて、部屋の中を歩いて、好きな物を、時には人の鞄の中からでも探し出す。まったく自分のペースで動いているように見えるので、それが、問題と感じられることも少なくない。実際、何度、彼の後を追い回って、その行動を制止してきたことだろう。
「今日はティッシュにこだわりがある」とのご家族の言葉通り、手にはウェットティッシュと香りのよい除光液(?)のびんが握りしめられていた。
朝の集いは、元気のよいマイクを使った司会者の声と大音量のギターやピアノの伴奏でみちあふれている。彼は、そんな時、よく不快そうな声をだし、腕をかんだりする。ギターの音は私の立てる音だが、ギターをかき鳴らしながらちらちら彼の方に目をやると、この日も、彼は不快そうな声を出していた。
集いの後、今年度のコースを選ぶ時間があったが、その時間、床に座り込んでいる彼に、ずっと語りかけた。目立った反応があるわけではなく、これまでなら、途中であきらめていたところだが、語り続けた。そうしていると少しずつでもいつもとは違う間が生まれてきたような気がした。
おもむろに、彼が自分の車いすの背もたれにかけた荷物をあけようとする。目的は、たぶんウェットティッシュ。これまでは、止めようとしてすったもんだして、結局負けてしまっていたが、今日は、一緒にチャックを開けてウェットティッシュを取り出した。いきなりわしづかみしそうになった彼に、一枚ずつとれるようにしたら、なんと、ていねいに3枚ほど取り出して、やめた。そしてその後もよく見ていると、ティッシュで手を拭いているようにも見えた。実際、香りのよい除光液は手につくとべたべたする。彼はただ手をきれいにしたかっただけなのかもしれない。はたしてこれを「こだわり」と見てきたのは正しかったのだろうか、そんな疑問がふとよぎる。
コースに分かれてからも、彼に寄り添い続けたが、うつむきがちになるので、後ろから膝に抱えるようにすると背中を私にぴったり押しつけて穏やかにすわって、仲間を見渡した。ちょうど自己紹介のタイミングで、私が彼の名前と通っているところを紹介したが、彼の体はみんなに向かって開かれているように感じられた。
別の方のトイレのために彼のもとを離れるとき、入り口で振り返ると彼の視線がこちらに注がれていて、どきっとするというようなこともあった。
そんなふうに静かに流れた午前中の時間のあと、お昼ご飯の時、彼は、怒り出して、どうしようもなくなってしまった。せっかくうまくいっていたのにと、めげそうになったところで、仲間の女性が彼のコップにすっとコーラを注いだ。すると、それまでとはうって変わったような穏やかさでコーラを飲み干した。おいしい飲み物がほしかったことと、その差し出し方の自然さとが彼の心を和らげたのだろう。青年学級では、こういうことがよく起こる。本当の意味での対等ということが、私たちにはまだまだできていないようだ。
午後、ひとときトイレで二人になった。3月でやめた所長さんのことや、お母さんの病気のことなどを語りかけると、彼は、低いうなり声をあげた。やはり話が通じているのかもと、思った瞬間だった。そして、トイレも彼自身のペースですませることができた。
午後の活動の後半は歌をたくさん歌ったので、ギター担当の私は彼のそばを離れたが、歌っている間中、彼は穏やかに仲間の中に座っていた。
そして帰りの集い、朝、あれほど不快そうにしていた彼が、がんがんとスピーカーから歌声や伴奏の音が鳴り響いていても、穏やかに車いすに座り続けていた。
降り出した雨の中を迎えに来られたお父さんと交代して、彼と別れた。私は強く、また、次の学級日に会いたいと思えた。これが、彼との新しい始まりの一日になれば、と心から祈る。
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2008年6月24日 22時33分
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青年学級 |
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土曜日の学習会、また、いろいろな発見があった。
○○君は、もう、ずいぶん長いことこの会で学習を続けてきた少年。見ることにハンディがあるのか、ちらっとでも見ることができる時には、それなりの弁別をすることができるのだが、その回数が少なく、なかなか先に進めないということで、足踏みのような学習を続けてきた彼に、徐々に2スイッチワープロのソフトを導入してきて、先月、初めて自分から単語を綴ることができた(使ったスイッチは二つのプッシュスイッチである)。その言葉は「うれしい いきたいそと」というものだったが、それに続けて1週前の母の日のことを書いてもらったところ、「おかあさんありがとう」と書いて、お母さんをとても喜ばせるということがあった。
それから、ひと月後の関わり合いで、彼は突然「くやしい」という言葉から気持ちを綴り始めた。せっかく文字を綴ることができたのだが、なかなかすぐには認められないことをめぐるものだった。そこで、私は、どうやって文字を覚えたかなど、教えてくれるとそれだけわかってもらいやすくなると思うと提案したところ、「こどものとき ともだちがべんきょうをしていたのをみておぼえた」と答えが返ってきた。そして「はやとくんがわかってくれたけどほかのひとはだれもわかってくれなかった」と続く。はやと君とは誰かとさらに尋ねると、「じぶんでつくったともだちです」と。孤独な心の世界が作り上げた想像上の友人がここにもいた。もちろん彼はまた、暖かい家族の愛情の中で生きてきたことも事実だ。「よくめんどうをみてくれてほんとうにかんしゃしています おとうさんもよくあそんでくれてすてきなかぞくです」と文章は結ばれた。
△△君は、2スイッチワープロで文字を綴ることをずっとしてきたが、ここのところ、ずっとオートスキャン方式の1スイッチのワープロで文章を綴ることにチャレンジしてきた。なかなか手こずっていたが、いつか独力で文章を綴ることを夢見てである。その彼が、ようやくスムーズに文章が綴れるようになり始めた。そして、綴った文章は、「このあいだじっしゅうにいきました。うまくいってよかった。じんせいをいっしょにいきるなかまがいればうれしい。」というもの。実習先には、多くの先輩がいた。人生を一緒に生きる仲間を探す大人の世界への旅立ちがもうすぐそこに迫っているということだ。最初に出会った頃、童顔だった彼は、いつか、ひきしまった顔つきの青年になった。
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2008年6月22日 01時21分
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今日、うかがったのは、都内の通所施設。お二人の方とゆっくり関わった。
午前中は、二十歳くらいの女性である。2月に初めて関わって、今日が2度目だった。音楽がとても好きと言われていて、彼女のそばではいつもすてきな音楽が流れている。前回は初めて文字を綴ったのだが、「やっとはなすことができてうれしい たあくさんはなしたい」と率直に笑顔で喜びを綴っていた。
しかし、今日は、どこか意を決したような表情から始まり、「くやしいです きもちをおかあさんにつたえることができなく りかいしてもらえないです。(…)くやしいのは なかなかことばがわかっているとおもってもらえないことです。」という文章ができあがった。これまで、彼女が言葉を当たり前に理解し、文字もきちんと理解していると考える人はほとんどいなかったから、こういう状況も無理もないことだった。そこで、私は、どうやって文字を覚えたか教えてくれると、みんな納得するかもしれないと問いかけてみた。すると「ちいさいころからてれびをみておぼえました。きっといつかかけるひがくるとかんがえていました。ねがいがかなってとてもかんげきしています。」という答えだった。こんなふうにいろいろやりとりをしているうちに、彼女の言葉は、別の方向に向かっていった。「ねがいは いろいろなひとにのぞみをわかってもらうことです。いつまでもげんきにしていてほしいとおもう、おかあさんには。いつもめんどうをみてくれて かんしゃしています。なかなかいえずにいたけど いえてよかったです。」としめくくられた。今日、書いた文章に私からのお手紙を添えて、彼女のかばんに入れてもらった。うまくお母さんに伝わったか、それが気がかりだが、きっと彼女の懸命な思いは、伝わるにちがいないと信じている。
午後からは、25歳を過ぎた男性だ。5月に親しい仲間の女性を亡くし、そのことから始まった。この女性のことを綴った文章は、「○○さんはのぞみをかなえられてよかった。」(07年12月)というものから始まる。彼女がようやく気持ちを表す手段を得たことをめぐる言葉だった。そして、「ずっとしんじてもらえずに○○○さんもつらかったねとちゃんといってあげたい。よいめぐりあいができてほんとうによかったね。われわれはりそうめざしてがんばろう こんなんにたちむかいしんけんにやっていこうと いいたい。てにいれたしあわせをてばなさないで くなんをのりこえていこう。くるしみとかなしみのむこうには おおきなきぼうがまっているから めのまえのこんなんがどんなにおおきくても むねをはっていきていこう。いつまでもずっと。ほんとうのしあわせをてにいれるまで。」(08年4月)と続く。そんな矢先、彼女が突然旅立ってしまった。その直後に、「○○○さんがなくなってさみしさがつのりかなしみがふえてつらいひがつづいていますあうことがかなわなくなってしまいなんとなくくやしいあいたかったとつぜんのことでみこと(言葉)がでてきません」(08年5月)という言葉が綴られる。そして、今日を迎えた。
蒸し暑い一日で、疲れが見えた彼だったが、時折瞑想するようなまなざしで、次のように綴った。「めいふくをいのっています。かぎられたいのちなら できるだけずっとおかれたかんきょうにとらわれることなく かりそめでもいいから いのちがつきるまで わらいをなくさずにいきていきたいとおもう。なぜてがつかえないといきるのがいきにくいのだろうか。わからないけどよくいきていきたい。」仲間の死は、たくさんの問いを彼につきつけたようだ。
2ヶ月前、元気に「ろまんいっぱいにこれからもいきてゆこうね。」と綴った彼女の姿は、今日この場所にはなかった。そのすっぽりとあいた穴のことをあえて語る人はいなかったが、みんなそれぞれに問いをつきつけているにちがいなかった。いのちの問題の重さをいちばん受け止めているのは、障害と向かい合ってきた人たちなのだから。
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2008年6月20日 23時57分
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通所施設 |
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火曜日、二人の中学生の少年と関わった。
一人目は、ほとんど体を動かすことのできない少年で、最初の出会いから1年9ヶ月が経過した。
「(…)りかいしてもらうよろこびにこみあげてろましょ(ロマ書)のことばをおもいだしました。ふだんからこころがけていました、しんじていればかならずとびらはひらかれると。とわ(永遠)というものにふれたきもちがします。くなんのひびがへいあんのひびにかわりました。(…)」最近、彼が以前通っていた学校の先生方に、文字が綴れるようになったことをわかってもらえ、喜んでもらえたとのことで、今日の文章は、それを受けたものだ。彼は、その学校で、いろいろな話をしてもらってきたそうだ。その中には、聖書の話もあったとのこと。意思表示の困難な彼がいちばん集中するのは、むずかしい話の時といわれていたという。「へいわがくればいいうちゅうがえいえんにじかんのあるかぎりいつのひかちいさないのちがうまれてそだっていくようにしあわせがいっぱいにひ(ろが)りますように」というような世界平和の問題などを綴ってきた彼の心を育んできたのは、そうした学校での日々だったに違いない。スイッチの援助はあくまで、技術の提供にすぎない。心を育む日々の営みの大切さを改めて思った。
二人目の少年は、歩くこともできるが、なかなか手の運動のコントロールや「はいーいいえ」の表現がむずかしい少年だ。初めて会ったが、私はもはや躊躇することはなかった。そして、いきなり、400文字を越える文章を綴った。「おかあさんよくかわいがってくれてありがとう。てがつかえてうれしい。このすいっちがほしい。ずっとさがしつずけてきましたいいたいことがいえるほうほう。ねがいがかなってうれしいです。」と始まり、「わかっていたべんきょういっぱいしたから。ひとりでちいさいときにてれびやえほんで。」と、どうやって文字を覚えたかを説明した。彼の思いは、「べんきょうがしたい」「もっとおしえてもらいたい」という強い学びへの気持ち。数についての知識を尋ねてみると、「3÷3=1 81÷9=9 32÷4=8」と綴った。そして、「わりざんはうまくわれないときどうすればいいの。にぶんのいちというのはどういういみなの。ほんとうのねがいはぶんすうとしょうすうについてききたい。」と続いた。彼の学びを阻んでいるのは、ただ常識の壁のみである。私は、ただ、早くその事実に気づかされた人間に過ぎないが、早く気づかされた人間の責務として、この常識の壁に一刻も早く穴をあけなければならないと思う。そして、彼の心に寄り添い心を育む日々の営みが、もっともっと濃いものになることを願う。
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2008年6月18日 00時35分
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明日はいよいよ父の日という土曜日、高校生の○○さんは、お父さんとやってきた。長いおつきあいの中で、二人だけで見えたのは初めてのことだった。
そして、始めるなりさっそく綴った言葉が、「おとうさんいつもありがとうございます。ぐっどふぁざーしょうをあげたいとおもいます。ふだんはうちにいないのでつまらないけどおやすみのひはいつもあそんでくれてかんしゃしています。もうすこしらくなしごとになることができればいいとおもう。」お父さんは、さすがにてれておられたが、年頃のかわいい娘さんからの、最高の父の日のプレゼントになったのではないかと思う。
さらに、「ふしぎなきもちがしています。とてもことばではいえないとおもってきたけどこうしておとうさんにかんしゃのことばをいえることが。とてもむりだとおもってきましたから。」と続いた。
彼女とは小1からのおつきあいである。文章を綴るまでに、様々なスイッチを使った教材と姿勢への働きかけから始まり、絵カードによる選択、絵本のソフトへと発展し、文字の弁別、ワープロソフトへとゆっくりと学習内容は発展していった。しかし、文章への発展にはけっこう時間がかかった。途中、彼女は、わざわざ「えほん」と綴って、ワープロよりも絵本のソフトを要求する時期もあったりした。彼女にとって、その頃、ワープロソフトは、自分の気持ちを表す手段になるとは思えず、高いハードルに感じられていたのだろう。「あひしまにくかき(2002.5.11)」が、最初のワープロの記録である。その後、「えほん」「のんたん」など絵本をめぐる単語が続き、初めて自分の気持ちらしいものが綴られたのは、2003年の12月の、若い男性教師に対して「かくいい」という言葉だった。そして、2004年9月にプレゼントでほしいものとして「りぼんあかあたま」と綴った。彼女が自分の気持ちを表現できると感じたのは、このときからではないかと思う。これから、ほしいものを少しずつ綴るようになっていった。そして、文章になったものが、2005年10月の、「なきましーたーきにいらないかあさーんげんいんかみがあさきたない」である。2006年9月から文が長くなり、文体も「あたしのねっくれすいいいろでしょ。」から始まるようなものになっていく。そして、その中に、「ちいさいころからわかっていましたのでじがかけてうれしい。」という言葉が入っていた。
こうした歩みは、彼女の成長の歩みともいえるかもしれないが、実は、それは、私たちの読み取りのテクニックの向上といった方が正確だろう。
彼女の心の世界の奥底をかいま見るこんな文章も、最近は綴られれている。「ふしぎなえにかいてあったねがいごとに くやしいことやかなしいことはふしぎときえるし よろこびやたのしさはふしぎとながつずきするようにと。しらないひとがめのまえでいいました さみしいときにはよくほんをひらいてごらん きっとなにかきもちやからだにいいようなことがかいてあるにちがいありませんと。のはらにさいているはなのようにけだかくかわいくいきていきていきたいとおもいます。ゆっくりやればうまくいくとおもう。あせらずにいこう。」「ねがいはさみしがっているひとたちがわかりあえることです みんながしんにのぞめばできるとおもいます わたしかがみをみながらいのっています かがみのなかにはちいさなようせいがいて わたしのねがいをわかってくれます だからわたしはさみしくありません すきなかがみはにかいのきょうだいです(…)かがみはどれでもだいじょうぶです みたいところにはなかなかないけどあったらうれしいです すてきなかがみがほしいです」。容易に人に伝えられない心は、不思議なファンタジーの世界を作り、その中で、思いを様々に表現してきたということなのだろう。
学校の先生も、見学にきておられた。彼女の思いに寄り添おうという人の輪は確実に広がっている。
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2008年6月15日 00時25分
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5月に、「うちでのせるすずに すてたねこが ねがいどおりすいせんこむそうをけらいにして もっととおくまでのがれ せいたかすみれそうのさくくににいきたいとおもったものの にげることができず かなしんで いぜんすばらしいうちだとおもって がまんすることにした。」という、不思議な文章を書いた高等部3年の○○さん。6月は、その説明のような文章を書いた。
「すいせんこむそうのいみはつらいことがあるとしおれてしまうはなのようなこむそうです。つまづいてしまうとおきあがることができなくなってしまうほどひとりぼっちでちいさなともだちです。こどものころからいっしょでした。すいせんこむそうはとてもせがひくくてとてもやさしいさむらいです。このまえそばでともだちのわたしをげんきづけてくれました。せいたかすみれそうはとてもいいにおいのはなでせがたかくていつもいのりそらにむかってこいこがれながらさいています。いつもせいたかすみれそうはねがいをもちながらねがいがかなうことをゆめみています。」
不思議なファンタジーの世界だが、それは、人とコミュニケーションする手段を持ち得なかった彼女が、一人作り上げたファンタジーの世界。○○さんの心の友、「すいせんこむそう」とあこがれの象徴である「せいたかすみれそう」美しくもまた、悲しい世界でもある。
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2008年6月14日 00時25分
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父の日を2日後に控えた金曜日、二人の同級生の女の子が申し合わせたように、それぞれ、父の日のプレゼントをめぐる言葉を綴った。
☆☆さんは、エメラルドのネクタイピンを贈りたいと綴った。姉といろいろ話し合ったけど、うまく伝えることができなかったらしい。そして、「おとうさんこのねくたいぴんのいろはわたしのすきないろです。わたしたちふたりからのぷれぜんとをうけとってください。あいするおとうさんへ。」と心温まる手紙を添えた。これまでも何度も贈ったプレゼントに始めて自分の言葉で手紙を添えることができた。
▽▽さんも、今日は父の日のこと。仰向けに寝ている彼女と私たちが両手をつなぎあって、彼女の手をたたき会わせるようにしながら、「あ、か、さ、た、な」と問いかけていくと、選びたい行で手が両側に開くという方法で文字を選択することができるようになって、半年が経過した。「おとうさんはなにがほしいのかきいてほしい のぞみをかなえてあげる きいてほしい おかあさんにたのみます こんばん」そして、花を添えたいとのことで、「ぴんくのあじさいのはなを」と綴った。気持ちを言葉にできた初めての父の日は、お父さんにとってとっても幸せな日曜になることだろう。
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2008年6月14日 00時04分
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肢体不自由の特別支援学校高等部3年に在籍する○○君をたまプラーザキャンパスの講義に招いた。小6の三学期に、「20歳の自分へ」と題した作文で、大学へ通っている自分を夢見ていた少年である。私は、小1から関わりを持ち、少しずつ学習を進め、小2の夏に、IBMの漢字Pワードというソフトを使い、レバースイッチを使って、肘や手首を介助することにより、文字を使った意思表示ができるようになるところまで進むことができた。その後、介助員の若者の手によって、50音表を介助によって指さして意思表示をなめらかに行うことができるようになっている。手をとられているため、必ずしもすべての人に信じてもらうことがかなわないが、彼を理解する人との間では、これまで豊かなコミュニケーションがとられてきた。
中学部に進学して、教科学習のグループには入れなかった彼は、しだいに大学への進学がかなわないものであることを感じるようになり、かわりに、私の大学に来てみたいというようになった。中学部時代は、義務教育でもあるし、わざわざ休んで大学に来るはむずかしいだろうと考え、高等部になったら、来てもらうと言ってきた。
その彼が高等部に進学し、さっそく、大学に招いたのが、一昨年の7月、昨年の7月は、非常勤でうかがっている大学の授業に招いた。そして、今回で3度目。
100名を越える学生の前で、母に抱きかかえられた姿勢で、母に手をとられながら50音表を指さしながら、彼は大学生たちに語りかけた。テーマは「教育とは」。
この日のために次のような言葉から始まる文章も彼は用意していた。「僕は、学びたいといつも思います。教育とは、なんでしょうか。僕のように障害を持っていると、学びたいということさえなかなか伝わりません。僕は普通に教科の勉強がしたいだけです。大人になってもいらない知識でしょうか。皆さんはどんなことを考えながら勉強をしてきましたか?仕方なくですか?それとも、何かやりたいものがあってそれをするための基礎ですか?僕は、ただ、知りたい、得たい、と思う貪欲な意欲だけです。僕のように養護に行き、将来は施設に入れられるだけの人生でも、今、知識を学びたいです。」
ほとんど年齢は変わらないにもかかわらず、あまりにも違う状況を生きてきた少年を前に、学生たちは、大いに心を揺さぶられた。ようだった。通常は、100人を越える授業で、自発的な挙手など、ほとんど望めない。しかし、この日ばかりは、少しずつ手が上がり、学生から少年に向けて真摯な発言が続いた。
自由に体を動かすことも話すこともできず、わずかに手を添えられて50音を指さすことによってだけ意思表示をする姿は、衝撃的なものだったろうが、あまりにもストレートな学びへの意欲は、学生たちにまっすぐ届いた。みんな、大学生としてのみずからの学びを問い直さないわけにはいかなかったにちがいない。そして、また、こんなにも心から純粋に学びたいという気持ちの少年が、学べる環境にないことが、合点がいかない。
授業の後も、彼をとりまく10名あまりの学生の輪ができ、対話が続いた。
学ぶことの意味をともに問い直すことにできた1時間となったと思う。
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2008年6月13日 23時59分
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以前、ホームページに日記形式で短い文章を綴っていくことを企てたことがある。2年前の2月のことだ。しかし、なぜかその気になれず、最初の1ページを書いたところで挫折していた。その1ページとは、以下のものだった。
「今日、どうしてもここに記しておきたいことは、都内のある盲学校におけるすばらしい教育実践のことである。この盲学校には、現在小4の盲聾の女のお子さんがいる。そのお子さんの担任はこの学校に赴任して2年目の男の先生で私も以前親交のあった先生だった。先生は、2年目に、このお子さんの担任となった。このお子さんは、まだコミュニケーションの手段がいくつかの簡単なサインの受信以外には確立しておらず、また、感情の起伏が激しく、怒った時には、全身をくねらせ、頭を何かにぶつけたり、着衣を脱いだりして表現する。あまり使いたくない言い方だが、関わり合いのむずかしいお子さんだった。先生は、担任になるとさっそく指文字と点字へ向けての基礎学習を開始された。それは、おそらくいささか無謀に見えたことだろう。彼女が好んで座る1畳ほどの板の上にはアイウエオをリベットで表現した点字が四方に貼られ、先生は、頻繁に指文字を彼女の掌に発信なさるようになり、先生の手になる様々な教材を通して学習が進められていった。私は、縁あって学期に何度かこの学校を訪問し、先生とお子さんの関わり合いを見させていただいてきた。学習の細部において着実な進歩を重ねつつも、夏ごろからしだいに先生のおんぶを一日中要求するという『困った』事態が起こるようになってしまった。9月に訪問した際には、まさにその真っ最中で、私も、思わず背中を貸した。おんぶをやめようとすると激しく怒り出すため、終日おんぶをし続ける関わり合いの姿は、周囲には、不安を呼んだにちがいない。背中から降りることをかたくなに拒む彼女の姿は、これが永遠に続くような思いを周囲には与えたからだ。私も例外ではない。しかし、先生は、彼女を背中に負いながら、黙々と学習を続け、指文字を発信し続けた。といっても想像がつくだろうか。おぶったまま腰をかがめ、少し高めの台に教材を置いた学習である。鬼気迫るといってもいのいほどのすさまじさと感動を覚えた。『先生たいへんだけど本当にがんばってますね』と思わずかけた私の言葉には、『○○さんがすばらしいから』という即答が返ってきた。すべてがこの言葉に集約されていた。そして、1月30日、午前中いっぱい実践を見させていただく機会を得ることができた。おんぶはまだ続いているが時間は確実に短くなっているとのことだった。そして学習は着実に進み、この日も彼女をおぶいながら、あいうえおと、5までの数の学習を手をかえ品をかえやっておられた。それぞれの学習は、まだ、はた目には受身的に見えるものだが、私は、確実に彼女の中に積み重ねが起こっていると思ったし、何より彼女の表情が素晴らしかった。そして、何よりも驚かされたことは、おんぶされている彼女に「オンブオワリ シタニオリル」と出された指文字を受信して、すっと下におりたことだった。まちがいなく彼女は指文字に何らかの意味を感じて受信していたのだ。ヘレンケラーが水をさわった時のように、ある劇的な一瞬をスタート地点としてとらえることはむずかしいかもしれない。しかし、まちがいなく、この1年は、ヘレンケラーが水を触って”water”と感じた一瞬に等しい大きなものにちがいない。おぶい続けることに目を奪われていたら、その先には進めない。回避する道はあったのかもしれないが、私には、このことを乗り越えて先に進むことしか道は残されていないように思われたし、先生は、その覚悟でおぶい続けてきたのだと思う。いつか先生自身の手による実践報告をうかがる日を、今から待ち望んでいる。」
その彼女はこの4月から中学生になった。月曜日、今年度初めて彼女の授業を見学した。男の先生は小6まで3年間つとめた担任を代わり、週4日、国語数学の時間を1時間担当するようになっていた。この日は、繰り上がりのある足し算と引き算だった。「今日の勉強は」と先生が彼女の左手に発信する指文字を彼女は右手で再現して先生の左手に返していく。そして、点字用紙にうたれた7+5=というような問題をさわるのだが、もう暗算で答えが出されていた。そして、点字タイプライターで式と答えを書く。それが学習の流れだった。ただ、一度、4+9を14と答えてしまったので タイルで確認をした。ここでの確認の手続きの中で次のようなことが起こった。まず4の固まりに足すためのバラタイルを9個、器に入れるのだが、この時、バラタイルを6個とったところで手が止まった。すぐさま先生は、なるほどとおっしゃった。まず、この6とは、4にくわえると10になる数であり、ここで、先生は一緒に4の固まりと6とで10のまとまり10の枠を使って作って、さらに彼女を促すと、今度はバラタイルを3個器にとった。そして、それを10の隣に並べた。先生がもう一度尋ねると、今度は13と答えが返ってきた。完璧だった。
今の姿が当たり前になってしまうと、以前の大変だった時期が嘘のように思えてしまう。しかし、先生が担任になっていきなり指文字を出し始めた時点でさえ、今日のこの姿を明確に予想できた人はいなかった。上に引用した2年前の私の文章ですら、同じことだ。盲聾という厳しい条件の中で、一歩ずつ認識の世界とコミュニケーションの方法とを確立していく教育の歩みは、決して先を急がない着実な歩みだが、それは私たちの予想を超えるスピードで前に向かって歩を進めている。そして、その歩みの中に、人間の可能性と教育の可能性が鮮やかに示されている。
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2008年6月10日 17時44分
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学校 |
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「ちやんす」。今日、最初に☆☆さんが綴った言葉だ。手にほんのわずかにこもる力と、口元の動きと、それに心拍数とをあわせて、1文字ずつ読み取った言葉である。回を重ねて、手の動きを読み取る方法が少しずつ固まりつつあるが、手にこもるかすかな動きを読み取ることによって開かれる通路は私が緊張の糸をゆるめたとたんに閉ざされてしまう。まるで、きれやすい細い糸を互いに引き合っているようなもので、力が弱ければ糸はたるみ、強すぎれば糸は切れる。ちょうどよい具合に糸が張っていなければそこに通路は開けない。
大それたことをしていると感じないわけではない。ただただ経験によってのみたどり着いてきた現在の地点。彼女の内面に豊かな言語の世界の風景が開けていることを客観的に示すものは何もなく、ただただその存在を信じるのみ。そして、それを支えているのはこれまで出会ってきた多くの障害の重い方々との関わり合いの事実しかない。
しかし、確実にかすかな対話を通して関わり合いの時間は滞ることなく濃密に流れていく。そのことがある限り私は彼女の手から私の手を放してはいけない。私があきらめてしまえば、もはやこのような無謀な取り組みをする者はいないだろうから。
「ちやんすしたみみもやすい」最終的に綴られた言葉だ。チャンスをものにしたということだろうか。そして耳によって文字を選んでいることがなんとかやりやすくなったというふうにつながるのだろうか。限られた文字数しか選べない中、最小限での表現を追求しているのかもしれない。
別れ際、また今度がんばりましょうという私の声に、ことのほか大きく口元の動きがあった。力強い約束のサインだった。
隣のベッドの○○君は、ひさしぶりにスイッチ操作をするあごの動きが軽快だった。時々、かすかな声を出して合図を送っているように見えた場面もあった。ここのところ、首の具合が思わしくないことが続き、なかなかスピードが出なかったのだが、今日は比較的すらすらと文章が書かれた。「けりいのものがたりたくさんほしい たんていとき かんがえ わるものをつかまえる」枕元には名探偵コナンのDVD。きっと、このことについてにちがいない。しかし「けりい」とは何だろう。彼のパソコンの様子を時折見にこられるお医者さんも看護師さんも、「けりい」には首をかしげられる。そのうちに一人の看護師さんが、にた名前の登場人物がいることに気づいた。そして、こっそり周りの大人に耳打ちした。彼はそれを聞いていたのか、それともしっかり思い出したのか、「しぇりー」と綴った。彼が知りたかシェリーの物語とはいったいどんな内容なのだろうか。
小学校2年の○○君の心の中の風景に、今、探偵物語のわくわくする世界がくわわりどんどんとふくらみ始めているようだ。
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2008年6月7日 00時31分
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小児科病棟 |
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梅雨入りを迎えた3日、八王子盲学校を訪ねた。今回、とても目を引いたのは、高等部の重複学級の○○さんだ。個別的な学習というものにあまり縁がないまま高等部からこの学校に入学してきた彼女は、最初、学習にのりにくかった。不意にご機嫌がくずれて、学習が中断する姿にこれまで何度も出会ってきた。しかし、担任の先生は、根気よく、いろいろな教材を通して学習にチャレンジしてきた。本当の彼女の力がどこにあり、本当に適切な教材はどのようなものか、なかなか探りにくいようだったが、そうした関わりの中で、先生はいくつかの教材を通して、彼女と確実に関われるようになっていった。その中に、見本合わせの課題があった。手元に一つの見本項があり、向こう側に二つの選択項があって、同じ方を持ってくるというものである。彼女とは、触覚的な質感の弁別として、「ざらざら」「つるつる」と呼ぶものを題材にして学習が進められていた。
その見本あわの選択項に、最近、リベットで作った点字が登場した。触覚的な実感の弁別からいきなり点字かというふうに思う人も少なくないだろう。しかし、確実に彼女は喜々としてとりくむようになっており、今回アやイの区別などができるようになっていた。
また、平行して50音の文字を押すと音声が出るおもちゃに点字を貼った教材で、ア行から1行ずつ触っていく学習もなされていた。これにも彼女は大変意欲的だった。
先月、彼女の学習の内容に関する話を、彼女の頭越しにしたとたん、彼女が教材を激しく押し返すということがあった。おそらく、自分のことが批評されることに誇りを傷つけられたのだろう。点字の学習がここで適切かどうか、私は、遠くない日に間違いなかったとの結論が出ると思っているが、今、確実に言えることは、彼女は今、点字の学習をすることに強い誇りをもっているということだ。その誇りが彼女の表情にとても気高い品位を与えていた。
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2008年6月7日 00時27分
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学校 |
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冷たく降り続いた雨がようやくあがった日曜日、さわやかな空気の中を新しい関わり合いの場へ向かった。4人の高校生と会うためだ。 初めての出会いはいつも緊張する。特別に事前の情報をあえていただくことはしないから、どんなお子さんが待っているのか、会ってのお楽しみということになる。しかも、いったん相手にお会いしてしまうと、障害の状況など頭越しに話されることは、ご本人もけっして気持ちのいいことではないと思うので、それもできるだけしない。会ったときの印象がすべてになる。しかし、実は、印象は多くを語ってはくれない。これまでいろいろな人が関わってその方に言葉があるとは思わなかったわけだから、最初の印象から言葉をつづれる人であると感じることは少ない。今日も、それは同じだった。ただ、最近は、その印象をあえて信じないことができるようなった。私の感じた印象がいかにいいかげんなものか、もう、いやというほど思い知らされてきたからだ。あれこれ迷うよりは、言葉をつづれることに賭けてみた方がいい結果に出会えることがわかってきたのだ。
今日は、4人の方がみんな200文字をゆうに越える長い文章をそれぞれに綴ってくださった。
最初の方の言葉は、とても大人びた、しっとりした言葉が並んでいた。「わかってくださってかんしゃします。なかなかりかいしてくれるひとがいなくていつもひとりでなやんでいました。さびしかったけどほうほうがみつかってうれしいです。」「くなんのひびでした。ねがっていましたこのひがくることを。とうとうそのひがやってきました。ちいさいころことばがしゃべれたらいいなとおもっていましたがもうあきらめていましたのでとてもうれしいです。」
「さびしかった」「くなんのひび」「あきらめていました」という言葉が、胸に突き刺さってくる。身の引き締まるような言葉の連続だった。
二人目の方の言葉は、終始笑顔で綴られたものだが、ユニークな言葉があちこちにおどっていた。
「おかあさんかけたよ。わかってもらえてありがとう。」「ついにかけた。くるしかったわかってもらえなくて わかってくれてうれしい」「べんきょうができてともだちがよろこんでくれるとおもう くうそうじょうのともだちです」「もじこのほうほうでかけることがわかったのでねんがじょうもかける ねんがじょうがかきたかった」「ちいさいころにおかあさんがほんでおしえてくれたながいあいだかきたいとおもってきました」
空想上の友達の存在をまた語る方に出会ってしまった。人は本当に人を求めて生きているのだということが痛感される。
3人目の方は、りりしい若者。歩くこともできるし、自分で食事も口に運べるとのことだが、やはり運動にハンディがあり、気持ちの表現がむずかしようだった。その彼の言葉は、次のようなもの。「かあさんこれまでねがってた いろいろきもちいえるようになること」[りかいしてちゃんとげんきをだしすばらしいくらしをしたい」
「ふいにおとずれたきかい てをつかうこと」「てがそんなにうまくつかえないのにこまっている ていろいろなえらびかたをしてもうまいぐあいにはつたわらない」「ちいさいころからわかっていました おかあさんがよくえほんをよんでくれたのでおぼえました」
4人目の方は、笑顔のすてきな若者。「ばんざいできたむずかしいとおもっていたけどかんたんだった」「みんなもできてよかった○○さんやし△△さんや◇◇くんはどんなことをかいたの みんなすごいね ねがいがかなえられてみんなよかったねさんにんともいろんなおもいをしていきていることがわかった」「ねがいはすきなひととけっこんすることです ほかにもたくさんありますけっこんができるかどうかわからないけどこのままですぎていくのはいやだ たいへんかもしれないけどむちゃくちゃがんばればできるかもしれない」
友だちの快挙を自分のことのように喜んでいた。夢も語った。「むちゃくちゃがんばれば」という言葉に強い意志を感じた。
最初に出会った日に、全員が200文字を越える長文を綴ったのは初めてのことかもしれない。実にたくさんの方々と一歩ずつ方法を洗練させることによって、ここまでたどり着くことができたというのが実感だ。今日の方々も含め、ただただ感謝あるのみだ。
帰りの高速道路から見えたひさしぶりの夕焼けがきれいだった。こうした出会いを通して、確実に私の心が洗われていくのを感じる。
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2008年6月1日 22時56分
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自主G23区3 |
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