ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年05月24日(日)
ゆめさめてにんぎょうはきれいなにんげんになった
 4月か5年生になった○○君は、来るなり、さっそく、詩を書き始めた。

しずかなふしぎなちいさいにんぎょうが
だまってみなみからのかぜをうけてないていた
なぜないているのかだれもしらないけれど
ねがいはただひとつ
ふしぎなかぜにのってとおいくににたびにでること
にびいろのかぜにふかれてぶうとりらのねがいをかなえることをかんがえながら
りんとしたちいさなにんぎょうは
ひのひかりをうけてゆめのようなちいさなよいかぜをかんじていた
じっとべっどにねころがったまま
みなみからのかぜしかかんじない よきりんじんは
じぶんのいきかたはよいにちがいないといいながら
みなみのかぜをまった
ゆめさめてにんぎょうはきれいなにんげんになった。

 南からの風しか感じないのは、きっと世の中の普通に生きている人々のこと。そして、○○君たちは、にびいろの風に特別の意味を感じる人たち。彼は、そんな普通の人々を「よきりんじん」と呼ぶ。
 そして、そんな広い心を持ち、ぶうとりらの願いを懸命にかなえようと考えたにんぎょうはにんげんになることができた。そこに、○○君の姿が重ね合わされていることはまちがいないだろう。
 そして、次のような文章が続いた。

きいてくれてありがとうございます ちいさいころからのきもちがこめられています

 ここで、おばあちゃんから、いろいろ問いかけがあり、次のような文章が書かれた。


はいしゃとはきをつかうところです じっとしていないといけないのでつかれます てをあみみたいなものでしばられました がまんしました すこしなきましたがじぶんとしてはじょうできでした かえりはきれいなはなのさいているみちをとおりました

 ここで、見学に来られていた先生への説明もかねて、どうやって文字を選んでいるのかなど、尋ねてみた。

じのかきかたは つぎのことばをかんがえてみみでききながら きたところできもちをこめて からだにちいさなちからをいれています いいほうほうです かくときはいっさいみていません かいたあとでみています 

 そして、ここで、自分の力でスイッチ操作をしてもらったところ、どこの行でも止めることができず、スライドスイッチの取っ手を引き続けるということが起こったので、そのことについても尋ねてみた。

てをうごかしているとききとれなくなってしまいます

 ○○君たちがどのようなことをハンディとしているのか、じっくり聞いていくことの大切さを身にしみて思った。
2009年5月24日 00時52分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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にれのはなとみどりのかぜ そして手紙
 高等部3年になった☆☆さんは、こんな願いから始まった。

きいてほしいことがあります
にねんせいのときにじぶんのことばでいいたいことをいってもしんじてもらえませんでした
いいたいことがきいてもらえないのでざんねんでした
きいてほしいことはわたしたちにもみんなきもちがあるということです
ねがいはいいたいことをきいてもらえるようになることです
にんげんなのでのぞみもゆめもあります
じぶんのきもちをきいてほしいです
いいたいことがちゃんとつたえられたらうれしいです
がんばりたいとおもいますがなかなかむずかしいです

 昨年、仲間たちにも言葉があると思うから、学校に来てほしいと訴えた彼女の思いは、もちろん変わることはない。残念ながら、彼女の思いには応えられないまま、彼女の学校生活最後の1年が始まった。
 ここで、話は違う方向へ舵をきる。

しをきいてください

ちいさいにれのきに ちいさいはながさき
ひとりぼっちのわたしにもはるがきた
にれのはなはじぶんのようにうごいたりはなしたりすることもないけど
みどりのかぜにふかれながら
だまったまま らくえんのようなわかいりそうにあふれている
にれのはなも わたしも りそうはひとつ
よいかおりをはなつこと
にれもわたしもきぼうにみちて
ゆめをかなえようと みどりのかぜにいのりをささげる
ちいさいはなと ちいさいわたし 
みどりのかぜにふかれながら
みどりのかぜとひとつになる

 新緑の季節にふさわしい、にれの花と緑の風の詩だ。ここで、お母さんから、にれの花をどうやって知ったのかという質問が投げかけられた。

にれのきはじぶんでそうぞうしたきです なにかのうたできいたけどみたことはありません
なまえがきにいりました ざんねんながらみたことはありません
ふしぎなはなです いいかおりがしていいきもちにさせてくれます

 そして、この間、友だちから手紙をもらったけれど、返事を書きますかと再びお母さんからの問いかけ。すると…、

かきます
ついこのまえおわかれしたばかりだとおもっていましたが もうはんとしもたってしまいましたね
びっくりしました いいりかいしゃがいてじのべんきょうができるようになったとは
にねんせいのときはきいてもらうこともむずかしかったけど 
よかったですね きいてくれるひとがあらわれて
みんなおなじねがいをもっていきていますが なかなかねがいをかなえられずにいます
ゆめみたいですが ちいさいときからにんげんらしくわたしたちはいきようとしてきましたが
ふしぎとそうならずにいかされてきました
これからはきいてもらえることをいきがいにしてがんばりましょう。

 この手紙が書かれていくのをお母さんは真剣に見つめておられた。お母さんに内容を確かめると、どうやら、手紙をくれたのは、普段学校でケアルームで食事を取る際に顔を合わせている友だちだから、手紙はその友だちが相手だとちょっと食い違うないようだとのこと。そこで、車いすから降りた☆☆さんに、手で尋ねてみた。
 するとこれは、想像して書いたものだという。手紙を書こうと思った時に、浮かんだ想像の世界をそのまま言葉にしたものらしい。そのことを受けてもう一度読み返してみると、そこには、切ないばかりの願望がこめられていることがわかった。
 「きいてもらえることをいきがいにして」がんばれるような時代が、早く来ることを、いや、早く作り出していかなければならない。
2009年5月24日 00時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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