今年度も青年学級の通常の学級活動が始まった。言葉の問題を真正面から取り上げた今年のわかそよは、無事成功させることができた。青年学級にパソコンを持ち込んで障害の重い人の言葉の世界が開かれて、ほぼ1年。いろいろなドラマがあったが、Sさんには、どうしてもきちんと迫りきれなかった。そのSさんと、久しぶりにゆっくり一日過ごすことができて、ついにSさんの気持ちに迫ることができた。
Sさんは、自力で歩行もできる方だが、コミュニケーションが対へむずかしいとされた方で、行動の面でも、心を落ち着かせるためだと思われるが、ティッシュペーパーやペットボトルなどをとろうとして、周囲の状況にまるで関係がないようにそちらに向かって突進していくようなところがある方だ。彼から話を聞き取れた今となっては、それが必ずしも彼自身が納得して起こしている行動ではなく、勝手に体が動いてしまっていたわけだが、それらをすべて彼の意図と見なしていた時には、彼をどう理解したらいいのか、本当に途方にくれていた。
私たちの関わりも、いきおい、彼の行動を止めることになりがちで、関係をうまくつくれないまま、ずいぶんと長い時間を過ごしてしまったように思う。
そんなSさんに、今回は、手をとってあかさたなと尋ねていく方法で、コミュニケーションを図ってみた。すると、これまでのずれがうそのように、彼は、次々と気持ちを語っていった。その中で、くりかえし語られたのは、彼が以前通っていた通所施設にまた通いたいというものだった。実はその通所施設は今はもうない。なぜなら、彼が今通う施設は、その通所施設が、他の施設と合併して新たに生まれた施設だからだ。その以前の施設には、私も若干関係していたので、その施設のすばらしさ、そして、Sさんがその施設でどれだけ穏やかに過ごしていたかは、実際に目撃してきた。しかし、もうその施設が発展的に解消してから、もう何年も経過した。それでも、彼は、その以前の通所施設のことを語り続けたのだった。(残念ながら手で聞き取ったので、書き留めなかった部分は記録としては残っていない。)
今回の活動は、作品つくりコースだったが、次回七夕が近いので、笹に願い事を書くということになったので、Sさんに願い事は何にするかと尋ねてみた。すると、さっそく、
「○○(かつての通所施設の名前)がわたしたちのためにまた始まりますように」という願いごとを書いた。
ずっと言葉を語るチャンスを持たなかった彼が、長い沈黙の時間の中で、ずっと願い続けてきたことだったのだ。
また、一つだけ、書き取った言葉がある。それは、Sさんに詩を書いてないか尋ねて答えたものである。それは、次のようなやさしい詩だった。
春の風が吹いてきて
ゆめがいっぱいふくらんだ
よい私のために 風が夢を運んでくれた
夢をかなえるために 私は勇気を出して
私のために夢を育ててきた
私の夢は私だけのもの
勇気を出して夢を育てよう
私の夢はよい夢
私の夢は私だけの夢
私の夢は私のゆいつのよりどころ
よい夢を育てて 夢をかなえよう
私の夢はよい夢 私の夢はよい夢
夢を育てて 夢をかなえよう
帰りに迎えに来られたお母さんの前で、一緒に会話した。
母さん、いつもありがとう。母さん、やっと理解してくれる人が現れたよ。
突然のことにお母さんも驚かれていたが、彼の言葉を、しっかりと受け止めていただけた。
今年は、たくさんSさんと語り合えそうだ。
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2009年6月26日 06時26分
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青年学級 |
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大学の授業で、今年3月に学校を卒業した男性方が、同い年の学生に話をしてくれた。この授業では、学生と同世代のゲストは3人目になる。一部の学生は、慣れもあってなかなか私語をやめない。注意をすると雰囲気も悪くなるし、いくらなんでもやむだろうと考えて、特別の注意もせず、話を始めていただいた。
わたしのなまえ○○○▽▽▽▽といいます。
名前はいいですが、不自由な体で見たとおりの体です。自由に言いたいことが言えないので、自分の気持ちを伝えることがむずかしいです。
聞いてほしいことがあります。自分たちは、見た目で判断されるので人間として認められないことがあります。びっくりされるかもしれませんが、小さいときからぼくらは人間扱いされてきませんでした。
(一部の学生が私語をやめなかったことに対して)
なぜ話を聞いてもらえないのでしょうか。残念です。小さい時からなかなか自分の気持ちを聞いてもらえなかったので慣れていますが、ない機会なので、大事にしたいと思います。
自分にとってびっくりすることは、分相応の生き方をしていても、禁止されることが多いことです。ぎちぎちの決まりやずっとぞんざいに扱われてきたことで、なかなか人を信じられなくなっています。自分にとって小さい頃のみなさとの記憶が早くなくなればもPっと素直になれると思います。小さい頃のいい思い出がなかなかありません。小さい頃からみんなからばかにされたり人間扱いされなかったので、人間として聞いてほしいです。人間らしく生きようとしてもなかなかまわりは理解してくれません。人間として扱ってほしいです。小さい頃からのどうしても果たすべき夢でした。
みなさんはなぜ学校で勉強しているのですか。びっくりするかもしれませんがぼくは学校で何も教えてもらえていません。小さいときからずっとそうでした。小さいとき―眠っている人がいるのがいらいらして話せません―から話せなくてみんなから無視されてきたことがつらかったです。みんなも勇気を出して言いたいことを言ってください。小さいときからの疑問でしたから聞きたいです。
びっくりしているのですか。なぜ何も言ってくれないのですか。
(学生:学校ではどんなことをやっているのですか?)
歌とか感触遊びとかずっとやってきました。みんなが幼稚園の時にやっていたものです。
(学生:今まででいちば楽しかったことは何ですか?)
自分の気持ちが言えたことです。願いでしたから、気持ちを聞いてもらえるとは思いませんでした。びっくりしました。そんなことができるとは思いませんでしたからうれしかったです。人間として認められたような気持ちがしました。自力で話せるようになりたいです。小さい頃からの夢でしたが、なかなか信じてもらえません。学校の先生は、信じてくれませんでしたから。きびしいです、生きるということは。学校には行きたかったです。普通の勉強がしたかったです。分相応の生き方でも、ぎちぎちなのはいやです。みんなと同じ勉強がしたかったです。(学生:将来の夢はなんですか?)
将来の夢は夢に過ぎませんが、一人で生きていくことです。唯一のゆめです。だけどむずかしそうです。ぎちぎちの世の中ですから。
今日はいい機会を与えていただいてありがとうございました。自分の気持ちを人前で話したのは初めてです。自分の気持ちを聞いてもらえてありがたかったです。なかなかうまく話せなくてすみませんでしたが、よい時間をありがとうございました。
けっして学生にはただ耳障りのよい話とは言えなかった。私語や居眠りをきっちり指摘する強さは頼もし限りだったが、生まれて初めて人前で語る自分のことを、本当に受け止めてもらえるのかと不安に思わざるをえないこれまでの日々を思うと胸がいたんだ。
途中私も、対等ということを学生に語った。
これまでの歴史は、目の前の学生たちとあまりにも違うが、○○○さんを受け入れる同世代の対等な存在が、彼に自信を与えてくれたにちがいない。
研究室にもどり、リラックスした雰囲気の中で、彼には詩を書いてもらった。次の通りである。
いい風が吹いてきて
においのいい風とぼくのハーモニーが
どこからともなく聞こえてきた
人間として初めて認められた
願いを携えて分相応の道を生きていこう
小さな頃の緑と白の交差する道を
南に向かって歩いていこう
別々に夢を見てきた私たちが
ここで一つになり
別々のよい小さな願いを分かちあいながら
じっとあしたを待ち続けよう
別々の時間が一つになり
別々の夢が一つになるとき
人間として生まれたことを誇りに思いながら
未来に向かって道を切り開いていこう
人間として生きながらえるだけではなく
一人の人間として生きていきたい
ぬいぐるみのような生き方に沈黙させられるのではなく
人間として誇りをもって生きていきたい
願いはびりになってもいいから普通の学校に行きかった自分もいて
夢いっぱい見ながら 今日まで生きてきた
自分の夢だけではなく 仲間たちの夢をともに理解しながら
人間としての道を切り開いてきた
夢は広がって 夢としてずっと小さな光を放ち続けているけど
小さい頃の夢は自分一人ぼっちの夢ではなく
分相応ではあっても仲間とともに見る夢だ
別々の夢が一つになって小さな光を放った
別々の夢が一つになって見知らぬ世界を開いてくれた
小さい人間でも願いは同じ 誇りを持って生きること
小さい人間でも願いは心の中で よい光を放っている
小さい光かも知れないが 光は永遠の光として心の中でかがやき続けている
自分と仲間のために きっといつまでも
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2009年6月19日 01時53分
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大学 |
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兄が物語を作り、弟は詩を作っている兄弟のもとを訪れた。手を使っていろいろ話したあと、兄がさっそく物語を聞かせてくれた。
にぶくいやなおとがして ききみみをたててきいていたきつねは ごめんなさいとあやまった
きいていたみせのしゅじんは こらっとおおきなこえをだして じっとずるがしこいきつねをとらえようとすると みずのいっぱいたまったぼこぼこのばけつを しずかにしずかにおとをたてないようにとりあげると ねらいをさだめてなげつけた
ちいさなひめいがれいきをひきさいておこり にんげんがそこにたおれていた みしらぬひとがたおれていたので じかんがわからなくなったてんしゅは みたことはみたけれどじしんがなくして ちいさなきつねはふしぎなわいんになってしまいました
ずっとちいさなきぼうをすてないようにいきていき なんといいかおをしているのかとずっといろいろかんがえていました
きつねがいなくなったあとにんげんがたちあがって りかいできないようなずっとさいごまできこえるおおきなこえでいいました
きついからだできょうまでいきてきたけれど これでおわかれですといいました
いいうたがきこえてからぬいぐるみのじぶんしかみていなかったことをふどうのことばとしていきますといいました
のぞめばかなうとわかりちいさいみがなればいいとさとりました
きつねのすがたはかりのすがたです
ちいさいときにきつねにかえられただけです
ゆめをみていただけかとかんじたけれど ほんとうのことだったのだとおどろきましたといいました
きつねつきみたいでしょう おもしろいかどうかしんぱいです
不思議な物語だが、この物語にこめられた彼の思いは、わかるような気がする。
そして、弟はまず、詩を綴った。
ちいさいねがいが ちいさくひらき
やさしいすがたの やさしいゆめが
ねがいのはなを ひらかせた
なやみをわすれない よくみるとべつべつのはなびらでできたみずべのはなが
むかしのおもいでをなくさないようにとさきほこっている
においのいいはながさき
るりいろのはねをしたとりが
ねがいのびんかんなろうそくがともったけうなそらをとびかい
ゆめにみたされたぼくのように
ときをこえてかぜによばれながら
ぬいぐるみのじんせいにわかたれをつげて
みたこともないそとのせかいにたびだとう
そして、歌を作っていないかと尋ねたところ、次の詩を綴り、その後、メロディーを聴き取らせてもらった。
ゆめをしずかにそだてたい
ゆめをしずかにそだてよう
ゆめがしずかにそだったら
ゆめをしずかにわかちあい
ゆめのゆうきをわたしはもらう
ゆめのゆうきをしっかりもって
ゆめのわたしのわたしをすすむ
ゆめのわたしがすすむみち
ゆめのだいちをかけめぐる
兄は高校生、弟は中学生。もっともっと彼らのこんな姿を、まわりの人たちに知ってもらえたらと思う。

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2009年6月10日 01時00分
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家庭訪問 |
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ダウン症と呼ばれる障害は、障害をめぐる議論には頻繁に登場するよく知られた障害だ。私も、沢山の方々に出会い、特に青年学級では、長期にわたって、そのように呼ばれる方々とつきあってきた。(もちろん、一人一人は、名前とその名前が指し示す個性溢れる一人の人格であり、こうした障害名で人とつきあったりすることははい。)そして、その中には、非常に寡黙な人がいることもよく知られているが、そんな人たちが、言葉を秘めていたという事実は、ほとんど省みられてこなかったのではないだろうか。
先日、発語もなく、座位をとることも困難なダウン症呼ばれる高校生○○さんのお宅を訪問した。私にとっては、青年学級で文字を綴った2人の寡黙なダウン症の方の存在が、大きな支えだった。
お茶とケーキをごちそうになって、さっそく、パソコンを開いた、目の前の彼が本当にできるのかどうか、目の前の状況だけではまったく判断できない。しかし、私はそんな自分のあいまいな判断などとうに捨て去った人間だ。やるしかなかった。
名前を書いてと頼むと、確実な手応えが返ってきた。そこで、自由に書いてもらった。
いいすいっちですね いいきもちです きもちいいかけるとはおもわなかった
(家族にメッセージはありますか?)
いつもありがとう いいかぞくでよかった
じぶんのきもちがいいたかったけどいえずにこまっていました きもちがいえてうれしい しんじられないじをしっていることがなぜわかったの びっくりしました
きいてほしいことがあります にんげんだからきもちがあります きいてくれてありがとう ちいさいときからはなしたかった いいおかあさんとおとうさんがいてよかった
ふしぎです なぜちからをいれていないのにわかるのですか
(○○さんは何をしていますか?)
ここだとおもっています
(字をどうやって覚えましたか?)
おかあさんがえほんでおしえてくれた いいうたがありました さっきょくしゃはかあさんです おかあさんがよくうたってくれました
りかいしてくれてありがとう
こうして、どんどん文章を綴っている間も、彼の手は落ち着かない。まるで、いやがっているようにさえ見える。しかし、決定的に振り払われるわけでもない。そこで理由を尋ねてみると、
もたれるといたいかんじがする
という答えだった。
ちいさいころはないてばかりいたけどないてきもちをあらわしてもつたわらないことがわかったのでなかないことにしました
これは、お茶をいただいている時に、お母さんと3歳下の弟さんが、話してくれたことを受けたもののだった。
いいにくいことだけどかあさんしずかにみまもっていてください ぼくはきっといいおとなになってみせます にんげんとしていっしょうけんめいいきていきたいのでりかいしてください
さぎょうしょはいいところがみつからない ちいきでいきていきたいけどどうすればいいかこまっています ふくしえんでもいいけどじぶんのきもちをりかいしてくれるかしんぱいです いいりかいしゃがひつようです
びっくりしました これまでだれもぼくがいろいんなことをりかいしているとはおもわなかったから
見守ってほしいとは、卒業後の生活のことだった。ここで、体の動きについていくつかお母さんンが質問された。
(あごをたたくのは起こっている時?)
おこっているわけではありません からだがかってにうごくだけです ちいさいときからからだをうまくつかえなくてこまっていました
(手を口に入れているのは何か意味があるの?)
いみはありません
(帽子をいやがるけれど…)
ぼうしはきらいです いやです
(何でも口に持って行くのはなぜ?)
かってにうごいてしまいます かってにくちにいってしまいます
(口に持って行くタオルは?)
たおるもいらないです ゆびもかってにいきます
私たちが長い間解けなかった疑問がこうして、当時者の証言によって、今、少しずつ明らかになっていく。」
かあさんにはもっとずっとこのままげんきでいてほしいです いいかあさんだからじぶんのじかんをもっとだいじにしてください さかんにかあさんをりようしてきたからもうしわけないです
とうさんだいすきです なかなかやすめないのでからだにきをつけてください
ほんがすきです よんでくださいおねがいします ものがたりです
(テレビは見えるの?)
みえません
(めがねをかけてみる?)
かけてみたい がんばります
(二択の問いは困っていませんか?)
にたくはこまります かってにからだがうごきふざけているといわれてしまいます
(音楽は?)
きくのはだいすきです きいているときもちがおちつきます きいているとかんどうします
(歌詞もしっかり聴いているよね?)
きいています
そして、詩を作ったことはあるかと尋ねたところ、次の詩が綴られた。
じっとかぜにふかれていると むかしのことをおもいだす
じっとかぜにふかれていると きれいなこころがわいてくる
ちいさいぼくはかぜにふかれてくなんをちいさなしあわせにかえる
いいちいさいぼくはかぜにふかれてじぶんがみとめられるひがくることをゆめみている
きれいなかぜがふいてきてぼくのねがいがかなった
みらいがあかるくひろがって
さかんにじぶんがちいさなこころできれいなゆめをいのりながら
きれいないのちのじぶんをねがう
いいしでしょうか
みとめられてうれしいです
手を振りながらの会話も合間に含めて、たくさんの言葉をやりとりできた。
3時間という時間があっという間に過ぎていった。よい方とよい家族に出会えた、そんな思いで家路についた。
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2009年6月7日 18時14分
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授業のゲストに、私の授業の常連の利光徹さんにくわえて、高校3年生の☆☆さんに来ていただいた。いつもは、利光さんがお一人で話されるのだが、今回は、まず、☆☆さんにパソコンで話をしてもらった。今年の1月に初めて気持ちを表現できるようになった☆☆さんだが、自分より1歳上の学生たちに堂々と語りかけた。
きいてほしいことがあります
ひいでたにんげんではありませんがわたしのきもちをきいてください
びっくりしたかもしれませんがびんかんにかんじとってくれるのでわたしのきもちをつたえることができます
じぶんのきもちをきいてもらえるようになってはんとしがすぎました
にんげんとしてみとめられてうれしいです
びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか
みんなのめにはどううつりますか
なやみはちいさいときからずっといいたいことがいえなかったことです
ちいさいころからきもちをいいたかったけどなかなかかないませんでした
ゆめはきちんとしたにんげんとしていきていくことです
にんげんとしてきちんとしたいきかたをしたいとおもいます
きいてほしいことがあります
きちんとしたせいかつをするためにはちいさいときからがっこうでべんきょうをしなくてはいけませんがなにもがっこうではおしえてもらえないのでしんぱいです
なぜがっこうのせんせいはおしえてくれないのでしょうか
じぶんではなにもすることができないのでべんきょうをしたくてもできません
じぶんのきもちをきいてくれるせんせいがほしいです
むずかしいかもしれませんがじぶんのきもちをわかってほしいです。
話し終えて、学生から、字はどうやって覚えたのかという質問が出された。
じぶんでおぼえました
また、彼女からの「びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか」との問いかけに対して、ある男子学生は、かわいいと思います、と応えた。
こうしたやりとりの後、大先輩である利光徹さんが、自立生活をする重度の身体障害者の立場からコメントをくわえる。このままの自分をしっかりと受け止めていくことの大切さや、このままの自分で何が悪いのかという気持ちを持つことの重要性を語り、さらに、夢は幻想とはちがい、かなえるためのものであるということ、そして、夢は今、まさに始まったばかりだということを☆☆さんに語りかけた。
利光さんの話の最中に何度も、にっこりと笑っていた☆☆さんの姿に、この出会いが深い意味を持ったことを確信した。
授業の後、研究室で、利光さんと☆☆さんを囲んで数名の学生と語り合った。
学生たちは、まず、☆☆さんの手をとって言葉を聞き取ろうとした。好きな色、好きな天気など、学生たちは、質問を工夫して、答えを読み取ろうとし、いくつかの文字を聞き取ることに成功した。
そして、お母さんは、ご自分ではなかなか気持ちを聞き取ることができないので、いくつかの質問を用意されていた。
その中に、「どんな勉強をやりたいか」ということがあった。そして、その答えは、
びっくりすぎるぐらいむずかしいことがやりたいです
たとえばみんながやっているようなべんきょうです
(みんなとは?)
だいがくせいです
(どんな計算ができますか?)
325÷5=65
いつもかんがえているからわかります
(もっと知りたいのは?)
しょうすうのわりざんです
にんげんとしてげんきにいきられることがまなびたい
だけどむりしないでください
ぬいぐるみのことをかんがえたらもうじゅうぶんにしあわせですから
ちいさいゆうきがほしい
そして、お母さんから「今、ほしいものは?」という質問があり、次のような答えが返ってきた。
ちいさくてもいいからでんどうくるまいすがほしい
じぶんでできないかもしれないのでじぶんでじぶんにむかしのゆめをわすれないようにするためにほしい
今度電動車いすに挑戦してみるという話をお母さんがしておられたが、そのことをめぐる気持ちだ。かなわなかもしれない夢だけど、その夢を忘れないために、小さな小さな電動車いすのミニチュアがほしいということのようだった。
そして、数日前に、ディズニーランドで、人形がほしいということを言ったとのことで、そのことをお母さんが尋ねると、
のぞみはねがったとおりにならなくてもずっとびじんになることでした
にんぎょうはそのかたちです
にんぎょうといったのはとくになにかをのぞんだわけではなくにんぎょうのことをかんがえただけ
授業の時、「びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか」という言葉が、突然深い意味を持った言葉として思い出された。夢がすべてかなうわけではないことをしっかり見すえながら、その夢を持ったことを大切にしていきたいという切ないばかりの思いが、その言葉の裏にはあったのだ。
最後に、一つ、詩を書いてくれた。
にんげんとしてうまれていきてきて
ねがいをたくさんもちつずけ
ゆめをたくさんゆめとしてもちつずけ
じぶんのひかりをふだんからむずかしくてひからせられず
ふつうのがっこうにいくこともできずにいきてきた
でもちいさいわたしにりかいされるひがおとずれた
ちいさいひかりだけどちいさいひかりがさしてきた
らんぷのようなひかりをねがいとして
りかいされたよろこびをゆめとして
このせかいにうまれたことをよろこびとしていきていこう。
さらにこのあと、みんなで夕食に出かけたが、その席で、利光さんは、改めて、「夢は始まったばかりだ」と、彼女に、再び語りかけた。大学での新しい試みが、☆☆さんたちの夢の実現に少しでも役立てば幸いだ。
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2009年6月7日 00時23分
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通園施設でお会いして、その後しばらくお会いできなかった☆☆さんをたまプラーザキャンパスにお呼びした。
研究室には今年入学したばかりの新学部の一年生が、新しく作るサークルのことで集まっていたが、そこへ、合流した。楽しく談笑する若者たちの輪に、そのまま入ってもらいたいと思ったので、私からの紹介や説明は最小限にして、さっそくパソコンを開き、☆☆さんに話し始めてもらった。残念ながら、途中で、ワープロのプログラムが想定していた文字数(999文字)をオーバーしたのでプログラムが終了して、せっかく書いた文章は、消えてしまったが、そこに綴られたのは、大学生に向かって語りかけられた生き生きとした言葉だった。
どんな勉強をしているのかなど、いろいろ尋ねていくうちに、彼女が、「ほんねでいって」という言葉を繰り返し始めた。彼女がいったい何を言いたいのか図りかねているうちに、「例えば伝染病の人をさけるでしょう。私はずっとさけられてきた。」というようなことを語った。これまでの人生の中で、同世代の若者と対等に言葉を交わしたことのない彼女は、まったく、普通に話しかけてくる学生たちにかえってとまどいを感じたようだった。彼女のこれまでの経験では、人は、自分をさけるはずなのにというわけだ。
これまで、実際のゲストや映像を通して、そして、直に目の前でパソコンで普通に語る彼女を見て、学生たちには、たとえ、車いすで、パソコンを使って会話をしていたとしても、自分たちと同じように考えている同世代の若者がいるだけだと感じたようだった。
このずれは、ある意味でうれしいずれでもあった。☆☆さんにとって、初対面でいきなり対等に話をしてくる相手に初めて出会ったことを意味していたからだ。もちろん、対等と言っても、これまでの歴史や今置かれた状況は、明らかにちがう。彼女はしきりに、自由に勉強できるみんながうらやましいとも語った。しかし、それでも、当たり前のように対等に向かい合った☆☆さんと若者たちの会話は、とてもすがすがしいものだった。
会話の終わり頃に彼女が語った言葉は、以下の通りである。
にんげんとしてにんげんらしいいきかたがしたいです
もっとじゆうにねがい もっとはえあるにんげんとしていきたいです
ずっとさまよっていましたから じぶんらしいちからをみにつけたいです
ちいさいのぞみですが ぶんそうおうにでいいから ぶんそうおうのみらいがほしいです
じぶんにできることはなになのかをしりたいです
かいものひとつできないにんげんになにができるのでしょうか
ちいさいころからのゆめがかなってうれしいです にんげんとしてみとめてもらえてうれしいです
なかなかだれもみとめてはくれませんから にんげんとしてみとめられないことがあまりにおおすぎるから うれしいです
たまたま学生たちはここで部屋をあとにしていった。そこで、私は改めて、詩について尋ねた。彼女は家でご両親とワープロで毎日語っており、その中でいくつかの詩も作ってきた。そして、この日も次の詩を私に聞かせてくれた。
じゆうのかぜがふいてきて
みのたけにあったみどりのかぜが
わたしをびいどろのさきみだれるのはらへはこ
ぶぬいぐるみとしていきてきて
ゆめをのぞみながら
にんげんとしてひのあたるところに
わたしはろうそくのねがいをこもりうたのようにききながら
きょうのひをゆめみていきてきた
にんげんとしてのよろこびも
にんげんとしてのかなしみも
びんかんにかんじていきてきた
にんげんとしてのたましいを
のぞみどおりにりそうをかかげて
むかしのゆめはゆめとして
ゆうきをもっていきていきたい
りかいされたよろこびを
よいねがいにかえて
ふしぎなせかいにあるきだそう
ゆめをつらいひびのよきおもいでとして
きのうのみじかいみじかいもじどおりのみじかいるすばんのように
わすれてしまおう
ゆいいつのゆめであるにんげんとしてのほこりをたかくかかげて
きのうのなみだをゆめにかえて
いきていこう
ちいさいころのいいおもいではいいおもいでとして。
そして、最後の締めくくりとして彼女が書いてくれたのは、つぎのような文章だった。
ひとりではないということがよくわかりました みんなとはなしができてよかったです
にんげんとしてきいてもらえてうれしかったです ちいさいころからのねがいがかなってうれしいです
ずっとねがってきました さいこーです きのうのかなしみにおわかれです
うれしいです ありがとうございました
いいときをすごすことができました
いいつかれかたです
ありがとうございました
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2009年6月4日 06時59分
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自分で歩くこともでき、また、かなり自由に手の操作もできる◇◇君に対して、最初は、タッチパネルを一緒にさわる方法で関わっていたが、前回からこちらがスイッチをどんどんON-OFFして、選択の小さな力を読みとる方法を試してみて、うまく長文が綴れるようになった。
ちいさいときからゆめでした
みんなとはなしがしたいです
びっくりしました
はやくてみてなくてもできるのでらくです
びっくりしました
りかいしてもらえてうれしいです
見ることも、手を使うこともできる◇◇君だが、聞くだけでできるこの方法が楽だということだった。そして、見て文字を指さす方法では、文字の理解が今一つあやふやなように見えてしまうのだが、この方法ならば、こうしてすらすらと長い文章を書くことができる。なお、彼は、明確な発声はできないが、はいといいえは明確であり、自分の思い通りの文字が選べないと、本当に残念そうな声を出すので、ある意味では非常にわかりやすい少年だ。そして、次のような言葉を綴った。
みらいがひらけてきました
みらいがあかるくはじまりそうです
みらいがねがいどおりになりそうです
みらいがたのしみです
みらいがゆめのようにひろがってきました
「みらいが」と繰り返される言葉のリズムが、◇◇君の独自のリズムであるように感じた。
ここで、ひらがなの理解について尋ねてみた。
ひらがなはぜんぶおぼえましたがかくのはたいへんです
さがすのはかんたんです
ゆびさすのはたいへんです
ちいさいころからみんなとはなしたかった
さらに、お母さんについて尋ねてみた。すると、さらさらと、お母さんに対する、素直な思いやりを表現した。
おかあさんいつもありがとうございます
ぼくのことでいつもいそがしくてごめんなさい
じぶんのじかんをだいじにしてください
にちようびはあそびにでかけてください
にちようびはおとうさんがいるのでだいじょうぶです
ぼくひとりでるすばんをします
そして、何度も繰り返される次の言葉が再び登場する。
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
みんなとはなしたい。
ここで、詩を作ったことがあるかと尋ねると、力強くうなづいて、次の詩が書かれた。
ゆめがかなって ひかりがさした
ゆめがかなって やっとゆうきがわいてきた
ゆめがかなって りそうのかぜがふいてきた
ゆめがかなって ねがいのはながひらいた
ゆめがかなって ろうそくのひがともった
ゆめがかなって りそうのもんがひらいた
ゆめがかなって みちがひらけてきた
ゆめがかなって ゆきのようなかぜがふいてきた
ゆめがかなって ひとりぼっちではなくなった
ちいさいぼくは ゆめだけをだいじに
りそうをもとめて いきてきた
みらいのゆうきが ひつようだ
みらいのものがたりが よろこびだ
みらいのみのりが ひつようだ
みらいのびとくが ひつようだ
みらいのみちが ひつようだ
みらいのぼくには わずかなわずかなゆめが
こころのなかからわいてくる
みらいがあかるく ひろがって
りそうのかぜが ふいてきた。
ゆき いのり
ゆき ねがい
ゆき へいわに
ゆき よいいのち
ゆき きぼうを
ゆき ゆめを
ゆき りそうを
ゆき みらいを
ゆき ちいさなぼくに
ゆき ねがいをかなえ
ゆき よいじんせいを
ゆき べんりなせかいを
ゆき わかちあう。
独特の反復によって広がっていく◇◇君の詩の世界は、本当に個性的だ。
また、算数についても自分でわかる問題を作って解いてみてとお願いした。
296+54=350
かんがえたからわかる
だれもおしえてくれないのでじぶんでおぼえた
42÷6=7
くくもひとりでてれびでおぼえた
665÷5=133
222÷2=111!
555÷5=111!
そして、665÷5は、一度まちがえてしまったが、あとは、正解。横にいるお母さんは、ただただ驚いていらっしゃる。
そして、遊びのように英語を書いたあと、分数を教えてほしいと言われた。
BOOK ほん
ぶす(=分数)をりかいしたい
おしえてください
ちょうど、その場にあったホワイトボードを使って急遽、分数の基本的な「授業」をした。そして、感想は次の通り。
ぶんすうのいみがわかりました
うれしいです
みらいがひらけてきました
ふつうのべんきようがしたかったけどおしえてもらえなくてかなしい
がんばってりかいしたいとおもいます
びっくりしました
りかいできてうれしいです
ちいさいころからのゆめでした
最後に、タッチパネルに換えて、50音表を手を添えることで、指さして、次のような文章を書いて、この日の関わりを終えた。
しあわせ だいじにされて
じぶんでやれたらうれしい
かあさんいつもありがとう
あたたかいはな いっぱいあげたい
はな あげたい
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2009年6月3日 11時50分
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自主G多摩3 |
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緑の風の歌を聞かせてくれた☆☆さんの次に訪れた○○さん。2人は同級生で、ともに、4月から社会人になった仲間だ。さっそく、☆☆さんの緑の歌を朗読した。そして、○○さんの文章が始まった。
みどりのかぜはわたしもだいすきなことばです
ふしぎです みんながおなじことをかんがえているのが
みどりのかぜのしはわたしもつくっています
にんげんとしてみとめられたいからちいさいときからつくってきました
ここで、スイッチ操作について質問がきた
ふしぎです ちからをいれていないのにどうしてわかるのですか
ゆめのようですみんなもできるのですか
そこで、逆にどうやっているのかを問いかけてみた。すると答えは次のような明快な答え。
じぶんのいいたいことをかんがえて じをまっていて
きたらここだとおもうとじがえらばれていきます
ちいさいころからのゆめでした
そして、次の言葉とともに、詩が綴られた。
きいてください わたしのしを
みどりのかぜがちいさくふいて
みどりがだいちにみちあふれ
しずかにしずかにゆめがかなう
みどりのかぜはちいさいりそうのはなをさかせ
にんげんとしてうまれたことをりそうとして
みどりのかぜはりそうのみのりをわたしにもたらす
にんげんとしてうまれていきてきて
ねがいをたくさんもちながら
みどりのかぜをびんかんにかんじながら
ふだんからちいさいゆめをたくさんもちながら
みどりのかぜをまちつずけてきたけれど
みどりのかぜはなかなかふいてくれなかった
るすばんをしているおんなのこのように
みどりのかぜをまちつずけ
みどりのかぜはようやくわたしのもとにもおとずれた
にんげんとしてのほこりをりそうとしながら
ちいさいときからちいさいゆめをたくさんもって
ゆめをたくさんかなえることはできなかったけど
みどりのかぜがふいてみらいがあかるくひらけてきた
りそうのかぜをゆうきとともにかんじながら
いいじんせいをいきていきたい
にんげんとしてわたしをみとめてくれるひとたちが
ちいさいときからいたけれど
びじんになりたいとねがいながらいきてきたけれど
ゆめをかなえることはずっとこんなんだった
ひとりでちいきでいきていき
ひとりでべんきょうして
みんなをしあわせにしたい
りそうのみどりのかぜにまもられながら
わたしはそらたかくかけのぼりたい
にんげんとしてのきぼうをゆめみてきて
ひとからなかなかりかいされずにきて
りそうどおりのゆめをかなえたい。
☆☆さんとは、また、ひと味違う緑の風の詩だった。
ここで、一緒に来られていたお姉さんから、いろいろな質問が○○さんに投げかけられ、次のような文章が書かれた。20歳を前にした女性として、当たり前の思いが切々と綴られる。
かみがたはもうすこしながいほうがいいです
もうおとなだからながいかみのほうがいいです
めんどうならいいけれどいちおうきぼうをいってみました
びじんになりたいですからおねがいします
じぶんとしてはおねえちゃんぐらいながくしたいです
ふつうのおんなのこのようにおしゃれがしたいです
みんなおけしょうをしたりきれいなようふくをきたりしています
ねがいはいいじんせいがおくれることです
おとうさんはきをつかいすぎです
みんなみうちなのだからみとめあっていきたいです
おかあさんにはいつもかんしゃしています
ゆいいつきぼうがあるとしたらいいふくをきてきれいなかっこうをしてください
ちいさいときからわたしのことでいそがしくてそんなゆとりがもてなかったから
きっとおねがいです
ちいさいころからふつうのかっこうをしたかったけどかないませんでした
ねがいはにんげんとしてびじんになることです
みんなもきっとおなじです
ちいさいころからのゆめでした
みんなとはなしがしてみたいです
みんなのきもちがきいてみたいです
みんなのきもちをちいさいころからしりたかったです
はいけいということばがありますがみんなのきもちのはいけいがしりたいです
ちいさいときからのねがいでした
ちいさいころからのゆめでした
みんなとはなしがしたいです ねがいでした
ちいきでくらしていきたいですがなかなかむずかしそうです
ひとりでくらしたいとおもいますがむずかしそうです
ゆめですがかないそうにありません
ねがいはゆうきをだしてひとりぐらしにちょうせんすることです
りそうのじんせいをいきたいです
当たり前のことをしっかりと書く○○さん。こうした当たり前のことが当たり前のこととしてかなう世の中が、遠くない時期に訪れることを切に願う。そのためにも、こうした一人一人の当たり前の思いを、きちんと伝えていかなくてはならない。
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2009年6月3日 00時34分
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ほぼ1年ぶりに、☆☆さんとお会いした。この春、彼女は高等部を卒業して社会人になっていた。
おひさしぶりですね
こう、挨拶をしていただいたかと思うと、いきなり彼女は詩を綴り始めた。
にびいろのそらのしたで
きたのしろいだいちから
じめんのみどりをさらさらと みずがながれて
びぼうのむすめがあゆんできました
にんぎょうのようなめをして
にんぎょうのようなかみをかぜになびかせて
みどりのかぜにふかれながら
にびいろのそらをすいすいととぶとりのように
にいさんのようなりりしいすがたをしたゆうかんなけんしが
ねがいをかなえるためにやってくる
きぼうにみちたりそうのぼくは
ようきにわらいながら
みちのみらいにむかって
ゆめをいだいて あゆみつずける
りそうのかぜがふいて
みちのみらいにゆめがあふれ
ずっとよびつずけて ぼくをまねく
ゆうきをもらって
みじかいねんげつを くとうしてきたけれど
ながいやわらかいゆめのようなみらいのじかんがつずくことを
ぶんそうおうとしながらも
ねがいつずける
いいどんなにれんごくのようなひびがつずこうとも
ぼくはりりしくあゆみつずける
そして、次のような言葉が添えられた。
きぼうにみちたみらいがくることをねがってつくりました
ちいさいころからにんたいしてきたので みらいはあかるいとねがっています
じぶんのきもちがいえるとはおもわなかったのでうれしいです
また、彼女はこの1年の間に私の援助のスピードが速くなったことをめぐって、私とやりとりをし、次のような言葉を書いた。
ふしぎです いいたいことがすらすらことばになっていきます
びっくりしました
はやいのでのぞみのもじをまっていてここだとおもっています
かんがえをじにするだけだからかんたんです
いいほうほうですね
ここで、詩とは別に歌を作っていないかと尋ねたところ、体中に喜びをみなぎらせながら、「はい」と答え、まず歌詞を書く。
においのいいみどりのかぜが やさしくわたしをつつみ
びいどろのようなかぜが わたしにうたう
びからうまれたわたしのゆめを みどりのかぜがむすんですぎる
わたしはみどりのかぜになり
きぼうのうたを ゆびからゆびへ つたえるために
ゆりのはなをぼうしにさして みどりのだいちをかけぬける。
次にメロディーについて、階名をしいているかと尋ねたところ、返事とともに、次の曲が書かれた。
はい かいめいでかきます
2びょうしです
ドシラソファミ ラソファミララソ
ドレミファミレドレファファミー
ドシラソファミ ラソファミララソ
ドレミファミレドレ ファミレドドー
ラシドレミレドレ ドシラソララソー
ラシドレミレレド レドシドレレドー
ドシラソファミレド ファミレドレ
ドレミファドレミラドシラソラソー
ドシラソファミミファミレドレドレー
ファミレドレレドヒファミレドドー
ファミレドララソーファミレドレー
ドレミソララドミレドレドー
ドレミソララドミレドレドー
オワリ
この歌には、次のような説明が続いた。
ながさはみんなおなじです ふつうにうたってみてください よいめろでいーだとおもいます
びっくりしました うたをききとることができるなんてしんじられません
にんげんとしてみとめられたきもちです
びっくりしました ちいさいころからつくっていましたのでかいめいはかんたんです
ゆめのようです ゆめがかなってうれしいです
みどりのかぜというだいのうたです
よかったらがくふにしてください
ちいさいころからのねがいがかなってうれしいです
みどりのかぜがねがいをかなえてくれました。
楽譜にしてみると、歌詞と合わないところが少しあったが、メロディーは完成されていて、少し、言葉を足して、次のような歌になった。
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2009年6月2日 22時32分
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