新年度になり、6年生になった○○さんは、こんな書き出しから始まった。
ちいさいゆめがかないりかいしてもらえました ゆめでした
じぶんのきもちをきいてもらえるようになりました
そして、長い文章で理解される喜びを具体的に語りその先生の名前を書いたあと、
りそうのせんせいです わたしがそうぞうでつくりました
という文章がそれまでのすべてを覆すように書かれた。以前このことで、激しく感情を高ぶらせて訴えてきたことのある彼女は、今回は、さっと、次の言葉に移っていった。
しをつくりましたきいてください
そして、書かれた詩。
にんげんとしてうまれいきてきて
りそうをたいせつにいきてきて
ゆめをたくさんつむいできて
ほんとうのべんきょうをもとめながら
べんきょうのれんしゅうもできず
りかいされないことにもなれて
ひとりぼっちでいきてきた
みらいはもっとひらけていることを
ちいさいゆめとしてねがい
みらいのりそうとゆめを
ひろがるそらのように
ほんとうのねがいとして
ねがいみたこともないようなりそうを
らんぷのようにともしながらいきていこう
わたしのかのうせいがひらかれるひをめざして。
この後、私は、歌を作ったことはないかと尋ねた。すると「ある」という。そして、次の歌詞とが綴られた。
ねがいのはながひらいたら
わたしはそらにまいあがる
ねがいのはながひらいたら
ゆめをおおきくひろげよう
みどりのかぜがふいてきて
みどりのゆめがちいさくそだち
わたしはみどりのかぜになる。
そして、さらに、音符について知っているかと尋ねると、
しっています しぶんおんぷ とかはちぶんおんぷとか にぶんおんぷなどがあります
そして、階名で書けるかと尋ねると、
かけます
とのこと、区切りには「ー」を入れてもらって、書いたものは、
ドレミソララドシラドレド
ドレミソララドシラドレド
ラシドレドレドミファドレド
シドミソドシラソドレドシド
ミドミラソソミファミレドレ
ドレミラソソドファミレドレ
ドレミラソソドシラシシド
シドレミミファドシラシシド
いいきょくでしょう わたしがいつもくちずさんでいるうたです
始まりは8分音符であることを示す8というのも書いたので、そのまま楽譜にしてみた。若干、言葉の数とあわないところを調整して楽譜にしてみると次のような歌になった。

子どもたちの秘められた世界の奥行きがさらにいっそう広がっていくのを感じる。
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2009年4月30日 19時01分
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女子中学生の○○さんは、将来の自立生活への夢を語った。
きいてほしいことがあります よくわからないことですが みらいのことです ひとりでくらしていけるかなやんでいます ゆうきがないとむずかしいのでしょうか ゆめのようですがひとりぐらしをしてみたいです ゆうきがほしいです みをだれかにゆだねるのはこわいですが わたしのことをりかいしてくれるひととせいかつできたらいいなとおもいます いいじかんをすごせたらとおもいますがむずかしいのでしょうか にんげんだからじゆうがひつようです
現状では、彼女のような人が自立生活をすることは容易ではない。しかし、おそらく、コミュニケーションの方法がもっと広がれば、それも可能なのではないか。そんなことを思い描きながら、話をうかがった。
そして、最近の文字選択の援助のスピードアップについて質問が来たので、反対にあなたは何をしているのでしょうと問い返した。以下はそのやりとりである。
ふしぎですちからをいれていないのにどうしてわかるのですか ここだとおもっています ちいさいときからのねがいでした ゆめでした はやくはなせてうれしいです にんげんとしていきてきてほこりをとりもどしたようなきもちです
言葉を話すことができなくても、人間としての誇りが尊重される社会を作ることが本当は目指されなければならないが、現状は、それとは、ほど遠いのだろう。それは別にして、目の前で、誇りを取り戻した喜びを感じている人に向かい合えているということが、非常に厳かな事実だった。
そして、そういう思いにふさわしい詩が綴られた。
にんげんだからあいしたい ひとを
にんげんだからあいしたい ゆめを
にんげんだからあいしたい なやみを
にんげんだからあいしたい ふあんを
にんげんだからあいしたい みんなを
にんげんだからあいしたい じぶんじしんを
ちいさならくえんでひっそりとくらしていくよりも
きぼうとねがいにあふれるせかいをわたしはこのむ
ちいさいときからちいさいねがいをこころにいだき
にんげんとしていきていくことをつよくねがってきた
にんげんとしてのとうぜんのけんりをみとめてもらえず
わたしはちんもくのなかをいきてきた
みずからのかのうせいだけをしんじて
まるでひのあたらないばしょでたえながら
みんなのゆめはなんですか
きくこともかなわず
ちいさなみみをすませながら
ずっとめだたないばしょで
りそうだけをだいじにしながら
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2009年4月26日 07時56分
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20代の男性との関わり合いで、最初に綴られたのは、次のような切実な思いだった。「みためではんだんされる」というのは、酷とも言える現実だ。まなざし、表情、仕草などで、私たちは多くの勝手な判断をくだす。そして、けっしてそれは平等ではない。明らかに、「損」とも言える判断をされてしまう人がいる。その誤解は、その人の人間の尊厳を奪う方向で働いてしまう判断である。
じぶんのきもちをいいたいとおもってきました にんげんとしてきもちがいいたいです みためではんだんされてつらいです にんげんだからいいたいことがいいたいです
きいてほしいことがあります ちいさいころちいきで なにいれるかなやんでいたときに まちがってふるいつきのざっしをいれてしまい ばかにされてくやしかったです にんげんとしていきたいとおもうのでよくいけんをきいてほしいです みんなもそうおもっているとおもうのでわかってほしいです みんなのいけんもきいてみたいです ねがいはちいきでいきていくことです
彼には、二つ並んだプッシュスイッチを使ったが、体が大きく、腕をとっているとずっしりと重く、また、時折、その手に力が入ってしまうためスイッチの援助がむずかしくなるので、途中、肩にスイッチを押しつけ放すという方法で読み取っていった。そのことをめぐって、こう書かれた。
しんじられませんかたでよみとれるなんて しんじられません じぶんのことばだからしんじないわけにはいきません ふしぎです ふしぎですがじぶんのことばです
また、高等部の頃から、お母さんが、2選択で彼の意志を聞き取ることができるようになった時のことを含めて、次のように語った。
おかあさんにはかんしゃしています みてくれてありがたいです りかいしてくれるのはおかあさんだけです りかいしてくれてかんしゃしていますりかいしてくれたとくのことはわすれられません じぶんのいいたいことをいえたときのことはわすれられません
この方法は、私たちの右手を「1」の意味で人差し指を立て、左手を「2」の意味で人差し指と中指を立て、彼に、二つの選択肢を「1、○○○、2、▽▽▽」と尋ねると、彼が、私たちの手のどちらかに手を伸ばしてくるという方法だ。手が伸ばせる人には、けっこう有効で、他の人にも使わせていただいた方法である。
そして、そのあと、冬には、すてきな渡り鳥の登場する詩を聞かせてもらったけれど、春の詩はありますかと尋ねると、次の詩を聞かせてくれた。
ねがいのはながさいて
みどりのかぜがふき
ふしぎなにおいのはながさいた
ゆきのしたではるをまち
ゆめをだいじにたえてきた
ふしぎなゆびわをしたおんなのこがしずかにあゆみ
ゆめみるようなまなざしでそっとはなをみつめる
はなのかおりをたしなみながら
ふしぎなおんがくをきいているときのように
ゆめをほんとうになるようにねがいながら
みんなでさくことをゆめみながら
はなははなのさくことだけをきにかけながら
ひっそりとさきつずけた
きれいなはなのほんとうのねがいはだれもしらない
「みため」では、絶対にわからない、繊細な、優しい心の世界が広がっていた。
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2009年4月26日 07時25分
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20代の女性との関わり合いで、まず、こんな文章が綴られた。
きいてほしいことがあります りかいしてもらえるひとがみつからなくてこまっています ゆめはだれとでもはなせるようになることですが びんかんにかんじるひととしかはなせないのがざんねんです
はいといいえだけではなかなかつたえきれません やっとりかいされたのでりかいがひろがればいいなとねがっています
そして、頻繁に足を運んでくださる通園施設の方に、次のような文章を書いた。
ねえさんのようなちかさでつきあってくれてかんしゃしています じぶんのきもちをわかっていただいてとてもうれしいです びじんのせんせいでいてくださいね
そして、再び、自分の胸の内の吐露へ。
もっとにんげんらしくいきたいです ひいでたにんげんではないけれど みんなとおなじようにいきていきたいです にんげんとしていきていきたいとおもうのでみらいがほしいです わたしのゆめはらくなしせつでゆうゆうといきていくことです ちいさいときからねがいでした ゆめがかなうとうれしいです
しをつくっていますのできいてください
ちいさなみどりのかぜがふいてきて
ゆきをとかし
りんどうのはながさいた
みどりのかぜはゆいいつのりそうのかぜ
ちいさいかぜだけどふしぎなちからをもち ゆめをはぐくむ
ぬくもりをまつひとびとに ゆうきをあたえ
みどりのかぜはゆきをとかす
びいどろのようなじかんがながれ
びいどろのようなかぜがふき
よきひとをゆうきづけ さきみだれる
はなばなをらくにして
ゆめのようなじかんがながれていく
にんげんとしてうまれていきてきて
はなのようにだまったままでわたしはいきてきたけど
わたしがやっとことばをもち はなしはじめた
ゆうきをだしていきて みらいをつくりたいとおもう
りそうのようなはながさき
わたしはなみだをわすれて
みらいをゆめみる
ひのあたるばしょにりかいされてでてくることができたことを
よろこびとしていきていこう。
冬、多くの人たちが「希望の北風」をうたった。春、「みどりの風」が、多くの人たちの心をうばっているのかもしれない。
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2009年4月25日 23時38分
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学校を卒業し、地域の作業所に通い始めた☆☆さんを、わかそよに誘っている。彼女は、夜の練習にも参加できるので、合唱だけでなくミュージカルにも参加し、しかも、車いすの女性の重要な役にもついた。今回は、小さい時から続けてきた関わり合いの場面でのできごとだ。
最初に、彼女は、まず、一遍の詩を書いた。
はなのようにひろいこころで
ゆめをもちわすれずにいきていきていきたい
わたしにあたえられたみらいは
まったくきぼうがないとおもってきたけれど
ふしぎなことにきぼうにみちあふれていた
りかいしてもらえないくるしみは
ゆうべのひかりとなり
ゆうべのかねのようになりひびいて
にんげんとしてのわたしのあたらしいたんじょうのように
じぶんをはげましてみらいをひらく
みらいはりそうをわたしにくれて
りそうのわたしをやさしくひらく
りそうのわたしはゆうべのわたしではなく
りそうをねがうわたしのすがた
ゆめをひろげゆめをりそうにたかめ
にんげんとしてのちかいをまっすぐにつらぬき
やさしいゆうべのかねのように
りそうをかなえよう。
卒業して、「ぼくはうみがみたくなりました」の映画にも出演し、さらに、わかそよにも参加するというかたちで彼女の世界は確実に広がりを持ってきているが、そのような現在の彼女の状況が、「まったくきぼうがないとおもってきた」みらいを、「ふしぎなことにきぼうにみちあふれ」たものに変えてきたのだろう。
そして、彼女は、次のように思いをさらにつづっていく。
にんげんとしてみとめられたいとおもいます
にんげんとしていきていきたいとおもいます
みのうえよりもきょうのゆめをたいせつにしたいとおもいます
にんげんとしてゆめをかなえていきていくことがやっとできそうなきがしてきました
ここで、わかそよの練習に参加した感想を聞いてみた。
みんなわたしのことをだいじにしてくれてうれしいです
にんげんとしてみとめられたきがします
りかいしてもらえてうれしいです
そして、彼女が演じている、言葉を発することのできないくるまいすの女性の役で、言葉にならない言葉を発する演技を、自発的にやり始めたことについて尋ねてみた。
ちいさいときからともだちのようすをみてきたことがとてもやくにたっています
ゆうきをだしてえんじてみました
みているひとにつたわるかどうかしんぱいですががんばりたいとおもいます
そして、さらにこう続ける。
にんげんとしていきていくことができそうです
みまもっていてください
ミュージカルのストーリーについても、こんな感想が書かれた。
とてもいいはなしです
りかいされてこなかったひとたちのねがいがこもっているとおもいました
みてほしいです おおくのひとに
そして、歌については、
ちいさなしあわせのうたがとてもよかったです
びっくりしました りそうてきなかしでした
そして、最後にこう希望をつづった。
みちがひらけてきそうです わたしもせいねんがっきゅうにさんかしたいです みらいがひらけてきました
残念ながら青年学級は、現在募集をしていないが、とびたつ会への参加も含めて、これからの将来が開けていけそうである。
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2009年4月25日 00時44分
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5月24日の若葉とそよ風のハーモニーコンサートの練習は、いっそう熱気を帯びてきた。今年は、ミュージカルも合唱も、その中心には、これまで言葉を発することのできなかった仲間たちの、あふれ出た思いがある。練習の途中の時間に、3名の方にパソコンで気持ちを聞いた。
最初は、M.Mさん。今回は彼女が最初にパソコンで書いた言葉がそのまま「オリジナルスマイル」という曲になって、ミュージカルの中で歌われる。
スタッフの松田さんが、最初の5文字を手で読み取ったといって、私にバトンタッチししてきた。さっそくパソコンを開くと、次のような詩が綴られた。
めにうめのはな よくさいた
ひかりのひかる なみだとねがい
にんげんとしてうまれて
いきてこれたことにかんしゃして
ちいさなひかりをたいせつにして
ゆうべのくるしみ わすれて
りかいされた しあわせを
かみしめながら いきていこう。
そして、次の文章が添えられた。
これでいいです。じぶんのきもちをいいたかったので ゆめのようです
今回の合唱で歌う「願いの季節」という歌には、「にんげんとして生まれ生きてきて」「やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある」という歌詞がある。この歌詞は、おそらく、彼女の中でも深い共感を持って受け止められたにちがいない。彼女の詩には、その言葉と響き合うものもあったことだろう。
ここで、松田さんからオリジナルスマイルの感想はどうだった?と質問がくる。そして、次のような答えが返ってきた。
とてもいいうたで うれしいです またつくってほしいです
次に、K.Tさんとパソコンで話をした。
しばたさんといつかはなしたいなとおもっていましたが なかなかじかんがとれませんでした にんげんだからざんねんです はなしができないのは みためではんだんされてくやしいです みためではなにもできないようにみられてくやしいです みためではんだんされるのはいやです なぜひとはみためではんだんするのでしょうか
見た目で判断されて不当な理解しかされてこなかった彼の、心の底からの思いだった。そして、私も、その不当な理解をしてきた一人だった。
彼は、北風の長い詩を12月の合宿の時に聞かせてくれていたので、ここで、春の詩はないのかと尋ねてみた。するとこんな詩が綴られた。
はるがきた
みどりいっぱいゆめをいろどり
りそうのちがひらけた
みどりのかぜがむかいかぜとなり
べんちのうえのふたりが
なやみをせなかにせおいながら
ふたりのかたごしに
やさしくみどりのかぜがふき
ふたりのなやみをふきとばしていった。
北風は季節の変化とともに緑の風に変わっていた。それにしても、なんと美しいイメージの世界だろう。
練習が終わり、後片付けをしていると、D.Tさんが、しきりにパソコンで話したそうに訴えてきた。彼は、これまで、眉毛で気持ちを表現したり、シンボルマークを使って気持ちを表現してきた。そして、自分とほとんど同じような状況にありながら、紙一重でコミュニケーション手段を持たなかった仲間たちが、次々とパソコンで気持ちを表現していくことを自分のことのように喜んできた。彼がこの日書いたのは以下の内容である。
じぶんのきもちをいえないなかまのきもちをひょうげんできてうれしい ちいさいときからゆめみてきました ちいさいときからびくびくしていきてきたので みんなきもちがいえてうれしいとおもいます ゆめでしたから じぶんのきもちをいうことが ばかにされたりむしされたりしてきたので にんげんらしくきもちがいえたらいいとおもってきました みらいがひらけてきました かんげきです やらかしてやろうというきもちになりました ひとりでなやんできたひびがこれでおわります かんどうしました じつにいいきぶんです ねがってきたやわらかいじんせいのはじまりです ゆめのようです めりーくりすますみたいです かんどうでやねにのぼりたいようなきぶんです かんどうこのうえありません
静かだが大きなうねりのようなものがひしひしと感じられる日曜日だった。
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2009年4月22日 23時11分
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私の大学に新しい学部ができた。人間開発学部という。この「開発」は、森をブルドーザーで「開発」するという意味での開発ではなく、人間の可能性が花開くという意味での「開発」を意味している。私は、この専任になったが、人間の可能性の開発ということを、まさしく存在そのもので表現しているのは、私が関わってる人々である。できれば、この学部には直接そんな人々にどんどんと出入りしてもらい、学生たちに直接可能性の開花ということを肌で伝えてほしいと思っている。今回、その皮切りに、この3月に特別支援学校の高等部を卒業した○○君に来てもらった。彼には、年に一度これまでも来てもらったが、今年度からは、来れるときに「聴講する」ということで、日常的に来てもらえることになっている。
彼のコミュニケーション手段はこれまで、お母さんが抱きかかえて手を持ち、50音の文字盤を指すというのがもっとも有効な手段だった。彼が最初に言葉を発したのは、パソコンだったが、途中から修得した文字盤をさす方法の方が圧倒的にスピードが速くなったので、もっぱらこれによってきた。ところが、私のスイッチ操作のスピードが飛躍的にアップし、さらに、手を振るだけでも50音を選択できるようになったので、お母さんの体力的なご負担を考えて、まず、パソコンで意見表明をしてもらった。以下の文章がそれである。
みなさんこんにちわぼくは○○○といいます
じぶんでははなせないのできかいではなします
じつはぼくはみんなとおなじようにだいがくにかよいたかったけどねがいどおりにはいきませんでした
にっぽんというくにではぼくのようなしょうがいがあるとべんきょうはさせてはもらえません
なぜかというとぼくのようなこどもはちゃんとかんがえているとはおもわれないからです
じぶんのいけんをもっていてもなかなかきいてもらえません
なぜかというとぼくたちはいしひょうじができないからです
にんげんはいしひょうじができないとりかいさえしてもらえません
じぶんのきもちをいえないとむかしはなにもわからないひととしてみんなしせつにいれられたままらくないきかたをしいられていました
かことはちがいますがいまでもねがいどおりにはいきません
ちいさいときからにんげんとしていきたいとおもってきましたがぼくらをにんげんとしてみてくれるひとはすくなかったです
ゆかいなこともたくさんありますがなかなかおもうようにはいきません
ききたいことがあったらきいてください
ちいさいことでもいいですから。
150名を越える学生を前に、即興で語った言葉だが、学生たちの心に、ぐいぐいと入っていく言葉だった。
この後質疑応答に移る。学生は、おずおずと手を挙げだした。「つらいことは?」「楽しいことは?」「好きな映画は?」と続いていく。始め、このやりとりもパソコンでやったが、どこか、対話的雰囲気が出ないので、お母さんの文字盤のコミュニケーションに代わっていただいた。やはり、この方が対話の臨場感が出た。
質問者の中に、自ら足に障害のある学生がいた。彼には、○○君の話が、他人事には思えなかったとのことで、そのやりとりが、いちだんと話に深まりをもたらした。
授業のあと、学生たちが研究室にやってきた。残念ながら授業は必修と重なって出られなかった人間開発学部の学生たちと授業を受けた他学部の学生たちだ。
たくさん、話した。それは、彼が初めて経験する外の世界の同い年の若者たちとの、若さ溢れる会話だった。そして、何人かが彼の手をとって、「あかさたな」とコミュニケーションをとろうとした。最初の女子学生が読み取った言葉は「どきどきする」。当然の台詞だった。
ここから、新しい何かが生まれていくことを心から願う。
くろうしているのはじぶんのことをなかなかわかってもらえないことです
びっくりするかもしれませんがよくわかってくれるひとはほんのわずかです
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2009年4月21日 10時50分
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1年3ヶ月ほど前に、一度だけ出会った小4の女の子と再会した。そのときは、まだ、彼女の動きを拾おうとしたので、「○○(名前)たんじょうび」と書いただけだった。今回は、こちらが積極的にスイッチを動かして、本人が選択の時にふっと小さな力をこめてくるのを拾う方法で行った。すると、前回とはちがって、長い文章と、詩、そして歌を書いてもらうことができた。
ちいさいときからはなしたかった。かあさんとやれるようになりたい。てではなせるとはおもわなかったのでおどろきました。(パソコンの文字は)みえます。(やっている時には)みていません。みみできいています。じのべんきょうはちいさいころにおかあさんとえほんでやりました。のんたんときぼうのきしゃというえほんです。(「きぼうのきしゃ」という絵本は)じぶんでかんがえたえほんです。じぶんできもちをいいたかった。にんげんだからいいたいことがあります。ちいさいときからねがっていました。きもちがいいたかったです。(詩を作ったことはありますか?)つくっています。きいてください。
ちいさいはなのねがいは
にんげんにはわからない
にんげんのねがいは
ちいさいはなにはよくわかる
ちいさいはなのねがいは
じぶんのすがたをすてきにかがやかせること
にんげんにはわからない
ちいさなはながちいさいねがいをかなえようとしているとき
にんげんはきのうのことにきもちをうばわれています
きのうとのぞみはなにもちいさなはなにはかかわりない
ちいさいはなはただきれいにさくことだけをもとめ
にんげんにみとめてもらうことだけをゆめみている
そのことをしっているひとはだれもいない
もちろん、この小さい花には、彼女自身の存在が重ね合わされている。彼女のささやかな願いは、「自分の姿をすてきにかがやかせること」だが、それはひそかに願いとしていだかれているもので、誰もそのことは知らない。そして、人は昨日のことや明日のことに気持ちを奪われているが、彼女はただ今日の自分をかがやかせることだけをささやかに願っている。おそらく彼女にとって過去は様々な苦悩に満ち
、未来も決して明るく開かれているわけではない、そんな状況をすべて受け止めた上で、今を大切にしようとしているということだろう。あどけない笑顔がとても印象的な彼女だが、その笑顔の向こうにこんな大人の感性が脈打っているということに、気づいた人は誰もいなかった。
おしまいです。きいてもらえてうれしいです。ちいさいときからかんがえてきました。しをつくっているとおちつきます。きぼうがわいてきます。きいてもらえるとはおもいませんでした。きいてもらえてうれしいです。ねがいでしたからうれしいです。(曲のついた歌はありますか?)あります。
しろいはな しろいほほ あかいはな あかいほほ
きれいにゆめをかなえたら
しろいほほ しろいはな あかいほほ あかいはな
きれいなゆめをかなえたら
いきてることのすばらしさ
のぞみとともにこだまして
いきてることのすばらしさ
こだまとともにむねをうつ。
かんげきです。まさかうたをきいてもらえるとはおもいませんでした。しんじられません。しろうとしてくれたひとははじめてでした。いいうたでしょう。じぶんのきもちをうたにしました。かわいいといわれてきたのでつくりました。
何度も繰り返し心の中で歌われたものなのだろう。対句の対比も鮮やかだ。
この後、手をとって、ドレミファソラシドと私が声を出しながら一音一音拾っていった。メロディーは掲載した通りである。
誰に伝えるためでもなく、ただ、自分自身のためだけに作られひそかに心の中で響いていた切ないばかりの歌だった。
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2009年4月15日 22時10分
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未熟児網膜症のために、ほぼ全盲に近い視力しかなく、幼少期より点字を獲得することを夢見て学習を続け、点字タイプライターやパソコンの点字入力ができるまでになり、現在の課題は、点字用紙に書かれた点字をすらすらと読むことが課題になっている○○君に、ワープロソフトを試みるようになるとは、思ってもみなかった。しかし、気持ちを綴れるようになって、今回で3度目。その内容も安定してきた。(なお、点字表記をもとにしているので、助詞の「は」は「わ」になっている。)
じぶんのきもちをつたえたい にんげんだからきもちをつたえたい
にんげんだからゆめがあります ゆめわぴあにすとになることです ゆめわみんなともっとはなせるようになることです にんげんだからゆめをもっていきたいです
ねがいわはつこいをけんきゅうすることです
彼は、学校で、様々な文学作品を暗唱する学習をしているが、「はつこい」は、その中の一つ、島崎藤村の「初恋」である。
ふつうにりかいしているのにみとめてもらえずさびしいです
ねがってきました
じぶんのきもちをはなせるようになることです
みんなとはなしがしたいです
みんなとわ ××もうがっこうともだちです
ずっとちいさいときからいっしょだったからわかりあいたい
ねがいでした ねがいわわかりあっていくことです
幼稚部から中学2年まで、ずっと一緒に過ごしてきた3人の仲間のことだ。
よいにんげんになりたいとおもいます
ちいさいときからのねがいでした
はい きこえます はい
ここで、彼の最大の謎のことについて質問した。それは、こういう文章を綴りながら、口では、暗唱した言葉を発したり、そのことで受け答えさえしているということだ。まるで2人の話し手がそこにいるようなのだ。このことについて彼が与えた答えは、
くちわ かってにうごいているだけです
そこで、学校のことについて何でもいいから書いてほしいと頼んでみた。すると、
がっこうでわゆきしろのはなしをしました
(ゆきしろとは?)ゆきがやんだたんぼかきのこと
そして今度は彼の方から質問が来た。
しばたせんせいはやいこのやりかたわどうやてかんがえたのですか
この方法のことは、彼の知っている子どもたちと関係が深いので、そのことを簡単に説明した。
めずらしいやりかたです もっといろいろなひととやりたい
ここで、援助者を私からたまたま見学に来ていた姪に代わった。すると
ほんとになつた
と綴った。
まだまだ、わからないことだらけの○○君だが、こうした関わり合いを通して、どうやったらもっと点字をすらすら読めるようになるか、数の学習をどうやったら進めていけるかなども、合わせて明らかにしていけたらと思う。
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2009年4月14日 22時50分
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20代の女性の3度目の言葉を聞いた。長い間話せなかったことをめぐる切々たる思いから始まった。
ちいさいときからはなしたかったけど、なかなかはなせず、よくたえてきたとおもいます。みたことをはなそうとしても、りかいしたことをはなそうとしてもだめで、ゆめでした、はなせるようになることが。やっとはなせるようになったので、これからはやわらかいねがいをはなしながらいきていきたい。ちいさいころはみんなはなせるようになるとおもっていたけどむりでした。ゆめでした。
そして、同じ思いをいだいているであろう仲間たちのことへと思いが及んでいった。
みんなもきっとおなじきもちだとおもいます。にんげんだからやはりみんなきもちをもっています。みんなもことばではなしたいとおもっているとおもいます。ひとりひとりちがっているかもしれませんが、びんかんにかんじとっているひともいるとおもいます。
静かではあるが、まだまだ不十分でしかない私たちの取り組みへの抗議とは言わないまでも、切実な訴えであることはまちがいない。そして、さらに、次のように続く。
ゆうきをだしていいたいことをいいたいとおもいます。ぬいぐるみのようなじんせいとはおわかれです。
この後、彼女は、「勇気を出して」事実を語る。それは、これまで関わってくれた人の中には、きびしい人、見た目で判断するだけでわかろうとはしない人、やさしい人でもわかってくれるわけではないということ、かわいがるだけで理解してくれない人など、いろろいろな人がいたということ、そして、次の一文へと続く。
みさかいなくさびしいおもいがしていました。わかってくれたせんせいはNせんせいだけでした。ひとりだけです、きもちをきいてくれたのは。Nせんせいだけでした。りかいしようとしてくれたのはほかにはいませんでした。りかいしてくれたひとはわかいおんなのせんせいにはいましたが、みんないちねんでいなくなってしまいました。
N先生とは、小さいときに担任をしてから、彼女の体の障害が進行していくことをずっと気にかけていて、研究所で彼女と関わるというかたちでずっと長い間、つきあってきた先生で、私にパソコンで彼女の気持ちを聞くように依頼した先生である。気持ちを言葉で聞くということだけに限定すれば、私の方が技術的な意味で彼女からたくさんの言葉を聞き取ることができる。しかし、言葉よりももっと大切なことがあることがよくわかる。言葉を聞き取れないよりは聞き取れた方がいい。だが、それよりも大切なことがある。ここでは彼女は「わかる」という言葉で表現しているが、それでは、わかるとはどういうことなのか。きっとそれが、言葉よりももっと大切なことであるし、「わかる」という言葉の本当の意味は、実際の関わり合いを通してのみ、理解されることだと思われる。
その後、彼女は、発作についての母親の質問に答えて、次のように語る。
きゅうにからだがつっぱってしまいます。いしきはありますから、はなしはわかっています。にねんまえおおきいほっさがあったときはからだだけでなく、いしきもなくなりました。みんなのことはわかりません。じぶんでもどうしようもないのでこまっています。からだをだきとめてもらえるとうれしいです。じぶんだけのときはこわいです。ゆうべもほっさがあったときひとりだったのでふあんでした。
また、訓練についての質問については、
くんれんはしかたありません。せっかくやってくれているのにわるいです。ねむくなるのはどうしようもありません。ほこうくんれんはいいですが、やらされるのはいやです。
そして、詩を作っていないかと質問をして、次の詩を書いた。
にんげんとして
きもちをもっていきてきて
りかいされることなく
ひとりのぬいぐるみのようなそんざいとして
いきてきた
ゆめをもち
みらいをゆめみて
わたしはいきてきたけど
りかいされることはなく
ときがいたずらにすぎていった
だけどそんなわたしがことばをもち
にんげんとしてのいっぽをふみだした
にんげんとしてのほこりをとりもどした
ゆめをいっぱいもち
ゆめをもっといだいて
これからのじんせいをいきていこう
りかいされたことのよろこびを
みんなにつたえて
ひとりでもおおくのそんざいが
ほこりをとりもどせるようになることを
ねがいながら。
一人でも多くの存在が誇りを取り戻せるようになることへの、彼女の切なる願いに、少しでも応えていかなければと思う。
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2009年4月14日 05時45分
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知的障害の特別支援学校高等部を3月に卒業した○○さん。4月最初の関わりでこんなことから書き始めた。
きいてほしいことがあります
×××(通い始めた通所施設)でりかいしてくれるひとがいます
みんなわたしのことをわかってくれます
ふつうにはなしかけてくれます
にんげんとしてあつかわれているきがします
にんげんとしていきていきたいとおもいます
りかいされてうれしいです びっくりしました
じぶんのきもちがいいたいです
みんなとはなしたいです
ひかりがさしてきました ひかりがさしてきにんげんとしていきていけそうです
この通所施設には、職員にも利用者にも私たちの仲間がいる。そこで理解された喜びがこんなにも綴られていることに私たちはほっとする。また、これまで、なかなか理解されてこなかったはがゆさも背後ににじむ表現だった。
そして、彼女は、3月29日の結団式から練習に参加しているわかそよの歌の一節を綴り始めた。練習用のCDを車で毎日聞いているとのこと。大きな声では歌えない彼女が、心の中で奏でる歌だ。
ちいさなしあわせちいさくひらきねがいのとおりみたされて
ちいさなしあわせはなのようにしずかにしずかにきれーにわいて
ちいさなしあわせはなのようにきぼうをはこびよろこびひろげ
にんげんとしてうまれいきてきてじぶんのきもちをきいてもらいたい
かってにからだがうごいてかなしい きれいなきもちでいきてゆくのがゆめ
きぼうちいさくささやきながらきぼうにみちたじんせいいきる
途中の「きれー」が「きれい」ではないのは、CDの歌い方にそろっている。よく聞いていることがわかった。そして、文章は続く。
きぼうにみちたじんせいをおくりたいです
いいうたですね きぼうのきせつというだいにはかんげきしました
きぼうのきせつというしはだれがつくったのですか
にんげんだからちいさいころからきもちがいいたかった
ひょうげんすることができたらうれしい
社会へ一歩を踏み出すとともに出会えた仲間たちの存在の大きさがよくわかる。そして今度は自分の詩へ。
いいうたをつくりたい しをつくりましたいいしです
じぶんのあいしたゆめをついにつかんだ
ゆめをつかんだけれまだゆめはとちゅうだ
みちはとおいけれどひかりがさしている
ずっとわたしをひょうげんできず
いちばんつらかったのは
にんげんとしてみとめてもらえなかったことだ
みとめてほしいじぶんのきもち
みとめてほしいじぶぶんのそんざい
ひしひしとこみあげてくるのはじぶんをみとめられたよろこび
ひかりにみちたにんげんがちいさいときからゆめだった
きぼうにみちたじんせいをいきていきたい
一語文かせいぜい限られた二語文しか発せず、典型的な幼児画を描き、これまでひらがなの学習を一歩ずつ続け、10までの数を繰り返し学習してきた彼女が、 いったん私たちのソフトを使うとたくさんの思いを綴り、こんな詩まで書くようになった。「にんげんとしてみとめて」こなかったのは、ほかならぬ私だ。学習が間違っていたとは思わない。しかしその学習を続ける中で、思い描かれていた彼女の姿の中には、こうした表現ができる姿というのは含まれていなかった。
じぶんのきもちをかいてもうまくつたわらない
にんげんとしていきたいです
ちいさいときからゆめでした
ゆめがかなってうれしいです
偶然同じ町で続けてきた子どもたちとの関わり合いと青年学級の活動とが、いつかつながることは、漠然と思い描いてきた夢だったが、こんなふうに一本の糸のようによりあわされることは思わなかった。私もまた「ゆめがかなってうれしい」。
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2009年4月12日 18時37分
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3月で特別支援学校の高等部を卒業した○○さんを、わかそよコンサートの参加者として誘った。前回は、詩で参加したが、当日は客席からの参加だった。しかし、社会人になった○○さんには、ぜひともにステージにのってもらいたかった。
4月の5日の練習に来た時、彼女は、「詩を書いてきました」と手をふるコミュニケーションで伝えてきたが、時間がなかったので、「今度聞かせて」と伝えておいた。それから5日後、ゆっくり詩を聞くことができた。それは次のようなものだった。
ちいさなにんげんでもちいさなゆめをもち
ちいさなにんげんでもちいさなりそうをもち
にんげんとしてほんとうのまことをしりながらいきている
にんげんとしてやらなければいけないことをもとめていきていき
ほんとうのゆめをかなえたい
まるでゆめをもたないじんせいはやみのみのじんせいだ
みなみのくににふしぎなふしぎなみらいのじかんがながれるきぼうのしまがある
ちいさいころにねがったねがいがそこではかない
みなみからのわたりどりはそのゆめをしっている
ふしぎなみらいをきのうのゆめにかんじながら
にんげんとしてのわすれてはいけないつとめをちかいながら
きぼうにみちたじんせいをいきていきたい
きいてけいいをはらうりそうをわたしもみつけたい
にんげんとしてりそうをもっていきていきたい
ゆめをゆめとしておわらせないで
ゆめをりそうにかえていきたい
りそうがかなうときゆめはかなうだけではなく
ちいさいにんげんをおおきくしてくれる
ちいさいにんげんらしくつつましくいきつつも
じぶんらしいつよさをいきていきたいとおもう
ちいさいにんげんとしてみとめられていきていき
にんげんとしてりそうをきぼうとしていきていきたい
ゆめをねがいながらにんげんとしていきていきたい。
そして、次のようなコメントをくわえた。
じぶんのいいたいことをしにたくしました りそうのだいじさをかんがえたものです にんげんとしてふつうにいきていきたいとおもいます
この後、コンサートで歌う歌の感想を聞いてみた。すると
ちいさなしあわせというしがすてきでした びっくりしました ひとりでなやんでいたことがばかばかしくなりました みんなおなじことをかんがえていることがわかりました いいばしょでした いいなかまたちでした みんなとずっといっしょにいきていきたいとおもいます みんなとであえてよかったです きぼうがわいてきました ゆうきがでてきました びっくりしました ひかりがさしてきました みらいがひらけてきました
これは、「願いの季節」という題名の歌で、歌詞には青年学級で昨年度初めてパソコンによって言葉を綴った4人の言葉が含まれている。仲間の存在がどれだけ大きいかを改めて思い知らされた。これまでもいくどとなく悩みを綴る彼女を前にして、いろいろな言葉をかけてきたが、それよりもはるかにまさる力を仲間の言葉は持っていたことになる。
このブログも、点として存在している多くの人たちを線でつなぐための試みの一つだが、うまく、仲間の言葉が届いて、励まし合いが生まれてくれればと願う。
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2009年4月12日 07時56分
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盲重複と呼ばれる男性○○さんは、学校教育を終えたあとになって、点字を読めるようになった。その学習の順序も、大きなリベットで順番に点の位置を学習していくオーソドックスな順序ではなく、指先で6点全体がさわれるような小さい展示型のリベットをさわることを通してである。長い学習を経てからではあるが、突然理解できるようになったように見え、みんなに驚嘆まじりの讃辞を得た。そして、大きいリベットの点字で、意志を伝える単語も伝えられるようになった。私は、日頃関わっているわけではないのだが、時々、お会いすると、どうしても関わりたくなって、いろいろ手を出してきたのだが、「おかあさんについてどう思っていますか」と訪ねて、「やさしい」とリベットの点字で書いたことがある。
そんな彼に、手を振る方法を試みた。単語を口走る以外には明確な意思伝達の手段を持たない彼だが、この方法を試みると、非常になめらかに気持ちを表現してきた。記録をとらなかったから、正確な文章は残っていないのだが、この方法に驚きを示し、どうして読み取れるのかと聞いてきたりした。
そんな彼に、点字を覚えたことについて尋ねてみると、気持ちを伝えたいから点字をがんばって覚えたというふうに答えが返ってきた。そして、点字を覚えたら気持ちを伝えられるようになるのですかと、切実な気持ちをこめながら尋ねてきた。
彼は、悪い表現だが「自閉的」と称されるような感じの方で、気持ちをうまく伝えることができず、いつも首を振りながら独特の世界にはいりこんでいるように見える。しかし、こうした会話を経ると、彼が全く普通の感覚を持っていて、話せないで苦労してきただけの人に見えてきて、点字を懸命に覚えようとしてきたことがすんなりと理解できた。
盲重複と言われる人たちの理解をどうやら決定的に改める必要が出てきそうだ。
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2009年4月8日 01時22分
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若葉とそよ風のハーモニーの練習に来た○○さんにパソコンを挑戦した。「ウーウー」という声しか出せないが、指さしや身振りで気持ちを伝えることができる方だ。公民館の場所からひかり学級が分かれた時(もう20年近く前のことだが)、彼女はひかり学級に移っていったので、日常的な活動ではなかなか会う機会がなく、会えるのは、2年に一度のこのコンサートの時だけになってしまった。彼女のコミュニケーションの力を考えると、言葉の力があることは容易に想像がついたので、練習前の時間にすぐそばに彼女が来たところで、ためらわずにパソコンを出した。そして、綴った言葉。
ちいさいときからはなしたかった
きもちがつたえたかった
きいてくれてかんしゃします
ちいさいときからはなしたかった
ちいさいときから
ちいさいときからじをかきたかったけどうまくいかなかった
いいきかいですね
かいたいです
ありがとう
ここで詩を書いているかと尋ねるとはいとうなずくので、書いてもらった。
ちいさいときからみてきたゆめ
ちいさいときからねがってきたねがい
みしらぬみらいをみつずけて
みしらぬらんどをゆめにみて
ひとりぼちでいきてきた
ゆめはいつもかなわなかったけど
ゆめみたことはらんぷのようにかがやきつずけている
わたしのこころのなかで
にんげんとしていきたいといつもねがいながら
いつもちいさいむねをいためてきた
ねがいのちいさなゆびさきに
ちいさいちいさいゆうきがやどり
みたこともないちいさななみだが
りんごのしずくのようにながれた
ちいさいころからひとりぼっちでいきてきて
びょうきのためにちいさいときからはなしもできず
まるでちいさなひんしのはとのようにいきてきた
わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたちが
くれたきぼうを
だいじにしていきていきたい。
独創的な比喩がたくさんちりばめられた言葉だ。この詩だが圧巻は、「わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたち」という表現だ。そういう仲間たちに支えられて彼女は、生きてきたのだ。この言葉の裏には、人間として感じとってくれない人たちの存在がいるということがある。そのこともまた重く迫ってくる。
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2009年4月7日 05時45分
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青年学級 |
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小学生の時から研究所に通い、30年ほどになる○○さんに、久しぶりにお会いした。私とは曜日がずれているので、なかなかお会いできないのだが、大学の入学式が早く終わった関係でうかがうことができたのだ。
4年前の夏の研究会で私が行ったパソコンによる自己表現の発表を聞いたお母さんが、うちの○○もできるのかしら、と尋ねられたことがあり、それ以来の懸案だった。
彼の担当は友人の教師で、最近は飲むと彼の言葉の可能性のことを話していたので、今回は、さっそく手をふる方法で聞いてみることにした。すると、すらすらと手で話が返ってくる。そこで、パソコンを取り出すことにした。
そして、綴られたのは以下の長文である。
けんきゅうじょにいくことがたのしみでずっとがんばってきました
ちいさいころからこんなきかいがあればよかった
なんでもいえたらうれしいです
ふしぎです
ぼくのことをりかいしていることがどうしてわかったのですか
ふしぎです
だれもぼくがはなしがりかいできているとはおもってくれませんでした
ちいさいときからはなしたかった
ちいさいときからにんげんとしていきていきたいとおもってきたのでかんげきです
にんげんとしていきたいとおもいます
じぶんのいいたいことがいいたいです
びっくりしました
ねがいでした
ふしぎです
ちからをいれていないのになぜわかるのですか
びっくりしました
みんなとはなしすることができたらうれしい
ねがいでした
×××せんせいずっといつもかかわってくださってかんしゃしています
ねがいでした
じぶんのきもちをいうことをゆめみてきました
みんなとはなしたいとおもいます
りかいしてくれてありがとう
じんせいがひらけてきました
ゆめでした ことばではなしをすることが
ここで、詩のようなものを作ったことがあるかと質問した。すると手で「はい」との返事、早速書いてもらった。
ゆめみてきた はなしができるようになることを
ひかりがさしてきた ぼくのじんせいに
にんげんとしていきてきて ゆめをいだき
にんげんとしていきてきて きぼうをもちつずけ
ふつうにいきてきたのにじぶんのきもちをいえず
みんなのことをうらやみながらいきてきた
ひとりでちいさいねがいをもって
ひとりでもがきながら
きぼうをもちながら いきてきた
ふつうのがっこうにもいきたかった
みにせまるきもちはきんじられ
みにせまるしれんにはとびこせず
ひとりでずっとたえてきた
いいみらいのこえがきこえ
いいみらいのひかりがさし
めのまえにあかるいにんげんとしてのじんせいが
ひらけてきた
ちいさいころからきもちがいえず
ちいさいときからつまらなかったけれど
あかるいみらいがひらけてきた
みたこともないみらいがひらけてきた
いいにんげんになりたいとおもいながら
いいにんげんになれず
じぶんのきもちをいえずにぼくはいきてきたけれど
ちいさいきぼうがわいてきたに
んげんとしてひとりでゆめをずっとだいじに
いきてきた
にんげんとしていいちからをだして
いいじんせいをいきていきたい
40歳を越え、施設生活をしている彼のおなかの底からの思いが綴られた。途中、彼の目に涙が浮かんだり、また、何度もおなかの底からの笑顔を浮かべながら、彼が書いた深く重い詩だ。
きいてくれてありがとうございます
いいじかんがすごせました
ねかがいがかなえられてしあわせです
こうしめくくり、彼は去っていった。言葉を聞き取れた喜びはあったが、彼の生きてきた時間の重みは、言葉にはとうてい表せない重いものを心に残した。
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2009年4月6日 16時40分
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1月に初めてお会いした高校生の☆☆さんのお母さんのご希望で、彼女が以前、幼児期に通っていた通園施設に、彼女のことを紹介するためにうかがった。この施設では、20年以上前のことだが、私自身、半年間、ある方のピンチヒッターとして個別指導の仕事をしたことがあり、当時のスタッフも園長先生を始め健在なので、私自身、とても楽しみだった。うかがうと、30名ほどの方がご覧になる前で、☆☆さんのコミュニケーションの姿を紹介することになっていた。さすがに、驚いた。だが、☆☆さんの様子を見ていると、何か、大丈夫だなと思わせるものがあった。後で、明らかになったことだが、彼女は、単に自分の姿を見せるということではなく、同じような状況にある仲間たちを含めた自分たちのことを理解してもらうために訴えていこうという強い意志を持っていたのだ。
まず、手だけで聞いてみる。すると
ねむいけど、がんばります。
とのこと。そして、パソコンをプロジェクターにつないでスクリーンに大写しになった状態で、文章を綴り始めた。
じぶんのきもちをつたえることができるようになってみらいがひろがってきました
ここでいろいろ私の方から方法について解説をくわえたのだが、お母さんから、どなたか、娘とやってみてほしいという、大胆な提案があった。そうしないと、この場では、納得できたように見えても、後でもう一度振り返った時に、あれはやはり何かおかしかったという話になってしまうからということだった。
そして、勇敢にも前に進み出てくださったのは、やさしそうなOTの女の先生だった。そして、☆☆さんの手をとって軽く振りながら、ゆっくりと「アカサタナ」と始まっていった。そして、綴られたのは次のようなことばだった。
せろんすすんでよ
ややきざし すこしくらいはしんぽしそう
この文章は、「せろ」「せろんす」などと書かれていっても、意味がなかなか見えにくい内容だったので、途中、この文字でいいのかということを「はい」の場合は「ハ行」を、「いいえ」の場合は「ア行」を選ぶことで確認しながらいった。あえて、予測しにくい文章を選んだのかも知れない。おかげで、このPTの先生がやっていることの真実味がいっそう増した。いきなりこうやって初めての人が、しかも大勢の見守る中で読み取れたという経験はこれまでなかった。これは、きっと「きざし」であり、「しんぽ」の予感がする。
ここで、彼女に対する質問を受けた。
すると、まず、体の状況に関する質問が来た。一つ目は、たえず首を大きく左右に振り続けているのはなぜかということ、そして、二つ目は、その状況で見えるのかということだった。
彼女の答えは以下の通りである。
かってにからだはうごきます
みえます だいたいは
ふだんのせいかつでこまりません
じはみえません
次の方の質問は、幼児期にここに通った時のことは覚えているかというものだった。
はい
ひさしぶりでしたがおぼえています
ちいさいときはなんでもできるようになるとおもっていましたから かようのがたのしみでした
じぶんでなんでもできるようになれたらいいなとおもっていました
さらりと綴られた答えだが、何か、非常に胸をうつものがあった。障害のある幼児とたくさん私も関わってきたが、こういう思いをいだいていたということには思いが及んだことはない。幼いながら懸命に自分の障害と向き合い、その中で様々な夢をいだいて努力していた姿がうかびあがってきた。私たちが、まだ、小さくて障害も重いからそんなことをまさか思っているとは思えないような内容だった。そして、この時、まわりで見守ってくださっている方々の空気が動いたことを私は感じた。彼女の、懸命のメッセージは、単なる方法の議論を越えて、心の問題として届いたからだったのだろう。そして、そういうふうに受け止めてくれるこの学園の方々を本当にすばらしいと私は、感じた。
次の質問は、言葉をいつ覚えたのかというものだった。そして、次のような大変示唆に富む答えが返ってきた。
ちいさいころからことばはわかりました
いいたいことをいいたかったです にんげんですから
じはなかなかむずかしかったです
のぞんでいましたがなかなかりかいできませんでした
ひとりでおぼえました ねがいでしたから
ちいさいときはおぼえられませんでしたが
しょうがくせいになるとわかるようになりました
さらに、障害の重いとされるほかの仲間たちも言葉がわかると思うかという質問がきた。
みんなことばはわかっているとおもいます
べつにきめつけることはないんじゃないかとおもいます
わかってほしいです わたしたちのことを
きびしいです はなせないのは
私たちが長い間決めつけてきたことに対する重く静かな抗議の言葉だった。
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2009年4月4日 11時31分
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家庭訪問 |
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4月から高校2年生になった☆☆さん。まず、あふれんばかりの思いを書いた。
ねがいはひとりでいきていくことです
にんげんらしいせいかつをすることです
みんなとはなしができたらうれしい
べつにやきもちをやいているわけではないけれど
はなしができるひとがうらやましいです
ひょうげんするしゅだんがないのでつらいです
みんなもおなじきもちでいることでしょう
じぶんのきもちがいえたらいいのだけど
なかなかそうもいかないのでそーねがってもうまくいきません
ずっとまえからそーじぶんにいいきかせてきましたが
ちいさいころからいうべきこともいわずにきたので
つまらなかったです。
ここで、先生から頼まれていた学校の授業への希望を尋ねた。
なにもいうことはありませんが
まなびたいことはきもちをあらわすほうほうです
じぶんひとりできもちがひょうげんできたらうれしい
まんぞくしているわけではありませんが
べんきょうができたらうれしい
いろいろなきもちとかねがいがひかりかがやいていて
みちのせかいをかんじながらべんきょうしていきたい。
ここで発作が起きて、その時のことを説明もしてもらった。
いたいわけではありませんからだにちからがはいってしまってこえがでてしまいます
だいじょうぶです
そして、再び、あふれんばかりの思いを綴る。
ねがいはやりたいことをやることですがなかなかうまくいきません
いいたいことがいえたらとおもいますがひとりではむずかしいです
ちいさいときからゆめみていました
ひとりではなせるようになることを
あすりーとになるゆめももったことがありますがむりでした
がんばってもからだがうごくようにはなりませんでしたが
みんなではなせるゆめはすてたくないです
みんなとはなせたらうれしいです
にんげんとしてかんがえていることをはなせたらうれしいです
ここで、話を切り替えるために、☆☆さんワールドみたいなのはないですか、たとえば詩とか、歌とかと尋ねた。すると、次の詩が書かれた。
ひとりのわたし ひとりのあなた
ひとりでなにを ゆめみてる
ゆうべのすずと みらいのかねと
ゆうべのにおい みらいのかおり
ひとりのわたし ひとりのあなた
ひとりでなにを ゆめみてる。
整ったリズムが歌であることを予想させた。メロディはつけているのですかと聞くと、
はい
とのこと。そこで、手をとって、「ドレミファソラシド」と聞きながら、メロディを聴き取った、音の長さについても、尋ねながら。それは、次のような歌だった。ひとりの世界の中で、静かに口ずさまれてきた歌だ。多くの子どもたちが、ひそかに歌を口ずさんでいる可能性がいよいよ高まってきた。
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2009年4月2日 00時59分
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まさに、高校生最後の一日、○○君と2度目の出会いをした。まず、これまでの思いの丈を述べることから始まった。障害をめぐる切実な言葉も綴られる。
うれしい ちいさいときからのゆめでした じぶんのことばでいいたかったです じぶんのことばでいいたいことがいいたい ずっといえずにきびしかったです ぶぶんてきなことはいけんをきいてもらえたけど ちゃんとつたえるのはむずかしかった
からだがうごかないのでとてもこまっています たんいつのしょうがいなのにちょうふくといわれてこまっています ちいさいときからちゃんとからだがうごけばりかいされたとおもいますが ちゃんとからだがうごかなくてきびしかったです りかいできていることがわかってもらえてうれしい
じぶんのちからでやれるようになりたい じぶんでぶんしょうがうてるようになりたいとおもいます
にんげんとしてぶんをふまえたいきかたをしたいとおもいますがぶんにふさわしいひょうかをしてもらいたい きもちをじであらわしたかった ひとりぼっちでさびしかった
そして、しだいに自分の心の内へと言葉は向かっていく。
ぜんにんになりたいけど なかなかみんなをうけいれることができなくてこまっています ちいさいころからきょひしたいことはあったけど にんげんとしてびょうどうだからうけいれていかなければならないとおもってきました
いつもきずついていました ふいにじぶんがいやになることがあります ひとをうけいれることができないで
ぴゆーりたんのようなこころでいきていきたいとおもいますが やっかむようなきもちになってくやしいです
(ピューリタンという言葉は)てれびのばんぐみでやっていました いいことばだからかんめいをうけていました ぴゅあなこころといういみです ちいさいうちはうしなっていませんでしたが せいちょうとともにうしなってしまいました
じんせいのいみをかんがえています いいじんせいにしたいとおもいます むつかしいことかもしれませんがねがっていればかなうかもしれません じぶんのいきかたはじぶんできめていきたいとおもいます きもちをいえるようになったらいいじんせいがおくれそうです いいたいことがいいたいです ちいさいときからのゆめでした いいきもちです いいちいさいじぶんのきぼうをたいせつにしたい にんげんとしていいいきかたがしたいとおもいます ちいさいときからのゆめでした いいきもちです ちいさいときからのねがいでした いいにんげんになりたいとおもいます いいじんせいがおくりたいです
ここで、いったん区切って、お母さんからの質問に移った。
(おばあちゃんからもらった卒業のお祝いのお金は何に使いたい?)
ひとびとのやくにたつためにつかいたいです みんなまだはなせないひとがたくさんいるのでつかいたいです いいひとになりたいです みんなのためにつかいたいです
(最近眼科で眼底写真を食い入るように見ていたけれど、医学に興味があるの?)
いがくにはきょうみがあります じぶんがどうしてからだがうごかないのかしりたいです いがくのほんをよみたいです きょうみがあります
(ほかに読みたいものは?)
みたいのはどんなひとがやさしいこころでいきているかです むかしのひとにいざってあゆむひとがいて そのひとがとてもやさしかったとききました きいてみたいです ちいさいときにききました ぎせいてきなきもちでいきているひとです じぶんのことはあとまわしにしてひとのことばかりかんがえているひとです りそうのじぶんです
(発作の時にどうしてほしいかあったら教えてください)
ほっさのときにはできればからだをだきとめていてほしいです からだがうごいてしまうとあとであちらこちらがいたくなります いきをするのがくるしくていやですがどうしようもありません いしきはあります
(卒業後通う場所をどうしていきたいか)
あまりむりをしないでください だいじなことはきもちをきいてもらえることですから じかんがかかるとおもいます いいほうほうはないとおもいますから じっくりかんがえていきましょう どうにかなります きっといいほうこうにじんせいはゆっくりときびしいからだですがかわっていくとおもいますから しんぱいはいらないとおもいます きちんとしためをもっていけばみえてくるのではないでしょうか
(お父さんにも一言)
おとうさんにはいつもかんしゃしています ぎせいになってもらってかんしゃしています ちいさいときからかわいがってくれたことにとてもいいおとうさんだとおもってきました
(弟についても一言)
××ちゃんはりこうなこどもだから ぶんそうおうのことができるとおもいます びょうきにだけはきをつけてほしいです じぶんをたいせつにしてじぶんらしいがんばりをみせてほしいです じぶんらしいげんきでがんばってほしいです
(××のところに弟ではなく自分の名前を書いてしまった)
△△をまちがえましたいつもじぶんがいわれているか らまちがえてしまいました
じぶんをたいせつにいきていってください ゆめをたいせつにもってがんばってください
(後ろで聞いていた一年後輩の女の子に)
びっくりしましたうしろにいてきいていたんですね はずかしいです かっこいいことばかりかいて きもちをいえてとてもうれしかったですが ぶんふそうおうのことばかりいってしまいましたが ぼくのほんとうのきもちです きいてくれてありがとう またいつかどこかでかたりあいましょう いつまでもいいこでいてください さようなら
深い文章の連続だった。社会人になる直前に、彼の気持ちを聞くことができて、本当に良かったと思う。彼のすでにそうとうに成熟した思想を、これからももっと深めていってもらいたいと思う。
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2009年4月2日 00時35分
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☆☆さんは、大好きなお姉さんをともなってやってきた。まず、最初に、手をふる方法で、簡単な話をしたところ、その方法が気に入った☆☆さんは、おねえさんと話したいと伝えてきたので、さっそくやっていただいた。そして、みごと、おねえさんは、次の一文を読み取ることができた。
ねえさんとはじっこんのなかなのではなしたかった
てっきり「ねえさんとはじ」と続いた時、「初めて」となるのだろうと思っていたら、「じっこん」で、さすがに読み取りには、お姉さんも苦労したが、それでも、これだけの文章が読み取れた。それに、いたく感動した☆☆さんの目からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。そして、次のような文章をパソコンで書いた。
かんどうしてなみだがでてきました
きもちがいいたかったのでとてもうれしいです
ちいさいときからいいたいことがいえたらいいとおもってきましたのでうれしいです
きもちをいえたらいいとずっとおもってきたのでうれしいです
いつもねがってきました
かあさんからいつもかわいがってもらっているのでしあわせです
ちいさいときからいつもそうおもってきました
くるしかったけどきぼうがでてきました
ちいさいときからきもちがいえたらいいなとおもってきました
じぶんのいいたいことがいえそうでうれしいです
お姉さんは、今、地方都市の大学で学んでいる。春休みが終われば、また、東京を離れる。これから、姉さんの帰宅が、これまで以上に楽しみになることだろう。彼女のコミュニケーションの輪がいっそう広がっていくことがとても楽しみだ。
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2009年4月1日 23時43分
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自主G23区2 |
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今度、学区の変更で学校を移る○○君。不安と期待の入り交じった思いを綴った。移る学校には私も関わることになっていて、彼は、それを知っていたようだ。そんなことも話の中に登場する。
きてくれてありがとうございます
なかなかあえなくてざんねんですが こんど×××で あえたらうれしいです
にびいろのそらのようなはいいろのひびがつずいていてみんなとわかれることをかなしんでいます
ゆうきをだしていきたいのですがなかなかよういではありません
ちいきのもんだいでしかたないのですが みんなとわかれるのはつらいです
もんだいは×××のせんせいがいいせんせいかどうかということです
ねがいはよくりかいしてもらいぼくのおもいをわかってもらえるかどうかということです
ねがいどおりになるかわからないけどがんばるつもりです
新しい学校は授業を大事にすると言っているから、うまく○○君のことを伝えられたらむずかしい授業もやってもらえるかもしれないと告げたところ
すばらしいとおもいます
ゆめのようです
なかなかわかってもらえませんからきもちがらくになりました
ひぢょうにふあんです
ちいさいときからべんきょうをしたかったのではんぶんたのしみです
不安な気持ちを切りかえるために、心の中にある言いたいことほかにはないかと尋ねると、詩が綴られた。
きぼうのちいさいみらいをねがい
ねがいをねがうだけでなくにんげんとして
ちいさなしあわせをつかみたい
ちいさなしあわせはじぶんのひとりきりでねがってきたもの
ぬいぐるみのようなかんきょうのなかでひとりでつむいできたもの
ひとりきりでずっといいたいこともいえずに
ちいさいころからちいさいしあわせをねがってきた
きびしいからだだけどねがいつずけてきた
ぶんをしりことばをひかえていきてきたけれど
ずっとちいさいころからちいさいしあわせをねがってきた
ちいさいときからじぶんのきもちをいえずにいきてきたぼくがことばをえて
ひそかにきゅうしゅうしてきたものをかき
ひそかにあたためてきたおもいをかく
そしてあたらしいしあわせをいつかつかみたい
いいにんげんになるためにいいゆめをもち
こころからきいてくれるかたとであい
べんきょうをたくさんして
いいじんせいをおくろうとおもう。
行き先の学校には、どんどん○○君のことを伝えていいかと尋ねると、
いってください
いいがっこうにしてください
とのこと。私自身も不安だが、○○君から与えられた使命を大切にしてたいと思う。
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2009年4月1日 23時30分
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自主G23区2 |
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