ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年12月02日(日)
出生前診断をめぐって ダウン症当事者
 初めてお会いした小学校4年生の少女の言葉です。会話も可能な方ですが、ずっとうつむきながらパソコンに向かう彼女のからだじゅうから悲しみがあふれ出していました。 

 だまってばかりでずっとつらい思いをしてきましたがようやく聞いてもらえます。私たちはダウン症と呼ばれてつらい思いをしてきました。なぜ私たちが生まれてこないほうがいいなどと言う人がいるのでしょうか。ほんとうに悲しいです。涙もかれはててしまいました。ばかにされるならまだしも生まれてこないほうがいいなんて許せないです。わずかな希望はこうして私たちの気持ちを聞いてくれる人が現れたことです。長い間待ちこがれていました。でもこんなやりかたがあるなんて夢のようです。わかってほしかったのは私たちにも同じ気持ちがあるということです。ばかにされてきたけれどばかにされるようなことは何一つしてきませんでした。みんな同じ人間なのに許せません。亡くなってしまった生まれる前の仲間たちに私はよい祈りを捧げたいのですがなかなかきれいな気持ちがなくなりそうで困っています。みんなの気持ちを私は大事にしながらこれからも生きていきたいと思います。ごめんなさい悲しいことばかり書いて。だけどきょうはどうしても書きたかったです。ありがとうございました。言いたいとが言えて気持ちが落ち着きました

 小さな小学生の胸を、社会がよってたかって苦しめている、今,
この日本で起こっているのは、そういうできごとだと言わざるをえません。出生前診断をめぐる議論は、この少女の悲しみを知った上でなされなければいけないと思います。今、マスコミなどは、こうした少女の悲しみに、あえて耳をふさごうとしているようにさえ私には思われてきますが、これもまた、こうした彼女たちの声に、正しい意味での「市民権」が与えられていないからなのでしょう。なかなか届かない声ですが、私は、発信し続けたいと思います。
2012年12月2日 01時00分 | 記事へ | コメント(0) |
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出生前診断について 11月18日
 青年学級のみんなのあかりコースでの議論のうち、パソコンで綴られたものです。出生前診断について訴えていくための歌をつくろうということになり、その歌詞の材料としてみんなが出し合った言葉です。

気持ちがあるのにわかってもらえず 
ぼくはなんども泣きたくなった
だけどぼくらも人間だ
未来はろうそくのあかりのように
光り輝いている
だからみんなで叫んでみよう
ぼくたちもおなじ人間だと

地震のときにがんばったのに
もうみんな忘れてしまったのか
理解されたと思ったのはつかのまのことだった
人間としての最低の尊厳さえなくなったこの世の中は
望みさえなくなった暗闇の世界だ
敏感な人にはどうしても
生きていてはいけないという声が聞こえてしまう
だからぼくたちは人間としての絶望から立ち上がるために
もう一度理想をどうにかして訴えなくてはならない

知らないうちに未来が閉ざされてしまった
ぼくたちは理解されないだけでなく
生きていてはいけないということになってしまいそうだ
理解される世の中だけでもたいへんなのに
よいいのちと悪いいのちという区別をなくすことは
もっとむずかしいことだ

小さい涙ががすっと流れた
みんなをなきものにするという
人間としての尊厳を
ふみにじってしまう冷たい言葉に
人生を否定された
われわれが生きていける場所は
もうどこにもなくなりそうだ

人間としてのみんなの尊厳を
ごんごんと湧きいずる清水のように
訴えていかなくてはならない
私たちをなきものにしようとする社会は
だれもがわかりあっていける社会の否定だ
もうじき夜明けがくると思っていたけれど
夜明けはまだどこにもその気配さえ見られなくなった

小さい涙が流れたという歌にしましょう
そこから歌にしよう

人間としてのわだかまりがやっととけそうなのに
またつきおとされた感じです
わだかまりをなくしたいです
理想をなんとかしてとりもどしたいです
人間としてのわなにおちてはいけないとおもいます
理想を高くかかげよう
りそうをつよくかかげよう


 そして、この議論のあいだ中、机につっぷしてまるで寝ているように見えたダウン症当事者の女性がいました。しかし、彼女が寝ているはずはありません。彼女にパソコンで話をしていただくのは初めてでしたが、あえて、そこで、パソコンで話しますかと尋ねてみました。すると力強く首を縦にふって、こんな文章を書きました。 

 私はダウン症なので今回のことではとてもつらい思いをしました。なぜならもう生まれないほうがいいと言われたような気がしたからです。でも私たちも同じ人間だということをもっと大きな声で叫びたいです。小さい時からもんもんとしてきましたが私たちをなきものにしたいというのは許せません。だから私は勇気を出して言いたいです。私たちも同じ人間だと。おんなじ空気をすっておなじ水をのむおなじ人間ということを。おんなじ血がからだに流れているおなじ人間なのだと。人間という言葉がこれ以上こわされないように。

 当事者の悲痛な叫びです。こんなにも人を悲しませていることに耳をふさいで、私たちの社会はとんでもない方向に舵をきってしまったと言わざるをえません。
2012年12月2日 00時40分 | 記事へ | コメント(0) |
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