ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2010年01月19日(火)
Tさんからのメール 2010年1月13日
 Tさんからのメールが届いた。

困る話はかあさんが笑うことだ。
ほかにもつらいのは腕がとまらないこと。
とてつもなく苦しくてあほらしくなる。
電動車いすに乗りたいと思う。
ほかの場所に急いで行きたい。
自由医いられるすてきなところに行きたい。



 Tさんとは、先日トマトハウスでも会った。以下は、その時の言葉だ。

小さい時からの夢がかなってうれしいです
願いはよい人と結婚することです
ラブラブになりたいです
理想は自立ができてラブラブの人と結婚することです
わかってもらえればうれしいのですがなかなかわかってもらえません
ぼくの気持ちを聞いてくれるのは松田さんだけです
小さい頃からの願いがかなってうれしいです


 電動車いす、結婚…と夢が続く。さしあたり、私たちは答えるすべをもっていない。しかし、せめて、自分の思いを自由に伝えられるということだけは、実現可能な夢にしたい。
 Tさんと松田さんの関わりの場は、原点は識字教室にある。最近NHKで識字教室のすばらしい番組が放映された。私たちのこうした取り組みが、識字の世界とつながっているということも、常に、忘れずにいたい。
2010年1月19日 18時35分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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美しい歌を歌いながら
 12月の活動の時に、聞き取っていた詩があり、それを歌にしてほしいと言われていた。その詩に、若いスタッフがとてもすてきなメロディをつけてきた。
 
 美しい歌を歌いながら 美しい歌を歌いながら
 夢のくに 本当の未来 若々しい気持ちでゆこう
 美しい歌を歌いながら 未来の森をめざしながら
 美しい気持ちで 美しい歌 歌っていこう
 美しい歌を歌いながら 未来の道歩んでいこう
 
 まだ、未完成だが、この歌を何度か聞いているうちに彼は、大きな声で歌い始めた。本当にうれしかったのだと思う。
 その後、ゆっくり彼の気持ちを聞いた。

 気持ちをい言言いたいけどなかなか言えなくてくやしい。認めてほしいけどむずかしいです。夢のようです。小さいころからの夢でした。理想は理解してもらってよいくらしをすることです。勇気がほしいです。よい歌を作ってもらえてうれしいです。わかってほしい。誕生日に歌ってほしい。(誕生日は)もう終わりました。自立したいです、ぼくも。ぼくはおかあさんによく迷惑ばかりかけているのでかあさんを楽にさせてあげたいです。ぼくは体が勝手に動くので困っています。願いは心をきれいに忘れないようにしてよい人生を生きていきたいです。はいそうです。理解してくれてうれしいです。夢のようですみんなわかってほしいですがなかなかむずかしいですね。もっともっと自分をどうにかしないとわかってもらえません。願いわかってもらうことです。柴田さんはなぜぼくの言葉がわかるのですか。力を入れていないのに不思議です。勇気がほしいです。わかってもらえてうれしいです。理解してくれてうれしいです。不思議です。理解してもらえてうれしいです。紙破きは気持ちを落ち着かせるためです。もっとほかのやり方があったらなと思うけど残念です。願いはよい人間になることです。未来いが開けてきました。わかってくれてありがとう。願いはこのやり方で話せるようになることです。わかってほしいです。楽にできてうれしいです。
2010年1月19日 01時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ぼくはダウン症という病気ですが…
青年学級の若いメンバーIさんが活動の後の喫茶店トマトハウスにやってきた。なかなかなじめず、欠席も多いIさんがようやく仲間になり始めた。Iさんは、簡単な会話のできる方だが、今一つ本当に言いたいことが伝わりにくいということがあった。そんなIさんに、パソコンをやってみるかというと、ためらいながらもまんざらではなさそうだったので、積極的に薦めて、やってみることにした。すると、さらさらと、次のような文章が書かれた。

 ぼくの気持ちを聞いてください。ぼくはダウン症という病気ですがぼくはふつうに考えているのでくやしいです。理想はわかってもらうことですがなかなかわかってもらえません。
夢みたいです。理解してほしいけどなかなかわかってもらえません。
みんなとも話したいです。音楽のコースが好きです。詩を聞いてください。

ちいさい私
願いをもって生きてきた
勇気を出して理想を求め
私はひとりで生きてきた
未来は私の忘れられない夢のかなた
私は私
勇気を出して生きていく
もう少しろうそくを高くかかげて
生きていきたい

前に作りました。願いでした、気持ちを伝えることが。うれしいです。


 まだ20代前半の若々しい彼の表情が、とても晴れやかに見えた。これで、また、さらに青年学級の仲間としての関係を深めることができただろうか。これからの展開が楽しみだ。
 私たちはあえてダウン症などということ前面に出してつきあうことあない。だが、彼はそういう言われ方にもう、辟易しているのだと思う。「21番目のやさしさに」というダウン症の方が書いた本がある。これまでの見方をひっくり返す力のある言葉だと思う。「ぼくはダウン症という病気ですがぼくはふつうに考えているのでくやしい」という言葉をじっくりと世の中がかみしめられるようになればと思う。
 
2010年1月19日 01時10分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年01月12日(火)
お父さんの遺影の前で
 3才の頃から関わってきて、ここ数年、たまにしかお会いしていなかった○○さんのお宅を久しぶりに訪問した。お父さんが昨年秋に亡くなられたことを知り、いつもやさしかったお父さんにお線香をあげさせていただくためだった。
 そして、1年半ぶりに会った○○さんに、2スイッチワープロを試みた。なかなか手でスイッチを触ることがむずかしい○○さんだが今回は、肩や肘で挑戦した。すると、これまでのことが嘘のように、彼は、すらすらと文字を綴っていった。
 
きいてほしい きもち。
かあさんいつもありがとう。きもちいい。ちいさいときからはなしたかったからうれしい。きもちがいいたかったけどいえなかった。
(ひらがなはいつ覚えたのですか。)
ちいさいときにおぼえました。
なぜわかっていることがわかったの。たいへんうれしい。ねがいでした。
(簡単ですか。)
かんたんです。かんたんですがふしぎです。なぜちからをいれていないのにわかるのですか。
きいてください、ぼくたちのきもち。ぶんそうおうのいきかたはいやです。ちいさいころからなにもわからないといわれてきてかなしかったです。みらくるのようです。しんじられません。じぶんのことばだからほんとうですが。のぞみがかないました。まるでぼくのこころをよんでいるみたいです。
(手で握るスイッチはどうですか。)
てがかゆくなりますからこのすいっちがいいです。そんなやりかたをどうやってはっけんしたのですか。
てはかってにうごきます。はいそうです、ゆめみたいです。らくにはなせてうれしい。ふしぎです。だれもわかっているといってくれないのにどうしてわかったのですか。みかけによってごかいされてかなしいです。はい。ですがそれをわかってくれたひとはいませんでしたからうれしいです。
(最初に何か言おうとしてましたね。)
ひさしぶりといいました。ゆめのようです。
(おとうさんの話をしている時はどんなことを考えていましたか。)
ぼくもいっしょうけんめいがんばったといいたかったです。おとうさんがなくなってとてもさびしいです。そうぎにはでられなかったけれどひとりでもんもんとしていました。かあさんがとてもかなしんでないているのがかわいそうでした。とうさんのことをまいにちおもいだしています。ぼくはかあさんにめいわくばかりかけているのでもうしわけないです。らくなせいかつをさせてあげたいです。ねがいはそんけいするおとうさんにりっぱなすがたをみせることです。わかってもらえてうれしいです。りっぱなすがたとはじりつすることです。ねがいでした。なんねんかかってもいいからじりつしたいです。
いいやりかたですね。うれしいです。ねがいはこのほうほうではなせるようになりたいです。くろうしたてきたのでみとめられてうれしいです。じんせいをちからいっぱいいきたいです。かあさんにもよんでほしいです。ちいさいときからゆめでした。どうしてわかっていることがわかったの。ことばをりかいしていることがわかってもらえたらそれでじゅうぶんですりかいしてもらえてうれしいです。
おじいちゃんのことはにがてでしたがとてもだいすきでした。ねながらよくはなしをしてくれましたのでさびしいです。らくをさせてあげたかったです。
わすれていました。ぼくはみんなにとてもかわいがられていました。おとなになってもみんなぼくをだいじにしてくれました。だからとてもかんしゃしています。みんないいひとばかりでしあわせです。
わかってくれてうれしいです。みんなにありがとうといいたいです。
つかれました。しゅうちゅうしたので。
ありがとうございました、きてくれて。いいじかんでした。


 家に帰って、この文章を、次の短い手紙をそえて、ファックスで送った。
 
 今日は、○○君の気持ちを何とか、聞くことができて、とても感激しました。長いことおつきあいしていたのですが、こうした方法にたどりつくのに、ずいぶんと時間がかかってしまいました。
 前にうかがった時にも、可能性は感じていたのですが、手を使ってスイッチを操作してもらう方法しかなかったので、うまくいきませんでした。この一年ほどの間に、手が敏感でスイッチをさわるのが苦手な人に、肩や肘などにスイッチを軽く押しつけていくやり方で反応が拾えるようになり、○○君ともようやくうまくやることができました。
 ひらがなも小さいときに覚えていたということで、今までの関わり合いがとても的外れだったことに、申し訳ない思いがいたします。
やさしかったお父さんにも、こうした○○君の言葉をお届けすることができなかったことが残念です。心からご冥福をお祈りいたします。
また、よろしくお願いします。
2010年1月12日 15時12分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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2010年01月01日(金)
ろうそくの火
 盲重複障害者と呼ばれる女性、☆☆さんとパソコンをはさんで関わった。彼女のことは、以前から知っていたがゆっくり関わるのは初めてだった。

 いい気持ち。気持ちが言いたいけどなかなか言えなくて困っています。小さいときから気持ち言いたいと思ってきました。すてきなやりかたですね。うれしいです。信じられませんが私の言葉なので信じないわけにわいきません。自分の気持ちが言えたらいいと思ってきましたからうれしいです。みんなと話がしたいです。夢みたいです。夢を見ているような気分です。希望が湧いてきました。もう少し早くこのやり方に会いたかったです。

 「もう少し早くこのやり方に会いたかった」という言葉が、胸にささる。様々なことがきちんとできて言葉も話すことのできる☆☆さんのような方が、こうした気持ちを言葉に表現できずにいるということに気づいたのは、ほんの1年ほど前のことだから、どうしようもなかったことなのだが、こうした言葉を彼女の後輩たちには言わせてはならないと、改めて思う。まだまだ、それも容易ではないが、過渡期とばかり言ってもいられない。
 ここで、いくつか彼女に質問を投げかけて見た。これだけの思いを綴る彼女の行動の意味をたずねてみくなたからだ。

(点字の学習の時、リベットを投げたりするのはどうしえですか?)

くやしいからです。

 うまくできなことへの悔しさという感情がこうした行為の背景にあるということは、なかなか気づかれにくい。たいていは、いやがっていると怒っていると、関わり手へ直接気持ちをぶつけているととられてしまう。しかし、この行為は彼女の、誇り高さの表れにほかならないのである。そして、さらにこう続く。

私のことをなかなかみんながわかってくれないので悲しいです。本当はなんでも理解できているのに言葉がうまく話せないで困っています。望みは理解してもらってみんなと仲良くすることです。私をわかってくれるのはおかあさんだけです。なかなか理解されないで悲しいです。わかってほしいです。

 そして、話は、言葉を読みとる方法に及ぶ。

不思議です。なぜわかるのですか。
(次の文字を思い浮かべていてここだと思っているでしょう?)

はい。思っています。なぜだかわかりませんがほんとうの気持ちです。

 そして、パソコンで文字を綴りながら、一見関係のない言葉を発し続けていることについて、尋ねてみた。

言葉は勝手に出てくるので気持ちを言うことができません。勝手に出てきます。よくわかりませんが勝手に動きます。

 このことがどれだけ彼女を誤解させてきたか、その悔しさは想像にあまりある。ここで、話を切り替えた。

(詩を作ったことはありますか?)

 あります。「ろうそくのひ」という詩です。

ろうそくのあかりを求めて 私は生きる
誰も知らない森の奥で
緑を私が(緑が私を?)やさしく包み
私は呼んだろうそくの火を
緑は目の前の理想の私
緑は私の生きる希望
夢の世界の私のろうそくの火よ
ろうそくのあかりがつないでくれた未来の私に
私は心をつなぐ

 これでおしまいです。一人の時に作りました。理解してくれてうれしいです。
 歌も作っています。「私のろうそく」という歌です。

ろうそくのあかりが私をてらす
夢のような緑の森で
私は理想のろうそくを
人間としての心をもった
私のろうそくの私のあかし
理想をなかなかかなえられずに
私は呼んだ 私のろうそく
私は生きる 緑の森で
未来の私を夢見つつ



 「私のろうそく」という歌です。いい歌ですから聞いてもらいたいです。私の歌を聞いてもらえるとは思いませんでした。みんなも作っているのですか。夢のようです。不思議です。信じられませんが、信じないわけにはいきません。私の歌を聞いてどうでしたか。
 

 時間がせまってきたこと彼女に告げると、最後にこう綴った。  

 面倒ばかりおかあさんにかけているので申しわけないです。はい。小さいときからの夢がかなってうれしいです。

 あとで、お母さんがろうそくについて語ってくださった。もともと視覚障害のある☆☆さんは、それでも、幼い時、ろうそくの火だけは見えていたそうだ。その火もいつか見えなくなって長い時間が過ぎたけれど、きっと彼女には、その記憶が大切に残されているのではないかと。
  
2010年1月1日 17時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主グループ(視覚障害) |
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