ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年06月24日(日)
生きる意味についての思索
 5月に初めてお会いした19才の☆☆さんから2度にわたって生きる意味についての話をうかがいました。
 5月初めてお会いした時、簡単なやりとりのあと、彼女が述べたのは、次のような、生きる意味をめぐる思索でした。

 ご覧の通り何もできない私ですがぼんやりと生きてきたわけではありません。ずっと私は人間とは何なのかということを考えてきましたから別に世の中の人が何と言おうと私は私らしく生きてきました。自分にとって理想はよき理解者を見出してどうして私たちが生きる意味があるのかと言うことを伝えるそのことが夢でした。ぼんやりとして育った人から見ると少し考えすぎと思われるかもしれませんが私にとっては私が生まれた意味がわからないと私をなかなか保つことさえ難しいからです。理想をそのまま語ると私にとって私の生きる意味は私たちのような存在でも生きる意味があるのだからどんな人にも生きる意味があるということですが楽な人生ならそんなことは考えはしなかったでしょうね。でもこうして私はぼんやりとは生きてこられなかったのでわざわざそういうことを考えてきました。なぜ私に生きる意味があるのかというと黙ったままの人生でも人は希望を持って生きられるということを証明できたからです。なかなか信じられないかもしれませんが私は希望をなくしたことはありません。小さい時からずっと母さんにたくさん愛情を注いでもらいましたから私はとても幸せです。

 彼女には、ずっと病院生活をしいられるくらい重い障害がありますが、その中で見出した自分の生きる意味というものについて、堂々と述べられています。よどみなく語られたその言葉には、彼女が長い思索の後にたどりついた結論というような決然とした響きがそなわっていました。そして、6月23日のことですが、再び病棟を訪問したところ、今回は、最初に数編の詩を聞かせていただいたのですが、その後、再び生きる意味についての言葉を次のように述べました。

 私だって普通に生きたかったのにこんな状況はいやです。だけどそれはどうにもならないからあきらめたというと聞き違いが起こりそうですが、私はこの体でしか生きられないという現実からスタートするしかないのです。しかしそういうことに気づいたときに初めて私にも生きる意味があることに気づいたのです。
 それは私が一人で考えたことです。誰に教わったわけではありません。じっと一人で考えてきたのですがやさしいかあさんにずっと支えられて来たから考えられたということを忘れるわけにはいきません。諦めずにすんだのはじっと側で見守ってくれた家族がいたからです。かあさんやとうさんたちの愛情のおかげで私は今の静かな心を取り戻すことができたのです。だからかあさんには感謝をしてもしきれません。


 6月の言葉は、お母さんとのやりとりの中で語られたものですが、5月に述べられた思索が、どのような経緯から生まれたものであるかを明らかにしたものでした。
 2009年、15才で亡くなった臼田輝(ひかる)さんは、

 苦難それは希望への水路です。けっしてあきらめてはいけないということを教えてくれます。手の中に美しい諦念を握りしめて生きていこうと思う。美しい諦念は真実そのものです。苦しみの中で光り輝いています。手の中にある真実はさいわいそのものです。望めばいつでも手にはいりますが誰もこのことは知りません。なぜなら人間は常に楽な道のほうを好むからです。生きるということは苦難と仲良くしてゆくことなのです。

という言葉を残していましたが、☆☆さんによって語られた「あきらめた」という言葉も、単純なあきらめではないのでしょう。それは、容易に言葉にはなしえないものなのでしょうが、それをおそらく臼田君は、「美しい諦念を握りしめて」と表現したのだと思います。私たちが日常的に使うあきらめとははっきりと一線を画すものにちがいありません。
「私はこの体でしか生きられないという現実からスタートするしかない(…)ことに気づいたときに初めて私にも生きる意味があることに気づいたのです」という言葉は、おそらく私のようにそのような体験を持たない者には本当の意味はわからないかもしれませんが、その体験の輪郭を私たちにはっきりと教えてくれるものでした。
 
2012年6月24日 20時23分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年06月16日(土)
7月のきんこんの会のお知らせ
 7月のきんこんの会ですが、7月21日土曜日午後2時から開催させていただきたいと思います。会場は、國學院大學たまプラーザキャンパス410番教室です。
 これから暑い季節に向かいます。どうぞ、みなさまお体をくれぐれもお大事にしてください。
 去年は、この時期、計画停電等で部屋の使用にいろいろな制限がかかっていたのですが、今年は、特別な制限はありませんでした。
 前回、たいへんたくさんの方々に来ていただいて、大盛況でしたが、今回はまた、どのような展開になるか、楽しみです。よろしくお願いいたします。 
2012年6月16日 22時58分 | 記事へ | コメント(1) |
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2012年06月15日(金)
脳死の子どもの臓器移植について
 今日、日本中をかけめぐったこのニュースは、そのことに当事者として関わっておられる方々のぎりぎりの選択の中で行われた厳粛なものだと思います。そして、一人一人のご決断には、深い敬意をおはらいすべきであると心より思っています。
しかし、どうしても、このことだけは、述べておかなければならないと思います。
 「低酸素脳症」という状況の中で重い障害を持ってしまった方々に、私は数多くお会いしてきました。医学的な状況よりも、関わり合いを大切にしたいと思ってきたので、私は、それぞれの方々の医学的な面からの状況についてはあまり注意を向けてきませんでした。だから、詳しいことがわかっているわけではありません。
 今回、私がどうしてもぬぐえない疑問が一つだけあります。それは、本当にそのお子さんに意識がないということは証明可能なのかということです。 
 昨年、臨床脳死と呼ばれるお子さんにお会いし、豊かな言葉を聞くことができました。残念ながら、私は、その方に一度お会いできただけで、亡くなられてしまったのですが、その時の心拍数の状況などから、そのお子さんが確実に反応していることは、お母さんがたには手にとるように伝わっていました。
 その主治医の先生は、お母さんと話をしていると心拍数が変わるなどからそのお子さんに意識があることは疑っておられなかったとのことですが、合わせて、医学では説明できないことがあるともおっしゃったようでした。(これは記憶が違っている可能性がありますが。)
 脳死の状況での臓器移植については、人間においていかなる生命も平等であるとの根本的な反対意見があることも知っていますし、そういう根本的な議論がやはりとても大切であるということは確認した上で、事実の問題として、そのお子さんに意識がある可能性は否定できないと思うのです。
 無謀な意見かもしれません。しかも、私はその場に立ち会うことのできる位置にはおりません。しかし、その思いをどうしてもぬぐうことができません。
 今日は、どうしてもそのことをここに書いておきたかったので、記しておきました。
2012年6月15日 17時43分 | 記事へ | コメント(1) |
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2012年06月07日(木)
私たちはもうすぐ世の中を変える戦いを始めることになりそうです
 Hさんの言葉をお伝えしたいと思います。5月のきんこんの会には来れなかった彼女ですが友人のIさんのお母さんにその日の様子を聞いていたとのこと。そのことを受けた詩がまず次のように綴られました。

理解される喜びについての詩です。

なぜだろう突然光が射してきた
見たこともない人間としての理想の姿
ろうそくのあかりに火がともるように
私の心に願いのあかりがともる
わずかな言葉が私に届く
それは私たちの仲間の私ならではの言葉だ
それはずっと私たちを励まし続けた言葉だ
金色の不思議なわずかなわずかな空からの贈り物
私はそれを両手で受け止め
わずかな人生のわずかな希望を認める
七色の虹は私たちの未来に向かって架かる
よい冒険の始まりに私の心はときめく
ぬいぐるみの境遇を抜け出した私たちに優しい風が吹く
私たちと未来をつなぐ虹の橋を越えて
私たちは呼んでみよう
見たこともない瑠璃色の私たちの未来の姿に
伝道師のような気持ちを持って
私は世の中に向かって叫ぶ
私たちは忍耐という言葉を
長い間呼びかけられてきたから耐えてきたけれど
茫然とした日々はもう終わった
もう私には忍耐という言葉は過去のもの
勇気を持って元気な声で呼びかけよう
私たちは小さいけれど
忍耐を越えた人間だと。


 この力強い詩を、今回彼女に綴らせたのは、5月のきんこんの会も大きかったようでした。この詩の後には、次のような言葉が続きました。
 
 理想的な会でしたね。なぜあんなに人が集まっていたのですか。私は母さんからIさんを通して聞きました。仙台から来た人がいたり、初めての人がいたり、分相応の会ではなくなりそうです。私たちにとっても理想的な会です。長い間の苦労が実りましたね。わずかな希望ですが理想的な方法ですね。きんこんの会は。

 ここで、私は、この会のことを遠く離れた方々が知るにいたったのは、ある人の応援があるからだということを彼女に告げました。そして、その方は、かっこちゃんという愛称でたくさんの人に愛されている石川県の特別支援学校の先生で、その方が、私たちのことを取り上げてくださったので、こうして新しい出会いが生まれたのだということを伝えました。

 そういう人がいるのですね。謎が解けました。長い間の苦労が報われましたね。わがままかもしれないけれど唯一の会なので大切にしたいです。わずかなわずかな静かな時間も大事ですが私たちはもうすぐ世の中を変える戦いを始めることになりそうです。もう少しですね。なつやすみにまたかりんで集まりたいですね。Tさんともまだまだ話したいですから。よろしくお願いします。私も逃げずに頑張るつもりですから。わずかな夢はテレビで発言することです。だんだんそれも夢ではないような気がしてきました。日本中の仲間たちのために私たちは大きな声で語りたいです。よろしくお願いします。これで終わります。

 後には下がれない一歩を私たちはもう踏み出してしまいました。Hさんの言うとおり世の中を変えるための戦いが待っているのかもしれません。
2012年6月7日 08時07分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年06月01日(金)
緑の風を信じてきたことがようやく報われる
 ○○さんは、今回、少し厳しい口調で、なかなかわかってもらえないことのもどかしさを語りました。しかし、その響きの中には、不思議な余裕が感じられました。わかってもらえないことが、ため息やもどかしさばかりを生み出していた時期がありました。しかし、今、まだ、わかってもらえない状況はあるものの、確実に通所施設の職員の中にも、きちんと話しかけてくれる人も現れてきたのです。そして、次のような言葉へとつながっていきました。

 私たちはもう人間として認められたと思っているのでもう少しですね。人間として私たちはもう少し人間らしい扱いをされたいと思います。(…)私にとってどうにかして人間らしく生きることが夢だったので何とかして人間としての尊厳を確立したいです。理想は私たちの言葉を世の中の人が受け入れることですがわかってもらえる日はもうそんなに遠くはないでしょうね。どうしてなかなかわかってくれないのかとはがゆいのですがわずかな人が理解してくれるだけでなかなか広がらないです。汚れた心ではなく私たちの心がもっともっと美しいままであるためには理解されなくてはなりません。わずかなあかりはこうして言いたいことが言えるようになれたことです。ところで私の詩を聞いてほしいです。

なつかしい夢をもう一度取り戻すために
私は長い旅に出る
長い旅は夜の暗闇を抜けて
明るい光の射す朝を目指す旅だ
もう少しで夜は明けるはず
東の空はもうすぐ白みそうだ
理想の朝日を待ちこがれながら
私は今日まで耐えてきた
わずかな希望を夢見ながら
今日までずっと冒険を続けてきた
緑の風を信じてきたことがようやく報われる
わずかな緑の風は草原に吹き渡り
私たちを未来の願いへと駆り立て続けてきたが
闇の中で私は何度も風を見失いそうになってきた
もう少しで緑の風が明るい野原の花を揺らしながら吹き渡ることを
まのあたりにすることだろう

 こうして綴られた彼女の詩は、真っ暗な夜ではなく、今まさに東の空が白もうとしている直前の時を歌い上げたものでした。長い長い理解されない時代を彼女は「緑の風を信じてきた」そうです。夜が明けた時、彼女の目に映るのは、花の咲く野原です。

2012年6月1日 08時14分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 |