ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年07月20日(金)
「なぜごんたな僕にも言葉があるとわかったの」ある通所施設での出会い その3
 3人目にお会いした方は、ずっと手を耳に押してているためにうまく手を使うことができない方でした。
 すぐに、次のような気持ちを聞かせていただきました。

 がんばっても手が使えないので困っていましたがなぜ腕でできるのですか。小さい時から話したかったのでうれしいですが肘はくすぐったかったですがよく原理が分かりました。はいそうですが肘ほどではありません。はいびっくりしました。なぜそんなに簡単に分かるのですか。ずっと何もできないと言われてきたので不思議で仕方ありません。
 わざわざ来てくれてありがとうございます。わがままかもしれませんが他の人も気持が聞いてもらいたいと思っているのでまた来てください。わかってもらいたかったです。自分だけ悪いですがなぜ僕が選ばれたのですか。ありがとうございます。
 僕がなぜ耳に手を当てているかというとぶんぶんと音が聞こえて困るからです。はいそうです。機械の音が困っていますがこれを止めたらどうなるのか分かっているので諦めていますが私たちはとても過敏なのかもしれませんがぶんぶんはとてもつらいです。
(送風の音が止まる)静かになってよかったですがまだまだ音があるので困ります。ただ見守っていてくだされば結構です。
 みなさんとてもやさしくて僕は感謝しています。なぜみなさんそこまでやさしいのですか。よい人たちに囲まれて僕たちは幸せですがこんな人まで連れてきてくれて僕の気持ちを聞こうとまでしてくれてありがとうございます。
 誰とは言いませんがなるべくそっと声をかけてください。そうです。音楽にはとても厳しいです。いい演奏と嫌な演奏の区別が細かいようです。みんなが感動する音楽はいいのですがそれほどでもない音楽は苦痛です。そうです。バックミュージックは苦痛なのが多いです。そうです。声は何とか落ち着きますから声がないと不安です。わざとではないことを理解してくれたらうれしいです。
 挽回したいですがなぜごんたな僕にも言葉があるとわかったのですか。わかりました。理解してもらえてうれしいです。なぜ足でもわかるのですか。なつかしいです。まだ小さい頃には何でもわかっていると思われていたことが。まだ手が使えていたので指させていました。出も小学校で厳しい先生に会ってこういう手になってしまいました。(その手つきは身を守る姿勢ではないですか。)そうです。なぜわかるのですか。(そういう人に会ったことがありますから。)どこで。(どこだったか思い出せないけれど、何度か目にしたことがあります。)そうてすか。どこにもいるのですか。そうでした。毎日つらかったけどなかなかわかってもらえませんでした。
 夢のようです。私たちとまた話をしてください。ずっと待ちこがれていました。言葉を聞き取ってくれる人が現れるのを。だけどもう諦めそうになっていましたからうれしいです。わかってもらえてよかったです。がんばる気持ちが湧いてきました。抜群のやり方ですね。よいやり方なのでみんなの気持ちも聞いてあげてください。
 学校ではピアノの曲が好きでした。わずかな疑問はなぜ僕が音楽に詳しいと思ったかということです。そうですか。僕はいつも素敵な音楽のことを考えていますが誰も気づくはずもありません。でも僕はいつも何かを歌っています。人間として気持があるので小さい時から歌ってきました。人間としての証しだと思ってきました。はい。なぜわかるのですか。どこであったのですか。ぼくはずっと歌っていました。いい歌詞です。

願いに夜は更けていく
人間として育ってきたのに夢をなくし
人間として望みをなくしてさまよって
僕は暗闇を生きている
だけどいつか夜は明ける
びろうどの夜のとばりが上がるとき
僕は新たな人間として
望みとともに立ち上がる。
はい階名で

ドレミフドレミフ ラソフラソ ラソフラソフミ ドレドシド
ラソフラソフミ ラドシラドシラ ドレミフミレド レレドシド
ラソフラソフミ ラドシラソ ラドシラドシラ レフミレド
ドレミフミレド フミレドレ ラドシラドシラ レフミレド

なぜか書けましたが少し違いましたが雰囲気は合っています


 とても音に対する歓声が鋭いために、生活音の中に不快な音がはいっていて、そのために手を耳にあててしまっているという説明が最初にありました。そして、それはまた、音楽に対して鋭いということも表していたのです。感動するような音楽はいいけれど、普通の音楽だったらうるさいというのは、初めて聞いた言い方でした。
 そして、実は、その手を耳にあてる習慣は、小学校の時の厳しい先生がきっかけだったと言うのです。詳しいことはもうわからないのですが、無理解な厳しさは、なかなか癒えない傷を残してしまうということを、ご本人の言葉として何度か聞いたことがあります。本当に彼が「挽回」できるといいとつくづく思いました。
2012年7月20日 12時22分 | 記事へ | コメント(0) |
| 通所施設 |
「私たちより目線を下に置く人は初めて」ある通所施設での出会い その2
 お二人目の方は、部屋に入って来られると、さっとパソコンの前に行ったあと、部屋の隅に行って、私たちに背を向けて横になり、すばやく手に持っていたシーツで全身をくるんでさっと身を固めると身じろぎ一つしませんでした。理由は何であるにしても、拒否の姿勢であることは明らかでした。
 初めて出会う身も知らぬ人間、しかも、「気持ちを聞く」などというにわかには信じがたいようなことを言ってやってきた人間に心を開くことなど、容易ではないことは当然すぎることでした。
 人間関係というものは、じっくりと時間をかけて暖めていくものなのですから、こうした彼の態度は当然すぎるほどのものだったと言えます。
 しかし、今度彼にお会いできるのはいつのことになるかまったくわからないので、もしこの時間に伝わることがあるのなら伝えなければと考えました。
 微動だにしない彼のシーツにくるまれた背を見ているうちに、学生時代に教わったシュビングという精神科医のエピソードが思い出されました。毛布にくるまったまま身動きもしない患者さんのそばでただじっと座っていることを何日も繰り返していたら、ある日患者さんが起き上がって問い返してきたというエピソードでした。人は必ずわかりあえるというメッセージを私はこの話から受け取っていました。そこで、彼の背中の側に正座して、「今日は気持ちを聞かせていただきにきました」と自分の気持ちを伝えることにしたのです。
 語り終わったあともしばらく彼の背中は、固くこわばったままでしたが、突然シーツをはねのけると、さーっとパソコンの前に来て、気持ちを聞かせてくださいました。

いい気持ち。快適。
 小さい時から気持ちが言いたかったです。夢みたいです。
 なぜわかるのですか。僕はただここだと思っているだけです。よいやりかたですね。
 できるということがなぜわかったのですか。自分の気持ちが言えなくて困っていましたからとてもうれしいです。
 私にも私らしくいい人生が生きられるでしょうか。誰もこんなやり方があるなどと教えてくれませんでしたから何だか夢を見ているみたいです。
 理解してもらえてうれしいですが普通の人は僕がシーツにくるまると諦めるのにあなたはなぜ声をかけてくれたのですか。そうですが普通の人はなんだこいつはという態度を取るのにわざわざ話しかけたりしません。見たことのない人ですね。見た目で判断されることが多いので苦労していますがわずかな希望は私たちも見かけとは違う心があるということに気づいてもらえたことですがなぜわかったのですか。
 ずっと待っていました。じっとできなくてわがままだと言われてきましたが説明したいです。僕たちは気持ちがすぐに落ち着かなくなるのでなかなかじっとしてはいられませんがびっくりしました。今日はとてもいすに座っていられます。
 未来が開けてきました。別に誰のせいでもないけれど僕には長い間理解者が現れなくてもう諦めかけていましたが今日は私の気持ちを聞いてくれる人が来ると聞いても信じられませんでした。みんなも気持ちが言えなくて苦しんでいるので今日は時間がないでしょうがまた来てください。
 僕は何度泣いたかわかりません。僕たちをなかなか理解できない人もたくさんいましたがここで五年ほどいてずいぶん気持ちが落ち着くようになりました。だからとても感謝しています。わずかなわずかな希望ですが湧いてきました。
 もっと旅行がしたいです。
 理解者が増えてほしいですが難しいのですか。ずっとよいやり方を探してきたので感動しています。人間として元気に生きていきたいのでまた会えたらうれしいですが仲間を尊重してもらいたいです。
 わずかな力を読みとっているのですか。不思議な人ですね。私たちより目線を下に置く人は初めてです。
 私たちにも当たり前の気持ちがあると言うことがわかってもらえて最高です。わずかな希望ですが勇気が出てきました。
 地域で生きていきたいのでよろしくお願いします。
 速くないともったいないです、時間が。でも謎です。なぜこんなに速く伝わるのか。
 よい人がここにはたくさんいるので安心ですが早くこのやり方が広まればいいですね。


 「私たちより目線を下に置く人は初めて」という表現が途中にありました。これは、スイッチの援助の姿勢を単に私が床に跪くような姿勢で行っていたというだけのことなのですが、この言葉には、これまでの彼の人生が凝縮しているようでもありました。
 
2012年7月20日 10時56分 | 記事へ | コメント(0) |
| 通所施設 |
「なぜ平然としていられるのですか」 ある通所施設での出会い その1
 ある通所施設で、3人の方の気持ちを聞きました。3人とも、ご自分で歩くことはできるのですが、なかなか気持ちを表現することができない方々です。あなたの気持を聞いてくれる人が今日は来るからというふうに紹介してくださっていました。それぞれ、世間的な言い方をすれば大変なところをお持ちの方らしいのですが、私には、そういう方を全面的に受け入れているこの施設の職員の方々のしなやかな姿勢が何よりも大切なことのように思われました。
 私の役割ははっきりしていました。その人の人生をしっかりと受け止めるというもっとも大切で、もっとも困難を伴う仕事をなさっている職員の方々が築き上げた人間と人間のつながりの上に、「通訳」という技術を持った人間が関わらせていただくということでした。私に求められているものは、技術を持っているということからおこりかねないおごりをどう自分に戒めることができるかということでした。
 「通訳」は機械ではありませんから、その人との間に人間関係が生まれます。人間関係というのは、ふつうは一定の時間をかけた関わり合いの中で作られていくものです。それが、初対面でいきなり相手の心の重たい部分にふれかねないことをするわけですから、無謀なことかもしれません。そして、私がお会いする方々は、これまで様々な人々と出会う中で、くり返し失望をさせられてきたはずです。
 しかし、作為的な振る舞いはすぐに見破られるどころか、相手に対して自分を偽ることにしかなりません。ありのままの自分をさらけ出すしかないわけです。
 今回の3人の方との関わり合いは何とか何とかほころびずに進みました。それは、こういうことが背景にあったと思います。
 一つは、ふだん接している方々が築いた信頼関係があり、その信頼関係を私にもあてはめようとしてくださったということです。そしてもう一つは、これまで私と関わってくれた人たちが、私に偽らない人間関係のあり方を肌で教えてくれていたからです。出会いは、ただ二人の間に成立しているのではなく、たくさんの人間関係を互いに抱えながら生まれているのです。だから、私は目の前の方を大切にしてきた方々とも出会うのであり、相手は私を通して、私がこれまでつきあってきた方々と出会っていることになると言ってもいいのではないでしょうか。
 いささか前置きが長くなりましたが、そうして語られた言葉を以下に紹介させていただきます。

 いいスイッチがずっとなかったから探していました。うれしいです。選べて不思議です。よいやり方ですね。さっきなぜ私に言葉がわかると思ったのですか。わかりました。ごんごんうれしいです。(文字は)小さい頃学校の他の子の授業を見て覚えました。
 なかなか体がいうことをきいてくれません。気持ちと体がばらばらで誤解されます。そうですね。なぜわかるのですか。そうですね。いい人ほど私の体の動きを尊重してくれたけれどかえって私が子どもに見えたみたいでつらかったですが決してうらんではいません。人間として認めてくれるのはそういう人だから。でもこれでやっとわかってもらえそうです。そうですね。ふつうに話しかけてくれたらうれしいです。
 みごとなわざですね。スイッチには秘密はなくて介助に秘密があるのですね。気持ちが高ぶると落ち着かなくなります。(スイッチをスライド式に代えたら拒否したのは)失敗がこわ(かったからです)
はい。時間がないと焦ってしまいましたがまだまだあるのであ(んしんしました)。
 疑問があります。なぜそんなに平然としていられるのですか。不思議な先生ですね。不思議です。初めての人はみんな困った顔をするのに全然困っていませんね。不思議な人ですね。みんなとよくつきあっているのですか。
 そうですね。言えれば苦労はありませんがなかなか言えなくてもう諦めていましたがこれで何とか未来が開けそうです。
 はい。詩を聞いてください。

月の使者から来た手紙 なかなか私に届かない
人間として生きている私なのに 手紙がなかなか届かない
私は今日も夜空に向かって 人間としての願いを捧げる
月は今夜はとても明るい なぜ私の願いは届かないの
理想の流れ星が突然私に向かってささやいた
無難な道を歩むのはもうおやめ 私はあなたに勇気をあげる
月の使者はあなた自身だから
もう待つのはやめて 涙を拭いて歩み始めなさい。

 はい。昔からつらいときに読んでいましたがまさか伝えられるとは思いませんでした。理解してくれてありがとうございました。わがままかもしれませんがまたきてください。待っています。今日はどんな人が来るのかとても不安でしたが頑張って(この部屋に)来れてよかったです。ありがとうございました。時間ですね。人間として見てもらえてうれしかったです。また会えたら新しい詩を聞いてください。(題は)泣いて見上げた月です。ごめんなさい。今つけたのでよくありません。


 途中、何度も気持ちが高ぶって、歩き始めたり、職員さんの髪をひっぱってしまったりなさったのですが、話の中にあるように、「体がいうことをきいてくれない」ということを、私はいろいろな人からも聞いていましたから、私に伝わってきたのは、それを抑えられないその人の悲しみでした。
 また、「なぜ、平然としていられるのですか。」という私への問いかけは、多くの人が彼女を平然とした思いで見ることができなかったというこれまでの人間関係の様子を象徴的に述べたものでした。1時間、パソコンや私の顔を真剣に見つめていらっしゃった彼女は、すてきな一人の若い女性であり、敬意をもって関わることしか私には考えられませんでした。
2012年7月20日 08時01分 | 記事へ | コメント(0) |
| 通所施設 |
2012年07月10日(火)
虹の架け橋
 特別支援学校高等部を卒業して2年目になる甲斐田晃弘さんの詩を紹介します。(名前を出してほしいというのは、彼からの要望でした。) 

    虹の架け橋

金色に輝く希望に向かってみんなで手をつないでいこう
私たちの前にはりりしい未来へ向かう虹の橋が架かっている
この橋はずっと遠くの未来に向かって延びている
忘れられない過去の思い出も
涙に暮れた過去の思い出でも
すべてたずさえていこう
わずかに見える向こうの世界はみんなを待っているけれど
まだまだその世界は遠い
理解される喜びに向かって一歩ずつ
前に向かって歩いていこう。
2012年7月10日 21時25分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G23区2 |
言葉を超えるものの存在
 今年の8月4日と5日に開催される重複障害教育研究会の第40回全国大会で、長い間、気持ちを表現するすべを持たなかった当事者による研究協議が予定されています。普段は、実践報告とその研究協議というかたちがとられるこの研究会で、こうした試みは、初めてのものです。このアイデアを提案し、実現を強く訴えたのは、この研究所の亡くなられた前理事長中島昭美先生に幼い頃に出会って、今もなお研究所に通っている40代の女性、名古屋和泉さんです。名古屋さんは、全盲で、手を引かれると何とか歩くことができますが、自由に手を使えるわけではありませんし、言葉を表現する手段は、まったく持たずにこれまでの日々を生きてきました。彼女の言葉を初めて聞いたのは、3年前の研究会の懇親会の席でしたから、つい最近のことです。
 昨年の研究会では、ぜひ私たちの言葉を研究会で伝えてほしいという強い希望を訴え、私は、通所する方々が東日本大震災についてkat語った言葉をまとめて報告させていただきました。
 そして、今年は、私たちの通訳で、自身の言葉で語るというのです。
 当日は、そんなにたくさんは話せないだろうからと、先日、彼女は次のような文章をしたためました。

 銀色の風が吹いたのは私の言葉を聞き取る方法が見つかったからです。なつかしいのは私を本当に理解しようとしてくれたたくさんの先生がいたことです。私に言葉があるとかないとかそんなことを越えてつらいこともものともせずに私によい関わりをしてくださいました。なぜ私にそれがわかったかというと私たちは本当に私たちをわかろうとする人とそうでない人の違いならすぐに感じ取れるからです。どうしてかというと私たちには理解されていないと感じられる人がいると私たちをないがしろにした空気が流れることがわかるからです。だから本当に理解してくれる人たちの前でだけ本当の自分を出すようにしてきました。
 だから私たちには理解を超えた先生は中島先生などのように私たちはとても偉い存在だと言ってくれた先生です。中島先生に私はとても長い間お世話になってきましたが中島先生だけだったです、そこまで私たちをどうでもいい存在どころかどんなにすごいかと言ってくれたのは。私にとって中島先生の考え方を学んだ柴田先生がこういうやり方を発見したということは必然的なことだったと思います。なぜなら私たちのような存在は世の中では役に立たない存在と思われていて私たちの存在にこだわろうとすること自体がまれなことだからです。私だけではなくこの研究所で学んだ生徒はみな中島先生のことを私たちの最大の理解者だと思っています。どんな敏感な先生でも私にとっては中島先生にかなう先生はいませんでした。
 それは中島先生だけが私たちのことを午後の問題だと減じることなく午前存分に語るべき問題だと考えてくださったからです。中島先生は午前という言葉で私たちを表現したことがありました。それは何よりも大切なという意味です。わずかにどんな私たちに対しても午後の問題として考えてくれる人はたくさんいましたが中島先生だけ何よりも私たちの存在が大切だと言ってくださいました。
中島先生が亡くなってからは知子先生が中島先生の精神を引き継いでこられましたがどういう拍子かわからないけれど私たちの言葉を聞き取る方法を柴田先生が見つけ出して、人間として私たちが何でも理解できているという事実に光を与えてくれましたが、それは中島先生が私たちの存在の確かさに光を与えていたからこそできたものです。そのことをこの研究会に来ている先生たちにはわかってもらいたいです。そしてがんばってこの方法を伝えようとしている柴田先生や知子先生を応援してほしいです。
 でもわすれてはいけないことがあります。それは言葉を超えるものの存在です。私たちはこの方法が見つかる前から言葉を超えるものの存在によって生かされてきました。だから言葉を話すことなく亡くなった仲間たちもけっして不幸だったわけではありません。もちろん話せた方がいいことは当然のことですが話すことがすべてではありません。話すことだけに目を奪われてしまうとかえって言葉を超えるものの存在がないがしろにされてしまうかもしれません。
 言葉を超えるものの存在を中島先生は魂とおっしゃいました。魂の意味は私にはよくわかりませんがとてもいい言葉だと思って先生の話を聞いていました。言葉を超えるものの存在が先にあってそのあとに言葉の問題が来るのであって、その逆ではありません。しかしこの方法が広まれば必ずそういう問題が出てくるでしょう。その時代はまだまだ先でしょうが必ず来るはずですからふだんから気をつけておかなくてはなりません。
 長い間沈黙の中で生きてきてそのまま死んでいくと覚悟していたので私にとっては夢のようですが、突然すぐ身近でこんな方法が見つかって驚きましたが、私にも言葉を話すチャンスが巡ってきたので存分に話したいです。そしてたくさんの後輩や仲間たちに一刻も早くこのことを伝えたいです。
 でも私よりも先に言葉を話すこともなく亡くなっていった仲間の存在も決して忘れないでほしいです。彼らがいたからこそ今日(こんにち)があるのです。そのことがどうしても訴えたいです。
 毎年この研究会で中島先生の講演を聴くのが楽しみでしたがもうそれはかないません。しかし私はずっと中島先生の言葉を大事に暖めながら生きてきました。こうして話せるようになってもそのことは変わりません。どうか私たちを大事にしてくれた中島先生の午前の話を大事にしてほしいです。そして私たちの言葉と魂に耳を澄ませてほしいと思います。以上ですが、最後に詩を書きます。


  中島先生に捧げる詩

私にも魂の叫びがあることに
いちはやく気づいてくださった中島先生
人間として認めてくださっただけでなく
その存在を高みにあげてくださって
私たちに生きる意味を与えてくださいました
私はもうそれだけで十分でしたが
私は不意に話せるようになりました
私はもう何も望むものはありません
中島先生の亡きあと
私は中島先生のすばらしさを語ることに
自分の頑迷な心をひたむきに捧げたいと思います
理想の世界はまだまだ空の彼方にあります
午後からの存在に甘んじてきた私たちですが
午前の存在として認められる社会はまだまだです
中島先生の亡くなられたあと
日本は大変な地震によって
その根本からひっくり返されました
世の中が一瞬
私たちのような存在に光を与えようとしましたが
またただの一回だけの出来事として
忘れ去られようとしています
しかし本当はこの機会に
日本は生まれ変わらなくてはなりません
そのためにも私たちは今こそ私たちの存在を
世の中に訴えていかなければならないのです
私には難しいことはわかりませんが
私たちの生きる意味を訴えていく使命があるということを
中島先生から教わりましたから
その使命を果たしていきたいと
心から願います。
 
2012年7月10日 20時11分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 |
2012年07月09日(月)
6編の詩
 前回の☆☆さん(=りほさん)は、言葉と合わせて、6編の詩を用意していました。そちらも、ぜひお読みいただきたいので掲載させていただきます。

 りんどうをさがして

りんどうの花を摘みに
私は藁をもすがるような思いで走り出した
罠をよけながら禁じられた冒険に出かける
私にとって私らしくあるために
私を輝きの中に包み込むために
私はりんどうの花を探しに旅に出る
みんな私をわからない人だと言いながら
私の側を過ぎていったけれど
私は私一人で冒険の旅に出る

 月並みかもしれないけれど私も私らしく生きようとしています。私らしく生きるためには何とかしてこの状況を変えなくてはいけません。だから私は詩集を出すことに別の希望をそんなに俗っぽいものではない夢を感じています。だからたくさん書かなくてはいけませんがなかなかすぐには作れません。二十歳の誕生日には間に合わなくていいからじっくりやらせてください。


  森の向こう

ゆゆしき悶々とした罠を
何とかしてさけながら
私は私の道を歩む
ぶんどり合いも言い争いも
私には関係のない世界
森を抜けた向こうの世界には
私たちを喜ばせてくれる夏の日射しが待っている
わずかに光を浴びながら輝いている森の中の高い梢が
私に向こうの世界を予感させる
そのあかりをざわめく心を静めながら
私は見つめながらまた新たな一歩を踏み出す


  緑の声と光

人間として生まれて生きてきたけれど
私は誰にも振り返られることもなく
理想だけを糧にして生きてきた
夜の暗闇の中でも
人間としての理想は決して捨てずに
ただ未来だけを信じて生きてきた
緑の光を探しながら
私は一人生きてきた
わずかな希望は私にも言葉があることが信じられ
それがかたちになったことだ
そんな私にも誰にも負けないものがある
それは私にだけ聞こえる緑の声だ
私にだけ見える緑の光だ
それさえあれば私は存分に生きていける
わずかな声だが確実にその声は大きな響きと成って私に届き
どんどんその光は輝きを増し
私は夢にまた一歩近づいた。


 未来の世界に行ってしまった私を探しに

昔の理想はどこにあるの
五番街の勇気になくした夢を聞き
六番街の夢になくした光を聞き
七番街の光になくした私を聞く
私はいったい今どこにいるの
未来のどこかをさまよっているの
私は私を探すために
また未来の世界に旅をする
なかなか見つかることはないけれど
私は必ず探し出す。


 留守番と外の世界

留守番ならそろそろ終わりにしたい
私も表で外の世界に駆け出して
みんなにむかって呼びかけたい
私のことを知っていますか
私の私らしさを七日のうちに
私は探さなければ成りません
七日すれば私はまた元の世界に戻らなければなりません
ずっとこの日を私は待っていた
私が私らしさを外の世界で探すことができる日を
だけど理解してくれる人がいなければ
私は私らしさを探せない
だから誰か私を理解してください
私の私らしさを探すために
私は私の理解者を
探すことから始めなくてはならない。


  長い夜の向こう

わずかにみえるあかりさえ
風と嵐で消えてしまいそう
びろうどのきぬを吹き飛ばして吹く風を私は避けて
私の理想を再び探す
小さな呼び声に応えながら
私は瑠璃色の光を手がかりに
ろうそくのあかりを探しに行く
わずかなわずかな光の向こうに
きっと希望は待っている
わずかなわずかな呼び声の向こうに
必ず私らしさが待っている

2012年7月9日 00時33分 | 記事へ | コメント(0) |
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