ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年05月16日(月)
大震災をめぐる言葉 4月25日その3
 4月25日の文章の中で、わかそよに参加する3人の言葉をまとめて紹介したい。この言葉は、何らかのかたちで、わかそよの当日、参加者にお伝えしたいと考えている。

 映画にも出演し、わかそよでは一昨年はミュージカルで準主役も経験した○○さんの言葉。もちろん今年もミュージカルに参加する。
 
 津波はなぜ私たちの大事な世の中を壊してしまったのでしょうか。早く元ののどかな世界に戻ってほしいです。分相応の生き方ではいやですが行き過ぎた生活はよくないと言うことがよくわかりました。なぜ人はどんな大変な状況でも挑戦を続けられるのでしょうか。みんなも同じですが私たちは私たちを表現することにも困難を抱えているので勇気を出さないと生きていけませんがそれは被災地の人の置かれた状況と同じです。私たちのことなど誰も振り返らないけれど私たちもまた被災者のようなものなのかもしれません。地震で色々なことを考えましたがもし私たちの言葉を世の中の人が聞いてくれるならもっと私たちはいい暮らしができるでしょう。なるべく世の中の人たちに伝えてください。名前もないようなものですが勇気を出して言っていきたいです。

 3年前は、観客席から、1昨年はステージ上で参加した◇◇さんは、「野に咲く花のように」の作詞者。津波について次のような言葉と詩を書いた。なお彼女のご両親は福島県の出身である。

 残念なことがあります。原発の事故がありました。福島がとてもつらい状況です。でもみんな大丈夫だから安心しました。避難はしなくてもよいということですが、福島全体がつらいです。原発があるからテレビで毎日やっていて私はとても心配しています。原発で働いている人々のことが心配です。被害にあっているのに毎日働いているのはかわいそうでたまりません。家もなくなって家族もいなくなってつらいと思います。どうしてつらいのにはたらいて。いえないのでしょうか。自分たちがやらなければいけないと思って毎日のぞんでいるのでしょうか。自分のことよりも原発を安定させるためにやってくださっているのだと思います。福島の人々を守るために頑張っておられるのだと思います。私は何もできないけれど祈って暮らしていますので人間がやるしかないので、みんなで考えて乗り越えていきましょう。少しずつでもいいから前に進んでいきましょう。それを言いたかったので今日は来ましたので、つらい今の状況をみんなと話し合いたいと思います。
 米のことを言っていましたね。つらいけどみんなで考えていきましょう。避難した人が疲れて倒れてしまわないうちに何とかなる方法を考えていかないと疲れて倒れてしまうからつらいです。
 
 津波の意味
私は勇気をもらおう
黙ったままで生きてきて何もわからないと言われてきたけれど
私もまた本当の希望の意味を知っている
黙ったままで理解されず小さな胸を痛めてきたけれど 私は理想を忘れない
悩み苦しむ私の姿を何度奮い立たせてきたことだろう
わかってほしい 私たちもまた被災者のように生きているということを
わかってほしい 私たちは黙々と希望を紡いでいるということを
小さな光かさしている ランプの明かりがともっている
人生は本当に残酷な試練を私たちに課すけれど
また私たちは立ち上がる
涙を越えてもう一度


 ☆☆さんも1昨年に引き続いての参加となる。彼女の言葉がわかそよで紹介されるのは、今回が初めてとなる。

 なぜなのだろう。津波であんなにたくさんの人が亡くなったのは理解することができない。涙ばかり流しています。万能な機械があれば人々をもっと助けられたのにみんながかわいそうでした。涙を流してばかりでなく人々の勇気にもすごく感動しました。地域で生きていくことの意味をまた考えさせられました。敏感な人たちが集まっている地域では私たちを本当の人間として受け入れてくれるだろうと思いました。誰でも支え合えれば生きていけると思いましたがなかなか難しいのでしょうか。もう少し私たちを認めてくれる世の中でないと難しいのでしょうか。名前も知られずに亡くなった人たちのように私たちもまた忘れられた存在です。望みは人間として私たちを認めてほしいということです。勇気を出して私たちも訴えていきたいです。わずかな希望でも人は生きていけることがわかりましたから私たちもがんばれると思いました。だから涙を流していただけではありません。涙と共に希望も感じていました。
 茫然としていましたがそろそろ立ち上がろうと思います。ゆゆしきことは原発です。理想のエネルギーと言われていたのに悪魔のエネルギーになってしまいました。ぞっとしています。なぜあんなにもろかったのでしょうか。何度となくみんなが考えを巡らしてきたのに残念です。地域の人たちがばらばらに避難させられて残念です。同じ地域の人は茫然としているでしょう。みんなが引き裂かれて。
2011年5月16日 07時20分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 / 青年学級 / 東日本大震災 |
大震災をめぐる言葉 4月25日その2
 小学生の○○君は、新学期の様子を、いい先生にまた担任をしてもらえた喜びとともに語ったあと、次のように語った。

 なぜ、どうしてという疑問が今僕を包んでいます。理想を見失いそうですが忘れられないのは人を助けようとして亡くなった人のことです。理解できないのは理想を大事にしている人が亡くなったことです。未来の日本はそういう人を大事にできることが肝心だと思うのですがどうしてそういう人まで亡くなるのかが理解できません。でも泣きながらでも地震と津波から立ち上がろうとする人を見ていたらわずかな希望を感じました。どんなにつらくても人間は生きる希望を失わないことが唯一の救いでした。私の未来という詩を聞いてください。

理想を掲げて僕は生きる
だけど理想はかなわないこともあることを
僕は地震で思い知らされた
なぜそんなに自然は残酷なのか
僕にはわからないけれど
なぜなのかということはわからなくても
わかっていることは未来は理想をなくしては絶対に作れないということだ
だから人は立ち上がる
悲しみを越えて立ち上がる
涙はかわくことはないけれど
必ず人は立ちあがる
涙を越えて立ち上がる
僕たちも残酷な自然のせいで障害を持っているけれど
僕たちもまた立ち上がる
どんな理不尽な自然であっても
僕たちもまた立ち上がる
未来のために立ち上がる
けして理想を失わず。

 なぜなのかわからなくても唯一の望みは勇気を人が失わないことです。なぜなのかはわからなくても勇気さえあれば人は生きていくことができますから。まことの勇気さえあればわずかな希望さえあれば生きていけますから。分相応はいやですが人間は分を少し忘れてしまったのかもしれません。でも長い時間がかかっても必ず人はまた前のような社会を作れるでしょう。だからもう少しの辛抱だと思います。でも新しい社会は僕たちを認める社会として再生してほしいです。


 語られる思いに、年齢はあまり関係ない。みんな等しく、胸を痛め、徹底的に考え抜いていることがひしひしと伝わってきた。
2011年5月16日 07時13分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 / 東日本大震災 |
大震災をめぐる言葉 4月25日その1
 今年4月から社会人になった○○君と震災後初めてあった。彼もまた、この一月半の間、心を痛めていた。

 地震でたくさんの人たちが亡くなったことがとても悲しくてなぜそんなことが起こったのかと考えているうちに頑張る気持ちがなくなりそうになってしまいそうでしたが勇気が出たのはわずかな希望でも人々が立ち上がることができるという事実を目にしたからです。人間はどうしてそんなに強いのかと大変不思議な気持ちになりましたが僕たちのことを考えると僕たちの障害も理不尽なものだけど小さい希望さえあれば生きていけるのは同じだということに気付きました。わずかな希望しかなくても人は生きていけるのはなぜなのかなるべくよい私たちらしい答えを出したいけれどまだいい答えが見つかりません。だけどなぜかはわからないけれど勇気がなくなると人は生きていけないことだけは確かだと思いました。なぜかはわからないけれどなかなか忘れられないのは他の人を助けようとして亡くなった人のことです。なぜそんなことをどうしてそんなことがと考えてみても全く答えが見つかりません。わずかな隙間を縫うようにして光が射すのは未来のことです。被災地の人がみんなで力を合わせていい空の下でどんな世界を作るのかとても楽しみです。でもなかなかそううまくいかないのが原発です。未来のことですが原発に頼らないでご飯も炊けてお掃除もできて冷暖房も使える世の中が来ればいいなと思いますがとてもむずかしい問題ですね。ぼくにはよくわからないけれどすぐれた科学者が本気で考えれば簡単だと思います。だからそういう議論が速くされるようになることが僕の願いです。でもまだまだ原発も安心できない状態だからまだまだ先のことになりそうですね。

 ここで私たちの仲間が、1歳10ヶ月を過ぎた赤ちゃんをつれてやってきた。

 よいところでSくん(1歳のお子さん)がきました。Sくんが心の大きな人になれるよう僕は詩を作りました。聞いてください。

時間に流れがあるように
心にも遠く流れてたどり着く流れのあることを
僕たちは知っている
流れはこんなにゆっくりだけど
流れは確かに動いている
流れを動かしているものはよい心と美しい心だ
人間としての未来は流れの向きで決まってくる
流れはいつもゆるやかだけど
流れはけして戻せはしない
どこか遠くの悪い方へ連れて行かれることもある
だから心を遠くまでいい向きのまま進めていき
もう少しの僕たちの行き先に
小さな心をつないでほしい
僕たちが目ざしている場所は
理想のかなう夢の楽園
そこに向かって心の流れを望み通りによい向きに
よいどんな世界が待っているか
期待しながら夢見ていこう
でも存分にろうそくの光は射している
どんな暗闇だって怖くない
人間としての誇りを忘れず
未来に向きを合わせていこう

2011年5月16日 06時56分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 / 東日本大震災 |
にんじんの詩 その後
 にんじんの詩を書いたTさんのもとを再び松田さんが訪問した。以下は、その時の記録である。

 昨日は、席についたときからご機嫌な様子で、つねに笑顔でした。そして1時間ずっとイスにすわって集中していたように感じました。
 
(先日は柴田さんと話ができてよかったですね)

とても驚きました。柴田さんはどうしてあんなに速く私の言葉を理解できるのですか。私はとてもうれしいです。言葉があることがわかってもらえてよかったです。もっとたくさんの話をしたいと思います。

(これまで詩のように何か言葉をためてきたことがありますか?)

羽があれば人間はどれだけ自由に生きていけるだろう。
みんなとらわれの身で苦しんでいる。
何とか苦しみから抜け出そうと思っている。
ほんとうのしあわせはどこにあるのかみんな探している。
しあわせは乗り越えていかなければならないことがたくさんあって、ひとつひとつ乗り越えていくことしかできない。
ほんとうにたいへんなことだ。
さあ一歩ずつ歩いていこう。
未来には苦しみから解放された自由があるにちがいない。

気持ちが伝わる思いです

2011年5月16日 06時45分 | 記事へ |
| 青年学級 |