ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年04月24日(日)
震災についてのある中学生の思い
 まだ、関わり初めて間もない少年の言葉を聞いた。今回2度目だが、1度目はまだ、震災の前だった。
 そして、2度目の文章は、震災の話題が中心となった。

 ぼくはとても悲しんでいることがあります。日本中が悲しんでいることですがなぜたくさんの人が亡くならなければならなかったのでしょうか。ばらばらになった家族や逃げるときに人を助けようとした人が亡くなったりしてあまりにも理不尽な仕打ちだと思いますがどう考えても答えは出てきません。なかなかみんなと笑顔で話し合う気持ちになれなくて困っています。なかなか希望が湧いてきませんでしたがなぜかと考えている内に一つ発見したことがありました。それは小さいことですが小さくても大事なことだと思っていますが伝統的な日本人はそう考えてきたみたいです。美の追究と似ているのかもしれませんが小さいけれど人間には存分に生きさえすればどうなるかは天に任せるという考えです。
 小さいことだけど今のところそれしか理解する方法が考えられません。小さいけれど大事にしたい考えです。なぜだろうと考えているうちにまた泣き出しそうになりました。小さいことだけど何かの勉強には鳴ると思います。小さいけれど何度も考えた結果の答えですのでよい考えかどうかはわかりませんが書いてみました。先生はどう思いますか。


 ここで、彼の言う伝統的とは何のことなのかを尋ねてみた。

 伝統的だと思った理由は何かのことわざで聞いたからです。

 そこで、「人事を尽くして天命を待て」ということわざのことだねと答えてみた。すると答えに続いて、文章が続けられた。

 そうです。それです。未来をあれこれ思い煩うなと言うことだとずっと思ってきながら考えた言葉です。ぼくたちは理不尽な障害と闘ってきたのでいつもそういうことを考えてきましたからよくわかります。
 小さいときから考えてきましたから。名前は忘れましたが人間はなんとちっぽけな存在かという言葉を読んだことがありました。わずかなわずかな希望だけどそういうものがあれば人は生きていけると言うこともぼくたちは知っています。長い障害との闘いの中で見いだしたことです。人間の生きる意味をいつも考えているので今度の出来事には本当に考えさせられました。かあさんもそういうふうに言っていましたね。母さんもずっと悲しんでいますから。夕べも一人で泣いていましたね。ぼくはまだ寝ていませんでしたからよくわかりました。小さいときから母さんは小さいことにも感動してきたので今度の災害はつらかったですよね。


  
2011年4月24日 22時32分 | 記事へ |
| 家庭訪問 / 東日本大震災 |
2011年04月15日(金)
大震災をめぐって 重複障害教育研究所において
 明日で大地震と大津波から一月になるという日、重複障害教育研究所に通ってきた3人の方と、東日本大震災について話をした。
 最初は、20代後半の女性○○さん。彼女のお父さんは福島県の事故を起こした原子力発電所のすぐそばの町の出身で、生家は津波の被害はまぬがれたものの、駅を含めた町並みがそっくり津波でなくなったとのこと。お父さんの弟さんは何とか無事だったというが、全町あげての避難指示区域にはっているため、現在は避難所暮らしをしているらしい。

 ところで地震の話を聞いてください。みんな悪いことなど何もしていないのになぜ亡くならなくてはいけなかったのでしょうか。小さいときからお父さんに連れられていった町がなくなったことがとても悲しいですが何とか亡くならずにおじさんが元気な声を聞かせてくれたのがせめてもの救いでした。なかなか避難先から戻れない便利さの失われた生活をしているので大変ですが満足のいく生活を過ごせるようになることが願いです。ごやっかいになっていることにとても悪いと思っているようなのでとても心配です。早く家に帰ることができたらと思いますが原発はなかなか放射能がなくならないみたいなので迷惑だと思いますがとても澱んだ空気を体に浴びると大変なので日本中が心配していますが。誰を責めるわけにも行かないので仕方ありません。銀色のドームが爆発するのが怖いですがなるべくそういうことが起こらないことが願いです。日本中の人がどうなるかを見守っていますから都合よく解決してほしいです。
 亡くなった人の中にまだ小さい子どももいたのがつらかったです。なぜ小さい子どもまで犠牲にならなくてはならないのかとても理解できませんがどうにかしてそういう子どもの魂がわずかであっても救われたらと思います。人間はちっぽけな存在だということを思い知らされた出来事でしたがつくづく世の中ははかないとおもいました。わずかな希望は私たちのような障害のある人間だけは苦しみの意味を知っているのでその経験が何かの支えになればと思います。何とかして私たちの思いを伝えたいですがむずかしいでしょうか。
 理想は私たちの声を被災地に届けることですが寝ずに考えてもいい方法は浮かびませんでした。小さい声ですが私たちの声も届けられたらと思いますが何とかなりませんか。日本のろうそくになれたらなどと大きなことも考えました。わずかなあかりでも何かの役に立てたらと思いました。私の言いたかったことは以上です。


 この後、○○さんより3歳くらい年下の女性、◇◇さんに交代するが、その合間に二人の会話を援助した。手を振る方法による援助だったため、記録もないが、地震の話も含めて、いろいろな話に花が咲いた。そして、◇◇さんの番になる。

 地震について話します。ランプの明かりが消えそうな思い出生きていました。なぜこんなに悲しいことが起こるのか本当に不思議でしたが魔法のようにすべてがなかったらいいなと何度も思いました。 唯一の救いは私たちにも希望があるように被災地の人たちにも希望があるということです。みんな何もかもなくしてもまだ希望があるということが救いです。未来を切り開きたいので私たちはもっと大きな声で本当のことが言いたいです。私たちのような存在でも未来があるようにどんな状況にあっても人は希望を失わないということです。びっくりしました○○○いさんも同じように地震のことを考えていたということに。みんな同じ気持ちなのですね。疑問は解決しないけれどよい会話ができて気持ちを整理することができました。
 

 3人目は、20代前半の男性▽▽さんである。彼は、現在施設に入所しているが、地震以降、気持ちの高ぶりのために出てしまった大きな声でのどがかれてしまったらしい。
 
 ぼくは地震が起こってからずっと地震と津波のことばかり考えていました。でも、あんなにたくさんの人々が亡くならなくてはいけなかったのかがよくわかりませんが、何か大きな意味あると思うのですが、そういうことを言うと被災地の人に悪いのでもう少しそういう言い方は避けようと思いますが、なかなかそういう気持ちがなくならないので、いつも悩んでいます。何か大きな意味があるなら、乗り越えられると思うのですが何も意味がないならどうしようもなく空しいだけだと思うのです。でも何か大きな意味があるのなら、それがわかれば乗り越えられると思うのですが、なかなかその意味がわからなくて困っています。でもこうして話せて少し落ち着きました。
◇◇さんも同じように地震と津波の話をしたのですか。どういう話ですか。(◇◇さんの文章を伝える。)
 ぼくもそういうことも考えました。ぼくの言いたいことは、ぼくたちはずっと苦しんできたのでよく被災地の人たちの苦しみがわかりますが、そんなにわかるわけでもないので、それは言いませんでしたが、同じように考えていました。でもそれはまだ言葉に出せないよう思っています。まだ、みんな悲しみの中にいるのでそういうことは言えません。でもみんな同じように地震や津波のことを考えていたとは思いませんでした。まさか同じように考えている人がいるとは思いませんでした。ぼくたちは理不尽な障害を持って生まれてきたのでその理不尽なところが共通です。


 今、こういうことを言うのは被災地の方には悪いという彼の気持ちにしたがえば削除すべき部分もあるかもしれないが、きちんと書かれた思いなので、決して誤解を生むこともないと思ったので、そのまま掲載した。
2011年4月15日 23時10分 | 記事へ |
| 研究所 / 東日本大震災 |
2011年04月14日(木)
5月のきんこんの会のお知らせ 5月4日に開催します。
 東日本大震災の影響で3月はお休みしてしまいましたが、5月4日2時から行いたいと思います。場所は、國學院大學たまプラーザキャンパス、2号館の2510教室の予定です。
 連休の真ん中の日で、遠出を予定している方には申し訳ないのですが、いろいろな都合で、この日とさせていただきたいと思います。
 大震災をめぐる様々な思いなど、また、語り合えればと思います。
 よろしくお願いします。
2011年4月14日 00時00分 | 記事へ |
| 大学 |
2011年04月10日(日)
大震災をめぐる3人の思い 桜の満開の日
 あの大地震と大津波からもうすぐ一月となる。例年より遅れ気味の桜も満開を迎えたが、今年の桜は特別な色合いを帯びた桜のように見える。
 3人のメンバーの会で、それぞれが、大震災への思いを語った。
 最初は、社会人3年目の男性○○さんである。

 日本が地震で大変なことになってしまった。大きな地震と津波でたくさんの人が亡くなったのでとても悲しいです。なぜあんなにたくさんの人が亡くなったのかわからなくて毎日悩んでいます。人間だからみんな自分だけでなく他の人のことも考えていると思うのでみんな混乱しています。ぼくも唯一の希望がなくなりそうな気がしています。人間に生きる意味がないと僕たちはどうしたらいいかわからなくなるからです。勇気を出そうにもなかなか感情がこみ上げてきません。小さな子どもまで亡くなって人間としてどう自分はとらえたらいいのかわからなくなりますがみんなもきっと同じ感じなのでしょうね。みんなもきっと悩んでいるの(でしょうね)。

 ここで、気持ちが高ぶって立ち上がって彼に、気持ちを尋ねるとみんなの気持ちが聞きたいということだった。みんなとは私たちのことだ。問い返されてもきちんとした答えを持ち得ているわけではない私は、つまりながらも、自分の考えを述べた。私の考えは、決して胸をはって言えるものではないが、ただただこの残酷な事実が現実であり、こうした出来事を何度も繰り返しながら人々はまた立ち上がって生きてきたという考えである。おそらくどのように語ってもどれが正解というものはないのではないかと私は思っている。ここで、○○さんに、同じ状況にある仲間の震災に関する文章をいくつか紹介した。涙を懸命にこらえるような表情で○○君はそれらを聞いていたが、その後、次のように書いた。

 疑問は解けないけれどわかり合える仲間がこんなにもいてよかったです。人間の生きる意味はわかりにくいけれど僕も考え続けます。人間の生きる意味もわからないけどびっくりしたのは(みんないろいろかんがえていることです)。
 ぜひぼくたちの考えを伝えてください。名前もないような存在だけどみんな挽回する時期だと考えたらいいということがわかりました。よかったです言いたいことが言えて。夢のようですぼくの気持ちがすらすら言えて。みんなにもぜひ伝えてください。がんばりたいと思います。別に理解されなくても勇気さえあれば大丈夫です。だから自分は大丈夫ですがわずかな希望がみんなにも感じられることが願いです。よい子が元気に生きられることが願いです。ありがとうございました。


 次は社会人2年目の男性◇◇さんである。最近の特に落ち着かない様子だということをご両親がおっしゃっていたが、彼もまた、いきなり、震災の話から始まった。

 僕は今度の地震と津波で若い人も年老いた人も子どもも亡くなったのがとてもつらいです。
苦しかったのはみんなのことが理解できないからです。
僕たちはいつも理不尽な苦しみをかかえているけれど、みんなも同じ理不尽な苦しみをかかえてしまうのがとてもつらいです。僕の言いたいことはいつもみんなのことです。昔からぼくはよくわからないけれど少しだけ苦労の意味をわかっていたので、ぼくはみんなのことが少しわかります。でもできるだけみんなのことをわかりたかったので、今度のことでわからなくなってしまいました。なぜ、あんなにたくさんの人が死ななければならなかったのでしょうか。ぼくにはわかりません。何か意味があるのならそれが知りたいです。むずかいしでしょう。苦しいでしょうがぼくもまた考えてみます。みんなことを言えてよかったです。みんなとは、亡くなった人や被害を受けた人です。
僕はずっと気になっていたので、それを言えてよかったです。わかってくれる人がいないので言えてよかったです。わかってくれてうれしいです。
死ぬか生きるかという気持ちになりそうでしたが、安心しました。苦しかったけれどよかったです。
 堅かった◇◇さんの表情は、少しずつ和らいでいった。言えないままにたまった思いは、今回は、まさに彼を押しつぶしてしまいそうだったのだということがよくわかった。
 3人目は、小学生の男子▽▽君である。

 言いたいことがあります 僕はなぜ地震で優しい人や朗らかな人が亡くならなければならないのかがわかりません。小さいことだけど勇気がなくなりそうでした。わかってもらいたいのは未曾有という被害でも人は生きていかなくてはいけないということです。ずっとそのことを考えています。理想はわずかな希望を持ちさえすれば人間は生きていけるということです。なぜなのかはわからないけれどもう少しで生きる意味がわからなくなるところでした。なぜかはわからないけれど理想をなくしてしまいそうでした。未来をなくしてしまいそうでしたが未来を信じて頑張ろうと思います。楽な生き方をしようとは思わないけれどぼくたちのような障害者はわかってもらえない苦しみからのがれられないので勇気が必要なのですがそれが被災した人たちの置かれた状況と相通じるところだと思います。泣かないでというのは無理だけど僕には理想があるので未来に向かって力強く生きていきたいと思います。小さい頃からの疑問でしたがなぜ僕たちが生きているのかがようやくわかりました。ぼくたちはみんなのことを理解するために生きているということだったということなのですね。よくわかりました。なぜぼくたちが生きているのか。理想の中にまた一つ理想が増えました。わずかな未来でもずっと目ざし続ければ必ず未来が開けるということがわかりました。

 銀色の未来という詩を聞いてください。

銀色の未来の小さなわずかな昔の光だったけれど
今銀色の未来の光は大きな光となってぼくを照らす
勇気さえあれば理想は遠くの勇気を集めて
じっと勇気は強くなる
強くなった勇気は未来をさらに明るく照らすだろう
自分の小さな未来だけではなく
人々の未来をも照らすだろう
勇気を持って生きることこそ未来を切り開く鍵だ
泣き明かした夜も 泣きはらしたまぶたも 
ともによい心の表れとして未来への糧としよう
涙はそんなに長くは水分としては残らない
ゆくあてのない煙と鳴って空に消えていくだろう
みんなを望みのデモンストレーションで飾ろう
なすすべもなく未来を恨むよりもなすべきことを見つめていこう
理想はわずかな勇気さえあれば再び力を取り戻すだろう
よい未来のために強い勇気で頑張ろう
未来は銀色に輝いているはずだから


 もちろんこの詩の背景には、この大震災があることはまちがいない。
2011年4月10日 08時51分 | 記事へ |
| 自主G埼玉2 / 東日本大震災 |
2011年04月03日(日)
大震災をめぐる4人の少年の思い
 大震災をめぐる4人の少年の思いを聞いた。

 ○○君は、この4月から社会人になった。何かを強く言いたいというように大きな声を出しながら部屋にはいってきた。

 人間は備えが必要だと言うことがよくわかりました。備えていないと何もできなくなってしまうのですね。夢のような一月でした。何が何だかわからなくなりそうです。夢ならさてほしいと何度も願っていますがわざと夢を長引かせているわけではなさそうなのでまさしくこれが現実なのだと思い知らされています。敏感な人はランプの明かりが消えそうになっているのではないでしょうか。わざわざむずかしく考えることもないとは思いますがわずかな希望は地震のあとろうそくのあかりをともそうとして日本中の人がわざわざよい心をたくさん被災地の人々に寄せようとしていることです。勇気づけられる人もたくさんいると思いますが勇気だけでは悲しみは乗り越えられないと思うのでつらいです。ぼくたちはわかってくれない悲しみを知っていますがみんなそれと必死に戦っています。わかってくれなくてもしかたないとあきらめている仲間もたくさんいるので未来を切り開くためにはあきらめないことが大切だということがわかっています。わざわざみんなに届けることはむずかしいですがなるべくあきらめないようにしてほしいです。よい未来が被災地にも訪れることを望んでいますが長い時間がかかりそうですね。わかってもらうのに長い時間がかかるのと同じです。
わずかな仲間しかいないけれど何とかしてぼくたちのことをどうにかして世の中に認めさせたいのでがんばりたいです。悩んでいても未来が開けてこないのは何でも同じですね。悩むよりも行動だということもこの災害から教わりましたが勇気はやっぱり必要ですね。わずかな勇気でもあればあきらめと戦えますから運命という考えはなるべく使いたくないけれど今回はそれを強く感じます。
小さい時から何か出来事が起こるたびにいろいろ考えてきましたが夢のようです。それを言うことができて。何でもぼくたちは理解しているのにそれが伝えられなくて残念です。人間として言いたいことがたくさんあるのに言えないのは苦しいので早くこういうやり方を世の中に伝えてほしいです。ろうそくのあかりがともる日を夢みつつぼくも社会人としてがんばりたいと思います。わずかなものかもしれないけれどぼくもせいいっぱいがんばっていくので手助けしてください。よろしくお願いします。


 ◇◇君は、お母さんが陸前高田の出身で、足に津波が押し寄せる中何とか助かったおばあちゃんが、2週間の地元での避難生活の後、今は◇◇君の家に身を寄せていらっしゃる。◇◇君は陸前高田で生まれ、長期休暇には必ず訪れていたという。
 ◇◇君のコミュニケーションの手段はお母さんの援助による筆談で、家で2編の詩を書いてきた。それは、被災地に身を置いて書かれた詩だった 詩の紹介は別の機会に譲るが、筆談で話し言葉のように様々なことを語った。

 津波の映像を見て大変なことが起こったと思いましたが、それは予測していました。こんなことが起きるだろうなって。だけど、こんなに人がたくさん亡くなったり、原発の事故というものが起きるってことは得体の知れない災害です。総増益ません。だから物がないってパニックになるのもしかたないでしょう。でも人は本来、助け合いいたわり合って生活する動物です。科学が発達して人間だけ別の生き物と思っていた人間は思いやりいたわりが大事だと気付かないといけない。気付いて新しい世界を作らないといけない。それができればこの災害をステップにできると思います。ママもそう思う?ぼくは動けないけどわかります。
 人は何のために生まれてきたのか、考えながら生きていかないといけません。大事なことを考えずお金もうけや出世ばかり考えていたら、意味のない人生を送ります。あくせくと金儲けばかりしていると、死ぬときお金のこと気になって、いい臨終できません。ぼくは亡くなった人、なくなった建物や道具に敬意を払っています。それをしてくれる人が増えていけば、なくなった人、物、道具も意味のあるなくなり方となりますから。一人でもそう思う人が増えてほしいです。そんな詩を書きました。被災した人はこれからが大変です。ばあちゃんも軽いパニックですし、これが収まると孤独とのたたかいになるよ私のことわかってくれる人いないって悲しみがわき出てくるでしょう。ママはそれもわかってて、でもがんばって自分のことは自分でしてよって言ってますから。
 ママとぼくもいつか行こうよ。ママ行けなくて申し訳なかったね。


 ◇◇君と同級生の▽▽君は、いくつかの身振りのサインを持っているが、この日両手を胸にあてて、つらいということを全身でアピールしながら現れた。

 聞いてほしいことがあります。なぜこんなに悲しい災害が起こるのでしょうか。みんなわかっているのかもしれないけれどぼくにはよくわかりません。だけどぼくたちはいつも自分の体のことで苦労しているのでとてもつらい人の気持ちはわかります。小さい時から苦労してきたのでぼくにはつらい人の苦しみがよくわかります。理解されない苦しみと大切な人を亡くした悲しみは違うとは思うけれどわかってもらえない苦しみとよく似ているのは人間として一番大事なことに関わっているからです。でも簡単にそういうことを言ってもみんなはどうせわからないと言うかもしれないけれど涙を流しています。つらいのはみんな同じかもしれないけれどぼくたちの悲しみはなかなか理解されないのでよくわかります。人はなぜつらいことにもがんばっていかなければいけないか犠牲になった仲間の分までなぜきちんと

 ここでちょっと中断して、◇◇君のお母さんが陸前高田の出身だということや、それをめぐる様々な話をした。すると、それを承けて▽▽君はさらにこう続けた。

 小さいことなのですが小さいときにみんなと遊んだところがなくなるのはつらいですね 。そんなことにも今度の地震は関係しているのですね。びっくりしました。◇◇くんのおかあさんが東北の出身だったということに。小さいころの思い出も茫然としたままなくさなければならなかったということが。そういうことも含めて今回の災害はとても悲しいことでした。

 ◎◎君も、◇◇君も同級生で、高等部3年になる。一つの詩を間にはさみながら、震災について語った。

 なかなか話せないので私たちの言葉を聞いてもらいたいです。なぜこんなに悲しいことが起こるのかわからないけれど地震はとても大変でした。私たちには私たちの悲しみがあってそれをみんなの悲しみに重ね合わせればよくその意味がわかります。わずかな希望でもあればまた未来は開けてきますが涙はすぐにはかわきませんでした。そのことはきっと同じだとおもいます。涙はかわこうとしてかわくものではないので時間がかかります。涙は時間がかかるけれど希望はすぐにものにすることができます。人間はそういう風にできているのだと思いますがなぜ様子がわからないうちに悲しさだけは湧いてきたのでしょうか。それはどうしてかはわからないけれど人間は悲しみにはとても敏感なのだと思います。敏感なのは希望に対してもです。すぐに希望がとんでもない苦しみの中にあっても茫然とした人間を我に返らせまたつらいことを乗り越えて茫然としたところから立ち上がる勇気を与えてくれます。そしてそこからまた歩き出そうとするものです。人間はそんな風に希望と悲しみの間で生きているということをぼくたちはいやというほど味わってきました。人間はまるで風の前の塵のようなものですがぼくにとってはかけがえのない存在なのでわずかの希望でもあれば生きていけるということを信じています。人間として力強く生きていきたいです。

苦しみの中でを聞いてください

苦しみの中に見つけた希望
それは瑠璃色に輝いて
ぬいぐるみの私に希望を与え
小さな未来を平和に変える
小さな未来は小さいけれど
中でも僕の小さな夢は
小さいままに未来を照らす
無難な生き方捨て去って
存分に未来を夢見よう
未来は大きく膨らんで
未来を世界に伝えよう
敏感な望みは別によいけれど
小さい星の大きな希望
よい願いの開くとき
すてきな未来が開けてくる。

ぐっとずきんと苦しかったです。みんなも同じだったと思います。友哉くんの言葉が気にいりました。◇◇くんのはどんな詩ですか とても共感しました。まさかみんなが自分と同じようなことを考えているとは思わなかったので驚きました。みんなの考えにはとてもわかってもらえない悲しみがあってそれが災害にあった人々たちと重なり合っているのですね。驚きました。茫然としていたのはぼくだけではなかったのですね。だれもが理解されたいと思っているのですね。早く理解されたいです。

2011年4月3日 11時04分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 / 東日本大震災 |
2011年04月02日(土)
震災をめぐる思い
 この3月に学校を卒業して社会人になる○○君も震災について語った。

いい季節なのに悲しいことがみんなをおそってしまったのでとてもつらいです。人間の小ささを思い知らされるできごとでした。何万人もの人が亡くなってしまって行方不明の人も大勢いてぼくらのような障害者はいったいどうしているのかと番組を見るたびもらい泣きしています。わずかな希望はよい人々が何千万もいて本心から心配しているということです。日本中の人が力を合わせれば、きっとがんばってまた元気な日本にもどれることでしょう。未来のみんなはそのことをきっとごまかさずに美談として語るにちがいありませんがそのときこそ勉強してほしいのはぼくたは 黙ったままでずっと生きてきたのでぼくたちのことにも目を向けてほしいということです。ぼくたちも災害で孤立したような存在だから何とかして世の中に認めさせたいです。犠牲者の数は少ないけれど失われた命は同じですからそのことにも目を向けてほしいです。みんな電気で困っていると言っているけれど電気ぐらい大したことではないと思います。なぜなら電気で伝えられなくなるのは電話ぐらいですがぼくたちは電気があろうとなかろうと伝えるすべがないのですから。なろうとしてなったわけではないけれどぼくたちはその状況をしっかり引き受けながら生きていますから被災者の人にもぜひ状況を引き受けてがんばってほしいです。

 自分たちの障害と重ね合わせながら、思いをめぐらせていることがひしひしと伝わってきた。
 また、中学部の☆☆さんも、地震のことについて述べた。

 言いたいことがあるので聞いてください。人間というのがとても大きい自然の前ではたいへん無力なものだということがわかりました。人間というものはとても小さなものなのだということがわかりました。私たちはこんな体だからいつもそのことを思い知らされていますが勇気づけられるのは全国の人たちが沈痛な思いを共有して祈りを捧げていることです。自分のことばかり普段は考えていても人間はいざとなるとすごいと思いました。みんながこの災害についてどう考えているのか知りたいです。私たちのような存在だからわかることがあるということを仲間どうしで話し合いたいです。理想は仲間どうしで会話することですがなかなかむずかしいですね。人間として願いを持って生きたいけれど私たちにはなかなかそのチャンスがめぐってきません。だからとても悲しいです。疑問ですが夢のデトロイトという映画はありますか。夢に出てきたような気がしますがよくわかりません。みんなで植えた花にも七色の花が咲くというイメージです。小さいときからほんとうの理想を探してきたのでやっと泣き虫を克服したのに少しずつ人間として夢を取り戻せそうだったのにどうして理想通りにいかないのでしょうか。悩みはつきません。泣き虫を克服したのに今度の地震でまた泣き虫になってしまいました。そうです。花が咲き誇る夢の未来のイメージです。何となくというよりデトロイトという言葉のイメージが好きだったからです。そうですか。名前がすてきでした。

 デトロイトにこめられた意味はよくわからなかったが、後で調べてみると、デトロイトは美しい街らしい。昔、自動車の工業のさかんな都士とだけ暗記した知識とはちがう知識を彼女は持っていたのかもしれない。この悲しいできごとのその先を懸命に見つめようとして生まれた言葉であることはまちがいない。
2011年4月2日 12時12分 | 記事へ |
| 自主G23区2 / 東日本大震災 |