ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2010年08月30日(月)
きんこんの会の報告
 8月のきんこんの会が28日土曜日に開かれました。参加者は、15名、土曜日ということもあって、大勢の方に参加していただきました。ふだん、当たり前に言葉で考えていることさえまともに理解されない人々が、15名も集まって、若者らしく当たり前に議論をしている姿は、夢の世界のようでもありました。
 詩の話、わかってもらえない悔しさの話、どうやって社会に訴えていくかということ、ふだんの過ごし方、友達の話、まだ気持ちが伝えられないでいる仲間たちのことなど、3時間にわたって、熱い議論が交わされました。
 仲間が直接に気持ちを伝えあうことによってつながりを持ち合っていくことの大切さと、自分たちの意見をいかに周囲や世の中に伝えて変えていくかということが、基底に流れている議論だったと思います。
 世の中の現状は、こうした気持ちがあることが本当かどうかという段階ですが、私たちは、その先の段階として、お互いがどのように手をつなぎあっていくかということ、そして、そこから何が発信していけるかということを試行的に議論しています。
 当事者活動という言い方があります。歴史的にいくつかの当事者活動が障害者の歴史を塗り替えてきました。たとえば1970年頃の脳性マヒの当事者の運動、1990年頃から始まった知的障害者の当事者運動(私は、この中心メンバーとともに活動していましたのでこの時の熱気は今でも忘れられません)などが時代の節目を作ってきたように思いますが、そんな当事者が声をあげていく中で、今、きんこんの会に集う人たちは、その中でも忘れ去られてきた存在といえるでしょう。2010年という年が、新たな当事者活動の始まりを象徴する年になったらという密かな思いをいだきながら、この熱い会に通訳として参加させてもらいました。
2010年8月30日 11時14分 | 記事へ |
| 大学 |
2010年08月28日(土)
初めての帰宅 小児科病棟の訪問
 生まれてからずっと小児科病棟の病室にいる○○君とお会いした。現在小学校4年生。その彼が、初めて一泊だけ家に外泊することができた。人工呼吸器など、様々な医療機器を携えての帰宅だ。しかし、 それは、彼にとって、本当にうれしい外泊だった。
 そして、宿泊を終えて病院に戻ってきたちょうどその日、私は彼のもとを訪れた。
 体中で喜びが表現されていた。

 聞いてほしいことがあります。ぼくは初めて家に帰りました。何度も夢に見たことだったのでものすごくうれしかったです。理想は家で過ごすことですがなかなかむずかしいので時々でいいから帰りたいです。
 もうすぐ涼しくなったらまた帰れるとT先生が言っていたので楽しみです。ぼくの妹を紹介します。のんきな妹で、のんきだから寝てばかりいます。とんでもない妹ですがとてもかわいいです。なぜ満足できるのかわからないけどよく笑います 理想はぼくも家族の輪の中で普通に暮らしたいけどなかなかむずかしいです。私たちは理解者が少ないので理解者を増やしたいのだけど、なぜみんなわかってくれないのだろうか。
 なるべくのんびりとしたいです。楽な生き方も大事だと思うのでぼくも妹のようにのんきに生きたいと思います。小学六年生です。そうでした。ねえさんでした。ねえさんだけど子どもに見えたからついつい妹と言ってしまいました。そうです。(病室に)はいれないので会っていないのでとてもうれしかったです。はい、とても喜んでくれました。みんなで写真を撮りました。みんなでぼくを囲んでとてもしあわせそうでした。もらったプレゼントはろうそくでした。はい。ぼくの詩を読んで買ってくれました。とてもうれしかったです。ろうそくのあかりという詩を作りました。聞いてください。はい、光がとてもきれいでした。

千本のろうそくの明かりはないけれど
ここにはきれいな一本のろうそくがあり
ぼくにすてきな希望をくれる
涙に濡れたぼくのへんてこりんな顔をきれいに照らし
忘れられない未来の輝きをくれた
まだまだ未来はくらい闇の中にあるけれど
ろうそくの明かりがあるかぎり
ぼくは空高く舞い上がれるだろう
冒険をするための野をかける翼もないけれど
ぼくは必ず飛び立てるだろう
勇気さえあれば私の理想はかなうだろう
涙をふいてろうそくの明かりを高く掲げて
未来に向かって飛び立とう


ろうそくの灯りが私を照らす
涙の跡をくっきりと浮かび上がらせながら
どれほど私は待ったことだろう
悩まない眠りよ
私を涙の夜から解き放ち
夢とは違う本当の灯りで照らしてほしい
夜の闇よ
私に涙を流させた夜の暗闇よ
もうおまえには負けない
そよ風よ
ろうそくの明かりを消すことなく
私を遠い願いの国まで運んでほしい
私はいつまでも待ち続ける
このろうそくが輝き続ける限り
理想のろうそくの輝きよ
光り続けよ
夜の闇を照らしておくれ


よい光を放ち
よい温かさを運び
ろうそくは私たちを照らす
ぼくはろうそくの明かりがともり続ける限り
闘いをやめようとは思わない
ろうそくよ
自由の明かりよ
ぼくの行く手を照らしてほしい
私たちはよい翼もなく
ここに忘れ去られた存在として生きている
未来の夢を照らし
そんな私たちの苦しみを照らしてほしい
理想も誇りも深い悲しみの海でなくしてしまったから
遠い世界には行けないけれど
自由を探すぼくの前を明るく照らして


2010年8月28日 00時50分 | 記事へ |
| 小児科病棟 |
2010年08月27日(金)
中途障害の方との経験
この3か月の間に、通常の社会生活を送っていて、脳内出血や若年性のアルツハイマーなどによって言語表現が困難になった3人の方とお会いした。障害の状況はそれぞれ異なるが、みんなそれぞれに重い後遺症をかかえていて、家庭でのケアは容易ではない状態にあった。そういう方々に対して、これまでの私たちの方法が有効かどうか、おそらく議論のわかれることだろう。しかし、みんな、表現できなくても言葉の世界を有しており、こうした問題について、私たちの常識の見直しが必要であろうことはもはや疑いの余地はない。ここでは、それぞれの気持ちをそのまま紹介しておきたいと思う。

Aさん(脳内出血)
 こんにちわいいやりかたですね。言いたい、おとうさんにありがとうと。私寝たきりになってから毎日不安でしたが、おとうさんが毎日来て受け答えをしてくれたので、なんで一人の私なのにこんなに寂しくないのだろうと、しあわせにいつも満たされています。小さいときからずっといいおとうさんだったけれど、みんながこうして集まってくれてこんなに恵まれていてなんだか夢のようです。苦悶してきましたがなかなかわかりませんでした。聞いてほしいことがあります。じっとしているとぬいぐるみのいのちのようでつまらないので、時々なんでもいいから小さな物語でも聞かせてください。はい。なんでもいいです。人間だから時間がこうして流れていけばしあわせです。信じられません。なぜ聞き取れるのですか。願いは小さくても本当のいい時間が過ごせることです。暑いのは苦手ですが 外は好きですので今度また涼しくなったらお願いします。テレビは聞いているので必要です。
 はい。反応が出せませんが笑っています。子どもの時から見ていたので大好きです。疲れるのはつらいことがあるときです。なかなか伝えられないので夢のようです。群青色のあかりが見えるようです。希望が見えるようです。とてもありがたいです。だけど悩みはその苦労にこたえられないことです。いいかただからすまない気持ちでいっぱいです。つばはくるしい。



Bさん(若年性のアルツハイマー)
 いい機械ですね。ぎちぎちとしめつけられるような気持ちですが人間として認められたような気分です。地域の生活を理想としていますがなかなかむずかしいです。小さい冒険だけどみんなでわたしの家に行ってみたいです。私の家は留守番の人もいなくて私の帰りを待っています。夢によく出てきますが私の家は今どうなっているのでしょうか。理解できなくなって家にいられなくなって悲しいですが泣くこともできなくなってしまいましたからさびしいです。理解するのがむずかしいのは環境の認知などです。困っています。時々何を言われているのかわからなくなります。困っています。したいことがなんだかわからなくなります。理解していても話せなくて困っています。はい、なかなか話せないですがよくわかっています。記憶もなかなかむずかしいですが何とかなっています。
(50音表の文字盤を出すと一人ではただ指が順番に「あいうえおかきくけこ」と流れるようにたどるばかりでさせなかったが、手をそえてあげると名前を指せた。)
はい、文字盤はむずかしいけどなぜ指差せたのでしょう。
(ペンを握らせて手を添えると名前の漢字1文字が書けた。)
はい。はい、とても不思議でした。なんで書けたのですか。(生きた字所はどっちと)尋ねて紙に「店」と「家」の文字を書くと「家」を指した。)
 大好きな私の家に行きたい。不思議です、書けました。不思議です。もうわからなくなったと思っていましたから感激です。なぜ読めたのか不思議ですが読めました。私はもうだめかと思っていたのでとてもうれしいです。私をよく理解してくれてありがとうございました。悩みが晴れました。どうもありがとうございました。


Cさん(脳内出血)
 気持ちが言えてうれしい。なぜ背をたたくだけでなぜわかるの。
 疑問に悩んでいます。薬すこしやめたいです。私をわからなくさせているみたいです。私の気持ちを聞いてもらえるとは思わなかったのでうれしい。○○○(息子さん)をもっとかわいがりたいけどできなくて、許してほしい。人間そんなには長生きはできないけどまだまだ○○○が小さいので望みはもっと長生きすることです。○○○をもっとかわいがらないといけないのに許してほしい。
 願いは私の△△の家で一緒に暮らすことですがむずかしいので理想のまた理想は私の胸にしまっておいてここでがんばります。小さい願いですが、夢ですがなにか楽しみがほしいです。夕方になるととてもさびしいので忘れたいことを思い出してしまいます。×××や年齢はわからない人が私を笑いにくるような気がします。私の若いころのいい理解者が笑っているような気がします。
 にれの花を見たいと思います。昔歌でいい花と聞いていたので。にれも夢で見ます。にれの花それはぜひ見たいです。私の夢の中では白い可憐な花です。頼みます。唯一の夢です。
 不思議です。言葉がすらすら出てきて。いつもはなかなか出てこない。
(話そうとすると混乱してしまうのですか。)はいそうです。混乱してしまいます。

 昨年の夏、金沢で著名な山元加津子先生が献身的に看病を続けておられる宮田さんにお会いした。非常に重度な脳血管障害の後遺症の方に言葉の読み取りを試みるのは初めての経験だった。それから1年が過ぎ少しずつだが、こうした方々との出会いが始まったところである。
2010年8月27日 19時51分 | 記事へ |
| その他 |
2010年08月23日(月)
光道園その3 Tさんとの再会
ほとんど言葉を語らないTさんの気持ちを聞き取ったのは、昨年のことだった。その時、とても深い詩を聞かせていただいた。彼は、関東地方の盲学校の卒業生である。私とほぼ同年代の彼ともっとも印象深いできごとは、何かの治療で都内の病院に入院した際、彼の担当の職員さんのお見舞いのご案内をしたことである。20年ほど前のことである。その職員さんは、すでに亡くなった。彼のことをとても大切にしていて、病院に向かう電車の中で、Tさんを「すてき」という言葉で何度も表現されていたことがとても印象的だった。しかし、言葉を発しないTさんとは、なかなかコミュニケーションはとれないままだった。
 今年は、Tさんは私のことを明らかに待っていてくれた。もちろん私も彼との再会を心待ちにしていた。

 柴田さんひさしぶりですね 聞いてほしい詩があります

こよいの静かな品のよいドラマのようなみんなの笑い声が聞こえ
もんもんとした心に遠い願いのような不思議な声が聞こえる
小さいころ鳥が鳴くと目を覚まし
空高く昇る太陽の光を肌で感じながら
べりべりと音を立てて小さな夢がくずれていくのをながめながら
小さい胸を痛めてきた
人生をつらい毎日でなく楽しい日々にするために
ぼくは呼んだ
このいのちがつきる前によい知らせをとどけてくれと
時間はかかったけどどんなにぼくは待ち続けたことだろう
人間としてどんなにどんなに自分の人生をどんよりさせることなく夢物語に変えて
もんもんとした気持ちを晴らしたかったことだろう
人間としてぼくは人生を絶対に捨てないで生きていく
小さないのちだけどぼくのいのちはぼくだけのものではない
名前も持たない人間だけど
小さな声しか出せないけれど
ぼくは黙ったままでは終わらない
何かを果たして生きたいとべんべんとした気持ちで祈り続ける
禁じられた言葉の鎖を解いて
未来をそらそらと持ち上げて
未来をこの手につかんでみせる

 いい詩ですか ひとりでいつも考えています きびしいからだですがぼくらしく生きるために気持ちを詩にしています もうひとつ聞いてください

続いて見えたわたしたちの希望
時間はかかったけれど
望みどおりの言葉を語り
望みどおりのぼくの声を叫び
人間として忘れられたぼくをとりもどし
願いをとりかえし
忘れられない夢をそっと呼びもどし
小さなぼくでも声を出し
望みをかなえて呼びかけよう
人間としての実りある人生を歩むためなら
どんな困難でもけっしてあきらめるなく
敏感な心のままに生きていこう


 ここで、一息ついてWさんのことを話した。

 Wさんずっと覚えています ずっと忘れません ずっと心の中で生き続けています びっくりしました なぜWさんを知っているのですか 覚えています ○○の病院のことは ずいぶん昔のことてすね 
聞いてほしいことがあります 学校との問題ですがどうしてどんな子どもにも可能性があると学校の先生は考えてくれないのでしょうか 小さいときから気持ちを聞いてもらいたかったです ぼくたちもおなじ人間なのに聞いてもらえませんでした 


 話が学校のことに及んだので、私は、昨年の夏、光道園の合宿の後に、彼の卒業した盲学校の研究会で話をする機会があったので、その中で彼の詩を紹介したことを伝えた。そして、残念ながら、まだ、こうした方法が広く認められたものとなっていないので、Tさんのことや貴きっとった方法などについては、細かく触れることはしなかったということも会わせて伝えた。すると彼は、それをとても喜んでくれて、次のように語った。

 とんでもなくうれしいです 母校で語ってもらえて感動です ずっと願いでした ずっとずっと夢みていました 母校で何かできることを
 グレーの気持ちがとても晴れました じっとひとりで生きてきたけどようやく願いがかないました 小さいときからの夢がかないました 小さいときからのどんよりとした気持ちが晴れました うれしいです

ここで、歌を作っていないかと尋ねた。すると次のような返事とともに、歌を聴かせてもらうことができた。

 作っています 歌も聞き取れるのですか 

理想にもえて人生を
自分の足で歩いていこう
自分で不思議な歌を歌い
未来にむかって歩いていこう

 これだけです 人間としてという題です 小さいときに作ってずっと歌ってきました いい人生にしたかったから作りました まさか聞いてもらえるとは思いませんでした 聞いてもらえてうれしいです 歌ってください 小さいときの思い出の歌です きびしかったけどようやく光がさしてきました 小さいときはもっと話せるようになると思っていましたがためでした トイレに行きたいので終わります


 おそらくまた会えるのは来年になるだろう。私のとうてい理解できないような時の過ごし方を経て、1年後、彼はどのような言葉を語るだろうか。

 
2010年8月23日 17時08分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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光道園にて2010年夏その2 Kさんの言葉
 Kさんの正確な年齢はうかがっていないが、私は1980年代の半ばから彼女とはおつきあいを続けてきた。東北出身の女性で、かなりしっかりとした会話をなさる方だが、十分には気持ちを伝えきれないでもどかしい思いをしてこられた。20数年の時の流れは、Kさんをすっかり老いさせた。もちろん私も例外ではない。光道園の中でもっとも個人的に関わらせていただいた方といってもいいかもしれない。大きい点字の木枠にリベットで点字を作っていく学習が中心だった。彼女のために板に釘をうって50音表を作って送ったこともある。その点字表は彼女の僅かばかりの私物の中に今でもとどめられているのだろうか。
 お会いする度に一歩ずつ前に進んでいた点字の学習も、最近は、むしろ、覚えている点字の数は少なくなった。それでも彼女と点字をはさんで関わる時間はとても大切な時間のように思えて時間が流れていった。そんな彼女から、今年、長い文章を聞き取ることができた。

 いいスイッチがみつかった 気持ちが言えそう 自分で願ってきました
 分相応の生き方をしてきましたがしあわせな人生を過ごしてきました 銀世界を夢にみていましたが銀世界には行けませんでした 未来はごんごん乗り越えて切り開いて困難を吹き飛ばしていかなくてはいけません 小さいときからの願いがかなってうれしいです 人間としていい人生を生きてきました みんなに感謝しています みんなわたしを愛してくれてありがとうございます 
 もう少し書きます 人間として銀色の銀世界にあこがれてきましたが自分で一人暮らしをしたかったです 人間として自分で冒険をしたかったけどそれはかないませんでした 銀世界は遠い世界でしたがとてもいい人生でした みんなに感謝しています 人間としていい人生を送れてよかったです 
 いいスイッチですね ほしいです 

(助詞の「は」がなぜ使えるのですかとの質問に対して)小さいときは見えていたからです 
 聞いてほしいことがあります 銀世界とは自分の大事な世界です 小さいときからいつもあこがれてきました 字の勉強や点字の勉強に大事な意味を感じてきましたのでとてもいい人生でした 勉強も人生の大事なろうそくのあかりでした ろうそくのわたしの光をともし続けて残りの人生を生きていきたいです 人生の泥沼をはいだして勇気を持って生きてきてよかったです 運命に負けずに生きてこれてしあわせでした 銀世界に行けなかったけどしあわせでした 銀世界と別れるのはつらいですが銀世界とはそろそろお別れです 銀世界とさらばしてがんばりたいです 
 いいスイッチですね ほしいです 言いたいことが言えてよかったです


 生まれ故郷を離れて遠い施設で過ごしてきた人生がいったいどういう意味を持ってきたのか、そのことはこの施設を訪れるたびに、私の脳裏をよぎり続けてきた問いだったが、ここには一つの答えが示されている。これは、彼女の人生に対する勝利宣言と言ってもよいだろう。そして、私たちが大切にしてきた点字の学習は、彼女の人生にとって大切な意味を持っていたという。確かに彼女がずっといだき続けてきた夢には到達できなかったが運命に負けずにこれてしあわせだったという。そして、人生の最終地点が近づく中で、彼女は、今、その夢と潔く決別するという。まだ、その年齢には達していない私には、その境地は本当にはわからないが、それは、単なるあきらめとは到底言えないものだろう。そして、これらもろうそくの光をともし続けて生きていくと力強く語っていらっしゃる。
 私はただ、彼女が少しでも長くそのろうそくの光をともし続けていくことを願うのみだ。
2010年8月23日 17時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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光道園にて2010年夏その1
 福井県にある光道園という視覚障害者を中心として受け入れている施設で、点字の基礎学習を中心とした合宿に参加するようになって20数年が経過した。私たちがそこでお会いする方々は、視覚障害と知的障害を重複しているとされている方々だが、昨年から私は点字の基礎学習に加えてパソコンによる言葉の聞き取りを始めた。昨年はまだ手探りだったが、たとえ視覚障害があっても耳だけで音の選択はできることにほぼ確信を得た今年は、積極的にパソコンによる聞き取りを試みた。そして、20人ほどの方々の言葉を聞き取ることができた。もう長いことこの施設で暮らしている方がほとんどで、そこで語られた言葉は、また、一段と重いものだった。そのいくつかを紹介したい。
 なお、視覚障害の方々にとって、濁音や半濁音、拗音、促音などのルールや助詞の「は」「へ」のルールがかな文字と点字とではちがっているが、ほとんどの方がそこの問題はスムーズにクリアなさって、私がいつも使用してる2スイッチワープロで気持ちを表現して下さった。
2010年8月23日 17時02分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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