ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年02月28日(月)
秘かに綴られてきた俳句
 ○○君のお宅に久しぶりにおじゃました。前半は、彼の理解されないことをめぐるやりとりをした。

 こんにちわ。黙ったままでは全然変わらないから悩んでいます。みんなはどうしているのですか。万難を排してでも頑張って伝えたいです。小さい時から万難を排してという言葉が好きでした。負けないでどうにかして生きていくためにはどうしても必要な言葉でしたから。自分の分でも何かができると思うのでずっと願ってきました、僕を本当に理解してくれる人が現れるのを。小さい時からの夢でしたからうれしいです。僕にも何かできるでしょうか。

(表現していくことができるのではないでしょうか。)

僕なんかが考えていることがどんな意味があるのですか。

(○○君たちを当たり前に考えている人間としてまだ社会が認めていないということは、まだ社会が未完成ということで、その社会が完成に一歩近づくためには、○○君たちを受け入れていかなければならないのだけど、それは、○○君のような生き方をした人にしかわからないことを社会が理解していくことだから、○○君たちの考えていることにはとても大きな意味があると思います。)

 勇気をもらいました。みんなをもっと輝かせないといけないということですね。何だか道が開けそうです。理想的な話しですね。夢のようです。勇気が出てきました。私たちをもっと輝かせたいのでよろしくお願いします。人生の目的が見えてきそうです。

 ここで、少しお母さんが読み取れるようになるために、援助による筆談の練習をして、だいぶ読み取れる字があった。もう少し筆談の練習をしようかと尋ねると、まだ、言いたいことがあるからとパソコンを選んだ。そして、突然、○○君は、自分の俳句をあふれんばかりに書き出していった。

 小さい時から俳句を作りたいと思ってきましたから作ってみました。聞いてください。

石畳 匂いくる花 茫洋と
地味に咲き分相応の夜の花
人生に逃れられない雪積もり
銀紙の輝きによい三日月を
人生をつらくながめて願う人
人生と開かれた野に咲く花を
五と六の間にはみな尽きる背(せな)
ずっと未来を願っていた人が五十歳を過ぎたのに願いがかなわなかったということです。いいえ想像上です。
人生に願いを持ってランプの火
五浪してまた立ち上がり涙拭く
作られた願いのように湧く泉
ずれないとわからないのは過ぎた夢
ずっと読む光の手紙盗まれず
絶対に理解できないもらい泣き
(もらい泣きをしても本当の心はわからないということです)
包まれた光を開き 分を越え
全体の 勉強を逃げし 夜明ける
ずぼんどけ ならいし望み 野良に捨て
(ずぼんは作られた願いのことです)
ゼラニウム咲く 年末の 良き香り
強い気を 貫いて待つ 冒険の
電話出ず 別の用事に 盗む夢
(電話にも出られずに忙しくしていると夢が盗まれてしまうという意味です)
ずっと待つ 希望の光 涙拭き
つらい日を わずかにランプで 照らし 過ぎ
地雷踏む 理想除かれ 無に帰る
ずっと乗り 疲れた願いの 空を飛ぶ
銀世界 ぶよぶよの体 野に横に 
地位 ともに 失いたる日 月を待つ
群青の光とともに 南風
強く伸び 水を吸い上げ 花開く
月夜の戸 開かれてまた閉じられて
小さい音(ね)呼びかけて ぬくもり聞こえたり
分相応 未来のろうそく持たぬ身の
願いの実 飲み込んで待つ 光る鳥
人間と 認められた日 澄んだ部屋
小さい野 みんな緑に 日を待って
疲れた野 緑失せゆき 老人に
群青に 輝く瞳 願い寄せ
夢と知り 生意気と知り 一人泣く
ずれてなお 分を越えてし 未来の日
よく泣いた日を持ちゆらぐ 海香る
鳥の声 過ぎた昔の笑いの音
緑の実 弁解をした 木曜日
ねえさんの空しい瞳 願い満ち(未知?)
人生を何度も楽にと 凡庸に
人間の目標のよう 吹く風は
つらい野の 静かな風に 小さい夜
小さい日 月はわずかに照らし 友
人生の 力にと 植え 花開く
 
 どんどん出てきます。もちろん前に作った俳句です。まるで魔法のようです。どうしてこんなにすらすら思い出せるのか不思議ですがぼくのです。


 全部で52句あった。驚異だった。長い間に作りためていたものを一気にはき出したのである。このうち4句は、どこかに投稿することを考えて、この中からは省いておいた。ブログで紹介してしまうと、未発表作品にならなくなってしまうからだ。
立ち会っておられたお母さんも弟さんも、その俳句の内容の重さと、その数のあまりの多さに言葉を失ってしまったし、私も、夢でも見ているようだったが、私がこれだけの俳句を書けるわけもなく、純然たる事実として、52句の俳句がその存在をずっしりと主張していた。
2011年2月28日 23時23分 | 記事へ |
| 家庭訪問 |
2011年02月19日(土)
☆☆さんとの再会と新しい出会い
 小学生のころ、初めて私とパソコンで言葉をつづった☆☆さんと、ある地方の都市で再会した。私が長年お世話になってきた先生の退職にかかわるあるパーティーの会場だった。会場には先生のゆかりの方々がおおぜい見えていたが、その中には先生にお世話になった何名かの障害のある方々が見えていた。みんな幼少期に先生に出会い、すでに大きくなっている方々だ。
 ☆☆さんの言葉については、私はきっかけを作ったに過ぎなかったが、彼女をとりまく先生方やご家族の努力で、彼女はパソコンから援助による筆談の方法に移行して、母親や教師たちとの会話が可能になり、無事、中学部を卒業して、高等部は、受験をして一般の高校生と同じ教科学習を行っているコースに合格し、勉強を続けている。彼女の希望は、地元の大学に進学することだ。もちろん、独力で表現ができないため、予想されるハードルは決して低くはないが、少なくともそのハードルを越えるための挑戦が始まっているということ自体がとてもすばらしいことだ。
 私は自分の手を振りながら「あかさたな」と聞いていく方法で再会した彼女と会話した。パソコンを使わずに速いスピード読みとっていく方法の進化には目を丸くしていたが、何年ぶりかの再会を喜んでくれ、現在の状況などたくさんの会話をすることができた。
 その会話の中で、私たちのそばの少年が同じ学校の1歳年下の友人○○君であることがわかった。私は、何年か前に養護学校で彼にあったことがあるような気がしていたのだが、その時には言葉を引き出せたわけではなかった。ただ、今回はもはや彼に言葉があることを疑う余地はなかった。☆☆さんに彼のことをいろいろ尋ねると、もちろん彼にも言葉があると思っているという。そして、それに併せて、私と会って以降、☆☆さんは言葉がある子どもとしていろいろと特別に手厚く扱われてきたけれど、本当はみんな同じなのにという気持ちを伝えてきた。
 私はひとつ提案をした。私の方法は、今仮にうまく彼と話せても今夜限りのものになってしまうので、お母さんが☆☆さんにやっている筆談を○○君にやってみたらと思うのだが、それをお母さんに提案していいだろうかということだった。☆☆さんの目はきらりと輝いた。お母さんがほかの人の通訳ができるなんて考えてみたこともなかったけれど、ぜひやってもらいたいというものだった。そしてそのまま、お母さんに事情を説明した。お母さんは、まさか私ができるのでしょうかと大変驚いておられたが、私が勧めると引き受けてくださった。
 そして、○○君の元へ向かった。いきなりやってきた私に○○君もお母さんも驚いていたが、お母さんも彼がいろいろなことを考えているということはわかっているということだったので、さっそく彼の言葉を聞き取ってみた。彼は突然のできごとに大変驚いていたが、☆☆さんのようにいつか自分も話せたらと思い続けていたとのことで、ようやくその日が訪れたことに満面の笑みとともに喜びを表現した。そして、☆☆さんも特別な扱いを受けていることに胸を痛めていることはわかっていたということも語った。
 そして、実は、☆☆さんのお母さんなら、筆談という方法で○○君の言葉を読み取れるということを伝え、☆☆さんのお母さんをそばに呼んできた。おそるおそる○○君の手をとった☆☆さんのお母さんは、深い集中をこめて、読み取りを始めたが、それほどの困難を感じたご様子もなく、ゆっくりとではあるが、○○君の言葉を読み取っていった。最初の一言は、「もっと食べたい」という言葉で、それは、目の前にあるパーティーの食事のことだった。
 新しい始まりの瞬間だった。○○君のお母さんと☆☆さんのお母さんはもともと親しい間柄なので、さっそく☆☆さんのお母さんは○○君のお母さんの手をとって、筆談の援助の方法を伝え始めた。すぐにうまくいったわけではなかったが、お二人とも、この新しい展開を確かなものにしたいと今後にむけていろいろなお話をされていた。
 そこへ、退職なさる先生から、◇◇さんにも関わってほしい旨の伝言をいただいた。主役の先生は、たくさんの人に囲まれてお忙しかったわけだが、その合間のことだった。そして、◇◇さんのもとに向かった。会ったことのあるような気がしたのは、何度も映像を拝見していたからだが、初対面だった。◇◇さんは4歳までは見えていて、それ以降は全盲になったとのことだが、さっそく手をとってみると、すらすらと言葉が語り出された。あまり時間がなかったので、すぐにお母さんに方法をお伝えした。すると、すでに「はい」と「いいえ」は手を握り返すことで返事を読み取れているということで、あかさたなの方法がけっこううまくお母さんにも伝わった。すでに成人した◇◇さんが最初に語った気持ちは、これで一人でも生きていけるかもしれないという言葉だった。そして、今日は、自分を大切にしてくれた先生のお別れの会だったので寂しい気持ちをかかえて来たのだけれど、こんなことに出会えて本当にうれしいということを語った。
 お母さん方へこうして広がりが生まれそうな可能性が見いだせことの意味は少なくないような気がした。パーティーのさなかでの突然の出会いだったが、新しい一歩が踏み出せたような気がした。
2011年2月19日 19時51分 | 記事へ |
| 他の地域 |
2011年02月10日(木)
森をつくろう
 あと1年あまりで社会人となる○○君は、卒業の時期が近づき、様々なことを語った。そして地域で生きていくことをテーマにした詩と、その詩を歌にして聞かせてくれた。

こんにちわどんなに理解されなくてもこうしてわかってもらえる仲間がいるのでぼくはなんとかがんばってこれたけど、また卒業してお別れいうのがもう何回も経験したことだけど寂しいです。みんなも何とかがんばっていくと思うけれどわかってくれない人しかいなければつらいと思うのでどうなっていくのか心配です。
 地域で生きていくというのはどういうことなのか聞きたいです。地域で生きたいけれどむずかしいですね。でもなんとかして地域で生きていきたいです。どうにかして中身を変えたいです。どうすればいいのでしょうか。私たちを世の中が理解してくれるにはどうやったらいいのでしょうか。わからないけどがんばりたいです。
 詩を聞いてください。地域で生きていくことがテーマです。

 森をつくろう

小さな昔のみんなの願い
なんども空にこだまして
遠くの森に消えていった
ほんとうの森はどこにある
ぼくたちを育み
望み通りに育ててくれる
小さいころ森をぬけ
別の世界に来てしまい
森に帰れずに困っている
そんなぼくにも森の声が
はるかかなたから聞こえてくる
理想に満ちた新しい森を
みんなでもっと作ってゆこう。

 歌:森をつくろう

森をつくろう僕らの森を
不思議な歌や夢に満ち
願いのかなう不思議な森を
小さい願いに願いを重ね
ひとりひとりの声を集め
願いの森をみんなでつくろう。


2011年2月10日 18時58分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
苦しみからの解放と「苦労をかけた母に」
 仲間の死というたいへん悲しいできごとがあって訪れた○○さんは、次のような話を聞かせてくれた。

  つらい話がありました。☆☆ちゃんがさくじつ亡くなりました。たいへん悲しいですが、私たちはそういうことがよくあるのでつらいですが、いまどうすることもできなくて悲しむだけです。私たちのいい生き方をもうすこしわかってほしいです。苦しむのはもういやですが、しかたありませんね。苦しいけれどあきらめるしかないのがつらいですが、また明日から私たちも前を向いて生きていかなければいけませんから、元気が欲しいです。こうして話せてよかったです。いつもひとりで夜中に考えているので、とてもつらいです。苦しいけれど乗り越えていかなければ苦しみに負けてしまいますから。苦しみに負けてしまうともう生きていけなくなってしまいますから。少しでもわかり合う仲間をもっとわかってあげられる必要があります。
願いはみんなの気持ちをもう少し聞いてあげることです。勇気がほしいです。苦しいことが多いので私たちはもう少し頑張らないといけないと思いますが、そういうことをまだわかってもらえていないのでとてもつらいです。そういうことというのは、私たちが言葉を理解しているということです。
運命を受け入れるという言い方がとても私を苦しめますからきらいです。苦しいけれどとてもうれしいです。こんなに話ができて。苦しいけれど私も人間と言う気持ちがしてきます。苦しいけれど言いたいことが言えてとてもいい気持ちですが、今日は内容がつらいのでとても笑顔になれませんが夢みたいです。苦労してきたのでうれしいですが、多くの人の気持ちを聞いてほしいですが、むつかしいですか。
苦しいけれど、こんなに話せてうれしいです。苦しみから少し解放されそうです。苦しみからの解放は私たちの願いですから.苦しみからの解放という言葉を考えてきたので言えてよかったです。そうですね。もう少しで私も苦しみに負けててしまいそうでしたから。苦しみからの解放という言葉がようやく分かってきたような気がします。


 そして、詩を一編聞かせてくれた。


   苦労をかけた母に

暗闇から見えてくる明るい光を私は待っている
暗闇の光はまだ見えないけれど
私は信じている
少しだけ苦労してきたけれど
私の苦労はまるで苦労とは言えないくらい小さいもの
苦労してきたのは本当は悲しいけれど私の母だ
そういう苦労を乗り越えて私は今生きている
そういう苦労をまるで苦労と思わず生きてきた母に
私はいつも勇気をもらう
私の勇気をくれた母に私も幸せを返したい
疲れてしまっても望みをけっして捨てなかった母は
手の中に私を抱えて歩んできた
望みを残して生きてきてくれて
望みを消さないで生きてきてくれて
いつも前を向いて私を導いてくれた母にありがとうと言います


 いつも笑顔の○○さんが、今日ばかりは、終始うれいをたたえながら、ずっしりと重い気持ちを伝えてくれた。
2011年2月10日 00時21分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 |
2011年02月01日(火)
りんどうの詩
 20代の女性○○さんが綴ったりんどうの詩。

きびしい寒さを超えてきたすてきなりんどうの花
みんなに守られながら咲く部屋の栽培された花とは違い
人間にもほっとかれたまま
みんなひっそりと空を見つめて
きらきらしたまなざしは光の束となって夢に降り注ぐ
人は皆ようなしというけれど
人間にはわからない
なぜりんどうにもずっと悩みがあることを
それはいつか小さな冒険をして
夢の中で見た緑の森に旅をすること
なぜなら緑の森には不思議なりんどうの道があり
そこには人間になれる不思議な水が湧き出している
いつかりんどうはその水を飲みにんげんとして生きていきたい


 そして、いろいろな話を聞かせてもらった後、聞いてもらいたいことがあると言って、次の詩のような言葉を述べた。

じっと耳を澄ませているとずいぶん昔
楽しくみんなで語り合っていたことを思い出します
小さいころからつまらなかったことは
ろんろんした気持ちになれたのは一人で冒険をしたときのことです
どよめきを見ながら
もくもくと望みだけを頼りに
ドーベルマンは風に向かって駆けだした
ほんとうの冒険はどうやったら始まるのだろうか
小さなばーんというなまりのこだまして
小さく砲弾はどこかに砲弾の穴を開けてしまった
どのくらい呼ばれていたのかはわからなかったが
私は不意に我に返り
何も望み通りには行かなかったけれど
人間としてごらんなさいというメッセージだけを
知らない人に向けて発したいと思った
 


 おそらく即興的に作ったものなのだろう、いつものようには完成されていなかったが、思いはびんびんと響いてくる言葉だった。
2011年2月1日 01時19分 | 記事へ |
| 研究所 |
3月のきんこんの会について 3月29日火曜日に行います
 1月のきんこんの会は無事終了しました。
 今回は、みんなが作っている歌のことをひとしきりしたあと、地域で生きることについて話をしました。詳細は別の機会にまとめます。
 2月はお休みさせていただいて、3月は29日火曜日2時から開く予定です。
 参加はご自由ですので、ご興味のある方はどうぞ気楽にいらしてください。
2011年2月1日 01時12分 | 記事へ |
| 大学 |