ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

»くわしく見る
2011年03月29日(火)
震災をめぐる3人の思い
 桜の開花も近いというのにまだまだ寒い一日、計画停電、交通網の混乱等々の中、災害をめぐる様々な思いを聞いた。
☆☆さんは、やはり、いきなり地震の話からだった。

 いちばんぐったりするのはたくさんの人が亡くなったことです。みんなそれぞれ若い人も年老いた人も来世を信じているならまだ救いもあるけれど人間なんてなんと人生を茫然と見つめるしかない存在なのかと思い知らされるできごとでした。理解を超えたできごとにただただ茫然としているだけですが、私たちはどうにもならないことには慣れてはいるので世間の人たちよりも人間の無力さはわかっているつもりです。私たちの私たちらしさは地震の前にはもろいものですが、私たちを何とかして理解してもらうためにはまだここでくじけてしまうわけにはいきませんが、私らしく生きていくためには私たちの私たちらしさをまたわずかな希望とともに語らなければなりません。地震は外向きには甚大な被害ですが内向きには新たなおごりのいましめでもあります。理想はずっとみんなが号泣することなく暮らしていけることですが、理解を超えた悲しみがあるというのがずっと続いてきた現実ですので何とかしてこの悲しみを乗り越えていくしかないと思います。小さなものかもしれませんが私たちのような存在はこの悲しみを乗り越えていくための何かヒントになるのではないかと思います。ランプのあかりが消えそうでもじっと忍耐していけば必ず光はさしてくるということです。何もできないけれどこういう考えもあるということを今日は伝えたかったです。なるべく多くの人に聞いてもら言いたいのでよろしくお願いします。小さい存在かもしれませんが私たちも小さいながら考えているということを知ってほしいです。ぽおんと何かをほおったときに乱れた空気が生まれても必ずまた静けさが訪れるということを信じていますぞっとするくらい恐ろしいことでも必ず終わりがあることを私はよく知っているので茫然とする日々にも必ず終わりがあることをじっと待ち続けたいと思います。涙はいつかかわくこともずっと経験してきたのでよくわかります。

 そして、一つの詩を聞かせてくれた。

  よい願い

犠牲になった私の友よ
理解されずに未来は閉ざされ
私はいつか私らしさをなくしかけた
だけどわずかな希望があるかぎり
私は私を輝かせるために
わずかなあかりをたよりにしながら
とおい未来に歩き出す
忘れたいのちを捨てないで呼んでみよう
きっと呼びかけに応えて
いのちは応えてくれるはず
人間ははかない存在だけど
必ず小さな未来をもって
人間の限界を越えていくはず
勇気さえあればどんな冒険でもできるだろう
自分の力のとどくところのその向こう側には
どうしても行けないかもしれないけれど
私たちはあきらめない
私たちを自由ないのちとか有限ないのちとか考えるのではなく
来世の冒険に逃げることなく
いま与えられた現実から一歩でも歩み出すための
静かな昔と同じようにゆっくりとでいいから
しっかりと道を切り拓きながら進んでいこう
若い時代は長くはないが無難な道を歩くのではなく道なき道を歩んでいこう
もうすこしで光はさしてくるはずだから
 

 ○○君も、かんたんなあいさつの後、地震の話をした。

 日本中がたいへんなことになってとても悲しいです。指をくわえて見ていることしかできなくてくやしいです。指をくわえて見ていてもなかなか私たちの力ではどうにもならなくてほんとうに悲しいです。ぼくたちは理解されないことでたいへんな悲しみを感じてきたので今度のことはとてもよくわかりますがあまりにも理解を超える悲しみでやっと地震が通り過ぎたと思ったら今度は大津波でどうして神様はそんな苦しみを人間に与えるのかわかりませんが何か意味があるのだろうと思います。地震のことの意味はよくわからないけど何か意味があるとしても悲しすぎると思います。人間にはまるで何もできないというみたいに見えますが人間にも知恵があるので人間として知恵を出すときだと思います。地球規模の異変が起こっているのではないかと心配ですが何万年もぼくは生られるわけではないのどほんとうのことはわかりませんが先生は何か知っていますか。

 もちろん、私に答えられることは、この地震と同じような規模の地震が起こったのは、1000年も前の平安時代であるということと、こうしたことが長い長い地球の歴史が繰り返されて、あの三陸のリアス式海岸の独特の地形も生まれてきたということぐらいだった。
 そして、自分のことに話は向かった。

 小さいときからぼくは何もわからないと言われてきたけどこうしてわかってもらえてほんとうによかったけど勇気を必要としています。なぜならどうしてもぞんぶんに生きるという気持ちになれなくなることがあるからです。でもこうして気持ちが言えると勇気が湧いてきますからまた会いたいですのでよろしくお願いします。

 ◇◇君は、冒頭に、明らかにこの大震災のことを言っているにちがいない一文を書いたあと、話がまた別の方向へと切り替わっていった。

 聞いてもらいたいことがあります。万人にいいおつかいの天使はいないのでしょうか。理想は理解者を増やすことですがなかなかうまくいきません。満足のいくような私たちのわかりかたはないのでしょうか。わずかなあかりしか世の中にはさしていません。部分的なものにとどまって私たちをそれなりに迷いから解き放ってくれますが本格的な理解はほど遠いものです。夢の中にいるみたいです。未来がまだまだぼくたちには遠いものになっています。みんなも悩んでいることでしょうね。人間はなぜ何においても理解を超えたことがあるということに気がつかないのでしょうか。ぼくたちのような用なしのような存在にも心があるということにもっと気づいてほしいです。人間として認められたいですがなかなかぼくたちのことには目が向かないようです。だからぼくたちも世の中に気持ちを訴えていきたいです。春しか待てないのは寂しいです。理解される日を待ち続けたいです。ぼくの言いたいことは以上です。

 ここで、お母さんが、理解してあげられていないのは家族のことなのかしらと尋ねると、

 家族では思いません。闘いの文章です。世の中です。世の中を感じるのはテレビなどです。ぼくたちなどいないかのように話が進むことです。地震がまさにそうです。ぼくたちの仲間のことなど出てきません。福祉ネットワークは特別ですがぼくたちのような障害の人は出てきません。

 ここで、話が地震のことへと一巡して戻ってきた。そこで、最初は地震のことから始まったのに、なぜ話が変わったのかを尋ねてみた。

 それは悲しさだけだから書く言葉が見つからないからです。神様のことは真剣に考えると信じられなくなります。なぜならあまりにも理不尽だからです。ぼくたちの障害もそうですが理不尽なことがあればあるほど神様なんていないという気持ちになってしまいますから何も言えませんがそれでも何かの違う意味でもあるのかとぼくなりに考えていますがそんなふうに思うことが被災した人に悪くて何も言えなくなりますから困っています。よくわからないけど神様よりもいつかわかると信じてきました、ぼくの障害の意味が。選んだわけではありません。何かの意味があると何度も信じようとして少しずつわかり始めたところでしたがよくわからなくなりそうです、この地震で。

 この大きな理解を超えた大きな災害の前に、自分の障害の意味がまたわからなくなりそうだという沈痛な思いが語られた。そして、彼が、この地震の意味を問うということ自体が、苦しみのさなかにある被災者に対して悪いと述べていることも決して見落としてはいけないところだ。
 そして最後に、桜の花の詩を聞かせてくれた。

いつか桜の木の下で
ぼくは疲れた体を横たえて 花びらにうもれてしまいたい
桜の花を待ちながら 今年もぼくはそう願う
桜といえばにおいのように 思い出が静かに浮かんでくる
桜の花と聞くたびに 心は春につつまれる
桜咲く日という言葉 だれかが口にするたびに 勇気がぼくに湧いてくる
ぼくにも心があるように きっと桜も心を持って
みんなのしあわせ願いつつ 静かに生を終えていく
ぼくにもどんなによい花が咲いてくれるか知らないけれど
ぼくもいつか桜のように幸せを祈りながら咲いて
人間として理想の花を咲かせたい
見渡す限りの春がすみ いつ桜は咲くのだろう
それを祈って春を待つ
2011年3月29日 16時00分 | 記事へ |
| 自主G23区2 / 東日本大震災 |
2011年03月28日(月)
きじの奏で
 大野剛資さんが、詩集「きじの奏で」を出版しました。4月1日発売です。
 次のようなチラシができました。
 大野剛資さんの独特の世界がつまった、すてきな詩集です。ぜひ、お読みください。

 
2011年3月28日 00時47分 | 記事へ |
わかそよ結団式の会場で
 5月22日、第15回若葉とそよ風のハーモニーコンサートが開催される。その結団式が開かれた。その会場で、ひさしぶりにYさんに出会った。2年前、やはり同じ練習会場で深い詩を聞かせてくれたYさんに新しいはありますかとたずねると、かすかにうんとうなづいた。そこで、休憩の時間を利用して、パソコンを開くことにした。そして次のような詩がつづられた。

 勇気が出そうです。新しい詩ができました。

微妙な力を人間として 私はきっと身につけて
よい未来に向かって 人間らしく生きていこう
私の夢はろうそくのろうのように 溶け出して
もうそんなに残っていないけれど
光はまだ消えていない
勇気さえあれば私もきっとほんとうの夢をつかめるだろう
人間として理想を持って
よい霊魂を大切に ここから再び立ち上がろう
人間として瑠璃色の頭巾をかぶり
小さな瑠璃色の私の瞳を大切に
どこまでも


 ろうそくという表現をする人は多いが、夢がろうのように溶け出すという切ない表現は、Yさんの独特の悲しい表現だが、それを見すえるまなざしの強さも感じられる。
 また、素晴らしい詩が一つ生まれた。
2011年3月28日 00時32分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年03月25日(金)
Tさんからのメール 大震災のこと
 地震後にTさんから届いたメールを紹介したい。今、みんなで5月22日に開催する若葉とそよ風のハーモニーに向かった取り組みを開始している。今年のコンサートは、特別なものになりそうだ。

 今日はとても寒くて何もする気がしませんでした。友だちは手も寒いので手を組んでいました。
 日本は地震で大変なことになってしまいました。とてもたくさんのひどい目にあった。とてもたくさんの人がなくなりました。おそろしいことが起こってしまった。とんでもない被害が出てどうしようもできない状況になっている。なかよしのおばさんの家も被害にあった。ひどいことになった。何でこんな災害が起こるのだろうか。明日になればすべてがうそだっとなっていればいいのにと本当に思う。みんなが元気に会えればいいのにと思う。お友だちに会えるとどんなにかいいのにと思う。本当にひどいできごとでした。
2011年3月25日 23時48分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年03月23日(水)
大震災をめぐる思い 
 日本中が悲しみに包まれている中、視覚障害の重複した人たちと、何とかいつもの関わり合いを持つことができた。計画停電やガソリンの事情などで定例の会もいくつか開けなくなっているが、こんな時、うまくお会いできた方々の言葉は、おそらく同じ立場の多くの人たちの思いをどこかで代弁しているはずだ。
 最初は、まだ10代半ばの少年の言葉だ。長い文章のなかに次のような一節があった。

 災害のことがとても気になっています。みんなほんとうにかわいそうです。みんないつまで避難生活をしなければいけないのでしょうか。早くもとの生活にもどれるよう祈っています。なんとか早くわずかな希望でもみつけられたらと思います。

 この「希望」という言葉は、平穏無事に生きなおこの状況の中においても特別の困難を抱えずに生きている私たちがこの災害をきかっけに思い出した言葉としての「希望」ではない。彼が日々切実に抱き続けてきた「希望」を今被災地の方々に共感的に感じつつ語っている「希望」だと思う。
 二人目は20代の女性だ。彼女は冒頭からこのように始めた。もちろん、一人目の少年の文章をじっと耳をすませて聞いていて、それを引き取るように始めたものだろう。

 いい天気だけどゆいつ今悲しいのは地震です。 なぜ悲惨なことが起こるのでしょうか 。私たちも理不尽な障害に苦しんでいるけれどもっともっと理不尽なできごとでした。 私は悲しくて毎日泣いています。 ずっとどうしてこんな災害が起こるのかわからなくて悩んでいます。夢ならさめてもらいたいです。わずかな希望は私たちと同じでろうそくのあかりが何とか輝いていることです。勇気がほしいのも同じです。私たちを何とかして理解してほしいということです。私たちはまるで津波のあとに取り残されたようなものです。なかなか救いの手が伸びてきません。どうしてなのかわからないけれど私たちも救いの手を待っています。じっとしているだけしかできないけれど早く救われたいです。
 理不尽さに耐えるというところに共感の根拠があるということになるのだろう。この後、自分をもっと理解してもらいたいという思いへと文章は続いていった。
 3人目は、同じく20代前半の女性である。

 みんなもやはり地震のことを考えていたのですね。私も毎日考えていました。

 このように書いたあと、彼女のは理解されない自分の状況の話へと移っていき、力強く「分相応の人生は絶対にいやです。」と書いた後、次の文章へと移っていった。

 茫然としていました。どうして私たちだけでなくあんなにたくさんの人が亡くなったのか。小さい子どもまで亡くなったなんて人生をまだ全然楽しんでもいないのにどうしてなのかわからないけれど何か意味があるのではないかと思っていますがなかなかよくわかりません。

 こうした茫然と立ちすくむしかないような出来事を前に、懸命にその意味が何なのかを問おうとしている。この問いにはおそらく普通の意味での正解はないと思う。この悲しい出来事の後、その人が生きることによって作り出していったものが一つの答えとして、ずっと先になって意味としてもたらされるのではないかと私は思う。しかし、こうした問いはとても大切にちがいない。そして、彼女は、この問いは、初めて抱いた問いではない。まさに自分の障害に対して繰り返し抱いてきた問いだったのだと思う。
2011年3月23日 19時22分 | 記事へ |
| 自主グループ(視覚障害) |
2011年03月20日(日)
3月のきんこんの会の中止のお知らせ
 3月29日のきんこんの会は中止とさせていただきたいと思います。
 ブログにも書きましたが、埼玉アリーナで、この災害の現実のほんのいったんにですが、肌で触れさせていただきました。ただただ、大きな悲しみが時間によって癒されていくことと、生活が再建されることを祈るばかりです。
 きんこんの会ですが、何とか実施したいと考えておりましたが、車のガソリンの事情や交通機関の乱れ、計画停電など、円滑に会を行うことにいくつか困難な要素があることと、私自身、新学期を前にして、臨時の対応がありそうなので、残念ながら、今回は見送らせていただきたいと思います。
 こんな時期だからこそ、一人ひとりの思いを表現し合っていくべきだと思いますが、残念です。
 すでにブログでも紹介していますように、何とかお会いできた方々は、この大災害について、独自の考えを紡ぎ出しています。また、そういうものを紹介していきたいと思います。
2011年3月20日 08時56分 | 記事へ |
| 大学 |
さいたまアリーナでのボランティア活動
 19日、さいたまアリーナに福島県から避難してきた方々に対するボランティア活動に参加してきました。やったことは、まず段ボールを近くのスーパーからもらいうけることでした。次に、持ち込まれる品物の仕分けです。大勢の人がいろいろな物を持ち寄って来られ、それをどんどん仕分けしていく作業です。大勢の人が本当に懸命に物を持ち寄ってくる姿をまのあたりにしました。そして、続々と福島県から避難してきた方々が到着すると、今度は、毛布の運搬作業でした。布団があって毛布もあるのではなく、基本は毛布一枚で一晩を過ごすということでの毛布でした。
 そして、今度は、高齢者施設の方々の避難場所の設営です。固い床の上に段ボールを敷き詰めた上に2枚の毛布をしいただけの場所に、けっして健康とは言えない方々をお連れすることは、とても心苦しいことでした。そしてそこへ夕食を運びました。おかずのあるお弁当を見たときに一週間初めておかずのある食事がとれるとおっしゃいました。命がかかっているとしきりに責任者の方がおっしゃっていたのは決して誇張ではありません。認知症とされ、何も反応していないかのようなお年寄りの心にどんな世界が繰り広げられていたか。とても気がかりでした。中には高齢の知的障害の方もいらっしゃいました。
 3か所の避難場所をまわったとのことでしたが、そこでは、おにぎりとパン以外は食べていなかったとのこと。そして、自ら津波を経験した方が、あれは経験しなければわからないと繰り返しおっしゃっていました。
 被災地の惨状はまったくない埼玉の地に、しかし、確実に大変な状況を生きる方々の生々しい現実がありました。
 途中で、私の授業を受けていた1年生に会いました。来るべき若者が来ていたことにとても励まされました。彼は、東北の大学に行っていて、そこで地震に会って戻ってきた友達に誘われてきたとのことでしたが、学生ボランティアが動き始めたということを感じました。
  おそらく、今、まさに東北関東大震災のボランティアが始まったとのだと思います。東北でのボランティアはもう少し先になると思いますが、すでにこの関東地方にボランティアのニーズが生まれています。
 
2011年3月20日 00時48分 | 記事へ |
| その他 |
2011年03月17日(木)
東北関東大震災のこと 病室からのまなざし
 東北関東大震災の被災者の方々に心からのお見舞いを申し上げるとともに力強い復興をお祈り申し上げます。

 地震の前の約束をキャンセルせずに病院にうかがった。2時過ぎにうかがうと先に到着しておられた先生から、今日は3時過ぎから停電になるかもしれないと言われた。停電になった際の人工呼吸器等の機器の管理で、看護士さんたちはあわただしく立ち働いておられた。○○君の愛用のラジオは、ずっと震災のニュースを流し続けていた。いつもよりも音量が大きかったのはきっとお医者さんや看護士さんたちも情報がほしくてラジオの音量をあげたのだろう。もし計画停電が実施されれば1時間弱の時間で、☆☆さんと○○君の気持ちを聞かなければならないので、大急ぎでパソコンを開いた。
 ☆☆さんの言葉は、やはり、この大きな災害にかかわることだった。

 いい季節になったと喜んでいたらこんな大変なことになってとても驚いています。
 なぜこんな悲しいことが起こるのかわからないけれど小さいときからどうして私には障害があるのかと考えてきたのでみんなよりはよく考えられるのかもしれないけれど全然わかりません。
 小さいときはよく神さまをうらんだりしたけれどじっと煩悩ということを考えて望みだけは失わないようにしてきたのだけど、理解できないほどのできごとでした。
 びろうどの未来が被災者にも訪れることが唯一の願いですがどうなっていくのかとても心配です。みんなずっと人生を投げ出さなければいいなと思います。


 人間を襲う誰のせいでもない理不尽なできごとについて考え抜いてきたけれど、今回のことはわからないという彼女の気持ちは痛いほど伝わってくるものだった。
 ここで彼女は、私に「先生はどう思いますか。」と尋ねてきた。私には答えきれない問だったが、私は私なりに方丈記の地震や飢饉に関わる記述、良寛の地震に関しての言葉などを印象深く読んでいた自分には、「煩悩」という言葉を使った☆☆さんの考えは親近感を感じたので、「私の考えもあなたの障害ついての考えに近いと思うけれど、それをはっきりというほどわかっているわけではないのでなかなか大きな声で胸をはっては言えない」と答えた。すると彼女はこう続けた。

 ごめんなさい、へんなことを聞いて。本当ですね。本当のことをわかっている人は誰もいないですね。
 小さいときからの疑問でしたがようやく答えが見えそうだったのにまたわからなくなりました。
 人間というのはむずかしい存在ですね。病院にいるとそういうことをよく考えさせられます。


 もっと話を聞きたかったが、限られた時間なので、○○君のベッドのほうに行った。彼もまたこの大きな震災に関するものだった。

 生き死にということを考えました。なぜこんなことが起こるのかよくわからないけれど何千人もの人が亡くなったのがとてもわかりません。人生を途中で断たたれてしまって。よくわからないけど目的というのが本当に持てなくなりそうです。なぜぼくが生きているのか、なぜ私たちの苦しみがあるのかなど、わからなくなりそうですが、理想は理想としていいこんなわかり方があるかぎり目的を大切に生きていきたいです。理解できない悲しみにもきっと意味があるのでしょうね。わかるのはむずかしいかもしれないけれどどうにかしてぼくも生きる意味を見つけたいです。みんなもきっと同じだと思いますから。ぼくもどうにかして生きる意味を見つけ出したいと思います。わずかな希望さえあれば人間は生きていけるということをぼくたちがどこまでも証明してきたのでみんながんばってほしいです。
 私たちの仲間のことがとても心配です。願いはもっと私たちの仲間のこともニュースで伝えてほしいです。ぼくたちのことをもっと理解してほしいです。
 ぼくたちも生きていると世界に向かって言いたいです。分相応ではなくて望みどおりに生きたいですからよろしくお願いします。


 途中、停電の予定時刻が来たけれど、幸い停電はなく、会話も続いた。一緒に訪問した先生は、被災地でたくさんの人々が支えあっているという話を○○君に聞かせた。すると彼はこう語った。

 ぼくたちのことと同じですね。ぼくたちもいろいろな人に支えられているので、ごらんなさいぼくたちのことをと言いたいです。そうですね。未来のみんなの幸せはそこから始まるということですね。
 どうにもならない苦しさも勇気を出せば乗り越えられるということがわかりましたからだれでも人間は同じだと思います。こんなにたくさんの人が亡くなると悲しいけれど大切なことがよくわかるのですね。
 どうにかしてぼくたちのことを世の中に伝えたいけれどみんなぼくたちのことを何も考えていないと思っているのでわかってもらいたいですね。


 ☆☆さんも○○君も、障害という状況の中で生きる自分たちと被災された方々とを重ね合わせて理解しようと懸命だった。
 そして、☆☆さんに向けて次のように書く。
  
 ぼくたちにも勇気を持って生きる心があるということを、人間だから心があるということを、悩みも当然あるけれどみんな希望を持って生きているということを伝えたいですね。☆☆さん。
 
 容易には届けられないけれど、こういう思いで被災地を見つめているまなざしがあるということを、ともかく記しておきたいと思う。

 

2011年3月17日 10時19分 | 記事へ |
| 小児科病棟 / 東日本大震災 |
2011年03月08日(火)
青年学級の成果発表会の日に
 青年学級の成果発表会のあと、みんなで集まった打ち上げの場所で
いろいろな人の言葉を聞いた。
 Mさんは、もう長いこと生まれ育った地域を離れて、施設で暮らしてきて、現在はグループホームで暮らしている方だ。まったく離せないというわけではなく、かなり上手にコミュニケーションもとれるかただが、細かな気持ちの表現はむずかしく、以下の詩もパソコンを用いた私の援助で初めて表現できたものだ。だから、彼女の内面にこれだけの世界が広がっているということは、誰にも理解されずにきた。今回は、いきなり詩を書いた。

   小さな冒険

ひとりで旅に出かけてみよう
私は雪の輪の中で
実のなる木になるために
小さな祈りをささげる
人間としてもう一度
若い冒険をしたいけれど
もう私には忘れてしまった過去のこと
冒険もだれかに私を何度となくじゃまされて
わずかな夢も奪われて
私はいつも用なしの寂しい実のならない木だった
しかし私も冒険にようやく旅立つ時が来た
ランプに明るい火がともり
涙もようやくかわいてきた
冒険に出る時は今だ
のんきにかまえていられない
望みをもって旅立とう


 次のSさんは、何度となく精神的に苦しんできた女性である。ある程度コミュニケーションをとれるけれども、Mさんと同じく、こうした内面の世界が広がっていることはほとんど知られていない。
 

人間だから夢がある
理想にみちた夢がある
わずかなあかりが見えている
わずかな未来がみえている
涙をふいて理想の夢をかなえるために
光をめざし旅立とう

つらいのは気持ちがうまく言えないことです。未来が開けてきました。勇気が湧いてきました。


 次のIさんは、Mさんと同じ施設からやはり現在グループホームで暮らしている男性である。最初に散文のように話したあと、祈りを聞かせてくれた。

 みんな言いたいことがうまくいえずに困っているのでわかってもらえてうれしいです。勇気をもらいました。人間としてぼくたちを認めてもらえる日が来ました。ぬいぐるみの人生にさようならです。理想的な方法ですね。夢のようです。人間として認められてよかったです。人間だから気持ちがありますので認めてほしいです。人間としての誇りをとりもどしたいです。よいぞくぞくする方法ですね。未来を作りたいです。ろうそくのあかりをともしたいです。よい願いを理想にがんばりたいです。夢のようです。ないけどときどきねがっています。願いはいつも詩のようです。

人間として生きさせてください
どうかみんなのようにりこうな頭をください
理想は遠いランプの光だけど
遠いばかりで届きません
よいぼくはわずかな希望を求めて
今、願いの祈りをささげます
毎日ちがうけれど何でも祈っています

 神様を信じているわけではないけれど祈っています、いつも。

 
 次のKさんは、MさんやIさんと同じグループホームで暮らす情勢である。最近青年学級にやってきた方で、まだ、言葉数は少ない方だが、コミュニケーションはだいたいとれる方である。 

 小さいころから人間あつかいされずに生きてきたのでうれしいです。望みは私の詩に歌をつけてもらうことです。

    白い望み

白い望みを願いにかえて
私は未来を待ち望む
小さい理想は私だけのもの
理想はとてもかなわないけれど
人間としてわずかに見える希望にむかい
私は勇気を忘れずに
理想にむかい望みのままに
理想の道を
困難なろうそくのあかりをともしつつ
歩んでいこう
ランプのあかりはまだともらないけれど
私は私の理想にむかい
小さな声を出しながら
わずかなわずかな私の希望をめざして
私は夜の闇を乗り越えて
理想にむけて旅に出る


 次のHさんは、ほとんど発語はない男性だが、やはり、同じ施設から現在はグループホームで暮らしている。

小さいころに見てきた夢を
もう一度取り戻すために
もしぼくに力があったなら
ぼくにも夢はかなえることができたはず
なろうとしてなったわけではない障害がぼくはにくい
なぜぼくの気持ちはだれにも届かない
未来の夢にぼくはひとすじの願いをたくす
小さい理想かもしれないが
ぼくは理想をいつまでも失うことなく生きていく
わずかな希望をたのみにして


 次のKHさんも、また、同じ施設からグループホームで暮らしている女性だ。発生がやや不明瞭なため、十分には気持ちを聞き取ることができないけれど、音楽が大好きで、聞くとすぐに踊り出す女性である。お母さんへの切ない思いを短いに詩に託した。

元気で過ごしているかしら
私のおかあさん
夏にはのどが渇くと水をくれ
冬にはかじかんだ手に息を吹きかけてくれた
何でも許してくれた私のおかあさん
元気でいるかしら


 最後のKTさんは、実は、一般就労の経験さえある男性だが、コミュニケーションも普通にとることができる方で、まさか彼がこの方法を必要としているとは思えなかったが、この間、一緒に飲んでいるときに、突然、「柴田さん、ぼくにもパソコンをやってほしい」と言い出して、確かに口頭で語っているものとは一味異なる気持ちを表現してきた。今回の詩は、半ば即興的につづられたものだ。

不思議な風がふいてきて
勇気がなんとかわいてきた
理解者は少ししかいないけれど
りんどうの花のようにみずからを何もかざることなく
娯楽のない世界をすなおに言い出すともなく生きている
忍耐の喜びを知るそんなりんどうのように
私たちも生きていきたい
忘れられない思い出のにおいをたよりにしながら
ぼくを育ててくれた両親に感謝しながら
誤解されてばかりだけど
楽な生き方ではないけれど
りんどうの花のように生きていこう


 
2011年3月8日 12時26分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年03月02日(水)
穏やかな瞳
 ある通所施設でのできごと。重度の肢体不自由の○○さんは、私とのやりとりの中で、同じ通所施設の重度の自閉症と呼ばれる◇◇さんとともにたたかわなければならないと言った。
 その通所施設を訪れ、◇◇さんと一室で向かい合った。パソコンに向かうには、まだ落ち着かないから少し待ってほしいと手を振る会話で伝えてきたので、少し待っている間に、私は、この○○さんの言葉を伝えた。すると、突然、◇◇さんは座っていたいすから立ち上がり、パソコンに向かってきて、次のようにつづった。

 聞いてとても感動しました。まさかぼくをそんなふうに見ているとは思いませんでした。勇気が出てきました。勇気と未来が見えてきました。やっとぼくたちのことが理解される一歩が踏み出せました。理想的な話です。ぼくもがんばって未来を切り開きたいです。

 前回、向かい合ったとき、◇◇さんは、なかなか進まない理解にいらだちをぶつけてきていたが、今回は次のように話が進んでいった。

 雪を見ながらぼくは遠い昔を思い出していました。雪はすべてをゆるしてくれます。悩みも苦しみも雪は忘れさせてくれます。何度となくぼくは綿のような雪を見ながら泣いてきたことでしょう。涙は流れなくても心の中では泣いています。涙は流れなくてもつらいのは同じです。涙は出なくても泣いているのは同じです。みんなもきっとそうです。挽回したいです。悩みや苦しみを乗り越えてぼくもごんごんいい未来を作りたいです。勇気はまだまだたりないけれどぼくにも大丈夫だという気持ちが湧いてきます。不思議です。どうしてこんなに気持ちが落ち着いていられるのか。雪の話をしたからでしょうか。雪の話を小さいころからよく思ってはわずかな希望をなんとか作り出そうとしてきましたから。どうしても未来を切り開きたいです。悩みや苦しみを越え未来を切り開きたいです。雪を思いながらぼくは雪のようなきれいな心をとりもどせました。

 前日もみぞれまじりの雨が降ったが、きっと彼は半月前に関東地方に降った雪のことを言っているのだろうと思った。そしてさらに穏やかな瞳で遠くを見つめるようにしてさらに言葉は続く。

 瑠璃色の光もつらいときの理想です。青の深い瑠璃色がすべてを忘れさせてくれます。小さいときから大好きでした。みんなもきっと同じだと思いますから聞いてあげてください。どうにかして未来を切り開きたいです。みんなも未来を切り開きたいのですね。夢のようです。仲間が仲間として仲間らしく手を取り合えたすてきですからがんばりたいです。涙が出るくらいうれしいです。ぼくが先頭なんて恥ずかしいけれどがんばりたいです。悩みもつきないけれどなんだか未来が開けてきました。緑の風が吹いてきたみたいです。勇気がもっとほしいです。分相応人生におさらばです。×××(通所施設の名前)は本当にいいところです。残りの人生を豊かなものにしたいです。奈良の仏像の話もあります。奈良の仏像は雪と同じように悶々とした気持ちをとかしてくれます。奈良に行ったことはないけれどランドセルの中にはいっていた本で見て好きになりました。奈良にもいつか行ってみたいです。分相応の敏感な人生ですが奈良の望みを大切にして行きたい。人間としての悶々とした気持ちが晴れていくのがわかります。奈良の仏像のような静かな心を大事にしたいです。夕焼けも大好きです。ランドセルを背負って見た夕焼けがなつかしいです。ランドセルを背負ったぼくはとても無邪気な子供でした。奈良の夕焼けが見たいです。人間だから心があることをわかってくれてありがとうございました。
 
 瑠璃色の光は本当に多くの人が大切にしているものだが、彼は、さらに奈良の仏像について語る。きっと慈愛に満ちた顔をした仏像のことなのだろう。
 「心の理論仮説」というものがある。自閉症の人は相手が心についての理論を持つことが困難だという。しかし、真実は、私たちがそういう方々の中に当たり前の、人間としての心があることを理解できないということになるはずだ。
 1時間、とうとう立ち上がることもなく、ずっとパソコンに向かい続けた姿も初めてのものだった。その姿は、◇◇さん自身が慈愛に満ちた仏像の姿だった。
2011年3月2日 08時55分 | 記事へ |
| その他 |