子どもの頃から言葉を話したかったということを切々と訴え、友達が亡くなったときも何も言葉にして言うことができなかったということを切々と語った小5の○○さん。これで、3度目の関わりとなる。2月に大切な友達を亡くしたという。そこで、そのお友達にあてた文章を書いてみたらと提案した。
そして書かれた言葉は次のようなものだった。
○○○ちゃんへ
そちらでもげんきですか
のぞみどおりにはなせるようになりましたか
もしはなせていたら こんどいっしょにはなそうね
どうして○○○ちゃんはわたしをおいてさきにいってしまったの
わたしはとてもさびしいです
めのまえのなやみはたくさんあるけど
わたしはまだげんきだから
○○○ちゃんのぶんまでがんばりたいです
のぞみどおりのじんせいをいきられるように
がんばりたいとおもいます
彼女が初めて言葉で気持ちを話せたのは、友だちが亡くなった翌月の3月のこと。ともに、小さい頃から言葉を話せずにいて、はなせるようになることをともに夢見てきた。しかし、自分は願いがかない、友だちはかなわずに逝ってしまった。
私も、もう少し早く出会えていたら…と思うけれども、そこが出会いの偶然の非情だ。せめて与えられた機会を無駄にしたり逃したりしないということだけが、私たちのできることだ。
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2008年8月11日 23時41分
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自主G多摩4 |
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研究会の発表で、ある女の子の勉強の様子と言葉とが紹介された。私も関わったことのあるお子さんだ。その言葉の中から、いくつか紹介したい。
「ままそだてありがと」。先生との試行錯誤の中から生まれた言葉だ。小2で初めて開かれた言葉の世界は、こんなふうにして始まった。
一度会ってみたいという思いで、九州に住む彼女の家を訪れた。
そして、そのとき綴った言葉の中に、こんな表現が含まれていた。「かあさんずっとあいしあっていこう はつのねがいです ねがいはいっぱいあるけどかなえられないことがたくさんあるから のぞんでもえられないことはのぞまないことにしている」「ふしぎですもうだめかとおもっていたけどのぞみがかなえられました」と。
「はつのねがい」は母さんとのこと。「もうだめかとおもっていた」という言葉が胸につきささってくる。
そして、先生と、国語の教材で、かわいがっていた犬が亡くなる話を受けて、こんな文章を書いた。
わたしもいぬおみてみたい
かわいい
うれしいきもちになります
しんだらどうなるだろう
きっとてんごくへいくんだろう
またいっしょにあそべるかな
のはらできっとあそべるだろう
ゆめでもあそべるからなにもしんぱいしないからさみしくない
ふねがしずまないといいな
てんごくにのぼるふね
せかいじゅうどこでもあるけどにんげんにはみえない
いきているから
けどそこにはわたしはまだいかない
死というめぐって思いめぐらしてきたことが、犬の話に触発されて一気に生み出された言葉だろう。
「てんごくにのぼるふね」の不思議なイメージとと「けど そこにはわたしはまだいかない」という表現が、この文章に深い響きを与え、一篇の詩にまで高まっている。2月にかかれたもので、私はメールでいただいたが、非常に感銘を受けるとともに、命と向き合う彼女の世界を改めて知ることができた。
そして、5月になって、詩として次のものを作った。
まいにちめんどうみてくれてありがとうかあさん
そしていままでくろうばかりかけてごめんなさい
もうだめかとおもったこともあるでしょうが
わたしのことをあいしてくれて
あきらめないでなんでもしてくれて
なんにもできなくてごめんなさい
おとなになってもかあさんにめいわくをかけそうだけど
どうかよろしくおねがいします
わたしはかあさんとあいしあっていけさえすればきっとしあわせになれるとおもう
たいへんだけどよろしくおねがいします
れんしゅうします
ぱそこんできもちをつたえたい
うきうきしてきます
きっときっと
できるとしんじています
かあさんやとうさんおとうとたちみんなで
げんきにてをつないでいきたいです
懸命に生きようとするこの小さな少女の気持ちに、少しでも寄り添えていけたらと思う。
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2008年8月11日 23時14分
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