ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年07月31日(木)
わたしのことにいそがしくてからだをこわしてしまって…
 就学前から関わり、手の運動と姿勢の問題について、数々のことを私に教えてくれ、研究発表や授業などで何度も紹介してきた20代後半の女性○○さんが、やはり文字を綴る力を秘めていた。
 毎日、早朝から現場に出るお父さんは、休日など仕事の合間をぬって家のそばに借りた畑で、野菜を育てている。とれた野菜をあげるからと誘いを受けてうかがった。もともとは家内に声がかかったのだったが、たまたま早く帰宅した私は、くっついていくことにした。ちょっとひっかかっていたことがあったからだ。  
 6月の関わりで、私はパソコンで文字を綴ることに挑戦した。そして、確信のないまま彼女の力を拾っていくと。「ちいさいときからはな」という文字が並んだ。だが、そこで、彼女は泣き出してしまったのだ。私は、経験から、うれし泣きもあり得ると思っていたが、ふつうに見れば、わからないことを強要されていやがっているように見える。そして、見かねたお父さんは、「せっかく先生ががんばっているのにそんなにいやがるんじゃしょうがないね」と○○さんに声をかけて、「こんなにさわいでいるんで無理ですね」とおっしゃった。さすがにここで無理をしてもと思ったので、そこでパソコンはやめた。
 そして、7月は、自信が持てず、ついにパソコンを開くこともなかった。
 だが、どうしても「ちいさいころからはな」という文字が頭から離れない。野菜をいただきにあがるだけだったのだが、もし、チャンスがあればと鞄にはパソコンを入れて、お宅へ向かった。野菜をいただくはずだけだったが、私もいるということで、招き入れられ、まあいっぱいやりましょうと言って、ウィスキーのボトルが出てきた。○○さんが横になっているすぐ脇で、さっそくグラスにウィスキーが注がれた。
 話題はすぐにお母さんの健康のことになる。お父さんは、宝くじがあたったら、家のローンを払って、楽な仕事にかわって、自分の臓器をあげるというふうにおっしゃる。○○さんのためには、二人そろって長生きしないといけないということだ。その後話はあちこちに飛び、私もお父さんもすっかり酔いがまわってしまった。朝の早いお父さんは、ここで、悪いけど寝ますということで寝室に移られた。常識的にはそこでおいとまするのが当然だが、酔っていたこともあったと思うが、お母さんに、ちょっと、パソコンを出してみたいと伝えた。
 そして、1時間半ほどかけて次のような文章が綴られた。
 やはり最初はお母さんの体調と、お父さんについての思いだった。

かあさんがげんきでいつまでもながいきしてもらいたい
めんどうをみてくれてかんしゃしています
とうさんにはとてもいつもわるいとおもっています
しっかりいきてみたいけれどなかなかおもうようにならないのでくるしいけどがんばります
きもちをことばであらわしたかった
じはしっていたけどてをつかってかけるとはおもわなかった

 彼女は、未熟児網膜症でほとんど見えていないと言われていたので、この言葉には驚いた。そこで、見えているのと尋ねたところ次のような答えが返ってきた。

みえています じはちかいところならみえます
かんじもわかります

 そして、6月の関わりのことに話が及んだ。

くやしかったことがありました あんなにきもちをひょうげんしたのにつたわらなかったとです
りかいしてもらえてうれしかったからないただけです
ねがいはしんじてらうことです

 ここで、これまでの私の関わり合いについてどう思ってきたかと聞いたところ、

よくわたしのことをきにかけてくれてうれしいです

と、答えが返ってきた。さらに、文章は続く。
 
せかいいちのおとうさんです
くるしみのひびがこれでよろこびのじんせいにかわります

 「じんせい」という言葉は○○さんのの大好きな「水戸黄門」の主題歌に頻繁に出てくる言葉だ。彼女は、この歌が流れると全身に力を入れて喜ぶ。○○さんと未熟児で弱視というような点で共通している大越桂さんは、その著書『きもちのこえ』の中で、水戸黄門の歌についてふれてあるが、実は、その部分を読んだとき、○○さんと重なって、そのページから先に進めなくなってしまった。「人生楽ありゃ苦もあるさ」という何気ない歌詞が、言葉として○○さんにも届いているのではないか。そうすると私たちは大きな見落としをしていることになる…と。

とうさんにはやくほんとうのすがたわたしをつたえたい

 ここで、失礼を顧みず、いつもタオルを握って口でかんでいることについてその理由を尋ねた。
 
からだがうごかないからいちばんつかえるところをつかっているだけです

 そうだったのかと、納得した。

かあさんいつもありがとう
わたしのことにいそがしくてからだをこわしてしまって
ねがっていますかあさんがながいきをすることを
ねがっていますおとうさんがいつまでもげんきではたらけることを

 ○○さんの心からの願いである。そして最後に一言と尋ねたところ、次の言葉が返ってきた。

てがつかえてうれしい

 酔いは幸い、手もとをくるわせることはなかったが、目の前のできごとは、本当にまるで、夢のようなできごとだった。
2008年7月31日 09時03分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月27日(日)
若者たちの語り合い
先週のこと、都内で、10代の若者たちと出会った。もちろんみんな障害は重い。今日、私は、一つわがままな申し出をした。3人の方に出会うことになっていたが、順番に一人ずつではなく、最初から3人にいてほしいと。それは、ぎりぎりの言葉を本当に聞いてくれわかってくれるのは仲間に違いないと思ったからだ。
最初に綴ったのは、男子生徒で、いきなり重い表現から始まった。「くやしかった がっこうでしんじてもらえず(…)わらわれた」と。いったい何があったと言うのだろう。そしてなかなかスイッチ操作に集中しにくくなったように思われた。そこで、もう一人の男子生徒◇◇君に変わった。すると、「○○くんが じがわかるりかいりょくがあるとはおもえないといってばかにしていたのをみました ほんとうにゆるせないとおもいました そのことがかきたかったのだとおもいます」とみごとな説明をくわえてくれた。言葉だけでも二人の絆は伝わってくるが、言葉には表していない数々の思いが二人の間にはあるはずだ。そして、さらに、「がっこうのせんせいというのはこどものおせわをするだけではだめだとおもいます こどものかのうせいをしんじてみらいをきりひらいていくのがしごとなのではないでしょうか」と綴る。もはやわれわれに返す言葉はない。彼は自分のことについてはついに語らず「つかれたのでかわりましょう」と、女子生徒の☆☆さんにパソコンをゆずった。
☆☆さんは、二人のやりとりを遠巻きに聞いていたが、きっとこの日のために考えてきていたと思われる言葉を一気に綴っていった。「けっこんしたいとおもっていますがどうしたらいいかなやんでいます まねがしたいというのではなく つまとしていきていきたいからです」。結婚という人生の大きな問題に正面から向かい合おうとしている☆☆さん、さらに、「ぬいぐるみのようなじゆうのないじかんだけをすごしているのではなく じゆうなじかんをすごしていきたいです とてもこのままではがまんすることができません」と綴った。そして、「そつぎょうしたかったけど ねがいごとのかなうしゃかいではないのでそつぎょうしたくありません」と、いささか将来を悲観した言葉が続く。しかし、また、彼女は、「くなんをいしきすると いきれなくてこまりますが きぼうをうしなわずにがんばりたいとおもいます きぼうがこんなふうにかたれることを こころのよりどころとしてがんばりたいです みらいをしんじてがんばりたいです」と、もう一度、心を希望に向けて立て直して文章を終えた。様々な葛藤をかかえながら、懸命に自らを鼓舞しようとする力強い姿がそこにあった。
 そして、再び、最初の男子生徒に戻る。「ねることしかできないといわれてゆるせなかった ただしせいをつくることがたいへんだっただけなのに」「どうしてみんなぼくのことをりかいしてくれないのだろう くやしい」という胸にたまった思いをはき出したのち、彼もまた、次のように綴る。「のぞみはくやしさのないがっこうになることですてがつかえるようにがんばったけどなかなかうまくいかなかったけどじをかくことができてほんとうにもっとがんばろうとおもう」「「けっしてかのうせいをあきらめたくはないのでよろしくおねがいします」と。
 自由に語り合うことがむずかしい仲間たちだが、いろいろな思いを抱えながら生きていることを、ともに理解し合いながら青春の時を生きている。短い時間だったが、ともに語り合うことの大切さを感じさせられたひとときとなった。
2008年7月27日 13時11分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月22日(火)
当事者の存在の重さ
 ある学習グループで、実践を報告し合う会を持った。今回はそこにスペシャルゲストとして43歳の重度の身体障害を持つ男性が参加した。男性は、かつて、私たちの仲間のH先生が、新任の時に担任した。養護学校義務制の実施によって初めて中学生になった彼は、見た目の障害の重さにもかかわらず、文字を知っていた。NHKの教育テレビを見て覚えたという。当時かなタイプをがんばっていたという彼は、現在、トーキングエイドを使って話をする。彼は、手を使うためには、首をそらさなければならないため、手元を見ながらうつことができないので、手探りでキーを選んでいく。
 このトーキングエイドは、卒業後彼が通うようになった作業所の職員と、大阪の集会に出かけていって見つけ、使うようになったものとのことで、この機械によって、自分が生きていてよかったと感じられるようになったと語られた。彼が作業所で取り組んだことは、武勇伝がたくさんあるようで、病院の一角を借りて古本屋を営業してきたことや、シドニーのパラリンピックを見にいくためにわかめ販売をして、その収益金でオーストラリアに行けたということなど、話はつきなかった。
 その彼の話にとても悲しいことがあった。彼よりもさらに障害の重い昔の仲間が、入所している施設から一時的に帰宅した際に、彼に会いたがってるというので訪問したところ、言葉の表現手段がないとされる仲間が、彼のトーキングエイドによる問いかけに対して、わずかに動く手を動かして意志を伝えてきたというのだ。その内容は、自分の施設できちんと薬を飲ませてもらえていないということとそのために自分の健康状態は非常に悪く、もう死んでしまうかもしれないというものだったという。そして、悲しいことに、半年後その仲間は亡くなったというのだ。H先生は実際に亡くなった彼のことも知っていて、信じられないような話に、大変ショックを受けておられた。信じられないような悲しい話である。
 また、そのコミュニケーションの方法についても、いったい具体的にどうやってそんなに重い障害をかかえたお二人が、言葉を通じ合わせられたのか、イメージができなかった。もちろんそれは信じられないということでは、まったくない。私たちがイメージできないのは、私たちが、そういうかすかな動きに対する感受性を磨いていないからである。しかし、あらゆる専門家がかかわってもなしえなかったことを、自ら大変な障害を持つ彼が、成し遂げたのだ。それは、一方で驚異であるけれども、やはり、当事者同士にしかわからないことがあるということなのだ。私たちは、そこから、多くを学ぶべきであることはまちがいない。
 私は、彼の前で、彼の後輩たちの言葉を報告した。いつもなら長々と説明をするが、この日は、「朗読」に徹した。伝えなければならないのは、私がどう関わったかなどではなく、後輩たちの言葉そのものだと思ったからだ。
 彼は、とりわけ、私との27年間のおつきあいの末に、34歳になって言葉を綴った男性の言葉のところで全身で共感を表明しておられたように感じられた。
 会場には、高校生の女子学生もいた。彼女は、両手の介助を受けてパソコンで語る少女である。彼女がパソコンで語れる準備がなかったのでその場で感想を求めることはできなかったが、たくさんのことを感じ取ったようだった。
 ふと、言葉を持っていながら理解されていないという私の周りで起こっている状況も、結局は、当事者が切り開いていくものだという思いがよぎった。
 
2008年7月22日 21時21分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2008年07月18日(金)
都内のある生活実習所にて
 隔月で通っている都内のある生活実習所にうかがった。前回の訪問と今回の訪問の間に、たいへん大きなできごとがあった。それは、この生活実習所に通っていて、昨年、近くに新しくできた通所施設に移った一人の女性が亡くなったことだ。その女性のことは、5月に紹介したが、彼女がこの施設に通っていた時は、まだ私たちは彼女の言葉を見いだすことはできなかった。彼女が初めて言葉を綴ったのは昨年の12月。全部で3回の言葉のうちの2回の言葉の中に、ここの仲間のことが登場する。2度目のものが、「×××のみんなげんきかな あいたいわ てがみをかきたいです こんどあそびにきてください」であり、3度目は、「らいげつは×××ですか。みんなによろしくつたえてください。わたしはげんきですとつたえてください。またあいたいですとつたえてください。」と綴ったあと、仲間の文章のいくつかを見せたところ、「すてきなことばでしたほんとうに。のぞみをすてないでよかったね わたしたち」と綴っていた。
 朝、最初に関わった◇◇さんは、こう綴った。「とてもかなしいことがありました ○○さんがなくなりました つやのせきにでかけておわかれをしたかったけどできませんでした かなしかったけどかあさんがいきましたのでかわりにせんこうをあげてくれました きになっていることがあるのですが○○さんがかいたことばはどのようなものだったのでしょうか てがみのようなものだったのでしょうか」そこで、◇◇さんに○○さんの言葉を改めて見せたところ、「すてきなことばでした ねがいがかなってしあわせだったのですね しんじてもらえず ○○さんはさびしかったね でもじぶんのきもちがいえてよかったね じぶんのきもちもいえずになくなってしまったら もっとかなしかった」と続いた。
 また、▽▽さんは、「せっかくことばがはなせたのに○○さんはざんねんでした すてきなぶんしょうでした ほんとうにざんねんでたまりません かあさんが○○さんのおそうしきでいただいてきました かあさんからせんせいのことをきいておどろきました ○○さんのことをみていたとはおもわなかったからです ○○さんのことはぜったいにわすれません くやしかったとおもいます みんなになかなかわかってもらえず わたしにはそのきもちがよくわかります とくにりかいしてもらえないつらさはわたしもおなじですから りかいされないくるしさはとてもことばではいいあらわせません」と綴った。
 お二人は、ともに30代半ばの女性。お二人とも、今年になって初めて文章を綴った方々である。10ほど若い○○さんのことを妹のように思っていたことだろう。ともに同じ場所で過ごした日々は、互いの思いを言葉で知ることはなかった。そして、○○さんが別の施設に移って初めて、互いの言葉を交わし合った。容易には、はかりしれない思いがそこにあることだろう。
 そして、同じグループにいた男性▽▽さんは、短いながら、次のように綴った。「せんのかぜになって(の?)うたをききにいきたいとおもっていますのでおかあさんおねがいします」。確かめることはしなかったが、もしかしたら、○○さんへの鎮魂の思いをこめていたのかもしれない。
 すでに○○さんが、逝ってから2ヶ月が過ぎた。しかしみなさん、それぞれに、その死の意味、あるいは生の意味を考え続けてこられてきたのだろう。
 
 また、5月に初めて文章を綴った☆☆さんは、次のように綴った。「おはよう こまっています はやくわたしたちのことばがあることをかあさんにおしえてください。◇◇さんがはなしていることでもかまわないのでなんとかことばがわかることよくもっとつたえましよう。せんせいはなぜ、そんなことやれたのか おかあさんにおしえて」。そして、そこへタイミングよくお母さんがおみえになった。すると「まねしてやってもらう。」と書き、お母さんとともに、自分の名前を書いた。彼女が5月に書いた生まれて最初の文章は、「みなぱそこんがせんぶてでできるようになったときいたけどよかた。すきそうなしがかきたいわ。わたしたちやさしいかぜがいる。せいかつじっしゅうじょにあなたいなきゃいね。ぬくいかぜがふいてきそうです。(彼女の両親は西日本出身で、「ぬくい」は、そちらでよく使う言葉だ)よいきもちにさせてくださいます。くらいきもちをあかるくしてくださいます。ねがいごとはこんなんにまけないきもちをもつことです。のぞみはわかってもらえることです。ごかいされてほんとうにかなしいときがあります。といれがいえないのでくやしいです。にんげんとしてあつかってほしいです。ねがいはにんげんとしてけだかくいきていくことです」というものだった、お母さんには直接渡っていなかったとのこと。お母さんは、ただただ驚いて、彼女をだきしめ、いろいろな言葉をかけ続けた。38歳の彼女が、突然、言葉を綴ったという事実を、一瞬のうちに受け止めるというのは、お母さんにとっても大変なことにちがいなかったが、お二人の姿は喜びに包まれているように見えた。
 彼女は、数年前、私がボランティアとしてパソコンとスイッチをかかえてこの施設に通い始めた時、もっとも障害の重い人のグループにいて、最初にスイッチをたたいて笑顔を見せてくださった人だった。しかし、その反復的で、瞬発的なたたき方は、もっとも初期的な手の使い方であり、それゆえ、言葉から大変遠い方だと決めつけていた。ただ、そういう方とのつきあいこそ私の専門と考えていたので、彼女の存在は私にはとても大きかった。施設の方も、あの☆☆さんが、喜んでスイッチを連打しているということを、関わりとして高く評価してくださったし、そのことで、外部者である私は、受け入れてもらえたと思ってきたのだ。そんな☆☆さんが、深い思いを言葉で語っている。長いこと、言葉がないけれど、音楽が好きと決めつけていた私たちの誤り。償いきれないほどの誤りが、また、ここにもあった。
 また、次の関わりあいは2ヶ月以上先のこと。その間、たくさんの言葉と気持ちをあたためておられらることだろう。
2008年7月18日 23時02分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月13日(日)
ナンセンスな歌と人生のわびしさの歌
 音楽が好きで、毎回の関わり合いには音楽が欠かせない20代半ばの○○さん。関わり合いを始めてしばらくして、アニメのキャラクターの絵を5選択のスイッチにはって、その絵を押すと主題歌が流れるという選択から始まり、しだいに、文字で書いた名前をスイッチに貼っても選べるようになっていった。それが、少しずつ、2スイッチワープロによる50音の選択へと、一歩ずつ進んでいった。音楽については、とてもいい意味でこだわりが強いので、この日はこの歌が気に入っているという歌があると、その歌を集中的に選んだりしてきた。しかし、歌についての言葉を選ぶのがどれだけ自由になっても、なかなか気持ちを表そうとはしなかった。例えば、「ぴーこぽん(?)ききたいです。みずむしのうーたまたきかせてください。さいごはといれいく。」(2005年7月)、「おちゃCDかもんかりたいよえそわあきつ かけてかえうためどれー2005げんきがでるCD!!トイレイク」(2005年11月)のような感じだ。
 そんな彼が、ひと味違う内面を見せてくれたのが、2006年の5月のこと。おとうさんの誕生日の話題から、「あそびにいきましょう ぺんしょん」とおとうさんをねぎらうためにペンションに行こう提案をするということがあった。しかし、2008年3月に「れいぞうこにしらないやさいがある たべてみたい やさいがわるくなったらたいへん めんどうをかけてごめんなさい おかあさんたいへん かんしゃしています」と綴るにいたる。ちょっと不思議な展開ではあるが、母への感謝の思いでしめくくられた。
 そんな○○さんが、土曜日にこんな文章を書いた。

こぶくろのCDをかいたい
おかあさんにおかねをもらいたい
ふだんおかねをつかわないのだからかってにつかいたい
とびきりかいたいのは すすとやかんのうたをわかす
かもんたつおがだいすきなのは なんせんすだからです
すてきなうたもすきです
こぶくろのうたはじんせいのわびしさをかんじさせてくれます
すばらしいです
 
 途中、嘉門達夫のCD(なんと2008年発売のもの、まだ、嘉門達夫はばりばりの現役だった。)をかけてほしいと訴えて、不思議な歌をかけながら、2スイッチワープロを進めていった。CDラジカセなどの再生装置がなかったので、パソコンを使ったため、音楽に完全に2スイッチワープロの読み上げの音声はかき消されてしまった。すると、彼は、しっかりと画面をみすえながら、言葉を綴っていった。
 彼のことを歌が好きということはたやすい。それはまぎれもない事実だ。しかし、嘉門達夫を好み、こぶくろを好む彼は、彼の言葉によれば、「ナンセンスと人生のわびしさ」という対照的なものとしての意味を持つものだった。
 音楽が好き……という言い方は、いつも簡単に使われる表現だ。しかし、その音楽がどのような感受性によって聞かれているかということは、なかなかうかがい知ることができないものだ。
 もしかしたら、最近まで言葉による表現手段を持ち得なかった彼にとって、音楽は、閉ざされた彼の世界を彩る大切なものだったのだろう。一方で、様々な不条理を笑い飛ばしてしまうナンセンスの力を信じ、一方でしみじみと人生のわびしさに思いをはせる彼の音楽の世界は、もっともっと深い奥行きを秘めたものに違いない。
 また一つ、とても個性的な心の世界のあり方を知った。
2008年7月13日 01時58分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月12日(土)
イチゴの子の誘惑
 コミュニケーションを閉ざされた心の中に作り上げられた想像上の存在について、多くの方々がいろんなふうに語ってくださる。しかし、そのほとんどが、自分に寄り添い、自分を助けてくれる存在だった。しかし、この日登場した存在は、少し違っていた。
 ○○さんは、現在高校生の女の子だが、この日は、次のような文章をまず綴った。「いちごのこ(イチゴの子)に よくふくらむようこちらにこいといわれても わたしはいこうとはおもわない なぜなら ちいさなときからにくしみをかんじてきたきもちがあるから いつだってすなおなきもちでは いのれない どうすればいいのかわからないけれど ともかくうまくやっていこうとおもっているから いちごのことがっこうでは うまくやっていくつもりです」。この言葉を見る限り、「イチゴの子」は、学校にいる現実の存在であるように思えた。違和感と言えば、○○さんが、誰かのことを否定的に語るということ。もちろん人間だからそういう思いを持つのは当然だが、もっと澄んだ心の世界を持つ○○さんにはちょっと似合わない。
 私たちが「イチゴの子っていったい何?」と不思議そうにしていると、「いちごのことは ×××(就学前に通っていた通園施設)で であったようせいです」と書いてきた。10年前に通っていた通園施設で出会った妖精?と、私たちの頭の中はいっそう疑問符でいっぱいになった。すると、「みえないのにわたしたちにあらわれて ゆうわくをします ×××のときは せまいこころになるようにとよびかけ がっこうではねがいをもたないようによびかけます」と続いた。
 狭い心になるように、願いを持たないようにと誘惑する妖精。一気に謎は解消した、が……。この言葉に隠された思いは、イチゴの子や妖精というメルヘンのような世界とは、ひと味違う。
 これは、閉ざされてきた世界で、自分の心はいじけてしまいそうだった、希望を失いそうだった、だけど、私はいつも広い心を持とう、いつも願いを持ち続けようとがんばってきたという、切実な思いを表現してきたものだと言えるだろう。そして、今でもそのイチゴの子の誘惑は続いているのだ、願いなんて持つなと。私たちは○○さんをイチゴの子の誘惑に屈服させることがあってはならない。
 
2008年7月12日 08時22分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月07日(月)
青年学級7月6日のできごとその2
 活動の後、多くの仲間たちは、場所を「トマトハウス」という喫茶店に移して、お茶を飲んだり歌を歌ったりする。喫茶店はお休みだが、場所だけを借りているのだ。
 そこに、来ていたKさんにも、パソコンを出してみることにした。Kさんは、かつて、作文などもたくみに綴っていた方だが、進行性の障害のために、10年くらい前から、歩くことも、話すこともできなくなり、認識の面でも障害が進行したと考えられてきた方だ。お母さんをALSで亡くし、最近お父さんも亡くなられた。現在は町田市内の施設で暮らす。毎回、スタッフがボランティアで送迎をしてきた。
 最初に、すぐに綴った言葉。

これ かいたい
いくらするの

 横にいた送迎をした女性スタッフに対して

とてもていねいでかんしゃしています

 さらに気持ちが綴られていった。

じぶんでかけてうれしい
いままでつまらなかった
しゃべることができなくなって りかいしてもらえなくなってなきたいきもちでした
きもちがきんじられてこまっていました
おかあさんがなくなったときも おとうさんがなくなったときも はなしができなくて すさみ もらいなきさえできませんでした
せっかくことばがはなせるのだから しっかりいいたいことをいっていきたいです
ちいさいときからくよくよしてきたので ここでげんきなじぶんにうまれかわりたいです
でもなかなかうまくいかないかもしれないので ずっとおうえんしてください
それからよかったらこのすいっちをゆずってください
ゆめをみているようなきもちです
きもちをかけるとはおもいませんでした
げんじつではかんがえられませんでした
うきうきします
すてき
さけびだしたいきもちをおさえるのでせいいっぱいです

 さらに、文章は、あるすさまじさを帯びてくる。

ぬいぐるみのじんせいにおわかれです
しぬまでいまのままだとおもってきたから ぬいぐるみのじんせいにかわって となりのととろのようによろこびをかんじながらいきていきたいです
このぬいぐるみのじんせいは できないことがいっぱいですが もうおわかれです
けうなればこそ くなんのじんせいですが いきていくいみがあるとおもいます
とりかえしのつかないおもいがありますが ねらいどおりのこころでがんばりたいとおもいます
けっしてあきらめずに ねがいどおりのじんせいをいきていきたいとおもいます

 施設に戻る時間が近づいていた。そして、最後にこう書いた。

またやりたいです

 40歳を越えた彼女と、これから、失われた時間を取り戻しながら、関わりを続けていかなければと思う。
2008年7月7日 08時30分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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青年学級7月6日のできごとその1
 町田市障がい者青年学級での、起こったできごとから。
 Mさんは、20代後半の男性で、学級ではいちばん障害が重いとされる人だ。学級に来るようになって5年ほどになるだろうか。最初は、まったくコミュニケーションがとれず、食事も口にしてもらえなかった。それが、少しずつ、こちらの言葉かけに答えてくるようになり、今は、食事も、食べてもらえるようになった。しかし、いったい、どんな心の世界が広がっているのか、未知数のまま、関わりは進んでいた。その彼に、昼食後、2スイッチワープロを出してみた。あまりにも遅すぎる挑戦だった。彼は、すぐにすらすらと文章を綴り始めた。
 まず、始めに綴った言葉。

すてきなすいっちですね
くふうしていますね
これならできそうてす
うれしいです

 彼がパソコンに綴るのを見て、感激した二人の女性に対して、何か一言書いてと言ったら

かわいい
あかるい

とそれぞれに返ってきた。
 そして、彼の子ども時代から学童のグループなどで関わってきた先輩の学級生の女性(このときも、ずっと横で彼のことを見守っていた)に対して、

これまでいろいろありがとう

と綴った。
 午後の活動が始まると、コースの仲間へこう伝えた。

いつもいっしょにかつどうしてくれてありがとう
すてきなうたがたくさんできましたね
くるしいきもちのかしはつらいけど うちかっていきましょう
すてきなかしですね
それぞれのみちをつくったときはやすんでいてざんねんでした
ことしはどんなかんじのうたをつくりますか
めのまえのくるしみだけでなくのぞみがわくようなうたがつくりたいです。

 午前中の活動で、昨年度、2つのコースで作った歌「フォゲットダンス」と「それぞれの道」という歌を繰り返し歌っていたことを受けたものだ。学級ではめずらしく、この2曲は、みんなのつらい思いを歌にしたものだったので出てきた言葉である。
 活動に参加しながら、パソコンで言葉を綴り続けた彼は、さらにこう語った。

ふしぎです
なぜかきもちがことばになっていきます
かのうせいはあるとはおもいませんでした
のぞんでもだめだとおもっていました
うたがうたえたらいいなとおもってきました
どうしたらうたえるか かんがえてきました
のぞんでもなかなかかないませんでした

 そして、みんながメロディータウンという歌を歌い始めると、彼も、パソコンで歌うように、歌詞を綴っていった。歌のスピードにはついていけないが、歌い終わるまでに一番の歌詞を綴ることができた。

ながれるめろでいにゆめをのせて
いまわたしがかなでるわたしのうた

 そして、また、活動に平行しながら気持ちが綴られる。

わかっていたけどことばではなせるとはおもいせんでした
ほんとうにかんどうしています
のぞみがかなってうれしいです
すばらしいですてがつかえるとはおもいませんでした
のぞみでした
ねがいをかなえられてしあわせです
うれしいです

 「私のことはどう思いますか」と問いかけた若い女子学生のスタッフには、こんな言葉を綴った。

かわいいです
ひろいこころのもちぬしですね
けっこんしてください
でもよわいときにはたすけてあげましょう
おとこだからつよくないといけません
でもぼくにはちからがないからだめですね
めいわくをかけてしまいますね
すみませんぼくのかってなきもちだけをいってしまって
もうやめます
ねがいはふたりでどこかにでかけることです
ごめんなさい
だれでもいいです

 そして、歌う歌のリクエストが始まると、

ともだちのうた 
わたしのくるまいすおしてくれる
ともだちといっしょに
まちにでたいのところがすきです

 以前から、彼は、この歌を好んでいた。
 そこへ、他のコースが、七夕の短冊をもって、みんなも願い事を書いてほしいと入ってきた。彼も、願い事を書くことにした。
 願い事は、
 
すなおなひとになりたいとおもいます

 そしてさらにこう続ける。

ねがいごとがかけてかんげきしています
じぶんのことばでかけたのははじめてです
いいです じぶんできもちをあらわすことができて
うれしいです

 活動は、もう終わりの時間が近づいていた。

きいてくれてありがとうございます
うたのかしをかんがえてくるのでよろしくおねがいします

 帰りの集いで、今日のこのMさんの快挙についてみんなに報告した。誰もが、このことを喜んでくれた。この場所には、疑いのまなざしを向ける人は一人もいなかった。誰もが、心から、彼の喜びを共有していた。
2008年7月7日 08時19分 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2008年07月04日(金)
みんながはなせておたがいによろこびをわかちあうという夢
 5月に「ながいねんげつだった」と書いた34歳の男性のもとを再び訪れた。27年の関わり合いの時間があって、突然文字を綴った男性のことだ。今日は、800字を越える長文となった。
 言葉が使えることの喜びを繰り返し述べながら、「もしいっしょうはなすことができなかったらほんとうにどうなっていただろう」というような重い言葉も綴られる。そして、「×××(彼が入所している施設)のおともだちにもおしえてあげてほしいとおもう みんなもおなじようにかんがえているのにはなせずにいるのではなせるようにしてあげたいとおもう やっとやみからかいほうされたのだからみんなにもよろこびをわけてあげたいとおもう」と、まだ言葉を発せずにいる仲間のことに話が広がっていき、「×××にはよわいひとたちがたくさんいます つらいきもちでまいにちをすごしています ゆめは×××でみんながはなせて みんながおたがいによろこびをわかちあうことです」と夢を語った。素直に彼の気持ちになってみる時、明日にでもかなう夢のように思える。それは、誰もが願うこと、誰もが一度は願ってあきらめてきたことだ。彼が綴っていく文字を追いながら、本当にすぐにでもそんな日がくればいいと思いつつ、しかし、また、いくつかの越えなければならないハードルにも思いが及んだ。彼が閉じこめられていた「やみ」のことに本気で思いをはせるなら、彼の夢の切実さがいちだんと増してくる。ハードルのことなど考えている自分のなんと情けないことか。なすべきこと、進むべき道は、あまりもはっきりと見えているのに。
 彼は、さらに、「てをつかえたらみんなにことばでふまんをいおうとおもってきたけど やっとはなせたのだから ふまんをいうのはもったいないとおもう このことをみんなにつたえるのがさきで のぞみはひとりでもおおくのひとにはなせるようになってほしい ひとりでもおおくのひとによろこびをことばであらわしてほしい せいいっぱいいきていることをことばでつたえたいとおもう」、「よろこびでむねがいっぱいです よろこびでうまれてきてからきょうまでのくるしみがきえました よろこびでむかしのことをみんなゆるすことができます すばらしいはなすことは」と綴った。彼にとって苦しかった日々は、彼の心をけっして狭くしたのではなく、広い大きな心にしていたこともわかる。
 そしてさらに、「ふしぎです どうしてわかってもらえたのか どうしてだれもわかってくれなかったのにしばたせんせいはわかったのですか」と問われた。27年に及ぶつきあいの中で、わからなかったという事実や、私たち以外の多くの大人たちとの関わりの中でも話せる手段が与えられる可能性をほとんど誰からも見いだすことができなかったという事実があったにもかかわらず、なぜ今、柴田が突然? という疑問は当然のことだと思う。何か、もう胸がつまってこの問にはうまく答えることができなかった。
 最後は、「またあいたいです」と結ばれた。悔やんでも悔やんでもつきることのない過去の時間だが、これからまだまだ先に広がる未来を見つめようという彼からのメッセージと受け止めた。
2008年7月4日 21時45分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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2008年07月02日(水)
小児科病棟にてその3
 ベッドに横になっている中学生の○○さんの手を、包みこむようにして下から支える。そして、私自身が手を動かしてスイッチを押しては離すということを繰り返す。そのスイッチの先にあるパソコンには2スイッチワープロが起動されているわけだが、彼女が選びたい行がくると、じわっと手に力がこもり口元にかすかな合図が浮かぶ。そして、その時、彼女の健康管理のために常時つけられている心拍計の値がさがることを確認する。この微細なプロセスを私が手、お母さんが口元、担任の先生が心拍数というように、3人がかりで繰り返しながら、珠玉の文が綴られた。
 ふしぎだ
 ひがさっとまどからさすみたい
 すくっていただいた
 「日がさっと窓から射すみたい」という詩的な表現は、ぎりぎりの限られた文字数の中で表しうることを凝縮した、輝くような言葉だ。一文字ずつ、息をのむような中で文字が選ばれる中で、この文が生まれてくる緊張の時を、どのように伝えたらよいのかわからない。
 「すくっていただいた」という言葉には、ただただ襟を正すしかない。それが私に向けられたものであるとするならば、私はそのような言葉に値する人間ではないということははっきりしたことだ。しかし、表現できるあふれんばかりの喜びをこう言葉に表すことで、彼女は、一人の凛とした人格をもつ人間としてとして、私たちの前に、堂々と存在している。
 担任の先生は、こう綴り終えた彼女の頬を両手ではさみ、何度も何度もすごいすごいとほめておられた。そのことがまた、私には新たな感動を呼んだ。
 隣のベッドの小2の▽▽君は、今日は、呼吸器の周りの処置に関する意見を述べた。「こそおそつけすぎないでくびみずがつめた」という言葉だったが、これをその場で読んだ主治医の先生は、さっそく、彼に様々なことをおたずねになった。そして、「こそおそ」はコットンのことがうまく書けなかったらしいこと、呼吸器を装着する際の布のベルトのしめ方をどうにかしてほしいことなど、的確に聞き出されていた。生まれた時から彼を大切に守ってきた先生は、こうした彼の言葉を、けっして軽く扱うことはない。まるで、成人の患者からの言葉のように、正面から受け止め、はっきりしないところは、何度も問いただして、彼にとって、楽な方法を探し続けていらっしゃる。彼もまた、先生との長い信頼関係を背景に、自分の言いたいことを口を動かす合図だけで、懸命に伝えていく。今回は、こうしたやりとりに終始した。
 ところで、中学生の○○さんと小学2年生の▽▽君は、ともに、ベッドを離れることがむずかしいので、わずか1メートルあまりの距離にいながら、手を触れあうこともない。しかし、同室になってもうじき1年になり、24時間同じ部屋で過ごしている二人には独特の絆が生まれつつあるような気がする。
 関わり合いは、まず、○○さんがやって、一休みし、▽▽君がやって、もう一度、○○さんがやるというような順番になっているのだが、お互い、どんな文章を綴っているのかということに、聞き耳を立てている様子がよく伝わってくる。○○さんの詩的なすばらしい言葉を▽▽君に伝えると、耳を澄まして一生懸命に聞いていた。○○さんの心の声は、▽▽君のしっかりと届いたにちがいない。文字を綴ることから言えば、▽▽君の方が先輩。○○さんの言葉がようやく文章になり始めたことを、心から喜んでくれているはずだ。
 
2008年7月2日 06時23分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月01日(火)
代数の世界そして大人の世界
 日曜日のある研究施設でのできごとだ。
 ☆☆さんが、やってきて、学習室に入る前に、手前の大きな部屋で、数の学習をしている弱視でろうの女性の学習をしばらく見学した。位取りの学習で実際のお金を使ってやっていた学習を見ながら、☆☆さんは、自由に操作できないけど目で見たりいっぱい言葉で説明を受けながら勉強するんだけど、この方は、見えにくいし言葉も聞こえないので、実際に操作しながら納得していくというようなことを説明した。その後、パソコンに向かうと、こう綴った。「てでなかなかできなくても かんがえさえすればわたしにもできます。わたしはわかりやすいやりかたをおしえられてこなかったけどじぶんでかんがえてわかるようになりました。」ていねいに進められる学習を見た率直な感想だ。「のぞみはむずかしいすうがくのべんきょうをやることです。けいさんのべんきょうもやりたいけどなかなかじかんがないのでできません。かんたんなけいさんはできますがべんきょうをさせてもらえないのでむずかしいけいさんはできません。」と、現状を述べる文章を続けた。そして、「えっくすというのはどういういみですか。とてむずかしくてわかりません。おしえてください。えっくすというのはよくでてくるのでぎもんにかんじていました。」と本日の課題が書かれた。
 いきなり代数が出てきたので、一瞬ひるんだが、説明を始めることにした。いちばん簡単なxの例は、3+□=7 3×□=6 というような問題がある時、この□がxに変わったもので、x=4 x=2 というようになるということをまず説明。しかし、それだけだったらわざわざxを使う必要はなく、xを使うのは、具体的な数の世界から、関係だけを取り出すということと説明して、次のような例を出した。たくさん人が一列に並んでいて、3人後ろの人に花をあげるというようなルールがある時、花をあげる人をx番目の人とすると、花をもらう人は、x+3番目になる。花をもらう人をy番目とすると、y=x+3 というふうに表すことができて、これは、具体的に何番目の人かという話をはなれて、ルールの関係だけを表したものになると説明した。そして、関係を表す例は、こういうたし算の例よりも、日常生活の中では、この間、問題にした割合などの方が多くて、例えば、消費税や食塩水の濃度などがあると説明して、y=0.05×x y=0.1×x (10%とすると)という式を挙げた。
 さらに、具体的な数の値からはなれて関係だけを表す代数の世界では、+、−は残るけど、×と÷は使わないこと、×は省略するだけだからいいけど、÷は、なんと分数で表されることを説明した。 もちろんゆっくりとスケッチブックにいろいろ書きながら説明をしていったが、終始、集中し、時折納得した笑顔を見せる。
 小5で代数はいかにも早すぎるが、系統的に時間をかけて学ぶ機会を持っていない彼女にとっては、疑問を持ったところで、答えていくことが必要だ。教える側の力が問われるところで、こうした説明は冷や汗ものだが、お互いに、数の世界がしだいに発展していくおもしろさを感じながら、進めていければと思いながら、説明を続けた。
 「えっくすについてかんたんにおしえてくださってとてもうれしかっです。こんどはもっとむずかしいことがしりたいです。」と感想がかえってきた。そして、さらに言葉は続く。「がっこうではなかなかおしえてもらえないのでざんねんです。なぜがっこうではさんすうのじかんがないのでしょうか。」私も、このことについては、なすすべがない。彼女は、けっして自分を、ただ不満だけを言いつのる存在ではありたくないと誇りを持って語る。「よくないことかもしれないけれどうらめしくおもってしまいます。」「すなおになれたらうれしいです。」というように。代数の世界を問う彼女には、すでに大人の社会のことはよく見えている。本当は、私にだけ語った不満のはずだ。お母さんの目には、学校にも、毎日楽しく通っているように映るとのこと。思いを胸にしまって、前をしっかり見つめて、彼女は、今日もがんばっていることだろう。
2008年7月1日 07時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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