数学の大好きな小5の○○さんの気持ちをひとしきり聞いてから、今日はマイナスの数を勉強した。
つぎはすうがくのべんきょうをしたいです。すうがくならなんでもいいです。すうがくはだいすきですから。
という言葉を受けてのことだ。
マイナスの数が生まれてくるところから、マイナスの数を使った足し算、引き算。そして、かけ算へ。
数直線を使えば、マイナスの加減算の理解は比較的スムーズで、実際の例として温度計や氷点下の意味などを説明した。問題は、マイナスのかけ算。かけ算を累積していくイメージで考えれば、ある程度直線の世界で説明可能だが、やはり、二次元の平面上の面積にあたるものとしてのかけ算のイメージを大切にしたかったので、第1象限と第3象限がプラス、第2象限と第4象限とがマイナスになるイメージを図示した。これは、相当に難解そうだったが、懸命に説明に集中する姿が印象的だった。具体的な例としては、学生時代に勉強したトランプカードの例を出した。
黒いマークのカードは1枚につき2点が増え、赤いカードは数だけ1枚につき2点が減るとし、カードをもらったり渡したりする行為のうち渡すをマイナスもらうとして、もらうー渡すをプラスもらうーマイナスもらうという言葉で表現する。すると、黒いカードを3枚もらう場合、2×3、黒いカード3枚マイナス3枚もらう場合、2×(−3)、赤いカードを3枚もらう場合、(−2)×3、赤いカードを3枚マイナスもらう場合、(ー2)×(ー3)となる。マイナス×マイナスにあたるのは、赤いカードを3枚わたすわけだから6点の増加すなわちプラスになる、という説明だ。まったくの受け売りだが、何とかわかってもらえたようだった。
かけざんはわかりましたがわりざんはどうなりますか。
わりざんの説明はどうやったか、それは、さきほどの二次元の座標での説明をまず、行い、次に、わり算は逆数をかけるかたちにできるので、かけ算に統一できるということを説明した。
すこしむずかしいけどわかりました。とてもおもしろかった。なんでもりかいできたらうれしい。ねがいはがっこうでもやってもらうことです。
そのあと、前回やった☆☆先生とワープロに挑戦。
しばたせんせいいがいのひとともおはなしできてうれしいです。わたしがことばをりかいできることをしっているひとはほとんどいませんが。
短い時間だったが、確実にスピードも速まり、力も抜けてきた。
ところで、非常に興味深いことを今回うかがえた。それは、最初に書いた文章の中で、病院の訓練の先生のことを書いたのだが、その先生の名前がちがっていた。その理由を聞いてみると次のような答えが返ってきた。
なまえをおぼえるのはだいのにがてです。はっきりとききとれないからです。いつもこまっています。ふだんはききとれますがびょういんではききとりにくいです。○○○ちゃん(☆☆先生の赤ちゃん)はききとれました。つねにちゅういをしているわけではないのでむずかしいです。
名前を間違えるお子さんが結構いて、そのことが文章の信憑性に影響を及ぼすことがある。その理由がどうしてもわからなかったが、こうしたことがあるのだと、改めて知ることができた。
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2008年9月28日 22時52分
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四国へ日帰りで出かけた。ある30代の女性に会うためだ。すでに数年前にお母さんを亡くし、現在、施設で生活をしている方だ。お母さんの生前は、ほとんど、まかせっきりだったというお父さんが現在は、頻繁に施設に通っておられる。お父さんと昼食をご一緒しながら、たくさんのこれまでのドラマをうかがった。とりわけ胸をうたれたのは、お母さんが亡くなる直前に、二首の短歌を残したということで、夫と娘を残していくことの無念さを歌った一首と、実の父母に先立つことをわびた一首だった。
施設について、彼女の居室で関わりをもった。たくさん教材を用意していたわけではないので、まず、「氷川きよし」が好きだというお話を受けて、さっそくパソコンを開き、スイッチ入力で「きよしのズンドコ節」の音楽と彼の顔写真が出てくるソフトを出した。すぐに満面の笑みに出会うことができたが、そのあとの曲の選択に苦労した。
悲しい歌は泣きそうになって、テレビだったらチャンネルを替えようとするともうかがっていたのだが、「なだそうそう」を出してみると、たちどころに悲しくしかもつらそうな顔になる。これはすぐにひっこめた。これまでの経験でけっこう好まれていたしっとりとした歌、たとえば「川の流れのように」「大きな古時計」「贈る言葉」なども悲しそうになるし、「水戸黄門のテーマ」も、ペギー葉山によるしっとりとした「ドレミの歌」も同様だった。そんな中で好まれた歌が「100%勇気」「世界に一つだけの花」「サザエさん」。本当に力強い歌だけが笑顔を呼んだ。
こうしたソフトを通してスイッチ操作に慣れてもらったので、曲名の一部や歌手名を2スイッチワープロで、一緒に書いてもらった。選択の手応えはない。ただスイッチを近づけると手が伸びてくること、手が離れないことが頼りだ。「ゆうき」「せかいに」「きよし」などを一緒に書き音楽をかけ、また名前も一緒に書いたりした。
もっと他に、彼女が好きな曲はないかと、あれこれ考えていると、同行した方が「365歩のマーチはどう?」とおっしゃった。幸いにも、パソコンに入っている。そこでさっそくソフトを出すと、流れ始めたとたんににこっとして、身を乗り出し、じっと画面を見ながら聞き入っている。その様子がこの歌を聞くのが初めてのような印象を与えた。
こうしたやりとりが、しだいに、彼女の感受性の豊かさを伝えてくる。私は、決してワープロにこだわっているわけではないが、ここで、一緒に言葉を綴ることにした。自分の名前を書いたが、あまり反応が芳しくないので、名前に続けて「おとうさん」と一緒に書いて、さらに、「だいすきと続けようか」と提案し。「○○○おとうさんだいすき」という言葉を書いた。すると、どのタイミングだったか、すぐ後ろにいた父を振り返り、すっと手が伸びたのである。とてもすてきな光景だった。
そして、「おとうさん」という言葉がよく分かっていますねという周りの声に、「わかっていなくてもいいぞ」とすかさずおっしゃったお父さんの言葉がずしんと響いた。私はわざわざ東京から彼女の言葉の有無を確かめにきたわけではない、ありのままの彼女と出会ために来たのだと言うことの再確認を迫る一言でもあった。
それでも、続けてにいちゃんと書こうと提案して続く言葉をいろいろ挙げてみた。これは、本当に印象に過ぎないが、「にいちゃんあいたい」に反応があったような気がしたので、そう書いた。
そして、その場に同行してくれていた「おばちゃん」と書くことを提案したが、続く言葉は、いろいろあげたがなかなか納得を得られなかった。
こうしたやりとりの中で、いつもなら当たり前のように書いてきた一つの言葉が使えないことの意味がしだいに重みを帯びて迫ってきた。それは「おかあさん」という言葉である。
彼女にとって、母親の死は、どのように感じられているのだろうか。母への深い追慕の思いは、はっきりとは表現されることなく、彼女の胸の中で静かにあるいは激しく渦を巻いているのではないか。
私がこれまで出会ったどの方よりも悲しい調べやしっとりした響きに、繊細な反応を示してきた方である。もしかしたら、その感性は、母への思いと固く結びついているのかもしれない、そんな思いがしだいに強まっていくのを感じながら、飛行機の時間にせかされるようにして彼女に別れを告げた。
日本列島全体が、一夜にして秋空に変わったすがすがしい一日の終わり、空港で車を降りて振り返るとまさに太陽が、沈んでいく瞬間だった。長い滞在を終えたような錯覚を覚えながら、飛行機に乗り込んだ。
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2008年9月27日 21時32分
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すなおにいきたいけどふまんがふんしゅつしてなかなかよくやれないでいる
どこか元気のない様子で現れた○○君が最初に書いた言葉だ。本当は素直な心で生きたいのに、自分のことをなかなか理解してもらえない思いが、自分から素直な気持ちを奪っていく。そんなことを言っているのだと思う。この日、最終的には1000文字を越える文章を綴った○○君だが、そんな力を持っていることがなかなかわかってもらえない。
でもてはもっとあるとおもうのでさいちょうせんしたいとおもう でももうつかれそうです
再挑戦しようというけなげな思いと、でももうつかれそう…という思いの交錯。私も思わず、「僕も疲れたなあ」と、嘆声をあげてしまった。私がこんなところで筋違いの共感をしても始まらないのだが、なかなか動かせない現実が思わずそんな声をあげさせてしまった。言おうと思ったらなんでも言える私と、気持ちを表すこと自体に大きな困難を抱えている○○君とは、全く立場は違っているのに。
そんな葛藤をさらに言葉を重ねて表現しているうちに、
なかなかしんじてくれないけどくやしくてもあきらめないことがたいせつです
という言葉で、ひとまず気持ちの整理をつけたようだった。
ここで、スイッチを持つ役割を別の仲間に交代した。スイッチの操作の援助法を練習させてもらうためである。
練習のために質問に答えてもらうということで、まず「好きな科目は?」という問いに対して「ほけんたいく」という答えをうまく援助することができた。そして「好きなテレビ番組は?」と尋ねられて、「そ」を選んだ後、ナ行でうまく読み取れず、書いては消すと言うことが起こってしまった。そこで、私がちょっと代わったところできた言葉は「そにんそのしとせい」だった。ここで再び交代した。私は密かにこれは「ソニンその死と生」かと思ったが、自信もなく、しばらく経過を見守っていると、また文字を消しては書くと言うことになって、困ってしまったようだった。そして再び代わったところ、突然次の言葉が語られる。
けっこんできたらいいなとおもう
でもなかなかむずかしいかもしれないとおもう
どうすればけっこんすることができるのだろうか
この重い問いにこちらも答える言葉をもたなかったが、何かさっきのテレビ番組と関係はないかと、さっきの「そにんそのしとせい」って何だったのかと尋ねてみた。そして次のような答えが返ってきた。
いいばんぐみはあまりないのでじぶんでつくろうとおもったけどむずかしかった
そにんはだいすきです
さんちゃんねるでいろいろなことをはなしているのをきいてすてきだとおもいます
みんなのことをうったえてくれるのでぼくはすきです
のぞみはそにんとはなすことです
まったくしらないけれどすすんでりかいしてくれるとおもいます
まいにちてれびをみているとときどきであいます
どうすればあえるかな
こんどのせいさくでとりあげてもらえないかな
やはり、あのソニンのことだった。若者の重い心の葛藤に真摯に向かい合うソニンが好きだという。おそらく、結婚の話題が出たのは、ソニンと無関係ではなかろう。自分の心に重く横たわる問いにきっとソニンなら向き合ってくれるだろうと思ったのではないだろうか。
のぞみはすてきなひととめぐりあっていっしょにせいかつすることです
めぐまれないからだでもそのからだでせいいっぱいがんばればかのうだとおもう
よくがんばってゆめをたいせつにしていきたいとおもう
この子に文章が書けるのだろうかと疑いのまなざしを向ける人には、人生を深く悩み抜いている青年の存在がそこにあるという事実は決して見えてこないだろう。11年前あどけない幼児だった彼は、もう立派な若者になった。表面的な知識ならまだまだたくさん教えることができるかもしれないが、一番大切な問いには、もう私たちは正解を用意することはできない。できることは、ただ、ともに彼の歩みに寄り添いながらともに考えていくことだけである。
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2008年9月27日 09時06分
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自主G多摩1 |
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「人間としての当然の願い」と書いた○○さんの文章に出てくる◇◇さんの文章を紹介したい。
▽▽さんの死をめぐる、切々とした文章だ。亡くなった▽▽さんは、生前の文章の中で、◇◇さんのことをこう書いていた。「いつもひとりきりで◇◇くんとめであいずやよろこびをつたえあっているだけです。」互いに、豊かな言葉を持っていながら、その言葉ではとうとう語り合うことができなかったが、いつも目と目で語り合っていた二人だった。▽▽さんが亡くなってから彼に会うのは初めてだ。あれから4ヶ月が過ぎたが、思いをずっと胸に秘めていたのだろう。パソコンを開くとあふれ出すように、言葉が綴られていった。
▽▽さんがなくなってとてもさびしいです
かなしくてしかたありません
つらいひびがつずいてなきたいきもちです
どうしてともだちをおいてさきにいってしまったのだろうか
こいしくてたまりません
うちにいてもそのことばかりかんがえています
くるしいときもさびしいときもいつもいっしょだったのにことばでいつかかいわしたいとおもってきたのにもうそれもかないません
このあいだくやしくてはきました
くつうです
▽▽さんがいない×××はさびしいです
どん底の思いが綴られていく。しかし、言葉は、少しずつ、明日に向かおうとその調子を変えていく。
×××につまらないときみんなでつまらなくならないように×××に▽▽さんをよびぼくたちずっとうちひしがれていないようにすごすことができるようにおねがいしたいです
うすいしあわせしかえられなかったかもしれないけどくいのないじんせいだったとおもいたいです
▽▽さんの人生を「悔いのない人生だった」だろうと思い、▽▽さんを失った思いに一つの区切りをつけ、さらに文章は、この悲しみを越えて強く生きる方へと向かう。
くるしいときのことをおもいだすとこんなことでないてばかりはいられないとおもうのでてんごくの▽▽さんにたすけてもらいながらつよくいきることにしたいです
うらやんでばかりはいられないのでこのからだでいることをほこりにしたい
自らの体を誇りにしたいという究極の自己肯定によってこの鎮魂の文章が結ばれたことによって、私もまた救われた思いがした。
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2008年9月26日 15時52分
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通所施設 |
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人間としての当然の権利と書いた男性の文章の中で触れられていた☆☆さんの文章を紹介したい。
前回6月に文章を書いてもらったとき、その場で手紙を書いて連絡帳にはさんでもらった。さっそく、お母様からごていねいなメールをいただき、次回はぜひ一緒に、ということで、3ヶ月も経ってしまったが、ようやくその日を迎えることができた。ご両親の見守る中で、さっそく文章が綴られる。前回の書き出しが「くやしいですきもちをおかあさんにつたえることができなくりかいしてもらえないです。」だったから、3ヶ月で状況が変わったことがわかる。ただし、「りかいしてもらえない」というのはあくまで文章を綴る力を秘めていたことである。
りかいしてもらえてうれしいです
てがつかえてわたしはそれもうれしいです
もっといろいろなことをはなしたいです
ぬいぐるみのようないきかたはしたくありません
ずっとかんじてきました
ねがいはつよいきもちでなんでもやることです
すぎたことはもどってこないからしかたないけれどみらいにむかってきぼうをもっていきていきたい
らくにできてうれしい
あまりにも多くの同じ境遇にある仲間たちと相通じる思いが、同じ言葉で語られている。感覚がマヒしてしまいそうな自分がこわいくらいだ。理解されること、手が使えることの喜び、ぬいぐるみという比喩、そして過去を食い入るのではなく未来に向かう強い意志…。
そしてさらに次のような美しい言葉に高まっていく。
のぞみはそらのようにすみわたるこころでいきていくことです
のぞみどおりのいきかたはむずかしいかもしれないけれどこどものようにきよらかなきもちでいきていきたい
このように高まった表現を一度自ら鎮めるように次のような言葉が続く。
はずかしいけれどくるしいときはなきたくなります
すてきなひとがすくいにやってこないかとおもいます
そして、目の前のご両親に向けられた次の言葉で、一段落した。
くるしいときはおかあさんとおとうさんがたよりです
これからもよろしくおねがいします
この後、見えないと言われていた目が見えていること、そのことがわかってもらえずくやしかったこと、姿勢のこと、寝る前に決まって手をかりかり動かして遊んでいるのは手が勝手に動くことなど、日常生活の様々なことを話し合った。
そして、もう一度切実な思いが綴られる。
なかなかわかってもらえずいつもくやしかったです
つらいのはがまんできますが
さびしいのはがまんできません
けっこうまいにちたのしくやっているけれどきもちがつたわらないとさびしいです
ねがいはみんなにりかいしてもらうことです
つらさはがまんできてもさびしさはがまんできないという言葉をもう一度かみしめながら、彼女の願いがかなう日に向かってがんばりたいと思う。ただ、もう、彼女は一人ではない。みんなで、つながりあって今を変えていきたいと思う。
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2008年9月23日 01時10分
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通所施設 |
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隔月で通う都内の通所施設で、3人の方とパソコンで関わった。8月時間が作れなかったので、今回は3ヶ月ぶりだった。この日3番目に関わった○○さんは、二人の文章を受けて綴り始めた。
最初は、2回前から文章を綴り始めた☆☆さんのことだ。この日は、ご両親も様子を見にいらしていた。
☆☆☆さんができないなんていがいなことですからぼくはかけるとしんじていました
おかあさんとおとうさんがおはなしをききにくるときいてうれしかった
えがおがきれいなふうふでした
となりでみてましたね
なかなかできないかもしれないけれどあきらないでさへいたらかならずできますからがんばってください
現在の常識では、言葉を綴ることを予測するのは容易ではない☆☆さんだが、○○さんの目には、当然書ける人だと映っていた。私たちが彼女にパソコンを出すまでには、だいぶ時間が経過したから、その間、○○さんはずっと、その日が来るのを待っていたのだろう。「がんばってください」とはご両親に向けられたもの。家でもやれるようにとおっしゃっていたご両親へのエールである。
次は、◇◇君の文章について。◇◇君は、5月に亡くなった女性への思いを切々と綴った。親しい友を亡くした絶望的な思いから始まり、最後は、自分自身が力強く生きていこうという言葉で結ばれる長い文章は、張り詰めた気持ちが一貫して流れる拡張高い文章だった。その文章を聞いて○○さんは、次のように綴る。
◇◇くんがかいていたのはすてき
いなくなってもにんきがあるなとおもう
▽▽さんはかわいいしみりょくてきだからさびしいとおもう
彼もまた、昨年12月に彼女が初めて文字を綴った日に、「▽▽さんはのぞみをかなえられてよかった。てがつかうことができなくてもわかっているひとがたくさんいるけどなかなかいいたくてもいえなくてかなしい。このことはりかいされにくいけれどさんぴめぐるぎろんよりもだいじなのはなかなかはなせないひとのきもちです。」と綴り、5月には、「▽▽さんがなくなってさみしさがつのりかなしみがふえてつらいひがつづいています あうことがかなわなくなってしまいなんとなくくやしい あいたかった とつぜんのことで(…)」と書いていた。
亡くなった方も含めて、○○さんの通う施設には、言葉でのコミュニケーションは難しいと思われながら、パソコンで気持ちを表現できる人が4名いることになる。初めは、何よりも表現することが先だったが、こうして、少しずつ互いに書かれた言葉をやりとりできるようになり、○○さんの中に新しい願いが生まれつつある。それは、次のようなことだ。
ねがいはみんながねがっていることをなんでもいえるようになることです
ねがいはかんたんにきもちをひょうげんできるようになることです
ともだちとどんなことでもはなしたい
もっとかんたんにはなせるといいとおもう
とてものぞめないとおもっていたけどすいっちがみつかってよかったです
このすいっちをなんこもつくってみんなとはなしたい
なんこもあればみんなではなしができます
にんげんとしてのとうぜんのねがいです
すばらしい
ほんとうのすばらしさはみんなとはなしができることです
ねがいをかなえるためにがんばりたい
そのひがくることをゆめみてがんばりたい
人間としての当然の願いがかなえられる日が、まだ、夢見る先のできごとである。「すいっちをなんこもつく」り、「みんなではなしができるひ」の夢を実現すること、あちこちで語られ始めたこの思いがかたちになるために、具体的な一歩を前に向かって出し続けていかなければならない。
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2008年9月20日 13時13分
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○○君と☆☆さんが待つ小児科病棟を訪問した。
☆☆さんは、上を向いて開いた私の手のひらの上に☆☆さんの手のひらを重ねるようにして、その親指に軽くひっかけたスイッチを動かしながら、選択の場所に来たら、☆☆さんの親指と手の甲にわずかにこもる力を、私が手のひらで感じ取ることによって選択を読み取っているが、いつものお母さんによる口の読み取りや訪問学級の先生による心拍数の読み取りは、より補助的なものにして、できるだけ手で読み取ろうとした。間に◇◇君との学習をはさむが、2時間近い時間をかけて、つぎのような文ができた。
すばらしいゆめをみてるような
きもちをじでいえました
続けて一文として読むのか、このように区切りを入れるのかはわからないが、とりあえず、このように表現した。前半が「じ」までで、後半がそれ以降である。
訪問の先生は、前回の文章とつながっているのではとおっしゃった。前回は、「せかく(せっかく)うまれてきたすきなゆめかのうに」だったから、気持ちを字で言うことが夢だったかもしれない。
手のひらにじわっと暖かいような感じがわくというふうに表現した方がいいくらいの感覚を拾うのだが、確実に、選択していない時としている時との対比ははっきりしてきた。関わりのたびに☆☆さんの文章のストックが一文ずつ増えていく中で、少しずつ、☆☆さんらしさが、かたちを取り始めている。
○○君は、ここのところ、少し口の動きが悪かったので、読み取りがむずかしかった。今回も、薬の関係で、動きは少し悪いかもしれないとのお話を主治医の先生から事前にうかがっていた。
呼吸に関わる処置を頻繁にはさみながらなので、スムーズに進んだわけではないが、いったんリズムにのると、久しぶりに、明確な選択の意志が伝わってきた。
そして、できた文章。
よどおしねられなくて はゃぬてえ よわくして むり
「はゃぬてえ」という不思議な文字が挟まった文だ。彼は、医療機器や薬の名などを書く時、なかなかうまく書けないことが多い。それは複雑なカタカナの言葉だから当然なのだが、それでも何とか、文字を選んでくる。今回も、何か、そういう言葉を言いたいのだろうということははっきりしていたが、もちろん何のことか私にはわからない。
「むり」については、「むり?」というニュアンスなのかと尋ねると、「そうだ」という合図の口を動かした。
彼は、いのちと向き合ってこの病棟で生きている。一つ一つの医療的な処置は、そういう意味合いを持ったものだ。そういうことをわかった上で「むり?」と聞いているにちがいない。
程なくして、主治医の先生が現れた。文章を報告すると、さっそく、いろいろと彼に問いかけを始められた。やはり、呼吸にまつわる処置のことらしい。そして、先生の問いかけは、さらに、細かな調整の問題へと移っていく。私には、とてもわからない細かな調整だが、彼は、懸命にそれに答えようとする。前にも書いたが、このやりとりは、彼を大人の患者さんのようにきちんと向かい合うやりとりで、主治医の先生の彼への思いがどれだけ深いものであるかを語っている。
私のつたない聞き取りが、彼の生活に直結していくことに、ある厳粛な思いを感じずにはいられない。
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2008年9月17日 00時23分
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小児科病棟 |
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1年ぶりに静岡県に住む少年のもとを訪れた。彼は今年中学3年生。初めてうかがったのは彼が小学4年生の時だった。今回は、やり方を変えたこともあって、全文で1400字ほどに及ぶ長い文章となった。その方法とは、こちらが行や列を進めるスイッチをリズミカルにオンーオフしていく中で、本人の力でオフの動きが遮られることで選択の意志を読み取るという方法である。その文章ので中心的に語られたことは、3つで、まず、体が大きくなってご両親に迷惑をかけていることをめぐる思い、二つ目は、将来のこと、三つめは友だちのことである。それぞれのテーマに沿って整理すると次のようになる。
◆体のこと
前回もこのことに触れていたが、今回は、こんな文章が並ぶ。そして感謝の言葉もたくさん述べられた。ここに掲げたのはその一部だ。
さくねんおあいしてからいろいろなことがありましてえがおがへりました
かるかったからだがおもくなってせがのびてとにかくせわがたいへんになりました
ふたんばかりかけてわるいからとてももうしわけないとおもっています
なみたいていのことではつとまらないとおもいますぼくのせわは
おかあさんやおとうさんいつもありがとう
ねがいはいつまでもながいきしてもらうことです
きもちをつたえられてよかった
きっといつかかなえたいことがあります
これまでのじんせいにこれまでぼくがしてもらったことにたいしておかえしをすることをなんとかしてしとげたいとおもいます
◆将来のこと
自分の体が大きくなっていくことは、大人になっていくことである。将来については、次のように語られた。
じぶんだけではなくねえさんたちにもしあわせになってほしいからぼくはどこかのしせつでくらします
たくさんかんしゃしています
おかあさんとおとうさんがきにかけていることにたいするぼくのいけんです
しらないひととくらしていくのはふあんだけどどうにかなるとおもいます
ずるいかんがえかもしれないけどがっこうをそつぎょうするまでにどうにかなればいいとおもいます
すくなくてもしんじてくれるひとたちのあいだでいきていけたらいいようにおもいます
ねえさんたちにもはやくけっこんしてもらいたいとおもう
ぼくのことはしんぱいしないでいいから
二人の姉の結婚のことは二年前にも語られたものだ。彼は、優しい二人の姉が、自分のことで結婚が遅れたりしたら大変なことだと心から心配している。
卒業後の進路については、ご両親は、もっともっと手元で育てるご方針で、まずは、通所する場所を何とかしようと努力されているとのことだ。それでも彼は彼として、こういう覚悟はあるということを伝えたのであろう。ただ、どこかあきらめた響きがあることが寂しい。大人になるということは、もっともっと夢に満ちたことなのではないだろうか。私がその夢を語り合う存在となりえていないことがもどかしい。
◆ともだちのこと
話は「なぜぼくはりかいしてもらえないのだろうか よくことばがわかっているのにことばをしんじてください」という言葉から一気に友達の事へと展開した。こんなにも言葉を操れる人間であることが、実は学校などには理解されていないようだ。そのことのはがゆさを述べようとして、おそらく彼は、全く表現する機会を持ち得ていない仲間のことに思いが及んだのだろう。自分のことはそこそこに、友達のことが綴られる。
ともだちもみんなりかいしているのになかなかわかってもらえないでいます
はやくみんなにもおしえてあげたいとおもいます
なんとかなりませんか
なんとかしてこのすいっちそうそ(操作)をおしえてあげたいみんなとはなしがしたいとおもいます
たくさんいます でもみんなはなしができません きいてもらえるとうれしいです
そして、友達が言葉を理解していることはよくわかるんだねと問いかけると
よくわかります でもことばではなしたいです どうにかならないですか
と返ってきた。土曜日に埼玉で交わされたやりとりと同じだった。考えてみればきわめて当たり前のこと。権利が平等に保障されていないのだから、この事態が実に理不尽な状態であることは論を待たない。それでも。今はまだ決定的な解決法を私は持ち得ていないのだ。
そんな友達とも出会える可能性をご両親と相談しながら、この場では、スイッチ操作をご両親にも練習していただいて、誰にでも出来るようになれば友達も出来るようになるのではなかと提案し、練習してもらった。以前のほ方法ではむずかしかったが今回の方法ではかなり手応えが得られた。こんなところから突破口が得られたらと、思った。
最後に彼は、今回の方法について感想を述べてくれた。
ふしぎです かんがえただけでことばになっていきます
そこで、考えたけど書きたくはなかったことまで言葉になったということはないかと尋ねると
だいじょうぶです じぶんでやっているきがしない
自分がやっている気がしないということで気味が悪いということはないかと尋ねると
すばらしいです ふしぎですがひとりでやっているかんじです
てがつかえないとおもってきたけどつかえてうれしいです
というように答えてくれた。自分でやっている気がしないけれども、一人でやっている感じがするという感想は、私には心強かった。
そして、最後の最後に、彼はこう付け加えることを忘れなかった。
ともだちのことをまたよろしくおねがいします
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2008年9月16日 22時47分
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7月の終わり、お宅を訪問して、すっかりお酒をごちそうになったあと取り出したパソコンで思いを綴った20代の女性☆☆さんと、都内の研究所でお会いした。この研究所に彼女が通い始めてもう20年以上が過ぎた。
この話をお伝えしておいた研究所の先生が、大変感激してくださり、たくさん質問を用意してお待ちになっていた。
最初の問いは、小さい頃から今にいたるまでずっと「どんぐりころころ」が大好きな理由は何ですか、だった。
すきなりゆうはすてきなかしだからです
きくとむかしをおもいだします
一瞬、歌詞?と思った。だが、あらためて歌詞を思い浮かべると、そこにはちょっと悲しい物語が埋め込まれている。どんぐりに大変なできごとがふりかかり、周囲の働きかけに半ば癒されるも、やはり悲しみは消えないという物語を彼女はどう受け止めているのだろうか。家に帰ってインターネットで検索をしてみると、後になって3番が加えられたという。そこでは、りすによってどんぐりは森に帰ることができるのだが…。その3番は、きっと☆☆さんには気休めの歌詞にしかすぎないのではないか。きっと、泣いても山には帰れないどんぐりの悲しみにこそ、☆☆さんの共感があったのではないか…。そんなことまで想像は広がっていく。
次の問いは、未熟児網膜症でほとんど見えないといわれてきた目についてだ。
ひだりです(左右のどちらで見ているかの答え)
めのまえならみえます
かおはよくわかります
よくにているひとはまちがえます
さらに、文字はどうやって覚えたのかという問いに対しては次の答えが返ってきた。
じはじぶんでおぼえました
えほんでおぼえました
きになることばがあるとくりかえしおもいだしていました
けっこうたいへんでしたががんばっておぼえました
学びへの渇望とでもいうべきものがここにある。おそらく限られたチャンスをしっかりとものにして、みずから文字を覚えてきたのだろう。しかも、くりかえし思い出していたというようなことが、私たちの知らないところで行われていたのだ。
それでも彼女は、こう綴る。
わたしのことをたいせつにしてくれてありがとうございます
よくしてくれてかんしゃしています
ずっとつたえたかったです
しんじてくださってありがとうございます
さらに、思いの吐露は続く。
つらいことはかんがえてもしかたないのでふかくはかんがえないようにしています
きもちをつたえられてしあわせです
そして、当然の願いとして、次のように綴られる。
ぜひいえでもやりたいです
いえでやれるようにおねがいします
ふだんからいいたいことがたくさんあるのでいいたいです
家の話は、また、両親への思いへと続いていった。ここのところ、体調がすぐれない母親のことを心から気遣う言葉を前回は書いていたが、今回もその気持ちの延長線上に気持ちが語られる。
ていねいにそだててくれてかんしゃしています
じぶんではなにもできないからくろうばかりかけてしまってごめんなさい
ねがいはとうさんとかあさんがいつまでもげんきにながいきをしてくれることです
つらい言葉を綴る時は身をよじらせながら、感情を体に表しつつ文章を書き上げた時、彼女の顔には満面の笑みが浮かべられていた。
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2008年9月15日 20時22分
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高校2年になる☆☆さんが、見学に来られた自分の学校の他学部の先生を前にして、意を決したように次のような文章から綴り始めた。
××××(学校名)のせんせいがみにきてくれてうれしいです
なかなかすいっちのそうさがじょうずにできないのでこまっています
めんどうをかけてもうしわけないのだけどがっこうにきてくれませんか
まだほかにもはなしができるともだちがたくさんいるのでせんせいにあってもらいたいとおもいます
とおいかもしれませんがよろしくおねがいします
控え目な☆☆さんだから、これだけのことを言うには強い思いがあったにちがいない。☆☆さんの学校の先生は彼女がワープロで文章を綴ることをわかってくれて学校でも取り組もうとしてくださっているが、なかなか操作がうまくいかないらしい。しかし本当に困っているのは自分がうまくいかないことではなく、仲間に広げることができないことなのだ。そこで、私に学校へ来てほしいと頼んできたのだろう。
二つ返事で答えられればいのだが、学校にうかがうためには、いくつかの手続きがいる。あいまいな返事をしていたら、こう返ってきた。
わすれて
すみません
わたしのたいせつなつまらないおねがいは。
とてもたいへんなおねがいをしてしまいました
すみません
彼女のお願いが、単なる思いつきではなく、無理は承知ながら、それでも考え抜いた末のものであることがよくわかり、気持ちが痛いほど伝わってきた。それでもストレートな答えができず、いろいろ事情を説明したりしていると、
どうしたらいいのでしょうか
おしえてくれませんか
と書き、さらに切々と思いが吐露されていった。
のぞみはともだちとはなしをすることです
ともだちもきっとはなしたいとおもうから
ともだちもたいへんなおもいをしています
やっとわたしのことばをなんでもきいてもらえるようになってしあわせになることができたからともだちにもしあわせになってもらいたい
(…)
けあるーむのともだちです
たくさんです
たくさんのともだちがはなせるとおもいます
はなしたいです
すいっちがあればはなせるとおもいます
彼女は、目の前の子どもが言葉を理解しているかどうかについては、私たちよりもはるかに見抜く力を持っているのではないだろうか。だからいっそう思いは強いだろう。そして、私たちが知らない「たいへんなおもい」を彼女は身をもって味わい、そしてその「たいへんなおもい」を越えて今話せることの「しあわせ」を味わっている。当事者にしかわからない思いに裏打ちされた彼女の希望に私たちは、答える以外にとるべき道がありそうにも思えない。
障害の重い子どもたちの言葉の問題について周りの私たちがあれこれ議論する時代はもう終わろうとしているのかもしれない。今回の彼女の言葉は、当事者からの正当な訴えである。このきわめて理にかなった訴えに真摯に答える以外に私たちがとるべき道は、ありえないだろう。
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2008年9月15日 07時06分
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夏休みに、仲間たちと話し合いをした時に、みんなに「つらいことはなんですか」と問いかけた○○さんとひと月ぶりに会った。そして、その時のことについての感想を次のように語った。
このあいだのおはなしとてもすごかったです
つよいきもちでないとわたしたちはくらしていかれないとおもう
にんげんとしてかのうせいをしんじてもらいたいとおもいます
もっといろいろなひととやりたいです
彼女たちがおかれている状況には、「つよいきもち」が必要だという。もちろんもっと楽に生きられたらと願わないではないが、彼女は、もっとしっかりと現実を見すえているということなのだろう。そして、その気持ちをいちばんわかり合えるのは何よりも同じ立場にいる仲間たちということになる。
また、この日は、私たち関わり手は4人いたので、かわるがわるスイッチの援助をした。「もっといろいろなひととやりたい」という言葉はその中から生まれてきた言葉だ。まだ、限られた人との限られた場所でのコミュニケーションに閉ざされているが、いろいろな人といろいろな場所で、当たり前に話せること、その可能性を信じて、もっともっと前に進んでいかなければならない。
また、この時一緒にいた学生に、こうも問いかけ、お願いもした。
よくきましたね なにをべんきょうしているのですか
くるまでおねえさんはきたの
べんきょうをときどきおしえてもらいたい おねえさんに
よろしくおねがいします
彼女もまた、学びへの強い渇望を持っていた。
時として、幻想的な物語を綴る☆☆さんは、今回、また、不思議な書き出しから始まった。
えすがたとみまちがうほどすてきでかれんなそのもようをよくみてほしいけど
もようをなんかいもかきかえてしまってとてもこまってしまい
じぶんがさがしていたすてきなねがいがかなえられ
ねがいどおりのほんとうのすがたになることができました
とてもよくなったのでねがったことをわすれてしまうほどでした
ほんとうのものをみつけることができたのでのぞみがかなえられました
でもりそうはまだまだたかくかかげていきたいとおもいます
不思議なイメージだが、今、満たされた状態にあること、そして、もちろんもっともっと理想を高く掲げていきたいということが、伝わってくる。そして、謎解きのように次の文が綴られた。
ほんとうのじぶんにであえるまでけっしてあきらめずにいきたい
せっかくのきかいだからふしぎなことばをかいてみました
どうでしたか
「もよう」とは、自分のこと。多様な自分の姿の中に、ほんとうに自分らしいと感じられる自分がある。移り変わる「もよう=自分」の中に、ようやく自分らしい自分が見え始めてきたということだろう。しかし、本当の自分に出会う旅はこれで終わるわけではなく、もっともっと自分らしい自分に出会うために旅は続けられる。
ふと、絵本「わたしのワンピース」を思い出した。
ところで、彼女もまた、夏休みの集まりのことを語る。その時、ある学校の先生が来られていて、その先生の、空中に描く文字を読み取るという方法で、彼女は自分の気持ちを表現することができた。
このあいだのせんせいはどうしてあのやりかたをはっけんしたのですか
とてもよいやりかただとおもいました
いつかかけるようになりたいです
彼女もまた、いろいろな方法でいろいろな人といろいろな場所で気持ちを表現する事を望んでいる。
そこで、また、かわるがわる彼女の手をとってみることにした。その結果、得られた文章は以下の通りである。
おかあさん
かしすのぷりん(カシスのプリン)
あかさぬ(あかさない)
かかえねる(楽な姿勢についての質問に対する答え)
つき(?)
広がりが楽しみだ。
◇◇さんは、いつもこのブログで紹介する多くの方々とは、ちょっとちがうタイプの方である。それは、彼女が自分一人でいろいろな物を操作できたり、ひらがなを書くことができたりするということだ。小さい時からずっと、文字や数に関する学習を続けてきて、着実に、一歩ずつ力をつけてきた。その◇◇さんも、たいへん小柄ながら高校3年生になった。文字を書く時は、いろいろ対話をしながら言葉を決めて練習することが常なので、この間の夏休みの仲間たちの話し合いの時は、その場に手伝いにきていた学生たちの名前を書いて楽しんだりして、結果的に話し合いに書き言葉で参加することはできなかった。
これまでは、ゆっくりと一文字一文字ペンをもって綴っていくことを大切にしてきたが、もしかしたら、みんなと同じような方法でちがった表現ができるかもしれないと、今回は、2スイッチワープロに挑戦してみた。これまでは、トーキングエイドや50音表のタッチパネルなどにも挑戦してきたが、2スイッチワープロは初めてである。
まず、練習として「おかあさんおとうさんおじいさんおばあさん」と書いてから、本人に任せてみた。すると、ゆっくりゆっくり、選んでいき、次の文章が書けた。
たのしみ かくれんしゅうする うれしい
それぞれ一文字ずつは、ペンで書けるけれども、気持ちの表現してこうした文章をペンで書くのはなかなか大変だ。しかし、音声のガイドがあったり、スイッチを押すだけでいいこうした設定では、気持ちの表現が可能となった。
このことの持つ意味をどう考えていくか、これからの課題だが、一つ、新しい世界が開けたような気がする。
私はパソコンや2スイッチワープロが万能だとはつゆほどにも思ってはいないが、可能性はいつも自由に開いていなければならないと思う。
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2008年9月13日 11時17分
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8月の夏休みがあって、町田の青年学級が再び始まった。夏前にパソコンで綴れるようになった二人のことが大変きにかかっていた。7月の1回目の学級日に初めてパソコンが成功したのだが、2回目は私が休まざるを得なかったので、その日は綴れず、9月を迎えたわけだが、女性の方は、残念ながら入院のためお休みだった。
私と同じコースの男性とは、活動が始まるとさっそくパソコンを開いた。活動は、まず、見学の方がいるので自己紹介を含めながら、夏のできごとを語るということで始まった。みんながそれぞれ、話していくのを聞きながら、パソコンでどんどん文章を綴っていった。
つまらなかったこのまえのがっきゅうびは
しばたさんがいなかったのでなにもはなせなかった
くやしかった
このすいっちをだれでもできるようにして
そしてだれとでもはなせるようになりたい
まったくもっともな話だ。だれとでも話せるようになった時、本当に彼のコミュニケーションの障害は取り払われる。
十分その気持ちを受け止めた上で、夏はどうしていたかを尋ねた。すると次のような答え。
ずっといえにいておりんぴっくをみていました
すいえいのきたじまこうすけせんしゅがすばらしかったです
くやしかったのはやきゅうです
せっかくぜいたくなせんしゅをあつめたのに。
自己紹介もお願いした。
ぼくは○○○○○○○です
わさびだりょういくえんでしごとをしています
すいっちではなせるようになってむかしのじぶんとはまったくかわりました
つねにみんなのあとからしかさんかできなかったけど
これからはさきにたってがんばりたいとおもいます
がんばりたいけどのけものにしないでください
つきにかいしかあえないのでざんねんです
初めて彼自身の言葉で表現された自己紹介である。この辺まで綴ったところで、彼自身に順番がまわってきたので、自己紹介と夏の出来事とを音声読み上げソフトで読み上げた。仲間たちも彼自身の言葉による報告を、心から喜んでいた。
さらに、コースで作ろうとしている歌の歌詞のことについても聞いてみた。
ともだちのことについてのうたをつくりたい
ひとりではなにもできないのだけど
ともだちがいればなんでもできる
ともだちのことをおもうとげんきがでてくる
今年度のコース活動に大きな影響を与えるひとことになっていくだろう。
ところで、欠席した女性のコースにはもう一人車いすの女性がいる。単語で意志表意をしたり、手をあげたりできるので、コミュニケーションはある程度とれるのだが、単語も「げんきー」など、限られていたので、複雑な文章を綴るというようなイメージはもたずに、もう10年以上関わってきた。しかし、もはやためらう理由などなかった。
私はコースがちがうので、昼食の時間を利用して、彼女のもとへでかけた。そして、簡単に説明してパソコンを開いて練習をすると、さっそく次のような文章が綴られた。
このすいっちやりやすい
のぞんでいました
もうできないかとおもっていました
うれしい
そこで、食事のあとにまた来ますと約束して、その場を離れた。食事が終わって行ってみると、いつになく早く食べたとのことで、ちょうど終わるところだった。そこで再開する。
とてもむりとおもってきたけどできてうれしい
ともだちとはなしたいとおもってきました
このすいっちはどうしたの ほしい
この様子を、この3月まで学生だった女性が見守っていた。学級には久しぶりの参加だった。
ひさしぶりですねあいたかった
どこにすんでいますか
かいしゃはどこですか
でんしゃでとおったことがあります
何か気持ちで書きたいことはと尋ねると、
ともだちがしんでかなしいです
○○(通所施設)のひとです
ずっとまえです
と綴られ、さらにこう続いた。
ねがいはりかいしてもらうことです
わかってもらいたい
発作が起きてしまったので、ここで中断し、最後、つどいでみんなが歌っている横で、次の文章を綴った。
このすいっちがほしい
○○○さんはやさしいとおもいます りかいしてもらえてうれしい
○○○さんはかわいい ○○○○さんはさっそうとしています
○○○さんはまたきてください
ふしぎですことばがすらすらでてきます
いいきぶんです ねがいがかなってうれしいです
おかあさんにもしらせてください
つねにわたしをしんぱいしてくれているから
ねがいがかなってうれしい
そこで迎えに来たお母さんに文章を見せた。突然のことに驚きを隠せないお母さんだったが、どこで文字を覚えたのという質問をして、実際に書くところを見ていただいた。
がっこうでようごでともだちがおぼえているのをみておぼえた
と答えが返ってきた。
次回がまた楽しみだ。
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2008年9月8日 12時32分
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青年学級 |
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今日、すてきな2編の詩が届いた。○○君の表現手段は、支えられての手がきだが、先日の関わりあいで2編の詩を書き出した。
いつもなら、そのまま受け取るところだが、今回は、意見を求められたので、率直にいくつかの意見を述べた。これだけ立ち入った意見を言ったのは初めてかもしれない。ただ、あくまで私の言葉が詩の中に入ってしまうことは慎重に避けて意見を述べた。
私に詩の素養があるわけではない。ただ、青年学級で歌を作り続けてきたことを便りにしながらの意見である。
だが、彼は真剣に受け止めてくれた。そして、その場で何度か遂行を重ねたけれども、もう一度家で考えてくるからということだった。
そうやって届けられた詩は、2編目が、最後の1ページが抜けていたので、まだ、完成形ではないが、あまりにもすてきなので、紹介することにした。
雨ふりの朝
ぼくがおきると母は長そでをもってきた
「今日は雨でさむいの」
やさしくわらった
ぼくはえがおにつられて笑った
みそ汁のにおいと玉子焼きのにおい
とうめいのグラスがカチカチなった
やさしい時間が今ある
あたりまえの時間がある
それなのにぼくは早く早くとわがままいって
母をあわてさせた
二人だけの朝
にじが出た日
ぼくはおばさんと車イスに乗って出かけた
母でない人と出かけたのは初めてだ。
ぼくが草や花が好きなことに気ずいて声をかける。
「君はみどりの好きな子ですか。私も大好き。」
おばさんの声ははずんでいた。
「いいえ、ぼくは母さんの好きな草や花が好きなんです。」
こころの中でつぶやいた。
おばさんはしらないだろうな、
花の中に母が笑い、
草の中に母が泣いていることを。
ゆっくりと頭を上げると
にじが見えた
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2008年9月7日 01時05分
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2003年秋から、パソコンで少しずつ文章を書くようになり、ほどなく、お母さんと家でも綴れるようになった☆☆さん。私たちとの関わり合いの場では、この2年ほどは、必ず、○○君とパソコンで会話をしてきた。何よりも二人はこの会話を楽しみにしていたので、二人に任せて、いつのまにか時間が流れてきた。
だが、半年くらい前からだろうか、あまり、家でパソコンを開くことを喜ばなくなってきたとお母さんがおっしゃり始めた。たいていのことならば通じるし、わざわざ言葉でなくてもということらしいとお母さんはおっしゃった。
高等部3年を迎え、いよいよ学校生活も残り少なくなってきて、きっと様々な思いをかかえているのだろうにと、二人のやりとりを見ながら、なかなか彼女の世界に踏み込んでいけなかったというのが実際だ。
7月、この関わりの会で、小さな研修会を開き、みんなが通っている養護学校の大先輩の話を聞くことができた。もう40を過ぎた先輩は、卒業してからの様々なドラマを語ってくれたが、それは、少なからず、☆☆さんに影響を与えるに違いないと思っていたが、そのことをきっかけに、少しずつ彼女は家でもパソコンに向かう時間が増えてきた。
そして、次のような彼女の思いが表現された文章が、ファックスで届けられた。
「私、いろんな人と関わって豊かに生きたい。からだがきついときもあるけれどわたしらしくいきたい!」(これは2月1日)
「◇◇さん(大先輩)のように、がんばって夢をかなえよう。」(8月1日)
「私の夢はみんなと旅行に行ったり、なんでもないことで笑いあっていたい!!▽▽では、メンバーの人たちとたくさんおしゃべりしたい。××ではいろんな人に元気と笑顔をたくさんわけてあげたいと思う!」(8月6日)
そして、今日、○○君との会話の合間に、速く綴れる方法として、最近私がやっている方法を紹介した。何か、気持ちを引き出せるのではないかと考えたからである。
まず、この方法への感想については、
「このほうほうをやってみたい どうしてわかるの じぶんでかんがえただけで じがかけるのがすごい ふしぎなきもちです」
と書き、あとは思いを一気に綴った。
「ねがいはがっこうのせんせいにわかってもらうことです どうでもいいようなことはりかいしてもらえるけどほんとうにだいじなことはわかってもらえない (だいじなこととは)じぶんのゆめやたいせつなきもちです ただのうけみのじんせいはいやです ふこうにおもっているわけではないけどちゃんとしたじんせいをいきたい うちではだいじにされてしあわせだけど いつかうちをでるひがくるときにはつねにまえをむきいきていきたい」
社会人になる日が少しずつ近づいていく中で、やはり懸命に、彼女は自分の人生と向かい合おうしていた。しっかりと彼女の思いに向かい合っていかなければならないことを、改めて感じた。
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2008年9月7日 00時33分
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北海道からうれしい便りをいただいた。私がうかがって言葉が綴れたお子さんと、北海道の先生ご自身が、簡単な単語だけれども綴れたということについてのメールだった。
客観性は主観性の向こう岸にあるのではない。主観性が集まるこちら岸に生まれるものだ。
私だけでない人間が関わって、言葉が綴られ、それが二人三人と増えていけば、そこにおのずと客観性が生まれ、そして、いつか、それは当たり前になり、そのうちにそのことの真偽を問う人さえいなくなるはずだ。
自分の気持ちを表現するという人間の最低の権利さえ、まだ実現していない存在が、この現代の日本にいるということ。そのことが明らかになれば、おのずと課題は見えてくるはずだ。
そして、その時、一人一人の言葉の意味が真に問題になってくるだろう。厳しい条件の中を生きてきた人間の研ぎ澄まされた言葉の重さに正しい光があてられるならば、そこに本当の尊厳が見えてくるにちがいない。
今はまだ、夜明け前。しかし、確実に空は白んで来ている。
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2008年9月6日 00時07分
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北海道に来た。8月に開かれた研究会で後先を顧みず、宴会の席で手帳を開き、「この日に行きます」と北海道の先生に押しつけるようにして約束したからだ。
2日間の滞在で、たくさんの生徒さんに出会った。2スイッチワープロを介して関わった生徒さんが9名。いろいろな生徒さんがいた。
1名を除いて、あとは高等部の生徒さん。ぎりぎりの状況から発せられる様々な言葉は、言葉で気持ちを伝えたかったことをめぐる切実な思いを伝えてくる。
その中で目立ったのは、私がどうして初対面の、しかもすらすらと言葉を綴ることができるとはとうてい見なされてこなかった自分に言葉があるとわかったのかという問いかけだった。
私の答えは、明確だ。私だって、目の前の障害の重い方が言葉をすらすらと綴れるということを、出会った印象からは、ほとんど感じ取ることはできない。それでも、これまで出会ってきた多くの方々から、自分の印象はまったくあてにならないこと、相手の可能性は、確かめてみることでしかわからないということを教わってきた。だから、いきなりどの生徒さんにもワープロで挑戦したということだ。生徒のみなさんの問いかけには、ここにいない多くの同じような状況にある方々のおかげであると誰にも答えた。
障害の重い人たちは、みずからあちこちをかけずり回ることは、現状ではむずかしい。まして、遠い北海道に来るなど、そんなに簡単なことではない。
私は、ただ、そんな人たちの思いをつなげに来ただけだと思う。伝えたい思いを胸にいっぱい秘めながら、なかなか言葉で表せない人たちが、まだ、互いの思いをつなげられずにいる。
いつかその思いが互いにつながりあった時、障害の重い人をとりまく状況は変わるにちがいない。
細い糸かもしれないが、また一つつながった。
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2008年9月4日 10時00分
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○○君の文章は、いきない「くやしいこと」から始まった。「くるまででかけたときのこと」「しんごうでとまっているとき」「うしろからいわれた」とのこと。さらに「でんしゃでこのまえむかいのひとにへんなめでみられました」と、言葉をたくさん重ねながら表現した。
彼が何を言いたいか、それは、ふつにこの社会の中を生きていれば、容易に察しのつくことだ。しかし、「つまらないことをいってもむだなのでうまくかわしました」というような表現もあり、○○君自身はそんなにめそめそしているわけではないように見える。それを伝え、それで、君はどう考えるのですかと尋ねてみた。すると、
ねがいはみんなによくわかってもらうことです。てもつかえないしきもちもひょうげんできないのでずいぶんごかいされるけどほんとうはなんでもわかっているのでふゆかいです。
と返ってくる。そこで、さらにその誤解のことについてお母さんから、電車の中で声を出していることや、口を手に入れることなどのことを指摘されたので、さらにその意味を尋ねてみると、
こえはなかなかとめられません。ゆびはかってにてがうごくのをとめるためですからしかたありません。かってにうごくのはなかなかとめられません。しせいをあんていさせるいみもあります。きいてもらえてうれしいです。
という返事。「奇声」とか「常同行動」などと不当に言われるこうした行動の意味を、きちんと解き明かしてくれた。そういうことを綴りながらも、彼の手は、時々私の髪の毛をぐっと握りしめてひっぱったり、指に爪が立ったりもする。これらも、私たちの距離が近いために、手が触れて起こっているにすぎないことを、私は迷いなく理解することができた。○○君たちが解かなければならない誤解は、単に、「文章を書ける力があるとは思えない」というものだけでなく、こうした、意図とは別に起こってしまう動きや体を安定させるために起こしている動きのために、なされている誤解をも含んでいることになる。こうした誤解は、そのまま差別と呼んでもよいものだ。だから、彼らの誤解とのたたかいは、そのまま差別とのたたかいでもある。
ここで、最近よくみんなに尋ねる数の問題について、彼にも聞いてみた。彼が自分で作って答えた問題は、
54−6=48 62÷2=31
そして、それについてのコメント、
けいさんはひとりでべんきょうした
すうがくもおしえてもらいたいといつもおもっている。
さらに、勉強への思いはあふれ出す。
うけられるのだったらだいがくだってうけたい。いまはむりかもしれないけどいつかかなうならうれしい。ゆめはいつももちつづけたい。いってみたいです。
いつか、彼にも、大学で話してもらいたいと思わず、提案した。「いってみたいです」は、そのことに対する答えだ。必ず、約束は果たさなければならない。
このあと、一緒に手をとってカチカチとスイッチの入力を繰り返す方法について尋ねてみた。
くうきのようです。(…)このほうほうはかんたんです。いい。とてもかんたんなやりかたです。
さらに、どうしてこんなに速いスピードでほとんど見て確かめたりしないで正確に綴れるか尋ねてみると、
じぶんのかんがえていることだからまちがうはずがありません
すぴいどがはやいほうがかんたんです。ことばをしぜんにはなすことにちかいからです。
というのが答えだった。実に論理的である。
彼からは、これからも多くのことを教えてもらえそうだ。そして、きっとそれは、私の中にいまだにこびりついている、様々な誤解や偏見を一つずつ取り除いてくれることだろう。
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2008年9月1日 00時19分
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