ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年08月22日(金)
福井での再会
 福井で出会った20代後半の女性○○さん。全身を弓なりにそらせていた彼女に最初に出会ったのはもう25年も前だ。まだ学校に上がる前だった。小学校の頃には福井市内の福祉センターを借りて3年くらい一泊の合宿をしたこともある。その後、福井にうかがう際には、場所やかたちを変え、お会いしてきた。しかし今回は3年ほど間が空いていた。彼女とはまだ、ワープロに挑戦したことはなかったが、今年会えるとわかると、今年は彼女の思いを聞いてみたいという思いが強くわき起こった。
 そして彼女と再会すると、さっそくパソコンを開いた。使ったスイッチはスライドスイッチ。まず名前を綴ってもらい仕組みを説明した。するとさっそく言葉が綴られていった。

よくいらっしゃいましたうれしいです このすいっちすてきですね ください 
てがつかえるとはおもいませんでした このすいっちがあればきもちをつたえることができる 
ふしぎです きもちがすらすらことばになっていきます
せんせいはどうしてわたしがことばをりかいしているとわかったのですか
のぞんでもわたしにはむりかとおもってきました
せっかくはなすことができるとわかったのだからいっぱいはなしたい
りそうはともだちといろいろなことをはなしあうことですずっとちいさいときからはなしをしたかったけど えられないことだとおもってきました でもすいっちがあればはなせることがわかってうれしいです

 そして、

つかれました

と綴られたので、休憩してまたやりますかと聞くと

はい

と返事がかえってきた。
 しばらく休憩したあと、再び文章が綴られていく。

せんせいはしばたというなまえでしたか
くるしかったけどせっかくはなしができたのだからこれからはつよくいきていきたい

 ここで、質問をした。ほとんど耳を使って綴っているように見えるのだが、どこまで文ができあがっているかを確認しているようには見えない。それが、まわりには不思議なことと映るので、そのことについて聞いてみた。すると、

かんがえていることだからむずかしいことはありません

とのこと。そこで、さらにいつ字を覚えたのかと尋ねてみた。答えは、
  
がっこうでほかのともだちがやっているのをみておぼえました

というものだった。ここで、おかあさんにメッセージはないかと促した。そうして以下の文章が綴られた。
 
おかあさんいつもありがとうございます
からだがうごかないためにいちばんなんでもできるじだいをわたしのことばかりにいそがしくて
じぶんのことはなんにもできず ごめんなさい
(…)
ねがいはみんなとしんじあっていきていくことです
きぼうがわいてきました
これからのじんせいをのぞみをたいせつにいきていきたいとおもいます
くるしいこともあるかもしれないけどわたしのじんせいだからいっしょうけんめいいきていきたいです
てがつかえてとてもうれしいです
すてきなじかんをありがとうございました

 あまりにも自然に流れた時間に、私と彼女の間に流れた長い歳月のことを忘れてしまいそうだった。彼女は、きっと明日からでも語りたいと思っているだろう。残念ながら、そこまでの環境を整えることはできていない。それは、大きな大きな課題であるが、いつか絶対に越えていかなければならない。
2008年8月22日 17時31分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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魂と魂が対峙する光景
 ○○君の文章を綴る姿をぜひ見てみたいということで以前関わりの場にいらしてくださった先生に、学校へお招きを受けた。その学校は、彼が小学生の時代を過ごした学校である。お待ちいただいた先生の中には、すでの引退されていながら、○○君とは、ずっと関わりを持たれている著名な☆☆先生をはじめとして、幾人かの先生が待っておられた。
 ☆☆先生は、すでに故人となった私の先生と大学時代に同期であり、また、こちらも故人となられた私の大先輩の札幌の先生とも縁の深い先生である。この日、この場所に私がいることは、偶然でもあるし、また、そのつながりに導かれてということもあるかもしれない。本来なら、もっと以前に先生方の生前にお会いできていればとの思いも強かったが、やはり時は熟さなければならなかったのだろう。
 ○○君は、かつての先生方の前で、喜びに満ちた表情で綴り始めた。その表情は、大切な方々に自分のことをわかってもらえる喜びに満ちているように私には思えた。

☆☆せんせいしばたせんせいおあいできてうれしいです
かみさまのみちびきがあってきょうのひがおとずれたことをとてもかんしゃしています
くるしみのひびがきぼうのひびにかわってこのひびをしんじつのものとしてくぐりぬけていくことができます
すばらしいみらいがうつくしいえまきとしいかのようにひろがっています
きのうまでのくるしみはみんなうそのようにおわりとほうもないねがいとのぞみがせかいにみちあふれています
みらいもきっとすばらしいことでしょう
りかいしてもらえてほんとうにありがたいとおもいます
☆☆せんせいけんこうにはくれぐれもおきをつけください。

 どのくらい時間が経過したのだろうか。彼は一気にこれだけの文章を書き終えた。「すばらしい未来が美しい絵巻と詩歌のように」という表現など、ただただ驚くばかりだったが、これも、彼が、この日に備えてじっくりと紡ぎ出した言葉にちがいない。
 この後、☆☆先生が、いつものようにとおっしゃって、聖書の一節を彼に向かって、自然に語りかけた。彼は本物にしか耳を傾けないということで、小学生の時からこういう時間を作ってこられたとのことだ。その光景は、私の心を激しく揺さぶるものだった。先生は、彼が言葉を表現するずっと以前から、こんなふうにして、真っ正面から彼と対峙しておられたのだ。私は、ようやく、通訳者として子供にそばに立つことができるところまで来たにすぎず、とうてい対峙する域には達しえていないことが、自然に理解された。そう言えば、亡くなった私の先生は、よく「魂と魂の出会い」ということをおっしゃっていたが、その言葉が思い出された。
 この日、☆☆先生がお選びになったのは、ご自身が病床にあった時、繰り返し読んだ一節だとのこと。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」というような人間の肉体と魂との関係についてのことが語られていった。☆☆先生の魂から発せられる言葉が、○○君の魂によって確実に受け止められていくという厳粛な光景。
 今、私は、「通訳」に忙しい。それは私の目下の使命でもある。しかし、いつか私も、相手と本当に対峙することのできるところまでたどり着きたいと夢想した。
2008年8月22日 16時59分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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「苦悩は腕の中で砕けちっていった」―「地下にいた」少年の闘い
 もう数年前のことになるが、ある研修会で報告をしたあと、うちの学校に来てもらえないかと声をかけられた。そこで私は、不遜な申し出をした。見学して意見を言う授業研究だったら私にはそんな力はないので、具体的に子供に関わらせていただきたいと。そして、そのことが実現した。その中で○○君と出会う。担任の先生が私との関わりを希望したとのことだった。このお子さんが言葉をわかっているかどうか私にはよくわからないが、お母さんがそうおっしゃることと、一度だけそれを感じたことがあるということで、まず、ひらがなの学習をひたすら伝えるかたちでやっていることを見せていただいた。私だって、本当に彼がわかってるのかなど判断する根拠はなかなか見いだせない。ただ、その先生の熱意とわかりにくいけれども集中していることをうかがわせる彼の態度だけがその可能性を伝えてきた。そして、2度目の関わり合いで、彼の言葉をパソコンによって引き出すことができた。「おかあさんすき」というわずか7文字ではあるが、大きな一歩を踏み出すことができた。そこから家庭では、口頭で「あ、か、さ、た、な」と聞いていって、わずかな返事を読み取って行をしぼりこみ、さらにその行の文字をしぼりこむという方法での表現方法の追求が始まり、学校では、彼の力を信じて、学習の内容は、どんどんと複雑なものへと発展していった。その後、いろいろな経緯があって、保護者主催の自主的な学習グループとして大勢の生徒さんと出会う場所へと発展していって、今日にいたっている。
 彼はいろいろな意味でパイオニアであり、こうした動きを先導していったのは、まさしく彼の強い思いだった。しかし、大勢の人数なので、今回久しぶりに会ったのは、8ヶ月ぶりだった。
 そして、読み取りの方法が最近かわったことを伝えて、関わり合いが始まった。するとさっそく、

しばたせんせいすごいね くぐりぬけたんだね

と返ってくる。この日、全文で860文字を越えるものとなったが、最初の数文字で、彼は、新しい方法を理解してくれたのだ。彼は、なんと言っても力強さがその信条だ。

くるしかったけどねがいがかなってうれしいとおもう せっかくだからげんきにはなしたいとおもう

と前置きして、文章が綴られていく。

(…)くるしいときにはくなんのときをおもいだしてきもちをたてなおしている
いつもうらやんでいたおとうとのことをうらやむだけではなくげんめつしていた
しかしことばをはなせるようになってからおれのいきかたはかわっていき つよいきもちできをつかうことができるようになった
くのうは うでのなかでくだけちっていった
げんめつはきぼうへとかわっていった
すうがくのべんきょうやりかのべんきょうはなかなかやってもらえないけどつとめていおうとしてきた
えらぶことはむずかしいけれどいままでよりもずっとましなのでがんばるつもりだ
くなんのときをおもいだしながらきぶんをなおしながらがんばっている

 新しいスイッチ操作の方法については、

きもちがいいくらいすらすらとことばになっていくのでおどろいた いいほうほうにきがついたねせんせい
ふしぎでたまらないどうしてよみとれるのか
と書き、さらに
(…)ねがいはだれでもできるようになることだ
ずっとねがってきたけどなかなかかなわないでくやしい
うちでもできればいいけどとてもかないそうになくてざんねんでたまらない ついそうおもってしまう くつうではないけどくやしい(…)

と書いた。そして、前半はスライド式のスイッチと後半はプッシュ式のスイッチ(ビッグスイッチ)でやってみたのだが、プッシュ式のスイッチについて、
 
このすいっちのほうがかんたんです
ふしぎだどうしてわかるのか
ちからをいれるまえにつたわるのはどうして

と尋ねられたので、運動を実際に起こす前の準備のために加えられたわずかな力を読み取ることにしたことと、実際に運動を起こすといろいろなハンディがそれぞれの障害の状況に応じて起こるけれども、準備のところでは、みんなハンディがほとんどないということを伝えた。
 省略したところには、なかなかわかってもらえない悔しさも言葉を変えて繰り返し綴られていた。
 彼は、かつて、自分の理解されない状況を「ちかにいた」と表現したことがある。そして、別のともだちがようやく文章表現にたどり着いた時には、

☆☆☆さんのわかっていることをせんせいたちにりかいしてもらえてよかった。りかいしなければやきをいれてやるところだった。はずかしいとおもうべきだ。いままでかかるなんておそすぎたけどきづかれないよりはよかった。いがいせいこそのうりょくのひとつだとしるべきだ。ざのさめないうちにくもんにみちたときをよろこびのときにかえてしまおう。かこのくのうをみらいのかんきにたかめよう。

と書いたことがある。彼はその強い意志で、たくさんの現実を動かしてきた。もちろんまだまだ彼の納得する状況にあるわけではない。しかし、彼は、間違いなく、これからも、「ちかにいた」数多くの存在を世の中に認めさせていくたたかいの先頭に立っていくことだろう。
2008年8月22日 10時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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