ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年09月07日(日)
二編の詩
 今日、すてきな2編の詩が届いた。○○君の表現手段は、支えられての手がきだが、先日の関わりあいで2編の詩を書き出した。
 いつもなら、そのまま受け取るところだが、今回は、意見を求められたので、率直にいくつかの意見を述べた。これだけ立ち入った意見を言ったのは初めてかもしれない。ただ、あくまで私の言葉が詩の中に入ってしまうことは慎重に避けて意見を述べた。
 私に詩の素養があるわけではない。ただ、青年学級で歌を作り続けてきたことを便りにしながらの意見である。
 だが、彼は真剣に受け止めてくれた。そして、その場で何度か遂行を重ねたけれども、もう一度家で考えてくるからということだった。
 そうやって届けられた詩は、2編目が、最後の1ページが抜けていたので、まだ、完成形ではないが、あまりにもすてきなので、紹介することにした。

   雨ふりの朝

ぼくがおきると母は長そでをもってきた
「今日は雨でさむいの」
やさしくわらった
ぼくはえがおにつられて笑った
みそ汁のにおいと玉子焼きのにおい
とうめいのグラスがカチカチなった
やさしい時間が今ある
あたりまえの時間がある
それなのにぼくは早く早くとわがままいって
母をあわてさせた
二人だけの朝


   にじが出た日

ぼくはおばさんと車イスに乗って出かけた
母でない人と出かけたのは初めてだ。
ぼくが草や花が好きなことに気ずいて声をかける。
「君はみどりの好きな子ですか。私も大好き。」
おばさんの声ははずんでいた。
「いいえ、ぼくは母さんの好きな草や花が好きなんです。」
こころの中でつぶやいた。
おばさんはしらないだろうな、
花の中に母が笑い、
草の中に母が泣いていることを。
ゆっくりと頭を上げると
にじが見えた
2008年9月7日 01時05分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩2 |
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「いつかうちをでるひがくるときには…」 高3の少女の思い
 2003年秋から、パソコンで少しずつ文章を書くようになり、ほどなく、お母さんと家でも綴れるようになった☆☆さん。私たちとの関わり合いの場では、この2年ほどは、必ず、○○君とパソコンで会話をしてきた。何よりも二人はこの会話を楽しみにしていたので、二人に任せて、いつのまにか時間が流れてきた。
 だが、半年くらい前からだろうか、あまり、家でパソコンを開くことを喜ばなくなってきたとお母さんがおっしゃり始めた。たいていのことならば通じるし、わざわざ言葉でなくてもということらしいとお母さんはおっしゃった。
 高等部3年を迎え、いよいよ学校生活も残り少なくなってきて、きっと様々な思いをかかえているのだろうにと、二人のやりとりを見ながら、なかなか彼女の世界に踏み込んでいけなかったというのが実際だ。
 7月、この関わりの会で、小さな研修会を開き、みんなが通っている養護学校の大先輩の話を聞くことができた。もう40を過ぎた先輩は、卒業してからの様々なドラマを語ってくれたが、それは、少なからず、☆☆さんに影響を与えるに違いないと思っていたが、そのことをきっかけに、少しずつ彼女は家でもパソコンに向かう時間が増えてきた。
 そして、次のような彼女の思いが表現された文章が、ファックスで届けられた。
 
「私、いろんな人と関わって豊かに生きたい。からだがきついときもあるけれどわたしらしくいきたい!」(これは2月1日)
「◇◇さん(大先輩)のように、がんばって夢をかなえよう。」(8月1日)
「私の夢はみんなと旅行に行ったり、なんでもないことで笑いあっていたい!!▽▽では、メンバーの人たちとたくさんおしゃべりしたい。××ではいろんな人に元気と笑顔をたくさんわけてあげたいと思う!」(8月6日)

 そして、今日、○○君との会話の合間に、速く綴れる方法として、最近私がやっている方法を紹介した。何か、気持ちを引き出せるのではないかと考えたからである。
 まず、この方法への感想については、
「このほうほうをやってみたい どうしてわかるの じぶんでかんがえただけで じがかけるのがすごい ふしぎなきもちです」
と書き、あとは思いを一気に綴った。
「ねがいはがっこうのせんせいにわかってもらうことです どうでもいいようなことはりかいしてもらえるけどほんとうにだいじなことはわかってもらえない (だいじなこととは)じぶんのゆめやたいせつなきもちです ただのうけみのじんせいはいやです ふこうにおもっているわけではないけどちゃんとしたじんせいをいきたい うちではだいじにされてしあわせだけど いつかうちをでるひがくるときにはつねにまえをむきいきていきたい」
 社会人になる日が少しずつ近づいていく中で、やはり懸命に、彼女は自分の人生と向かい合おうしていた。しっかりと彼女の思いに向かい合っていかなければならないことを、改めて感じた。
2008年9月7日 00時33分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉1 |
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