ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年10月26日(日)
盲聾の少女と
 都内の研究所で盲聾の○○さんと関わった。担当の先生が所用で来れなかったので代役としてである。学校では、小学校からずっと彼女の学習を担当してきた先生の努力で、すでに2けたの数の足し算の筆算までこなしている。しかし、ここのところ研究所での学習はなかなかうまくいかない。そんな彼女と何を学習するのか。彼女の教育のプロセスは、日本の盲聾教育の未来に深く関わると勝手に考えて毎回横で見ていることにしているので、それなりに、試してみたいことはあった。
 最近の様子から思っていたことは、単語の整理である。指文字や点字を自由に読めるようになった彼女には、これからどんどん単語を増やしていく必要があるが、そのためには、日常生活の流れの中での指文字による単語の受信だけでは限界がある。やはり、あらためて、単語間の関係がカテゴリーなどによって整理された状態で、学ばれる必要があるだろう。
 彼女と学習するのは12月以来のこととなる。12月には、「あなたの名前は何ですか」と大胆に質問したら、リベットの点字できちんと名前を書くということがあった。ようやく発信が生まれ始めた頃で、この質問に彼女が答えられるかどうか、賭けではあったが、子どもはつねに私たちの想定を超えた力を持っているということをいやというほど思い知らされている私は、ある無謀とも言える信頼を持っていた。密かに、これはヘレンケラーの「WARTER」のエピソードにすら匹敵するものだと思って、その瞬間に立ち会えたことを喜びとともに感謝した。それからもうすぐ一年になる。
 6年生だった彼女は様々な葛藤を克服して中学部にあがった。そして、ようやく落ち着いてきた頃に、突然母親の入院という事態にも直面し、しかし、周囲の心配をよそに、立派に留守番をなしとげた。退院した母の顔をずっと笑顔でなでまわしていたという美しいエピソードとともに。
 そうやって着実に進歩している彼女に、簡単すぎるかもしれないが、次のような点字を準備した。
 
あたま・かみのけ・まゆげ・め・はな・ほほ・はな・みみ・くち・は・した・あご・くび
て・かた・うで・ひじ・てくび・てのひら・ゆび・つめ
おやゆび・ひとさしゆび・なかゆび・くすりゆび・こゆび

 体の部分の名前である。このうち大半はすでに彼女は日常生活の中で学校の先生が送り続けた指文字を通して知っているだろう。しかし、これをあえて、いささか細部にこだわりながら並べてみることで、物の名前を生活の文脈から切り離し、いささか対象化したかたちで並べることで、カテゴリー的な名前の把握へと発展する足がかりとしたいと考えたのである。
 実際に取り組んでみると、実に彼女は集中していた。左手で私の指文字を受け点字をさわり、さらに、私の体の対応する部位をさわるということを、どんどん続けていく。それを続けていると、部位によってさわり方を区別していることがわかる。耳は耳たぶをはじくように、まゆげはこするようになど、触覚的に身体部位を区別するということの意味がよく伝わってきた。
 そして、彼女が非常に喜んだのは、歯と舌だった。私の歯や舌をさわると、にやっとして、手をひっこめすかさず手をずぼんでさっとふく。そんな風にしながら、頭部の部位や腕の部位を確かめていった。
 「しばたのみみ」「○○のみみ」といった所有の言い方などにも発展させた。今までになく、私は自分の名前を彼女に発信したことになる。
 残念ながら、彼女自身は、発信をする右手を、いっさい動かさない。数の学習では、どんどん発信されてくる右手は、今日は不動の右手だった。おそらく、名前を受信することに集中していたのだろう。
 あっという間に、時間が過ぎていった。
 こうしたことの積み重ねがいつか彼女の中に豊かな言葉の世界をかたちづくっていくことを願う。 
2008年10月26日 21時46分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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りかいしてみせます
 歩くこともでき、日常生活の動作もかなり自分でこなせるけれども、限られた言葉しか発声できない○○君に、2スイッチワープロを試みて、数ヶ月が過ぎた。もっと体の動きに困難を感じている方々に行っている援助をすれば、すらすらと文章を綴れるのだが、彼は、前に、自分でやれるようになりたいときっぱりと宣言しているので、今、私の課題はどうやったら彼が独力でワープロを操作できるようにしてあげられるかということである。
 彼の運動をめぐる困難は、2スイッチワープロをやってみて、初めて明らかになった。スライドスイッチやプッシュスイッチを一回だけオンオフするだけだったら、それほど困難はない。しかし、繰り返しリズミカルにそれを行い、しかもあるタイミングでもう一つのスイッチをオンするとなると、急に大変になる。
 楽なスイッチを探すのはこれからだが、2スイッチワープロのプログラムを、少し変えてみることにした。行や段を進めて行くスイッチを、これまでは、一回ごとにオンしていたのを、一回オンすると、オフにするまでは行や段が進んで行くようにしたのである。
 思いついてプログラムを改良したのは、前夜のこと。やっつけ仕事もいいところだった。
 ○○君と会うと、さっそくこの改良型の2スイッチワープロを試してみた。すると、少なくとも送るほうのスイッチに関しては、独力でやることができた。残された課題は、決定の方のスイッチの操作をいかに独力でやるかということだが、工夫次第で何とかなりそうに思えた。
 そんなふうにして、彼が、独力で綴った文は、以下のようなものだった。

りかいしてみせます
すてきなひとになりたい
うすいきほ

 ここで、時間も迫ってきたので、たくさん援助する方法で改めて続きを書いてもらった。すると以下のように続いた。

うすいきぼうでもよいから

 もっと先がありそうだったが、やさしい彼は、次の仲間にゆずることの方を大事にした。
 短い言葉の中に、強い意志と、リアルな現実を見すえるまなざしを感じた。
2008年10月26日 01時26分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月22日(水)
苦しい時にいつも言葉を思い浮かべているのでわかります
 土曜日、新しい中学生の少年と出会った。これまで、お母さんがコミュニケーションの様々な工夫をして、カードの選択などによって、意思表示ができるようになってきたとのことだった。
 表情や視線から、いきなり2スイッチワープロに挑戦したが、難なく使い方をマスターして、綴り始めた。まずは、名前と「おかあさん」から。

○○○(名前)おかあさん


 これまで、いろいろな試みをしてきたお母さんだからこそなのだが、選択課題などの実感では、ひらがなはまだむずかしいのではないかと感じておられたお母さんは、「まだ、文字はこれからゆっくりなんですけど」とおっしゃったので、本人に聞いてみた。その答えは、次のようなもの。

しっていますちいさいときにおかあさんがおしえてくれました

 さらに文章は続く。
 
ねがってきました
おかあさん ずっとわかってました
なかなかきかいがなかった
すいっちがかるくていい
すごくうれしいかんげきです
このすいっがほしいです
ふしぎです だれからもことばがわかるとはおもってもらえなかったのにせんせいはわかったのですか

 多くの方から尋ねられてきた問いだった。私だってわからなかったこと、大勢の障害の重い方々との出会いが私を変えていったことをいつものように、説明した。

すごいね
しんじてもらえてうれしいです

 何とか、お母さんに実感してもらいたかったので、生活へと話題を移し、好きなことは?と質問した。

すきなものはしいでぃをきくことです
くるしいときおんがくをきくときもちがはれます
ねがいはせかいのいろいろなおんがくをきくことです

 お母さんは、首をかしげた。お母さんの理解では、彼の好きなことは電車に乗ることだったからだ。
 彼は、いくつか、発声がある。「いや」「はやく」「はい」などだが、ワープロで文字を綴りながら、時折、「いや」という声がする。とりようによっては、無理強いしているようにも見えかねないので、これも聞いてみた。すると答えは、次のように返ってきた。

こえはこまったときにでます

 確かに、うまく選択できなかったりした時に出ていた。
 そして、さらに気持ちの吐露が続いた。

きもちをうまくあらわしたいとおもいますがなかなかうまくいきません
このすいっちがあればきもちをつたえることができる
とてもできないとおもってきたけどやっとすいっちがみつかってとてもうれしいです

 ここで、「つかれました」と書いたのでいったん終えた。そして、お母さんといろいろなやりとりをしていたのを聞いていたので、もう一度、最後に一言あったらと誘うと、次のような文章が綴られた。

くるしいときにいつもことばをおもいうかべているのでことばはよくわかります
べんきょうしてこなかったけどじぶんでべんきょうしてきたのでわかります

 これまでの努力なさってきた経過があるだけに、お母さんにとってはにわかには信じがたいようだった。ただ、なかなか一つのことを持続しづらいと言われているそうで、1時間以上もスイッチから手を離すことなく集中していたことを、とても驚いておられた。
 次回が、お母さんとのやりとりもとても楽しみだ。
 
2008年10月22日 00時58分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月21日(火)
てをつかえないきもちがわかってもらいたかった
 都内の特別支援学校にうかがった。午前中だけの短い日程だが、3人のお子さんとゆっくり関わることができた。ここでは、その中の一人の中学生の女の子について紹介したい。
 この学校では、何人かの子どもたちの秘められた言葉の世界のことが明らかになって、主として手書きの援助によって子どもたちとのコミュニケーションが非常に豊かにとれるようになった。そして、授業は劇的に変化した。夏に、研究会の発表で、えら呼吸の話までする内容になったという話もうかがった。
 そのような中で、先生たちから言葉の可能性を感じるので挑戦してほしいと言われて関わった生徒さんなので、私としてはその先生方の感性に身を委ねるだけでよかった。だから、迷わずワープロに挑んだ。
 そして、お母さんが懸命に見守られる中で、すぐに文章が綴られ始めた。

おかあさんいつもありがとう
しあわせです
○○○のことをいつもかわいがってくれてかんしゃしています
これからもよろしくおねがいします
よろこびでむねがいっぱいです
てがつかえてうれしい
ねがっていました じぶんではなしができるようになることを
このすいっちすてきですね
すらすらとかける
ふしぎです きもちのとおりにじがかけていくので

 ここで、どうして文字がわかるのと尋ねてみた。すると、

ちいさいときにかあさんがおしえてくれました

と答えが返ってきた。
 彼女のこういう言葉を見ながら涙ぐんでおられたお母さんが幼少期のことを話された。話し始めて1ヶ月の間、よくしゃべっていたのだが、その時期におふろで50音表を見せていたというのである。そして、突然、彼女は話すことができなくなってしまい、表を見せるのもいつかやんでしまったそうだ。短いやりとりだったがそこにはお母さんのかつての無念の思いがにじんでいた。

ことばがなかなかはなせなくなってからとまどっていましたけれどずっとじのべんきょうはしてきたのでこのぐらいはかんたんです

 いったん覚えてしまえば、日々、文字の学習は続く。なぜなら日本にいる限り、周りに文字はあふれているのだから。だから「これぐらいはかんたん」なのだそうだ。おそらく、障害者用に開発された様々な機器やソフトの存在も知っていたのだろう。スイッチに関する「すてき」という指摘も、いろいろなスイッチを経験してきたことが背景にありそうだ。
 さらに、

それにせんせいがたのしくてほんとうにおもしろいです

という言葉が付け加えられた。これは、私がいつも、相手に対して、あなたが言葉を理解していることを私はわかっているつもりだということを伝えるために、いろいろなことを直接語りかけていること、そして、それが普通たわいもない冗談のかたちをとることが多いから、述べられたものだろう。こんなふうに言われると、子どものようにうれしくなってしまう。

てをつかえないきもちがわかってもらいたかったけどわかってもらえてうれしいです

 これがこの日の最後の文だが、6文字目から8文字目までの3文字は、お母さんにスイッチの援助を代わってもらって書けたものである。初めての援助で、わからないことだらけだったのだろうけど、見事に読み取ることがおできになっていた。しかも、選択の際に、彼女と表情でもやりとりしておられたので確実さはいっそう増した。懸命に取り組まれる姿に、想像とはいえ、言葉を失ってからこれまでの日のお母さんの思いがおのずと重なり合ってきて、深く胸をうたれた。
2008年10月21日 13時10分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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3人の成人の方と
 妻が参加している埼玉県内のグループがある。私はいつもスケジュールがあわず、うかがえないのだが、今回はたまたま参加でき、3人の方に関わった。

 最初の方は、24歳の女性だった。このグループ自体への参加がまだ日が浅く、2スイッチワープロに挑戦するのは初めてとのことだったが、思いほか、スムーズに言葉が綴られていった。
 まず自分の名前を練習として書き、スイッチのことに触れたあと、さっそく気持ちが表現され始めた。母への感謝の思い、なかなか理解されなかったこれまでの日々のこと、しかし、今が幸せであることが語られた。
 これまでの、いろいろな方々の言葉と通じ合う内容も多く、この言葉を24年間の沈黙の末に綴ったことの重みをうまく伝えるのは、むずかしいかもしれない。しかし、息を詰めたような時間の流れの中で、ただただ驚いて見守るお母さんを前に、懸命に思いを伝えることの重さは、一言では言い表せないものがある。

すいっちがかるくてやりやすい
おかあさんさんざんめいわくかけてごめんなさい
なかなかいえずにいたけどやっといえた
かみさまくるしかったけどこれでねんがんがかないましてうれしいです
りそうはふたんをかけないでいきていくことです
しんじてくださってありがとうございます
さんざんごかいされてきましたがやっとわかってもらえてほっとしていますおかあさんいままでほんとうにありがとうございました
そのことばをずっといいたかった
うまれてくることができてほんとうによかったです
どんなにからだをつかうことができなくてもほんとうにしあわせです
ねがいはみんながずっとなかよくくらすことです
ありがとうございました
またよろしくおねがいします

 二人目の方は、20代の小柄な男性だ。以前一度会ったことがある。茶目っ気あふれる方なので、まだ、少年のようでもあるが、大人としての文章が綴られた。すでに何度も2スイッチワープロには挑戦しているが、なかなかスイッチの介助がむずかしく、長い文章にならないとのことだったが、今回は、長い文章を綴ることができた。
 最初は、まずあいさつから始まり、いつもとは違うスイッチの介助の方法に話題が及んだ。

ひさしぶりです
なんねんぶりでしょう
たいけんしたことのないかんかくです
とてもかのうせいをかんじます
どうやっているのですか
おしえてくださいなぜわかるのですかふしぎです
おもっただけでじになっていきます

 ここで、ふだん仕事をしているお母さんから、仕事で忙しくて関われないことについてどう思っているのかという質問があった。それに対して彼はこう答えた。

しかたないとおもっています
だってしごとなんだからどうしようもないでしょう
かあさんのためにはそのほうがいいとおもいます
きっといつもきにかけてくれているのはわかってるからぼくはだいじょうぶです
とうさんもそうだとおもいます
しんじているのだからだいじょうぶです

 この後、ご両親の仕事の内容にふれながら

とうさんがなまえがゆうめいになればぼくもうれしい
せかいいちになってほしい
 
と述べた。
 おかあさんは、きっと翌日から安心して仕事に向かわれたことだろう。
 
 時間が思わず経過して、もう一人の方と関わる時間がわずかになってしまったが、チャレンジした。30を過ぎたばかりの男性だが、相手の心を洗うような笑顔をもった方だ。「線路は続くよどこまでも」の歌が好きで、以前彼のためにその歌が流れるソフトを作ったこともある方だ。「テープ」という言葉で、歌をリクエストした。それを聞いたあと、2スイッチワープロに挑戦した。

うたすき
おかあさんすき
かけてうれしい

という言葉が綴られた。彼の場合、今、言葉として発せられている単語と、選ばれている言葉との対応が、私たちにはわかりにくいところがある。だから、まるで私たちが勝手に文字を選択しているようでもある。だが、「ん」を選ぶとき、確かに彼は、「ん」と発声した。発声とワープロの選択の表面的なずれは、別の方でも起こっていることだ。文字の選択が進む事の中で、いつか、この意味も明らかにされていくことだろう。
2008年10月21日 09時26分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月19日(日)
☆☆さんの映画デビュー
 すでに撮影は終わって、完成を待つばかりの映画「ぼくはうみがみたくなりました」に、出演した☆☆さんが久しぶりにやってきた。それまで、いろいろ悩みを綴っていた、1歳年下の○○君は、話を切り上げ、☆☆さんとのとの会話に移った。なお、いつも文字盤で話をする○○君は、この日、久しぶりにパソコンで話をしていた。私がだいぶスイッチの補助が速くなったので、試してみたら、なかなかいい感じだったからである。☆☆さんは、今年の3月、高等部を卒業し、○○君は現在高等部3年生。もう10年以上前からの友人である。
 ○○君は、☆☆さんが現れると、自分の文章はとりあえず終了して、☆☆さんに質問を投げかけた。2台のパソコンを駆使しての会話である。

「☆☆ちゃんひさしぶりだね えいがはどうでしたかすごいね のんちゃんのきもちはひょうげんできたの (私が物語だったんだよと説明)さくひんだったのか それならしかたないね でもでられてよかったね もうとりおわったの」
「かんどうしました」
「かんどうできてよかったね」
「えいがではしおりのやくをしました とてもむずかしいやくでした ねえさんの××さんがとてもかわいかったよ」(本当は☆☆さんがねえさん役でした。)
「ねえさんやくのこはどこのひとですか」
「ほかのひとはみんなはいゆうでした」
「じょゆうさんだったのか」
「すごくきんちょうしましたがかんどうしました」
「すごいね めぐりあえてよかったね ついてるね ふかいてーまのえいがですか」
「ふかいてーまでしたよ ☆☆もかんどうしました じへいしょうのしょうねんがおじいさんのためにがんばったところにかんどうしました」
「こんどしょうせつをよみたいです わかりやすいはなしですか」
「そうおもいます すばらしいものがたりです」
 ここで、○○君は、表現手段を文字盤に変えた。正確な彼の言葉が手元にないが、おおよその内容を記すことにしよう。
「よかったね」
「はい よかったです」
「えいがにでてゆうめいになったからといってぼくをむししたりしないでね」
「むししたりしないわよ」
「また、いっしょにでーとしよう」
「はい またいっしょにでーとしましょう」
「こんど おかあさんがぼくにないしょでいっているれすとらんにいこう」
「そうしましょう たんじょうびはじゅういちがつじゅうろくにちです ☆☆はこんどじゅうくになります はたちももうすぐです」

 ここで会話は終了。○○君は先に家に向かった。そのあと、☆☆さんは、最近の速い援助方法をめぐって次のような文章を綴った。

 これすごいやりかたですね すいっちがかるくてらくです もっとゆっくりだったのにびっくりしました このやりかたをみんなができるようになるといいね むずかしいのですか このやりかたをみんなができるようになったらすばらしいですね きたいしています ねがいはみんながなんでもはなしあえるようになることです たくさんのひとがはなせるようになるといいね すばらしいことばをじゆうにつかえることは ずっとねがっていたことです ねがいがかなってうれしいです 
 
 そして、さらに、将来のことへと話はふくらんでいった。

けっこんのことがしんぱいです ねがいがののはなのようにはなひらくことをのぞんでいます でもなかなかむずかしいとおもいますがゆめだけはすてずにいきたいとねがっています ほんとうはねがいがかなわなくてもいいからこいがしたいです すてきなだんせいとめぐりあいたいです ねがいはうつくしいじょせいになることです ねがっています 

 そして、再び、スイッチのことへ。

すばらしいすいっちですね かるくてらくです とてもいいきもちです きもちをひょうげんしたいとずっとねがってきたのでうれしいです ふだんからねがってきました ほんとうのことはわからないのですがねがいはたいせつにしたいです ふだんすばらしいひとたちのなかにいないでわかってもらえなくてもったいないです ねがいはひとりでもおおくのひとにりかいしてもらうことです

 4月に卒業して、社会人になり、映画への出演などを経て、いちだんと大人になった☆☆さんがいる。



2008年10月19日 02時08分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月17日(金)
言葉が研ぎ澄まされてくるのは当たり前のことなのです
 以前、「美しい諦念」という言葉を語った中学生の少年は、こんなことを語った。今回は、漢字まじりの文章として紹介することにする。

「幸せが希有なのでこの世界ではまちがって受け止められていてせっかくの言葉が言葉として効能書きのように受け止められてしまい残念です。せめて言葉がどうやって書かれたのか知ってもらえたらいいと思う。
 元気な子どもは言葉を知ってからずっとしゃべり続けてきたけれど僕たちはけっして何もするわけでもなくただじっと言葉だけを使って生きてきた。しかも一度もその言葉を誰にも話さずに生きてきたので、ノンフィクションのドラマのような世界を過ごしてきた。だから、言葉が研ぎ澄まされてくるのは当たり前のことなのです。いちばん素晴らしいのは芸術家のようにたくさんの人に感動を与えることです。もっと自分のことをちゃんと理解していろいろな人たちにちゃんと伝えられるようになりたいと思う。でも自分の足で神様の言葉を確かめることができればいいと思っています。すばらしいのは、つらくても言葉があることです。言葉があれば話すことができなくても理解してくれればずいぶんと楽です。気持ちは伝えられなくてもたくさんの気持ちの入っている言葉を伝えてくれればそれを考えて一日を過ごすことができます。言葉こそ、ぼくたちにとって必要なものなのです。」

 小学校時代、聖書の言葉を聞くのをことのほか喜んだという彼は、まさに、こうして一つ一つの言葉をかみしめながら生きてきたのである。
 そして、彼は、次のような希望を語った。

「提案があります。この文章を手紙にして本を出している会社に送ってもらえませんか。発表したいですが、何とかなりませんか。」

 そして、さらに、スイッチ操作については、次のようにつけくわえた。

「スイッチが軽くて不思議です。もっととてもゆっくりだったのにどうしたのですか。言葉の速さに近づくので楽です。もっと速くても大丈夫です。」

 
2008年10月17日 10時05分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月15日(水)
舞い降りた詩人
 通常学級で学び、ゆっくりとであれば話すこともできる小6の女の子が、最近、2スイッチワープロで、たくさん語るようになった。今回も、ひとしきり、いろいろな話をしたあと、学校のプリントに話が及び、算数の速度の問題や社会の江戸時代のことなどを一緒に解いていった。口述による筆記で、実力そのものをプリントに反映させるのは、けっこうむずかしそうだったが、実際に2スイッチワープロで語ってもらうと、スムーズに理解していることが語られ、よくわかっていることが伝わってきた。
 そこで、次に国語のプリントをやった。そこには短歌や俳句が書いてある。プリントの設問は、字句を問うものがほとんどなので、いきなり説明を求めた。最初にのっていたのは、志貴皇子の有名な短歌、
「石(いわ)ばしる、垂水の上の、さわらびの、萌え出づる春になりにけるかも」だったが、彼女は、こう説明した。「はるになってわらびがはえてきた ぼくのこころにもはるがきた」。簡単な説明だが、後半が目をひいた。そして、それぞれの俳句や短歌に次々と気の利いた説明文がつけられていく。
「古池や蛙飛びこむ水の音」には、「ちいさないけでかえるがしずかにとびこんでとてもしずかさがふかまった」、「妹を泣かして上がる絵双六」には、「しょうがつにきょうだいですごろくをやっているといもうとがいつもまけてないてしまったようすをなつかしんでいる」、「卒業の兄と来てゐる堤かな」には、「そつぎょうのひにむかしきょうだいとあそんだつつみにきてなつかしんでいる」、最後に、「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」については、「なにかかなしいことがあってゆうがたさんぽをしていたらゆうやけがうつくしくていちょうのはっぱがとりのかたちをしてちっていくのをみてはげまされた」と、それぞれ短くても、その短歌や俳句にこめられた作者の感情が的確に表現されている。そこで、詩とはどういうものだと思っていますかと聞いたら、「なにかできもちがしずんでいたりうれしいときになにかをみたりきいたりしてこころがゆさぶられたときにつくられるものです」と返ってきた。これはきっと詩を作ったことがあるのだろうと思って聞くと「ある」という。じゃあ、作った作品を書いてみてと頼んだところ、驚くべき作品が書かれたのだ。全文ひらがなだが、漢字をあてて記しておこう。


すばらしい野良犬もねぐらに帰る夕暮れ時
静かに蝉が鳴いている
蝉の声の抜け殻に
一人暮れゆくその声の向こうに
秋が鳴いている
うちに帰る子どもたちの中から同じ匂いがして
得れない夢が消えていく
でもそこにはただ暮れてゆく姿のままの苦しみがあるだけ
すべて死を忘れた願いが明日を夢見ている
すべて罪を逃れられないとしても
美しい願いが輝いている
鳶の鳴き声に心が洗われ
すべてをゆるすばかりに羽を広げて
望みを捨てないことを誓った


 一文字ずつワープロの画面にかなが綴られていく時、意外な言葉や重い言葉が繰り出されてくることに、ただただ、不思議な感動を覚えていた。目の前のまだあどけない少女の普段の姿からは、まったく想像もできない深い世界が誰にも知られずに、豊かに広がっていたのである。
 最後に詩について、もう一度コメントを求めた。

ひとりでいつもしをつくっています
だれにもつたえたことはありません
こころのなかにしまっていました
きもちじたいをつたえるよりもいいとおもいます

 詩を見て驚いたお父さんは、こう言った。「我が家に詩人が舞い降りた!」
2008年10月15日 11時48分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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2008年10月14日(火)
初めての手紙
 都内の研究所でのできごと。7月から文章を綴り始めている☆☆さんと関わった。残念ながら、1000字を越えるところでプログラムのミスが起きて、プログラムが終了してしまったので、記録にとどめることができなかった。もともと、1000字を越えることなど、想定せずに作ったものだったからだ。
 はじめに、返事として使える体の部位について質問してみた。パソコン以外でも言葉を表現してもらう手段を考えるためである。すると、手については、特に指、口などをあげたが、なかなか自由に使えないということ、気持ちがいい時には声は出せることなどを書き、今日はのどがつらいけれど、書きたいことがいっぱいあるのでがんばるとも付け加えた。
 続いて、いろいろな人と話せるようになりたいという願いを書き、どうやったらそうなるのか、スイッチの援助はむずかしいのかなど、いろいろと語った。ご両親にも、特殊な方法のように映るようで、さしあたり、生活の中にどうやって生かしていくか、とまどっておられるようだった。
 そんなことをひとしきり書いた後、ご両親のことに話が及ぶ。世界一のとうさんとかあさんという言葉や、とうさんとかあさんがずっと元気で長生きをしてほしいということなどを書く。健康に不安をお持ちのお母さんだから、こうしたひとことひとことが、ずっしりと響いてくる。
 そして、お父さんに対して、かあさんを大切にしてくださいとお願いをした。
 彼女は、書いている内容がそのまま感情として体の動きに表れるので、家族の話に及んでからは、体中に力を入れたり、声を出したりして、気持ちがひときわ伝わってきた。
 ワープロがエラーで終了してしまったので、1000字も書いたということで、休憩をした。そして、一つお願いをした。それは、国学院大学の学生で、彼女のことで卒論を書くために、毎週家庭訪問をしていた女性にメッセージを書いてほしいということだった。
 卒業後も、☆☆さんの家族と親しくしている方で、先日、電話で☆☆さんが文章を綴るようになったらとても喜んでくれるということがあったからだ。
 以下は、さらさらと書いた手紙である。しっとりとした文面に、☆☆さんの成熟した人柄がうかがえた。

◇◇◇せんせいおげんきですか
わたしはきもちをことばでいえるようになってとてもうれしいです
ねがってのぞんできたことだったのでかんげきしています
こんどおこさんをつれてあそびにきてください
しばたせんせいはずっとげんきです
なつかしいです わたしのいえにきてくれていたころいろいろべんきょうをおしえてくれたことが
めをつかうことはむずかしいですがせんせいのかおはよくおぼえています
ずっとわたしのことをきにかけてくれてありがとうございます
ほんとうにかんしゃしています
でんわでいつもはなしてくれてありがとうございます
またこえをきかせてください
それではさむくなるのでおからだにはおきをつけください
さようなら

 「◇◇◇せんせい」にあてて、この初めての手紙を投函したところだ。
2008年10月14日 08時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月12日(日)
きっとそんなひとがあらわれるとしんじています
 高校生の☆☆さんの文章は直前の大人たちの話題を受けて始まった。この会のメンバーの女性の○○先生のご主人が、☆☆さんのお母さんと同じ町の出身で、家も年代もそんなに離れていないということの話だった。

えんがあるのですねしらなかったです。すごいぐうぜんですね。○○せんせいのだんなさんとおかあさんがちかくにすんでいたそうでおどろきました。

 そして、そのまま話題は先生の結婚へ。以下は、先生との対話の中での彼女の言葉である。

せんせいたちはどこでしりあったのですか。おしえてください。がっこうのどうりょうだったのですね。どうしてけっこんしようとおもったのですか。きもちがつうじあっていたのですね。

 そして、そのまま、彼女の胸の奥底の思いへと発展していく。

けっこんもしてみたいです。うらやましくおもいます。けっこんできたらいいなとおもいますがなかなかむずかしいかもしれません。のぞみはまいにちいっしょうくらせるいいひとあえることです。けっこんできなくてもいいひとにはあいたいです。どうやればひとりぐらしができるのでしょうか。しりたいですわたしとおなじようなひとはどうやってくらしているのでしょうか。いちどみてみたいです。ねがいはどんなにまずしくてもじぶんのかんがえでじぶんのじんせいをきりひらいていきたいとおもいます。いちばんたいせつなことはつらくてもきぼうをすてないことです。でもりかいしてくれるひとがひつようなのでいつかそんなひとがあらわれるまでがんばりたいとおもいます。いいひとがあらわれたらけっこんしたいとおもいます。きっとそんなひとがあらわれるとしんじています。

 いっきに綴られた結婚や自立生活への思い。それが、そんなに簡単な道のりではないことは、誰よりも本人がわかっているはずだ。決して、現実から遊離した夢を語っているのではなく、現実を見据えた上で語っているのである。そして、「いちばんたいせつなことはつらくてもきぼうをすてないこと」だと改めて述べているのである。
 今は、まだ、彼女のこうした能力の存在を云々する段階であり、道は遠いが、手話通訳者のように、コミュニケーションの援助が当たり前に行われるようになった時、彼女は、自立生活を営む多くの障害者の仲間入りをすることができるはずである。
 最近は、学校でも、「移行支援」などという言葉とともに、将来を見通した指導や援助の重要性が語られるようになった。彼女のこうした思いも、本来はそうした中で受け止められていくはずのものだろう。
 自立への思いを強調したあと、彼女は最後に、こう付け加えた。

おかあさんにもかんしゃしています。おとうさんにもかんしゃしています。

2008年10月12日 12時13分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月11日(土)
4年生の少年の夢
 土曜日に会った小学4年生の少年の気持ちを紹介したい。

といかけにこたえることができるようになりたい
ぼくのきもちにときどきそわないことをされてこつづいにしみることがあります(いえでおかあさんがいっていた)

()は、「こつづい」という言葉に私が驚いて、どうやってそんな言葉を知ったのか書いてほしいと頼んだものだ。気持ちがうまく伝えられない悔しさがこつづい(骨髄)という言葉にこめられている。

つきをねらっていますがそれだけではうまくつたわりません
けっかでちゃんとこたえられればいいのですがなかなかうまくいきません

 私たちは、こちらの問いかけによるコミュニケーションの場合、相手は私たちが想定していることに大きくしばられる。私たちの推測が当たらない限り気持ちは伝わらない。そのあたりの思いが「つきをねらって」という言葉として表現されているのだろう。
 その後、お母さんが、学校ではうまく成功するトイレがどうして家ではダメなのかと彼に質問したところ、

すべりやすいからです 
くらいのもいやです
えきのといれもきらいです くらいから

と明確な答えが返ってきた。こんな日常生活の一つ一つにコミュニケーションは密接にからんでいるということだ。
 その後、彼は、
 
ひとりでやりたい

と書いて、実際に何文字か挑戦した。少しずつならば選べそうで、今後の可能性を感じた。そして、次のような文章へと続いていった。

たくさんいいたいことがありますのでうちでもできるようになりたい
くやしいことがありました
となりのにいさんのことばでしんたいしょうがいしゃみたいといわれました
いえのことです
ぼくにむかってです
けんこうなこどもになりたいとおもうけどなかなかうまくいきません
むずかしいけどがんばりたい
ねがいはけっこんすることです
いいひとがみつかればいいなとおもうけどむずかしいかもしれないけどがんばりたいいいひとがみつかるまでまちつずけたい
ねがいがかなうようにがんばりたい
うつくしいひとでなくてもやさしいひとがいい
ことばでしゃべれなくてもきもちがつたわればいい

 つらい思いを述べた後、そこにとどまることなく、将来の夢へと話は舵をきっていった。小学4年生とはいえ、この夢は、現実とかけ離れた夢想ではない。現実を十分すぎるほどに見すえた夢である。彼が二十歳を迎えるのは10年後。時代が彼にとってもっと暮らしやすいように大きく変わっていることを望むばかりだ。
2008年10月11日 00時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月08日(水)
パソコンと手書き文字での初めての会話
 相撲ファンの高校生○○君は、秋場所の不祥事に胸を痛めていたらしく、次のような文章を書いた。

みんながねがっていることだからけっしてやおちょうはやらないでほしいとおもう
ねがっていますやおちょうをやっていないことを
すきなすもうがよごれるのがかなしいです

 不随意運動が出たり力が入りすぎたりするので、できるだけ力を抜いてもらい、こちらの援助を増やして、よりスピードをあげていくと次のような感想をくれた。

すいっがかるくてやりやすいです
ふしぎですかんがえただけでかけていくのが
けっしてできないとおもっていましたこんなにらくにてをつかえるとは
すごいほうほうですね
つぎつぎにもじがかけていくのできもちがつたわります
すごいですね
つかれません

 こんなやりとりをしていると、となりの部屋で、私の妻と手書き文字に取り組んでいた中学生の☆☆さんから、メッセージが投げかけれた。今、手元に正確な文章がないが、どんなことを書いてるのということだった。手を添えられて筆ペンで流れるようにひらがなが書かれていた。○○君の文章をまずは、音読して伝えたが、期せずして、仲間同士の初めての言葉によるコミュニケーションが成立した。先輩である○○君は、さらにこう書く。

せっかくことばをつかえるようになったのだからせいいっぱいきもちをつたえてくださいね

 そして、また、☆☆さんからの流れるような筆跡の文が返ってくる。感情を率直に表現した言葉だったと思う。それに対して、○○君は、さらにこう返した。 

てをつかわなくてもおかあさんはつよいみかたですよ
つぎもまたはなしをしましょうね
たのしみにしています

 そして、☆☆さんの手書きという方法について、こう述べた。

てがつかえてすばらしいね
ぼくもちょうせんしてみたいです
じをかくことにむずかしいかもしれないけどがんばりたい

 そういうふうに書いていると☆☆さんから、今度うちに遊びに来てというお誘いがあった。それに対する○○君の答え。

しょうたいしてくれてありがとう
きっといつかおじゃまします
おかあさんよろしくおねがいします

 ☆☆さんは、私たちと一緒に来たらと提案してきた。すると○○君は、次のように帰す。
 
しばたせんせいはいそがしそうですがだいじょうぶですか

 これは、☆☆さんの文を一緒に見ていた私が、スケジュール表を思い浮かべながら即答できないでいるのを見て、配慮して書いた文章だと思う。

 そんなところですでに時間を過ぎていたので○○君は

おわりにしましょう

といったんは書いた。しかし、心残りがあったらしく、さらに、こんなことを続けた。この日は、理解してくれる先生が来ていたので、その先生に向けた言葉だ。

せんせいにわかってもらえてがっこうでもよろしくおねがいします
なぜせんせいたちはしんじてくれないのですか
ねがいはおおくのひとがしんじてくれるようになるとうれしい

 なかなか理解してくれない先生がいるということらしい。だが、少なくても理解してくれる先生がいるということは、すでに、大きな一歩が踏み出されているということだ。☆☆さんたちをはじめとする後輩たちがもっと歩きやすい道を○○君が切り開いてくれることを期待している。
 先生たちの理解を超えて、生徒たちの間にこんな会話がすでに始まろうとしている。こうした声をかき消すなどということが教育の現場で起こっていいはずがない。
 最後に、もう一度、○○君から、☆☆さんも含めたみんなに向けて
 
さようなら

と発せられた。

 
2008年10月8日 18時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月07日(火)
とびたつ会のTさんのこと
 サウンズアンドシンボルズと呼ばれているコミュニケーション手段(シンボルの絵を使って気持ちを表現するもの)を、目の合図で使って気持ちを表現してきたTさんが青年学級に現れたのは10年近く前のこと。しだいに帰りには飲み屋にも行くようになり、飲んだ席で、パソコンの練習をしないかと行ってパソコンの練習が始まった。足で二つのスイッチを操作して綴ることを始めたが、なかなか言葉が的確に選べず練習を続けてきて、少しずつ進歩してきていたが、長い文章にはならなかった。途中、シンボルをパソコンに組み込んだり、足でマウス操作ができるようにとスイッチを改良したりといろいろ取り組んできた。最初は、夜、8時過ぎにおじゃましていたのだが、だんだん忙しくなって、元公民館職員の松田さんが始めた「共同学習識字の会」での学習におまかせするようになっていった。Tさんが、「とびたつ会」に移るとなかなか会う機会も減ってしまっていた。松田さんとの学習もずっと継続されてきたが、最近、スイッチ操作がむずかしくなったとのメールをもらい、青年学級の後の時間に来てもらうことにした。そして、トマトハウスでさっそく新しい方法に挑戦してみた。上手に動く足ではなく、ほとんど自由のきかない手にスライドスイッチを握ってもらい、こちらがどんどんスイッチのオンオフを繰り返すという方法だ。すると、あんなに、足では選べなかった文字がすらすらと選べていった。
 まずは、その感想である。

ふしぎです
きもちがそのままことばになっていきます
じをみつめつずけるのがたいへんです
なかなかのぞみどおりにいきません
てにちからをこめただけでえらべるのでらくです
すいっちがすむーずです
よくわかります
もっとはやくからやっていればよかったとおもう
らくなのでこっちのほうがいい

 彼がうまく文字を選べない理由が、字を見つめ続けることのむずかしさにあったとは、まったく意外だった。

のぞみはぐるーぷではなしあうときにやれたらいいとおもう
せっかくのものだからとびたつかいでつかいたいとおもう
ねがいはてをつかってはなしをすることだったからかなってうれしい
なぜよみとることができるの
そのほうほうをみんなにもおしえてほしい
ほんとうにすばらしいやりかただとおもう
まつださんにもおしえてほしい
はやくできるようになってほしい
のぞみはなんにんもできるようになってぼくたちのつうやくをしてくれることです

 ここで、誰かに変わろうかというと、すかさず彼は女性スタッフを指名。

◇◇さんこんにちはすんでいるのはどこですか
もしかしたらひとりぐらしですか
どうやってくらしているのですか

と、書く。まだ、◇◇さんとだけでは、うまくいかないが、結構何文字かは読み取れた。そして、最後にこんなことをちゃっかり付け加えた。

ぼくとくらしませんか

 ここから場所を居酒屋に移す。飲み物や食べ物が並ぶテーブルの上にパソコンをおいて、飲みながら打ち始めた。その中の一部は以下の通りだ。

ひとりでくるしんできたことをことばでかたりたいとおもう
ほんとうのすがたをしってもらいたい
のにさくはなのようにのおんなのこもしゅつえんしてもらいたい
ぼくのきもちにはそんなひとたちのことがずっときにかかっています
ぼくのきもちしかひょうげんしていないのでほかのひとたちのきもちもひょうげんしてもらいたい
すぎたことをいってもしかたないけなどみらいにむかってぼくたちのきもちをつたえていくひつようがあるとおもう
ねがいはたくさんのひとにりかいしてもらうことです
けっしてまけられません
てをつかってはなせることをよのなかのひとにつたえたいとおもう
りかいしてくれるまでうったえつずけていきたいとおもう
くるしみやかなしみをつたえていかなければいけないとおもう
りかいしゃをふやしていかなけれびいけないとおもう
きっとわかってくれるひとがあらわれるとおもうのでがんばりたい

 彼は、青年学級やとびたつ会に通う重度の障害のメンバーの中で、唯一シンボルを使って目で語れることができるので、いろいろな場所に積極的に参加し、シンボルで表現した気持ちをいろいろなかたちで訴えてきた。だが、やはり、うまく話せない仲間の気持ちが気になっていたというのである。
 最後に文章はこう結ばれた。

このほうほうではなせるひとがたくさんいるかもしれないとおもうとむねがはりさけそうになる
ぼくはわかってもらっているからいい
でもたくさんのなかまがくるしんでいます
このことをつたえていかないといけないとおもう
ぼくはまけない
2008年10月7日 15時41分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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「くるしいことやつらいことはたくさんあるけど」
 前回、青年学級で文章を綴れるようになった▽▽さんが、今回も文章を綴った。午前中、コースに行くことができなくて、午後、時間を見つけて二度にわたった書いたものだ。


はやくかけるのできもちいい
もっといろんなひととやりたい
わたしのきもちのこえをきいてほしい
なかなかきもちをはなすことができないのできいてほしいの
ねがいはすいっちでみんなとはなすことです
ぜったいにできるようになりたい
ねがいはなんでもはなせるようになることです
(おかあさんは何と言っていた?という質問ををすると)
すごいわねふしぎですといっていました
でもしんじられないといっていました
いつおぼえたのといっていました
つらいけどなかなかしんじてもらえません
ほんとうにわたしがやっているのにざんねんです
くやしいけどみんないつかしんじてくれるとおもうからずっとあきらめないでがんばりたいです
ねがいはだれにでもわかってもらってみんなでいっしょにはなすことです
ねがいははやくおかあさんにしんじてもらうことです
ねがいはつらいことやくるしいことをともだちとはなしあうことです
ほんとうになるとうれしい
くるしいことやつらいことはたくさんあるけどそれをはなせばずっとらくになるとおもう
もっといろいろなことをかいてよんでもらいたい
ふしぎですなぜかきもちがことばになっていきます
はやくかけてうれしいです
のぞみはすきなひとといっしょにくらすことです
つまらないずっとかぞくとだけのすいかつは
とまとはうすにいきたいです
のぞみはそのままのみにいくことです

「くるしいことやつらいことはたくさんあるけどそれをはなせばずっとらくになるとおもう」「のぞみはすきなひとといっしょにくらすことです」と、切実な思いが表現されている。そして、そうした言葉の数々は、これまで青年学級でもみんなで語り合ってきたものだ。これまで言葉で表現することはできなかったが、みんなとともに同じ思いを共有してきたことが表現されている。
 おかあさんは、信じていないというのではなく信じられないとおっしゃっているのだが、今回も、帰りのつどいの時に見てもらった。そして、無事トマトハウスには行くことができた。だが、強い発作の薬を飲んでいるので、さすがにアルコールはダメということになったが、言葉で表したからこそ、実現したものだ。
 トマトハウスでは、いろいろな担当者がスイッチ操作にチャレンジした。早くみんなができるようになればと思う。
2008年10月7日 15時31分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ひかり学級の人と
 ○○さんがパソコンで言葉を表現し始めて3度目の学級日、さっそく朝から彼も話し合いに参加した。

おはようおひさしぶり
せいねんがっきゅうをたのしみにしていました
せっかくだからうたをうた
(ここでみんなが口々に歌のリクエストを言い始めたので彼も文章を中断して曲名を書いた)
ーともだちのうた
てをつかってはなせてうれしい
ねがいがかなってかんげきしています
ねがっていましたすいっちでなやみをいうことを
◇◇くんはすごいね
がんばっていますね
そんけいしています
りそうのだんせいです
でもなかなかしごとがたいへんそうてすね
このこーすのめんばーにはなぜじょせいがおおいのですか
むずかしいしつもんかもしれないけれどふしぎです
でもそのほうがいいです
うまくいえませんがなかまがだいすきです 

 そんなふうに綴っているとき、ひかり学級の☆☆さんが、突然入ってきた。ひかり公民館の青年の人数が増えたときに、分かれてできた学級だ。この日はコースの外出で公民館までやってきたらしい。学級の中でもとりわけ障害が重いとされる彼女が突然入ってきたのはわけがある。音楽コースで同じく障害の重い○○さんが、パソコンで言葉を表現するようになったのを知っていた援助者(とびたつ会の松田さん)が、彼女にも可能性を感じてともかくその現場を彼女に見せに来たのだ。たえず手をなめていて、視線の方向も読み取りづらい彼女が○○さんの姿をどうとらえのか。少なくとも外見からは特別な様子は見あたらない。しかし、今度いつ会えるか分からないし、外見にはもはやこだわっても意味がないことは痛烈に思い知らされているので、○○さんの文章が一段落したところでさっそく彼女にパソコンを試みた。まず、操作の説明ということで名前をいっしょに書くと手応えは十分だった。そして、次のような文章が綴られた。


☆☆(名前)
このすいっちはどうしたのですか
ちからがかるくてふしぎなきもちです
うれしいです
とてもむりかとおもってきました
なぜわたしがはなしがわかることがわかったのですか
とてもおどろいています
こどものころからべんきょうしてきましたからよくわかります
わたしのおかあさんにつたえてください
うれしいです
ねがってきました
ことばできもちをつたえることを
とてもかんげきしています
のぞみはすきなひとといっしょにくらすことです
またよろしくおねがいします

 彼女が初めて学級に来た日のことを私はよく覚えている。ひかり学級の開級式の時のことだ。車いすで明確な表現手段を持たない方が学級に初めて入ってきた。受け入れ側にも様々な意見があったが、ともかく来ていただいた。ふだんは学級がちがうのでなかなか会うことができないが、わかそよのステージには必ず彼女の姿があった。ステージ上で友だちに囲まれて笑顔にあふれていた場面などが思い浮かぶ。その彼女の思いが十年あまりの時を経て、今私たちの目の前に明らかになった。新しい大きな始まりの予感がする。
 
2008年10月7日 12時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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2008年10月05日(日)
「本当はまじめな人なんですよね」
 隔月で通う通所施設に、電動車イスを駆使して町中を巡り、数々の武勇伝を持つ方がいる。基本的なコミュニケーションは、指で丸を作って空中に差し上げる気持ちのいいイエスを初めとして、指さしなどの身振りを交え、ほぼスムーズにできる。もうこの施設に通い始めて数年になるが、世間話はするものの、あえてパソコンを介して関わる対象とは、お互いに考えてなかったように思う。そんな中、初めて、彼に2スイッチワープロを出した。2つ並べたスイッチをゆっくり押し分けることは十分に一人でできると思ったが、そのスピードで表現できることだと、身振りを越えることはないと思ったので、力をあえて抜いて、スライドスイッチの棒の取っ手に手をかけてもらい、こちらがリズミカルにオンオフを繰り返す中で、彼の微妙な力を読み取る方法で挑戦した。以下、彼の文章である。

すごいすいっちがすいすいうごく
うれしい ください
すいっちがこうなったのはどうして
(一人でスイッチを動かして試してもらうと滑りすぎてうまくいかなかったのを受けて)
つよくうごかすとうまくいかないのがふしぎです
つよいうごきのすいっちはありますか
(今は、持っていないということを告げ、続けてもらう)
ふしぎです
おもっただけでことばになっていくこのやりかたをだれがかんがえたの
すばらしい
(このスイッチで、この通所施設の障害の重い方々の言葉を聞き取っていることを説明すると)
かれらにことばがあるとはおもわなかった
このやりかたはすごい
すいっちをたくさんつくってください
つらいきもちでまいにちをすごしているひとがたくさんいるのでがんばってください
こんなことがみぢかでおこるとは

 たくさんのコミュニケーション手段を持つ彼の言葉だからこそ、また貴重でもあった。そして、強い励ましの言葉がうれしかった。
 いつも、どちらかと言えばいたずらっぽいおどけ役を演じている彼の、本当の心がかいま見えたように思えた。
「本当はまじめな人なんですよね」と声をかけると、空中に指で作った丸が高く差し上げられた。
2008年10月5日 08時09分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 通所施設 |
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めをみはるようなわたしのみらいにむかって
 不思議な心象風景を語ってもらった。20歳を過ぎた☆☆さんの文章だ。

したいあそびがあります
とおいところにいって すなにもじやえをかいて においのいっぱいかおるはなをさかせたいのに いじわるなおばあさんがよこからやってきて すなをけちらしてしまった。
ないてばかりはいられないので こんどは においがしない さむいはなをじめんいっぱいにえがいていて ぬりえのようにさいたので うちゅうにらくえんをつくろうと めをみはるようなわたしのみらいにむかって がんばろうとおもった。

 けちらされてもまた未来に向かってがんばろうという思いを、豊かなイメージで飾って描き出したものだ。お母さんは、しきりにどうしてこんなに息の長い文章が書けるのかとおっしゃる。しかし、彼女は小さいときからたくさん絵本を読んでもらってきた。私が絵本のソフトを作ったきっかけは、文字の学習にそっぽを向く彼女のためであった。彼女のイメージの世界を育んできたのは、こうしたご両親の働きかけによるところが多いことはまちがいない。
 後半、☆☆さんは、こんなことも語った。嫌いな音楽があって、怒りだすとお母さんがおっしゃったので、そのことについて尋ねたのだ。

からだにちからがはいるのはつかれたときびっくりしたためです。
えんかはきらいです
いやなきもちになりますがおこっているのではありません

そしてお母さんについてこう付け加えた。

りかいしてくれているのでたすかります
とてもりそうてきなおかあさんです

 プリントアウトしてお母さんにお渡しすると、これ、大切にしてがんばろうとおっしゃっていた。
2008年10月5日 00時10分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月04日(土)
亡くなった友への思い
 隔月でうかがっている通所施設で、○○さんに会った。休みのことも多いので、彼と関わり合いを持ったのは実に1年以上も前のことになる。ちょうどその頃、新しい通所施設が開設され、多くの仲間が、そちらに移るということがあった。それまで毎月通っていた私たちも、両方の施設に隔月でうかがうようになった。
 あいさつの言葉を書いてくれたあと、すぐに彼が書いたのは、新しい施設に移って、この5月に亡くなってしまった☆☆さんのことだった。二人は、この施設の中でも格段に障害が重く、二人はよく並んで時間を過ごすことも多かった。

げんきでしたかなか
なかあえなかったけどげんきそうであんしんしました
くるしいこともありました
☆☆さんがしんだことです
☆☆さんがしんでからずっとかなしみがきえません

 亡くなってもう5ヶ月が経過したけれど、彼の中では、悲しみが消えないのだという。先月うかがった新しい施設の方でもやはり、同じように重い障害をもった方が、同様の言葉を綴っていた。同じ状況にある者同士にしかわからない、深い絆がそこにあったのだろう。そして、さらに言葉は続く。

☆☆さんはことばがわかっていたのにはなせませんでした
なんでもよくわかっていたのにりかいしてもらえませんでした
このすいっちはできるとおもいます

 彼女がこちらの施設にいる時には、私たちは、彼女の言葉を聞き取ることができなかった。まったく動かないその手から、力を読み取ることができなかったのだ。彼は、そういう状況を見ていたのだ。彼には、彼女が「なんでもよくわかっていた」のは自明のことだった。それは、自分自身に重ね合わせれば、疑いようのない事実だったことだろう。しかし、残念ながら、現在の常識では、そんなふうに思える人は、ほとんどいない。
 そんな中で、彼は、自分と同じように彼女も言葉を語ることができたはずなのに、と無念の思いを綴った。
 ここで、すぐに、彼女が新しい施設での関わり合いで文章を綴れたことを伝えた。すると、彼は次のように答えた。

よかったそのことがきけて
とてもうれしい
なくなってしまったことはざんねんですがことばをはなせてほんとうによかった
くよくよせずにぼくもがんばらなくてはいけない

 彼女が一言も発することなく逝ってしまったのではないかと痛恨の思いを抱えていた○○さんにとって、彼女が言葉を話せたことはせめてもの慰めだった。ずっと言葉を話せずにいることや言葉を本当はすべて理解できていることを知られずにいる苦しみは、彼らにしかわからないものだろう。そんなぎりぎりの場所から発せられた言葉だった。
 この後、彼は私の読み取りが以前よりも非常に速くなったことをめぐって次のように語った。
すいっちがなぜすいすいことばをしらせてくれるのかふしぎです
(ちゃんと読み取りはまちがってないですか?

かけています
うれしいです
このすいっちがほしいです
てがつかえるとすばらしいです
このことをかあさんにもしってもらいたい
かあさんにしらせてもらってとうさんにもしってもらいたい
りかいしてもらえてとてもうれしい
のぞみがかなってうれしい

「おかあさんにおしえたい ぼくがすきだということ めんどうみてくれてかんしゃしています。」という言葉を書いて、部屋中に響き渡る大きな喜びの叫び声をあげたのが、3年前の12月。
「かあさんにいいたい ちゃんとしたありがとうはいえないけどいきてることにかんしゃしています。あいしてくれてありがとう ぼくこどものころからだいすきだったかあさんのこと。かあさんいつまでもともにいつまでもささえあいがんばってりかいしていこう。あしたがあればしんぱいはいらないとおもう」と書いたのが昨年の6月。
 彼の心は、いつも家族への思いであふれている。 
2008年10月4日 08時53分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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