成果発表会の終了後、トマトハウスで、再び、2人の方の言葉を聞いた。
K.Kさんの言葉を聞くのは2度目。合宿以来になる。発表会のステージの上では、彼の合宿での言葉が、仲間によって朗読された。
トマトハウスでは、彼は、次のような思いと、詩を綴った。
ちいさいときからいいたいことがいいたいとおもってきました
いいたくてもうまくいえませんでした
いいたいことがいえたらうれしいです
しろいこいぬがゆきといっしょにやってきた
ちいさいわたしはちいさいねがいをしろいゆきにたくし
じぶんのねがいをきいてくれるきたかぜに
ちいさいわたしのねがいをたのむ
きいてほしいのぞみをひとりしずかにききながら
しろいゆきがふるのをみつめていた
きのうのかなしみはじぶんのねがいをしり
きのうのさびしさはちいさいじぶんのべんきょうができなかったふまんをしっている
きぼうのいいきたかぜはしろいねがいをねがいながらにんげんにきぼうをあたえる
ねがいはちいさなゆきのかけらとなってぶなのはやしにつもった
たのみのつなはきぼうのいいきたかぜだ
みたこともないのぞみをはこび
ぼくにゆうきをくれた
きぼうのきたかぜをまちのぞみながら
ぼくはにんげんとしてきのうのじぶんにわかれをつげ
なやみのないみらいにむかってたびだとう
おわり。
しはいつもかんがえています
いつもたいせつなことばをじぶんでかんがえています
きいてくれてありがとうございます
じぶんのきもちがきいてもらえてうれしい
しばたさんはなぜぼくがりかいしていることがわかったの
トマトハウスでは、E,Kさんの言葉も聞いた。7月に、初めて文字を綴った方だが、12月の合宿の時、階名で歌える歌があったら書いてみてとの求めに、チューリップの歌の階名を書いてくれるということがあったので、その時、自分でメロディを作れたら、作ってみてほしいと頼んでおいた。いくらかやりとりをした後、彼女は、次のような階名を記した。
ソファミファソソファミファレファドドドシラソファラソファソミソファミファソソファミファレミレドシラソファソドララシドレドシドシラソラソソララシレドシドミレドミレソファミファソソファミファソソファミファソレレミファソファミファソララシドレドシドレドシシドー
いくつかの解釈が可能なので、まだ、はっきりと区切ることができないが、確実に一つの形式を踏んで、音楽ができていることがわかった。そして、その歌詞として、次の詩とその説明が書かれた。
しろいこいぬ しろいゆきを
ふしぎそうにみつめている
しろいゆきはきぼうのしししゃ
ねがいをかなえてそらからふる
ちいさいときからひとりぼっち
みんなみているしろいゆき
みんなをつなぐしろいゆき。
ちいさいころからかんがえてきたうたです ききとってもらえてうれしいです がくふにしてください よろしくおねがいします きいてもらえてうれしい ねがいがかなってうれしいです きぼうがわいてきました きいてもらえてうれしくてなみだがでてきました ふだんなにもわかってもらえないからです いいきもちです ひとりぼっちだからいつもきいてもらえてしあわせです いいきもちです
そして、さらに、成果発表会で、自分の歌詞の入った歌ができたことについて、こう述べた。
ねがっていました きもちをいえるようになることを
F.Kさんのかしがすてきでした わたしのかしはぶぶんてきだったのでざんねんですでもかんどうしました きいてみたい いま ちいさいこえでいいからきいてみたい
この彼女の希望に応えて、このコースのメンバーを中心にして、この歌を合唱した。わかそよコンサートでもぜひ歌いたい曲だ。
また、彼女は自分の作ったメロディと歌詞に次のような題名をつけた。
しろいきぼう。
このあと、私はとびたつ会の支援者の松田さんとスイッチの援助を代わった。施設でのことがいろいろと綴られた。少しずつ、スイッチの援助者の輪が広がっていくことが本当に楽しみだ。そして、最後に、こう記して、施設へと帰っていった。
またよろしくおねがいします
きいてくれてかありがとうございます
さようなら
よかった
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2009年3月3日 18時14分
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成果発表会の合間に、何人かの言葉を聞き取った。
最初は、朝、つどいの最中に聞いた女性のN.Fさんの文章だ。まず、お母さんの病気の心配のことから始まった。
なかなかかあさんのびょうきがなおらないのでしんぱいです
ねがいはずっとかあさんといっしょにくらせることです
きいてくれてありがとうございます
いいきもちです
いきていきたいで ひとりで
ききたいことがあります
どうしてわたしがはなせるとわかったのですか
かあさんがぐあいがわるくてかなしいです
いいびょういんをさがしてあげたい
(大変ですね。)
たいへん
(質問について、いい呼び方ではないし、間違った呼び方だと思うけれど、N.Fさんたちは、ある呼ばれ方をするでしょう。最初はこの方法は、同じコースのE.KさんやN.Fさんのように車いすの人で話ができない人のために考えたやり方だったのだけど、N.Fさんたちのような人たちも話すことができるのがわかったから、N.Fさんにも、声をかけたんです。)
しっていますじへいしょうのことですか
いいなまえではありません
(今日は成果発表会、がんばってね。)
がんばります
(N.Fさんも詩を作ったことありますか。)
(小さくこっくりとうなづいて)きいてください
いいちいさいわたしは
ちいさいはなとちいさいはなびらのようにいきてきた
きいている いいはなのうたを
きいている いいはなのさくおとを
たくさんのゆめとたくさんのひかりをかかえて
わたしはいきてきた
いのちをしんじながら きぼうをもとめながら
くなんのかべをのりこえながら
きいている あたらしいいのちのこえを
きいている きぼうのかねのおとを
いつかきっとわたしのねがいがかない
にんげんとしてちいさいねがいをもち
いきていくことをねがいながら
じぶんのしです
きいていただけてうれしいです
ねがいをかなえられたらうれしいです
きいてくれてありがとう
なお、帰りのお迎えに見えたお父さんにこの詩を見せた。この詩の内容に深くうなづきながら、お父さんには、お母さんへの思いをかみしめておられるようだった。同時に、たそして、パソコンを開くと、お父さんの膝にそっと手を乗せて彼女は、こう書いた。
かけてうれしいおとうさん
朝のつどいのさなか、H.Nさんともパソコンで言葉を交わした。H.Nさんは、かすれたような声で単語を発することがある寡黙なダウン症の方である。
いしをつたえたいにんげんだから
いいにんげんになりたいとおもいます
きいてもらいたいことがある
ひかりとかねがいとかぼくにもやってくるのですか
きびしいですはなせないのは
ひととしてみとめてもらえません
くやしいです にんげんらしくいきていきたいです
ひかりがほしいです
ひかりをもらいたいです
ふつうのにんげんとしていきていきたいです
ふつうのがっこうにいきたかったです
けさもばかにされました
きっさてんにもいきたいです
きいてくれてありがとう。
10年前ころの数年間、彼は青年学級の帰りに私と喫茶店に行き、チョコパフェを食べて変えることを習慣にしていた。しかし、健康上の問題でカロリー制限が必要となり、いつかその習慣も途絶えていた。そんな思い出がよみがえる。私も、彼を「ばかに」したことはなかったろうか、本当の意味で彼を人間として認めてきただろうか。そんな問いが芽生えては、胸につきささる。
Y.Hさんは、N.KさんとH.Nさんが語り終えるのをずっと待っていた。すでに時間はあまり残されていなかったが、次のような文章を彼は書いた。
ききたいことがあるじぶんはせいかつりょうにはいけないのですか
ねがいはちいさいときからちいき
午前中から、彼が入所している施設の職員さんが、私のコースに参加してくださっていたので、お昼休みに彼のことについて話ができた。彼は、生活寮で暮らすための練習を始めることになっているそうだ。次に紹介する私のコースのメンバーであるT.Hさんのパソコンの様子をご覧になりながら、Y.Hさんの話にもなって、彼の内面の声を驚きとともに、受け入れてくださった。午後の発表の中で、彼の言葉は、たっぷりと紹介された。マイクをふられても、どうしても問われた言葉を繰り返さざるをえない彼だが、たくさん語った言葉がステージの上で紹介されていくのを喜びの表情で見ていた。施設の職員の方にも確実に彼の声は届いたはずだ。
お昼休みの時間に、書いたT.Hさんの文章は、次のようなものだった。彼自身の言葉も入ったコースのオリジナルソングをめぐる感想から始まった。
ちいさなしあわせというかしがよかった
いいちいさいじぶんというかしをしにいれたかった
きぼうちいさくささやきながらというかしがすてきでした
じぶんのしがすてきでした
にんげんとしてというかしがきにいりました
いいちいさいじぶんというのをいれたかったです
そして、横でパソコンを見守っている先ほどの施設の方と、パソコンで次のようなやりとりをした。
こんにちわ
(「こんにちわ。」)
しをきいてくださいましたか
(「はい。」)
どうでしたか
(「すてきでした。」)
うれしいです
ちいさなしあわせというのがいいでしょう
(「そうですね」)
じぶんもだいすきです
(「どんなお仕事をしているのですか。」)
ほうせいというしごとをしています
(「何を作っているのですか。」)
かばんをつくっています
(「針はつかいますか}
つかいません みしんのほうせいです
ちいさいのぞみですがしごとをかえたいとおもっています
きびしいかもしれませんがきぎょうではたらきたいとおもいます
(「いいところが見つかるといいですね。」)
そうですね しごとがちゃんとしたいです
ちいさいしょくばならかのうかもしれません
きいてくださってありがとうございます
にんげんとしていきていきたいとおもいます
ここで再び、自分の気持ちの表現に戻る。
ゆめは×××さんにすきなものをかってあげることです
ひんがいいものをえらびたいです
ひんがいいちいさいものがかいたい
じぶんのいいところをみとめてくれるからです
にんげんとしていいところをよくみてくれるからです
にんげんとしてにているところがあるからです
ちいさいちいさいねがいです
きいてくれてありがとうございました
(×××さんについては)ないしょです
書かれた文章を音読できるということは、よくわかっていたが、会話となるとなかなかスムーズにはいかない彼が、こんなにもなめらかに初対面の方と会話をする姿に、彼にこれまで与えられてきた「自閉症」という呼び名がいったい何なのか、改めて、考えさせられずにはいなかった。
また、繰り返される「にんげんとして」という言葉は、今回の歌の中に、別の方の言葉として盛り込まれたものだ。彼も、その言葉を気に入ったのだろう。それにしても、この言葉が繰り返されるたびに、胸にズキンと迫るものがあった。
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2009年3月3日 12時57分
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平成20年度町田市障がい者青年学級の公民館学級成果発表会が、3月1日、開かれた。今年は、昨年の7月にMさんの言葉をパソコンで表現することかできたことを端緒にて、多くの、言葉を有していないと考えられた重度の車いすの方々や、自閉と呼ばれる障害をかかえた方々、簡単な単語しか発することのできない重度の知的障害のある方と考えられた方々が、パソコンで気持ちを語り、詩を綴った。今回の成果発表会では、それらの成果がふんだんに生かされた。もちろん、この成果発表会は、当事者の言葉や表現をこれまでも大切にしてきたものだから、こうした表現にいちだんと厚みと深みが生まれたということだ。
単なるコミュニケーションという問題を越えて、一人一人の秘められていた心の世界が仲間やスタッフに共有され、新しい表現としてより高められていく。成果発表会に訪れた人々もまた、それを感動をもって受け入れてくださった。
5月24日、町田市民ホールで第14回若葉とそよ風のハーモニーコンサートを私たちは開く。今回は、この成果を最大限に生かし、新しい文化の誕生をより多くの人々に訴えたいと思う。
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2009年3月3日 08時49分
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