この冬、多くの人たちから、北風が希望の風であることを教わった。春の足音が近づくにつれ、私は、今度はどんなメッセージをもらえるのか、楽しみに待ってきた。その最初の春のメッセージをもらった。舞い降りた詩人として紹介してきた小学6年生の女の子である。
ひにひにはるがちかづいてきて
ふゆがしだいにとおざかっていきます
ちいさいころからきっとはるがくることをしんじていたので
うれしいです
きたかぜはきたのくににかえり
またらいねんのふゆまでにんげんのかなしみをききながら
ぬいかけのきじをかんせいさせるために
しずかにときをまつでしょう
ちいさいときからそんなことをかんがえながら
はるをまっていました
しずかなしずかなゆきのひは
すこしきたのくにのかなしみになみだしながら
ちいさくねがいをつむぎながら
にんげんとしてうまれたことをよろこびにかんじたら
ひかれるわしのはねと
ちいさなにんげんのきぼうのちかいを
ゆめみていました
きぼうのきたかぜがさって
ちいさなねがいのじかんがみちてくると
かみさまのよげんのとおり
りそうのはるがずんずんとすすんできます
きぼうのきたかぜののこしていったきぼうが
はなとしてひらき
ひとびとをしあわせにします
きたかぜのきぼうがひらいたとき
にんげんはふゆのきびしさをわすれてしまいますが
ねがいのなかみをちいさいにんげんは
ほんとうにはりかいしてはいません
きぼうのきたかぜがくれたきぼうは
ちいさいにんげんでもじぶんをだいじにとちかう
ほんとうのねがいです
きぼうのいみさえにんげんはしらずに
ひとはいきていくことがだいたいおおいのですが
にんげんはちいさいときからききみみをたてて
ちいさいほんとうのきたかぜのこえをきいていれば
そのことにきづくことができるのです
かろうじて発せられる音声言語は、これまで、彼女の本当の力を明らかにしてこなかった。そして、見ることについても、文字の区別や一桁の数の区別でも、困難を示していた。ところが、パソコンの2スイッチワープロや援助による筆談を通して、実に、豊かな言語の世界と、算数についても、比例の難しい問題でさえすらすらと解けることがわかってきた。話すことと見ることについて、どうも、私たちが大きく見逃していることがあるらしい。その一端を示す説明を彼女自身からもらった。
まず、算数の計算の答えを口頭で求めるとできないことについて(この時は、22×3を尋ねて、口頭では答えられず、筆談ではすぐに66と書けた)、
くちでいおうとするとしきがきえてしまってできなくなる
しきがきえる
文字や文を見ることについては、どうも、速読的な見方ができるようで、次のような説明をしてくれた。
ひとりでよむのはできないけどめくってもらえばわかります
みればわかります
みているといみがわかる
にらむようにするとみえなくなる
なんとなくみたほうがわかる
注視すると文字が見えなくなってしまうというのである。実に、私は、かつて、彼女に、ひらがなの注視や、タイルの注視を求めてきて、その区別がうまくいっていないと見なしてきたのである。そして、なんとなくみたほうがわかるというのである。このことは、慎重な検討を要するが、最近、援助による筆談をSTAという呼び方で実践されている先生にお会いした時にも、このことが話題になった。彼女でも、そういうことがどうやら起こっているらしい。
また、これまでのことについて次のようなことも述べた。
きかれるとわからないとこたえてしまっていた
ほんとうはよめていた
ゆうきがなかったからすなおにいえなかった
あなにはいったようなきになっていた
じはよめてもきもちがじしんがなかったからいえなかった
いまはかんがえをいえるようになったからいい
深い反省を促されるような言葉だった。
それから、援助による筆談(これは私の姪が彼女に行っている)と2スイッチワープロについても、面白い説明をした。
じぶんのかんがえだからかんたんにかける
のーとはじぶんでかいているかんじがするけれどぱそこんはたにんがかいているようなかんじがする
かんがえはじぶんのものだけど
運動に伴う努力感のことを上のように表現したものだと思われる。
ところで、彼女は、これまで6年間を通常学級で過ごしてきたが、中学校からは、特別支援学校に進むことになっている。新しい学校でどのように彼女のことを理解してもらうかはとても大きな問題だが、そのことについて以下のように記した。
じぶんのかんがえをつたえることにくろうしてきたのでちゅうがくではりかいしてもらいたい
きにしてはいません
きもちはりかいしてもらえなくてもかまわないです
かんがえをわかってもらえればいいです
ぱそこんでかいたものをみてもらえばわかります
新しい学校で、彼女の力が正当に評価されていくことを切に望んでいるところだ。
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2009年2月26日 12時28分
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家庭訪問 |
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いつも深遠な話を語る☆☆君だが、今回は、以前から彼のことを知っている▽▽先生が一緒に立ち会ってくださり、話は、神の愛をめぐる話へと発展していった。(原文はひらがなだが、漢字を入れて記してみる。」)
光が射してきました。きれいな小さな地の恵みはきっと神さまからの贈り物です。日本中に光が広がることが夢です。
希望の風が吹いてきました。柴田先生と○○先生(▽▽先生は、○○先生の学校でかつて教えていた。)がなぜ出会うことができたのか。それも神さまの恵みです。
人間として生まれて素晴らしいことは神さまの恵みを感じることができることです。小さい僕だけど神さまの大きな愛を感じることができて望みをかなえることができました。
魂の言葉は進んで語れるものではなく、神さまの恵みによってのみ流れ出してくるものです。いい勉強ができました。きっとこれも神さまの恵みだと思います。
いい願いを信じていきたいと思います。いちばん大切なものはきっと神さまを信じる心で、希望を失わないことです。
唯一愛だけが信じられるものです。昨日の苦しみは昨日という時間の中に置いてきて、未来という時間の中にあるのは信頼といういちばん自分を支えてくれる愛です。昨日の苦しみはもう過去のものです。
慈愛に満ちた神さまのまなざしは、希望という唯一の糧を与えてくれました。自分にとって愛こそがすべてです。信頼こそが人を生かしてくれるものです。
希望という光をしっかり抱きながら、希望空に思い描きながら、このきれいな扉をあけて、いい未来に向かって上を見つめながら、苦しみは昨日のものとして、明るい夢を見ながら歩いていこう。
希望の未来を光としながら、愛をくださった神さまに感謝して生きて、いい人生を送りたいと思います。
愛の苦しみをまだ知りませんが、きっとそれも信頼によって乗り越えてゆけることでしょう。愛の苦しみとは愛する人が苦しみの中にあることだと思うのですが、それでいいのでしょうか、▽▽先生。
(▽▽先生の言葉を受けて)
愛することが残酷な気持ちを生むということは気がつきませんでした。愛というのは、自分のものにしようという気持ちを濾過したものだと思っていましたから。
ありがとうございました。いい話ができて良かったと思います。愛というものに段階があることが知れて、勉強になりました。
今日はとてもうれしいです。いい時間でした。いい一日でした。ありがとうございます。また来てください、きっと。いろいろ教えてください。よろしくお願いします。
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2009年2月25日 00時16分
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自主G23区2 |
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小2の○○君は、いったん書いた言葉を何度も消しては書き直すということを繰り返して、次の文章を綴った。
にんげんとしていきていきたいというかんがえを
ちいさいときからもっていました
きもちをうまくつたえられるようになったらいいなとおもってきました
きっといえるようになったらいいなとねがってきました
じぶんのきもちをつたえたいとおもってきました
にんげんとしてきもちをつたえられたらいいなとのぞんできました
ちいさいころからきぼうをだいじにいきてきましたが
ひとりのせかいでなやんできました
きぼうをつかもうとしてきて
きのうまでずっとたたかってきましたが
きょうしょうりすることができました
あすのねがいがかなえられ
せかいがえのようにうつくしくかおり
くつがえされたほうせきばこのようにひかりかがやくことを
こころからまちのぞみます
「世界が絵のように美し香る」という表現も、「覆された宝石箱のように光り輝く」という表現も、いったん書いた言葉を消して、一生懸命考えて選ばれた言葉だ。最後の「心から待ち望みます」という表現は、5分以上の長考の末に綴られたものだ。一つ一つの言葉をこんなにも大切にしながら生きているのかと驚かされるとともに、小学校2年生であるということをすっかり忘れさせる、そんなひとときだった。
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2009年2月25日 00時11分
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家庭訪問 |
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小学校2年の少年の手を手をとって軽く振りながら、「あかさたな」と聞いていく方法で会話が成立したので、希望を聞くとパソコンがやりたいという。そこでさっそく挑戦してみると、あふれんばかりの思いが吹き出してきた。
くやしかった
きもちがいいたいとおもってきました
ちいさいときからいつもゆめみていました
りかいすることはできてもはなせないのでくやしいです
いいたいことがいえたらうれしい
じぶんのきもちがいいたいといつもおもってきました
じぶんのつよいきもちをつたえたかった
きいてくれてありがとうございます
ちいさいときからのぞんでいました
きぼうがでてきました
これでいいたいことがいえます
みんなもはなせるとおもいます
ずっとおもってきました
さかんになってほしいこのやりかたが
このほうほうはむずかしいのですか
みんなもかんがえていることがあるのでほうほうをつたえてほしい
そして、厳しい言葉が続く。
きらいなのはからだがうごかないだけなのにちのうがかけているといわれることです
きいてぜんぶりかいできているのにりかいできてないとおもわれることです
くやしいです
私たちの社会の罪深い誤ちを、いつ、白日のもとに明らかにできるのだろうか。そして、方法について尋ねてきた。
ふしぎですかんがえただけでかけていきます
どうしてですか
説明をすると、的確な答えが返ってきた。
わかりました
ここだとおもっています
おとです
わかりました
いいきもちです
耳に集中していて、行や文字の音が聞こえると「ここだ」と思うと力が体にわずかながら体に力が入り、その力を私が読み取っているので、印象としては、「かんがえただけでかけていく」ということになるのだろう。
そして詩について問いかけると
つくっています
という返事。そして以下の詩が書かれた。
ちいさくねがいをもって
きれいなこころでいきていこう
ねがいはちいさくても
きぼうはちいさくても
じぶんのちいさなゆめをたいせつにしていこう
みらいはおおきくひらけている
ちいさいねがいをたいせつにしながら
じぶんのじんせいをいきていこう
ひとのしらないじぶんのすばらしさをたいせつにしていこう
ちいさいねがいだけど
ぼくのたいせつなゆめ
しずかにしずかにあたためていこう
じぶんのじんせいだから
きっとちいさいちいさいそんざいでも
きちんとしたじんせいになるはずだ
ずっとふつうのこどもになりたいとおもってきたけど
きびしいようなのでじぶんのことをみとめていきていきたい
じぶんのことをしんじていこう
途中、スイッチを操作する手を引っ込めたり、空いている方の手をパソコンのキーボードに出したりする。もしそれをある意図の発露としてみると、いやがっていたりいたずらをしたいというふうに見える。そのことを問題にすると、彼は、こう書いた。
まだつずけます
てはかってにうごくだけです
きもちとはかんけいありません
ぼくはただがんばっているだけです
ちいさいときからいつもないていました きもちをつたえられないで
じぶんのきもちがつたえたかった
いいたいことがいいたかった
いいじぶんになりたかった
じぶんをみとめてもらいたかった
きぼうのかなえられるじんせいをおくりたい
すばらしいじんせいがおくりたい
きいてくれてありがとう
いいいちにちになりました
おわります
つかれたけどいいきもちです
おしまい
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2009年2月25日 00時01分
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研究所 |
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数年にわたって通い続けた通所施設にお別れをすることになった日。文字盤や手の合図でコミュニケーションのとれる○○さんと、2スイッチワープロでゆっくりと会話できた。
いいすいっちですね ほしいです ひとりではむずかしいの
ねがいはじぶんひとりでやれるようになることです
ちいさいときからのゆめでした
きぼうがでてきました
じのべんきょうはちいさいときにしたのですが あとはふつうのがっこうにいけなかったのでべんきょうしていませんでしたから あまりむずかしいかんじはわからないけど だいたいのかんじはしっています
彼は、そのコミュニケーションの力によって障害は運動障害のみであると思われてきた人だが、勉強が十分にさせてもらえたわけではなさそうで、その無念の思いが伝わってくる。彼は、また、たくましい方で電動車いすで自在に行動している。そんな彼が次のような思いをしながら町中を移動しているとはなかなか気づきにくいことかもしれない。
きいてもらいたいことがある
きのうきんじょでちいさいこどもをつれたおとなにばかにされて くやしいきぶんになりました
きんじょのひとはみんなやさしいけど しらないひとはみんなつめたい
きんじょのひとたちとはうまくいっているけどくやしい
たたかってきたけどしらないひとはさべつてきです
さべつはとてもなくならない
そして、差別という言葉から、次のように話題が切り替わっていく。
きっとじぶんもさべつをしてきた
しょうがいのおもいなかまをりかいしてこなかった
いしがあるとはおもわなかった
ちいさいうちはりかいしていたけど だんだんそまってしまった
きたないこころになってしまったのがかなしい
さべつしてしまってもうしわけない
じぶんもしょうがいしゃなのにはずかしい
(○○さんを差別した人とはちがうのではないですか?)
ちがわないとおもう
きちんとあやまりたいとおもう
さべつてきだったじぶんをかえていきたいとおもう
この通所施設で、私たち夫婦は、多くの重度といわれる人たちの言葉の存在に気づかされてきた。それを見ていた彼が、率直に述べた言葉である。私もまた、差別してきたということを重く受け止めなければと思った。
この通所施設での関わり合いには、一区切りがこれでつく。障害の重い人や自閉と呼ばれる人たちの言葉の存在を明らかにしてきたとはいえ、その方法を必ずしも伝え切れているわけではない。関わり合いがとぎれることで、その方々は、再び、表現の機会を失うことになるかもしれない。それを思うと後ろ髪を引かれる思いだが、また、いつか再会する日もあることだろう。そして、○○さんが、きっと彼らのことをきちんと代弁してくれることだろう。
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2009年2月22日 14時36分
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通所施設 |
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つるつる、すべすべ、ざらざらなどの感触を学習の中に取り入れている○○さんは、いきなり、手をとって「あかさたな」と聞いていく方法で、「しばたしわしわ」と綴った。
そして、パソコンを出してみると、同じ言葉を書いてから、以下のような文章を綴った。
しばたしわしわ
ちいさいころにぶんをやりたかった
ねがいわはなせるようになることです
きいてくれてうれしい
くやしいちいさいころからはなせなくて
しばたふしぎ
ちいさいときからはなしたかった
きもちいいきいてくれてありがとう
ちいさいころからはなしたかった
きもちいい
ちいさいときからおかあさ
彼女は、視覚障害のある方で、高等部の重複障害学級に所属している。小さいときからの話したい思いがいやというほど伝わってくる。
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2009年2月22日 01時55分
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学校 |
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ある特別支援学校で、出会ったお子さんに、まず、「あかさたな」と聞いていく方法で話をした。そして、そのままパソコンに移っていいった。
このほうほうはだれがかんがえたの
かんたんです
ここで、詩を作ったことはないかと尋ねると、すっと、詩を綴ってくれた。
しみわたるきゃらめるのあまさ
くきょうのつづくぼくのじんせいのなかで
さいこうのあじだった
いつか
つぶくらいのぼくというそんざいが
ぬいぐるみのいのちとしてではなく
いちにんまえのいのちとして
せかいになにか
ちいさくてもいいあじわいを
もたらすことができたらいい
おしまい
彼は、最近、今流行の生キャラメルを食べたという。そしてそれが詩を生み出した。私は、そんなできごとを知らないから、このキャラメルという言葉が、期せずしてこの言葉が紛れもなく彼のものであることを証明することになった。日常の何気ないキャラメルの味ひとつから、世界を考える想像力の飛翔にただただおそれいるばかりだった。
そして、さらにこう続く。
きもちをしずめるためです
のぞみがかなってうれしいです
またあいたいです
ちかくにすんでいるのですか
しっています
さっかーのちーむがあります
ずっとはなしがしたかったのでうれしかったです
ちかくにきたらよってください
さようなら
ありがとうございました
たまたま、お母さん、学校の先生、訪問看護の方など、多くの方が見守る中で関わりが過ぎていった。初めて表現された彼の心の声を、みんな息をのむようにして、そして、時おり、涙を流しながら、聞いてくださった。
浦和には、サッカーチームがあることまで知っていた少年の心は、きっと大きく世界に開かれているにちがいない。
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2009年2月22日 01時44分
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学校 |
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青年学級では、今回もたくさんの人がパソコンで気持ちを表現した。その中から、詩として表現されたものを紹介したい。
まず、自閉と言われて施設で暮らすH.Yさん。彼は、言葉を口にすることの少ない人だ。
しろいきたかぜしろいゆきをつれてやってきた
ひとりぼっちのこのぼくに
しろいきたかぜちいさいぼくにしろいゆきをくれ
さびしさのじかんをわすれさせてくれた
いいしろいきたかぜはきっとことしもふくだろう
しろいゆきをふらせてぼくのさびしさをわすれさせてくれるだろう
きたかぜをまちながらきたにむかってぼくはさけぶ
きたかぜにむかってぼくはいのる
いいきたかぜいいひとにしてくれと
いいひととめぐりあわせてくれと
いいじかんがながれ
いいじかんがながれさり
きたかぜはゆめのようにきえたが
ぼくのこころにはみたこともないようなねがいのじかんがのこされた
かんしゃしようきたかぜに
かんしゃしようゆきに
みたこともないじかんをたいせつにしていきたいとおもう
いいじかんをちいさ
最後は、ちょっと時間がなくなってしまった。
次は、いつも、明るく大きな声で歌うK.Nさん。彼は、今回が初めての挑戦だった。先に語られた言葉とともに、詩を紹介する。
うれしいにんげんとしていきて
いきていきたいのできもちをつたえたい
ちいさいころからのゆめでした
ちいさいときからのねがいでした
ちいさいときからほんとうはわかっていた
ちいさいときからきもちがつたえたかった
いいきもちです
いいたいことがいえてうれしい
ほんとうはきたくしたいけどしかたありません
かあさんにめいわくをかけてしまうから
ないしょにしておきます
きもちがいえてうれしい
きもちがつたえたかった
だれかにつたえてね
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
いいたいことがいいたかった
つきあってほしいのは×××さんです
つたえたい
じぶんのきもちがいえたらうれしいとおもってきました
いえてうれしい
きいてほしいことがあります
ちいさいときからじぶんのきもちをつたえたかったのでじぶんをつたえられてうれしい
じをおぼえたのはにねんせいのときです
じをおぼえてもかけなくてくやしかった
いいいちにちになりました
いいじかんです
なかなかりかいしてもらえません
ざんねんです
ちいさいころからのゆめでした
くるしいきもちがきえないときは
そらをみあげてみよう
にんげんだからつらいきもちにまけそうになるけど
きぼうをすてずにいこう
きぼうのきたかぜはきっときたからふくだろう
にんげんとしてうまれてのぞみをすてずにいきていきたい
にんげんとしてきぼうちいさくかかげながらいきたい
ひとそれぞれのいいところをたいせつにしていこう
ちいさいなねがいでももちつずけていこう
しろくかがやくねがいだけをたいせつにしながら。
次は、ふつうに会話をするS.Nさん。自分からパソコンで詩を書くと言ってきた。
しをつくったのできいてください
かわいいたけのしげるみどりのはやしに
みようとしてもみえないみどりのかわいいふしぎなこどもが
もがきながらすいこまれていった
きいたこともないようなこえをだしながら
かわいいあんでるせんのひととゆめをみながら
いいにんげんになろうとしてた
もとのじぶんのすがたをそうぞうしながら
やさしいかぜがふいてきて
においのきれいなかぜになって
いちばんにおいのいいにんげんをあこがれながら
ながいさすらいのたびにさそわれて
いいちいさいわたしをゆめみながら。
次の方は、いろいろ言葉は話すことができるH.Sさん。口にする言葉は、定型にはまっているが、書くことはまた別だった。彼からは、以前、すてきな犬の絵を見せてもらったことがある。もう亡くなった犬のことだ。その詩を作っていないかと尋ねると、作っていると言って聞かせてくれた。
しろいしっぽのころがしんできれいなはながさいた
いまごろころはてんごくできっと
きれいなはなにかこまれているだろう
ひかりのなかをかけまわっているだろう
いいかぜにふかれていることだろう
しろいふさふさしたにおいのしずかないきです
べてをいろどるだろう
しろいいろはねがいのいろ
きぼうをちいさくつむぐいろだ
ひかりのいろだ
しろいいろのきぼうをきいて
ぼくにいいきぼうをあたえてくれるだろう。
最後は、車いすのK.Hさん。場所は、居酒屋である。
にんげんとしていきていきたいとおもうきもちはおなじです
にんげんなのできもちがあります
にんげんとしてきもちをきいてもらいたいです
あたらしいさけびをきいてください
ちいさいちいさいねがいのはながきれいにいいはなをさかせ
きれいにきれいにきもちをかえる
いいちいさいわたしはじぶんのいのちをさかせるために
いのりをささげる
きぼうのじかんがすぎていき
ちいさいじぶんのひとりのゆめが
しずかにしずかに
においのいいちいさいねがいのはなをさかせる
きりがなくちいさいきぼうでもじぶんのたいせつなもの
にんげんとしてのさびしさをなみだのうみにしずめ
じぶんのなみだをたいせつにききとり
いいねがいをかたりながら
さびしいねむりを
えられないようなよろこびであかるくそめる
あかるいよろこびはちいさいじぶんのなみだのおかげ
ちいさいじぶんのかちとったゆめのあかし
ぬいぐるみといえるようなあかるくないちうさなじぶんのかこのくるしみをこえて
あしたにむかってちいさくひらく
びろうどのようないいはなだ
いいじぶんがすくないちゃんすをものにして
かちとったかんどうてきなすがただ
多くの人がいろいろな形で言葉を奪われてきたということに慄然とする思いがする。
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2009年2月17日 23時49分
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青年学級 |
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事故で体の自由を奪われてしまって1年半ほどの時間が経過した○○君と再会した。今回は、担任の先生の希望で、数の問題と目の見え方の問題を尋ねてみるところから始まったが、あらかじめ書くことを用意していたのだろう、私たちの問いとは別に、次のようなしみじみとした文章を最初から綴った。
じっとしているといるととおいむかしのことをおもいだします
きおくにのこっているのはちいさいころのおもいでです
いまでもあざやかによみがえってきます
いいおもいでばかりです
すてきなのぞみをたくさんもっていましたけど
きぼうはかなわなかったけれど
ふしぎといいおもいです
きぼうがとぎれてしまってもきぼうがわずかにでものこっていれば
きっとにんげんはいきていけるのでしょう
たとえびさいなきぼうでも
きっとちからをあたえてくれるのではないでしょうか
きぼうのみちをあるいて
いいじんせいをいきていきたいとおもいます
きっといいじんせいがおくれれるとおもいます
ぎりぎりの状況を引き受けて生きようとする少年の魂の底からの言葉だった。
そして、次のような感想をはさんだ後に、私たちの質問への答えが書かれた。
いいきもちです
いいたいことがきちんといえてすばらしいほうほうですね このほうほうは
きゅうにすうがくのことをきかれたのでいまはうまくこたえることがむずかしいですがだいたいのことはわかります
ただみることができないのでこまっています
きごうをつかったすうがくはまだなれずにおわってしまってしまったのでよくわかりません
かんがえかたがしりたいです
ちいさいころからさんすうはとくいだったのでやりたいです
めはよくみえませんがちかくのものならすこしはみえます
じっとみつめることができません
いつもせんせいがみせてくださるちいさなもじはみえませんが
きれいなえはみえます
きっときれいなえのほうがみやすいのでしょう
きっともじはみつめなければいけないからだとおもいもいます
かおならわかります
じっとみつめるひつようのないものはちかくならわかります
非情に的確な答えをくれた。特に見え方については、以前の見え方を知っているだけに、現在の状況の説明が非常にわかりやすい。生まれつきの障害の方の場合は、両方の見え方を知っているわけではないので、なかなか私たちがどう見えているかを理解しづらいのとは対照的だ。これまで、おそらくこういうことなのだろうということの明確な答えがここにあった。
この後、手をとってア行から聞いていう方法を紹介し、その方法で、自分がわかる範囲でいちばんむずかしいような計算の式を作ってもらい、自分で答えてもらった。効き方は、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、0、記号」と聞いて、記号が選ばれたら、「+、−、×、÷、分数の線、小数点」と聞いて選んでもらった。そして、書かれた式は、3/8÷1/5=15/8 であった。彼の論理的思考の力が失われていないことも改めて明らかになった。
そして、手での会話しながら、君の言葉はきっと仲間を励ますだろうし、少しずつだけど他の人たちのところに届けているということを伝えると、「ともだちにきいてもらえるとうれしい」というようなことをいい、ともだちとは、以前からの友だちとまだ会ったことがないけれど同じような状況にある人たちということだった。
ベッドの周辺に限られた彼の世界だが、言葉は、もっともっと彼の世界を広げていくことだろう。
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2009年2月17日 13時04分
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学校 |
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学校で一度、短い時間をお会いして、パソコンと手をとって「あかさたな…」と聞いていく方法とで表現できることがわかった高校生の女性のお宅を訪問した。
お母さんは、17年間の思いを聞きたいとたくさん、質問を用意しておられた。彼女の答えの文章は1400文字を越える長い長いものになった。
彼女の文章からにじみ出てくるのは、とても控えめな慎み深さと、家族への感謝の思い。ところどころ抜粋しながら紹介したい。
またあえてうれしいです
いいたいことがいえていいきぶんです
(食事についての問いに対して)
しょくじはたりています
ちいさいときからじぶんでたべたいとおもっていましたがむつかしいとあきらめていました
ちいさいときからきもちをつたえたかったのでとてもうれしいです
いいたいことがいえてとてもしあわせです
(気持ちの表現をくみとろうとするお母さんの努力について)
じぶんのきもちをつたえられなくていつもこまっています
いいたいことすべてをきいてほしいとおもうけどそこまでもとめてはわるいからかあさんあまりむりをしなくていいよ
かあさんにもじぶんのやりたいことをしてほしい
かあさんにもかあさんのじんせいがありますからかあさんのくろうをかんがえるといいちかいをしなければいけません
(お父さんからの日曜日の過ごし方についての問いに対して)
にちようびはきゅうけいできればじゅうぶんです
たのみがあります
かわいいきくのはなをそだててみたいです
きくのはながだいすきです
はなはだいすきですが みるのがたいへんでわらうことができません
ばらのはなもだいすきですが なんとなくきくのほうがすきです
ちいさいころからきくのはながすきでした
あさひにはえるきくのすがたをみるととてもいいきもちになります
あささむいときは きくのはなもさむそうにしていて
あさくもっていると きくのこころもくもっているようにみえます
(特にこうしてもらいたいということはという問いに対して)
いつもかんしゃしているのでべつにありません
(おばあちゃんがなくなったことに関して)
おばあちゃんがなくなったことはしっています
じっかからでんわがあったときにわかりました
いいおばあちゃんだったからざんねんでした
ちいさいころからいつもかわいがってくれたのでとてもかなしかったです
いいおもいでがたくさんあります
さびしいですあえなくなって
あきらめきれません
いつもおもいだしています
じかんがたてばわすれらるかもしれませんがわすれたくないです
いいおもいでにできたらいいなとおもいます
きっといつかいいおもいでになるとおもいます
いつかいいほんとうのおもいでになったらいつかおばあちゃんのおはかにおまいりしたいとおもいます
ねがいはみんなとはなしができるようになることですがあまりむりをしないでほしいとおもいます
いいかげんかもしれないけどしあわせですからあまりそんなにようきゅうはしたくありません
あいしてくれればじゅうぶんです
いいかぞくにかこまれてしあわせです
(水泳教室で手を伸ばすことをめぐって)
てをのばすのはたいへんです
からだにちからがはいってしまうのでにんげんとしていきていきたいとおもいますので
すいえいのことはこれいじょうようきゅうしないでください
ひとそれぞれだからかまわないとおもいます
すいえいはすきです
いきたいです
みずのなかだとからだがらくです
にんげんとしていきていきたいだけです
にんげんとしていいじんせいがおくれたらいいとおもいます
(本を読んでもらうことについて)
ほんはだいすきですがよんでもらわなければいけないのでもうしわけありません
ひまだったらおねがいします
れんあいものがいいです
(さんぽについて)
おさんぽは はながみられるところがいいです
はなをみてるときもちがゆたかになります
ちいさいときからすきでした
きっといつかはなのようなひとになりたいとおもっていました
(手をとって話すやり方で話していると)
本当の事を言うと、のほほんと生きていければいいと思うので、柴田先生のやり方をお母さんができなくてもかまわないです。
いいやり方なので、愛してくれる人が現れたら、やってもらう。
大丈夫。(ここはお母さんによるメモ)
(好きな人はいるのという問いに対して)
いました
きいてもないしょです
ひみつです
終始和やかな空気の中で、しかし、はっとするほど大人の気持ちがさりげなく表現された。
人間として生きていくということの中に、たくましく、自分の障害をめぐる状況を、きちんと受け止めていることもうかがえる。
心が洗われるような、すてきなひとときだった。
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2009年2月13日 23時27分
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家庭訪問 |
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社会人の女性○○さんと、2度目の再会。昨年の11月に初めて会った。最初に、手だけで話す方法でいろいろと話し、お母さんにも代わってもらったりした。そんな中で、スイッチとソフトをさしあげてから、ずいぶんとおうちで努力なさったらしいが、なかなかうまくいかず、彼女にため息をつかれ、あきれられてしまうという話になり、彼女にため息の真意を尋ねてみた。すると、パソコンで、
かあさんががんばっているのにできなくてとてもすまないというきもちです
よくやってくれてかんしゃしています
がんばっているかあさんにたいしていつももうしわけないきもちでいっぱいです
という答え。お互いの深い深い気遣いは、時々、こういうすれ違いを生んでしまう。美しいすれ違いだが、お母さんはずいぶん気持ちが大変だったご様子だった。しかし、この言葉にお母さんも救われたようなご様子。さっそく彼女のほほを両手ではさみこんでおられた。
そして、詩の話をしてみた。
つくっています
(書いてもらえますか?)はい
そして次の詩が書かれた。
みたことのないけしきがわたしのまえにひろがって
ゆきがひとひらおちてくる
きたかぜがやさしくわたしをつつみ
ねがいどおりにしろいせかいがひろがる
いいねがいをたずさえて
しろいゆきがきたかぜにのってふってくる
きたかぜはくるしみにつかれたひとたちの
ほんとうのきぼうをしっている
きたかぜはきぼうのかぜ
ひとりぼっちのわたしの
きぼうのよりかかるやすらぎのかぜ
ちいさいころからことばをはなせなかったわたしが
べつのゆめをもとうとしてくるしんできたことをしっている
いいかぜがふいてねがいがかない
ちいさないいちかいをたて
わたしはあたらしいじぶんにうまれかわる
きのうのくるしみはあしたのきぼうにかわり
じぶんというそんざいにめざめた
ここで、私は、多くの同じ立場の仲間が、希望と北風を結びつけた詩を書いていると話すと、
きたかぜのいみをわかるのはほんとうのくるしみをしっているひとです
わかっているともだちがいてうれしいです
と返事が返ってきた。
こうした詩のやりとりの最中に次の◇◇さんがお見えになった。現在、高校1年生の女性だ。初めての方だが、○○さんの幼いころからの知り合いだという。5つほど年齢が違うようだ。おそらく確実に聞いているはずと考えたので、詩を改めて読み上げ、さらに、○○さんの手を取って、◇◇さんへのメッセージをお願いした。すると、「きっとはなせるようになるからあきらめないでがんばって」というような言葉を贈ってくれた。
そして、そこで◇◇さんにバトンタッチして、まず、手をとって話す方法に挑戦すると、さっそく素敵な詩だというような言葉が返ってくる。しばらく、○○さんとその方法でやりとりした後、改めて、パソコンに移った。
いいたいことがいえたらいいとおもってきました
きもちをいいたかった きぼうがわいてきました
きぼうのきたかぜのことはよくわかります
くるしみをしっているひとにだけきたかぜはやさしくふきます
きたかぜはきたのくににねむるかなしみをあつめてふいてかなしみをしずめてくれます
きたかぜはだからきぼうのかぜです
そして、自分も詩を作っているということで、次のような言葉と詩が続いた。
きいてください
きのうのかなしみはきょうのよろこび
しらないちいさならんぷがともるように
わたしのこころにきぼうがともる
きぼうのともったらんぷをたかくかかげて
めのまえのくるしみをあかるくてらそう
そうかんがえるとしあわせがみえてくる
ちいさなあかりでもきぼうのあかり
たとえゆうだちがきてもきえることはない
ねがいはきっとかない
ゆめはきっとげんじつになる
くるしみのむこうにいいしあわせがひかっている
いいしあわせにむかってとびたとう
この詩を聞いた○○さんも、◇◇さんが、言葉で気持ちを表現できたことを、心から喜び、また、この詩についても、とても素敵な詩と感想を述べ、ここで帰路についた。
そして、◇◇さんの文章は、さらに続く。
ねがいがかなってうれしいです きぼうがかなってうれしいです じぶんでひとりぐらしがしたい ちいさいころからのゆめでした きぼうはけっこんすることですがむずかしいかもしれません いちばんいいとおもうのはすてきなひとにであえることです いいひとにであいたいとおもいます ちいさいころにかあさんがえほんでおしえてくれました いつもねがっていました じできもちをつたえたいとりかいがえられてうれしい
ちいさいときからのゆめでした
ちいさいときにはいつかはなせるようになるとおもっていましたが きっともうだめかとあきらめていました でもはなせることがわかってかんげきしています
ありがとうございました またよろしくおねがいします
高校1年生の彼女は、もう、しっかりと大人になることを考えながら生きている。そして、その中には、もう、自分は話せることはないかもしれないという思いも含まれていた。
私のような人間が、一人の人間の生きる希望に関わるということはとても大それたことだ。今、そういう関わり合いの中に自分が身を置かせていただいていることに、不思議な感謝の念を抱く。その感謝は、きっと、これまで出会ってきた障害の重い多くの人々と、今まさに出会っている目の前の人に向けるべきものであろう。
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2009年2月12日 17時06分
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高校2年生の☆☆さんは、まず、こんな悩みから始まった。
なやんでいることがあります
ちいさいものですがきになっています
じぶんでくらしていくためにはどんなふうにすればいいのでしょうか
ちいさいときはりょうしんといっしょがいいとおもってきましたが
だんだんせいちょうするにつれて
じぶんひとりでいきていきたいとおもうようになってきました
くらしていくにはどうすればいいのでしょうか
この問いを受けて、まず、「重度の身体障害があって一人暮らしをしている人の
ことをテレビで見たり実際に会ったりしたことはありますか。」と問いかけた。その答え
は、
しっています あったことがあります
とのこと。そこで、今、やっている介助は、通訳だと考えることができるということと、
もし、いろいろな人が手をとって「ア行、カ行…」と聞いていく方法で簡単に気持ち
をきけるようになったら、そういう人と同じ立場に立てるのではないかということを伝え
、今はまだ、理解者が少なくてむずかしいけれど、必ず世の中は変わるだろうし、そ
のときは、一人暮らしも可能になるのではないかと語りかけた。すると、
きいてよかった きぼうがわいてきました
いそぐつもりはありませんがいつかじつげんしたらうれしいです
にんげんとしていきていきたいとおもいますが なかなかひとりでいいたいことがいえ
ないのでこまっています
いのっています いつも
ぎんせかいのようにすてきなせかいがくることを
と答えが返ってきた。前の時も詩を書いてくれた☆☆さんならではの、美しい表
現だった。そこで、詩を書いてくれますかと聞くと、
きいてほしいですがしんじてもらえないのはかなしいです
という答えが返ってきた。とてもすばらしい詩だったのだが、必ずしも、みんなに喜
んでもらったというわけではないようだった。それでも、いろいろと語りかけると、
きいてください
と改めて述べて、次の詩を綴った。
いつもわたしはきいている
ちいさいときずっとくるしんでいたころに
がいこくのきれいなうたをきいて
こころがやすらいだときのうしなわれたこえを
ちいさいころにきいていたがいこくのうたは
かなしいいのりにみちていた
みたこともないとおいくにのかなしみをあいしながら
やさしいねがいをいつもみつづけていた
きっといつかねがいがかない
きれいなこころでちいさいころをおもいだせるひがくることを
いつもいのっていた
きれいなこころをうしなわないことを
いつもきぼうがくなんにみちたじんせいをかえてくれることを
いつもねがってきた
じぶんのきもちがいえるようになることを
いつもゆめみていた
にんげんとしてきもちがそんちょうされるひがくることを
いしをもったにんげんだから
きいてもらいたい じぶんのきもち
きいてもらいたい くやしいきもち
いいかぜがふいてきて
わたしのねがいがとつぜんかなった
いいかぜがふいてきて
わたしのだいじなゆめがかなえられた
かこのくなんはかこのものとして
いいかぜをかんじながら
いいじんせいをいきていきたい
きのうのかなしみはあしたというひのきぼうにかえて
いいいちにちをきょうもいきられたことにかんしゃしながら
いいねがいをたいせつにして
きぼうにみちたじんせいをいきていこう
再び胸を深くうつ詩だった。
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2009年2月12日 01時18分
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ゆっくりと言葉で話すことができる社会人1年目の○○君は、2スイッチワープロでは、おしゃべりとは全然別のことを書く。しかも、口では、「すごい」などと、自分で自分に驚きながらだ。今回の彼の文章は、以下の通りだ。
いいことがありました
きのうぬけだすことができました
じぶんはじんせいのつらさをにばんめにかんがえることにします
ひろいこころがなによりもさいこうで
ちゃんとしたにんげんになるためには
ちゃんとしたきもちをもつことがだいじです
じぶんというそんざいはきのうのなみだといっしょに
ゆめのなかでらくにつくっていけるとおもいます
きいてください
にんげんのふかいこころはなぜのぞみをひつようとしているのでしょうか
にんげんのふかいこころはどうしてほんとうのすばらしさをしっているのでしょうか
ちいさくてもたいせつないのちだから
にんげんはにんげんとしてはいやくのようなりそうを
よきゆめとしてもちつずけていかなくてはいけません
きぶんがいいです
ちいさいときからずっときもちをつたえたかった
ゆめでした
ちいさいときにみんなといっしょになりたいとおもってきたけど
かないませんでした
りそうはにんげんとしてちいさくてもじぶんのきもちとずっとよりそいながら
きぼうをたいせつに
かのうせいをだいじにいきていくことです
きぼうというものをちいさいころからきいてもらえなかったからくやしかった
じぶんのくやしさはちいさいけれど
ちいさいねがいのすばらしさをつうかんしたので
ぶじにちいさくてもいいねがいをもつことができました
いいねがいをもってつよくいきていきたいとおもいます
きっとえらばれたひととしていいじんせいをいきていけるとおもいます
いいいきかたがしたいです
きぼうをたいせつにいいかんがえをもっていきたいとおもいます
ねがいのとおりのいきかたをしたいです
ささえてくれるひとたちといっしょにいきていきたいとおもいます
きいてくれてありがとうございました
おわります
現在19歳の○○君。もう立派な大人として、人生をしっかりと見据えている。
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2009年2月7日 23時32分
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しのそうさくをしてきました きいてください
そういって、☆☆さんは詩を書き始めた。
すてきなちいさなしろいにんぎょうをひろいました
にんぎょうは
ちいさなちいさなぬいぐるみをかかえています
ちいさなぬいぐるみは
ちいさなにんぎょうをかかえています
ちいさなにんぎょうは
ちいさなぬいぐるみをかかえています
ちいさなぬいぐるみは
ちいさなにんぎょうをかかえています
しろいにんぎょうはいいこえではなしをします
にんぎょうはにんげんになることをゆめみていました
にんぎょうとにんぎょうのあいだにはさまれたぬいぐるみも
またにんげんになることをゆめみていました
きっとねがいはかなえられ
きっとにんげんになれることでしょう
きっとちいさなしろいにんぎょうは
ちいさなちいさなねがいをふちどったねがいのはなたばを
ちいさなにんぎょうとちいさなぬいぐるみにあげました
ひとりぼっちのにんぎょうは
ちいさなぬいぐるみをちいさくしながら
しろいにんぎょうにはなたばをくれませんかとききました
ひとりぼっちのにんぎょうは
ひとりぼっちのさみしいぬいぐるみに
そのはなたばをくれませんかといいました
ねがいにふちどられたねがいのはなたばは
ちいさいにんぎょうにはぬいぐるみのように
ねがいにふちどられてふしぎなこえをだしていいました
ちいさいちいさいにんぎょうはいきをして
ふしぎなこえでいいました
くるしかったけどすくわれました
どこか言葉遊びのようなおもしろさを漂わせながら、懸命な願いのこもったせつない調べの詩だった。
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2009年2月7日 22時46分
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二人の中学生が、それぞれ、詩を書いた。多くの人たちと同じように、彼らもまた、北という方向と風とに特別の思いを抱いていた。
しろいかぜがふいてねむりについたぼくは
のはらをはしるしろいうまになり
ちいさいすーねをきぼうのかぜにのせてあげようと
きたにむかってとぶようにかけていった
しろいかぜはいいうまにしてくれるかぜ
めをとじるときたのしろいだいちがみえる
ちいさいときからはなすことができなかったぼくの
かなしみがそこにはねむっている
しろいかぜはそんなぼくのねがいをしっていて
ねがいをかなえるためにふいてくる
ちいさいねがいだけどたいせつなぼくのきもちだ
しろいかぜよ
くるしみをつよいみらいへのきぼうにかえて
ゆめをいっぱいください
ぼくのしろいたてがみをせいいっぱいゆらし
せいいっぱいかけていけるようみまもってほしい
「ちいさいときからはなすことができなかたぼくのかなしみがそこにはねむっている」という言葉が、ずっしりと響いた。中3の彼は、これまで、自分で何とか書こうという強い自立の意志を持っていたので、たくさん書ける今の方法は、試してみてこなかった。今回が初めての挑戦になる。これまで、どちらかというと、いたずらっ子風の言葉使いがめだっていたが、今回は、一気に、まじめな顔を見せた。そして、途中、うなるような声を出していたので、手をつないでふる方法で、その声にはどんな感情がこもっているのかを尋ねると、「うれしい」という返事だった。
二人目は、中2の少年だ。
きたかぜにきいてみよう
ずっとまえからみみをすませてきいていました
しろいゆきはひとのこころをうつくしくして
きたのくにへとかえっていきます
きたかぜはしずかにしずかにふいてきます
きたかぜはしろいゆきをしたがえて
みらいのゆめをぼくにくれます
ちいさいぼくはきぼうをゆめみながら
ちいさいころのねがいを
ちいさいみらいにずっとまえからゆめみていました
きぼうのきたかぜはちいさいぼくにりそうをくれて
きぼうをくれました
きたかぜはしろいゆきといっしょに
きたのくにからふいてきて
にんげんにきぼうをあたえます
きぼうのきたかぜがふいて
きぼうがだいちにみちあふれます
ちいさいぼくはねがいをもちながら
きょうもみみをすませている
そして、詩を作ることについての彼のコメントは以下のようなもの。
かんがえているときもちがおちつきます
きいてくださってありがとうございます
うれしいですいいきもちです
彼とも、手を握ってふる方法も試してみた。おかあさんも、これならやれそうとおっしゃる。これからの広がりが楽しみだ。
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2009年2月7日 22時02分
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どうしてちいさいときにいちばんだいじないきかたのことをがっこうではおしえてくれないのですか
こんな重い問いから始まった関わりだったが、やりとりを進めていくうちに、彼女は、小さな美しい物語を聞かせてくれた。
きれいなさざなみのおとがして
きれいなさかながゆめをみていました
ちいさいふつうのきれいなさかなですが
きれいなこころをもっていて
きれいなすがたをしていました
きれいなさかなはちいさなねがいをもっていました
きれいなうみがみてみたい
すてきないのちにであいたい
にんげんになっていいすがたになりたいと
あこがれていました
きちんとしたけむりをなくしながら
きれいなじぶんをじっとちがうにんげんにみせたいとおもいながら
あかるいつきをながめていました
きれいなしろいつきはじっとわたしをながめながらいいました
きれいなさかなさん
きれいなこころはさかなにしておくにはもったいない
いいりそうのすがたにしてあげようと
そしてきれいなきれいなひかりがさして
しろいつきはちいさなくらいべーるをなげました
きれいなきれいなさかなはすいちゅうのいしころをくわえると
きれいなきれいないしをかいちゅうになげこみ
かいちゅうにからだをなげいれると
きれいなきれいなひとになっていました
この物語にこめられた切ないばかりの意味が、その情景の美しさによってより深さを増して、私たちに迫ってくる。
こうした物語を自分だけに向けて語りながら、彼女は、彼女自身で、冒頭の問いである「生き方のこと」を考えて続けていたのだ。
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2009年2月6日 17時43分
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青年学級の活動も年度末が近づいてきた。3月の成果発表会、そして、5月には、わかばとそよ風のハーモニーコンサートが控えている。
朝のつどいの中で、まず、Hさんにパソコンを挑戦した。彼は、いわゆる「自閉」と呼ばれる方。入所施設で暮らし、仲間につきそわれるようにして毎回公民館にやってくる。彼の気持ちの表現は、一度も聞いたことはなかった。
いいやりかたですね
うれしい あきらめていました ことばがはなせるとはおもいませんでした
さびしい だれもきもちをりかいしてくれないから
かあさんにあいたい いきたい はか いきていたらことしではちじゅういち
きになっています さみしがっていないか
きぼうがでてきました
ききたいことがあります かのじょはできますか
しばたさんはけっこんしていますか あいしていますかかのじょを
かあさんといっしょにがいこくにいきたかった
だきたいです かあさんを
ちいさいころからはなしたかったです
そんばかりしてきたので そんしたのをとりもどしたい
すんだことはしかたないけど にんげんとしていきていきたい
じぶんのきもちをいいたいです
いいあかるいかぜがふいてきました
彼は、すでに母親を亡くしている。小刻みにスイッチを動かす手に力が入るので、ところどころ、読み取りにまちがいがあるかもしれないし、母親の年齢のところは、自信がない。しかし、母への思いが、切実に伝わってくる。
集いで書いたのはここまでだったが、活動の途中で、もう一度機会があった。
きもちいいいいすいっちですね
(コース活動で取り組んでいることについて)
かんきょうもんだいはちきゅうのおんだんかです
きおんがあがってしろくまがこまっています
(施設での農作業について)
のうさぎょうがたいへんです なかなかちいさいさくもつはおおきくなりません
いつはがかれるかしんぱいです
(施設の周りの環境の変化について)
いえ いっぱいたって あいぞう(愛憎)にあふれるようになった
しぜんはこころがやすらぎます
きはこころのかなしみをいやしてくれます ちいさいときからきがだいすきでした
いいにんげんになることがゆめです あきらめていました
いいたすけがあらわれました
きっとかあさんもてんごくでよろこんでくれているでしょう
いいきぶんです
Mさんはせっかちですがやさしいひとです
すてきなひとです きちんとしています いいひとです
しっています ちかくにすんでいました いいひとです
たのみたい すいっちを
(途中手をとってやる方法も試みた。その感想は、)
いいすいっちなのであれもいいけどこちらのほう(手を取り合う方)がかんたんですはい
なかなかコースは一緒にならなかったHさんだが、もうつきあいは長い。言葉がないことは、自明として、つきあってきてしまった。一つ一つの言葉が、重い人生を伝えてくるようだ。
そして、お昼頃、Oさんが登場した。障害の重い人として、ずっと関わって来た方だが、今年度は休みが多くて、久しぶりだった。Oさんと同じタイプと思われていた人たちがみんな言葉を表現したから、Oさんが同じように言葉を表現するであろうことは、予想ずみのことであった。来るなり、さっそく、パソコンに挑戦した。そして、次のような文章が綴られた。
いいね なぜことばがあるとわかったの きぼうがでてきました
いいたいことがいいたいとおもってきました
かあさんにつたえてください きかせたいことがあります
いじいじといきていくのはいやなので きちんといしをいってあかるくいきていきたい
からだがうごかないけど いしがありますから きもちをいいたいとおもってきました
きもちいいです
ぎせいになりたくない ひのあたるところがほしい
きびしいです いまのせいかつは
いいたいことがいえなくて
てではなせるとはおもわなかったのでかんどうしています
いいほうほうですね うれしいです きもちがつたえたかった
ちいさいころからのゆめでした うれしくてなみだがでてきました
じぶんのきもちがいいたかった くやしかったけどきぼうがわいてきました
しばたさんはどうしてぼくがことばがわかったのですか
なぜぐっちゃぐっちゃのぼくなのに
ぎせいになるのはいやです
ひかりがさしてきました ちいさいときからのゆめでした
いきるきぼうがわいてきました
きのうのくるしみはかこのものになりました
りかいされてこなかったけどこれでねがいがかないます
じぶんをひょうげんしたかった
いしがいいたかった
いいたいことがいえたらいいとおもってきたけど
いいたいことがいえそうでうれしい
きかいがほしい きかいがあればだれとでもやれるから
せいねんがっきゅうのときにはふつうにできるのですか
うちでもやりたい よかったらうちにきてください
すばらしい かあさんにつたえてほしい
きもちがいいたいからきもちあふれています
いいうたです わかる
きいてくれてありがとう
小柄なOさんは、いつも車いすで天井を向いていることが多く、天井のライトのきらめきが好きだなどと言ってきた。そういう姿は、以前は、なかなか言葉の存在を感じさせる姿ではなかったが、この日、パソコンで気持ちを綴り終えたOさんは、きりりと前を見つめ、意志を備えた人として、誰の目にも映っていた。
もう一人は、定時制高校まで通った「自閉」とされるHさん。最近傷つくことがあって、お見えになっていた。若いスタッフのIさんが、ぜひ、気持ちを聞いてくれという。自信はなかったが、むしろHさんは、積極的に近づいてきて、すぐに綴り恥得mた。
Iさんいつもありがとう
まっていますにんげんだからいしがあります
いしをいいたいです
ぎもんがあります
ぎんのいろのぐるーぷはにちようびにはこないのですか
しらないひとたちです
ねているときにやってきます
なんねんもまえからです
いえです
みたこともないようなふくをきていじわるなことをいいますがなにもしません
いきなりきていろいろなことをいいます
ちいさいときからきてはこまらせます
いちにちきもちがおちつきません
いいやりかたがあったらおしえてほしい
がっきゅうのひはきません
ちいさいときからふしぎでした
いいきもちです
しにします
ききたいことがある
いいかぜはどこからふいてきますか
きっときたからふくでしょう
ちいさいひかりがさしてきて
いいみらいがひらいてきます
いいにんげんはどんなかがみをもっていますか
きぼうがうつるかがみですか
じぶんのきもちがうつしだされ
きもちがかなうかがみです
いいかぜはどちらのほうからふいてきますか
きたからきっとふくでしょう
じぶんのいいたいいろいろなきもちをことばにして
いいかぜはきっときたからふくでしょう
きたのくにからふくかぜは
きぼうとゆめをはこんでくるでしょう
きぼうとりそうをのせて
きっときたからふくでしょう
きぼうとあいをのせて
きっときたからふくでしょう
あいというのはふしぎなことば
ちいさなこころをおおきくしてきぼうをくれます
ゆめというのはふしぎなことば
じぶんのしずんだこころをあかるくする
きぼうのきたかぜみつけたら
かなしみしずかにきえていく
いいきもちです
きぼうがでてきました
みていました
やれたらいいとおもっていました
わかります
ぼくもおなじきもちです
きりがないからこのへんでやめます
はい
(夕方迎えに見えた、お母さんの前で)
いつもありがとう
かあさんさびしいにゅういんしたら
からだにきをつけてください
がかになりたかったけどさいきんきもちがくるしくて
がかにどうしてもなれそうもありません
きいてほしかった
さかのぼってかんがえるとあいしてくれたことにかんしゃできますが
もうおとなだからきてもらわなくてもだいじょうぶです
きてほしくないわけではありません
パソコンをやっている最中、今まで見たことのないような、解放された笑顔をすることが印象的だった。彼は、文章も読みこなすのだけど、なかなか気持ちを表現することはできず、まさか、この方法で一気にこれだけの表現をするとは思わなかった。「あいというのはふしぎなことばちいさなこころをおおきくして」のところは、さっそく、コース活動で作っていた歌の歌詞の一部として、くわえた。
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2009年2月4日 01時59分
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青年学級 |
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