盲学校の高等部の女性の言葉を、パソコンと手を振る方法とで聞いているが、今回は、お母さんも見えた。なんと、携帯についたテレビ電話の機能で、学習中の様子を、彼女を大切にしている親戚の方のもとへ実況中継してくださった。その中で、彼女は次のような言葉を綴る。冒頭は、前回と同じ言葉だった。
しばたしわしわ
ゆめ ゆめ
ねがい ねがい
にんげん にんげん
きぼう きぼう
すばらしい
にんげんのすなおさがねがい
ちいさいときからきもちがつたえたかった
ねがってきました
かあさんいつもありがとう
きいてくれてありがとう
いいじぶん
言葉を二つ並べることから生まれるリズムは、まるで、音楽のように彼女を包み込み、彼女の心の中に豊かな世界を生み出しているようだった。
盲学校の重複学級に在籍する彼女は、2年前、この学校の高等部に入学してきたのだが、当初は、ずいぶんと心を閉ざしているように見えた。その彼女の心の世界を、担任の先生方は、彼女の存在を心から尊重しながら根気よく解きほぐしてきた。学習の内容も、いつか点字をさわるところまで到達している。まだ、彼女が読めているのかどうか、定かではないところがあるものの、点字を触る彼女の顔は、誇りに満ちあふれている。こうした言語表現も、そんな先生方の関わり合いの土台の上に花開いたものにほかならない。
携帯で実況中継を続けるお母さんも、心から娘さんの成長を喜んでおられた。
新年度もまた、最高学年になった彼女といろいろな言葉を交わしあえたらと思う。
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2009年3月15日 22時43分
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2月の病室での☆☆さんの言葉を紹介したい。昨年の1月に関わり始めて、毎回、じっと手に伝わってくるわずかなものを感じ取って、ようやく1時間半ほどかけて10文字聞き取るのがやっとということを続けてきて、12月には30文字ほど読み取れるという状況だったが、1月から手を手を握って軽く振りながら「あかさたな」と聞いていく方法を始めてから、文字数が飛躍的に伸びた。(ただ、パソコンではないので、横で筆記していただく必要がある。)☆☆さんは、まず、そういう状況について話し始めた。
☆☆をりかいしてくださってありがとうございます
☆☆はじぶんのきもちをもうにどどわかってもらえるとはおもいませんでした
なぜしばたせんせいはやめようとはおもわなかったのですか
かんしゃしています じぶんのきもちをいえてかんげきしています きもちがいえるようになったのできもちがらくになりました
げんきなときはよくねがいごとをかあさんにいってきましたが いえなくなってからなにひとつわたしのねがいごとをつたえられなくなってしまって のぞみをもつこともわすれてしまいました びっくりしました よくわたしのてのうごきをよみとることができるなんてしんじられないきもちです すばらしいほうほうですね じかんがかかりましたがわかってくださってありがとうございます
私は、☆☆さんのこれまでの経緯をほとんどうかがっていない。ただ、枕元には、今よりももっと体を動かすことのできた小さい頃のあどけない写真がある。その頃も、けっして自由自在にコミュニケーションができたわけではないらしいが、おそらく、何かのかたちで、今よりも気持ちを伝えることができていたのだろう。そのような状況をふまえての言葉だ。
この後、担任の先生も積極的にこの方法に挑戦していて、何かの言葉をやりとりしていたが、それがあっていたかどうかを私が尋ねてみた。
あっていました なんかいもやっているうちにわかるようになるとおもうのでよろしくおねがいします
さらに、前々日に先生が聞き取った同じ病院に入院しているお子さんのことを先生が尋ねた。
おぼえています しんぱいです にかいのきゅうめいせんたーにはいるのはびょうきがおもいとゆうことですから どんなぐあいかしりたかったのです
ここで、私は、頭の中で詩を書くことがありますかと尋ねた。すると、
あります
そこで聞かせてくださいとお願いした。
はい
きぼうのひかりがさしてふしぎなかぜがふいてきた
ねがいのみをのぞむねがいをゆめみて
ほんとうのきぼうがかなった
ねがいのいのりがてんにとどいて
さいこうのねがいのようにひかりました
しずかなしずかなわたしのよろこびがからだじゅうにひろがって
ゆめのようなのぞみがわたしのこころのなかに
よろこびのときをもたらした
ひかりがさしてわたしのうえにふりそそいで
なんともいえないよろこびが
わたしをいいせかいにつれだしてくれた
おしまい
表現することの喜びがひしひしと伝わってきて、私も、そういうできごとにかかわらせていただいていることを、この上なくありがたいと思った。
そして、今度は、横で見守っておられるお母さんに何かありませんかと尋ねてみた。
とてもうれしい わたしのことをいつもめんどうみてくれてありがとうございます かんしゃしています
そして、隣のベッドの○○君を気遣う言葉が続いた。
はやとくんがまっています
その言葉を受けて、隣のベッドに私は移動した。○○君との会話は今手元にないのだが、同じ方法で、やはり飛躍的に文章が長くなっている。その間、先生は、☆☆さんと会話を続けていた。それは、お母さんが昨日びっくりすることがあってしょ、あのことを教えてあげたらという言葉を受けてのことだった。
まねみさ(けす)やざ ちとしま(けす)もかわたしもめお(けす)りよきは
まだ、はっきりとしてはいないが、すでに、そこには、確実に彼女の言葉の断片が綴られている。そうこうしているうちに、私は、○○君から☆☆さんのメッセージをもってもう一度ベッドサイドに立った。内容は、さきほどの詩を聞いた○○君がそのことをほめたことだった。すると彼女はこういう答えを返した。
とてもうれしい ○○くんのきもちがつたわってきました くるしいときもあるけどともだちがそばにいるのでさびしくないです これからもよろしくね
24時間、同じ病室で過ごしているけれども、会話を交わしたのは初めてのことだ。中学2年生と小学2年生だが、1年半同じ病室にいて、2人の気持ちは、すっかり通じ合っていた。
さらに、さきほど先生と何を書いたのかを聞いてみた。
ちかくよいしらせがわたしにおとずれるとおもいます きっとおかあさんがはやくびょういんをたいいんするといってました わたしのねがいです
これは、周囲の者にとっては、とても意外な答えだった。退院ということは、お母さんンは一度も口にしていないとのこと。そこで、私が、「ねがいとして頭に浮かべたの?」と聞くと
ねがいをいいました
と答えが返ってきた。そして、さらに文章は、別の内容に移っていった。
しずかにしているとこえがきこえてきます
ずっとむかしのわたしのゆめがきこえてきます
いいじだいのわたしのゆめです
しずかにしているときこえてきます かこのきれいなおもいでのおとが
しずかにしているときこえてきます
ちいさいころのすてきなこえがします
しずかにしているときこえてきます
じぶんのかなえられなかったゆめのこえがします
しずかにしているときこえてきます じぶんのゆめのこえが
なにもしらずにいきていたころのねがいのこえがします
しずかにしているときこえてきます
ゆめはかなわなかったけれどあたらしいきぼうをしらせるこえがします
やっとあたらしいきぼうのこえがきこえてきました
といつか詩になっていた。そして、その詩を受けてさらに言葉は続く。
しんじてにんたいしていたのですくわれました きぼうがわいてきました
にんたいしてきたかいがありました
ずっとまちつづけていました このひがくることを
きぼうがくるしみにとってかわりました(本人は、「くるしみがきぼうに」と書いてしまい、先生からこれだと反対になってしまうねというと)
かきまちがえました
にんげんとしてうまれてよかったとおもえるようになりました
みらいがひらけてきました
ねがいがむくわれました ねがいがとどきました
しあわせです わかってくれてありがとうございます
きょうもとてもよいじかんをすごせてうれしいです
ありがとうございました またよろしくおねがいします
2月も下旬の病棟にも少しずつ春の訪れが感じられるようになったが、ともに過ごした時間は、長い冬を耐えた花が、一気に春を謳歌するように咲き誇ったような時間だった。
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2009年3月15日 22時31分
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小児科病棟 |
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久しぶりに会ったで、思いがいっぱいたまっている様子の20代の女性○○さんは、早速次のように文章を書き始めた。
かきたいことがいっぱいあってたまっていました
ちいさいときになんでもいえたらいいとおもっていましたが けっしてあきらめないでちいさいときのおもいでをたいせつにしていてよかったです
ちいさいときはなぜわたしだけはなせないのか じぶんでもりかいできないでくやしくおもっていましたが ちいさいときにはわからなかったことが おとなになってわかるようになって かいごされることのいみもかんがえられるようになりました
きもちがいいたいとちいさいときからおもってきましたが きもちがいえるようになってうれしいです
じぶんのいいたいことがいえたらいいとちいさいときからねがってきましたので ねがいがかなってうれしいです
きょうのじしんがきになっています じしんがくるといやです
(私「今日地震ありましたっけ?)
きになっているのでときどきかんじています
(母「ヘルパーさんについて書いて」)
へるぱーさんにはいつもおせわになっています
とてもみてくれるのでたすかっています
すいぶんほきゅうがねがいです じぶんではのめないので できればすいぶんほきゅうのかいすうをふやしてほしい
いつもいいにんげんになりたいとおもいますが ねがってもなかなかちゃんとしたにんげんにはなれそうもありません
すなおになれないときがあるからです
(私「どういうときにそう思うのですか?」)
きたいどおりにいかないとおこってしまいます
きちんとしたじんせいをいきたいです
いきているいみをかんじたいです
(私「でも、生きている意味を感じる時もあるのではないですか?」)
きもちいいとおもえるのはきぼうについてかんがえているときです
のぞみやきぼうについてかんがえているときもちがらくになります
ねがいはにんげんとしてきちんとしたきもちをくんでもらって ねがいをかなえてぶんそうおうのじんせいをいきていくことです
じぶんのかんがえをいいたいとおもいます
きいてください
ねがいのこえは すいれんのはなのようにひらき
ねがいのこえは にあいのとりのように ちいさなしあわせをかなでる
だいじなことは きのうのなみだをあしたのきぼうにかえることです
ちいさいときから そうおもってきました
あいされることよりも あいすることがだいじで
だいじなことは たのみのゆめをうしなわないことです
きぼうをいつまでもたいせつにして いきていきたいとおもいます
おじいさんになってもおばあさんになっても ずっとざゆうのめいとしていきたいとおもいます
にんげんとしてきいてもらいたいです
じぶんのきもちをきいてほしいです
ぬいぐるみのいきかたにはおわかれです
がんばっていきていきたいとおもいます
ねがいをいえてよかったです
いいきもちです
すーっとしました
おわります
「かいごされることのいみ」「いきていることのいみをかんじたい」「ぶんそうおうのじんせいをいきていく」「ずっとざゆうのめいとしていきたい」彼女の胸の中で実に様々のことが考えられていることが、ひしひしと伝わってくる。彼女は、終始、身をよじらせながら、叫び声のように声をあげながら、文章を書いていった。途中、心配になって、その声の意味を手をとる方法で尋ねると、「きもちがあふれだしているだけです」という答え。彼女の顔に、さわやかな笑顔が戻ったのは、すべてを書き終えてからだった。
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2009年3月15日 20時56分
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研究所 |
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青年学級で作った「願いの季節」という歌を○○君と☆☆さんに聴いてもらった。パソコンで初めて自分の気持ちを綴った人たちの言葉を中心にしながら、メンバーみんなの言葉を合わせて作ったものだ。その歌詞は、次の通りだ。
1.小さな幸せ小さく開き 願いの通り満たされて
小さな幸せ希望に満ちて 希望を運び喜び広げ
人間として生まれて生きてきて 自分の気持ち聞いてもらいたい
かってに体が動いて悲しい きれいな気持ちで生きていくのが夢
生きていきたい自分の足で 生きていきたい自分の目で
希望小さくささやきながら 希望に満ちた人生生きる
2.小さな幸せ花のように 静かに静かにきれいに湧いて
歌がしきりに待ちきれないで 自分光らせ生まれてくる
虹をみんなで探しにいこう 自分で虹を空にかけてみたい
やっぱりきびしい話せないのは 人間だからあふれる気持ちがある
小さな願い大切にしよう 小さな願いしっかりと
希望小さくささやきながら 希望に満ちた人生生きる
3.瞳閉じると天使舞い降りる 私の愛の告白を
人それぞれの夢があるから 天使にお願い聞いてほしい
声を聞かせて心の輝きを 口を開ければ空のように輝ける
愛というのは不思議な言葉 小さな心を大きくしてくれる
時代がどんなに変わっても みんなと一緒に一歩ずつ
自分に何かがあった時も 仲間がきっと助けてくれる
○○君は、実はこの日、ひとしきり、学校でのできごとを書いた。それは、彼が言葉を理解できていないと思った教師が小さな声で語った心ない言葉についてだった。そこで、切りかえるために、この歌を聞いてもらったのだ。そして、彼は感想としてこう書いた。
にんげんとしてうまれていきてきてというかしがよかったです
ちいさいときからちいさいしあわせをたいせつにしてきたのできもちがよくわかりました
そして、最近、詩だけでなくメロディも作っている人がいるということを告げると次のように書く。
ぼくもつくっています
しろいゆきをみんなでみていました
みたこともないちいさなゆきのせいがやってきて
ひとりぼっちのぼくにはなしかけました
きのうのなみだはねがいにかえてみらいにむかっていきていこう
ねがいはゆめをはこびみらいをひらく
みらいはちいさなじぶんのてのなかでおおきなきぼうにふくらんだ。
まず、前半部分を、手をとって聞いていく方法で、メロディを聞き取った。「あかさたな」の代わりに、音程をつけて「ドレミファソラシド」と聞いていくと、メロディが一音一音選び取られていく。
ミファソソラソ ソラソファミレドミレミ
ミファソソラソソ ソラソファミレド レドレドレレレドレ
ミファソソソラソ ソラソファミレドレドレド
リズムについては、8分音符がいくつ分かということで、何とか聞き取っていった。時間の関係で、後半は今度ということになった。
前半部分、おおよそ歌ってみて、これでいいかと聞くと、
はい
という答え。そして、次の感想が書かれた。
しんじられないきょくができるなんて
ここへ☆☆さんが、やってきた。☆☆さんは、来週、いよいよ高等部を卒業する。そして、さっそく、次のように綴った。
○○くんすごいね
じぶんできょくをつくっているなんてすばらしいですね
かんどうしました
ひいでたさいのうですね
わたしもつくっていますがなかなかいいうたができません
じぶんにはさいのうがないのかもしれません
ねがってきました じぶんでなんでもきめられるようになることを
しかしなかなかねがいどおりにはいきません
ねがいはゆめかもしれませんが ちいきでいきていきていくことです
なぜりかいしてもらえないのでしょうか
ちいきでいきていくのは ちいさいときからのゆめでしたから さいごまでがんばりたいとおもいます
じぶんのきもちをいいたいけれど ちいさいときからふつうのこどもとしていきてこられなかったので くやしいです
よくゆめをすてずにこれたものだとおもいます
ちいさいときからとばずじまいだったので はやくなにかでひやくしたいです
りそうはさっかとしてひょうげんのほうほうがあったらいいとおもうのですが なかなかうまくいきそうにありません
☆☆さんは、4月から社会人なので、わかばとそよ風のハーモニーコンサートへの参加を誘った。彼女の「野に咲く花のように」という詩で作った曲を2年前のコンサートでは、劇中の歌として使ったことがある。私はこの時が来るのをずっと楽しみにしていた。そして、冒頭の歌を聞いてもらった。
しがとてもむねにしみました
りそうはひとりでいきていくことですがひとりではむずかしそうなのでなかまといっしょにいきていきたいとおもいます
ちいさいときからのねがいでした
ねがいをかなえたいとおもいます
じぶんにゆめがあるかぎりむかっていきていきたいとおもいます
ゆめにむかって
(以下は、手をとる方法で)
ひかりがさしてきたようです
きもちをちいさいときからいいたかったので りかいしてもらえてうれしいです
てではなせるとはおもいませんでした
卒業を間近に控えた不安な胸の内がうかがえるが、仲間とともに生きていくことに希望を見いだしているところに、深く共感した。コンサートは、その初めの一歩だ。
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2009年3月15日 10時50分
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自主G多摩1 |
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知的障害の特別支援学校の高等部を卒業する○○さん。卒業を来週に控え、こんな文章から始まった。
あまりそつぎょうしたくない
じりつすることがつらいとおもいます
じりつはちいきでいきていくことですが
つらいのはひとりぼっちでくらさなければならないことです
ふしぎです りかいすることがなぜできるのですか
きいてほしいことがあります
ねがいはちいきでいきていくことですが
ちいきでいきていくのはたいへんかもしれません
じぶんのいいたいことがいえたらいいけど
ふだんからきもちいえないとむずかしいとおもいます
ちいさいときからいいたかった
りかいしてもらえてうれしい
のぞみはなんでもはなせるようになることです
じぶんのきもちがいいたいので ちいさいときからのぞんでいました
いいにんげんになりたいとおもいます
ねがいはひとりでちいきでいきていくことです
にんげんとしてきれいなこころでいきていきたいとおもいます
らいねんは なれていきたいです
ちいきでくらすために なれていきたいです
ふしぎです
はなしができることりかいしてくれてうれしいです
きもちがりかいされないことはつらい
卒業後のことをめぐる不安が、生々しく語られる。少し、話題を変えようと、詩を作っていたりしますかと問いを投げてみた。すると、
はい
しをつくりました きいてください
との答え。話題が変わるかと思っていたが、そのまま同じ気持ちを、今度は、決意の詩として語った。
なによりちいきでくらすことをのぞみます
りかいされないことがつらいです
にんげんとしていきたいです
しんじてください
ひとりでいきたいです
めいわくをかけずにいきたいです
むりではありません
ひとりでくらせます
のぞみはしんじてもらうことです
めいわくかけたくありません
ひとりでいきていきたいとおもいます
そして、こう付け加える。
よんでほしいおかあさんにじぶんのきもちを
きいてほしいじぶんのきもちりかいされたい
ちいきでいきたいです。
学校の進路指導は、ある意味で、きっちり彼女に受け止められているということになるだろう。厳しい現実を語ることは大切なことだ。しかし、彼女に将来の夢こそ、必要なのだと改めて思う。それは、これからも彼女と関わりを続ける私の課題である。
彼女には、5月24日に開かれるわかばとそよ風のハーモニーコンサートへの参加を誘った。社会人としてたくましく生きる先輩たちの仲間に加わってもらいたいからだ。そして、地域で生きるということの意味をともに考え合っていってもらいたいと思う。
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2009年3月15日 08時51分
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