ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年04月12日(日)
ひかりにみちたにんげんがちいさいときからゆめだった
 知的障害の特別支援学校高等部を3月に卒業した○○さん。4月最初の関わりでこんなことから書き始めた。

きいてほしいことがあります
×××(通い始めた通所施設)でりかいしてくれるひとがいます
みんなわたしのことをわかってくれます
ふつうにはなしかけてくれます
にんげんとしてあつかわれているきがします
にんげんとしていきていきたいとおもいます
りかいされてうれしいです びっくりしました
じぶんのきもちがいいたいです
みんなとはなしたいです
ひかりがさしてきました ひかりがさしてきにんげんとしていきていけそうです

 この通所施設には、職員にも利用者にも私たちの仲間がいる。そこで理解された喜びがこんなにも綴られていることに私たちはほっとする。また、これまで、なかなか理解されてこなかったはがゆさも背後ににじむ表現だった。
 そして、彼女は、3月29日の結団式から練習に参加しているわかそよの歌の一節を綴り始めた。練習用のCDを車で毎日聞いているとのこと。大きな声では歌えない彼女が、心の中で奏でる歌だ。

ちいさなしあわせちいさくひらきねがいのとおりみたされて
ちいさなしあわせはなのようにしずかにしずかにきれーにわいて
ちいさなしあわせはなのようにきぼうをはこびよろこびひろげ
にんげんとしてうまれいきてきてじぶんのきもちをきいてもらいたい
かってにからだがうごいてかなしい きれいなきもちでいきてゆくのがゆめ
きぼうちいさくささやきながらきぼうにみちたじんせいいきる

 途中の「きれー」が「きれい」ではないのは、CDの歌い方にそろっている。よく聞いていることがわかった。そして、文章は続く。

きぼうにみちたじんせいをおくりたいです
いいうたですね きぼうのきせつというだいにはかんげきしました
きぼうのきせつというしはだれがつくったのですか
にんげんだからちいさいころからきもちがいいたかった
ひょうげんすることができたらうれしい

 社会へ一歩を踏み出すとともに出会えた仲間たちの存在の大きさがよくわかる。そして今度は自分の詩へ。

いいうたをつくりたい しをつくりましたいいしです

じぶんのあいしたゆめをついにつかんだ
ゆめをつかんだけれまだゆめはとちゅうだ
みちはとおいけれどひかりがさしている
ずっとわたしをひょうげんできず
いちばんつらかったのは
にんげんとしてみとめてもらえなかったことだ
みとめてほしいじぶんのきもち
みとめてほしいじぶぶんのそんざい
ひしひしとこみあげてくるのはじぶんをみとめられたよろこび
ひかりにみちたにんげんがちいさいときからゆめだった
きぼうにみちたじんせいをいきていきたい

 一語文かせいぜい限られた二語文しか発せず、典型的な幼児画を描き、これまでひらがなの学習を一歩ずつ続け、10までの数を繰り返し学習してきた彼女が、 いったん私たちのソフトを使うとたくさんの思いを綴り、こんな詩まで書くようになった。「にんげんとしてみとめて」こなかったのは、ほかならぬ私だ。学習が間違っていたとは思わない。しかしその学習を続ける中で、思い描かれていた彼女の姿の中には、こうした表現ができる姿というのは含まれていなかった。

じぶんのきもちをかいてもうまくつたわらない
にんげんとしていきたいです

ちいさいときからゆめでした
ゆめがかなってうれしいです

 偶然同じ町で続けてきた子どもたちとの関わり合いと青年学級の活動とが、いつかつながることは、漠然と思い描いてきた夢だったが、こんなふうに一本の糸のようによりあわされることは思わなかった。私もまた「ゆめがかなってうれしい」。

 
2009年4月12日 18時37分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
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ひとりでなやんでいたことがばかばかしくなりました
 3月で特別支援学校の高等部を卒業した○○さんを、わかそよコンサートの参加者として誘った。前回は、詩で参加したが、当日は客席からの参加だった。しかし、社会人になった○○さんには、ぜひともにステージにのってもらいたかった。
 4月の5日の練習に来た時、彼女は、「詩を書いてきました」と手をふるコミュニケーションで伝えてきたが、時間がなかったので、「今度聞かせて」と伝えておいた。それから5日後、ゆっくり詩を聞くことができた。それは次のようなものだった。

ちいさなにんげんでもちいさなゆめをもち
ちいさなにんげんでもちいさなりそうをもち
にんげんとしてほんとうのまことをしりながらいきている
にんげんとしてやらなければいけないことをもとめていきていき
ほんとうのゆめをかなえたい
まるでゆめをもたないじんせいはやみのみのじんせいだ
みなみのくににふしぎなふしぎなみらいのじかんがながれるきぼうのしまがある
ちいさいころにねがったねがいがそこではかない
みなみからのわたりどりはそのゆめをしっている
ふしぎなみらいをきのうのゆめにかんじながら
にんげんとしてのわすれてはいけないつとめをちかいながら
きぼうにみちたじんせいをいきていきたい
きいてけいいをはらうりそうをわたしもみつけたい
にんげんとしてりそうをもっていきていきたい
ゆめをゆめとしておわらせないで
ゆめをりそうにかえていきたい
りそうがかなうときゆめはかなうだけではなく
ちいさいにんげんをおおきくしてくれる
ちいさいにんげんらしくつつましくいきつつも
じぶんらしいつよさをいきていきたいとおもう
ちいさいにんげんとしてみとめられていきていき
にんげんとしてりそうをきぼうとしていきていきたい
ゆめをねがいながらにんげんとしていきていきたい。

 そして、次のようなコメントをくわえた。

じぶんのいいたいことをしにたくしました りそうのだいじさをかんがえたものです にんげんとしてふつうにいきていきたいとおもいます

 この後、コンサートで歌う歌の感想を聞いてみた。すると
 
ちいさなしあわせというしがすてきでした びっくりしました ひとりでなやんでいたことがばかばかしくなりました みんなおなじことをかんがえていることがわかりました いいばしょでした いいなかまたちでした みんなとずっといっしょにいきていきたいとおもいます みんなとであえてよかったです きぼうがわいてきました ゆうきがでてきました びっくりしました ひかりがさしてきました みらいがひらけてきました

 これは、「願いの季節」という題名の歌で、歌詞には青年学級で昨年度初めてパソコンによって言葉を綴った4人の言葉が含まれている。仲間の存在がどれだけ大きいかを改めて思い知らされた。これまでもいくどとなく悩みを綴る彼女を前にして、いろいろな言葉をかけてきたが、それよりもはるかにまさる力を仲間の言葉は持っていたことになる。
 このブログも、点として存在している多くの人たちを線でつなぐための試みの一つだが、うまく、仲間の言葉が届いて、励まし合いが生まれてくれればと願う。
2009年4月12日 07時56分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
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