ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年05月24日(日)
ゆめさめてにんぎょうはきれいなにんげんになった
 4月か5年生になった○○君は、来るなり、さっそく、詩を書き始めた。

しずかなふしぎなちいさいにんぎょうが
だまってみなみからのかぜをうけてないていた
なぜないているのかだれもしらないけれど
ねがいはただひとつ
ふしぎなかぜにのってとおいくににたびにでること
にびいろのかぜにふかれてぶうとりらのねがいをかなえることをかんがえながら
りんとしたちいさなにんぎょうは
ひのひかりをうけてゆめのようなちいさなよいかぜをかんじていた
じっとべっどにねころがったまま
みなみからのかぜしかかんじない よきりんじんは
じぶんのいきかたはよいにちがいないといいながら
みなみのかぜをまった
ゆめさめてにんぎょうはきれいなにんげんになった。

 南からの風しか感じないのは、きっと世の中の普通に生きている人々のこと。そして、○○君たちは、にびいろの風に特別の意味を感じる人たち。彼は、そんな普通の人々を「よきりんじん」と呼ぶ。
 そして、そんな広い心を持ち、ぶうとりらの願いを懸命にかなえようと考えたにんぎょうはにんげんになることができた。そこに、○○君の姿が重ね合わされていることはまちがいないだろう。
 そして、次のような文章が続いた。

きいてくれてありがとうございます ちいさいころからのきもちがこめられています

 ここで、おばあちゃんから、いろいろ問いかけがあり、次のような文章が書かれた。


はいしゃとはきをつかうところです じっとしていないといけないのでつかれます てをあみみたいなものでしばられました がまんしました すこしなきましたがじぶんとしてはじょうできでした かえりはきれいなはなのさいているみちをとおりました

 ここで、見学に来られていた先生への説明もかねて、どうやって文字を選んでいるのかなど、尋ねてみた。

じのかきかたは つぎのことばをかんがえてみみでききながら きたところできもちをこめて からだにちいさなちからをいれています いいほうほうです かくときはいっさいみていません かいたあとでみています 

 そして、ここで、自分の力でスイッチ操作をしてもらったところ、どこの行でも止めることができず、スライドスイッチの取っ手を引き続けるということが起こったので、そのことについても尋ねてみた。

てをうごかしているとききとれなくなってしまいます

 ○○君たちがどのようなことをハンディとしているのか、じっくり聞いていくことの大切さを身にしみて思った。
2009年5月24日 00時52分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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にれのはなとみどりのかぜ そして手紙
 高等部3年になった☆☆さんは、こんな願いから始まった。

きいてほしいことがあります
にねんせいのときにじぶんのことばでいいたいことをいってもしんじてもらえませんでした
いいたいことがきいてもらえないのでざんねんでした
きいてほしいことはわたしたちにもみんなきもちがあるということです
ねがいはいいたいことをきいてもらえるようになることです
にんげんなのでのぞみもゆめもあります
じぶんのきもちをきいてほしいです
いいたいことがちゃんとつたえられたらうれしいです
がんばりたいとおもいますがなかなかむずかしいです

 昨年、仲間たちにも言葉があると思うから、学校に来てほしいと訴えた彼女の思いは、もちろん変わることはない。残念ながら、彼女の思いには応えられないまま、彼女の学校生活最後の1年が始まった。
 ここで、話は違う方向へ舵をきる。

しをきいてください

ちいさいにれのきに ちいさいはながさき
ひとりぼっちのわたしにもはるがきた
にれのはなはじぶんのようにうごいたりはなしたりすることもないけど
みどりのかぜにふかれながら
だまったまま らくえんのようなわかいりそうにあふれている
にれのはなも わたしも りそうはひとつ
よいかおりをはなつこと
にれもわたしもきぼうにみちて
ゆめをかなえようと みどりのかぜにいのりをささげる
ちいさいはなと ちいさいわたし 
みどりのかぜにふかれながら
みどりのかぜとひとつになる

 新緑の季節にふさわしい、にれの花と緑の風の詩だ。ここで、お母さんから、にれの花をどうやって知ったのかという質問が投げかけられた。

にれのきはじぶんでそうぞうしたきです なにかのうたできいたけどみたことはありません
なまえがきにいりました ざんねんながらみたことはありません
ふしぎなはなです いいかおりがしていいきもちにさせてくれます

 そして、この間、友だちから手紙をもらったけれど、返事を書きますかと再びお母さんからの問いかけ。すると…、

かきます
ついこのまえおわかれしたばかりだとおもっていましたが もうはんとしもたってしまいましたね
びっくりしました いいりかいしゃがいてじのべんきょうができるようになったとは
にねんせいのときはきいてもらうこともむずかしかったけど 
よかったですね きいてくれるひとがあらわれて
みんなおなじねがいをもっていきていますが なかなかねがいをかなえられずにいます
ゆめみたいですが ちいさいときからにんげんらしくわたしたちはいきようとしてきましたが
ふしぎとそうならずにいかされてきました
これからはきいてもらえることをいきがいにしてがんばりましょう。

 この手紙が書かれていくのをお母さんは真剣に見つめておられた。お母さんに内容を確かめると、どうやら、手紙をくれたのは、普段学校でケアルームで食事を取る際に顔を合わせている友だちだから、手紙はその友だちが相手だとちょっと食い違うないようだとのこと。そこで、車いすから降りた☆☆さんに、手で尋ねてみた。
 するとこれは、想像して書いたものだという。手紙を書こうと思った時に、浮かんだ想像の世界をそのまま言葉にしたものらしい。そのことを受けてもう一度読み返してみると、そこには、切ないばかりの願望がこめられていることがわかった。
 「きいてもらえることをいきがいにして」がんばれるような時代が、早く来ることを、いや、早く作り出していかなければならない。
2009年5月24日 00時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年05月23日(土)
歌「小さな希望」の完成
 3月に歌詞を書いた○○君のメロディーを3月、4月の2度の関わり合いで聞き取り、5月の関わり合い楽譜にして彼に見せ、パソコンでで伴奏をつけて演奏して聞いてもらった。
 この日、最近の不満を書いていた○○訓だったが、ここで、一転して顔中に笑顔が広がった。(楽譜は以下の通り)

 







































 これを聞いてお母さんもとても感激しておられた。
 そして、さらに、次の詩を綴る。これも歌詞だという。


 ひかりのぶどう

せかいになみだがなくなるひ
にんげんははっぴーになるだろう
ちいさなゆめをたいせつにして
よいぶどうのきに
みたことのないすてきなかじつがみのったら
ひかりのなかでさけんでみよう
ひかりのなかでぬくもりが
ちいさなぼくをはげまして
においのいいみをちいさなぼくにくれるだろう
ちいさなぼくはきぼうとともに
せかいのへいわをすろーにいのる。

 冒頭のメロディーは聴き取った。来月は、この歌の聞き取りを完成したい。
2009年5月23日 23時51分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年05月22日(金)
人間開発学部の講義
 5月21日、人間開発学部の授業に、Hさんが参加した。人前で話すのは、初めてのことだ。
授業の前に、研究室でパソコンを開いてみた。

じぶんのいけんをいいたいとおもいますがちょっとはずかしいです
ねがいがかなってうれしいです
きもちがきいてもらえてうれしいです

 そして、教室へ。目の前に並んでいる80名ほどの学生は、みんなHさんと同い年。簡単に紹介して、さっそく、彼女にパソコンで話をしてもらった。学生たちは、プロジェクターで映し出されるパソコンの画面に注目する。

にんげんとしてみとめてもらえてしあわせです 
まだわたしのことをしんじてくれないひともたくさんいますが わたしもにんげんとしていろいろかんがえています 
にんげんとしてみとめられることがまだできていないなかまたちがたくさんいるので にんげんとしてはやくみとめてもらえるよのなかがはやくくるといいなとおもいます 
にんげんとしてみとめられるせかいがくればいいなとおもいます 
みんなはわたしのことをみてどんないんしょうをもちましたか 
りゆうはいろいろあるかもしれませんが りかいできているにんげんとみえたでしょうか 
ゆびさされたりしてきましたからなれてはいますが にんげんとしてみられないこともたくさんあります 
ひどいときはりゆうもなくわらわれることもあります 
ひょうげんはわるいですが ひどいひとはゆびさすだけでなくみんなのまえでぶじょくするひともいます 
ゆびさされるだけならいいのですが ゆびさされるだけでなく ぶじょくされるのはたまりません
にんげんとしてみとめられることがゆめでしたので びっくりしています 
ふしぎなかんじです 
みんなのまえではなしができるとはおもえませんでした 
びっくりしただけでなく みんなとたいとうにいられることがゆめのようです 
ゆうきがでてきました みんなとはなしたいです

 重い内容が一気に綴られる。「にんげんとしてみとめられる」「ゆびさされる」「ぶじょく」など、私も彼女が綴るのを初めて目にした言葉が続く。こうした言葉を通して、彼女は、自分たちの存在について懸命に訴える。いつもは、ざわざわしている空気は、ぴんとはりつめて、みんなの目は、スイッチ操作とパソコンの画面とに釘づけになっていた。
 一区切りついたところで、質問を受けることにした。
 最初の質問は、パソコンの画面を見ていないのにどうして打てるのかというものだった。

みていませんが みみできいているのでわかります 
いいかんじです きもちをすらすらかけて

 次は、「柴田先生は好きですか?」というもの。

きらいとはいえません だってわたしのことばをはっけんしてくれたひとですから かんしゃしています

 ウィットに富んだ答えだった。
 次の質問は、「詩は、どうやって作るのですか?」
 
ひとりでちいさいときからかんがえてきました 
ひとりでみらいをゆめみながらかんがえてつくってきました 
しをつくっているときもちがしずまります 

 そして、今度はHさんから質問が向けられる。

ちいさいせかいといううたをしっていますか 

 さすがに同世代の学生だけに、この歌を知らない学生はいなかった。

ちいさいときだいすきでした 
じぶんにとってきぼうのうたでした 
じぶんのきもちにむつかしいことがあるとよくくちずさんでいました 
ちいさなせかいはとてもよいかしでした 
みんなもそうおもいませんか

 次に、こんな質問が出された。「これまで、いちばん楽しかったことは何ですか?」

じぶんのうたをたくさんのひとがうたってくれたときです 
びっくりしました みんながわたしのことをみとめてくれたので 

 これは、一昨年の若葉とそよ風のハーモニーコンサートで、彼女の詩に曲をつけた「野に咲く花のように」という歌をみんなが歌った時のことだ。そして、今年も、また、この歌を24日、みんなで歌う。
 次の質問は、「どんな言葉を大切にしていますか?」だった。

ちいさいときからにんたいということばをたいせつにしてきました 
みんなはどんなことばがすきですか 
たえることがおおいからです 
いつもたえてばかりですから

 残り時間はあとわずかになった。最後の質問は、「大切な人にひとこと言えるとしたら誰にどんな言葉を言いますか?」という、質問だった。
 答えは、次の通り。最前列で静かに聞いておられたご両親を前にして、次のような文章をしめくくりとして綴った。

ありがとうといいたいです
わたしをそだててくれたりょうしんに
ちいさいときからびょうきがちでめいわくばかりかけてきましたから
ひじょうにりそうてきなりょうしんです
ぬいぐるみをたくさんかってくれたりちいさいときからじぶんのためにせいいっぱいそだててくれました

 深い余韻を残して、一時間の授業が終わった。
 授業後、研究室に四人の女子学生が集まった。ひとしきり、談笑したあと、みんなが、彼女との会話に挑戦した。
 最初の学生に伝えた言葉は、

つたえたい

 このあと、Hさんは、わざとむずかしい言葉を伝えてきた。予測がつかないようにと、彼女なりの工夫だったが、見事に、それを読み取った。かわるがわる四人の学生と、まだ短い言葉だが、会話が成立した。同年齢の女の子がまったく対等に彼女と話したいという思いだけで、懸命に彼女の手をとって「あかさたな」と振っていく光景は、新しい未来の先取りのように思えた。
2009年5月22日 12時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年05月20日(水)
イタリアでキリスト教の教会に行って祈りを…
 都内の特別支援学校で訪問教育を受けている○○君のスクーリングの日、学校におじゃました。前回、聞き取った「こゆびの歌」が担任の先生の手によって楽譜になっていた。
 聞いてほしいという彼からの希望があったので、担任の先生からピアノでメロディーを弾いた録音の音を聞かせてもらいながら、一緒に歌ってみた。気持ちが伝わってくる歌で、どこか、聖歌のような響きもする歌だった。
 
ぼくのこゆび あなたのこゆび あわせてみよう 
ねがいのひびく こゆび
ひとりのこゆびはちいさいけれど 
みんなのこゆびをつないでみよう
きっとおおきなねがいがかなう 
ゆめをみて きぼうをつないできた
ひらかれた こころで 
うつくしいかぜのようにふきわたり
どこまでものぞみをつづけて
よいにんげんとなることをねがいながら
すばらしいじんせいをいきていこう
こゆびとこゆびをあわせてどこまでも
ゆめがつながるように

 そして、気持ちをパソコンで綴っていただいた。

じぶんのきもちかよわせることがゆめでした
ねがいをよくきいていただいてうれしいです
ちいさいころからのゆめがかないのぞみがかなってとてもうれしいです
にんげんとしてみとめられたきぶんです
ゆめはみんなとふしぎなせかいにいってみたいです
ふしぎなせかいにはよきしらせがあふれていて
ねがいがかなえられるところです
ちいさいころからのぞんでいました
ゆめがかなったようなきもちです
ずっとまちのぞんでいました
ちいさいころからのゆめがかないとてもうれしいです

 ここで、ほかにいっぱいたまっている気持ちはないかと尋ねたところ、次のように展開していった。

かあさんにはいつもかんしゃしています
にんげんとしてよくみとめてもらえていつもいいかあさんだとおもっています
ひびのせいかつのなかでちいさなことでもきにかけてくれてありがたいです
ゆめはかあさんとがいこくにいくことです
ちいさいころからねがっていました
じつげんするといいなとおもいます

 ここで、そばにいた方々から、どこの国だろうという声が上がった。すると…

ねがいはとおいくにがいいです
いたりあできりすときょうのきょうかいにいって
いのりをききいれてもらえたらいいなとおもいます
にほんでもいいかもしれませんがにほんよりもねがいをきいてもらえそうです

 やはり、彼の心の中には、何か神聖な祈りのような思いが秘められているのはまちがいないようだ。「よきしらせ」という言葉もまた、そういう響きを持つものだろう。
 そして、どんな願いなのかを尋ねてみた。

ねがいはぼくたちすべてがたのまれなくてもきぼうにみちたじんせいをおくれるということです
ちいさいころからのゆめでした
じぶんとおなじようなきもちのひととはなしがしたいです

 そして、自分からしめくくるように、次の言葉が続いた。

きいてくれてありがとうございます
いいきもちです

 この後、担任の先生に手をふる方法をやっていただいた。すると、簡単な言葉は聞き取れていたそうだが、目の前で、するすると文章を読み取ることがおできになっていった。
 途中、ラ行を選んだあと、「ラリルレロ」でまったく反応がないというので、もしかしたらと思って、「今、何を考えていましたか」と私が尋ねて返事を聞き取ってみると、「先生ができたので、とてもうれしかった」と答えが返ってきた。感動で、反応できなかったのである。すると、今度は、先生がそのことに感動なさり、「鳥肌が立ちました」とおっしゃる。そして、本当に鳥肌が立っていたそうで、彼に、それをさわらせていた。
 すばらしいコミュニケーションの成立の瞬間だった。
 
2009年5月20日 01時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年05月19日(火)
人間開発学部の聴講生その2
 病と障害の心理という講義で、ハンセン病元患者の詩人、桜井哲夫さんを取り上げた「津軽、光の中へ」というドキュメンタリーを学生たちと見た。今回は、O君が、「聴講生」として参加していた。私が、桜井哲夫さんを知ったのは、『盲目の王将物語』という小節で、とりわけ、その中の「久遠の花」というのに心を惹かれていた。NHKで彼のことが紹介されるということがわかり、このドキュメンタリーを心ときめかせながら見たことを覚えている。そして、そのハンセン病による過酷なまでの人生を、すべて受け止めて、静謐な心で生きる姿に、深い感銘を覚えた。それから、毎年、このドキュメンタリーをこの講義では取り上げ続けてきた。そして、今年、O君とともに、このドキュメンタリーを見ることができるということが、また、新しい何かを私にもたらしてくれそうだった。そして、O君には、こうした生き方があるということをぜひ、知ってもらいたかった。
 そして、映し終えて、彼にパソコンで感想を求めた。

いいばんぐみでしたゆうきがでてきました
みていてうらやましかったです
ぶんしょうをみているとみえていないとはおもえませんでした
にんげんのすばらしさをかんじました
いいひかりがさしてきました
ちいさいときからにんげんとしてみとめられたいとおもってきたので
みとめられるということのいみがよくわかります
にんげんとしていきていきたいとおもうので
にんげんとしてみとめられることのいみがよくわかります
びょうきはちがうけどゆうきがでてきました

 O君は、学生たちと意見を交換することを求めていたが、その時間はもう残されていなかった。だが、確実に学生たちは、桜井さんからのメッセージに、O君の感想を重ね合わせて、そこから、深い意味を感じ取ったにちがいない。
 講義の後、O君と同世代の学生たちが研究室に集まった。若者らしい会話がはずむ。その中で、「単位」のことが話題になったとき、O君は、文字盤でこう綴った。

 単位、とてもうらやましい。僕には、それは願っても得られないものだから。

 不意に、重い現実があらわになる。
 そして、帰り際、私に手で、こう語った。

普段から、こんなふうに話したい

 新しい学部が、この彼のつつましい願いに少しでも応えられたらと思う。
2009年5月19日 09時22分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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人間開発学部の聴講生その2
 病と障害の心理という講義で、ハンセン病元患者の詩人、桜井哲夫さんを取り上げた「津軽、光の中へ」というドキュメンタリーを学生たちと見た。今回は、O君が、「聴講生」として参加していた。私が、桜井哲夫さんを知ったのは、『盲目の王将物語』という小節で、とりわけ、その中の「久遠の花」というのに心を惹かれていた。NHKで彼のことが紹介されるということがわかり、このドキュメンタリーを心ときめかせながら見たことを覚えている。そして、そのハンセン病による過酷なまでの人生を、すべて受け止めて、静謐な心で生きる姿に、深い感銘を覚えた。それから、毎年、このドキュメンタリーをこの講義では取り上げ続けてきた。そして、今年、O君とともに、このドキュメンタリーを見ることができるということが、また、新しい何かを私にもたらしてくれそうだった。そして、O君には、こうした生き方があるということをぜひ、知ってもらいたかった。
 そして、映し終えて、彼にパソコンで感想を求めた。

いいばんぐみでしたゆうきがでてきました
みていてうらやましかったです
ぶんしょうをみているとみえていないとはおもえませんでした
にんげんのすばらしさをかんじました
いいひかりがさしてきました
ちいさいときからにんげんとしてみとめられたいとおもってきたので
みとめられるということのいみがよくわかります
にんげんとしていきていきたいとおもうので
にんげんとしてみとめられることのいみがよくわかります
びょうきはちがうけどゆうきがでてきました

 O君は、学生たちと意見を交換することを求めていたが、その時間はもう残されていなかった。だが、確実に学生たちは、桜井さんからのメッセージに、O君の感想を重ね合わせて、そこから、深い意味を感じ取ったにちがいない。
 講義の後、学生たちが研究室にやってきた。同い年のO君と若者らしい会話が続く。会話の中で「単位」の話が出たとき、

「単位ってぼくにはとてもうらやましい。僕が望んでも絶対に得られないものだから」

という言葉が文字盤で綴られた。
 はっとさせられる瞬間である。
 帰り際、私に

「ふだんからこんなふうに話したい」

と告げた。そんな彼のつつましい願いに、この新しい学部が少しでも答えていけたらと思う。
2009年5月19日 09時16分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年05月16日(土)
不思議な願いを木につなぎ いい木に望みをつなぎ
 4月5日のわかそよコンサート練習日、初めて長文を綴ったY君のお宅を、彼が参加しているとびたつ会の松田さんとともに訪問した。そして、さっそくパソコンを開くと、次のような文章が一気に綴られた。

きてくれてありがとう
じぶんのいいたいこといいたいけどなかなかいえずにこまっていました
ちいさいときからはなしたかったのでむかしからねがってきました
りかいしてくれてありがたいです
びっくりしました
なぜぼくがはなしができるとわかったのですか
みんなぼくがはなしがわかるとはかんがえてはくれませんでした

 そして、文字の学習について質問した。

じはいろいろくろうしておぼえました
じはにんげんだからきちんとわかりたいとおもってきました
にんげんだからはなしたいです
びんかんにかんじとってくれてうたいたいきもちです
 
 ここで、スイッチの援助を松田さんに代わる。すると、私の方法では、私がスイッチを動か

していく方法にまかせていた彼は、自分でスイッチを動かし始めた。そして、選択したい場所を、止めることによって表現する。そうして、次の文章が綴られた。

はなのさとて(で)は つちを つたないてをとりたててりっぱにつかえるにんげんではないけど

ぬかりなくやっています

 私ではない人での援助によっても綴られることで、ご両親も、安心なさったようだった。この内容は、彼が通う通所施設の土に関する作業のことらしい。ここでお母さんから、もう一つの作業である紙ちぎりについて質問が出る。そこで、再び私が代わった。

かみちぎりはかんたんです
ぬかりなくやってきました

 そして、彼に、わかそよでは、この方法で書かれた詩に曲がつけられてみんなで歌っているけれど、Yさんにも作った詩はないかと尋ねたところ、次の詩が書かれた。

きいてほしいじぶんのこころ
きいてほしいねがいのことば
じぶんのいいたいことをいえずにそだち
いいたいことをいえずに
にんげんしゃかいでみとめられず
ねがったのはただちいさなしあわせ
みんなのことをうらやみながら
ゆめをずっとおいつづけ
みどりのかぜにりかいされ
ちいさなゆめをねがいながら
ふしぎなねがいをきにねがい
いいきにのぞみをつなぎ
ひとりのせかいでいきてきた
ねがいはちいさなゆめにかえみ
どりのにれにびろーどのいいぬのをかけ
ひそやかなぬいぐるみのようなこのぼくが
ひそやかにりそうをかかげ
みたこともないようなみどりのかぜに
ゆうきをもらう

 満面の笑みを浮かべながら、詩だ。「緑の風」は、多くの人がこの春に表現し始めた言葉だが、「にれ」「びろーどのぬの」という言葉もまた、ほかの人の詩に登場した。何か、独特の美しさがあるのだろう。
 ここで、再び、松田さんに代わる。おうちのパソコンにソフトをインストールするために、スイッチをいったんパソコンから外したので、急遽、松田さんは、パソコンのキー(TubとEnterの二つのキーでも、このソフトは動く)を押しながら、Yさんの手を振りながら、読み取ることを始めた。そして、さらに、途中から、手を振ることをやめて、彼の目の動きで選択の意図を読み取ることにも挑戦した。どちらも、うまくいき、途中でお父さんにも代わったりしながら、次のような文章となった。

てをはたらかせてこれからさきやるやりかたをさがしてて
かなでなんでもはなせるようにはなしはかならず
じぶんじしんやなやんでいるみんなとしあわせになります。

 彼の世界のいったんが表現されたことはもちろん大きな成果だったが、松田さんの援助で綴れたこと、目の動きでも綴れたことなどもまた、貴重な成果だった。一歩ずつだが、着実に青年学級&とびたつ会では、この取り組みが広がりを見せている。
2009年5月16日 20時42分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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2009年05月11日(月)
春の風が吹いてきて
 両手をとって合わせたり開いたりしながら聞き取っていく方法で○○さんの歌を聴かせてもらった。
 歌詞は、
春の風が吹いてきて
みんなの顔に夢が咲く
はるの風が吹いてきて
私の顔に夢が咲く
夢の風が吹けば 
夢の顔に春が来る
夢がひらいたら
春の私の望みが開く

 このあと、階名に音程をつけてドレミファと順番にいいながら一音一音拾っていって、譜のような歌ができた。


 今回、話は、学校に対する不満が多かったが、詩と歌は一転してってもすてきなものとなった。歌を伝えることができたことの喜びはひとしおのようで、ずっと笑顔がたえなかった。

2009年5月11日 01時19分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2009年05月10日(日)
母の日に 初めての言葉
 学校に上がる前から研究所に通い、20代後半を迎えた男性○○さんと、初めてワープロで関わった。
 そして、すぐに次のように書き始めた。

うれしいきたいしていました いいすいっちですね 
じぶんのきもちがいいたかった 
じぶんがかんがえていることがすらすらかけてがっこうがあったらださせてほしかった だいがくです 
じぶんでじぶんのきもちがいいたかった いいきもちです
じぶんのがっこうにいきたかった
きいているだけではなくつたえられるがっこうです
きいているだけではつまらない
ちいさいときからはなしがしたかったです
ちいさいときからじぶんのきもちがいいたかった
おかあさんとおとうさんにはいつもかんしゃしています

 そして、話は、別の方向へと発展していく。どちらかと言えば明るい笑顔が特徴的な彼だが、秘められた美しい感性が少しずつ顔を出し始めてきた。

きいてほしいことがあります
いつだったか きいたことのないきれいなおんがくをきいて
いくつもなみだをながしましたが
にこというがっきだったかもしれません
きいてかんどうしましました
きいたのはてれびです
がいこくのひとがひいていました
いいおんがくでした
きいてみたいです
ちいさいころからきくのがすきでした
がいこくにいってみたいです
いいおんがくをきいてみたいです
にほんのおんがくもすきです
にほんのおんがくをあいしていますがなかなかきけません
いいおんがくがききたいです

 かつて、あるレストランで生演奏を聴いてぽろぽろと泣き出したというエピソードを聞いたことがあったが、音楽に対する繊細な感受性がよく表れていた。そして、なんと、彼は、詩を聞いてほしいと語り始めたのだ。


みたことのないようないいしをずっとかんがえてきましたきいてください

 そして書かれた詩は、彼が言うとおりのいい詩だった。

ちいさなちいさなみどりのかぜが
ちいさくちいさくねがいをかなえ
ちいさなちいさなすずのねが
ふしぎなねいろをかなでてきえた
じぶんのゆめをかなえるために
じぶんとかぜとしーはいる
みどりのかぜにかかえられ
じぶんはきぎのあいだをひしょうする
ちいさないいじぶんにいいかぜをうけて
みどりのいいかぜにちいさなゆめをかたらせる
においのいいかぜがみどりになって
はるのかいがんをかけぬけて
どこまでもどこまでもじぶんがみどりのかぜとなり
すばらしいせかいをかけめぐる
かぜにのってちいさなじぶんは
ききゅうのちいさなきぼうをさがし
みどりのいいかぜをうけてちいさなねがいをちいさくかなえる。

 シーハイルとは、スキーでの挨拶の声ということだが、彼は、歌で知っていたらしい。

しをかけてしじんになったきもちです
じぶんのきもちがいえるとはおもわなかったのでかんげきしています

 ここで、私は、研究会にもよく参加して会場にいる彼だから、私のパソコンに関する発表を見ていたのかと尋ねた。すると答えは、以下の通りだった。

はい
ちいさなおんなのこのなくなったはなしでした
いいことばでした
いいかんざしをかってあげたいとおもいました
ちいさいこがすきですからいいかんざしをかってあげたかった
ちいさいおんなのこがちいさいうちになくなってかなしかったです
ちいさいこどもがなくなるのはかなしいです

 4年前に亡くなった女の子のことだ。彼女は、私たちの常識を根本から覆し、仲間たちの言葉の存在を見いだすことにつながった。その存在をこうしてしっかりと受け止めていてくれたということに深く心をうたれた。
 そして、遅れてはいってきたお父さんに向けて、言葉が綴られる。

おとうさんかていをかんがえてくださってありがとうございます
からだにきをつけてください
からだにきをつけてながいきしてください
がんばりすぎないでください
 
 そして、感想が次のように綴られた。

いいまんぞくしたじかんでした
かんげきです
かんどうしました

 ここで、質問をしてみた。それは、形の弁別の学習に手こずっていることをめぐるもので、どうして、うまく選べないのかを尋ねてみた。すると答えは意外なものだった。

てをうごかそうとするとみえなくなってしまいます
ちいさいときからこまっていました
でんちのときはみえます
じぶんのおもいどおりにからだがうごかなくてこまっています

 字を覚えた時期については…

ちいさいときにおぼえました
おかあさんがおしえてくれました

 そして、再び、このことをきかっけに、家族の話へと発展した。

ぎせいになってくれてかんしゃしています
あいされてしあわせです
いいかぞくです
にいさんがなくなったのがざんねんでした

 病気で何円も前に亡くなったお兄さんのことだが、いつも、写真に向かって声を出して、話しかけているようだと、ご両親の説明がくわわった。

きかせたかったかあさんにいいしをかあさんに
きいてもらえてかんげきしています
きいてくれてありがとうございます
ひーりんぐのようなじかんでした
きもちいいです
ねがいがかなってうれしいです
きいてくれてありがとうございます
あらしのよるがあけたようなきもちです
きいてくれてありがとうございます

 お父さんは、お母さんに、いい母の日のプレゼントになったねと告げられた。
 私たちもまた、心を洗われるひとときとなった。
 
2009年5月10日 23時13分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
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