女子中学生の○○さんは、将来の自立生活への夢を語った。
きいてほしいことがあります よくわからないことですが みらいのことです ひとりでくらしていけるかなやんでいます ゆうきがないとむずかしいのでしょうか ゆめのようですがひとりぐらしをしてみたいです ゆうきがほしいです みをだれかにゆだねるのはこわいですが わたしのことをりかいしてくれるひととせいかつできたらいいなとおもいます いいじかんをすごせたらとおもいますがむずかしいのでしょうか にんげんだからじゆうがひつようです
現状では、彼女のような人が自立生活をすることは容易ではない。しかし、おそらく、コミュニケーションの方法がもっと広がれば、それも可能なのではないか。そんなことを思い描きながら、話をうかがった。
そして、最近の文字選択の援助のスピードアップについて質問が来たので、反対にあなたは何をしているのでしょうと問い返した。以下はそのやりとりである。
ふしぎですちからをいれていないのにどうしてわかるのですか ここだとおもっています ちいさいときからのねがいでした ゆめでした はやくはなせてうれしいです にんげんとしていきてきてほこりをとりもどしたようなきもちです
言葉を話すことができなくても、人間としての誇りが尊重される社会を作ることが本当は目指されなければならないが、現状は、それとは、ほど遠いのだろう。それは別にして、目の前で、誇りを取り戻した喜びを感じている人に向かい合えているということが、非常に厳かな事実だった。
そして、そういう思いにふさわしい詩が綴られた。
にんげんだからあいしたい ひとを
にんげんだからあいしたい ゆめを
にんげんだからあいしたい なやみを
にんげんだからあいしたい ふあんを
にんげんだからあいしたい みんなを
にんげんだからあいしたい じぶんじしんを
ちいさならくえんでひっそりとくらしていくよりも
きぼうとねがいにあふれるせかいをわたしはこのむ
ちいさいときからちいさいねがいをこころにいだき
にんげんとしていきていくことをつよくねがってきた
にんげんとしてのとうぜんのけんりをみとめてもらえず
わたしはちんもくのなかをいきてきた
みずからのかのうせいだけをしんじて
まるでひのあたらないばしょでたえながら
みんなのゆめはなんですか
きくこともかなわず
ちいさなみみをすませながら
ずっとめだたないばしょで
りそうだけをだいじにしながら
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2009年4月26日 07時56分
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20代の男性との関わり合いで、最初に綴られたのは、次のような切実な思いだった。「みためではんだんされる」というのは、酷とも言える現実だ。まなざし、表情、仕草などで、私たちは多くの勝手な判断をくだす。そして、けっしてそれは平等ではない。明らかに、「損」とも言える判断をされてしまう人がいる。その誤解は、その人の人間の尊厳を奪う方向で働いてしまう判断である。
じぶんのきもちをいいたいとおもってきました にんげんとしてきもちがいいたいです みためではんだんされてつらいです にんげんだからいいたいことがいいたいです
きいてほしいことがあります ちいさいころちいきで なにいれるかなやんでいたときに まちがってふるいつきのざっしをいれてしまい ばかにされてくやしかったです にんげんとしていきたいとおもうのでよくいけんをきいてほしいです みんなもそうおもっているとおもうのでわかってほしいです みんなのいけんもきいてみたいです ねがいはちいきでいきていくことです
彼には、二つ並んだプッシュスイッチを使ったが、体が大きく、腕をとっているとずっしりと重く、また、時折、その手に力が入ってしまうためスイッチの援助がむずかしくなるので、途中、肩にスイッチを押しつけ放すという方法で読み取っていった。そのことをめぐって、こう書かれた。
しんじられませんかたでよみとれるなんて しんじられません じぶんのことばだからしんじないわけにはいきません ふしぎです ふしぎですがじぶんのことばです
また、高等部の頃から、お母さんが、2選択で彼の意志を聞き取ることができるようになった時のことを含めて、次のように語った。
おかあさんにはかんしゃしています みてくれてありがたいです りかいしてくれるのはおかあさんだけです りかいしてくれてかんしゃしていますりかいしてくれたとくのことはわすれられません じぶんのいいたいことをいえたときのことはわすれられません
この方法は、私たちの右手を「1」の意味で人差し指を立て、左手を「2」の意味で人差し指と中指を立て、彼に、二つの選択肢を「1、○○○、2、▽▽▽」と尋ねると、彼が、私たちの手のどちらかに手を伸ばしてくるという方法だ。手が伸ばせる人には、けっこう有効で、他の人にも使わせていただいた方法である。
そして、そのあと、冬には、すてきな渡り鳥の登場する詩を聞かせてもらったけれど、春の詩はありますかと尋ねると、次の詩を聞かせてくれた。
ねがいのはながさいて
みどりのかぜがふき
ふしぎなにおいのはながさいた
ゆきのしたではるをまち
ゆめをだいじにたえてきた
ふしぎなゆびわをしたおんなのこがしずかにあゆみ
ゆめみるようなまなざしでそっとはなをみつめる
はなのかおりをたしなみながら
ふしぎなおんがくをきいているときのように
ゆめをほんとうになるようにねがいながら
みんなでさくことをゆめみながら
はなははなのさくことだけをきにかけながら
ひっそりとさきつずけた
きれいなはなのほんとうのねがいはだれもしらない
「みため」では、絶対にわからない、繊細な、優しい心の世界が広がっていた。
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2009年4月26日 07時25分
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