ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年03月31日(火)
白い希望
 5月24日に開催される若葉とそよ風のハーモニーコンサートの結団式が、町田市内の福祉施設の体育館を借りて行われた。E.Kさんはその施設に入所している。彼女は、3月1日に会ったとき、パソコンで詩と曲を私に伝えてきた。曲は階名を書くことによってだ。それから、何とか楽譜にしてきたが、まだ、はっきりしないところがいくつかあった。それを今回、昼ご飯の時間に聞き取った。すると、少し変えたといって、もう一度詩を書き、私がはっきりしないところのメロディをもう一度尋ねた。

しろいこいぬ しろいゆきを
ふしぎそうにながめている
しろいゆきは きぼうのししゃ
ねがいをかなえて そらからふる
ちいさいころから ひとりぼっち
ちいさいころから ぬいぐるみ
ちいさいわたし ちいさいゆめを
ねがいとともに ゆめみている



 この詩は、コンサートのミュージカルで使うことになっている。彼女を想定した役柄の女性が、北国の施設で暮らしていて、雪を実ながら、心の中でこの歌を歌うという設定だ。幸い、彼女は仲間のいるこの町にとどまることができた。しかし、少なくない仲間が、遠い施設に去っていった。その一人一人が、いろいろな思いをもっていただろう。しかし、聞き取る方法が、間に合わなかった。

 
2009年3月31日 09時03分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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りんごの歌と仕事のこと
 
 ☆☆さんからの「りんごの歌」という言葉が、思わず、こんな詩につながった。「りんご」というものが、願いにつながっているとは、非常に驚くイメージだったが、ともに、そのイメージを共有しているようだった。
 そして、☆☆さんが帰ったあと、1年下の◇◇君が早めにやってきて部屋のコーナーに座っていた。すると、次のような言葉を◇◇君に向かって投げかけた。

◇◇くんさぎょうじょはどうですか
ぼくははたらくことがゆめでしたから ねがいがかなってうれしいです
ちいさいときからはたらくのがゆめでした
ちかくのさぎょうじょですね
わになっていっしょにがんばりましょう
しあわせなせかいになってほしいです

 この言葉は、私たちにとってはとても新鮮だった。思うように作業を行うことができない中、学校で行われてきた作業の勉強をどうとらえているのかということも明らかになり、そういえば、作業学習では、できることを懸命にがんばっていたことが合点がいった。
 そして、このことをずっと聞いていた◇◇君は、次のように書いた。

きいてくれてありがとう
ぼくもはたらくのがゆめでした
ちいさいときからねがいでした
はたらくことがゆめにみていました
むりだとおもってきました
むずかしいです はなすのは
ひとりなやんできました
ふしぎです むりかとおもってきました
はなしがしたかった
りかいしてくれてかんげきしています
ちいさいときからのゆめでした
でくのぼうとよばれてきもちがかなしかったです
つらくかなしいくもをはらすことができました

 はたらくことをめぐる思いをきちんと考え直す必要があること思ったことと、「でくのぼう」と呼ばれたりすることのかなしさは胸につきささる。「つらくかなしいくもをはらすことができました」という一文は、学校時代の先生が援助を代わって書いたものだ。彼にとって私以外の人でも、うまくいった初めての言葉だった。
 そして、小学生の△△君がやってきた。彼には、まず、○○君のりんごの詩を聞いてもらった。そして、綴った言葉。

きぼうのひとのきもちをきいていいきもちになりました
ふかいいみがあるとおもいます
ふかいことばだとおもいました
りんごのことは ぼくもかんがえたことがあります
りんごは きぼうのうたをかなでてくれます
ふかいいみとゆめがいっぱいあります
ふしぎなかじつです
くだもののなかでは きぼうのきもちがいちばんいっぱいこもったくだものです
むずかしいいみのこもったしでした
きもちがよくつたわってきました
きもちがりかいできました
にんげんにはひんせいがひつようです
いいりそうをかかげていくことがたいせつです
にんげんとしていきていきたいとかんがえているので 
いつもふかいいみをだいじにとおしえられて 
いつもじぶんでめをちゃんとあけていきていこうとかんがえています
ねがいのとおりにいいにんげんになりたいとおもいます
ねがいはにんげんとしていつもいきがいをかんじながら 
いいじんせいをいきていくことです
ちいさいころからきもちをつたえたかったので 
じぶんのきもちがいえることがげんじつになったので うれしいです
ひとにゆめをあたえられるようなじんせいがおくりたいです
きいてくれる すなおなぼくのきもちを

じぶんのきもちがつよくしてくれるとおもってきたので 
みじかいきゅうなじんせいよりも
なだらかな ながいじんせいをいきていきたい
じぶんのじんせいだから 
ずっとりかいできるつらさは 
すぐにぞうぶんのくすりとして いきていこう
ばやときをかんけいなく 
ちきゅうじょうのすべてのいきとしいけるものが 
しあわせになることをいのるとしても 
きびしいいきかたにまけることなく
いきていきたいとおもう
だいじなことはいっぱいあるけど 
つねにゆめをいっぱいりんごのようにもちつずけて
いきたいとおもう。

 りんごと仕事をキーワードにして、4人の間で言葉のリレーが行われた一日だった。 
2009年3月31日 07時20分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
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2009年03月29日(日)
くもがはれた
 4月から高校3年生になる☆☆さんを3歳の時から関わってきて、今は遠くに住んでいる○○先生がひさしぶりにやってきた。☆☆さんが、速いスピードで文章を綴れるようになったのを見るのは初めてのことだ。

なつかしいね○○せんせい
じぶんもようやくこうこうさんねんになります
にんたいしてきましたがねがいがかなってはなせるようになりました
ぬいぐるみのようなじんせいにおわかれすることができました
ちいさいときからずっとひとりぼっちだったけど みんなとはなせるようになってねがいがかないました
じぶんのじんせいだからひんのあるじかんをたいせつにしていきたいとおもいます
ちいさいねがいですがひとりでゆめをかなえたいとおもいます
のぞみはひとりでくらすことです
ふりいなせいかつをしたいとおもいます
にんげんとしてできることをたいせつにしていきたいとおもいます
みんなとはなしたいです

 話せるようになった喜びを、一生懸命久しぶりにあった○○先生に語った文章だ。社会に出る日がしだいに近づき、自分の人生について考えることが増えてきたということだろう。「ひんのあるせいかつ」「ふりいなせいかつ」といった、言葉がひときわ目を引く。そして「のぞみはひとりでくらすこと」。
 そして、話は、スイッチ操作の方法に及ぶ。
 
ふしぎです ちからをこめていないのにどうしてわかるのですか

 いろいろな方から問い返される言葉だが、今回は、☆☆さんは、どうやっているのと聞き返してみた。すると、うまい説明が返ってきた。 

ねんじています さきのもじをそこにきたらここだとおもっています

 そして、○○先生に代わってもらったが、初めてなのに、次のような言葉を聞き取ることができた。

すき
ねがいが かなった
ほんとう くもがはれた

 ○○先生は、しきりに、わかってあげられなくてごめんねと繰り返す。私たちの、本当の気持ちだ。○○先生が通園施設で関わってきた10人ほどの「障害の重い」子どもとともに始めた会だが、いつか、すべての子どもが文章を綴るようになった。「くもがはれた」という思いを、じっとかみしめたい。

 
2009年3月29日 02時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
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2009年03月26日(木)
くばられたさだめのじかんはひとりひとりちがっているけれど…
 4月から小3になる○○君の詩。途中、何度も何度も手を休め、中空を見つめるようにしながら、言葉を吟味しつつ、言葉を選びとっていった。

いいじかんがじきにすぎていき
すなおなちかいを
じぶんのためのじかんにしようとしてねがった
いいじかんにしようとおもい
ねいろのいいすてきながっきとうたごえに
みみをすませているうちに
いいじかんがふたたびながれはじめた
きびしすぎるからだのぼくだけど
しあわせはきっとくるだろう
ちいさいときからひとりぼっちのぼくだけど
しあわせはきっとえいこうのひかりとともにくるだろう
ちいさいときからひとりぼっちだけど
あしたはきっとにびいろのそらのむこうに
あおくひろがっているだろう
くばられたさだめのじかんは
ひとりひとりちがっているけれど
きっとしあわせはくるだろう
ちいさいときからいいたいこともいえず
くやしかったけど
きっといつかきぼうはやってくるだろう
きになるみがずっとはなからまちつずけたように
ぼくもずっとまちつずけよう
じぶんのはなをさかせ
じぶんのみをつけるときを。

 途中で、叫びのような声をあげた場所がある。一つは「きびしすぎるからだのぼく」という表現を選び取る直前で、目からは大粒の涙をこぼした。またもう一つは、「くばられたさだめのじかん」の直前。この時は晴れやかな表情で、大きな声を出した。
 手を振って尋ねる方法で、その声の意味を尋ねると、それぞれ「くやしい」「すてきなことばがみつかったから」との答え。ただし、「(手を振る方法ではなく)じぶんのこえではなしたい」という言葉も続いた。彼の願いと痛みが伝わってくるやりとりだった。
2009年3月26日 00時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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2009年03月18日(水)
はなのあいだをとびかうちょうのように…
 コートのいらない暖かい日射しの一日、病院を訪問した。最初は中学生の☆☆さん。

こんにちわ、きてくださってありがとうございます

と、手をふって聞く方法であいさつをしてくれたあと、

すいっちでやってみたらどうなりますか。

と提案がきた。理由を聞くと、横で書き取る先生が大変だからということだった。そこで、プッシュ型のスイッチを使って、パソコンでやってみることにした。そして書かれたのは、次のような文章だった。

いいかんじです ねがいがかなってびっくりしています ゆめのようでいいきもちでかんどうしています ずっとねがってきたのでなんだかしんじれないきもちです しんじてもらえてかんしゃしています 
きょうはたとえばみんなをつれて にほんじゅうののはらにはながさいたようなきもちです ののはなのようになもないわたしですが ゆめをみながらはなのあいだをとびかうちょうのように るんるんととびまわっています てんのひかりをあびてへいわなむかしのふしぎなこえをききながら むかしのじぶんのきもちをおもいだしていると よいほんでもよんでいるようなきぶんになります ぶんしょうとしてかいてみると よけいにきちんとしたすてきなきぶんになることができます くるしくてもきもちをひょうげんすることができるとくるしみはきえさっていきます じぶんでぬいぐるみのようにおもってきましたが にんげんとしていきていることをこころからじっかんできます ちいさいときからずいぶんとおまわりをしてきたけれど ようやくみらいがひらけてきました すばらしいはじまりです どこにもいけないわたしですが のぞめばののはなをめぐるちょうのようにどこへでもいくことができます げんきだったころにはそうぞうもつかなかったようなきもちですが けっしてふこうではありません くるしさのなかにはまたよろこびがあることがはっけんできました ねがいがかなってかんげきです 
すてきなほうほうをかんがえてくださってありがとうございます ○○○くんがまっているのでおわります

 そこでとなりのベッドの小2の○○君に代わろうと思ったが、一つだけ、先生が聞いておきたいとおっしゃっていたことがあったので、それを尋ねた。それは、同じ病院に最近入院している中学3年の女の子に、ひとこと卒業のお祝いを書きたいので、その言葉を聞いてほしいということだった。

ののはなのように ほほにほこりをもっていきましょうね
よいゆめをわすれないようにいきましょう
これからもよろしくねどんなときもきぼうをたいせつに
☆☆より ××さんへ
これでおねがいします

 そして、この様子をずっと隣で聞き耳を立てて聞いていた○○君もさっそく、パソコンでやるとどんな感じになるのと聞いてきたのでパソコンで挑戦した。

すなおにいきていきたいとおもいます すなおなきもちのつもりでもだれかをきずつけてしまうのがつらいです ふしぎです すらすらぶんしょうがかけていきます なぜわかるのですか ふしぎです じぶんではちからをいれていないのになぜよみとれるのですか ここだとおもっています ふしぎですがよいやりかたです ちいさいころからなんでもきもちがいえたらいいなとおもってきたので うれしいです すみません くびがいたいです すこしやすみます

 その後、首の疲れがとれないらしいので、スイッチはやめて、手だけで聞いていった。
 すると、いろいろな気持ちを話しているうちに、私の大学はどこにあるのと尋ねてきた。渋谷と答えると、ラジオをよく聞いている彼はわかったとのことで、すてきなおねえさんたちのいるところですねというようなことを、言ってきた。だが、ここから、彼は、一気に話の方向を変えてきた。
 内容は、自分はずっと病院にいて、外に出たことがないので、外に出て、いろいろなものを見たり聞いたりしたいというようなことだった。そして、小さいときから気持ちを伝えたかったという思いが語られていく。そんな中で、彼は、なぜ、ぼくは外に出られないのか問いかけてきた。ずっと、病院の中で育ってきた彼の、当然の叫びである。答えに窮した私は、私にはその質問に答える資格はないということと、☆☆さんの書いたことを聞いてほしいということだった。そして、○○君に☆☆さんの文章を読み上げた。
 懸命に耳をすませて聞いていた○○君は、同じ状況にある☆☆さんの言葉だからこそよくわかるということを言った。
 そのことを☆☆さんに伝えると☆☆さんは、今度はパソコンは使わずに、次のようなことを語った。
 願いは願いとしてたとえかなわなくても持ち続けることが大事で、人は、希望や夢を持っていれば幸せに生きることができる、というような言葉だった。決して負け惜しみではなく、人間というものを深くとらえた言葉だと思った。
 ○○君は、さらに、自分たちと同じ状況にある子どもたちと、こうした気持ちを伝え合いたいと語った。
 私が学生のころ、よく、限界状況を生きるという言葉を目にした。自ら全く動くことができず、狭いベッドに限られた世界を生きるというのは、まさに、その限界状況にほかならない。その中で、紡ぎ出される言葉の中に、幸せに生きることができるということが含まれているということの重みに圧倒された時間だった。 
2009年3月18日 08時38分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
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2009年03月15日(日)
にんげんのすなおさがねがい
 盲学校の高等部の女性の言葉を、パソコンと手を振る方法とで聞いているが、今回は、お母さんも見えた。なんと、携帯についたテレビ電話の機能で、学習中の様子を、彼女を大切にしている親戚の方のもとへ実況中継してくださった。その中で、彼女は次のような言葉を綴る。冒頭は、前回と同じ言葉だった。

しばたしわしわ
ゆめ ゆめ 
ねがい ねがい
にんげん にんげん 
きぼう きぼう
すばらしい 
にんげんのすなおさがねがい 
ちいさいときからきもちがつたえたかった
ねがってきました
かあさんいつもありがとう
きいてくれてありがとう
いいじぶん

 言葉を二つ並べることから生まれるリズムは、まるで、音楽のように彼女を包み込み、彼女の心の中に豊かな世界を生み出しているようだった。
 盲学校の重複学級に在籍する彼女は、2年前、この学校の高等部に入学してきたのだが、当初は、ずいぶんと心を閉ざしているように見えた。その彼女の心の世界を、担任の先生方は、彼女の存在を心から尊重しながら根気よく解きほぐしてきた。学習の内容も、いつか点字をさわるところまで到達している。まだ、彼女が読めているのかどうか、定かではないところがあるものの、点字を触る彼女の顔は、誇りに満ちあふれている。こうした言語表現も、そんな先生方の関わり合いの土台の上に花開いたものにほかならない。
 携帯で実況中継を続けるお母さんも、心から娘さんの成長を喜んでおられた。
 新年度もまた、最高学年になった彼女といろいろな言葉を交わしあえたらと思う。  
2009年3月15日 22時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
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早春の小児科病棟にて
2月の病室での☆☆さんの言葉を紹介したい。昨年の1月に関わり始めて、毎回、じっと手に伝わってくるわずかなものを感じ取って、ようやく1時間半ほどかけて10文字聞き取るのがやっとということを続けてきて、12月には30文字ほど読み取れるという状況だったが、1月から手を手を握って軽く振りながら「あかさたな」と聞いていく方法を始めてから、文字数が飛躍的に伸びた。(ただ、パソコンではないので、横で筆記していただく必要がある。)☆☆さんは、まず、そういう状況について話し始めた。

☆☆をりかいしてくださってありがとうございます 
☆☆はじぶんのきもちをもうにどどわかってもらえるとはおもいませんでした 
なぜしばたせんせいはやめようとはおもわなかったのですか
かんしゃしています じぶんのきもちをいえてかんげきしています きもちがいえるようになったのできもちがらくになりました
げんきなときはよくねがいごとをかあさんにいってきましたが いえなくなってからなにひとつわたしのねがいごとをつたえられなくなってしまって のぞみをもつこともわすれてしまいました びっくりしました よくわたしのてのうごきをよみとることができるなんてしんじられないきもちです すばらしいほうほうですね じかんがかかりましたがわかってくださってありがとうございます

 私は、☆☆さんのこれまでの経緯をほとんどうかがっていない。ただ、枕元には、今よりももっと体を動かすことのできた小さい頃のあどけない写真がある。その頃も、けっして自由自在にコミュニケーションができたわけではないらしいが、おそらく、何かのかたちで、今よりも気持ちを伝えることができていたのだろう。そのような状況をふまえての言葉だ。
 この後、担任の先生も積極的にこの方法に挑戦していて、何かの言葉をやりとりしていたが、それがあっていたかどうかを私が尋ねてみた。

あっていました なんかいもやっているうちにわかるようになるとおもうのでよろしくおねがいします

さらに、前々日に先生が聞き取った同じ病院に入院しているお子さんのことを先生が尋ねた。

おぼえています しんぱいです にかいのきゅうめいせんたーにはいるのはびょうきがおもいとゆうことですから どんなぐあいかしりたかったのです

 ここで、私は、頭の中で詩を書くことがありますかと尋ねた。すると、

あります 

 そこで聞かせてくださいとお願いした。

はい 
きぼうのひかりがさしてふしぎなかぜがふいてきた
ねがいのみをのぞむねがいをゆめみて 
ほんとうのきぼうがかなった
ねがいのいのりがてんにとどいて 
さいこうのねがいのようにひかりました
しずかなしずかなわたしのよろこびがからだじゅうにひろがって
ゆめのようなのぞみがわたしのこころのなかに 
よろこびのときをもたらした
ひかりがさしてわたしのうえにふりそそいで 
なんともいえないよろこびが
わたしをいいせかいにつれだしてくれた 
おしまい

 表現することの喜びがひしひしと伝わってきて、私も、そういうできごとにかかわらせていただいていることを、この上なくありがたいと思った。
 そして、今度は、横で見守っておられるお母さんに何かありませんかと尋ねてみた。

とてもうれしい わたしのことをいつもめんどうみてくれてありがとうございます かんしゃしています
 そして、隣のベッドの○○君を気遣う言葉が続いた。
はやとくんがまっています
 
 その言葉を受けて、隣のベッドに私は移動した。○○君との会話は今手元にないのだが、同じ方法で、やはり飛躍的に文章が長くなっている。その間、先生は、☆☆さんと会話を続けていた。それは、お母さんが昨日びっくりすることがあってしょ、あのことを教えてあげたらという言葉を受けてのことだった。

まねみさ(けす)やざ  ちとしま(けす)もかわたしもめお(けす)りよきは

 まだ、はっきりとしてはいないが、すでに、そこには、確実に彼女の言葉の断片が綴られている。そうこうしているうちに、私は、○○君から☆☆さんのメッセージをもってもう一度ベッドサイドに立った。内容は、さきほどの詩を聞いた○○君がそのことをほめたことだった。すると彼女はこういう答えを返した。

とてもうれしい ○○くんのきもちがつたわってきました くるしいときもあるけどともだちがそばにいるのでさびしくないです これからもよろしくね

 24時間、同じ病室で過ごしているけれども、会話を交わしたのは初めてのことだ。中学2年生と小学2年生だが、1年半同じ病室にいて、2人の気持ちは、すっかり通じ合っていた。
 さらに、さきほど先生と何を書いたのかを聞いてみた。

ちかくよいしらせがわたしにおとずれるとおもいます きっとおかあさんがはやくびょういんをたいいんするといってました わたしのねがいです

 これは、周囲の者にとっては、とても意外な答えだった。退院ということは、お母さんンは一度も口にしていないとのこと。そこで、私が、「ねがいとして頭に浮かべたの?」と聞くと
ねがいをいいました
と答えが返ってきた。そして、さらに文章は、別の内容に移っていった。

しずかにしているとこえがきこえてきます 
ずっとむかしのわたしのゆめがきこえてきます 
いいじだいのわたしのゆめです
しずかにしているときこえてきます かこのきれいなおもいでのおとが
しずかにしているときこえてきます 
ちいさいころのすてきなこえがします
しずかにしているときこえてきます 
じぶんのかなえられなかったゆめのこえがします
しずかにしているときこえてきます じぶんのゆめのこえが 
なにもしらずにいきていたころのねがいのこえがします 
しずかにしているときこえてきます 
ゆめはかなわなかったけれどあたらしいきぼうをしらせるこえがします
やっとあたらしいきぼうのこえがきこえてきました

といつか詩になっていた。そして、その詩を受けてさらに言葉は続く。

しんじてにんたいしていたのですくわれました きぼうがわいてきました 
にんたいしてきたかいがありました 
ずっとまちつづけていました このひがくることを 
きぼうがくるしみにとってかわりました(本人は、「くるしみがきぼうに」と書いてしまい、先生からこれだと反対になってしまうねというと)
かきまちがえました 
にんげんとしてうまれてよかったとおもえるようになりました 
みらいがひらけてきました 
ねがいがむくわれました ねがいがとどきました 
しあわせです わかってくれてありがとうございます 
きょうもとてもよいじかんをすごせてうれしいです 
ありがとうございました またよろしくおねがいします

 2月も下旬の病棟にも少しずつ春の訪れが感じられるようになったが、ともに過ごした時間は、長い冬を耐えた花が、一気に春を謳歌するように咲き誇ったような時間だった。
2009年3月15日 22時31分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
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ねがいのこえは すいれんのはなのように ひらき
 久しぶりに会ったで、思いがいっぱいたまっている様子の20代の女性○○さんは、早速次のように文章を書き始めた。

かきたいことがいっぱいあってたまっていました 
ちいさいときになんでもいえたらいいとおもっていましたが けっしてあきらめないでちいさいときのおもいでをたいせつにしていてよかったです
ちいさいときはなぜわたしだけはなせないのか じぶんでもりかいできないでくやしくおもっていましたが ちいさいときにはわからなかったことが おとなになってわかるようになって かいごされることのいみもかんがえられるようになりました
きもちがいいたいとちいさいときからおもってきましたが きもちがいえるようになってうれしいです
じぶんのいいたいことがいえたらいいとちいさいときからねがってきましたので ねがいがかなってうれしいです
きょうのじしんがきになっています じしんがくるといやです 
(私「今日地震ありましたっけ?)
きになっているのでときどきかんじています
(母「ヘルパーさんについて書いて」)
へるぱーさんにはいつもおせわになっています
とてもみてくれるのでたすかっています
すいぶんほきゅうがねがいです じぶんではのめないので できればすいぶんほきゅうのかいすうをふやしてほしい

いつもいいにんげんになりたいとおもいますが ねがってもなかなかちゃんとしたにんげんにはなれそうもありません 
すなおになれないときがあるからです
(私「どういうときにそう思うのですか?」)
きたいどおりにいかないとおこってしまいます
きちんとしたじんせいをいきたいです 
いきているいみをかんじたいです
(私「でも、生きている意味を感じる時もあるのではないですか?」)
きもちいいとおもえるのはきぼうについてかんがえているときです
のぞみやきぼうについてかんがえているときもちがらくになります
ねがいはにんげんとしてきちんとしたきもちをくんでもらって ねがいをかなえてぶんそうおうのじんせいをいきていくことです
じぶんのかんがえをいいたいとおもいます 
きいてください

ねがいのこえは すいれんのはなのようにひらき
ねがいのこえは にあいのとりのように ちいさなしあわせをかなでる
だいじなことは きのうのなみだをあしたのきぼうにかえることです
ちいさいときから そうおもってきました
あいされることよりも あいすることがだいじで
だいじなことは たのみのゆめをうしなわないことです
きぼうをいつまでもたいせつにして いきていきたいとおもいます
おじいさんになってもおばあさんになっても ずっとざゆうのめいとしていきたいとおもいます
にんげんとしてきいてもらいたいです 
じぶんのきもちをきいてほしいです
ぬいぐるみのいきかたにはおわかれです
がんばっていきていきたいとおもいます
ねがいをいえてよかったです
いいきもちです 
すーっとしました 
おわります

「かいごされることのいみ」「いきていることのいみをかんじたい」「ぶんそうおうのじんせいをいきていく」「ずっとざゆうのめいとしていきたい」彼女の胸の中で実に様々のことが考えられていることが、ひしひしと伝わってくる。彼女は、終始、身をよじらせながら、叫び声のように声をあげながら、文章を書いていった。途中、心配になって、その声の意味を手をとる方法で尋ねると、「きもちがあふれだしているだけです」という答え。彼女の顔に、さわやかな笑顔が戻ったのは、すべてを書き終えてからだった。
2009年3月15日 20時56分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
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歌を作ること、そして地域で生きていくこと
 青年学級で作った「願いの季節」という歌を○○君と☆☆さんに聴いてもらった。パソコンで初めて自分の気持ちを綴った人たちの言葉を中心にしながら、メンバーみんなの言葉を合わせて作ったものだ。その歌詞は、次の通りだ。


1.小さな幸せ小さく開き 願いの通り満たされて
  小さな幸せ希望に満ちて 希望を運び喜び広げ
  人間として生まれて生きてきて 自分の気持ち聞いてもらいたい
  かってに体が動いて悲しい きれいな気持ちで生きていくのが夢
  生きていきたい自分の足で 生きていきたい自分の目で
  希望小さくささやきながら 希望に満ちた人生生きる

2.小さな幸せ花のように 静かに静かにきれいに湧いて
  歌がしきりに待ちきれないで 自分光らせ生まれてくる
  虹をみんなで探しにいこう 自分で虹を空にかけてみたい
  やっぱりきびしい話せないのは 人間だからあふれる気持ちがある
  小さな願い大切にしよう 小さな願いしっかりと
  希望小さくささやきながら 希望に満ちた人生生きる

3.瞳閉じると天使舞い降りる 私の愛の告白を
  人それぞれの夢があるから 天使にお願い聞いてほしい
  声を聞かせて心の輝きを 口を開ければ空のように輝ける
  愛というのは不思議な言葉 小さな心を大きくしてくれる
  時代がどんなに変わっても みんなと一緒に一歩ずつ
  自分に何かがあった時も 仲間がきっと助けてくれる 


 ○○君は、実はこの日、ひとしきり、学校でのできごとを書いた。それは、彼が言葉を理解できていないと思った教師が小さな声で語った心ない言葉についてだった。そこで、切りかえるために、この歌を聞いてもらったのだ。そして、彼は感想としてこう書いた。

にんげんとしてうまれていきてきてというかしがよかったです
ちいさいときからちいさいしあわせをたいせつにしてきたのできもちがよくわかりました

 そして、最近、詩だけでなくメロディも作っている人がいるということを告げると次のように書く。

ぼくもつくっています
 
しろいゆきをみんなでみていました
みたこともないちいさなゆきのせいがやってきて
ひとりぼっちのぼくにはなしかけました
きのうのなみだはねがいにかえてみらいにむかっていきていこう
ねがいはゆめをはこびみらいをひらく
みらいはちいさなじぶんのてのなかでおおきなきぼうにふくらんだ。

 
 まず、前半部分を、手をとって聞いていく方法で、メロディを聞き取った。「あかさたな」の代わりに、音程をつけて「ドレミファソラシド」と聞いていくと、メロディが一音一音選び取られていく。

 ミファソソラソ ソラソファミレドミレミ
 ミファソソラソソ ソラソファミレド レドレドレレレドレ
 ミファソソソラソ ソラソファミレドレドレド

 リズムについては、8分音符がいくつ分かということで、何とか聞き取っていった。時間の関係で、後半は今度ということになった。
 前半部分、おおよそ歌ってみて、これでいいかと聞くと、

 はい

 という答え。そして、次の感想が書かれた。
  
 しんじられないきょくができるなんて

 ここへ☆☆さんが、やってきた。☆☆さんは、来週、いよいよ高等部を卒業する。そして、さっそく、次のように綴った。

○○くんすごいね
じぶんできょくをつくっているなんてすばらしいですね
かんどうしました
ひいでたさいのうですね
わたしもつくっていますがなかなかいいうたができません
じぶんにはさいのうがないのかもしれません
ねがってきました じぶんでなんでもきめられるようになることを
しかしなかなかねがいどおりにはいきません
ねがいはゆめかもしれませんが ちいきでいきていきていくことです
なぜりかいしてもらえないのでしょうか
ちいきでいきていくのは ちいさいときからのゆめでしたから さいごまでがんばりたいとおもいます
じぶんのきもちをいいたいけれど ちいさいときからふつうのこどもとしていきてこられなかったので くやしいです
よくゆめをすてずにこれたものだとおもいます
ちいさいときからとばずじまいだったので はやくなにかでひやくしたいです
りそうはさっかとしてひょうげんのほうほうがあったらいいとおもうのですが なかなかうまくいきそうにありません

 ☆☆さんは、4月から社会人なので、わかばとそよ風のハーモニーコンサートへの参加を誘った。彼女の「野に咲く花のように」という詩で作った曲を2年前のコンサートでは、劇中の歌として使ったことがある。私はこの時が来るのをずっと楽しみにしていた。そして、冒頭の歌を聞いてもらった。 

しがとてもむねにしみました
りそうはひとりでいきていくことですがひとりではむずかしそうなのでなかまといっしょにいきていきたいとおもいます
ちいさいときからのねがいでした
ねがいをかなえたいとおもいます
じぶんにゆめがあるかぎりむかっていきていきたいとおもいます
ゆめにむかって
(以下は、手をとる方法で)
ひかりがさしてきたようです
きもちをちいさいときからいいたかったので りかいしてもらえてうれしいです
てではなせるとはおもいませんでした

 卒業を間近に控えた不安な胸の内がうかがえるが、仲間とともに生きていくことに希望を見いだしているところに、深く共感した。コンサートは、その初めの一歩だ。
2009年3月15日 10時50分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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なによりちいきでくらすことをのぞみます
 知的障害の特別支援学校の高等部を卒業する○○さん。卒業を来週に控え、こんな文章から始まった。

あまりそつぎょうしたくない
じりつすることがつらいとおもいます
じりつはちいきでいきていくことですが 
つらいのはひとりぼっちでくらさなければならないことです
ふしぎです りかいすることがなぜできるのですか
きいてほしいことがあります
ねがいはちいきでいきていくことですが 
ちいきでいきていくのはたいへんかもしれません 
じぶんのいいたいことがいえたらいいけど 
ふだんからきもちいえないとむずかしいとおもいます 
ちいさいときからいいたかった 
りかいしてもらえてうれしい 
のぞみはなんでもはなせるようになることです 
じぶんのきもちがいいたいので ちいさいときからのぞんでいました
いいにんげんになりたいとおもいます 
ねがいはひとりでちいきでいきていくことです 
にんげんとしてきれいなこころでいきていきたいとおもいます 
らいねんは なれていきたいです 
ちいきでくらすために なれていきたいです 
ふしぎです 
はなしができることりかいしてくれてうれしいです 
きもちがりかいされないことはつらい

 卒業後のことをめぐる不安が、生々しく語られる。少し、話題を変えようと、詩を作っていたりしますかと問いを投げてみた。すると、

はい
しをつくりました きいてください

 との答え。話題が変わるかと思っていたが、そのまま同じ気持ちを、今度は、決意の詩として語った。

なによりちいきでくらすことをのぞみます
りかいされないことがつらいです
にんげんとしていきたいです
しんじてください
ひとりでいきたいです
めいわくをかけずにいきたいです
むりではありません
ひとりでくらせます
のぞみはしんじてもらうことです
めいわくかけたくありません
ひとりでいきていきたいとおもいます

 そして、こう付け加える。

よんでほしいおかあさんにじぶんのきもちを
きいてほしいじぶんのきもちりかいされたい
ちいきでいきたいです。

 学校の進路指導は、ある意味で、きっちり彼女に受け止められているということになるだろう。厳しい現実を語ることは大切なことだ。しかし、彼女に将来の夢こそ、必要なのだと改めて思う。それは、これからも彼女と関わりを続ける私の課題である。
 彼女には、5月24日に開かれるわかばとそよ風のハーモニーコンサートへの参加を誘った。社会人としてたくましく生きる先輩たちの仲間に加わってもらいたいからだ。そして、地域で生きるということの意味をともに考え合っていってもらいたいと思う。
2009年3月15日 08時51分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年03月09日(月)
しろいしろいゆきはどうしてかなしいのだろう
 これまで、2人でいつもパソコンで会話をしてきた男子中学生○○君と女子高生☆☆さんがいる。しばらく、2人の会話に立ち入ることはできなかった。ところが、速度の速い方法を2人に示してから、2人は一気に、深い内容の文章を綴るようになった。
 前回、女子高生が休んだ時、○○君は白い馬の詩を書いた。今回その詩を☆☆さんに聞かせた。すると、次のような感想が返ってきた。

いいしですねかんどうしました
ひいでたしだとおもいました
ねがいのつよさがつたわってきました
はっとさせられるようなないようでした。
ちいさいときからいろいろくろうしてきたことがつたわってきました
きもちがじっとしているととぎすまされていくのですね
ちいさいときからことばをかんがえていきてきたとおもうのでできるのだとおもいます
わたしもおなじです
ちいさいときからしをかんがえてきました
いいきもちになるからです
きいてくれますか

 ☆☆さんも、また、詩を作ってきたという。そして、次の詩が書かれた。

しろいしろいゆきはどうしてきたのくにからやってくるのだろう
しろいしろいゆきはどうしてかなしいのだろう
かなしみはどうしてうつくしいのだろう
かなしみはしろいゆきにどうしてにあうのだろう
ちいさいわたしはどうしてかなしいのだろう
ちいさいわたしはどうしてなみだをながすのだろう
ちいさいわたしはしろいゆきがだいすきだ
ばかにされたりどうじょうされたりしながらわたしはいきてきた
きもちをいえずにちいさいときからわたしはいきてきた
ちいさいわたしはいつもしろいゆきをまちこがれている
しろいゆきをゆめみている
きたかぜとしろいゆきはちいさいわたしにむかってふいてくる
しろいゆきをふきあつめてわたしにむかってふくきたかぜは
だからきぼうのかぜだ
ねがいをきいてねがいをかなえてくれるきぼうのかぜだ
いいきたかぜをかんじながらいいわたしはきぼうにむねをときめかせている。

 これまで、ずっとパソコンでいろいろと語ってきた☆☆さんが、自分から詩について語らなかった理由を尋ねると、次のような答えだった。

ひとにきかせるものではないとおもってきたからです
きいてもらえてうれしいです

 また、多くの人が北風と希望を結びつけた詩を書いていることを説明すると、次のような意見を聞かせてくれた。

ちいさいときからきたかぜがだいすきでした
いいわたしにしてくれるようなきがするからです
にんげんはきたかぜをきらいますがほんとうのかなしみをしっているひとにとってきたかぜはきぼうのかぜなのです
ちいさいころからしをつくってきたのでいつもきいてもらいたいとおもってきました

 本当の悲しみを知っているというような言葉は、お母さんにつらく響くことがあるから、お母さんに一言、書いてほしいとお願いした。

おかあさんはいつもわたしのことをりかいしてくれました
しはわたしのくろうしてきたきもちをかいただけです
わたしをいつもだいじにしてくれてかんしゃしていますからあんしんしてください
きいていただいてありがとうございます

 長文を書いた後、手を振って気持ちを聞き取るやり方をお母さんに紹介した。パソコンの援助もご自分でやれるようになったお母さんだが、この方法も、比較的簡単にやれるようになった。社会に出るのを間近に控えた☆☆さんの世界が、もっともっと広がればと思う。
2009年3月9日 23時31分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年03月07日(土)
ハート展の日
 午前中、ある学校の訪問教育のお子さんのお宅にうかがい(そのことは改めて紹介したい)、夜の青年学級の会議まで、すっぽりと時間が余った。ともかく電車に乗って、ふと思いついたのは、NHK主催のハート展に行くことだった。私が関わった6年生の女の子の作品が入選して、展示されているからだ。たくさんの作品の中に、彼女の作品もあった。筆談ができるようになって、学校の先生に支えられながら書いた詩だ。

  あしたのこえ
みらい るるる
あしたのことはわからない
るるる るるる
あしたのこえ

 あしたのことはわからないという言葉、長い間、言葉が閉ざされていた時、明日は不安に満ちていたかもしれない。しかし、今、明日は、未知の希望にあふれているのではないか。るるるという言葉に、そんなことを思った。ささやかな一歩だが、彼女が、自分の声を社会に届け、社会に向けて歩み出した記念すべきだ一歩だ。展示されている多くの作品の一つ一つに、作品を見ただけではうかがいしれない、そんなドラマが秘められているのだと思った。
 そして、そのまま、町田に向かった。時計を見ると、まだ、余裕がある。そこで、思い立って、月曜日に手術をするために入院している53歳の青年学級のメンバーのお見舞いに行くことにした。病状は予断を許さないものであると、電話でお母さんからうかがっていた。
 彼、SYさんは、年末にパソコンで言葉を初めて綴った方だ。自分で身のまわりのことはだいたいできる方だが、言葉は少なく、単語だけを話される。行くと、ちょうど、お見舞いに来た授産施設の方々をお母さんと一緒に病院の玄関でお見送りするところだった。私を認めるとにやっと笑ってくださった。そして、そのまま病室におじゃました。お見舞いを買ってくるのを忘れていたので、ハート展の詩画集を彼に渡した。そして、たまたま、スイッチ一式を携えていたので、一度お母さんにも見てもらいたいという思いがあり、パソコンを出した。そして、彼は、次のような文章をさっと書いた。

きてくれてありがとう
うれしい
くるしいげんきになりたい
じぶんのきもちがいえないのですごくこまっています
かあさんしんぱいかけてすみません
ぎせいになってもうしわけありません
きのうかんごふさんがきてすきなおんがくについてきいてくれました
いしのまこがすきですからききたいです
ききたいです
くすりがにがくて
きらいです
がまんしてともかくちいさいころからのんできました

 ここで、流動食の食事が来た。そこで、パソコンをしまう前に、一言あったらと尋ねると、

きいてほしいことはくるしいけどがんばりますということです

 と綴った。そして、食事をする彼の横で、彼の言葉も入った今年度の音楽コースのオリジナル曲を流した。歌詞にしたのは彼の長い文から抜粋した次のような言葉である。

にじをみにいくことです みんなでみにいこう
じぶんでにじをつくりたい
ちいさいねがいだけどたいせつにしよう ちいさいねがいだけどしっかりもっていこう
にんげんだからきもちがあります
きびしいです ことばがはなせないのは
 
 メロディーに合わせた歌詞ではこうなった。

にじをみんなでさがしにいこう じぶんでにじをそらにかけてみたい
やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある
ちいさなねがいたいせつにしよう ちいさなねがいしっかりと

 彼の食事中、思わず、お母さんと昔話に花が咲いた。私より3歳上の彼と出会ったのは、私が23歳の時、それから30年近い時間が流れた。お互い、すっかり年齢を重ねた。そんな話だった。彼の食事も終わり、そろそろおいとまをと思い、最後に、彼に、手を振る方法で、手術について尋ねた。

こわいけどがんばります

 エレベーターまで送ってくださったお母さんは、「かわいそうでね、代われるものなら代わってあげたいわ」とおっしゃった。大正生まれの気丈なお母さんだが、その思いが痛いほど伝わってきた。
 私たちのコースのオリジナルソングの最後に、こんな歌詞がある。

じぶんになにかがあったときは なかまがきっとたすけてくれる

 今、大変な病気と闘っている彼のたすけにいくらかでもなれただろうか。そんなことを思いながら、青年学級のスタッフ会議に向かった。
2009年3月7日 01時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年03月03日(火)
青年学級 成果発表会の日 その2
 成果発表会の終了後、トマトハウスで、再び、2人の方の言葉を聞いた。
K.Kさんの言葉を聞くのは2度目。合宿以来になる。発表会のステージの上では、彼の合宿での言葉が、仲間によって朗読された。 
 トマトハウスでは、彼は、次のような思いと、詩を綴った。

ちいさいときからいいたいことがいいたいとおもってきました
いいたくてもうまくいえませんでした
いいたいことがいえたらうれしいです

しろいこいぬがゆきといっしょにやってきた
ちいさいわたしはちいさいねがいをしろいゆきにたくし
じぶんのねがいをきいてくれるきたかぜに
ちいさいわたしのねがいをたのむ
きいてほしいのぞみをひとりしずかにききながら
しろいゆきがふるのをみつめていた
きのうのかなしみはじぶんのねがいをしり
きのうのさびしさはちいさいじぶんのべんきょうができなかったふまんをしっている
きぼうのいいきたかぜはしろいねがいをねがいながらにんげんにきぼうをあたえる
ねがいはちいさなゆきのかけらとなってぶなのはやしにつもった
たのみのつなはきぼうのいいきたかぜだ
みたこともないのぞみをはこび
ぼくにゆうきをくれた
きぼうのきたかぜをまちのぞみながら
ぼくはにんげんとしてきのうのじぶんにわかれをつげ
なやみのないみらいにむかってたびだとう
おわり。

しはいつもかんがえています 
いつもたいせつなことばをじぶんでかんがえています
きいてくれてありがとうございます
じぶんのきもちがきいてもらえてうれしい 
しばたさんはなぜぼくがりかいしていることがわかったの

 トマトハウスでは、E,Kさんの言葉も聞いた。7月に、初めて文字を綴った方だが、12月の合宿の時、階名で歌える歌があったら書いてみてとの求めに、チューリップの歌の階名を書いてくれるということがあったので、その時、自分でメロディを作れたら、作ってみてほしいと頼んでおいた。いくらかやりとりをした後、彼女は、次のような階名を記した。


ソファミファソソファミファレファドドドシラソファラソファソミソファミファソソファミファレミレドシラソファソドララシドレドシドシラソラソソララシレドシドミレドミレソファミファソソファミファソソファミファソレレミファソファミファソララシドレドシドレドシシドー

 いくつかの解釈が可能なので、まだ、はっきりと区切ることができないが、確実に一つの形式を踏んで、音楽ができていることがわかった。そして、その歌詞として、次の詩とその説明が書かれた。


しろいこいぬ しろいゆきを
ふしぎそうにみつめている
しろいゆきはきぼうのしししゃ
ねがいをかなえてそらからふる
ちいさいときからひとりぼっち
みんなみているしろいゆき
みんなをつなぐしろいゆき。

ちいさいころからかんがえてきたうたです ききとってもらえてうれしいです がくふにしてください よろしくおねがいします きいてもらえてうれしい ねがいがかなってうれしいです きぼうがわいてきました きいてもらえてうれしくてなみだがでてきました ふだんなにもわかってもらえないからです いいきもちです ひとりぼっちだからいつもきいてもらえてしあわせです いいきもちです

 そして、さらに、成果発表会で、自分の歌詞の入った歌ができたことについて、こう述べた。 

ねがっていました きもちをいえるようになることを
F.Kさんのかしがすてきでした わたしのかしはぶぶんてきだったのでざんねんですでもかんどうしました きいてみたい いま ちいさいこえでいいからきいてみたい

 この彼女の希望に応えて、このコースのメンバーを中心にして、この歌を合唱した。わかそよコンサートでもぜひ歌いたい曲だ。

 また、彼女は自分の作ったメロディと歌詞に次のような題名をつけた。

しろいきぼう。

 このあと、私はとびたつ会の支援者の松田さんとスイッチの援助を代わった。施設でのことがいろいろと綴られた。少しずつ、スイッチの援助者の輪が広がっていくことが本当に楽しみだ。そして、最後に、こう記して、施設へと帰っていった。

またよろしくおねがいします
きいてくれてかありがとうございます
さようなら
よかった



2009年3月3日 18時14分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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青年学級 成果発表会の日 その1
 成果発表会の合間に、何人かの言葉を聞き取った。

 最初は、朝、つどいの最中に聞いた女性のN.Fさんの文章だ。まず、お母さんの病気の心配のことから始まった。

なかなかかあさんのびょうきがなおらないのでしんぱいです
ねがいはずっとかあさんといっしょにくらせることです
きいてくれてありがとうございます
いいきもちです
いきていきたいで ひとりで
ききたいことがあります
どうしてわたしがはなせるとわかったのですか
かあさんがぐあいがわるくてかなしいです
いいびょういんをさがしてあげたい
(大変ですね。)
たいへん
(質問について、いい呼び方ではないし、間違った呼び方だと思うけれど、N.Fさんたちは、ある呼ばれ方をするでしょう。最初はこの方法は、同じコースのE.KさんやN.Fさんのように車いすの人で話ができない人のために考えたやり方だったのだけど、N.Fさんたちのような人たちも話すことができるのがわかったから、N.Fさんにも、声をかけたんです。)
しっていますじへいしょうのことですか
いいなまえではありません
(今日は成果発表会、がんばってね。)
がんばります
(N.Fさんも詩を作ったことありますか。)
(小さくこっくりとうなづいて)きいてください

いいちいさいわたしは
ちいさいはなとちいさいはなびらのようにいきてきた
きいている いいはなのうたを
きいている いいはなのさくおとを
たくさんのゆめとたくさんのひかりをかかえて
わたしはいきてきた
いのちをしんじながら きぼうをもとめながら
くなんのかべをのりこえながら
きいている あたらしいいのちのこえを
きいている きぼうのかねのおとを
いつかきっとわたしのねがいがかない
にんげんとしてちいさいねがいをもち
いきていくことをねがいながら

じぶんのしです
きいていただけてうれしいです
ねがいをかなえられたらうれしいです
きいてくれてありがとう

 なお、帰りのお迎えに見えたお父さんにこの詩を見せた。この詩の内容に深くうなづきながら、お父さんには、お母さんへの思いをかみしめておられるようだった。同時に、たそして、パソコンを開くと、お父さんの膝にそっと手を乗せて彼女は、こう書いた。

かけてうれしいおとうさん

 朝のつどいのさなか、H.Nさんともパソコンで言葉を交わした。H.Nさんは、かすれたような声で単語を発することがある寡黙なダウン症の方である。

いしをつたえたいにんげんだから
いいにんげんになりたいとおもいます
きいてもらいたいことがある
ひかりとかねがいとかぼくにもやってくるのですか
きびしいですはなせないのは
ひととしてみとめてもらえません
くやしいです にんげんらしくいきていきたいです
ひかりがほしいです
ひかりをもらいたいです
ふつうのにんげんとしていきていきたいです
ふつうのがっこうにいきたかったです
けさもばかにされました
きっさてんにもいきたいです
きいてくれてありがとう。

 10年前ころの数年間、彼は青年学級の帰りに私と喫茶店に行き、チョコパフェを食べて変えることを習慣にしていた。しかし、健康上の問題でカロリー制限が必要となり、いつかその習慣も途絶えていた。そんな思い出がよみがえる。私も、彼を「ばかに」したことはなかったろうか、本当の意味で彼を人間として認めてきただろうか。そんな問いが芽生えては、胸につきささる。
 Y.Hさんは、N.KさんとH.Nさんが語り終えるのをずっと待っていた。すでに時間はあまり残されていなかったが、次のような文章を彼は書いた。

ききたいことがあるじぶんはせいかつりょうにはいけないのですか
ねがいはちいさいときからちいき

 午前中から、彼が入所している施設の職員さんが、私のコースに参加してくださっていたので、お昼休みに彼のことについて話ができた。彼は、生活寮で暮らすための練習を始めることになっているそうだ。次に紹介する私のコースのメンバーであるT.Hさんのパソコンの様子をご覧になりながら、Y.Hさんの話にもなって、彼の内面の声を驚きとともに、受け入れてくださった。午後の発表の中で、彼の言葉は、たっぷりと紹介された。マイクをふられても、どうしても問われた言葉を繰り返さざるをえない彼だが、たくさん語った言葉がステージの上で紹介されていくのを喜びの表情で見ていた。施設の職員の方にも確実に彼の声は届いたはずだ。
 お昼休みの時間に、書いたT.Hさんの文章は、次のようなものだった。彼自身の言葉も入ったコースのオリジナルソングをめぐる感想から始まった。

ちいさなしあわせというかしがよかった 
いいちいさいじぶんというかしをしにいれたかった 
きぼうちいさくささやきながらというかしがすてきでした 
じぶんのしがすてきでした 
にんげんとしてというかしがきにいりました 
いいちいさいじぶんというのをいれたかったです

 そして、横でパソコンを見守っている先ほどの施設の方と、パソコンで次のようなやりとりをした。
 
こんにちわ
(「こんにちわ。」)
しをきいてくださいましたか
(「はい。」)
どうでしたか
(「すてきでした。」) 
うれしいです
ちいさなしあわせというのがいいでしょう
(「そうですね」)
じぶんもだいすきです
(「どんなお仕事をしているのですか。」)
ほうせいというしごとをしています 
(「何を作っているのですか。」)
かばんをつくっています 
(「針はつかいますか}
つかいません みしんのほうせいです 
ちいさいのぞみですがしごとをかえたいとおもっています 
きびしいかもしれませんがきぎょうではたらきたいとおもいます
(「いいところが見つかるといいですね。」)
そうですね しごとがちゃんとしたいです 
ちいさいしょくばならかのうかもしれません 
きいてくださってありがとうございます 
にんげんとしていきていきたいとおもいます 

 ここで再び、自分の気持ちの表現に戻る。

ゆめは×××さんにすきなものをかってあげることです 
ひんがいいものをえらびたいです 
ひんがいいちいさいものがかいたい 
じぶんのいいところをみとめてくれるからです 
にんげんとしていいところをよくみてくれるからです 
にんげんとしてにているところがあるからです
ちいさいちいさいねがいです
きいてくれてありがとうございました
(×××さんについては)ないしょです

 書かれた文章を音読できるということは、よくわかっていたが、会話となるとなかなかスムーズにはいかない彼が、こんなにもなめらかに初対面の方と会話をする姿に、彼にこれまで与えられてきた「自閉症」という呼び名がいったい何なのか、改めて、考えさせられずにはいなかった。
 また、繰り返される「にんげんとして」という言葉は、今回の歌の中に、別の方の言葉として盛り込まれたものだ。彼も、その言葉を気に入ったのだろう。それにしても、この言葉が繰り返されるたびに、胸にズキンと迫るものがあった。 
   
2009年3月3日 12時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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青年学級の成果発表会 表現の未来
 平成20年度町田市障がい者青年学級の公民館学級成果発表会が、3月1日、開かれた。今年は、昨年の7月にMさんの言葉をパソコンで表現することかできたことを端緒にて、多くの、言葉を有していないと考えられた重度の車いすの方々や、自閉と呼ばれる障害をかかえた方々、簡単な単語しか発することのできない重度の知的障害のある方と考えられた方々が、パソコンで気持ちを語り、詩を綴った。今回の成果発表会では、それらの成果がふんだんに生かされた。もちろん、この成果発表会は、当事者の言葉や表現をこれまでも大切にしてきたものだから、こうした表現にいちだんと厚みと深みが生まれたということだ。
 単なるコミュニケーションという問題を越えて、一人一人の秘められていた心の世界が仲間やスタッフに共有され、新しい表現としてより高められていく。成果発表会に訪れた人々もまた、それを感動をもって受け入れてくださった。
 5月24日、町田市民ホールで第14回若葉とそよ風のハーモニーコンサートを私たちは開く。今回は、この成果を最大限に生かし、新しい文化の誕生をより多くの人々に訴えたいと思う。
 
2009年3月3日 08時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年03月01日(日)
昨日の雪が運んだメッセージ
 関東平野にこの冬初めての本格的な雪が降った。積もるにはいたらなかったが、私はこの3月で引き払うことになっている渋谷キャンパスの16階の研究室の窓から、その雪の乱舞を見ていた。南に育ったので、雪の苦労を知らない私には、雪はただただ胸躍るものだが、今年は、これまでとはちがった別の思いで雪を見ていた。それは、一連の北風や雪の希望の詩を綴ってきた人たちが、どんな思いでこの雪をながめていることだろうという思いがあったからだ。私のうすっぺらな情緒よりも何倍も深い思いで、この雪を眺めている人たちがいるという思いの方が、雪そのものを味わう気持ちよりも数段まさっていた。
 そして、翌日、3名の小学生が、その雪にまつわる美しい言葉を書いてくれた。
 最初は、小学5年生の○○君。

きのうゆきがふってとてもうれしかったです
ねえさんとみたゆきをおもいだしました 
なんねんもまっていました きれいなゆきがふるのを 
きれいなゆきはきたのくにからのおくりものです 
きたのじんせいにつかれたひとたちのきぼうをのせてゆきはふります 
いきることにつかれたひとたちがきぼうをにんげんにあたえるためにふってきます 
きたのくにのひじょうにつかれたひとたちは
はるのくるのをひじょうにまちこがれていてきもちをすませているので 
とてもきれいなこころをしています 
いいこころをもったひとたちのじかんはゆめにあふれています 
じかんがちいさくねがいをつつみこみきぼうにかえてくれるのです 
きぼうはいつもにんげんにとってひつようなものです 
じぶんにとってもきぼうはひつようです 
にんげんだからじぶんのじんせいをちゃんといきていきたいとおもいます 
みたこともないようなすてきなきぼうがわいてきました 
きぼうがわいてきました 
いいじんせいがおくれそうなきがしてきました 
いいじんせいをつかみたいとおもいます 
きのうのゆきにかんしゃしています 
いいゆきでした 
きぼうのゆきでした 
きたのくにのきぼうをもらいました 
ひかりがさしてきました 
はるといっしょにひかりがさしてきました 
きぼうのねがいがかないぼくというそんざいにひかりがさしてきました 
いいちいさくひかるきぼうのそんざいとして
きのうのゆきのようにきれいなこころでいきていきたいとおもいます 
いいちいさいひかるそんざいとしていきていきたいとおもいます 
いいじんせいをおくりたいとおもいます 
いいにんげんになりたいです 
いいにんげんとしていいじんせいをいきていきたいとおもいます 

 なお、冒頭の「ねえさん」とは、

ぼくのあこがれのそんざいでちいさいころからぼくにきぼうをくれるそうぞうじょうのひとです 

 とのことだった。

 次は、同じく小学5年生の◇◇君。また詩を考えてきた?と尋ねると、

かんがえてきました きいてください

と答えて詩を綴った。

きたのくにからふくかぜはいいきぼうをつれてやってくる
しろいゆきをふらせ しろいしろいちいさなきにしろいしろいはなをさかせる
きびしいにんげんにとって きたかぜはきぼうのかぜだ
にんげんにとっていいべんきょうをさせてくれる
きたかぜはきびしさのいみをおしえてくれる
きたからふくかぜは きたのくにでくるしんでいるひとにきぼうをあたえてふいてくる
きたかぜにはきたのくにのひとたちのきぼうのきもちがこもっている
きたかぜをききながらしろいゆきをみつめながら
ぼくははるがくるのをまちこがれている。

 そして、さらに以下のコメントを加えた。

きたかぜはじぶんにとってかんどうてき
にんげんにとってはねがいをかなえてくれるかぜです
ちいさいころからそんなふうにかんがえてきました
いいきもちですしぜんにはまなぶことがたくさんあります
ちいさいときからしぜんがだいすきでした。

 3番目は、小学4年生の☆☆さん。

きいてほしいことがあります 

 と書いてから、美しい詩が綴られた。

きのうきれいなゆきがふりました 
いいねがいのかぜといっしょにやってきました 
きれいなゆきはしろいいいいぬをつれてやってきました
いいしろいゆきはわたしにゆうきをくれました
いいしろいゆきはにんげんにいいきぼうをくれます
いいしろいゆきは いいかぜといっしょにふいてきて きぼうをにんげんにくれました
いいしろいゆきは しらないせかいからのじぶんにむけられためっせーじです
ちいさいころからはなしができず 
ちいさいころからかんがえだけをたいせつにしてきたわたしには
いいちいさいめっせーじです
しろいゆきはじぶんにとって きびしいしれんにかつためのちからをあたえてくれます
かんがえだけをかんがえつづけたわたしにとって ちいさいりそうのめっせーじです
しろいゆきはきたのくにからやってきて
きたのくにのひとびとのくるしみをつたえてくれます
しろいゆきはだからきぼうのきたかぜといっしょにふくのです
ちいさいいいめっせーじはしろいゆきがとどけてくれたたからもの
じぶんにゆうきとちからをくれてじぶんにきぼうをあたえてくれました。

ゆきがふってちいさいころからのことをおもいだしました きいてください

みたこともないきれいなゆきのたんじょうに
わたしはゆめみていた きれいなこころになることを
しらないせかいのちいさなきぼうをちいさなわたしはゆめみながら
きぼうをねがいながらじぶんもいいにんげんになりたいとねがってきました
いいにんげんになるためにひつようなものはいきるきぼうです
ちいさいわたしはにんげんとしていきていくことをねがいながら
きぼうをさがしつづけていきてきた
きぼうはきぼうのくにからやってくる
しろいゆきといっしょにやってくる
しろいいぬといっしょにやってくる
きたのくにからきたのひとびとのくるしさをしずめながらやってくる
きぼうのかぜといっしょにやってくる
きたかぜはだからきぼうのかぜ
じぶんにいきるきぼうをつれてくる。

 そして、ここで、○○君と◇◇君の書いたものを紹介し、さらに、同じような気持ちを書いている人たちの詩がたくさんあることを伝えた。

きたかぜのことをおなじようにかんがえているひとがいるとはおもいませんでした
きたかぜのいみがわかるのはほんとうのくるしさをしっているひとです
きぼうのかぜだとおもうのはほんとうのかなしみをしっているひとです
じぶんにとってたいせつないいかぜでした
いいかぜをかんじながらいきていきたいとおもいます

 自然は、本当に心から目をこらしたり、耳をすましたりすれば、同じ思いを抱いている人たちには、共通のメッセージを送ってくるものなのだろう。雪は、大切な希望のメッセージを送っているらしい。私が、胸をわずかでもときめかせるのは、私にも、雪はいくばくかの希望を与えてくれたからだろう。
2009年3月1日 00時05分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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