ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

»くわしく見る
2009年06月07日(日)
じっとかぜにふかれていると むかしのことをおもいだす
 ダウン症と呼ばれる障害は、障害をめぐる議論には頻繁に登場するよく知られた障害だ。私も、沢山の方々に出会い、特に青年学級では、長期にわたって、そのように呼ばれる方々とつきあってきた。(もちろん、一人一人は、名前とその名前が指し示す個性溢れる一人の人格であり、こうした障害名で人とつきあったりすることははい。)そして、その中には、非常に寡黙な人がいることもよく知られているが、そんな人たちが、言葉を秘めていたという事実は、ほとんど省みられてこなかったのではないだろうか。
先日、発語もなく、座位をとることも困難なダウン症呼ばれる高校生○○さんのお宅を訪問した。私にとっては、青年学級で文字を綴った2人の寡黙なダウン症の方の存在が、大きな支えだった。
 お茶とケーキをごちそうになって、さっそく、パソコンを開いた、目の前の彼が本当にできるのかどうか、目の前の状況だけではまったく判断できない。しかし、私はそんな自分のあいまいな判断などとうに捨て去った人間だ。やるしかなかった。
 名前を書いてと頼むと、確実な手応えが返ってきた。そこで、自由に書いてもらった。

いいすいっちですね いいきもちです きもちいいかけるとはおもわなかった 
(家族にメッセージはありますか?)
いつもありがとう いいかぞくでよかった 
じぶんのきもちがいいたかったけどいえずにこまっていました きもちがいえてうれしい しんじられないじをしっていることがなぜわかったの びっくりしました
きいてほしいことがあります にんげんだからきもちがあります きいてくれてありがとう ちいさいときからはなしたかった いいおかあさんとおとうさんがいてよかった 
ふしぎです なぜちからをいれていないのにわかるのですか 
(○○さんは何をしていますか?)
ここだとおもっています 
(字をどうやって覚えましたか?)
おかあさんがえほんでおしえてくれた いいうたがありました さっきょくしゃはかあさんです おかあさんがよくうたってくれました 
りかいしてくれてありがとう 

 こうして、どんどん文章を綴っている間も、彼の手は落ち着かない。まるで、いやがっているようにさえ見える。しかし、決定的に振り払われるわけでもない。そこで理由を尋ねてみると、

もたれるといたいかんじがする 

という答えだった。

ちいさいころはないてばかりいたけどないてきもちをあらわしてもつたわらないことがわかったのでなかないことにしました 

 これは、お茶をいただいている時に、お母さんと3歳下の弟さんが、話してくれたことを受けたもののだった。

いいにくいことだけどかあさんしずかにみまもっていてください ぼくはきっといいおとなになってみせます にんげんとしていっしょうけんめいいきていきたいのでりかいしてください 
さぎょうしょはいいところがみつからない ちいきでいきていきたいけどどうすればいいかこまっています ふくしえんでもいいけどじぶんのきもちをりかいしてくれるかしんぱいです いいりかいしゃがひつようです 
びっくりしました これまでだれもぼくがいろいんなことをりかいしているとはおもわなかったから

 見守ってほしいとは、卒業後の生活のことだった。ここで、体の動きについていくつかお母さんンが質問された。

(あごをたたくのは起こっている時?)
おこっているわけではありません からだがかってにうごくだけです ちいさいときからからだをうまくつかえなくてこまっていました 
(手を口に入れているのは何か意味があるの?)
いみはありません 
(帽子をいやがるけれど…)
ぼうしはきらいです いやです
(何でも口に持って行くのはなぜ?)
かってにうごいてしまいます かってにくちにいってしまいます 
(口に持って行くタオルは?)
たおるもいらないです ゆびもかってにいきます

 私たちが長い間解けなかった疑問がこうして、当時者の証言によって、今、少しずつ明らかになっていく。」

かあさんにはもっとずっとこのままげんきでいてほしいです いいかあさんだからじぶんのじかんをもっとだいじにしてください さかんにかあさんをりようしてきたからもうしわけないです 
とうさんだいすきです なかなかやすめないのでからだにきをつけてください 
ほんがすきです よんでくださいおねがいします ものがたりです 
(テレビは見えるの?)
みえません 
(めがねをかけてみる?)
かけてみたい がんばります 
(二択の問いは困っていませんか?)
にたくはこまります かってにからだがうごきふざけているといわれてしまいます 
(音楽は?)
きくのはだいすきです きいているときもちがおちつきます きいているとかんどうします 
(歌詞もしっかり聴いているよね?)
きいています 

 そして、詩を作ったことはあるかと尋ねたところ、次の詩が綴られた。

じっとかぜにふかれていると むかしのことをおもいだす
じっとかぜにふかれていると きれいなこころがわいてくる
ちいさいぼくはかぜにふかれてくなんをちいさなしあわせにかえる
いいちいさいぼくはかぜにふかれてじぶんがみとめられるひがくることをゆめみている
きれいなかぜがふいてきてぼくのねがいがかなった
みらいがあかるくひろがって
さかんにじぶんがちいさなこころできれいなゆめをいのりながら
きれいないのちのじぶんをねがう

いいしでしょうか
みとめられてうれしいです

 手を振りながらの会話も合間に含めて、たくさんの言葉をやりとりできた。
 3時間という時間があっという間に過ぎていった。よい方とよい家族に出会えた、そんな思いで家路についた。
 

2009年6月7日 18時14分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/240/
夢は始まったばかり!
 授業のゲストに、私の授業の常連の利光徹さんにくわえて、高校3年生の☆☆さんに来ていただいた。いつもは、利光さんがお一人で話されるのだが、今回は、まず、☆☆さんにパソコンで話をしてもらった。今年の1月に初めて気持ちを表現できるようになった☆☆さんだが、自分より1歳上の学生たちに堂々と語りかけた。

きいてほしいことがあります
ひいでたにんげんではありませんがわたしのきもちをきいてください
びっくりしたかもしれませんがびんかんにかんじとってくれるのでわたしのきもちをつたえることができます
じぶんのきもちをきいてもらえるようになってはんとしがすぎました
にんげんとしてみとめられてうれしいです
びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか
みんなのめにはどううつりますか
なやみはちいさいときからずっといいたいことがいえなかったことです
ちいさいころからきもちをいいたかったけどなかなかかないませんでした
ゆめはきちんとしたにんげんとしていきていくことです
にんげんとしてきちんとしたいきかたをしたいとおもいます
きいてほしいことがあります
きちんとしたせいかつをするためにはちいさいときからがっこうでべんきょうをしなくてはいけませんがなにもがっこうではおしえてもらえないのでしんぱいです
なぜがっこうのせんせいはおしえてくれないのでしょうか
じぶんではなにもすることができないのでべんきょうをしたくてもできません
じぶんのきもちをきいてくれるせんせいがほしいです
むずかしいかもしれませんがじぶんのきもちをわかってほしいです。

 話し終えて、学生から、字はどうやって覚えたのかという質問が出された。

じぶんでおぼえました

 また、彼女からの「びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか」との問いかけに対して、ある男子学生は、かわいいと思います、と応えた。
 こうしたやりとりの後、大先輩である利光徹さんが、自立生活をする重度の身体障害者の立場からコメントをくわえる。このままの自分をしっかりと受け止めていくことの大切さや、このままの自分で何が悪いのかという気持ちを持つことの重要性を語り、さらに、夢は幻想とはちがい、かなえるためのものであるということ、そして、夢は今、まさに始まったばかりだということを☆☆さんに語りかけた。
 利光さんの話の最中に何度も、にっこりと笑っていた☆☆さんの姿に、この出会いが深い意味を持ったことを確信した。
 授業の後、研究室で、利光さんと☆☆さんを囲んで数名の学生と語り合った。
 学生たちは、まず、☆☆さんの手をとって言葉を聞き取ろうとした。好きな色、好きな天気など、学生たちは、質問を工夫して、答えを読み取ろうとし、いくつかの文字を聞き取ることに成功した。
 そして、お母さんは、ご自分ではなかなか気持ちを聞き取ることができないので、いくつかの質問を用意されていた。
 その中に、「どんな勉強をやりたいか」ということがあった。そして、その答えは、 

びっくりすぎるぐらいむずかしいことがやりたいです
たとえばみんながやっているようなべんきょうです 
(みんなとは?)
だいがくせいです
(どんな計算ができますか?)
325÷5=65
いつもかんがえているからわかります
(もっと知りたいのは?)
しょうすうのわりざんです
にんげんとしてげんきにいきられることがまなびたい
だけどむりしないでください
ぬいぐるみのことをかんがえたらもうじゅうぶんにしあわせですから
ちいさいゆうきがほしい

 そして、お母さんから「今、ほしいものは?」という質問があり、次のような答えが返ってきた。

ちいさくてもいいからでんどうくるまいすがほしい
じぶんでできないかもしれないのでじぶんでじぶんにむかしのゆめをわすれないようにするためにほしい

 今度電動車いすに挑戦してみるという話をお母さんがしておられたが、そのことをめぐる気持ちだ。かなわなかもしれない夢だけど、その夢を忘れないために、小さな小さな電動車いすのミニチュアがほしいということのようだった。
 そして、数日前に、ディズニーランドで、人形がほしいということを言ったとのことで、そのことをお母さんが尋ねると、

のぞみはねがったとおりにならなくてもずっとびじんになることでした
にんぎょうはそのかたちです
にんぎょうといったのはとくになにかをのぞんだわけではなくにんぎょうのことをかんがえただけ

 授業の時、「びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか」という言葉が、突然深い意味を持った言葉として思い出された。夢がすべてかなうわけではないことをしっかり見すえながら、その夢を持ったことを大切にしていきたいという切ないばかりの思いが、その言葉の裏にはあったのだ。
 最後に、一つ、詩を書いてくれた。


にんげんとしてうまれていきてきて
ねがいをたくさんもちつずけ
ゆめをたくさんゆめとしてもちつずけ
じぶんのひかりをふだんからむずかしくてひからせられず
ふつうのがっこうにいくこともできずにいきてきた
でもちいさいわたしにりかいされるひがおとずれた
ちいさいひかりだけどちいさいひかりがさしてきた
らんぷのようなひかりをねがいとして
りかいされたよろこびをゆめとして
このせかいにうまれたことをよろこびとしていきていこう。

 さらにこのあと、みんなで夕食に出かけたが、その席で、利光さんは、改めて、「夢は始まったばかりだ」と、彼女に、再び語りかけた。大学での新しい試みが、☆☆さんたちの夢の実現に少しでも役立てば幸いだ。

 
2009年6月7日 00時23分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 大学 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/239/