ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年07月28日(火)
臓器移植問題、そして詩と歌
 高等部2年になったG君は、文章を綴り始めるなり、臓器移植の問題から切り出してきた。

聞いてほしい相談があります。病気の人間の臓器を移植するのはいろいろな考えがあるけど、唯一心配なのは、脳死の子どもでも最後まで意識はあるのではないかということです。みんな悲しいと思う、理解されなくて。自分は脳死ではないけど、人からは理解されていないと言われているから、気持ちがわかります。みんなと考えを話し合いたいです。みんなはどう考えているのでしょうか。知りたいです。
(ここで別のグループで交わされた脳死についての議論を紹介した。)
 障害のある人が意志があるのは当たり前のことです。人間だから意志があると思います。
 ランニングコスト、あんまり知らない言葉だけどどういう意味ですか。敏感な人にはつらい言葉ですから使わないでくださいと言いたいです。勇気を出して言いたいです。勇気を出して言いたいです。勇気を出して理想を伝えたいです。

 このあと、彼は、前回聞き取っていながら、メロディーのメモを紛失してしまった歌について、そのメロディーをもう一度教えてくれた。
 G君の臓器移植の話を受けて今年社会人一年目のHさんは、次のように書いた。
 
 小さいときから何もわかっていないと言われてきたのでやめてほしいと思います。見たわけではないのでわかりませんが、迷惑だと感じているひともいると思います。なぜばらばらにされなければならないのでしょうか。私たちは利用だけさるのはいやです。利用されるだけされてわかってもらえないなんてあまりにも悲しすぎます。なぜ世の
中の人たちは理解しようとしないのでしょうか。無理というふうに考えずに可能性に賭けてみるべきだと思います。人間だから言いたいことがあります。人間だからわかってもらいたいです。人間だから信じてもらいたいと思います。


 そして、また、彼女も、詩と歌を私たちに聴かせてくれた。彼女は、メロディーは階名で書いた。

すばらしい絵巻が広がった
私の煉獄のような世界に
夢のような光がさしてきた
平和の鳩が羽ばたくように
らっぱの音が鳴り響き
私は楡の花を越え
妖精のように空を舞う

ミレドレファファミミレレドレ
ラドシラソシラソミレドレド
ラシドレドレドミレドミレ
ラシドレドレドミファミレド
ラシドレドレドミファドミレ
ミミドレドファミレミレドレド

願いが叶ってうれしいです。夢を見ているような気持ちです。理解してもらえてうれしいです。私の歌を聴いてく
れてありがとうございます。絵はらっぱと花がいいです。よろしくお願いします。


 G君の歌を今回、CDにしてきたのだが、その絵は雪だるまと虹だった。それを見ていたHさんからのリクエストである。
 次に訪れたNさんは、わかそよのコンサートの後、一員としてくわわったとびたつ会の話を始めた。簡単な言葉は口から発することはできるものの、内面の思いは、これまでもパソコンを通してしか語られてこなかった。とびたつ会の雄弁な仲間たちに刺激されて、こうしたパソコンで綴られた気持ちを音声で語れるようになればと思うけれど、それは、そんなに簡単なことではないかもしれない。彼女は、思いをひとしきり綴り、そして、詩を一編綴ったあと、最後に臓器移植についてのコメントを述べた。

 とびたつ会にはいって楽しいです。私の気持ちを言いたいのですが、なかなか話ができません。みんなは意見を自由に言えるのでうらやましいです。理想は自分で話せることができたらいいのですが、なかなかうまく言えません。口では気持ちはうまくいきません。みんなの勇気が未来を切り開いていくようで、うれしいです。人間として生きたいと思います。夢のようです。瑠璃色の理想の光がさしてきました。理想の瑠璃色の光を、人間として理想を輝かせて生きていきたい。
 不思議です、力を入れていないのでどうしてわかるのですか。奇跡のようです。未来が開けてきました。話しながらでもうつことができます。話は勝手に動きますから。大丈夫です。口は勝手に動きます。勇気がほしいです。人間だから分相応の生き方はいやです。います。分相応の生き方をしろというのは学校の先生です。進路指導ではありません。人徳のない先生です。狭間で私たちは苦しんでいます。願いは、人間としてたくましく生きていくことです。勇気がほしいです。

昨日の私にさようなら
逃れられない定めの別れ
春の風は別れを告げて
小さな私に夢をくれる
自分の夢まで飛び立って
未来もこの手に握りしめ
やすらぎの時をつかむとしよう

 詩を作っていると気持ちが落ち着きます。暇な時です。人間だから願いがあります。人間だからまっすぐ気持ちを持ちたいです。人間だから言いたいことが言いたいです。気持ちが言いたいです。

 (G君やHさんの)言いたいことはよくわかります。人は脳死でも意識はあるかもしれません。障害者の気持ちがわかってもらえないように、脳死の人でも理解されていないかもしれません。気持ちを分かってもらえないのはつらいことです。脳死というのは何ですか。

 脳死の議論は、あくまで、脳死とされた状態にある人をどう考えるかという議論であり、そこに、共感を寄せる根拠がある。移植を待つ人のことだって、彼らはまた、私たち以上に共感を寄せられる立場にある。
 最近のマスコミの報道に登場する脳死あるいはそれに近い状態とされる子どもたちの姿は、いやおうなく、理解されれない自分たちの状況に重なっくるのだろう。
2009年7月28日 09時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年07月23日(木)
希望の車いす
 幼いときの交通事故の後遺症でずっと寝たきりの生活を送っているEさんのもとを訪れた。前回お会いしたのが12月だったので、7ヶ月ぶりとなる。その間に、パソコンだけでなく、手を振って音を選んでいく方法も発見したので、今回はそちらで話しかけてみることにした。
 姿勢について尋ねるところから始まったが、すぐに新しい方法で会話が始まった。途中、歌の話や、結婚の夢のこと、臓器移植の話といろいろな話題に発展していった。

 すわらないほうがいいです。
 人間だから気持ちがあるので、聞いてほしいです。手で話せるとは思いませんでした。辛抱してきましたが、やっと願いが叶いました。夢みたいです。夢を見ているような気持ちです。私の気持ちを聞いてもらえるとは、思いませんでした。

(○○○(通所施設)に行って楽しいですか?)
 はい
(散歩に行って、うれしいですか?)
 はい
(なぜですか?)
 季節を感じられるからです。
(―ぴくっと発作になり―意識はありますか?)
 聞こえています。力が入っただけです。気持はあまりよくありません。
(発作のあと、笑っているのはなぜですか)
 体が楽になるので笑っています。発作は嫌ですが、いつも体がこわばっているので、発作のあとは、楽になります。
 人間だから意志があります。お母さんはいつも私のことを人間として扱ってくれますから、大好きです。

 ○○○から帰ってうとうとして、食べさせてないことがあるよね)
 お母さんも大変だからしかたありません。(食べたいものがありますか)
 スープを飲みたい。お母さんが昔よく作ってくれたスープ。ヨーグルトのような雪のような。
(クリームシチュー?)
 いいえ
(ヨーグルトにジャム入れて、とろみアップ入れて作っていたね。平成13年頃まで)
 お母さんが作ってくれていたのがとても好きでした。素敵な味がしました。願いが叶ってうれしいです。気持ちを聞いてもらってうれしい。
(家族のことをどう思っているの)
 感謝しています。お母さんは私のことで私にかかりきりなので、申し訳ないと思っています。願いは、気持ちをいつも言えるようになることです。夢みたいです。(行きたいところがありますか?)
 ないです。私を遠くにつれていくことは難しいので、夢をみるだけでいいです。
(福島に行くじゃない。それはどうなの)
 福島は近いからいいですが、他の所は行かなくていいです。留守番をしてもいいので、お母さんは行きたいとこがあったら、行ってください。気持ちを聞いてもらえてうれしいです。
(留守番は誰とするの)
 ヘルパーさんです。
(今日食べたいものは何ですか。プリン・アイス・ヨーグルト)
 ぷ・り・ん
(見たいテレビはありますか。はい・いいえ)
 はい。きれいな音楽のかかる番組。クラシック。気持ちが落ち着くから好きです。
(歌を作ってますか)
 はい。
(どんな歌ですか)

 希望の車いす
希望の車いすが ゆっくりと 私の願いを運んでいく
夢の実をつけた 夢の不思議な木を探しに
夢の世界を駆け巡り 
夢の世界の 夢の車いす 私の願いをかなえてほしい

 信じられません。私の歌を聞きとってくれる人がいるとは思いませんでした。奇跡のようです。夢みたいです。

(他の人の歌を紹介すると、お母さんンがどこか共通しているとおっしゃったので、冬には希望の北風という言葉がいろいろな人から語られるということを紹介した。)
 希望の北風。希望の北風はみんなに嫌われますが、北風は、希望の北風です。北に住む人たちの、苦労を感じ取って、吹いてくるので、希望の北風です。北風の意味がわかるのは、本当の苦しみをわかっている人だけです。雪のような心を夢見ているので、北風がすきです。
 夢を見ているような気分です。人間として生きているような気持ちがします。夢みたいです。よい方法ですね。願いがかなってうれしいです。希望が湧いてきました。勇気が出てきました。無理かと思ってきましたが、夢みたいです。気持ちを伝えたかったです。私の気持ちを分かってもらえて、夢をみているようです。

(洋服は何色を着たいですか?どんな服を着たい?)
 雪のような白い服をきたいです。雪が大好きですから。雪のような白い心。黄色も好きです。ピンクも好きです。雪のような白い服。
(この前、いわさきちひろ美術館で、白いTシャツを買ってきたね。)
 ヘルパーさんがわかってくれました。
(看護師さんでしょ)
 看護師さんでした。夢みたいです。黒いのは、あまり好きではありません。特にみんなと違うわけではありませんが、好きなのは白です。黄色も好きです。黄色は希望の色です。病める人にとって、黄色は希望の色です。
(黄色は、太陽・光?)
 光です。ひまわりも大好きです。願いをかなえてくれるような花です。ひまわりを眺めていると、心が美しくなります。夢みたいです。夢を見ているような気分です。
(クーラーは好きですか?扇風機は?)
 クーラーは、理想的な温度になればいいのですが、ちょうどいい温度にならないので困っています。悔しいのですが、なかなか言えないので困っています。扇風機は風が強すぎると困ります。お母さんがいつも工夫してくれるので、うれしいです。疲れないか心配です。疲れないようにしてください。
 蚊が止まっても、たたけないのでつらいです。蚊が止まると、くすぐったいです。

(靴下は、5本指のがいい?)
 どっちでもいいです。健康にいいのは、5本指。私にとっては、どちらでもいいです。靴下は履かせやすいのが、いいです。苦しいのは、家の人がのんびりできないことです。私のせいで、みんな苦労してしまって、悔しいです。苦労をかけてしまうので、勇気をもらいたいです。勇気が私には必要です。勇気がなければ、悲しみで私は死んでしまいそうです。勇気がほしいです。私は勇気があるので、生きていくことができます。
 見たこともない景色が広がってきました。私の未来が広がってきました。

(福島に居ると、風呂が週に2回くらいだけど、どう?)
 かまいません。私は風呂に入らなくても大丈夫です。お母さんが毎日入れてくれるので、うれしいです。お母さんを、もっと大切にしたいと思います。
(暑いけど、湯船に入ったほうがいいの?)
 湯船に入ったほうが気持ちいいです。体の力が抜けて、気持ちが落ち着きます。苦労ばかりかけて、すみません。涙が出てきます。夢みたいです。勇気が湧いてきました。よい私になれそうです。
 聞いてほしいことがあります。夢でいい人と結婚することができました。夢はいい人と結婚することです。かっこいい人と巡り合いたいです。なかなか巡り合えません。けやきの職員の中にはいません。職員はいい人ばかりで、好きですが、ここでいういい人とは違います。結婚できるかどうかわかりませんが、夢は大切にしたいです。夢みたいです。けやきはとても楽しいです。毎日行けてうれしいです。聞いてもらえてうれしいです。聞いてもらえて、気持ちが落ち着きました。夢を大切にしたい。
 どうしてわかるのですか。

(えりなさんはどうやっているのですか?)
 聞いていて、ここだと思っています。
 臓器移植は反対です。私も脳死と言われそうですから。
(昔、医師に遷延性意識障害と言われました。植物人間ということでしょう。)
 心臓移植を待っている人のことを考えると辛いです。みんな、言葉があると思いますが、困っていると思います。私は言葉が言えて、幸せです。気持ちを言えずに困っている人がいると思います。理想的なやり方ですが、なかなか伝わらないので残念です。伝えたい人が、たくさんいるから、がんばってください。
(痰をとるとき、痛いの?)
 痛い時もありますが、痛くない時もあります。どちらかと言えば、痛くありません。お母さんが丁寧にやってくれるので、たいていは痛くありません。勇気が出てきました。
(お風呂のあと、うつぶせにしているのは、辛くない?)
 うつぶせにするのは、辛いです。辛いけど、必要ならしかたないです。とても辛いというわけではありませんので、大丈夫です。勇気が出てきました。痰は痛いけど、しかたありません。苦しいことはたくさんあるけど、私は幸せです。お母さんに大切にしてもらって。
 死んでしまうところだった。生きることができて、よかった。死ななくてよかった。(事故の)記憶はありません。話には聞いているので、わかっています。自動車事故ですから、よく助かったと思います。私のことを助けてくれた先生には、感謝しています。私はわからないけど、脳死と言われてもしかたないです。

(お母さんの話:アルファ波が出てきて、脳死とは言われなかった。ベテランの医師は可能性が1割。大腿部の骨折の手術は、無駄みたいな言い方だった。信じていたから、意識が戻った時に骨折が治っている方がいいから、頼んでやってもらった。)
 私の事を世の中に伝えたいです。苦しんでいる人が、たくさんいますから。悔しいです。私たちの事が、誤解されている。
 私の夢は、みんなと話したいです。よくわかっているということを、わかってほしい。理解してもらえて、うれしいです。私たちの事をわかってほしいです。夢みたいです。不思議ですが、私の言葉です。理解してくれてうれしい。みんなに伝えてあげたい。理解してくれる人を、待ち続けていました。うれしいです。人間だから、言葉で考えています。人間だから、みんな考えています。私たちにも意志があります。理解してもらえてうれしいです。夢をみているような気持ちです。不思議ですが、私の言葉です。
 未来がひらけてきました。理解してもらえてうれしい。未来が広がってきました。

(プリン、食べる・食べない?―この辺からお母さんンに手の動きを読むのを代わってもらい、私は目の動きを利用して読み取って、お母さんの読み取りを補った。)
 食べる。
(嫌いなのはどっち?冬・夏?)
 夏。季節の移ろいが、とても好きなので、よい季節ばかりです。体と心は別々です。
(チャードクレイダーマンを、聴く・聴かない?)
 聴く。
(先生にまたすぐ来てほしい?)
 すぐに来てほしいけど、悪いから言いにくい。
(ブログにのせてもいい?)
 はい。
 お母さん、よろしくお願いします。

(生キャラメルを食べた?)
 いいえ。生キャラメルではありませんでしたが、おいしかったです。大事にしてもらえて、うれしいです。よい私になりたいです。なかなか気持ちが言えず、悲しいです。目で話せるとは思いませんでした。
(ポテトペーストを食べたい?)
 かるいめ。 
(お母さんが聞き取れたね!)
 お母さん、できてうれしいです。願いでした。夢みたいです。すばらしい方法でした。焦らないでください。ゆっくりいきましょう。
 あっという間に2時間が過ぎていた。お母さんの読み取りも何とかうまくいき、今後の展開がとても楽しみだ。そして、どうやら、目の動きの中に選択の意志が読み取れるということがありそうだということも、新しい発見の一つとなった。



2009年7月23日 12時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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2009年07月21日(火)
「願いのもらえる花」と「なやみのない国」
 土曜日の午後、盲学校の重複学級を卒業した◇◇さんと、高等部の重複学級に在籍している☆☆さんとある会館の一室でお会いした。卒業した◇◇さんと1年以上お会いしていなかったのだが、久しぶりの再会の場を、先生や別の保護者の方が設定してくださった。そこへ、☆☆さんも合流したわけだ。
 ◇◇さんは、まず、ヘルパーの方といらっしゃった。部屋には、別の保護者や先生方も数名いらしていたが、みんなが固唾をのんで見守る前で、次のような文章を綴った。( )は、合間に、いろいろな人が◇◇さんに質問したりしたものだ。なお、二人とも原文はひらがなで、句読点は適宜つけた。

 かあさんと楽しく暮らしています。いい家族です。にこたまの高島屋に行くことになっていますが、にこたまは遠いのでにこたまでなくてもいいです。にこたまを選んだのはかあさんです。美術館ならどこでもあるからちがうところでいいです。
(トイレは今いいですか?)
 トイレはいいです。かあさんが来たら行きます。自分で行けたらいいのですが、残念です。
(してほしいことはありますか?)
 サフランの魔法という本を読みたいです。昨日テレビで聞きました。(これだけ文章が書けてもやはり話すのはむずかしいのですか?)
 からだが動かなくてやっと歩けるだけなので、話はできません。
(初めスイッチ操作は手でやっていたが、手の力のコントロールに困っていたので、肩でプッシュスイッチを操作する方法にかえた。)
 手だけかと思っていたので驚きました。信じられません。不思議です、なぜわかるのですか。(◇◇さんは、どんなふうにしているのですか?)
 字を決めていてここだと思っています。
(どんな歌が好きですか?)
 好きな歌はみんなを楽しませてくれる歌です。願いをかなえてくれる歌が好きです。(歌を作っていますか?)
 作っています。(今、書けますか?) 
 はい。

  願いのもらえる花

願いの花がひらくとき 私は小さな目覚めする
小さな花の実がなると 私の願いが今開く
自由の風は緑の風 吹かれて一人風になる


(この後、手をとって、ドレミファソラシドと聞きながら音を聞き取っていった。)





 誕生日はいつもこの歌を歌っています。無理かと思っていました。自分の歌を聞いてもらえるとは思いませんでした。感動しました。うれしいです。悩む時にいつも誰か言葉聞きとってくれないかと思っていました。望みがかなってうれしいです。


 初めて、この光景を見た方からは、◇◇さんに、繰り返し驚嘆と賞賛が何度もあびせられた。お母さんは、文章と歌を表現し終えてから到着したが、美術館の意味など、いろいろ説明してくださった。期せずして、それはこれらの文章が彼女自身のものに相違ないことの証ともなった。

◇◇さんが、綴っていくのをずっと傍らで聞いていた☆☆さんは、お母さんの見守る前で、次のような文章を書いた。そして、彼女もまた、歌を作っており、その歌を披露してくれた。

 願いがいっぱいあります。なりたいのは美人の女の人です。なりたいのはまことのライオンです。小さいときから夢でした。勇気が出てきました。ライオンは強いから好きです。近代的なやまを作りたいです。小さなときから夢でした。身のほどに合った生き方ではなく、勇気を出して分を越えた根性で生きて生きていきたいです。美人のなり方を教えてください。自分のことは自分でやれたらいいけど、なかなかむずかしいので、迷惑をあまりかけずにがんばりたいです。理解してもらえてうれしいです。不思議ですが、考えただけで字が書けていきます。
(文章を綴りながら歌を歌っているので、どうして両方できるのかと尋ねられて)
 はっきりと言えませんが歌は勝手に歌が出てきます。
 人間だから考えています。見たこともない未来が広がってきました。感激です。みんなと話したいです。願いはみんなと信じ合って生きていくことです。歌は作っています。はい。

 なやみのない国

なやみのない世界と 小さな私
まっすぐ光を求めて 今日まで生きてきた
人間だから私は歌う 人間だから私は願う
光をめざし 美人の私 勇気を出して生きていく




 ライオンとは突然のような気がしたが、彼女が好きな歌の中に「ライオンハート」があるそうだ。力強さを持つ彼女ならではの「根性」という言葉も登場した。
 ◇◇さんと○○さんとの言葉と歌の世界に、みんな魅了されたひとときだった。
2009年7月21日 08時08分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年07月18日(土)
願いの舟
 20代の女性☆☆さんは、今年の1月から言葉を表現し始めた。そして、5月、次のような文章と詩と、歌を聞かせてくれた。

 気持ちを言えたらうれしいです。小さいときからの夢でした。残念なことがありました。小さいときから気持ちが言えたらきっと話ができていたかもしれませんが、なかなか舞台装置がそろうことがなくて、なかなかみんなと話せませんでした。自分の言いたいことが言えたら人生はもっと稔りあるものになっていたことでしょう。人間として生まれて生きてきて誇りある生き方できたらと思うけど、なかなかむずかしいです。小さいころから願っていたことがかなってうれしいけど、小さいころから話せていたならと思わずにはいられない。別に誰が悪いわけでもないけど小さいときから話したかった。自分の気持ちを言いたかったです。作ったことがあります。詩歌は大好きですから。聞いてください。

聞かせてくださいあなたの気持ち
小さくしかたないそんな小さないい声で 自分の愛を伝えたいから
急に知らない願いは 不思議な声で 
見たこともない美から生まれた犠牲のような気持ちで
人間としての言いたいことと 小さい昔の歌声と 聞いたことのない希望のいいおじいさんの声とじっとくらしてきたことが
見たこともない未来の希望とともに訪れた
びいどろのような風がふき 願いの冒険を苦難からそっと解き放ち
聞いたこともないようなきれいな風の音を小さく聞きながら
いい自分になるために 澄みわたるきのうの空のように 小さく感じながら
いい時を信じながら 犠牲などけして出すことなく生きていこう
なやみのつきはてない未来かもしれないが歩んでいこう。

(歌なら)作っています

小さい舟が 小さく願う
涙は雪に 消えてゆく
きのうのだれかの病気のような
じみなじまんの舟がゆく。


 歌には、「願いの舟」という題名がつけられた。楽譜は以下の通りだ。

 
2009年7月18日 10時12分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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希望の私
 高校1年の少年が、詩を書いた。これは、私が手をとって「あかさたな」と聞きながら書き取ったものだ。以前、まとまった詩を書いたことがある少年だが(2009年2月7日のブログ)、今回は、言葉を連想ゲームのように広げながら、即興的に書いたものだ。


 希望の私

夢見ているのは希望の私
夢見ているのは希望の望み
夢見ているのは希望の未来
夢見ているのは私の勇気
私の希望は勇気を求め
私の希望はランプの光
楽しい夢は昨日の希望
楽しい夢は私のいのち
私のいのちは勇気を呼んで
私の希望は昨日の勇気
私の希望はよく忘れ
私の希望は私の苦難
私の希望は私の過去の夢
私の希望は私の未来の夢
よく生きてよく苦難を乗り越えて
私は今日まで生きてきた
私の今日までの苦しみは
私の私らしさのあかし
勇気を出して明日の私に夢を託そう
遠い道かもしれないが
勇気を持って歩きだそう
勇気を持って夢を育てよう
私の私らしさを訓練して
私のあしたを作りだそう
夢をたくさん失わないように
私はあしたに向かって夢を紡ぐ
私の未来の夢のために
私は希望を夢見ながら
夢の未来を予感する
私の夢の希望のために
小さい私を未来に託す
私を希望の未来にワンダーさせる

 スイッチではどうしても取っ手をつかもうとして体に力が入ってくる。幸い、手をふる方法では、力はどんどん抜けていき、まるで、眠ってしまうかのようにして、あるいは、夢を見ているかのようにして、この詩は書かれていった。
2009年7月18日 10時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉1 |
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2009年07月13日(月)
ある研修会にて
 この4月から学校を卒業して地域の通所施設に通うようになったSさんだが、通所施設の職員の方々は、彼女の言葉の世界の存在をおかあさんから聞いて、何とかそのことを日常の関わりに生かそうとお考えになり、私に研修会で話して欲しいと依頼をなさってきた。
 大学の授業でもしっかりと話をしたSさんだから、ここは、彼女に直接話をしてもらおうと考えた。そして、さらに、とびたつ会のTさんにも、話をしていただくことにした。
 SさんとTさんは、2年前のわかばとそよ風のハーモニーコンサートのとのミュージカルで、Sさんが作った「野に咲く花のように」という歌を、Tさん自身の気持ちを歌にしたものという想定で演じたことがある。そして、今年は、ともに、同じステージに立った。
 Tさんは、眉毛の動きなどでコミュニケーションをとる方だが、昨年の10月、スピードがあがった私の方法で、次のような文章を書いていた。

 一人で苦しんできたことを言葉で語りたいと思う。本当の姿を知ってもらいたい。野に咲く花のようにの女の子にも出演してもらいたい。僕の気持ちにはそんな人たちのことがずっと気にかかっています。僕の気持ちしか表現していないので、ほかの人たちの気持ちも表現してもらいたい。過ぎたことを言っても仕方ないけど、未来に向かって僕たちの気持ちを伝えていく必要があると思う。願いはたくさんの人に理解してもらうことです。けっして負けられません。手を使って話せることを世の中の人に伝えたいと思う。理科してくれるまで訴え続けていきたいと思う。苦しみや悲しみを伝えていかなければいけないと思う。理解者を増やしていかなければいけないと思う。きっとわかってくれる人が現れると思うので、頑張りたい。(…)
この方法で話せる人がたくさんいるかもしれないと思うと胸がはりさけそうになる。僕はわかってもらっているからいい。でも、沢山の仲間が苦しんでいます。このことを伝えていかないといけないと思う。僕は負けない。


 そして、この思いを受けるようにして、わかそよでは、言葉を秘めていた方々の思いをテーマに、ミュージカルも合唱も進めたのだった。
 私から始めに、この方法をめぐる話をさせていただいたあと、二人に、30名を越える方々の前で、パソコンで、話をしていただいた。
 まず、Sさんの語りかけから。

 新しい可能性というものが小さく広がってきました。自信が出てきました。悩みも消えそうです。生きる希望がわいてきました。人間として認められてうれしいです。きじ住む未来の国が見えてきました。自分はきじが好きです。美のある国にきじといっしょに行きたいです。きじは希望の鳥ですから好きです。気持ちが言いたいと思ってきましたので願いがかなってうれしいです・残念ながら学校では疑問視されてしまいましたが、字の念じるのを読み取れるというのは本当です。人間として生まれて生きてきて願いをかなえたです。自分の人生だから自分らしく生きていきたいと思います・

 ついで、Tさんから。

 人間だから気持ちがあります。みんな言葉を理解していると思いますが人間として勇敢に生きていきたいと思います。Sさんはずっと言いたいことが言えなくて苦労してきましたがやっときもちを言えてよかった。そんな人がまだたくさんいると思いますのでみなさんよろしくおねがいします。自分は仲間の痛みよくわかりますから希望がわいてきました。敏感に理解してくれる人がひとりでも増えたらうれしいです。小さい時からの夢でした。人間として生きていく。人間としていきていきたいです

 他の施設の職員も含めた大勢の聴衆の前で、二人は、思いのたけを述べた。方法としては、決して簡単に本人がやっているようには見えにくいものだが、二人の真剣さは、これらがまさしく彼らの心の奥底からあふれ出たものであることを、如実に語っていた。この後、会場からいくつかの質問が出たが、可能な限り二人に直接答えていただいた。
2009年7月13日 23時37分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 / 青年学級 |
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2009年07月06日(月)
Sさんの詩と歌
 七夕の願いのことを書いたSさんと、また、ゆっくりとかかわることができた。朝の集いのとき、同じようにしてコミュニケーションをとるK.Fさん、K.Eさん、M,Mさんと4人で輪を作るようにして会話をした。みんな最近になってSさんが語れるようになったことを自分のことのように、喜び、Sさんは、しきりに「ゆうき」とという言葉をつかった。パソコンを青年学級に持ち込んだのはちょうど1年前のこと、こんな光景が繰り広げられられるようになるとは夢にも思わなかった。
コース活動では、Sさんによって1編の詩と一つの歌が書かれた。

  勇気を持って未来に向かって歩きだそう

光を持って あしたに向かって歩きだそう
彼方に見える希望に向かって歩きだそう
勇気を出して海に向かって叫んでみよう
未来の理想の未来の僕にわかるように
昔の僕を瑠璃色の海にしずめて
未来の僕を瑠璃色の海からわき上がらせて
よい若者として未来に向かって歩きだそう
よい若者を未来に向かって
若い君たちを論じる前に
もう一度未来に向かって歩ませよう
若いりりしい若者に
若い忘れられない勇気を与えよう
よい若者によい勇気を与えよう
よい若者はよい勇気をもって歩きだす
勇気の道を
ランプが誰にもわかるように照らす
未来は道の向こうに続いている
ずっと未来は続いている
勇気を持って歩きだそう
勇気を願いながら
勇気を持って歩きだそう
笑いながらつらいことを
苦しみの道を問題にもしないで
未来に向かって


理解をしてください
私の願いです
私の体は
勝手に動きます
私の夢をわかってください
夢をわかってくれたなら
私の夢がかないます
夢をわかってくれたなら
私の夢を忘れます
夢のかなったそのときは
みんなを一つに瑠璃色の
私の私らしさを
みんなに夢見る



2009年7月6日 21時05分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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臓器移植法案をめぐって
朝1時間目の授業に、O君がやってきた。3時間目の授業にはなんどか参加できたが、早朝からのこの授業には初めてだ。パソコンを通じた彼からの学生へのメッセージは、次のようなものだった。(原文はひらがな)

朝からみなさん早起きですね。人間として認めてもらえるかどうか、理解しているかどうか、眠っているように見えるかどうか、心配です。僕の言いたいことを聞いてください。技術的な問題はあるかもしれませんが、自分たちはみんな気持ちを持って生きています。みんな伝えたいことがいっぱいあります。みんなもう一度生まれ変わったらやりたいことがたくさんあります。人間の権利というものがあるということは盗人にも権利があるということですが、僕たちにはちっとも権利は認められていません。理想は学校で本当の勉強ができるといいなと思いますが、まだ僕たちにはそんな簡単なことが認められていません。理想は、学校で本当の勉強ができるといいなと思います。まだ僕たちには、そんな簡単なことが認められていませんが大学に行きたいと思ってもずっと前から物理的に無理だということがわかってしまいました。人間として日本の中で生きて大変なことですが、僕たちは、自分たちの意見を言って生きていかなくてはいけないということにようやく気づくことができました。わかってくれようがくれまいが自分たちの意見を言わないと何も変わらないということがわかりました。人間として生きていく楽しさだけでなく、苦しさも含めて言いたいことを言っていきたいと思います。

 この後、彼は、文字盤で臓器移植問題について語る。記録がないが、彼は、私や病院の主治医と対話を重ねたりしながら、脳死状態と判定された、あるいはそれに近い状態にある障害のある子どもの問題について心を悩ませていて、自分にとっては人ごとではないということをいい、自分としては、もういっぱい苦労してきたから死んでまで苦労したくないから今はドナーにはならないと語った。
 この日の2日前、ある関わり合いのグループで、このことを何人かが問題にした。その資料もこの授業では紹介した。

K君(10代男性)(パソコンで:原文はひらがな)

今朝質問を考えました。脳死と死とは同じでしょうか?脳死は死ではないと思います。柴田先生、たとえば僕が脳死と言われたら、臓器移植はしません。つらいことが多かったので移植の手術はしたくありません。

Hさん(10代女性)(筆談で:原文はひらがな) 取り上げていた”脳死”について、K君から意見を聞かれて

脳死は人の死ではありません。人は命がある限り生きているはずだと思います。生きているとは命があるということ。命がある限り、生きているはずだと思います。生きているとは命があるということ。命があるというのは、意志があるということ。意志があるとは意味があるということ。意味があるとは、命が続くということ。命が続く限り、命は意味がある。命の意味がある限り人は生きていけるはずだ。人は命の限り生きていく。生きていくとは命をつなぐこと。命をつなぐとは、意味をつなぐこと。意味をつなぐために意志をつなぎたい。意志をつなぐために意志を伝えたい。意志を伝えるために、みんなとつながりたい。みんなとつながるために私は生きていく。私が生きていくのは命をつなぐため。私が命を伝えたら、命はきっとつながる。命はきっとつなげられる。命はきっとつないでいくはずだから。命は一つしかない。一つだけの命を、一つだけを大切にしたい。一つだけの命はいつまでもつなげていきたい。命はつなげていくもの。命はつながっていくもの。一つだけの命を大切にしたい。大切につなげていきたい。大切につなげるために私は生きていく。私は一人の命として生きていきたい。生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい。
関わっていた妻は、Hさんに”脳死になったら臓器移植を望みますか”との質問をした。

移植はしません。しない理由は大切な体だからです。したくないのは、いつも同じ気持ちです。したくない理由は、もう一つあります。なぜなら、私は親から与えられた大切な子だからです。私はこんな体だけど大切に育てられたので、大切に生きていきたいと思います。大切に生きていきたいです。のhしは人の死ではない。脳死は人の命をつないでいる能力が少し弱くなっただけです。少し弱くなっただけで死だとされるのはつらいことです。死は一つの命が消えること。死は人の命をなくすこと。死は人の命の意味を消すこと。死は人の命をつながないこと。死は人の命を断つこと。死は罪です。死ぬことは罪です。死はとても大変な罪です。大変な罪だと思います。死は始めから決めるべきこどではありません。死は定められるものではないと思います。死は定められてはいけないと思います。死は定められるべきではない。死は定められない。死は定めるものではない。死は気になることだけど、死は気にしても仕方がない。死は気にしてもいつかやってくる。死は気にしてもいつかやってきます。死は気になるけど避けられない。死は気になるけど定められた運命。死は気になるけど、気になるものだけど、決められないことです。決められないので仕方がありません。死は逃れられない。死は逃れられない。死はいつかやってくる。死が望まれないのは、命があるから。命があるから

Nさん(20代女性)(パソコンで)

脳死は人それぞれの姿勢です。死は気遣い、くの苦労しだいで決まってくると考えています。人とは奇跡と初めて気がつくと、好きな奇跡、意味相応に生きるのです。生きていれば奇跡はきっと来て、静かにあかりを照らす。奇跡信じて生きていきたい。人間、くししつつ奇跡に手が

 臓器移植法案が衆院を通過した時、とたんに脳死ないし脳死に近いとされる障害のあるお子さんたちが紹介された。青い芝の会の利光さんは、以前から臓器移植法案に反対しながら、この話は障害の重い子どもをすぐに巻き込むことになるとおっしゃっていたが、まさかこんなに早く報道されるとは思ってもみなかった。確かに、1年ほど前、読売ウィークだったかが脳死の子どもたちという特集をした時に不気味さを感じたが、すでに事態はここまで来ていた。私は、いちいち自分の関わっている相手の方の脳波の所見がどうなっているかなど聞くことはない。だが、脳死ないし脳死に近いとされる子どもたちは、私が関わっている人たちと同じ状況にあるように見える。単に可能性に過ぎないが、私には彼らにもまた言葉があるように見えるのだ。
 そして、期せずして、当事者たちから意見を聞くことになった。臓器移植を待ちわびる人たちのことを思うと口は重くなってしまうが、少なくとも私は、脳死ないし脳死に近いとして報道される子どもたちの言葉の可能性を感じる以上、脳死の議論を非常に危ういものと感じないわけにはいかない。

 なお、ブログで紹介する文章をできるだけ漢字まじりの文章で表すことにした。置き換えのミスもあるので、慎重にやらないといけないが、これは、ある学生さんからの指摘による。これだけの内容を綴る方々は、本当は感じで表現したいのではないかという指摘だった。そのままコピーする手軽さと、ひらがなだけで綴られる文章が、いかにも臨場感を出すのではないかなどと漠然と考えていたが、この学生さんの指摘は大変納得のいくものだった。大変ありがたい指摘だった。漢字の使用の個人的な好みには合わせられていないが、やはり、こうした形で表現されるべきものなのだろう。そして、情報保障という観点からは、ふりがなをふる必要もあるが、これは、単なる手続きの煩雑さの理由だけからご容赦いただきたい。
2009年7月6日 21時00分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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