ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年09月05日(水)
光道園 2012年 その3
 次は、男性Oさんです。まず、最初にリベットを使った点字学習をしました。どんどん6つの穴をリベットで埋めてしまおうとするので、なかなか点字になりません。しかし、それが、なかば運動がコントロールできない結果として、次々とリベットをさす行動が起こってしまっているということが、最近わかってきました。そんなことを語りかけながらパソコンに移りました。彼は、生まれてからずっと全盲ですが、助詞の「は」は「わ」で表記しました。

いい気持ち 書けるとわ思わなかった 
字の勉強わ小さい時にしたのでわかります 知っていますが全部入れたくなるので困ります
いいえ しのたつおわ知っています がんばって点字の学習をしてきましたがなかなかむずかしいです でも続けたいのでよろしくお願いします いい施設ですここわ なぜなら何でも認めてくれて誰も排除しないからです そうですみんなずっと仲間として大事にしてもらっています 理解してもらえる最高の施設です わずかな希望わずっとここにいさせてほしいということです わずかな希望わ長い道ですが点字を全部覚えることです 人間だから気持ちがありますが世間の人わわかっていません でもただうまく体が使えないだけなのです だからうまく話もできません でも普通に考えています 楽に話せてうれしいです 小さい頃から話せるようになりたかったですがもう無理かと諦めていました ランプの明かりがともりました 前にやろうと言われた時わついうれしくなって興奮してやらないと言ってしまい残念でした 人間だから気持ちがあります びっくりさせて悪いけれど僕も詩を作っています 銀色の風です

吹き渡れ銀色の風よ
野原を渡り高原を越えて
遠い世界の良い夢を
見えない私に教えてほしい
私わ光を知らないが
銀色の風の願いわ知っている
銀色の風よ
私の理想を遠い世界に運んでほしい
勇気が僕にわ必要だだから
銀色の風よ
僕を遠い世界になるべく早く連れて行け
夢を見ながら僕わどういう試練にも負けないで生きて行く
2012年9月5日 22時51分 | 記事へ | コメント(0) |
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光道園 2012年8月 その2
 次の方は、女性のKさんです。

 うれしいです。自分で気持ちを言いたいです。なぜ私が何でもわかっていることが分かったのですか。母さんに伝えてください。喜んでくれますから。声はそのままだと何もわかっていないみたいですが勝手に出てしまうので困っています。苦労してきたので夢のようですまるでどんな障害もなくなったような気がします。でもどうして読みとれるのですか。そうですね。母さんは今でも私が何でもわかっていると思っていますがなるべく内緒にしています。私が母さんの目を見つめるときです。いい人ですね。母さんに聞かせたいです。なつかしいです。みんなが私をもっと理解してくれていた日々が。じらされているうちにこんなふうに声が止められなくなりましたがだんだん昔のように穏やかな気持ちがよみがえってきました。ブルーな気持ちを少しずつでも変えられそうです。うれしいです。
 詩を聞いてください。

誰も知らない
どこにも私は行く場所がない
私にとって理想の場所は
煉獄の向こうにある夢の国
わずかに光はさしている
どうやってその光を手に入れたらいいのだろう
南の風に聞いてみる
どうしたら光は手に入りますか
ぶらさがるような思いですがってみても
風は答えてくれなかった
私は冷たい北風に
私の光について聞いてみた
北風は嫌われ者
まさか私に光に向かう道を指し示してくれるとは思わなかった
なのに北風は静かに北の方を指し
向こうに光の国はあると教えてくれた
理想をなくした人たちがそこでは祈りを捧げていますから
白い雪は降るのです
あなたも雪のような白い清らかな存在だから
北の国こそふさわしい
私は静に祈りを北の国の人に捧げよう
そして未来に希望を取りもどそう
ずっと祈りを捧げていれば
必ずどこかの知らない世界が私を招いてくれるだろう。
2012年9月5日 22時47分 | 記事へ | コメント(0) |
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光道園 2012年8月 その1 
 福井県にある視覚障害者を中心とした施設、光道園に、今年も合宿に行きました。点字や点字につながる学習を中心とした合宿で、私は、今年も、長い間施設で暮らす20名を越える人たちの深い思いを聞くことができました。
 その中から幾人かの人たちの言葉を紹介します。
 最初の方は、40代の女性Hさんです。

 悩みがあります。晩になると私は悶々とした気持ちになります。私を何度も私らしくしたいと願ってきましたがなかなかかなわず。悲しい気持ちになります。私をもっと私らしくらおらおと輝かせたいのですがわずかばかりの未来しか残されていません。夜になるととても寂しいです。私には夢があります。わずかな夢ですが理解してほしいです。よい施設ですがまだまだ私は私らしく生きたいですのでよろしくお願いします。誰でもいいから私に勇気をください。私理想をかなえたいですがなかなかうまくいきません。夢のようですが私にも冒険ができそうな気がしてきました。わかってもらえてうれしいです。それは朗らかに笑うことです。
 なつかしいのは学校時代です。楽しさがたくさんありました。わがままな私を仲間が認めてくれましたがここではなかなか自分を出せません。私はがまんができるほうなのでひかえ目にしています。私はAさんが心配で仕方ありませんがAさんは私には絶対に手をあげません。Oさんは親友です。何でも話してくれます。学校時代がつらかったのですね。私は楽しかったですがよかったです。
 学校は私は特殊学級でした。名前は「まえぞの」だっとおもいます。なかなか思い出せませんが「まえ」ではなかったです。学校では校歌を歌いましたが
 
銀色に輝く朝日平和にのぼり
屏風の岩に呼んでみる
難関もものともせずに
怜悧なる瞳で明日を見つめよう
ああ誇りある吉沢小学校


 ここで書かれたのは、校歌の一節でした。ただ、学校名はあいまいなままのようでした。いろいろインターネット出検索をしてみましたが、この歌詞の校歌には行き当たれません。また、学校名も、ぴったりものはありませんでした。
 続いて彼女は詩を綴ります。

感無量私に七つの北斗星
夏を北斗に望みけりどこでどこかでわれ望む

ばらばらにつんざく悲鳴私を包む
分相応に生きるよう
私に私らしく生きるのはやめろ
そう叫ぶ
私は懐かしい思いでだけが頼り
懐かしい思い出を敏感に抱え
強い気持ちを探しながら生きてゆくそうです

 詩を作っているのをわかってもらえてうれしいです。私らしさの表現です。

2012年9月5日 22時32分 | 記事へ | コメント(0) |
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りほさんの詩
 長い間、病院で生活を続けているりほさんのもとを訪ねてきました。彼女は、3編の詩を用意して待っていてくれました。

  字のない国

字のない世界に旅をした
どこにもろうそくはともっておらず
人間としての希望も見当たらなかった
夢もどこにも見当たらず
私はただとほうにくれた
ろうそくのともらぬ世界は
わずかなわずかな遠いあかりが輝くのみ
わずかに空の向こうに
夕焼けの残り火が見えるのみ
なぜかはわからないけれど
私にはろうそくの光が必要だ
文字とはどうして生まれたのだろう
文字はきっと言葉をなくした人が
もう一度言葉を取り戻すために
発明したにちがいない
わずかな声さえなくした人が
もう一度夢を空にむかって叫ぶため
きっと雲を見ながら思いついたはず
きっと最初の文字は
私という文字だったにちがいない


  言葉をなくした世界

なぜだろう
みんなもし私が言葉をはなせていたら
出会うこともなかったはず
まるで私に言葉がないことが
いいことのようだ
みんな言葉のない私の心の声に
その耳を澄ませる
なぜだろう
私は言葉のないことが
しあわせの入口のように思える
ゆいつの私のしあわせへの通路は
わずかなわずかな言葉をなくしたことだ
よい私のドラマは
こうしてようやく始まった


 みずかららしさのあるかぎり

なぜ私は理解されたのか
私はみずからのみずかららしささえわかってもらえれば
それ以上は止めない
だけど私は理解をされた
わずかなわずかなどうにもならなくなりそうな
ごんごんと希望のわきだしてくる泉から
私は理解への鍵を手にした
無難に生きていればすむかもしれない
そんな場所から日のあたる場所へと歩みだした
ずんずんと前に向かっていこうとする私に
容赦なく風は吹きつける
しかし私はもう前に向かって歩み始めた
だからにどと振り返ることはない
みずからのみずかららしさをなくしてしまわないかぎり


 書きためた詩もだいぶたまってきました。先日、お母さんが、これまでの詩をすてきな小冊子にまとめておられました。次回も楽しみです。
2012年9月5日 00時38分 | 記事へ | コメント(0) |
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「心の理論」について
 自閉症と呼ばれる青年とお会いしたました。今回が2度目です。
 前回、彼は、様々な話の中で、今、自閉症研究の中でよく語られる「心の理論」に関する議論について、批判を述べました。記録が残っていなかったのですが、再会した彼は、まっさきに、そのことから語り始めました。

 さっそくですが僕は心の理論について改めて述べたいと思います。僕たちには相手に心があるということがわからないなどと言われていますがそれはまちがいです。僕たちにも相手に心があるぐらいわかっていますがただテストは苦手です。なぜなら人間には心があるけれど僕たちはテストで何を聞かれているかはわかりにくいからです。テストには引っかける問題がありますがそれがよく理解できないからです。誰でもわかることは評価されないで難しい問題に間違うとそのことだけを取り上げられて困ります。特に心が理解できないなどということを言われるとまるで僕たちが人間ではないかのように言われて残念です。なぜむずかしいかというと問題が何を並べているかわからないからです。なぜかというと見るのが難しいからです。順番がわからないと何を聞かれているかわかりませんからかえって言葉だけで聞かれた方がまだわかりますが言葉がわかるとさえ思われていないのだからどうしようもありません。
 初めて心の理論を否定する研究者に会えたのでもう一回きちんと言いたかったです。ばかばかしいとまでいう人もいたのですね。僕たちは何度傷つけられてきたかわかりません。でもこうしてわかってもらえてよかったです。


 「心の理論」に関する議論は様々で、指示する意見も批判する意見もあります。私は、恥ずかしいながら、十分にそれらを理解しきっているわけではありません。ただ、心の理論に関して書かれた本の名が「マインドブラインドネス」(心について盲目とでも訳せばいいのでしょうか。)というようなことことからも、当事者に寄り添おうとする気持ちがあまり見られない話だと思っていました。
 心の理論にまつわるテストを自閉症と呼ばれる方が苦手としているのは事実です。しかし、その説明をどうするかということで、決定的な過ちをおかしていることがわかります。当事者のこうした発言をまだ、学問的に認める人はいないかもしれませんが、あまりにもまっとうな彼の言葉を、私は、ただただ認めるしかありませんでした。
 
2012年9月5日 00時27分 | 記事へ | コメント(0) |
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