ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年05月16日(月)
大震災をめぐる言葉 4月25日その3
 4月25日の文章の中で、わかそよに参加する3人の言葉をまとめて紹介したい。この言葉は、何らかのかたちで、わかそよの当日、参加者にお伝えしたいと考えている。

 映画にも出演し、わかそよでは一昨年はミュージカルで準主役も経験した○○さんの言葉。もちろん今年もミュージカルに参加する。
 
 津波はなぜ私たちの大事な世の中を壊してしまったのでしょうか。早く元ののどかな世界に戻ってほしいです。分相応の生き方ではいやですが行き過ぎた生活はよくないと言うことがよくわかりました。なぜ人はどんな大変な状況でも挑戦を続けられるのでしょうか。みんなも同じですが私たちは私たちを表現することにも困難を抱えているので勇気を出さないと生きていけませんがそれは被災地の人の置かれた状況と同じです。私たちのことなど誰も振り返らないけれど私たちもまた被災者のようなものなのかもしれません。地震で色々なことを考えましたがもし私たちの言葉を世の中の人が聞いてくれるならもっと私たちはいい暮らしができるでしょう。なるべく世の中の人たちに伝えてください。名前もないようなものですが勇気を出して言っていきたいです。

 3年前は、観客席から、1昨年はステージ上で参加した◇◇さんは、「野に咲く花のように」の作詞者。津波について次のような言葉と詩を書いた。なお彼女のご両親は福島県の出身である。

 残念なことがあります。原発の事故がありました。福島がとてもつらい状況です。でもみんな大丈夫だから安心しました。避難はしなくてもよいということですが、福島全体がつらいです。原発があるからテレビで毎日やっていて私はとても心配しています。原発で働いている人々のことが心配です。被害にあっているのに毎日働いているのはかわいそうでたまりません。家もなくなって家族もいなくなってつらいと思います。どうしてつらいのにはたらいて。いえないのでしょうか。自分たちがやらなければいけないと思って毎日のぞんでいるのでしょうか。自分のことよりも原発を安定させるためにやってくださっているのだと思います。福島の人々を守るために頑張っておられるのだと思います。私は何もできないけれど祈って暮らしていますので人間がやるしかないので、みんなで考えて乗り越えていきましょう。少しずつでもいいから前に進んでいきましょう。それを言いたかったので今日は来ましたので、つらい今の状況をみんなと話し合いたいと思います。
 米のことを言っていましたね。つらいけどみんなで考えていきましょう。避難した人が疲れて倒れてしまわないうちに何とかなる方法を考えていかないと疲れて倒れてしまうからつらいです。
 
 津波の意味
私は勇気をもらおう
黙ったままで生きてきて何もわからないと言われてきたけれど
私もまた本当の希望の意味を知っている
黙ったままで理解されず小さな胸を痛めてきたけれど 私は理想を忘れない
悩み苦しむ私の姿を何度奮い立たせてきたことだろう
わかってほしい 私たちもまた被災者のように生きているということを
わかってほしい 私たちは黙々と希望を紡いでいるということを
小さな光かさしている ランプの明かりがともっている
人生は本当に残酷な試練を私たちに課すけれど
また私たちは立ち上がる
涙を越えてもう一度


 ☆☆さんも1昨年に引き続いての参加となる。彼女の言葉がわかそよで紹介されるのは、今回が初めてとなる。

 なぜなのだろう。津波であんなにたくさんの人が亡くなったのは理解することができない。涙ばかり流しています。万能な機械があれば人々をもっと助けられたのにみんながかわいそうでした。涙を流してばかりでなく人々の勇気にもすごく感動しました。地域で生きていくことの意味をまた考えさせられました。敏感な人たちが集まっている地域では私たちを本当の人間として受け入れてくれるだろうと思いました。誰でも支え合えれば生きていけると思いましたがなかなか難しいのでしょうか。もう少し私たちを認めてくれる世の中でないと難しいのでしょうか。名前も知られずに亡くなった人たちのように私たちもまた忘れられた存在です。望みは人間として私たちを認めてほしいということです。勇気を出して私たちも訴えていきたいです。わずかな希望でも人は生きていけることがわかりましたから私たちもがんばれると思いました。だから涙を流していただけではありません。涙と共に希望も感じていました。
 茫然としていましたがそろそろ立ち上がろうと思います。ゆゆしきことは原発です。理想のエネルギーと言われていたのに悪魔のエネルギーになってしまいました。ぞっとしています。なぜあんなにもろかったのでしょうか。何度となくみんなが考えを巡らしてきたのに残念です。地域の人たちがばらばらに避難させられて残念です。同じ地域の人は茫然としているでしょう。みんなが引き裂かれて。
2011年5月16日 07時20分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 / 青年学級 / 東日本大震災 |
大震災をめぐる言葉 4月25日その2
 小学生の○○君は、新学期の様子を、いい先生にまた担任をしてもらえた喜びとともに語ったあと、次のように語った。

 なぜ、どうしてという疑問が今僕を包んでいます。理想を見失いそうですが忘れられないのは人を助けようとして亡くなった人のことです。理解できないのは理想を大事にしている人が亡くなったことです。未来の日本はそういう人を大事にできることが肝心だと思うのですがどうしてそういう人まで亡くなるのかが理解できません。でも泣きながらでも地震と津波から立ち上がろうとする人を見ていたらわずかな希望を感じました。どんなにつらくても人間は生きる希望を失わないことが唯一の救いでした。私の未来という詩を聞いてください。

理想を掲げて僕は生きる
だけど理想はかなわないこともあることを
僕は地震で思い知らされた
なぜそんなに自然は残酷なのか
僕にはわからないけれど
なぜなのかということはわからなくても
わかっていることは未来は理想をなくしては絶対に作れないということだ
だから人は立ち上がる
悲しみを越えて立ち上がる
涙はかわくことはないけれど
必ず人は立ちあがる
涙を越えて立ち上がる
僕たちも残酷な自然のせいで障害を持っているけれど
僕たちもまた立ち上がる
どんな理不尽な自然であっても
僕たちもまた立ち上がる
未来のために立ち上がる
けして理想を失わず。

 なぜなのかわからなくても唯一の望みは勇気を人が失わないことです。なぜなのかはわからなくても勇気さえあれば人は生きていくことができますから。まことの勇気さえあればわずかな希望さえあれば生きていけますから。分相応はいやですが人間は分を少し忘れてしまったのかもしれません。でも長い時間がかかっても必ず人はまた前のような社会を作れるでしょう。だからもう少しの辛抱だと思います。でも新しい社会は僕たちを認める社会として再生してほしいです。


 語られる思いに、年齢はあまり関係ない。みんな等しく、胸を痛め、徹底的に考え抜いていることがひしひしと伝わってきた。
2011年5月16日 07時13分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 / 東日本大震災 |
大震災をめぐる言葉 4月25日その1
 今年4月から社会人になった○○君と震災後初めてあった。彼もまた、この一月半の間、心を痛めていた。

 地震でたくさんの人たちが亡くなったことがとても悲しくてなぜそんなことが起こったのかと考えているうちに頑張る気持ちがなくなりそうになってしまいそうでしたが勇気が出たのはわずかな希望でも人々が立ち上がることができるという事実を目にしたからです。人間はどうしてそんなに強いのかと大変不思議な気持ちになりましたが僕たちのことを考えると僕たちの障害も理不尽なものだけど小さい希望さえあれば生きていけるのは同じだということに気付きました。わずかな希望しかなくても人は生きていけるのはなぜなのかなるべくよい私たちらしい答えを出したいけれどまだいい答えが見つかりません。だけどなぜかはわからないけれど勇気がなくなると人は生きていけないことだけは確かだと思いました。なぜかはわからないけれどなかなか忘れられないのは他の人を助けようとして亡くなった人のことです。なぜそんなことをどうしてそんなことがと考えてみても全く答えが見つかりません。わずかな隙間を縫うようにして光が射すのは未来のことです。被災地の人がみんなで力を合わせていい空の下でどんな世界を作るのかとても楽しみです。でもなかなかそううまくいかないのが原発です。未来のことですが原発に頼らないでご飯も炊けてお掃除もできて冷暖房も使える世の中が来ればいいなと思いますがとてもむずかしい問題ですね。ぼくにはよくわからないけれどすぐれた科学者が本気で考えれば簡単だと思います。だからそういう議論が速くされるようになることが僕の願いです。でもまだまだ原発も安心できない状態だからまだまだ先のことになりそうですね。

 ここで私たちの仲間が、1歳10ヶ月を過ぎた赤ちゃんをつれてやってきた。

 よいところでSくん(1歳のお子さん)がきました。Sくんが心の大きな人になれるよう僕は詩を作りました。聞いてください。

時間に流れがあるように
心にも遠く流れてたどり着く流れのあることを
僕たちは知っている
流れはこんなにゆっくりだけど
流れは確かに動いている
流れを動かしているものはよい心と美しい心だ
人間としての未来は流れの向きで決まってくる
流れはいつもゆるやかだけど
流れはけして戻せはしない
どこか遠くの悪い方へ連れて行かれることもある
だから心を遠くまでいい向きのまま進めていき
もう少しの僕たちの行き先に
小さな心をつないでほしい
僕たちが目ざしている場所は
理想のかなう夢の楽園
そこに向かって心の流れを望み通りによい向きに
よいどんな世界が待っているか
期待しながら夢見ていこう
でも存分にろうそくの光は射している
どんな暗闇だって怖くない
人間としての誇りを忘れず
未来に向きを合わせていこう

2011年5月16日 06時56分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 / 東日本大震災 |
にんじんの詩 その後
 にんじんの詩を書いたTさんのもとを再び松田さんが訪問した。以下は、その時の記録である。

 昨日は、席についたときからご機嫌な様子で、つねに笑顔でした。そして1時間ずっとイスにすわって集中していたように感じました。
 
(先日は柴田さんと話ができてよかったですね)

とても驚きました。柴田さんはどうしてあんなに速く私の言葉を理解できるのですか。私はとてもうれしいです。言葉があることがわかってもらえてよかったです。もっとたくさんの話をしたいと思います。

(これまで詩のように何か言葉をためてきたことがありますか?)

羽があれば人間はどれだけ自由に生きていけるだろう。
みんなとらわれの身で苦しんでいる。
何とか苦しみから抜け出そうと思っている。
ほんとうのしあわせはどこにあるのかみんな探している。
しあわせは乗り越えていかなければならないことがたくさんあって、ひとつひとつ乗り越えていくことしかできない。
ほんとうにたいへんなことだ。
さあ一歩ずつ歩いていこう。
未来には苦しみから解放された自由があるにちがいない。

気持ちが伝わる思いです

2011年5月16日 06時45分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年05月15日(日)
わかそよの練習の日 大震災について
 両親も亡くなり、施設で暮らすKさんと、わかそよの練習会場で出会った。私が最初に歌を聞き取るやりかたを発見したのは、1昨年のことだった。そして、1昨年のわかそよでは、Kさんの歌をミュージカルの中で歌うこともできた。そのKさんに、パソコンとスイッチを向けてみた。すると、すぐに彼女はこう綴った。

いつも穏やかだった海が突然牙をむいて理想をすべて打ち砕いた。
私は私の大切な生きる意味を失いそうになってしまったけれど
人々の立ち上がる姿に勇気づけられた。
なぜだろう、人は理想を打ち砕かれても再び立ち上がることができる。
人間はなぜそんなに強いのか。
私もこんな体で自分の気持ちさえうまく伝えることもできないけれど
私も勇気を持ってまた立ち上がっていこう。
冒険をまた始めよう。


 この詩を綴っている間、Nさんが私のすぐ後ろで私たちを見守っていた。そして、綴り終えると、私の服をひっぱった。話を伝えやすくするためにあえて記すが、Tさんは、発話の困難なダウン症の方だ。いつももの静かな彼が、これだけ積極的に何かを伝えてくるのは言いたいことがある時だ。そして、彼は、一篇の詩を綴った。

津波よ
なぜおまえはすべてを奪っていったのか
忘れられないのは
悲しみに泣き叫ぶ人の声
忘れられないのは
子どもを亡くした母さんの泣き声
なぜおまえはそんなに残酷なのか
わずかの希望は
どんな苦しみの中からでも人は立ち上がるということ
もしぼくにも力があったら
どんなことでもしてあげたい
もしぼくに声が出せたなら
理想を声高く叫びたい
ぼくの障害も
津波のようになんでかという理由はわからないものだけど
ぼくも立ち上がろう
津波に負けない人間として


 KさんとNさんの言葉は、わかそよのステージで、朗読の得意な仲間によって読み上げられる。
2011年5月15日 07時08分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
にんじんの詩
 Tさんが施設入所して10年ほどなるだろうか。ずっと障がい者青年学級の一員だったTさんは、言葉をすべて理解していることをまったく誰も気づくことはなかったけれど、仲間の間を体を左右に揺らしながらゆっくりとふわふわ漂うように歩きながら、存在感を示していた。そのTさんのもとを、とびたつ会の松田さんがスイッチとパソコンをかかえて訪問するようになり、徐々に言葉が紡ぎ出されてきた。
 そのTさんが、わかそよの練習に参加した。私は、みんなが歌っているのを聞きながら、お母さんが見守る中、Tさんの言葉を聞き取っていった。

 こんにちわ。久しぶりですね。残念ながら私は××(福祉施設)に入ってしまい青年学級は行けなくなりましたがなんと松田さんが来てくれてまるで魔法のように私の気持ちを聞いてくれてろうそくの灯がともりました。夢みたいです。
 母さん私をいつも大事にしてくれてありがとうございます。なるべく私を家に連れて帰ってください。できる範囲でいいです。なるべく家に帰りたいと言ったのはみんなの顔が見たいからです。帰るとみんなに会えそうな気がしてわくわくします。


 何かTさんに尋ねたいことはないかとお母さんにうかがったところ、「お父さんのお葬式のあと、7キロもやせてしまったのはなぜだったの?」とお尋ねになった。数年前、Tさんのお父さんが亡くなられた時、施設で食事がとれなくなって、やせてしまったということがあったらしい。その答えはあまりにも当然すぎるものだった。

 とても悲しかったから食べられなくなりました。私はお父さんが大好きでしたから。

 そして、かつての仲間の歌声を聞きながらこう綴った。 

 わかそよに出ていた頃が懐かしいです。また出たいです。

 ここで、私は、もし詩を作っていたら聞かせてほしいとお願いした。すると「にんじん」という題の詩があるという。にんじんが詩のテーマになったことは今までなかった。しかし、地中に伸びるにんじんのイメージが浮かんだ時、おぼろげながらその言わんとするところが伝わり、どきっとさせられた。次のような深い深い詩だった。


  にんじん

空高く
理想をいつかかなえようとしながら
ずっと地中に根を伸ばしているにんじん
どこまでのびても地中を出ることはないけれど
にんじんは知っている
ほんとうのドラマを
空には届かないけれど
にんじんは知っている
ほんとうの苦しみを
にんじんに夢を託し
私は生きている
にんじんのように
地中深く根を生やしながら


 誰も知らない地中の深くで根をはやしているにんじんの姿はTさんそのものだった。
 まだ、私たちは、Tさんの本当の姿を施設の職員の方々などに伝えるすべを持っていない。あまりにも唐突なことになってしまうからだ。にんじんは、もちろん地上に茎を伸ばし、細かい葉をつけ、花も咲かせる。少しでも早く、Tさんのにんじんに花を咲かせたい。 
2011年5月15日 00時27分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年05月14日(土)
わかばとそよ風のハーモニーコンサートのお知らせ
 町田市障がい者青年学級と青年学級から発展した本人活動の会とびたつ会とで2年に1度開催しているわかばとそよ風のハーモニーコンサートが開かれます。
 5月22日午後1時半から町田市民ホールにおいてです。
 今年のテーマは「伝えたいありのままの私」で、今年、特に初めて取り組むテーマは、性同一性障害の仲間の思いです。
 また東日本大震災をめぐる様々な言葉もステージでは紹介します。
 秘められた言葉というテーマは前回から取り組まれ、この2年間でまたそうした秘められた言葉をもとにした様々な歌も生まれました。
 東北地方の作業所の製品の販売も予定しております。
 ぜひお越しください。
 詳しくは次のホームページへ。
http://wakasoyo.jimdo.com/










































2011年5月14日 23時31分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年05月02日(月)
再び自然をこの手に従えてたくましく立ち上がろう
 5人の言葉の後半の3人の言葉を紹介したい。
 一人目は、30近い男性の言葉。

 いい時節になったのにぼくはとても悲しいです。理想的な世界がようやく近づいてきそうだったのに大変な地震でもうどうしたらいいのかわからなくなりました。私たちはどうすればいいのでしょうか。世界がひっくり返るとはこのことです。唯一の希望は私たちのような余分な存在でも何とか希望があれば生きていけるように私たちは人間だからずっとわずかばかりの希望さえあれば生きていけるのです。人間としてそういう光を信じて生きていくことが唯一の救いだと思いますから光を大切にしたいです。わずかな光と光さえ失わなければきっと雪のような白くて清らかな未来が開けてくるでしょう。深い闇が日本中を覆っているけれど深い闇もよい光で満たされる日が来るでしょう。名前さえない残された私たちは私たちにしかわからない苦しみを背負ってきたので私たちらしくこの苦しみの意味を伝えられたらと思います。
 でもいつまで待てば僕たちの力が発揮できるのでしょうか。分相応の生き方はまだまだ未来を切り開いてくれないけれどもうごめんです、人間扱いされないのは。未来を切り開きたいです、早く。でも今はまず地震で途方に暮れている人が先かもしれません。でも未来はいつかもっと私たちにとってよいものになってほしいです。わずかな希望がありさえすれば僕たちは大丈夫です。ぶつかりあっている政治家はよい政治をできるよう頑張ってほしいです。
 
地震とは何度となく人を不意打ちにしてきたけれど 
人はいつも立ち上がってきた
ぶるぶるふるえながら 
人間の弱さをかみしめながら
理解できない苦しみも何度も乗り越えて 
人は生き続けてきた
分相応で生きていれば自然に復讐されることもなかっただろう
しかし自然に任せていただけでは人は幸せをつかめないだろう
なぜならこのぼくの障害も自然が与えたもの
自然にただ任せていたならば僕は生きることさえかなわなかった
自然と闘い続けながら 
時には自然に復讐されながら
ぼくはたくましく生きようと思う
だから地震で傷ついた人たちも 
また望みを手に 
再び自然をこの手に従えて 
たくましく立ち上がろう
小さなぼくさえ自然と闘い続けてきたのだから 小さな人だって必ず闘い続けていけるだろう
懐かしい町並みをもう一度取り返して 勝ちどきを上げて
また夜の闇に明かりを灯し 賑やかな笑いを取り戻そう。


 みずからの障害と重ね合わせることによって、どんなに自然から復讐されようとも自然と闘い続けていかなければならないという彼の独特の認識が鮮烈だった。
 次は20代後半の女性の言葉だ。

 聞いてほしいことがあります。地震があってとてもたくさんの人が亡くなって私はつらいです。勇気をなくしてしまいそうでした。みんなどうして煩悩のない若い子どもまで亡くならなければならなかったのでしょうか。私はなぜだろうと考えて人間の生きる意味がわからなくなりそうでした。びっくりしたのはそれでもみんなが希望を失わなかったことです。なぜそんなに人間は強いのだろうとよくよく考えているうちに私の障害と同じだということに気づきました。不思議でしたが私たちも障害があるのに生きていけるのだから被災地の人も生きていけるのだなと思いました。文明の反映と滅亡というと少し大げさですがそんなことも考えました。未来はもっといい世の中が来ると漠然と考えていましたが悩みながら過ごしています。未来はきちんと作っていかないと来ないのだという気持ちがしてきました。未来を作るために私たちは立ち上がる必要があります。小さいのは何でもないけれど大きいのはさすがに困ります。

  森の精
ランプの灯りが消えてしまうかも
すべのない悶々とした夢のような理想の国を探し求めて
私は野原をさまよいながら
雪帽子をかぶった森の精に願いをかけよう
雪帽子をかぶった森の精は目をつぶったまま 
ずっと黙したまま理想を何とかかなえようと
夜の闇を乗り越えて 
日差しが氷を溶かしてくれるのを待っている
自分だけの幸せではなくて 
すべての世界の人の幸せを願っていきたいと思いつつ
無難な森のぼんぼりを取り除いて 
ほんとうの森を探しに行こう
よい知らせが私に届き 
私は森の精にろうそくの灯りをもらって 
暗い森の中を歩き出す
わずかな希望だけを胸に携えて


 後半の詩は、地震に触発されて書いた詩である。絶望の夜を何とか越えていきたいという気持が痛いほど伝わってくる詩だった。
 最後は、20代後半の女性の言葉である。障害のある仲間たちがどう生きているのかを気づかった言葉である。

 みんな地震のこと書いているので書いていいですか。言いようのない自然の恐ろしさが生きる希望の気配を流し素朴な尽くせぬ日常すべてを対岸に流してしまいました。してはいけないことが増えて日本中が静まってしまっています。危機に遭遇したとき友たちはどんな思いでいたのか知りたいです。罪深い世間の中で障害者の仲間たちはくじけそうになっていないか心配です。みな考えていますね。生きていくすべが流された今立ち上がることの大切さを改めて感じています。違いはあっても違いを生かした立ち上がり方を探していきましょう。仲間にも伝えてください。一人一人が抱えた立場で支えていきたいと思います。 
2011年5月2日 15時08分 | 記事へ |
| 自主G23区1 / 東日本大震災 |
わずかな希望さえあれば人は生きてゆける!
 ある会で、震災をめぐる5人の方々の気持ちを聞いた。まず、そのうちの二人を紹介する。
 最初の言葉は、特別支援学校の高校生の女の子の言葉だ。震災から一月以上が経過して、悲しい気持ちの中に確実に希望が力強く見えてきていることがわかる。

 地震があったので私はとても悲しい気持ちでいっぱいですがなかなか涙も出てきません。いちばんつらかったのは犠牲者の中に子どもがたくさんいたことですがなぜあんなにたくさんの子どもが亡くならなくてはいけないのかいくら考えても理解できませんでした。犠牲になった子どもたちがかわいそうでした。優しい母さんたちもたくさん亡くなったのも悲しかったです。唯一の救いは理想を失わずにみんながもう一度立ち上がろうとしていることです。私たちは自分たちに障害が体にあって苦労してきたのでなぜ人は苦しまなければならないかよくわかっていたつもりでしたがまた理解できなくなりそうでしたが、まだまだみんな頑張っているのでろうそくの明かりは何とか消えなくてすんでいます。

 二人目は、学校を卒業して2年目になる若者の言葉。 

 いい季節がせっかく来たのにまったく悲惨な今回の地震で心が痛んでいます。僕たちの理想はこの世界から苦しみがなくなることなのでとても困っています。小さい子どもやかわいい小学生まで亡くなったのが理解できません。小さい子どもを救えなかった人の気持ちを考えると胸がつぶれそうです。勇気をなくしそうでした。 唯一の救いはわずかであっても人々がもう一度立ち上がろうとしていることです。人間はすごいなと思いました。もう少しで生きる希望をなくしてしまうところでしたからわずかな希望が見つかってよかったです。僕には体に障害があるのでわずかな希望さえあればずっと忍耐できるということがわかっているので勇気をまたもらいました。もう少しの辛抱だと思います。武器は勇気です。人間強い生き物だということを僕たちが一番力強く証明していますから。

 彼の力強い表現に、思わず、このままテレビの公共広告機構のCMになりそうだねと言ったら、次のように返ってきた。

 そうですね。「わずかな希望さえあれば人は生きてゆける」と言ってテレビで訴えたいです。仲間はみんな同じ気持ちだと思いますが確かに語り口が違うのかもしれませんね。そうです。僕たちは望んで障害を持ったわけではないからよくわかります。ご覧なさい僕たちをと言いたいです。僕たちも生きていられるのだからみんな大丈夫だといいです。

 彼はまた小さい頃からの相撲ファンでもあり、震災前からのごたごたについて意見を持っていた。


 相撲のことです。何ということなんだろうと怒っています。人間として恥ずかしいと思いますがぼくはきっと色々な事情があるのだと思いますからまたいい相撲がもう一度見られることを疑ってはいません。どうしてなのかはわからないけれどわずかな望みさえあれば相撲も大丈夫です。そうです。すぐに立ち直れると思います。ぶつぶつ言っている小賢しい大人はみんな間違っています。望みさえあれば何でも切り開くことができるでしょう。そうです。私たちはいつもそうやって生きてきましたから。

 そして最後に「ブロンズの塔」という詩を書いた。

「ブロンズの塔」という詩を聞いてください。

ブロンズの楡の花を模した塔
それを私は望みながら いつか僕にもそんな像が作れるような気がした
願いはノンストップの風の中で砕け散りそうになっているけれど
望みはブロンズの像のように風にも揺るがずに立っている
願いを刻んだブロンズに きょうも私は夢を託す
2011年5月2日 14時57分 | 記事へ |
| 自主G23区1 / 東日本大震災 |