ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年12月24日(土)
もっともっと生きたい
 小学4年生の○○君は、隣のベッドの女子高生の短歌の授業を聞いて自分も俳句を作ることにした。

なぜ泣くの みそらに小さな七つ星
夕焼け空の不思議な小さな夢の道
夜空のそばのリンデンバウム わずかな夢を奏でつつ
ランプの火 理想を燃やし西の空

よい俳句ですか。たぶんいつつ
(最初いきなりこれらの句を立て続けに書いたので実は俳句であることもわからず、一篇の詩なのかもしれないと思い、質問したらこう答えが返ってきた。実際は4つだった。)
 お願いします。僕も◇◇先生の話を聞いて感動したので作ってみました。(◇◇先生は隣のベッドの高校生に短歌を授業で教えた先生のこと。)わずかな知識ですがリンデンバウムという木をとてもなぜか忘れられませんでした。忘れられません。いい歌ですから。リンデンバウムを先生たちが知っていてうれしかったです。

リンデンバウムどこにも見えぬ夜の明けず
虹は空 僕の心に夢の橋
夏の星 輪になり雁が見送って
夏の星 リンデンバウムに伝令を
輪の中の寄せられし木の葉 油脂を溶かす

油脂はこぼれた松やにです。どうしてかわからないけれど知っていました。焚き火をしていて松やにのついた木の枝が燃えているところです。はい想像ですが良い俳句ですか。そうです秋の終わりの寂しさを読みました。

夏の星 南の理想の呼び声と
つらい喉わずかな息に和音の音


ここで主治医のT先生が入ってこられて、再生医療の説明をして彼の考えが聞きたいとおっしゃった。別に親の同意さえあればいいことになっているけれど、きちんと聞いておきたいからとのことで、普段から彼を大事にしている先生ならではの言葉だった。

 ぼくたちのためならいいですがなぜ先生はわざわざ聞くの。ありがとうございます。ぼくをきちんと見てくれてうれしいですが夢のようです△△ができるなんて。もうだめだと思ってきたのでうれしいです。ぜひお願いします。だめでもともとですから。お願いします。ぼくにはだめでも次の同じ病気の子に役立てばうれしいですからお願いします。なんでも聞いてくださってありがとうございます。なつかしいです。小さい頃のことが。ぼくは長く生きられないと覚悟していましたからどこに行ってもこれが最後だと思っていましたが今は希望を持って生きていますから安心してください。ついに新しい治療法が見つかったなんて夢のようです。先生ありがとうございますここまで育ててくださって。やっぱり生きてて良かったです。夏休みにはもうだめかと思う場面もありましたがまた元気になれてこんな話が聞けて良かったです。もっともっと生きたいですからよろしくお願いします。なぜだかわからないけれど小さい頃の不安な日々が懐かしく思い出されます。面倒なぼくを引き受けてくださって感謝しています。なぜT先生は何人もいる子どもの中でぼくのような子どもまで見てくれたのかいつも不思議でしたが勇気が必要なときにはいつも先生が側にいてくれてうれしかったです。これからも不安なときは側にいてください。よろしくお願いします。そろそろ疲れたので終わります。

 彼に会ったのは3歳半の冬。最初にそんなに長くは生きられないという説明を受けてから彼に会った。その彼の幼い頃の思いや生きることをめぐる覚悟をこんなに明確に聞いたのは初めてのことだ。3歳児にワープロができるのかと疑っている余裕などなかった。残された時間は短いかもしれなかったからだ。そして、2、3度ひらがなを教えた後、ワープロに挑戦し、わずかに動くあごで成功した。しかし、その頃すでに彼は自分の命についてしっかりとした自覚を持っていたのだ。目の前の10歳の少年は、りっぱな一人前の存在だった。
2011年12月24日 10時13分 | 記事へ |
| 小児科病棟 |
2011年12月12日(月)
大越桂さんのこと
 仙台で研究会が開かれた合間の時間に、大越桂さんのお宅を訪問させていただいた。大越桂さんのことを初めて知ったのは、2008年の秋のこと、私が初めて東田直樹さんの姿に接した講演会で、大越さんはビデオで出演しておられた。そして、それから半年後、大越さんの著書『きもちのこえ』が出版され、大越さんの生い立ちや筆談にいたるプロセスをつぶさに知ることになった。本を読んで、あまりの感動にすぐさま感想のメールを送って、返信をすぐにいただいたが、なかなかお会いするチャンスはめぐってこなかった。
 その間にも、ドキュメンタリーの出演など、大越さんの積極的な社会への働きかけの姿には、励まされてきた。
 そして、今年の3月、東日本大震災が起こった。大越さんのお宅もいろいろ被害があったようだが、幸い、ご家族もご自宅も無事だったとのことだったが、たいへんな不自由をしいられる日々だったとのことだった。
 そんなある日彼女のブログに大震災の詩が掲載され、そのうちにそれは合唱曲として、すばらしい作品になっていた。
 野田首相が所信表明演説で紹介していたのは、この合唱の歌詞だった。
 こんなふうにして、一歩ずつ確実に障害の大変重い人たちの心の世界を世の中に認めさせるための仕事をされてきた大越さんにお会いするので、たいへん緊張しながらの訪問だった。
 それなのに、お昼に、よせばいいのに研究会に一緒に参加した東京の先生とビールを飲んでしまっていたので、いささかあせりながら桂さんのベッドサイドに向かった。最初のごあいさつを交わして、桂さんからさっそく、「先生お酒くさいですね」と言われてしまった。やっぱりばれたか…という思いと、その言葉にむしろ、たいへん親しみを覚えて、そこから一気に話に花が開くことになった。大越さんのブログでは、光栄にも「心のバリア、ゼロ!昔からの友人モードでした〜」とご紹介していただいたのだが、最初にそういう私を引き出したのは、桂さんの心の広さだったといっても過言ではない。
 お父さんやお母さん、そして弟さんともたくさんお話をさせていただいたた。当たり前のことだが、語り尽くせないドラマがあって、今のご家族の姿がある。そのドラマのいったんを肌で感じさせていただいた。
 おいとまする時に、「本当は作家の偉い先生にお会いするという感じで緊張して来たんですよ」という私のセリフに、「詩人といってほしかったわ」と楽しく返された。
 私は桂さんとは、30歳以上も離れているけれど、力強い仲間を得たという気持でいっぱいでお宅を後にした。
2011年12月12日 00時13分 | 記事へ |
| その他 |
2011年12月10日(土)
東田直樹さんの講義
 大学の授業に、自閉症の作家東田直樹さんを招いた。授業は、2,3年生を対象とした授業だったので、今年高校を卒業した直樹さんより一つないし二つ年上の学生が受講者だった。そして、きんこんの会からは、4人のメンバーが参加し、町田の青年学級から自閉症と呼ばれるEさんも参加した。パワーポイントであらかじめ準備した原稿を、自分で読み上げながら、東田さんは、堂々と講義を行った。そして、いったん彼の講義が区切りがついたところで、まず、きんこんの会のメンバーやEさんとの質疑応答がなされ、その後、学生たちの意見を聞いていった。学生たちも懸命に彼の講義を聴き、精一杯彼に問いかけた。
 この日、参加者の中に、小説と映画「ぼくはうみがみたくなりました」の原作者山下久仁明さんもいらっしゃった。自らの息子さんをモデルにした作品だが、残念ながら、息子さんは中3の最後の春休みに電車事故で亡くなっていた。山下さんのコメントは、息子さんの気持ちを聞いてみたかったという深い言葉だった。
 授業の後、部屋を移して懇談の場を持った。障害は違うけれども、コミュニケーションに困難を持ち、援助によって初めてコミュニケーションが可能になった者どうしとして、新しい絆が生まれた会となった。
 
 
2011年12月10日 00時39分 | 記事へ |
| 大学 |
2011年12月03日(土)
「早く人間になりたい」 妖怪人間ベムの悲しみ
 最近、私が小学生の頃アニメで放映され、主題歌とともにずっと忘れずにいた妖怪人間ベムが実写版で放映されている。子ども心に感じていたものが何だったのかはよくわからないが、あれから40年あまりの時を経て、私には、忘れられないセリフ「早く人間になりたい」が、全く違った意味をもって響くようになった。それは、「人間として認められたい」という表現が、多くの障害の重い方々の言葉にあったから。そして、ある意味でひやひやしながら妖怪人間ベムの放送を見つめていた。
 すると、さっそく、何人かの人がこのセリフについてコメントをしてきた。

私たちは人間あつかいされていないのでまるで妖怪人間ベムですがはやく人間になりたいという言葉はまさに私たちの気持ちです。自由ばかりが冒険の合い言葉ですが、早く人間になりたいこそが私たちのほんとうの気持ちです。わがままではなく凡庸でもいいからぼろぼろでもいいから人間になりたいです。なぜばらばらになってしまうのはつらいですが未来を信じたいです。わずかでもがんばるきもちがでてきましたよかったです。

 人間になりたいという言葉が最近よく聞かれますが何も知らない人たちはわからないと思いますが私たちはとてもせっぱつまった気持ちで聞いています。何とかして私たちを人間として認めさせたいので理想をかなえ早く人間として見られたいです。まだまだ私たちは人間として認められていないので早く何とかしたいです。私たちにとって理解されない悲しみは学校時代から変わらないので早く認められたいです。人間として認められる世の中を早く実現させたいです。小さい時からの願いです理想を早くかなえたいです。(…)私たちにはその言葉の意味がよくわかりますが私たちだけですね、そこまで考えているのは。(ドラマは)見てはいませんがコマーシャルで聞いて驚きました。ぜひ番組も見たいです

 人間になりたいというセリフがありますがまるで僕たちのことのようでつらいです。理解されないつらさやびっくりしたのは理解されようとして頑張ってもなかなか理解されないつらさです。楽しいことは家族と過ごしている時間です。ほかは楽しいことは少ないです。そうです。なぜなら家族でいるときは全く人間として扱われていますがほかではなかなか人間として扱われませんから。学校では友達といるときが一番楽しいです。はい。お互いに言葉では通じ合えなくても気持が通じ合っていますから。でもそのことは誰も知りません。誰にも知られないまま僕たちは気持を通い合わせています。そうです。はい。こんなにすらすら話せるのにもったいないです。

 ドラマでは妖怪人間ベムたちがなぜ正義を大切にするかも語られる。そこでは、人間らしくありたいからというようなことがその理由だった。これもまた、みんなの言葉と重なり合う。多くの人が良い人間になりたいということやきれいな気持で生きて生きたいと言うことを語る。それは、誰にも認められない自分の存在を自分自身でしっかりと認めるためだということを聞いたことがある。
2011年12月3日 00時45分 | 記事へ |
| その他 |
みんなのあかりコース 東日本大震災の取り組み 11月20日その3
 寡黙な50代のSさんは自分でも作文を書けないわけではないが、あえてパソコンを要求してきた。そして、以下の文章を綴った。

 なぜ津波はすべてを奪っていったのだろう。津波の力に僕は遠い過去のどうにもならない運命の力を重ねている。遠い昔の運命の力は僕の人生を切り裂いた。遠い昔の運命の力は根こそぎ僕の人生を流していった。わずかな明かりは今こうして何でも話せる方法が見つかったことだ。悩みも苦しみもたくさんどこかに流し去り、新しい人生を始めよう。津波もいつか遠くなり、被災地の人にも丸く明るい月が射す日が来るだろう。その日が待たれるけれど今は静かにまだ乾かない涙に耐えていよう。

 津波と障害を重ね合わせた人の文章はたくさん紹介してきた。しかし、Sさんの表現は、50代の方だからこそのものだ。自分の障害をめぐる若き日々のどうにもならない思いと、つらい経験。それを彼は、すべてを根こそぎ奪っていく津波と重ね合わせた。そして、最後に、被災地の方々へ静かな祈りを捧げる。たくさんの苦悩を越えてきた彼だからこそ、涙に耐えるという言葉が深く響いた。

 また、5月のわかそよのステージ上でみずからの津波の詩を紹介された40代のNさんは、次のような言葉を書いた。

 理解できないと思われているのにあんな詩を書いても誰も信じてはくれませんが満足できています。私たちをわかってくれない世の中がこの津波で変わりそうでしたがなかなか難しそうでしたが、そろいもそろって同じことを考えていたのですね。私たちは本当の仲間だということがよくわかりました。わずかな灯りがともったばかりなのでもっともっと考え続けていきたいです。

 これは、先に紹介したMさんやIさんの言葉を聞いて深い連帯感を感じたことを表現したものだ。そして、続けて次の詩を書いた。これは、この日の活動で、亡くなった障害者のことについての記事をみんなで見たことを受けたものだと思われる。

 挽歌

挽歌を一つ歌ってみたい
亡くなった仲間に向けて
まだ僕たちの時代は来ていないのに
見届けられずに逝ってしまった
未来はまだまだ遠いまま
つらい日々はまだまだ続く
だけどわずかな希望は見えている
わずかな希望は理解されて
初めて気持ちが言えたことだ。


 本当は、ここで終わったわけではなかった。たまたま私を急ぎのことで呼びにきたスタッフがいて、そこで、さっと彼が身を引くようにして句点をふったものである。あまりにもやさしい彼の配慮だった。
2011年12月3日 00時24分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
2011年12月02日(金)
みんなのあかりコース東日本大震災の取り組み11月20日その2
 同じグループホームで暮らす40代の女性のMさんと30代の男性のIさんは、次のような文章を綴った。
 まず、Mさんの文章。

 びっくりしました、みんながわずかな希望という言葉をたくさん使っていたことに。初めての人もいるかもしれませんが、涙ばかり流している私たちはみんな希望を大事にしているのでよくわかりました。夏休みは津波のことばかり考えていました。なぜあんなにたくさんの人が亡くならなければいけなかったのか。私たちをまるでわからない日本中の人たちを、だんだん理解してくれそうな人たちに変えてくれそうな気がしていましたが、それは幻だったのかもしれません。でも人間としての煩悩を抱えながらゴンゴンと生きなければならない私たちにとっては夏までの日本人はとても素敵でした。よい心が人間には備わっているということがわかりました。

 そして、Iさんは次のように書いた。

 わずかな希望は私たちをわかってくれなかった世の中が被災地の人の悲しみを理解しようとしていたことです。わずかな希望ですがわずかであっても実現された奇跡のような時間でした。地震と津波を乗り越えてまた世の中は復興するかもしれないけれど、僕たちをまた忘れ去らないようにしてもらいたいです。私たちのことを受け入れられる世の中こそ理想の社会になるはずですから。

 MさんもIさんも、ともに、夏までの時間は、特別だったという。まだまだ震災からの復興は道なかばであり、被災地の人々の苦悩は深いが、少なくともこの関東地方では、意識していなければ震災はすでに過ぎ去ったものであるかのように感じてしまう。そのような中で生まれて思いである。IさんもMさんも、今はグループホームで暮らしているが、そもそもは、都内の他の場所から町田の施設に入所してきた方である。その時点では地域で生きることができなかったことになる。もちろん、今は、まさにこの町田という地域の中で生き、仲間もたくさんできている。お二人とも、けっして流暢とは言えないが、日常生活を過ごす上では、会話に不自由をすることはない。しかし、話し言葉で表現されたものは、内面の言葉の何分の一しか表現されておらず、時には、口をついて出た言葉が意に反していることさえあることをパソコンでの言葉を通して知った。こうした見かけの姿と、内面とのギャップは、どれだけ彼らを傷つけてきただろうか。
 ところで、Iさんに対して、「Iさんが書いた言葉は、Mさんと似ているけれど、それはどうしてなのでしょうか」とあえて尋ねてみた。すると答えは次のようなものだった。

 Mさんとは一緒にテレビを見たりしてそういう話をしましたから同じ意見なんだと思います。

 なるほごと思った。仲間だけの場面だったら突然流暢に話すというわけではないだろう。しかし、ともに本当は語りたいことをたくさん持っていてもうまく表現できないことを互いに痛いほどわかり合っているから、短い言葉が深いメッセージを伝えあうことを可能にしているのだと思った。
 いずれにしても、夏までの「奇跡のような時間」をただの奇跡として終わらせてはならない。大変困難なことかもしれないが、東日本大震災からの復興が新しい社会の原理を伴うものであることを節に願う。原理とはただ、MさんやIさんを大切にする社会ということだけである。
2011年12月2日 23時58分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
みんなのあかりコース 東日本大震災のとりくみ 11月20日その1
 町田市障がい者青年学級のみんなのあかりコースでは、3月の成果発表会に向けて、東日本大震災をテーマに取り組んでいくことにした。そこで、11月20日の活動では、この半年間に青年学級やとびたつ会のメンバーが折りにふれて書いてきた震災に関わる文章をみんなで読み合って、それぞれが作文を書くことになった。独力で原稿用紙に向かったかたももちろんいるが、パソコンによって作文を書いた人もいる。
 まず、この日、もっとも衝撃的だったSさんの文章を紹介する。Sさんは視覚障害があり、いつもガイドヘルパーさんといらっしゃる。まだパソコンに取り組んだことはなかったが、みんながパソコンに向かう様子をみて、ぜひSさんの気持もパソコンで聞いてみたいとおっしゃった。そこで、さっそく挑戦した。彼がさっと綴った文章は、以下の通りだ。

 若くないけれど僕は地震の時にはとても感動したことがあります。唯一の希望という言葉が今日は語られましたが、僕もそのことばかり考えていたのでとても共感しました。僕も目が不自由なのでもし津波が来たら逃げられないと思いますが、何度も考えたのは母のことです。もし僕のために母が逃げ遅れたらどうしようということです。僕は母にはなるべく逃げてほしいです。私のために自分の人生を使い果たした母が僕のせいでなくなるのは耐えられませんが、まなざしを見ていると申し訳ないのですが、私を置いて逃げてほしいです。なぜなら僕が唯一母にできることはそれだけだからです。

 Sさんのお母さんのことをよく知っているガイドヘルパーさんは、ひときわこのSさんの思いが心にしみわたったようだった。もう40代の半ばを過ぎたSさんのお母さんだから、ほんとうにご高齢で、文字通りSさんのためにその人生を捧げてこられてことだろう。そのお母さんに向けたあまりにも深い思いだった。

 
2011年12月2日 23時47分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
臨時のきんこんの会のお知らせ 12月9日金曜日
 直前のお知らせになりますが、12月9日に東田直樹さんを授業にお招きしており、それに合わせて臨時のきんこんの会を開催して、講義のあとに、懇談会を行いたいと思っております。
 教室は、1時10分から本館2階AV1教室、2時50分から同じ階の410番教室です。
2011年12月2日 23時42分 | 記事へ |
| 大学 |