青年学級では、今回もたくさんの人がパソコンで気持ちを表現した。その中から、詩として表現されたものを紹介したい。
まず、自閉と言われて施設で暮らすH.Yさん。彼は、言葉を口にすることの少ない人だ。
しろいきたかぜしろいゆきをつれてやってきた
ひとりぼっちのこのぼくに
しろいきたかぜちいさいぼくにしろいゆきをくれ
さびしさのじかんをわすれさせてくれた
いいしろいきたかぜはきっとことしもふくだろう
しろいゆきをふらせてぼくのさびしさをわすれさせてくれるだろう
きたかぜをまちながらきたにむかってぼくはさけぶ
きたかぜにむかってぼくはいのる
いいきたかぜいいひとにしてくれと
いいひととめぐりあわせてくれと
いいじかんがながれ
いいじかんがながれさり
きたかぜはゆめのようにきえたが
ぼくのこころにはみたこともないようなねがいのじかんがのこされた
かんしゃしようきたかぜに
かんしゃしようゆきに
みたこともないじかんをたいせつにしていきたいとおもう
いいじかんをちいさ
最後は、ちょっと時間がなくなってしまった。
次は、いつも、明るく大きな声で歌うK.Nさん。彼は、今回が初めての挑戦だった。先に語られた言葉とともに、詩を紹介する。
うれしいにんげんとしていきて
いきていきたいのできもちをつたえたい
ちいさいころからのゆめでした
ちいさいときからのねがいでした
ちいさいときからほんとうはわかっていた
ちいさいときからきもちがつたえたかった
いいきもちです
いいたいことがいえてうれしい
ほんとうはきたくしたいけどしかたありません
かあさんにめいわくをかけてしまうから
ないしょにしておきます
きもちがいえてうれしい
きもちがつたえたかった
だれかにつたえてね
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
いいたいことがいいたかった
つきあってほしいのは×××さんです
つたえたい
じぶんのきもちがいえたらうれしいとおもってきました
いえてうれしい
きいてほしいことがあります
ちいさいときからじぶんのきもちをつたえたかったのでじぶんをつたえられてうれしい
じをおぼえたのはにねんせいのときです
じをおぼえてもかけなくてくやしかった
いいいちにちになりました
いいじかんです
なかなかりかいしてもらえません
ざんねんです
ちいさいころからのゆめでした
くるしいきもちがきえないときは
そらをみあげてみよう
にんげんだからつらいきもちにまけそうになるけど
きぼうをすてずにいこう
きぼうのきたかぜはきっときたからふくだろう
にんげんとしてうまれてのぞみをすてずにいきていきたい
にんげんとしてきぼうちいさくかかげながらいきたい
ひとそれぞれのいいところをたいせつにしていこう
ちいさいなねがいでももちつずけていこう
しろくかがやくねがいだけをたいせつにしながら。
次は、ふつうに会話をするS.Nさん。自分からパソコンで詩を書くと言ってきた。
しをつくったのできいてください
かわいいたけのしげるみどりのはやしに
みようとしてもみえないみどりのかわいいふしぎなこどもが
もがきながらすいこまれていった
きいたこともないようなこえをだしながら
かわいいあんでるせんのひととゆめをみながら
いいにんげんになろうとしてた
もとのじぶんのすがたをそうぞうしながら
やさしいかぜがふいてきて
においのきれいなかぜになって
いちばんにおいのいいにんげんをあこがれながら
ながいさすらいのたびにさそわれて
いいちいさいわたしをゆめみながら。
次の方は、いろいろ言葉は話すことができるH.Sさん。口にする言葉は、定型にはまっているが、書くことはまた別だった。彼からは、以前、すてきな犬の絵を見せてもらったことがある。もう亡くなった犬のことだ。その詩を作っていないかと尋ねると、作っていると言って聞かせてくれた。
しろいしっぽのころがしんできれいなはながさいた
いまごろころはてんごくできっと
きれいなはなにかこまれているだろう
ひかりのなかをかけまわっているだろう
いいかぜにふかれていることだろう
しろいふさふさしたにおいのしずかないきです
べてをいろどるだろう
しろいいろはねがいのいろ
きぼうをちいさくつむぐいろだ
ひかりのいろだ
しろいいろのきぼうをきいて
ぼくにいいきぼうをあたえてくれるだろう。
最後は、車いすのK.Hさん。場所は、居酒屋である。
にんげんとしていきていきたいとおもうきもちはおなじです
にんげんなのできもちがあります
にんげんとしてきもちをきいてもらいたいです
あたらしいさけびをきいてください
ちいさいちいさいねがいのはながきれいにいいはなをさかせ
きれいにきれいにきもちをかえる
いいちいさいわたしはじぶんのいのちをさかせるために
いのりをささげる
きぼうのじかんがすぎていき
ちいさいじぶんのひとりのゆめが
しずかにしずかに
においのいいちいさいねがいのはなをさかせる
きりがなくちいさいきぼうでもじぶんのたいせつなもの
にんげんとしてのさびしさをなみだのうみにしずめ
じぶんのなみだをたいせつにききとり
いいねがいをかたりながら
さびしいねむりを
えられないようなよろこびであかるくそめる
あかるいよろこびはちいさいじぶんのなみだのおかげ
ちいさいじぶんのかちとったゆめのあかし
ぬいぐるみといえるようなあかるくないちうさなじぶんのかこのくるしみをこえて
あしたにむかってちいさくひらく
びろうどのようないいはなだ
いいじぶんがすくないちゃんすをものにして
かちとったかんどうてきなすがただ
多くの人がいろいろな形で言葉を奪われてきたということに慄然とする思いがする。
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2009年2月17日 23時49分
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事故で体の自由を奪われてしまって1年半ほどの時間が経過した○○君と再会した。今回は、担任の先生の希望で、数の問題と目の見え方の問題を尋ねてみるところから始まったが、あらかじめ書くことを用意していたのだろう、私たちの問いとは別に、次のようなしみじみとした文章を最初から綴った。
じっとしているといるととおいむかしのことをおもいだします
きおくにのこっているのはちいさいころのおもいでです
いまでもあざやかによみがえってきます
いいおもいでばかりです
すてきなのぞみをたくさんもっていましたけど
きぼうはかなわなかったけれど
ふしぎといいおもいです
きぼうがとぎれてしまってもきぼうがわずかにでものこっていれば
きっとにんげんはいきていけるのでしょう
たとえびさいなきぼうでも
きっとちからをあたえてくれるのではないでしょうか
きぼうのみちをあるいて
いいじんせいをいきていきたいとおもいます
きっといいじんせいがおくれれるとおもいます
ぎりぎりの状況を引き受けて生きようとする少年の魂の底からの言葉だった。
そして、次のような感想をはさんだ後に、私たちの質問への答えが書かれた。
いいきもちです
いいたいことがきちんといえてすばらしいほうほうですね このほうほうは
きゅうにすうがくのことをきかれたのでいまはうまくこたえることがむずかしいですがだいたいのことはわかります
ただみることができないのでこまっています
きごうをつかったすうがくはまだなれずにおわってしまってしまったのでよくわかりません
かんがえかたがしりたいです
ちいさいころからさんすうはとくいだったのでやりたいです
めはよくみえませんがちかくのものならすこしはみえます
じっとみつめることができません
いつもせんせいがみせてくださるちいさなもじはみえませんが
きれいなえはみえます
きっときれいなえのほうがみやすいのでしょう
きっともじはみつめなければいけないからだとおもいもいます
かおならわかります
じっとみつめるひつようのないものはちかくならわかります
非情に的確な答えをくれた。特に見え方については、以前の見え方を知っているだけに、現在の状況の説明が非常にわかりやすい。生まれつきの障害の方の場合は、両方の見え方を知っているわけではないので、なかなか私たちがどう見えているかを理解しづらいのとは対照的だ。これまで、おそらくこういうことなのだろうということの明確な答えがここにあった。
この後、手をとってア行から聞いていう方法を紹介し、その方法で、自分がわかる範囲でいちばんむずかしいような計算の式を作ってもらい、自分で答えてもらった。効き方は、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、0、記号」と聞いて、記号が選ばれたら、「+、−、×、÷、分数の線、小数点」と聞いて選んでもらった。そして、書かれた式は、3/8÷1/5=15/8 であった。彼の論理的思考の力が失われていないことも改めて明らかになった。
そして、手での会話しながら、君の言葉はきっと仲間を励ますだろうし、少しずつだけど他の人たちのところに届けているということを伝えると、「ともだちにきいてもらえるとうれしい」というようなことをいい、ともだちとは、以前からの友だちとまだ会ったことがないけれど同じような状況にある人たちということだった。
ベッドの周辺に限られた彼の世界だが、言葉は、もっともっと彼の世界を広げていくことだろう。
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2009年2月17日 13時04分
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