わずかな手の動きを読み取って2時間近くかけて、ようやく30文字くらい読み取れるようになってきた☆☆さんに、手をとって、軽くふりながら「あかさたな」と聞いていく方法を試してみた。すると、あんなに難航していた読み取りが、とても簡単にできるようになった。以下は、担任の先生が書き取ってくれた文章である。
うれしい ねがっていました かんたん じぶんのきもちをほんとうにつたえることができたらうれしい
(担任の先生とやって)
らく
(再び私と)
しんねんあけましておめでとうございます ことしもよろしくおねがいします
きせきのようです ながねんきもちをつたえたかったです にんたいしてきたけどこれできもちがつたえられます きぼうがでてきました なんねんもけんとうしてきてよかったとおもいます きっとかなうとしんじていました まるでゆめのようです ねがいがかなってしあわせです
(おかあさんと)
と
(私がひきついで)もよこれがわたしのことばです
きいてください りかいしてくださってありがとうございます
(私が「ともよ、はともだちのこと?」と聞くと、)
はい
(母さんに伝えたいことは?と聞くと)
いつもわたしののぞんでいることをたいせつにかんがえてくれてかんしゃしています
ねがっていますわたしのてのあいずがかあさんにもつたわることを きっとできるようになるとしんじています
(最後に)
しばたせんせいありがとうございます ○○くんがまっていますからおわります
そして、となりのベッドの○○くんのもとへ行く。そして、彼にも同じ方法を試してみる。すると、うまくいくではないか。残念ながら、彼の担任先生が書き取ってくれたものは、病室に残してきてしまった。
「ちいさないのちだけど、がんばっていることを日本中の人にしってもらいたい」というような言葉も含まれていた。これまでの、口元でスイッチを押していく方法では、なかなか達成できなかったスピードと正確さで、本当にたくさんの文章を綴った。
そして、一区切りついたところで、☆☆さんのお母さんがから、一つ尋ねてもらいたいことがあると言われた。それは、「急に目が大きくなって心拍が120くらい上がることが時々あるけど、あれは何がおきているの?」という質問だった。
ちからがはいってしまうけどだいじょうぶです すぐらくになります
(担任の先生が「痛いの?」ときくと)
いたくありません
(本当の最後に)
きてくれてありがとうございます またまっています
彼女は、思わず、「きせき」と書いた。おそらく、私が関わっていて、いちばん手の反応がかすかな☆☆さんに対する成功は、本当に奇跡のようだった。
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2009年1月31日 23時27分
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小児科病棟 |
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都内のある肢体不自由の特別支援学校におじゃました。午前中の2時間、4人の高等部の生徒さんと関わらせていただくことができた。みんなそれぞれ、パソコンで文章を綴ることができたが、今回は、必ず、手をとって伝え合う方法を合わせて行った。やはり、わかりやすく、また、やりやすい方法は、手をとりあうものだろうと思ったからだ。スイッチのやり方はなかなかこつを伝えるのが大変だが、手を取り合う方法は、その場で何とか伝えることもできた。一人は、学校のパソコンにすでに私のソフトがインストールされていたので、文章はそちらのパソコンに残っているので、3人分だけ、紹介したい。
ありがとうございます
なぜことばがはなせるとわかったのですか
しんじられません
じぶんのほんとうのきもちをいいたかった
うれしいです
ついにねがいがかないました
ずっとはなしがしたかった
いつあえますか
ちかくにすんでいるのですか
きいてくれてありがとう
(濁点をすぐ選べたことについて)みえた
きもちがつたえたかった
(字の勉強したいですかという担任の先生の問いに)しりたかった
(でも、書けるということは知っていたんですねと私が問いかけると)しっていたけどいえなかった
(好きな曲は何ですか)てがみです
(なぜですか)きれいなかしだからです
じぶんのことばではなしたかった
ねがっていましたきもちをことばでいえるようになることを
いいすいっちでつかいやすいです
ちいさいころからはなしたかったです
のぞんできました
ないてばかり
じのべんきょうがしたかったです
いいきもちです いいたいことがいえて
(字は)ちいさいころにかあさんがおしえてくれました
ねがいがかなってうれしいです
ちいさいころからのゆめでした
またきてください
ありがとうございます
最後の生徒さんは、終わったとたん、泣き始めた。あわてて手をとて理由を尋ねると「うれしいからないた」とのこと。思わずこちらもぐっと胸にこみあげるものがあった。そして、こういう小さなひとつひとつのことが伝えあえれば、本当にいいなと思った瞬間だった。
短い時間だったけれど、みんなこれまでの思いを、それぞれに語った。いい出会いをさせていただいた。
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2009年1月28日 00時48分
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学校 |
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一日、ある学校におじゃました。ゆっくりと学校の雰囲気を味わわせていただくことを目的としていたので、パソコンやスイッチは、控え室において活動に参加した。歩くことのできるお子さんが中心の学校だが、なかに、肢体不自由のお子さんもいた。
絵本が大好きな男の子に求められてとっかえひっかえずっと絵本を読んであげていると、となりに、ちょこんと小1の女の子がすわって、私と男の子のやりとりをずっと見つめている。男の子が行ってしまったあと、その子を膝に抱えて、手をとって「あかさたな」ととなえて気持ちをきいてみた。パソコンとちがって消えてしまうので、うろ覚えの記憶になってしまうが、いろいろなことを語った。
うれしい
ちいさいころからはなしたかった
いいやりかたですね
げんきなこどもがうらやましかった
かあさんにもつたえてください
またきてください
というような内容の言葉をたくさん語ってくれた。また、絵本をとっかえひっかえ読んでいるのをおもしろそうにみていたけど、どうしてと尋ねると、
たくさんきれいなえをみることができるから
と返事がかえってきた。
担任の先生も、ずっと見守っていてくださって、その学校のあたたかい雰囲気もあいまって、とても、穏やかで密度の濃い時間を味わわせていただくことができた。
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2009年1月28日 00時36分
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前回、嵐のような感情を、詩によってしずめた小5の女の子は、今回は、いくぶん穏やかに、食事についての質問から始まった。
きいてもらいことがあります
たべにくいものをどうしてたべなくてはいけないのでしょうか
きらいなものです
ちくわやふですかたくしまっているのでたべにくいです
(そんなのあまり入れないけどとお母さんがおっしゃると)
しるものにはいっているものです
ちいさいときからなぜだろうとおもっていました
月並みな答えしかできないので、しっかりと最低限の量を食べることと栄養のバランスを考えてのことで、誤嚥などしたら、かえって大変だからそれ以外の理由できらいなものを食べさせるということはないと言った。そして、それだけで終わらせるのはと思い、多くの人が食べることをめぐって苦労しているあることについて説明した。それは、自分がすべての人を受け入れたいと考えているのに、どうしても、うまく食べさせてもらえない人のことを拒否してしまうことがあって、困るということを言う人がけっこういるということである。また、ここで、お母さんと手で話す方法を勧めてみた。手をつないで「アカサタナ」と言って振りながら、力を読み取る方法だが、その場でお母さんに名前を伝えることはできた。こんなふうにして、食事をめぐる細かなことも伝えあえるといいねということと、大人になったら、自分はこんなふうに食べさせてほしいと堂々と言えればいいんだよと伝えた。そして、彼女は次のように書いた。
ねがいがかないそうでよかったです
ひとりでいろいろいろかんがえてきたのでよかったです
しばたせんせいはどこでたべさせているのですか
きょひしたくてしているわけではないのでわかってほしい
話を変えようかと促すと、次のような詩が書かれた。
ふしぎなかぜがふいてきました
じぶんをつつんでのぞみをはこんでくるかぜです
ちいさいころのあどけないそらのようなこころを
なきむしのちいさなわたしにしんじさせ
じぶんというよいにんげんになれずにいるにんげんに
きぼうをくれます
ねがいはじぶんというものがいったいどんなそんざいであるのかをたしかめることで
じぶんのいきかたをぬいぐるみのようなきょうぐうからすくいだして
じぶんにあったきもちよりも
ひとそれぞれのいきかたをさがすことです
ちいさいころのみかんせいなわたしに
きもちをしんじてくれたことをかんしゃしながら
きぼうをもっていきたいとおもう
かのうせいというものをしんじていきていきたいとおもう
きっとちいさいころにきいたかあさんのこもりうたのように
かなしいこえがきこえてきて
きぼうのかぜがふくことでしょう
きぼうというものはちいさいじぶんに
ねがいがみたされるようにとふいてくる
きぼうのかぜはみんなのこころにりそうのかぜです
しあわせはちいさなころからふいていた
ふしぎなかぜはちいさいじぶんにふいてきて
じぶんをしんじるようにふいてくる
ゆめこそほんとうのきぼうであり
きぼうがしんじつとなることをねがう
ちいさなじぶんにねがいのとおりのうつくしいものが
はやくやさしくかないますように
ちいさいじぶんがもっときぼうにみちたじんせいをおくれるようにといのる
ちいさいじぶんがじぶんらしくいきられるようなきぼうがほしい。
最後は全身の体を抜ききって眠ったような状態になり、そして、そのまま本当に眠ってしまった。彼女をつつみこんでふいている風は、まるで、そのまま夢の中でも拭いているかのように、安らかな寝顔だった。
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2009年1月26日 00時45分
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☆☆さんは、最初からさっそく詩を書き始めた。まず、最後に彼女が詩について行った説明から紹介しよう。
あたらしいとしのはじまりをいわってしんねんのちかいをかきました
わすれないであしたをめざしていこうとおもいます。
そういうわけで、次の詩は、新しい年の始まりを祝った新年の誓いの詩ということになる。
しあわせあふれてきて
にんげんをしんじていこうとおもう
ちいさいころからじぶんのことがとてもすきだったから
ちいさいじぶんをしっかりもっていきてきたのに
なかなかりかいしてもらえなくていつもさびしかった
みみをすますときこえてくるのはとおいむかしのなつかしいこえだ
ちいさいわたしがちいさいころにきいていたなつかしいかぜのおと
ねがいのとおりのちいさいわたしが
ちいさいじぶんにきかせてやったひとりごとのようなうた
むかしのじぶんをきちんとけんこうなこどものように
じぶんにとってたびとこころのなかでさだめてたびだつ
いいじぶんにするために
かいてからきもちがかるくなった
しんじてもらえたよろこびがのぞみとなって
じぶんにうつくしいみらいをくれた
いいひとになるために
じぶんのちゅうじつのかんがえをあかしていきていきたいとおもう
なんねんでもうちつづけて
ほんとうのじぶんのじんせいをいきていきたいとおもう
かのうなかぎりにんげんとしてのほこりをたいせつに
いきていきたいとかんがえている
しんじつのあいやしんじつのゆめをたいせつにいきていきたいとおもう
みなかったまたこどものころのゆめをもういちどみなおして
ちいさなじぶんにゆめをあたえよう
じぶんのちいさなねがいはちいさなゆめとして
いいものにしていこう。
詩はいったん区切られたあと、さらに次の一文が書かれた。
さいごにちいさいじぶんがのぞみのひかりをつたえられるように
がんばっていきたいとおもう
ぬいぐるみのじんせいにおわかれのときです
ちいさなじぶんねがいのとおりじぶんをしっかりいきていきたい。
今年の4月から社会人2年目になる。去年は、映画にも出演した。かたことの音声言語を発することのできる彼女が、パソコンですらすら美しい言葉を綴るようになったのも去年の今頃だった。
ぬいぐるみの人生に決別し、願い通りの人生を生きていこうとする彼女のこの1年が、また、実り豊かなものであることを心から祈る。
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2009年1月24日 19時50分
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毎回、長編冒険物語を書き続けている○○君が一段落したころ、▽▽君がやってきた。▽▽君は、12月、北風の詩を書いた。○○君はその時、休んでいたので、▽▽君の北風の詩を聞かせてあげた(12月26日の文章の3人目の詩)。
すると○○君は、次のような感想を書いた。
しろいいきというのがとてもよかったね にんげんのきぼうがよくつたわってきました きたかぜはきぼうのかぜだというのはよくわかります くろうしたひとにはわかります ちいさいじぶんとみみをすますときたかぜはふいてきます にんげんにはにんたいだけをちいさいときからしいられたひとに きぼうはちいさいかぜとなって おとずれます きぼうのきたかぜのことはぼくもかんがえていました びっくりしました
○○君は、海賊の物語を書くのに忙しいので、詩のことには話が及ばないが、北風については、深く共感するとともに、同じことを考えていたことが驚きだったようである。
○○君が帰ったあと、▽▽君は、まず、次のようなことを述べた。
○○くんもきたかぜのことをかんがえていたのでおどろきました
なぜみんなじぶんとおなじことをかんがえているのだろうか
ふしぎです
にんげんとしていきてきて にんたいをしているとしんじることができます
にんげんにはきぼうがひつようですから しんじることがたいせつですひとりでにんたいをしてきたのでねがいのきたかぜがひつようなのです
そして、詩を書き始めた。
たんたんときょうというひがすぎてゆき
にんげんとしてねがいをひめたぼくのほしは
なにかをいおうとしてもとめている
きぼうをほんとうにゆめみたひとには
しんじつのきぼうがわかる
しんじつのきぼうは
しんじつのちいさなちいさなよろこびにみちあふれている
しんじつのきぼうをしんじつのよろこびにかえて
ほんとうのじんせいをいきていこう。
4月から、高等部2年生になる▽▽君の、年頭を飾るのにふさわしい詩であった。
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2009年1月24日 19時27分
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20代の女性○○さんは、手を引き合って「アカサタナ」と聞いていくやりとりで、簡単な会話をしたあと、次のような文章を書いた。
あさからかぞえていました
いいうたをききたいけどきいてかしかんがえて
しのいみしごとにしていきていけたらいいなとおもいます
しをつくっています
ちいさいころからかんがえていました
きいてください
少し、わかりにくいところがあるが「詩の意味」を仕事にしていきたいということらしく、詩を作っているので聞いてほしいということだった。そして、2編の詩が綴られた。彼女もまた、北風と希望の詩だった。
しろいしろいきたかぜが
きぼうのしろいゆきを
いきのようにつれてくる
きたのくにのにんげんのきぼうを
じゅうじかのようにせおいながら
きぼうのちいさないきで
ちいさなゆめをくなんこぼれたしょうじょのねがいのように
にんげんのこころにしんじつのおねがいいっぱいとどけるために
ちいさいころからしんじてきたしあわせを
すなおにうけとめるために
きぼうのきたかぜのいきをかんじている。
きいてもらえてうれしいしをつくっているときもちがおちつきます
くなんおおく
きたからのちいさなゆめをまちつずけて
まっしろなゆきをまちつずける
にんげんはちいさなしろいねがいをゆめにかえようとして
にんげんのくなんをちいさなはいいろのくもにかえ
ちいさなみずいろのねがいにかえる
きぼうのきたかぜはしろいいきを
にんげんにねがいをもつようにとつたえる
きぼうのきたかぜはしろいいきをはき
にんげんにしろいきぼうをあたえる。
詩の意味を仕事にしていきたいという彼女の、心の奥にさらに広がる心象風景をもっともっと聞いていきたいと思う。
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2009年1月21日 21時58分
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研究所 |
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小2の○○君は、不思議な文章を書いた。
あい ごうかくすればいいとおもう
いく あいこ
いいこ きにいったひと
いいこです
にせいのいいこ
わかいこたちががっこうでがっきはこにいれてじかんかけてうえのねいろいいえがきかたをした。
あい えいがにでていたかわいいおんなのこ
きれいなかみをしていました
きにいっています
いいおんなのこです
しろいきれいなあたまのかざりをつけてうれしそうにいってしまいました
ひとりきりになって きにかかっていたにおいのきれいなくけけせのはなをきようにあんで いいきもちでいいかみといいねがいをたずさえて ちいさなしあわせをにんげんにもたらすために いいきぼうのかぜをふかせました
最初、まだ、イメージは、断片的なものだったが、途中、じっと考え込むような表情をして、手を止め、しだいに、イメージは、細やかなものなっていった。もしかしたら、これまで、頭の中に漠然と想像したイメージを、細かく言語化するということを、この関わり合いの中で、行っていたのかもしれない。
これまで、彼は、自分でやりたいというような、率直な気持ちをそのまま表現することが多かった。しかし、今回は、自分の心の中に広がるイメージの世界を、一生懸命言葉で表現しようとした。
イメージの世界から、詩的表現が生まれてくる瞬間に立ち会った、そんな感じがした。
こういうことを経て、彼もまた、豊かな詩や物語の世界を語る少年になっていくのかもしれない。
いつも、はがゆい思いが、大きな声や動きになっていたのが、ずいぶんと減って、穏やかになってきたのも、何か関係があったのかもしれない。
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2009年1月21日 01時06分
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家庭訪問 |
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ある先生から、パソコンで話せる可能性があるので関わってほしいと言われた20代半ばの女性が、こんな文章を綴った。
○○(名前)
きもちがいえてうれしい
しんじられない
にんたいしてきました
ふしぎかんがえただけでことばができていきます
ふしぎですしんじられません
ちいさいときからはなしたかった
きもちをいいたかったです
おかあさんかんしゃしています
かんしゃしていますがつたえられませんでした
(率直なお母さんは、「本当かしら」といいながら、「元旦どこ行った?」と尋ねられた。すると…)
ちかくのじんじゃにいきました
(「神社は二日だったけど…」とお母さん。)
いいたいことはねがいをしたということです
ちいさいときからきまっておしょうがつにはじんじゃにいってねがいごとをし
ていました
ひいきにしているじんじゃはしんぐうじんじゃです
(「うちは、ずっと明治神宮に行ってるけど…しんぐうってそのことかしら」とお母さんがおっしゃるので、私が「そうなの」と尋ねると、)
はい
(さらに私が「『神の宮』だから『しんぐう』なんですか」と尋ねると、)
はい
(この辺でお母さんも彼女が書いているらしいことを納得し始めてくださった。)
ちいさいときからはなしたかったです
ちいさいときからはなしたかったけどあきらめていました
ちいさいときみんなのことがうらやましかったです
きもちがいえてうれしいです
(ここでお母さんは、毎年家族で行くスキーについて、どう思っているかと問いかけられた。)
すきーはきたかぜがつめたいけどしろいせかいがすてきです
みたこともないようなけしきがちいさいころからすきでした
ちいさいときからちいさくゆめをつむいできたのでしろいせかいがだいす
きです
きぼうがわいてきました
しばたせんせいはどうしてわたしがことばがわかっているとおもったので
すか
(「おとうさんにもひとこと書いて」とお母さん。)
おとうさんさいきんからだがつかれているようだからきをつけてくださいね
けんこうにきをつけてながいきをしてください
たいせつなおとうさんだからじぶんのからだをさいこうのじょうたいにしてく
ださい
こんどちいさいころにみられなかったしんかいのかんこうにいきたいです
はい
ちいさいときにはのれなかったふねにものってみたい
(グアム島に行ったときのことらしい。)
ちいさいときはじぶんであるけたけどあるけなくなってじぶんのいきたい
ところにはいけなくなってしまってとてもざんねんです
にんげんとしていきていかなければとおもうのでみらいをしんじていきて
いきたいとおもいます
ひかりがさしてきました
きぼうがわいてきました
にんげんとしていきていきたいとおもいます
(弟や妹にもひとことと母。)
(妹に)かあさんにあまりしんぱいをかけないようにしてください
(弟に)×××はたいへんかんがえがしっかりしているのでちゃんとしたしごとについてじぶんのためだけでなくたにんのためのしごとをしてください
ちいさいころからかんかえていました
すばらしいです
きもちがいえてうれしいです
きもちがいいたかった
ねがっていました
ちいさいときからいいたかったです
かんどうしています
きもちかいえていいきぶんです
じぶんとはなにかをかんがえていきていきたいとおもいます
にんげんだからきぼうをたいせつにいきていきたいとおもいます
ねがいをかなえられてうれしいです
このすいっちがほしいです
しばたせんせいくださいますか
しばたせんせいよろしくおねがいします
さようなら
自分とは何かを考えて生きていきたいという言葉には、ただただ、圧倒されるばかりだった。
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2009年1月21日 00時55分
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研究所 |
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手書きで気持ちを伝える○○君は、2編の詩を携えてやってきた。
最初の詩は、12月に亡くなった仲間のことを偲ぶものである。
人はみな 光りにもどり ねむる
人はみな 神のもと 光りのままで ねむる
人を愛し 人に愛され 光り 成長をとげる
君はまた そこへ もどっていったんだね
2編目は、幼い少女を歌った小品だ。
君は わらった
ヒラヒラと キラキラと
君は ないた
ピチピチと キュッキュッと
君は うごいた
スイスイと
スカートをヒラリなびかせて
やさしい母の手をひっぱり
もも色の風を感じ
自由におよく魚のように
詩について、話し合ったあと、少し彼は、今の自分の状況を嘆いた。
そこで話を切り替えて、詩とは言わないまでも、なにげなく、いろいろなものを見て感じていることを話してというと、少し、気持ちを取り直して、花と川の話をした。そして、そんな時、生きていてよかったと感じ、その感動を母に伝えたいために詩を書くと語った。
話は、さらに、仏像の話へと発展する。鎌倉時代の仏像が見たいと彼は言う。私は、仏像をじっくりながめてその感動を生に言葉にしたことはないが、その感動を記した他人の文章ならいろいろ読んだことがあると伝えた。そして、仏像には、たぶん、その時代を生きた人々の、苦しみや悲しみや願いがこもっていると伝えた。彼は、今度は、仏像の話をしたいと行って、さわやかな表情をして、帰っていった。
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2009年1月17日 22時26分
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○○さんは、知的障害の特別支援学校の高等部3年に在籍している。ワープロで気持ちを綴れるようなって今回が3度目だ。学校からの巣立ちを目前にして、「ちいきでくらしていく」ということを繰り返し語った。
いいきもちです
ちいさいころからはなしたかったけどなかなかいえなかった
きいてくれてありがとう
さみしかった
にんげんだからはなしがしたかった
ちいさいころからはなしたかった
ちいきでくらしていくためにゆめをなくさずにいきたい
ねがいはにんげんとしてみんなとなかよくしていくことです
ちいきでいきていくことができるようにみんなとなかよくしたい
ちゃんとしたかんがえをもってひとりぐらしをしたいです
ちいきでみんなとくらしたい
ちいきでにんげんとしていきていきたいです
ききたいこといっぱいあります
なぜひとりでくらすことはむずかしいのですかおしえてください
できるとおもいます
しんじてください
ちいきでいきていくことがゆめです
しんじてください
ちいきでくらしていきたいです
ちいきでくらしたい
みんなとくらしたい
ひとりでくらしたい
にんげんとしていきていきたい
じゆう
だいじょうぶです
ほんとうです
ちいさいときからはなしたかった
願いの強さが、繰り返しの中に、にじみ出ているようだ。そんな彼女の気持ちが、高ぶっているところで、話を切りかえるように、詩を作っていませんかと聞いた。そして、書かれたのが次の詩だった。
ちいさなみがおちて はながさいた
ちいさなはなは ちいさなみをつけた
ちいさなみは ちいさなわたしのゆめ
たまのようなひかりがさして
にんげんを にんげんとしてみとめてくれた
ゆめのようですふしぎです
にんげんとしてみとめられてうれしいです
ちいさいころからのゆめでした
詩を書き始めると、彼女の顔は、輝きを増した。小柄であどけなさが前面に出ている彼女が、そのときは、もう、りっぱな女性の顔をしていた。
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2009年1月17日 22時24分
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○○さんは、冒頭から、次の言葉で始めた。
きたかぜとわたしというしをつくりましたきいてください
そういえば、彼女が「のにさくはなのように」という詩を書いて私たちを驚かせたのは、2年前の1月のことだった。
ちいさなわたしにきたかぜがふく
にんたいしてきたわたしにとって
きたかぜはしんじつをつたえるかぜです
ちいさいわたしをつつみこみ
ちいさいわたしはちいさくわらう
みみをすますときこえるのは
みみのきこえないひとのねがいだ
ちいさいわたしはいちずに
きのうのさわることのできないゆめをおいもとめる
ちいさいわたしはねがいをねがったにんげんや
ねがいをわすれたにんげんたちに
にんたいのすばらしさをしずかにつたえる
ちいさいわたしはしずかにきたかぜのこえをききながら
ひとりにんたいをつずける
きたかぜはゆきとともにやってきて
ゆきのちいさなつぶでにんげんとちいさいわたしを
ひっそりしろいねがいにかえる
ちいさいわたしは
ちいさいころのちいさなねがいをしずかにしのびながら
しろいみみをつけたしろいきたのくにのしかに
ひとりねがいをたくす
ひっそりとしずまりかえったゆきときたかぜのなかで
いいちいさいわたしは
しろいゆきとともにきぼうのきたかぜのおとをきいている
いいちいさいわたしは
ねがいのみちあふれたくうきのなかで
しろいゆきをみつめながら
にびいろのそらからおちてくるひとひらのゆきをみている
りんとしたくうきのなかで
ちいさいわたしは ゆめとねがいにみたされて
にんげんのしあわせをもとめる
ちいさいわたしは
しずかににんげんのひとりとして
しずかにゆめをみている
ひとりのわたしはねがいをねがいながら
ちいさなゆめをつむぐ。
「にんたい」について、友とリレーのようにして意見を交わし合ったのは、先月のことだった。そして、多くの同じような状況ある人たちのように、彼女もまた「きたかぜ」と「きぼう」、そして「ちいさいわたし」について語る。この冬はまだみぞれ程度しか降っていない。本当に雪がふりつもる時、彼女は、願いを願いながら夢を紡ぐことだろう。
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2009年1月17日 22時00分
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高校1年生の○○さんは、楽しげに、会話をするようにワープロで文章を綴り始めた。
あけましておめでとうございます
しつれいしてしまいました
ひきしまったすがたでおあいしたかった
ぜひこのからだをじきにほそくしてみたいとおもいます
きりすときょうのじゅうじかのぺんだんとがほしい
お正月で1sふとってしまったらしく、そのことをめぐる話と、ほしいペンダントの話。ずっと、けらけらと言っていいような笑いを浮かべながら書いていた。
そして、突然、こんな質問が私に向けられた。
じゅうじかはなぜきりすときょうにかんけいあるのですか
直感的に本人はある程度知っているはずだと思ったので、知っているのではないですかと問い返すと、次のような答えが返ってきたのだが、表情はいっきにまじめになり、何度も何度も手を止めて、今までになく長考する様子がうかがえた。そして、次のような文章が書かれた。
たぶんきりすとがはりつけになったときしんでからふっかつしてじんるいをすくったといわれていますがほんとうですか
にんげんはくるしみをにんたいすることがおおくてきりすとがいうみたいにはすくわれていないとおもいます
にんげんにとってくるしみはひつようなものなのでしょうか
ちいさいときからずっとからだがうごかないでにんたいしてきたわたしはずっとくるしくかんじていましたが すくわれたのはしんじつのことばをしったからです
にんたいこそしんじつにいちばんちかいということにきがついたからです
ひかりをもとめてきぼうをいのりつずけるということがとてもたいせつだとおもいます
にんたいこそがだいじで しんじつはほんとうのにんたいをしっているひとにしかわかりません
さらに熟考している様子がうかがえたが、もう時間だったので、いったんワープロを終えた。そして、もしかしたら、ここから、詩みたいなイメージが広がっていくのと聞くと、そうだと言っているような気がしたので、どんな花が出てくるのと尋ね、手を握って、軽く動かしながら「アカサタナ」と聞いてみた。すると、力を入れて送ってきた合図によって得られた答えは、「ゆり」。残念ながら、そのイメージを書いてもらうことはできなかった。
十字架のペンダントから思わぬ深い方向へと発展していった、今回の文章だが、彼女が発見したことは、十字架のペンダントの世界に限りなく近いということを、彼女自身は知らない。
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2009年1月17日 00時53分
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自主G多摩1 |
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盲学校の中学部の少年と、2スイッチワープロで関わった。彼は、弱視と肢体不自由があって、発声は、ゆっくりと単語を発音する。聞き取りにくい部分もあって、自由自在にコミュニケーションできるというわけではない。日常的には、自分一人でフィルムケーススイッチを両手に握って独力でワープロを使いこなしている。今回は、スピードがあがる援助で、関わってみた。
たのしみにしていました
いいたいことはちいさいときからことばできもちをつたえたかったということです
○○せんせいとたのしくべんきょうおしています
ぎもんあかしてくれていいじかんです
あきらめてはいけないとおもっていますがきもちのとおりにからだがうごいてくれないのでこまっています
かんがえをさいごまでずっとあきらめないことがたいせつだからどんなときでもがんばっています
こくごがすきです
しをちいさいときからつくってきたのできいてください
ねがってきました
ことばというものできもちをつたえることを
くなんいっぱいのりこえて
ちいさいぼくはにんげんとしていきてきて
ちいさいぼくはきぼうをたいせつに
きぼうをこころにひめていきてきた
じぶんぎせいにならないように
じぶんぎせいにしないでがんばりました
じぶんしんじてがんばりました
きのうのねがいはひをともして
きのうのちいさいくるしみを
しずかに(ゆめにかえる)
時間がなくなったので、()の中は、手を握り合って、こちらが「アカサタナ」と尋ねていく方法で聞き取ったものだ。この方法をどうしても、彼と先生に伝えたかったのだが、彼の詩が長くて、最後に、ちょっと入れてみた。思いのほか、スピードも速く、反応もはっきりしていた。
詩については、こちらが聞いたわけではなく、自分から聞いてほしいと言われたものだった。一人で、暖めてきた思いが、切々と伝わるものだった。
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2009年1月15日 07時34分
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学校 |
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半年ぶりに、K君、N君兄弟の家を訪問した。まず、半年前とだいぶ方法が進歩して援助のスピードがあがったことを報告し、弟のN君から始めた。
さっそく、N君が書いた言葉は…。
うれしい きもちいい いきなりできたのでかんげきです ききたいことがあります きちんとしたじんせいをおくりたいけど どうしたらいいですか じぶんでかんがえたことを ねがいながらいきていくことです じぶんがちいきでいきていくためには どうすればいいのですか ちいきでいきるのはむずかしいですか
新年早々のむずかしい問いだったが、二つのことを答えた。一つ目は、コミュニケーションがいろいろな人とうまくとれるようになること、二つ目に、ひとりぐらしやグループホームで暮らすための制度や条件がしっかりと整うこととができれば、簡単なことではないかもしれないけれど、できると。そして、手を引き合う方法で簡単なコミュニケーションをとってみた。すると、いともかんたんに手の合図で一音一音拾えていく。お母さんに代わってもうまくいった。そして、彼の感想は、
すばらしいやりかたですね
お母さんとやっている途中でまるでお母さんとやるのをやめるように手を引っ込めてしまったのでその理由を尋ねた。
うれしくてちからがはいってしまいました
ここで、N君に詩のことを尋ねた。するとにっこりとして、次の詩を書いた。
しろいゆきがふる
しろいゆきがつかれたぼくのこころにふる
きたかぜにのっていいきぼうをぼくにとどけてくれる
きぼうのきたかぜはねがいをかなえてくれるきぼうのきたかぜです
ちいさなぼくだけどちいさいきぼうをねがいながら
ちきゅうのかたすみでいきている
いいちきゅうのきたかぜはいいうちゅうのきたかぜだ
しろいゆきはきたかぜといっしょに
きのうのきぼうをかのうせいにかえてきたのくにからふいてくる
きぼうのきたぜしろいゆきといっしょにやってきて
きぼうをぼくにくれる
いいじぶんになるためにしろいゆきはぼくにはひつようだ
いいじぶんになるためにいいきたかぜがぼくにはひつようだ
ちいさいねがいしっかりもっていきていこう。
そして詩についてのコメントが続く。
しはぼくにとってひつようなものです しをかんがえているじぶんじしんと いいたいわをすることができます じぶんじしんをきそずけることができます いいきぶんです
そして、さらにもう一篇の詩を綴る。
きじみたいにそらをとび
じゆうなせかいにたびだとう
いいきぼうをむねにいだいて
きのうのかなしみをきぼうにかえて
きじのきもちはきじしかしらない
しにゆくとりにしのちいさいかなしみをちいさくにおわせながら
きじはそらにとびたっていく
じゆうとねがいはきじのきぼう
しろいねがいをむねにいだき
ちいさなしあわせにむかって
しからのさそいはじゆうにきりすて
いきていこう。
いいきぶんです きもちいいです いいほうほうですね いいちからがわいてきました
そして、兄であるK君に交代した。
きもちいい ひとりでやるよりかんたんです げっとしたかんじですきぶんがいいです ふしぎですかんがえただけでことばになっていきます ちいさいころからのゆめでした きもちをことばでつたえることが きぶんがいいです きもちがすらすらかけてきぼうがわいてきました きぼうがねがいにかわりました きちんとしたことばをもっているのに ひとにばかにされてくやしいです
そして、詩についてのこちらの問いには、次のように答えて、ものがたりを作った。
しはつくっていませんがものがたりならつくっています にちじょうせいかつのつらさをわすれるために じぶんのきもちをしずめるために じぶんのちいさなねがいをたいせつにするために じぶんのゆめをたいせつにするために にんげんとしてひんかくをうしなわないために いいきもちです
ちいさなしじんが ねがいをゆめにかえるために たびにでました
しじんのひとりごとに ちいさいころのじぶんの
ちいさな いいねがいがきこえてきました
しじんのしはしずかにじめんにしみこんで
じめんにきえていきました
しじんのきぼうは
にほんじゅうにすむさびしいひとにきぼうをあたえ
にほんじゅうのしずんでいるひとに きぼうをもたらすことです
じんせいにつかれて ちいさなためいきをついているひとに ゆめをあたえ
ちいさななみだをながしているひとに ちいさなじしんをあたえます
ちいさなきぼうをあたえることはむずかしいことですが
しじんは にんげんにじしんをあたえるためにたびだっていきます
にんげんにはよくぼうがあるので
しじんのねがいはなかなかかないませんが
きぼうにむかっていきていこうとかんがえています
しじんにはいいねがいがたくさんあるので
きぼうをうしなうことはありません
しじんはちいさなゆめを ちいさいちいさいきぼうにかえて
きたをめざしてたびだちました。
手を引き合う方法はK君とも成功。
詩人と物語作家の誕生だ。
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2009年1月13日 00時24分
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家庭訪問 |
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小学生の○○君が、新しい年の始まりのファンタジーを語った。
かいちゅうからきれいなたいようがのぼって
あたらしいさいこうのとしがはじまりました
しずかなとしのはじまりです
にばんめにちいさなとりがとんできて
じぶんのちいさなはねをひろげていいました
きぼうのしろいちいさなちかいをきいてください
いいしらせがあります
しらせのもうひとつちいさなものは
ちいさなにわとりがはこんできました
ねがいのきれいなろうそくをともして
にんげんによびかけました
ちいさいねがいをたいせつにしてください
ねがいはにんげんにはとてもひつようなものです
にんげんはちいさなねがいでもたいせつにできれば
ゆめをもっていきることができます
みんなゆめをもっていきていきましょう
ひかりにつつまれてしろいとりとにわとりは
しずかにとびたっていきました
ひかりをあびてしろいとりとにわとりは
きぼうにみちたくうきのなかをとびさっていきました
ちいさいねがいをいただいたにんげんは
みなみにむかうちいさなふねにのってふなでしました
にんげんはしろいとりとしろいにわとりからもらった
しろくかがやくきぼうをてにしながら
きぼうにみちたいいこうかいをつずけました
きれいなしろいとりは
みたこともないようなきれいなはねをひろげ
にんげんにしたがっていきました
きぼうのこうかいのぶじをみまもるためです
にんげんにはきれいなとりはみえませんが
ゆめをもらっていいねがいがのぞみにかわるのをしんじて
きぼうのこうかいをつずけました
きぼうのこうかいはにんげんにとって
しんじつをおいもとめるたびです
ちいさいゆめはひかりのなかからうまれて
きのうのかなしみをいやしてくれます
ちいさいしろ(…)
イメージは次から次へと言葉を紡ぎ出していくようで、まだ文章は続きそうだったが、力尽きたという感じで、ここで終わってしまった。
「ねがいはにんげんにはとてもひつようなものです にんげんはちいさなねがいでもたいせつにできればゆめをもっていきることができます」という言葉の中に、懸命に生きようとする強い意志を感じる。彼の前途には、嵐の海が待っているかもしれない。それでも、けっして願いを持ち夢を大切に生きていけることを祈る。
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2009年1月12日 06時35分
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自主G埼玉2 |
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10年あまり前から関わってきて、先月、初めて、パソコンで気持ちを伝えられるようになった二人の青年がいる。ともに、知的障害の養護学校に通い、一人は、激しい自傷行為に特徴があり、もう一人は、自閉と呼ばれる状況にあって、二人とも、発語はなかった。手に、目立ったまひがあるわけでもなく、教材次第では、様々な操作も可能だっただけに、2スイッチワープロは、重い肢体不自由をかかえた方々に役に立っても、この二人には、通用しないであろうと思っていた。その二人が、先月から、2スイッチワープロで言葉を書くようになった。私自身も信じられないような思いで、今回も望んだ。
最初の自傷の激しい○○君は、手を使うのを嫌ったので、肩にビッグスイッチと呼ばれる市販のスイッチを押しつけたり離したりしていると、選択したい場所でスイッチがはいりっぱなしになるということで、意図を読み取って文字を綴っていった。そして、以下の文章が綴られた。(句読点をくわえて紹介する。)
あけましておめでとうございます。いいいえがほしい。じぶんのいえで、ずっとくらしていけるいえがほしい。あたまでははなしができていても、くちではいえないのでこまっていました。さそっていただいても、てがつかえないのでつらかったです。きもちがことばでつたえたかったです。かたではなせるとはおもいませんでした。きもちがいいです。ちいさいころからはなしたかったです。ちがうたのしみがみつかりました。べんきょうがもっとしたいです。しりたいことがいっぱいあります。がっこうではちゃんとしたべんきょうしていないので、くやしいです。じゆうがほしい。きぼうがでてきました。なんでにんげんとしていきてきて、いいにんげんらしいいきかたができないのだろうか。くやしいです。てがかってにうごいてこまります。ちいさいときからこまっていました。ちいさいときは、いつかてがつかえるようになるとおもっていましたが、あきらめていました。たのしみは、がっこうでともだちとあうことでした。ききとりができても、こえではなせなかったので、うらやましかったです。きいていても、なにもりかいしていないとおもわれて、つらかったです。きくことができても、はなしができないと、しんじてもらえませんでした。いいたいことはたくさんあったけれど、きいてもらえませんでした。がっこうをそつぎょうしてからもおなじでした。ねがいはきもちをいえるようになることです。ちいさいころからのゆめでした。
これまでの、つらかった日々の思いが切々と語られた。途中、彼は、大きな声で叫び声を上げるような場面もあった。気持ちが、そのまま声になっているのがわかったが、残念ながら、その声は、言葉になってくれなかったのだ。自由への思い、自立への思いも、いたいほど伝わってきた。
また、文章が、一段落したところで、パソコンではなく、彼の手を握って、軽くふりながら「アカサタナ」と言う方法で、彼の気持ちを読み取ってみた。すると、選びたい行や文字で、確実にふっと力がこもってくる。今日、家に帰って聞きたいCDかビデオは何ですかという問いに対して、彼は、
むかしみたびでお。ととろ。
と答えを返してきた。一緒におられた先生方とも、簡単な単語に挑戦し、うまくいった。新しいコミュニケーションの可能性が開けそうなそんな予感がした。
二人目の▽▽君は、とてもうれしそうに入ってきたが、どうも、長いこと座り続けることがこの日はいちだんとむずかしそうで、座っては立ち上がり一回りしてくるということを繰り返しながら、スライドスイッチで文章を綴っていった。
今回は、途中から、いくつか質問をして、会話のように進んでいった。
いいきもち。きもちをいいたかったけど、いえなくてこまっていた。きぶんがいいです。きもちがいいたかった。
(お父さんにひとことお願いします。)
おとうさんいつもありがとうございます。しごといつもおつかれさまたいへんですね。がんばってください。
(お母さんにも一言お願いします。)
おかあさんいつもありがとうございます。からだにきをつけてください。しんぱいしています。
ちいさいころからはなしたかったけど、きもちをうまくいえませんでした。
(どうして手を服の中にしまってしまうのですか。)
かってにてがうごくのをとめるためです。
(服の中に手を入れるようになったのは、高等部からですよね。)
こうとうぶからとくにとめられなくなった。
(文字はいつどうやって覚えましたか。)
こどものときにおもちゃのつみきでおぼえた。
(お母さんから、冗談交じりに、心配なら、態度で示してよと言われて)
おかあさんごめんなさい。
さいきんじぶんがきもちをいえるようになった(…)
最後の文は、まだ、続きがありそうだったが、二人とも、時計の長い針がきっちり12を示すと、さっとやめてしまった。今度理由を聞いてみたいが、次に来る人もいるし、気を遣っていたのかもしれない。
本当に新しい一年になりそうだ。
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2009年1月10日 22時52分
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自主G埼玉2 |
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都内のある通所施設でお会いしている女性が、気持ちを表現できることの喜びを述べたあと、北風の詩を書いた。
すばらしいじぶんのきもちをかけるのは
いしをつたえることができるようになってからなやみがなんでもいえるようになったのでせかいがひろがりました
じしんがでてきました
じぶんのきもちをきいてくれるのでたすかります
ぬいぐるみのじんせいにおわかれすることができました
きたのくにからふくかぜは
すなおなじぶんにねがいがかなうようにとふいてくる
きたのくにからふくかぜはさいはてのくにから
ちいさいじぶんにきぼうをつたえるためにふいてくる
きたのくにからふくかぜは
きのうのじぶんにじしんをあたえ
しらないくにのきぼうをじぶんにくれた
にしのくにからふくかぜは
かなしいこどものこえにみちあふれ
すぎたむかしとすぎたかなしみをつたえてくる
いいたのしいきぼうのかぜは
きたのかなしみをのせてきたのほうからふいてきて
じぶんにきぼうをくれる
じぶんにじしんとゆうきをあたえ
きたのくにからふいてくる
きたのくにからふくかぜは
じぶんにじしんとゆうきをあたえ
ひとりきりのじぶんにきぼうをくれた。
家庭でも、ご両親とパソコンで気持ちが書けるようになり、生活が変わったとのことだ。
重い内容の詩だったが、時折こみあげてくるような笑いとともに、とても満ち足りた表情で書いていたのが印象的だった。
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2009年1月9日 21時32分
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通所施設 |
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「苦難は希望への水路」、「手の中に美しい諦念を握りしめて」、「僕たちはけっして何もするわけでもなくただじっと言葉だけを使って生きてきた。しかも一度もその言葉を誰にも話さずに生きてきた(…)だから、言葉が研ぎ澄まされてくるのは当たり前のことなのです」というような言葉を表現してきた中学生の○○君は、次のように語った。句読点と漢字を適宜使いながら紹介する。
新しい年と時代の始まりの予感がさざ波のように感じられ、いい一年になりそうです。
たくさん夢が、ぬか喜びとならないようにと、希望に喜びを重ねながら、あしたこそ願いがちゃんとした日の当たるところにいけるように希望と幸いとを祈りに変えて、過去は、星空に輝く可能性の綺羅星に変えて、可能性の気づかない苦難が死に絶えてしまうように祈り続けよう。
希望がすっかり昨日の思い出になってしまったら、その時こそ気にしていた素直な希望の死に絶えた奇妙な世界が訪れるだろう。
ついに希望の澄み切った世界が訪れた時、しあわせはどういう形になるのだろう。しあわせは小さな喜びとなって、しあわせと呼ぶ必要もなくなるだろう。しあわせの形は変わったとしても、神さまはきっと願いを聞いてくださるだろう。
しあわせの意味を希望の中に探すのではなく、一人一人の生き方の中に見いだしていかなくてはならない。希望の意味が変わってしまっても、いい希望は、変わらずそこにある。たとえ死は獅子のように襲いかかってくるかもしれないが、小さい僕は、一人苦闘を続けていくつもりです、人間としての希望をかなえるために、小さいと僕と小さい願いしか携えずに。
そして、ついで、彼はこの詩に次のような説明を加えた。
夢のような願いですが、人間が願いをすべてかなえられたらどうなるのかということを考えました。人間は、希望をかなえてしまうと死んでしまうしかないのでしょうか。小さい僕にはわかりませんが、小さい僕も、希望がかなえられる日を夢見てがんばろうと思いました。柴田先生はどう思いますか。
思わず言葉に窮しつつ、私は次のように答えた。すなわち、確かに、すべての願いがかなえられた世界というのを考えることはできるし、仏教的な世界では、一人一人の小さな欲望を越えていくことで、すべての願いがかなえられたような境地を語ることがる。一方、キリスト教的な世界では、自分の小さな欲望や願いがいくらかなえられても、この世界のどこかにはいつも苦しんでいる人がいて、その人たちの苦しみがなくならない限り、自分の願いはかなったことにはならないという考えがある。どちらがいいとか悪いとかではなく、そんなことを考えさせられた、と。
もう時間も迫っていたので、彼は、一言、こう述べて、帰っていった。
わかりました。また考えてみます。ありがとうございます。
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2009年1月8日 13時03分
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自主G23区2 |
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秋以降、おりにふれて、いろいろな人たちに詩を書いてもらってきたが、多くの人たちは、その目的を「気持ちを静めるため」と書いた。ところが、今回の○○さんは、こんな書き出しから始まった。
しをかこうとおもうけどきもちがしずめられなくなるのがこわい
くしんしてくしんしてかんがえていないとできないのでこまっています
どうも、詩を書こうとして、夜寝られず体調を壊してしまうようなこともあるらしい。
そこで、そういう、人に聞いてもらうために頑張って作る詩とは別に、普通に自分の中で自分のために作っている詩はないかと尋ねた。すると答えは「ある」。
そこで、自然に書いてもらった。
ちいさいわたし
ねがいをもってうまれてきて
くなんのひびをいきてきて
ちいさなしあわせをみつけた
きたかぜがきぼうのいみいっぱいおしえてくれた
いきることにつかれたにんげんこそきぼうにちかいと
きたかぜはきたのくにのきぼうをはこんでふいてくる
きたかぜにつかれたひとのきぼうと
いいふしぎなきぼうのねいろをきいた
そして感想を聞くと、
きもちがいいです
かんがえてきたことをそのままかいているから
いいしですか
とのこと。私たちにとっては、彼女の思いがこもったこの詩を言い詩だと思う。しかし、彼女にとっては、こんなふうに自然に考えていたものが、いい詩だとはにわかには思えなかったようだった。
そして、次のように続ける。
かきたいのはいきかたがことばになっているようなしです
くしんしてもなかなかいいことばがうかんできません
きたかぜのことはしぜんとうかんできました
そこで、私は、自分なりに彼女に語りかけた。いい言葉は、頭の中にあってそれを探し出すというわけではないのではないか。いい言葉は、自然とのきちんとした向かい合いの中で、まさに「自然に」生まれてくるのではないか。そして、彼女たちは、様々なハンディを背負っているので、自然とじっくり向かい合い、言葉をゆっくりと暖めることが、できるのではないかと。
そして、こんな言葉でしめくくられた。
かけそうなきがしてきました
つぎはまたほかのしをかんがえてきます
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2009年1月8日 01時25分
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自主G23区2 |
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今回のグループの中で、言葉の表現をしてもらうのに、大変時間がかかってしまった中3の女の子に、ようやくまとまった文章を書いてもらうことができた。物をつかんで操作をすることができるので、いろいろなスイッチ教材を使って、操作から入ろうとしたのだが、かえってワープロにつなぐことができず、パソコンでは、ノンタンの絵本のソフトを食い入るように見るというところで、何とか納得を得るということが続いていた。しかし、今回の文章にあるように、手の動きは、実は、必ずしも意図の通りに動くわけではなく、勝手に動いていることがあることがわかった。紐が好きとか、何でも振り回してしまうと言われるような動きは、意図に反した動きだったのだ。それが、彼女の理解を大きく誤らせていたと言わざるをえない。そうした誤りに少しずつ気づき始めて、前回、ワープロに挑戦したところ、名前と「かわいい」という言葉を書くと、とてもいい感じでやれた。しかし、また、時間が流れ、今回は、1年ぶりの再会だった。この1年の私の変化は、やはり小さくなかったと思う。相手の力をほぼ抜いてもらった状態で、スライドスイッチの棒を握ってもらい、こちらが積極的に小さくスイッチのオンーオフを繰り返していると、選択したいところで、小さな力が加わるという方法は、彼女のように、いったん力を入れてしまうと、いろいろな動きが起こってしまうという人には、特に、なくてはならない方法だ。
そして、今回、いきなり、その方法に挑戦した。すると、最初に名前を書いた時点で、的確に、力がこもってきたのである。
そうして、次のような文章が書かれた。
おかあさんありがとういつも
かのうせいにちょうせんしてくださってありがとうございます
きもちをことばでいいたかった
きもちてでつたえられるとはおもわなかった
(ワープロの音は聞こえていますか?)
きこえています
(画面は見ているのですか?)
みています
きもちがつたえたかったです
きもちうけとめていけじっとにんたいしていました
しんぼうしていたかいがありました
にんたいしてきてよかったです
あかるいあしたがみえてきました
うれしいです
きぼうがわいてきました
てがかってにうごいてしまってがぜんちいさいときからこまっていました
きもちいいです
ちからをいれていないのでだいじょうぶです
(字はいつ覚えたのですか?)
おかあさんがおしえてくれましたこどものころに
(どんな本を読んでもらいたいですか?)
くまのこうーふがよみたい
じぶんできぼうしていいなら くいのないいきかたをしていきたい
じぶんとしてはさいこうのいきかたをしたいとおもうけどなかなか
きもちがいいです
「忍耐」という言葉が重く響く。私も彼女に忍耐を強いてきた一人であるからだ。
彼女のことを誤解させる大きな要因である手の動きについても、的確な説明が本人自身からなされている。彼女のような動きをする人に対して、「いやがっている」「すぐ何でも手を出す」「ひものような物が好き」「気が散りやすい」など、たくさんの、的外れな言い方をあちらこちらで、どれだけ耳にしてきたことか。私自身、すべて、本人の意図的な行動と考えて、その意味を解釈してきたことが、必ずしも本人を大切にしたことにはならなかった。すべてが勝手に動いているかどうかということはまだわからないが、そう見ることが必要な運動は多いようだ。
こうした、とんでもない的外れな関わり合いに彼女はよく耐えてくれた。その「忍耐」が今回の関わりを生んだ。
「自分で希望していいなら、悔いのないいい生き方をしていきたい」という彼女当然の願いの中が、こんなふうに控えめではなく、堂々と語られるような時代を、私たちは、早く呼び寄せなければならない。
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2009年1月8日 01時22分
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自主G23区2 |
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小3の○○君の文章は、次のように始まった
かのうせいをしんじてくれてありがとうございます
ちいさいときからはなしたいとおもってきました
しんらいしていますおかあさんのことを
いいじぶんになりたいとおもいます
すなおなじぶんです
きもちをわかってくれないひとにたいしてもりかいしてくれるひととおなじようにすなおなきもちでせっしたいからです
きぼうがわいてきました
にんげんらしくいきていきたいとおもっていますからきもちをことばでいいたかった
にんげんだからいいたいことがいいたいです
ここで、詩について、みんなと同じ問いを投げかける。もともとロマンチックな言い方を好んできた彼だから、確信をもって尋ねた。そして、次の詩が書かれた。
しろいきぼうのきたのかぜは
どうしてじぶんにかたりかけるのだろう
ちいさいぼくはちいさいころからひとりぼっちだったけど
きたかぜはいつもぼくにはなしかけてくれた
さびしいぼくはにんげんとしてうまれながら
きもちをことばにすることができず
にんげんらしいくらしができないけれど
ちいさいぼくにもきぼうがあることをおしえてくれた
きたかぜはしろいゆきとしろいきぼうをともなって
ぼくにむかってふいてくる
きたかぜはいつもいいきぼうをぼくにはこんでふいてくる。
その後、お母さんから用意された質問にそれぞれ答えていった。その中のいくつかを抜き出しておく。
てれびはつまらないです
いいばんぐみはきたのくにからです
みてみたいです
おんがくはすきです
どらまはきらいです
いいのもありますがころしあいやけんかはきらいです
ひらいけんのおおきなふるどけいです
いいきょくはすきです
がっこうのきょくではかなしいねがいのうたがすきです
そつぎょうしきのうたです
きのうのじぶんにさようならというかしがでてくるうたです
きもちきいてもらいたいし じぶんのきもちがつたえられたらどんなにすばらしいでしょう
きもちをつたえることができるようになるのがゆめです
質が高く、美しいものが好きだということがよくわかる。有名な「北の国から」のドラマは、実際には彼は見ていないそうなのだが、きっと、そのタイトルになみなみならぬ思いを感じるのだろう。
まだ、パソコンは私としかできないが、途中、「あかさたな」と言いながら手を引きあって、簡単な気持ちをうまく聞き取ることができた。きっと彼のことをとてもかわいがっているおねえちゃんが、手を取って、気持ちを聞き出せる日も遠くないかもしれない。
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2009年1月7日 00時50分
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自主G23区2 |
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小6の○○さんは、まず、年頭のあいさつから始まり、気持ちを表現できるようになった喜びについて述べた。
あけましておめでとうございます
ねがっていましたきもちをことばでいえるようになることを
かあさんいつもありがとうございます
いつもはんせいしています
きもちがいえたらいいのだけどなかなかじぶんのきもちがいえないのできにしています
きぶんがかわりやすくていいこでないことがおおいので
きぶんがいいです いいたいことがいえて
いいたいことがいえてしあわせです
きっといつかいえるようになるとしんじていました
かなってうれしいです
きもちをきいてもらえてうれしい
ねがいがかなってうれしい
そして、詩を作ったことがあるかと尋ねたところ、「ある」との返事。そして、次の詩が書かれた。
いいきぼうのきたかぜ
しろいゆきをつれてふいてきて
ちいさなわたしにしろいゆうきをくれた
しろいゆうきはちいさいわたしにきぼうをくれて
ちいさいわたしはきたかぜにむかってさけんで
たびびととすぎてきたきせつのはなしをした
しずかなさけびごえをあげてしまって
きがついたらみたこともないきさきがあらわれていった
ちいさいわたしはおどろいてきたかぜにしつもんした
きたかぜはしらないのですか
きたのくににあんなにさびしいひとたちがいることを
いいきたかぜはこたえた
きたのくにのきぼうはさびしさのきわみにあるひとたちがねがったきぼうです
だからほんとうのきぼうです
きたかぜはきぼうのきたかぜなのです
きたかぜにむかってきたのくにのきぼうをききながら
ちいさいわたしはきたのくにのきぼうに
きっといつかちいさいわたしのねがいがかなうことをいのった
にんげんはきたかぜにきぼうをしろいゆきとともにいただき
しろいゆうきをもらう
さむいのはいやだけどきたかぜはすきです
そこで、先に来た高1と高3の女の子が書いた詩を聞かせた。
たくさんのともだちがおなじことをかんじているのでおどろきました
きたかぜにきぼうをかんじているのがわたしだけではないことがわかってうれしいです
いいしでした
いいことばでした
きぼうがわいてきました
きぼうがきたかぜによってはこばれてきたみたいです
うれしいです
じぶんのきもちがいえるようになってうれしいです
きぼうがわいてきました
ありがとうございます
北の国の希望は寂しさのきわみにある人たちが願った希望だという。あどけない顔をした小6の少女から、寂しさのきわみという言葉がするりと出てくることに、驚きを禁じえないが、これが、彼女たちの体験した現実なのだろう。私たちは、この現実から決して目をそらせてはいけないことを痛感させられる。
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2009年1月7日 00時50分
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感情表現が大きな声や体の動きに出てしまうことで、なかなか言葉を綴る働きかけができずに、時間ばかりが過ぎてしまった○○さんは、今年の春高等部を卒業する。前回くらいから、ようやく、簡単な言葉を綴れるようになったので、今回は、一気に、文章に挑戦してみた。最初は、そのことをめぐる思いが続いた。
うれしいしんじられない
じぶんのいいたいことがいいたかった
きぼうがわいてきました
じぶんのきもちをいいたかった
いいきもちです
きいてもらいたいことがあります
きもちをきいてもらいたいけどちゅういばかりされてしまいます
みためではんだんされていやです
にんげんだからちゃんとかんがえています
いいすいっちですね
きいてもらえてうれしい
ちいさいころからのゆめでした きもちをことばでいえるようになることが
きぼうがわいてきました
いいちからでいいたいことがいえてびっくりしています
かあさんいしをきいてくれてありがたいです
ちいさいときはきもちをいえるようになるとおもっていたけど かないませんでした
やっといえるようになってきぼうがでてきました
いいじんせいにしたいです
そして、そのまま、北風の話になっていく。
きのういいことがありました
きたかぜがにんたいしているわたしにきぼうをすてないようにしなさいといいました
いいきたかぜでした
きたかぜはきぼうのきたかぜです
きぼうをしんじていきるようににんげんにふいています
にんげんはいいゆめをみていたいとおもいますがしんじていればゆめがかなうことがわかりました
いいりそうのきたかぜでした
きっとちいさいときからふきつづけてくれたのでしょう
しんじつづけてよかったです
ふつうのひとはきたかぜをいやがりますがにんたいしてきたひとにはゆめをはこぶかぜです
きぼうのきたかぜはきたのくにからふいてきてきたのゆめをはこんできます
その後、お父さんのことに話が及ぶ。
おとうさんにもかんしゃしています
いいおとうさんです
きのうもいいはなしをしてくれました
いいゆめをくれました
いいひとになりたいとおもいます
いいくらしがしたい
話が一区切りついたあと、直前の高1の女の子が書いた詩を朗読したところ、次のような感想が書かれた。
きたかぜについておなじようなことをかんがえているとはおもいませんでした
いいしでしたね
いいちからがわいてきました
きのうのきたかぜにかんしゃします
いいちからをちからいっぱいもらいました
いいあかるいはじまりになりました
きぼうがわいてきました
4月からは社会人として羽ばたく彼女。ここまで来るのにずいぶん時間がかかってしまったけれど、間に合って本当によかった。
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2009年1月7日 00時36分
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これまで、頬でスイッチを押すことで文字を綴ってきた○○さんだが、今回は、こちらがスイッチを頬に押したり離したりして、選択の時にふっと力が入ってスイッチが入りっぱなしになるというのを読み取るという方法で行うと、たくさん文字を綴ってもらうことができた。
○○さんは、かつて、春に、次のようなすてきな文章を綴ったことがある。
きにうつくしくはなのさくみち
けいかいなうくれれきこえ
ほこうしゃこみあゆむ はある(=春)
そんな○○さんだから、きっと詩を作っているだろうと、尋ねてみた。すると、次の詩をさらさらと綴った。テーマは、もう、数多くの人たちが表現してきた、北風と希望だった。
きたかぜにききたいことがあります
どうしててまねきみせてにんげんにふいてくるのですか
きぼうはきたのくににあるのですか
しらないせかいのきぼうをきたのくにからはこんできて
にんげんにしあわせをくださいます
きたかぜのじかんがみらいのきぼうにつながって
きっとしあわせなかんしゃをわたしにくださいます
さいはてのくにからふくきたかぜは
しろいきぼうのかぜです
いいきぼうのかぜです
しろいゆきとともにふいてきて
きぼうをにんげんにくださいます。
うなずくことができる○○さんは、詩を綴りながら、深く満足そうなうなずきを何度も繰り返していた。
そして、家でワープロの練習として、書いてみたい勉強はどんなものかなと尋ねると、
きれいなしをかいてみたい
くがみじかいし
と答えた。これから、すてきな短歌や俳句を、いっしょに書き写しながら、表現をいっそう磨いていくことになるだろう。
そして、最後に、ゆめとして、次の一文を書いた。
じぶんでいきていきたいとおもうのでちからがほしいです だれかの
高校1年の○○さんは、2009年の新しい年を、素敵な詩と夢とで始めることができた。
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2009年1月7日 00時23分
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