ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年10月07日(火)
とびたつ会のTさんのこと
 サウンズアンドシンボルズと呼ばれているコミュニケーション手段(シンボルの絵を使って気持ちを表現するもの)を、目の合図で使って気持ちを表現してきたTさんが青年学級に現れたのは10年近く前のこと。しだいに帰りには飲み屋にも行くようになり、飲んだ席で、パソコンの練習をしないかと行ってパソコンの練習が始まった。足で二つのスイッチを操作して綴ることを始めたが、なかなか言葉が的確に選べず練習を続けてきて、少しずつ進歩してきていたが、長い文章にはならなかった。途中、シンボルをパソコンに組み込んだり、足でマウス操作ができるようにとスイッチを改良したりといろいろ取り組んできた。最初は、夜、8時過ぎにおじゃましていたのだが、だんだん忙しくなって、元公民館職員の松田さんが始めた「共同学習識字の会」での学習におまかせするようになっていった。Tさんが、「とびたつ会」に移るとなかなか会う機会も減ってしまっていた。松田さんとの学習もずっと継続されてきたが、最近、スイッチ操作がむずかしくなったとのメールをもらい、青年学級の後の時間に来てもらうことにした。そして、トマトハウスでさっそく新しい方法に挑戦してみた。上手に動く足ではなく、ほとんど自由のきかない手にスライドスイッチを握ってもらい、こちらがどんどんスイッチのオンオフを繰り返すという方法だ。すると、あんなに、足では選べなかった文字がすらすらと選べていった。
 まずは、その感想である。

ふしぎです
きもちがそのままことばになっていきます
じをみつめつずけるのがたいへんです
なかなかのぞみどおりにいきません
てにちからをこめただけでえらべるのでらくです
すいっちがすむーずです
よくわかります
もっとはやくからやっていればよかったとおもう
らくなのでこっちのほうがいい

 彼がうまく文字を選べない理由が、字を見つめ続けることのむずかしさにあったとは、まったく意外だった。

のぞみはぐるーぷではなしあうときにやれたらいいとおもう
せっかくのものだからとびたつかいでつかいたいとおもう
ねがいはてをつかってはなしをすることだったからかなってうれしい
なぜよみとることができるの
そのほうほうをみんなにもおしえてほしい
ほんとうにすばらしいやりかただとおもう
まつださんにもおしえてほしい
はやくできるようになってほしい
のぞみはなんにんもできるようになってぼくたちのつうやくをしてくれることです

 ここで、誰かに変わろうかというと、すかさず彼は女性スタッフを指名。

◇◇さんこんにちはすんでいるのはどこですか
もしかしたらひとりぐらしですか
どうやってくらしているのですか

と、書く。まだ、◇◇さんとだけでは、うまくいかないが、結構何文字かは読み取れた。そして、最後にこんなことをちゃっかり付け加えた。

ぼくとくらしませんか

 ここから場所を居酒屋に移す。飲み物や食べ物が並ぶテーブルの上にパソコンをおいて、飲みながら打ち始めた。その中の一部は以下の通りだ。

ひとりでくるしんできたことをことばでかたりたいとおもう
ほんとうのすがたをしってもらいたい
のにさくはなのようにのおんなのこもしゅつえんしてもらいたい
ぼくのきもちにはそんなひとたちのことがずっときにかかっています
ぼくのきもちしかひょうげんしていないのでほかのひとたちのきもちもひょうげんしてもらいたい
すぎたことをいってもしかたないけなどみらいにむかってぼくたちのきもちをつたえていくひつようがあるとおもう
ねがいはたくさんのひとにりかいしてもらうことです
けっしてまけられません
てをつかってはなせることをよのなかのひとにつたえたいとおもう
りかいしてくれるまでうったえつずけていきたいとおもう
くるしみやかなしみをつたえていかなければいけないとおもう
りかいしゃをふやしていかなけれびいけないとおもう
きっとわかってくれるひとがあらわれるとおもうのでがんばりたい

 彼は、青年学級やとびたつ会に通う重度の障害のメンバーの中で、唯一シンボルを使って目で語れることができるので、いろいろな場所に積極的に参加し、シンボルで表現した気持ちをいろいろなかたちで訴えてきた。だが、やはり、うまく話せない仲間の気持ちが気になっていたというのである。
 最後に文章はこう結ばれた。

このほうほうではなせるひとがたくさんいるかもしれないとおもうとむねがはりさけそうになる
ぼくはわかってもらっているからいい
でもたくさんのなかまがくるしんでいます
このことをつたえていかないといけないとおもう
ぼくはまけない
2008年10月7日 15時41分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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「くるしいことやつらいことはたくさんあるけど」
 前回、青年学級で文章を綴れるようになった▽▽さんが、今回も文章を綴った。午前中、コースに行くことができなくて、午後、時間を見つけて二度にわたった書いたものだ。


はやくかけるのできもちいい
もっといろんなひととやりたい
わたしのきもちのこえをきいてほしい
なかなかきもちをはなすことができないのできいてほしいの
ねがいはすいっちでみんなとはなすことです
ぜったいにできるようになりたい
ねがいはなんでもはなせるようになることです
(おかあさんは何と言っていた?という質問ををすると)
すごいわねふしぎですといっていました
でもしんじられないといっていました
いつおぼえたのといっていました
つらいけどなかなかしんじてもらえません
ほんとうにわたしがやっているのにざんねんです
くやしいけどみんないつかしんじてくれるとおもうからずっとあきらめないでがんばりたいです
ねがいはだれにでもわかってもらってみんなでいっしょにはなすことです
ねがいははやくおかあさんにしんじてもらうことです
ねがいはつらいことやくるしいことをともだちとはなしあうことです
ほんとうになるとうれしい
くるしいことやつらいことはたくさんあるけどそれをはなせばずっとらくになるとおもう
もっといろいろなことをかいてよんでもらいたい
ふしぎですなぜかきもちがことばになっていきます
はやくかけてうれしいです
のぞみはすきなひとといっしょにくらすことです
つまらないずっとかぞくとだけのすいかつは
とまとはうすにいきたいです
のぞみはそのままのみにいくことです

「くるしいことやつらいことはたくさんあるけどそれをはなせばずっとらくになるとおもう」「のぞみはすきなひとといっしょにくらすことです」と、切実な思いが表現されている。そして、そうした言葉の数々は、これまで青年学級でもみんなで語り合ってきたものだ。これまで言葉で表現することはできなかったが、みんなとともに同じ思いを共有してきたことが表現されている。
 おかあさんは、信じていないというのではなく信じられないとおっしゃっているのだが、今回も、帰りのつどいの時に見てもらった。そして、無事トマトハウスには行くことができた。だが、強い発作の薬を飲んでいるので、さすがにアルコールはダメということになったが、言葉で表したからこそ、実現したものだ。
 トマトハウスでは、いろいろな担当者がスイッチ操作にチャレンジした。早くみんなができるようになればと思う。
2008年10月7日 15時31分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ひかり学級の人と
 ○○さんがパソコンで言葉を表現し始めて3度目の学級日、さっそく朝から彼も話し合いに参加した。

おはようおひさしぶり
せいねんがっきゅうをたのしみにしていました
せっかくだからうたをうた
(ここでみんなが口々に歌のリクエストを言い始めたので彼も文章を中断して曲名を書いた)
ーともだちのうた
てをつかってはなせてうれしい
ねがいがかなってかんげきしています
ねがっていましたすいっちでなやみをいうことを
◇◇くんはすごいね
がんばっていますね
そんけいしています
りそうのだんせいです
でもなかなかしごとがたいへんそうてすね
このこーすのめんばーにはなぜじょせいがおおいのですか
むずかしいしつもんかもしれないけれどふしぎです
でもそのほうがいいです
うまくいえませんがなかまがだいすきです 

 そんなふうに綴っているとき、ひかり学級の☆☆さんが、突然入ってきた。ひかり公民館の青年の人数が増えたときに、分かれてできた学級だ。この日はコースの外出で公民館までやってきたらしい。学級の中でもとりわけ障害が重いとされる彼女が突然入ってきたのはわけがある。音楽コースで同じく障害の重い○○さんが、パソコンで言葉を表現するようになったのを知っていた援助者(とびたつ会の松田さん)が、彼女にも可能性を感じてともかくその現場を彼女に見せに来たのだ。たえず手をなめていて、視線の方向も読み取りづらい彼女が○○さんの姿をどうとらえのか。少なくとも外見からは特別な様子は見あたらない。しかし、今度いつ会えるか分からないし、外見にはもはやこだわっても意味がないことは痛烈に思い知らされているので、○○さんの文章が一段落したところでさっそく彼女にパソコンを試みた。まず、操作の説明ということで名前をいっしょに書くと手応えは十分だった。そして、次のような文章が綴られた。


☆☆(名前)
このすいっちはどうしたのですか
ちからがかるくてふしぎなきもちです
うれしいです
とてもむりかとおもってきました
なぜわたしがはなしがわかることがわかったのですか
とてもおどろいています
こどものころからべんきょうしてきましたからよくわかります
わたしのおかあさんにつたえてください
うれしいです
ねがってきました
ことばできもちをつたえることを
とてもかんげきしています
のぞみはすきなひとといっしょにくらすことです
またよろしくおねがいします

 彼女が初めて学級に来た日のことを私はよく覚えている。ひかり学級の開級式の時のことだ。車いすで明確な表現手段を持たない方が学級に初めて入ってきた。受け入れ側にも様々な意見があったが、ともかく来ていただいた。ふだんは学級がちがうのでなかなか会うことができないが、わかそよのステージには必ず彼女の姿があった。ステージ上で友だちに囲まれて笑顔にあふれていた場面などが思い浮かぶ。その彼女の思いが十年あまりの時を経て、今私たちの目の前に明らかになった。新しい大きな始まりの予感がする。
 
2008年10月7日 12時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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