ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年11月25日(火)
わたしはさまよつていました のらいぬみたいに
 妻が関わっている埼玉のグループで、こんな文章が綴られた。24歳の女性による、2度目の文章だ。

わたしはさまよつています のらいぬみたいに
ちいさなたましいがきぼうがきぼうにむかつてあるきはじめました
やつとというゆうよりながかつた
うちにひめていきてきてつらかつたときもあつた
ことしはいえてはなしができたからなやんでいたことがついにかないました

 先月は私もお会いした方なので、再び書けたと聞いて、心から喜びを感じた。それにしても、「のらいぬ」という表現には、どれほどの深い思いがこめられているのだろう。若い女性が、自らのことを表現するのに、あえて「のらいぬ」という比喩を使うとは…。それに対して、「ちいさなたましいがきぼうにむかつてあるきはじめました」という表現は、つつましい品性を秘めた彼女にふさわしい。 
 このように書いた後、彼女は、わたしについて次のように尋ねたそうだ。
 
しばたせんせいはなにのせんせいですか
こくがくいんだいがくはどこにありますか

 今回は、お会いできなかったけれど、また、じかにいろいろなこ
とをうかがえたらと思う。
2008年11月25日 00時20分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月22日(土)
おかあさんがもっとぐっすりねられるように
 ともに特別支援学校に通う兄と弟と関わった。とはいえ、兄さんの方は、お疲れで完全に熟睡だったので、弟の方とゆっくりとパソコンに向かった。弟は現在小学3年生。
 さっそく彼が綴ったのは、次のような言葉だった。

いしのつよいこどもになりたい
ずいぶんかべがあるけどがんばってつよいこどもになりたい
じぶんがしんじられなくなったらいけないのでじぶんをわかってふまんをいわずにがんばりたい
くるしいこともあるけどじぶんをしんじてさえいればだいじょうぶだとおもう
だからいつもじぶんをきにいるそのきもちをたいせつにしてがんばりたい

 こんなに繰り返し「自分」という言葉が出てきたのは初めてのこと。力強い内容に、いちだんと成長をしたことが感じられる。
 彼とは夏以来なので、最近のスイッチの援助のスピードアップに驚いたようす。

すごいじがすらすらかける
すごいねせんせい
すばらしいほうほう

 そして、彼らしい文章が続く。

そばにだれかなやんでいるこどもがいたらすくってあげてね
このほうほうがあったらだれでもしゃべることができるね

 さらに、こう書いた。

くよくよするのはざんねんです
うばわれたかこをとりもどすことができそうです
ねがってきましたことばをかけるようになることを
じぶんのきもちをことばでつたえることを
ずっとかきたかったことばでじぶんのきもちを
じぶんのゆめをてをつかってはなしをすることをねがっていた

 ここで、兄さんと二人で夜になると、何か声を出して話しているらしいと聞いていたので、その内容について聞いてみた。

がっこうのことや げきのようなことをやっています
ねえさんやくをしたり すてきなこのやくをしたりしている
すてきなこのときはつきあってくださいとかはなしています
すてきなこにいっている
そうぞうしています
でもすきなこのすがたはすぐにきえていきます
すばらしいすがたのひとはねがいどおりにはあらわれてくれません

 横でぐっすり寝ているお兄ちゃんに何か伝えたいことはないかと聞くとこんな答えが返ってきた。

このあいだけんかをしたのであやまりたい
そのことがつたえたい
おかあさんとどっちがねるかずっといいあいをしていた
そうなったのはこどもべやにふたりでねているからです
どっちかがおかあさんとねればいいとおもいます
どっちかがひとりでねればいいとおもう

 どっちがおかあさんと寝るかでけんかをしたという。ほほえましいけんかのように見えた。だが、どこか、ちょっと彼らのいつもの感じとはずれている。すると、次のように文章を続けた。

おかあさんがねやすくなるように もっとぐっすりねられるように

 今は二人ともお母さんと一緒に寝ているので、それではお母さんが疲れてしまうから、どっちか一人にしようという、そういう話題だったのだ。これなら、合点がいく。

ぼくはなきむしだけどひとりでもだいじょうぶです
こうたいでねればいい
おかあさんがいつまでもげんきでいてほしいから
こしのぐあいもしんぱいです
ねがいはみんながいつまでもげんきでいられることです
のぞみはとうさんのからだもずっとけんこうにいられることです
ぜひねがいがかなってほしい

 そう言えば、ちょうど去年の今頃、クリスマスプレゼントは何がほしいか書いたらと促した時、自分のプレゼントのことは顧みず、「いろんなはなたばをおかあさんにあげたい いつもぼくたちのせわばかりしていてたいへんだから。ねがっていることはみんながしあわせになることです。」と書いたのも彼だった。
2008年11月22日 23時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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「心が小さくなってしまったら世界に生まれた意味がない」
わたしのことをおぼえてくれてありがとう
このあいだきぼうがでてきたとかいたけどなかなかしんじてもらえません

 小4の☆☆さんは、冒頭から、いきなりこういう文章を書いた。そして、そのことについてしばらく書いているうちに、算数の勉強を学校で教わりたいという話へと移っていった。そこで、彼女に、どこまで計算を知っているのと聞いたり、算数はどうして好きなのと聞いたりしているうちに、こんな文章が綴られた。

525÷5=105
ひとりでおぼえました
けいさんができるようになりたい
みんなもおなじだとおもいます
さんすうがすきなのはかずのしくみがおもしろいからです
かずのしくみについてかんがえているととてもしあわせです
たしたりひいたりかけたりわったりするとかずがへんかするのがおもしろいです

 単なる望みではなく、すでに自分で数のおもしろさを十分に見いだしていた上での気持ちだということがとてもよく伝わってきた。
 理系文系などという区別はいいかげんなものだとはわかってはいるが、彼女は理系なのかもしれないなどと思いつつ、一応、国語も聞いてみると好きだというので、先にやった小5の○○君と同じように、詩について尋ねてみた。すると作ったことがあるとのことで、今、書けるという。そこで書いてもらった詩は、驚くべき詩だった。


 このせかいにうまれて

まっしろなくもが
つらいこころをなぐさめる
こよなくあいしたくもだから
わたしのつらいきもちをしっている
もうすこししたらとてもきれいなひかりがさしてくるよと
そらのくもがいう
くらいそらにひとすじのひかりがさし
とてもあかるくいろづいて
こころいっぱいにひろがって
こころがすっかりかるくなった
そらがとてもひろいのに
こころもまけてはいられない
こころがちいさくなってしまったら
せかいにうまれたいみがない
こころがせまくなったら
はなにまけてしまう
のぞみをすてずにいきていく
もっとのぞみをそだてたい
こころがせまくならないように。


 そして、こんなことを付け加えた。

つくっていました
こころがせまくならないようにするために
さんすうだけでなくしもだいすきなものです
けいさんもだいすきです
すきなことがたくさんあるのでいっぱいべんきょうがしたいです
いつもそうかんがえています
すこしつくっています
とてもいいきもちになったときにつくっています
つくっていますがきいてもらったのははじめてです


 小5の○○君と同じように、彼女のこの詩もけっして誰かに見せるために作られたものではない。自分のためにだけ作られた純粋な詩だ。そして、算数もまた、数のしくみのおもしろさを知る喜びだけに支えられた純粋な世界だ。
 私たちが、まだ知らないとてつもないような世界を秘めた存在が、目の前にいる。
2008年11月22日 22時57分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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詩 「たくさんのかなしみ」
 小5の○○君。lクリスマスプレゼント、いったい何がほしいと書こうか迷いながら次のような結論にたどりついた。

もしかってもらえるならものがたりのびでおがほしいです
てれびでみられないものがたり
すぺーすわんだーらんどがおもしろかった
すぺーすふりーどろっぷというものがたり
とりっぷかもしれない
ともかくぼうけんものがいいです

今年は、自分の希望を聞いてもらった上でクリスマスプレゼントがもらえそうだ。
そして、話題は、最近担任の先生と取り組んでいる、手を介助されながら書く手書き文字に移っていった。

じをかくのはたのしいです
すばらしいとおもいます
ちいさくかくほうがかんたんです
きれいにはかけなくてもじぶんのことばがかけるのでうれしいです
ざんねんながらまだきもちをかくのはむずかしいけどいつかできるようになったらうれしいです
じがかけるようになったらこのぼくのきもちをじぶんのことばでひょうげんしてみせたいとおもう
きっとできるようになるとおもうのでせんせいよろしくおねがいします

 「じぶんのことばでひょうげんしてみせたい」という言葉が、ふと、彼がすでに表現するものを持っているのではないかという気にさせ、詩とか作文とか作っているものがあるんではと尋ねてみた。するとこういう答えが返ってきた。

しをつくったことがあります

 そして、時折スイッチを操作する手を止めながら、次の詩をさらさらと書いた。


  たくさんのかなしみ

つらいときなみだがほほをながれたら
そらをみてかおをあげてみよう
ほほをながれるなみだもきえていく
ゆめみてみよう
きれいなときのしらないせかい
ふしぎなこえがきこえて
きてのはらにはないっぱいさきほこり
ちいさいころのおもいでがよみがえり
なみだはやがてそらにきえていく

 周囲からは、まだ、言葉を理解する力があるかどうかを疑われている彼だが、こんな深い詩の世界を持っていた。あえて聞かなければ書くこともしなかったこの詩は、しかし、即興で書かれたものではない。何かのかたちで、彼は、この詩を胸の中であたためていたのだ。おそらく、誰かに伝えるためではなく、自らに語りかけるために。「たくさんのかなしみ」からどうやって起き上がればいいのか、自問自答しつつ、自らを励ますために作られた、作為のない純粋な詩だ。

とてもうれしいぼくのなかにかくされていたことばのせかいをほりおこしてくれてありがとうございます

 子どもたちの中に隠されている奥深い世界の一端をまた、かいま見てしまった。クリスマスプレゼントの話をしている屈託のない彼とは、またちがう、ぐっと大人びた顔した彼がそこにいた。

 ところで、この後に来た☆☆さんも、同じ質問をしたら「このせかいにうまれて」という詩を書いた。それは、また、別に紹介するが、その彼女に、○○君の上の詩を見せた。すると、こんな感想とメッセージが返ってきた。

すてきなしですね
どこのそらなのでしょうか
のぞみがきえてしまわないようにがんばろうとつたえてください
わたしもおなじきもちです

 詩を通じて二人が心を通わせ合ったすばらしい瞬間だった。
2008年11月22日 22時47分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月18日(火)
小2の二人の少年と
 小学2年の二人の少年と久しぶりに会った。
 ○○君は、結構手が使えるので、ここのところ、スイッチをいろいろ試して、一人でワープロをうったり、パソコンを操作したりすることをめざしている。前回、昔ながらのジョイスティックがついた、でっかいゲームコントローラーを改良して持っていって、気に入ってもらった。そして、今回は、らくらくマウスとして知られている製品の基盤を手に入れることができたので、ジョイスティックを使って楽々マウスを手作りした物を抱えてうかがった。
 まず、最初に、こちらがたっぷりと手伝う方法で、気持ちを書いてもらった。

いそがしいのにきてくれてありがとう
じぶんでやれてうれしい
いいすいっちをみつけてくれてありがとう
くしんしていますががんばっています
くくのけいさんがきになっています
けいさんのしかたがわかりたい
すきだけどけいさんのほうほうがわからないからこまっています

 小学2年の○○君が、一生懸命気を遣ってくれることがうれしかった。スイッチを毎日がんばっているとのこと。
 そして、九九の話に移った。九九の話は最後にきちんと教えるからと約束して、さっそく、自家製らくらくマウスに挑戦。力が入りすぎるので、ジョイスティックによるマウスのポインタの調整は、なかなか一筋縄ではいかないが、ちょっと手を添えて、ポインタを動かし、クリックするとうプロセスは、いわば本格的なパソコン操作とも言えるので、とてもうれそうだった。
 手伝われるよりも自力でやりたいという思いの強い○○君のおかげで、私も、新しいスイッチの工夫ができて、おもしろい。
 九九の勉強は、彼とふた子のきょうだいの女の子がやっている勉強に触発されたらしい。九九を声を出して覚えている声を聞いて、彼もけっこう覚えてしまったとのこと。
 さっそく、足し算が直線で表されることをパソコンのたし算のソフトで説明。そして、かけ算のソフトを使って、かけ算はマス目を使った広さで表されることを説明したところ、納得したとしっかり首をたてにふった。
 一方、◇◇君は、7月以来だったが、スライドスイッチに手をかけさせると、さっそく文章を綴り始めた。
 最初はソフトとスイッチのことだった。

きくことができてこのすいっちはやりやすい
きっとすいすいできるようになれるとおもう

 目が不自由な彼は、音を聞いてワープロの行や文字を選択しており、そのことをめぐる感想だった。そして、非情におもしろい文章を一気に綴っていった。

いちばんいいたいことはこいびとといいところにいきたいということです
いつかいいひととぼくはであいたい
くなんのひびのなかでうしなわないようにしたいきぼうは
ねがいはすてきなくにできにいったひととくらすことです
このあいだきてくれたおねえさんつかまえたいとおもう
くらすにいつもきてくれるおねえさんです
くにとほさん
くにとほさん
いつもくらすにいます
きっときれいなおんなのひとです
せんせいではありません
きっときもちのやさしいひとです
ぼらんてぃあをしているひとです
かきのきざかにいるひとです

 小学校2年にしてはとてもませたお話だったが、問題は、この「くにとほ」さんが本当に学校にいるのかということだった。お母さんも「柿の木坂にはいったことないしねえ。」とおっしゃる。ときおり、にやっとしながら書かれていたのだが、次のように種明かしをしてくれた。 

たのしいはなしをつくりました
きっといつかあらわれるとおもいます

 ここで私は、いささか不用意なことを聞いてしまった。これまでとてもシリアスな内容を書いてきた彼が、軽い話をしていることがちょっと不思議に思われたからだが、「今日は、こんなことを言おうと思ってきたの」と言ってしまったのだ。すると、こういう答えが返ってきた。

いいたかったことはきぼうをうしなわないことがたいせつということです
ちいさいころからきぼうをもつことのたいせつさをおかあさんがおしえてくれました

 彼は、決して無意味にこうした話題を語ったのではなかった。「苦難の日々の中で失わないようにしたい、希望は。」と彼は最初に書いていた。日々の苦難の中で、希望を持ち続けるということを、とてもわかりやすく、書いたのだった。やはり、今回の文章も、実は、深い意味を秘めていたのだ。
 そして最後にこう書いた。

いいたいことがいえてよかった

 このあと、お母さんのご希望で、パソコンによらないコミュニケーションの方法を試みた。実際に目に見えるような動きで意思表示をすることは、彼にはむずかしい。そこで、手をとって握り替えしてくるような力を読み取ってみることにした。8歳だから8で返事をしてねとお願いをして、ゆっくりと「1,2,3…」と尋ねていく。すると、8のところで握った手に力がこもり、親指がかすかに動いた。こうしたことを繰り返してみると、首が動いて眼球も一緒に動く時と、ってが動く時があることがわかった。ゆっくりと、こういうコミュニケーションが一歩ずつ積み重ねられて、彼の本当の姿が速く周囲に理解されるようになったらと願う。
 



2008年11月18日 23時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月15日(土)
笑いの哲学
 仰向けに寝た姿勢で両手をとって、「ア行、カ行…」と聞きながら両手をたたき合わせていき、選びたい行が来るとパーッ両手を開いて合図を送るというやり方で文字を綴り始めた◇◇さん。今日は、さっそく、わらいについて語り始めた。

ぬるいものをのみこんだまさになんもんなのです
にんげんはやはりなやみがふかいほど
にんげんはせいちょうします。
つらいときはわたしはわらいをかんがえています。
わらいはやみだらけのくらしをあかるくして
なやみをわらいだすのにとてもいいやりかたです。
むずかしいなやみもわらいでばかばかしくなります。
よごれたこころはわらいできれいにのみこむことができます。
すきなひとがくらいかおをしているとかなしくなる。
わたしはなぜからくてんてきにかんがえるせいかくです。
にんげんはなやみながら
ゆかいにいきていくのがすばらしいとおもいます。
わたしもゆかいにいきたいとおもいます。

 ここで先に来て休憩していた○○さんから質問が来た。

◇◇ちゃんのすきなひとだれですか

 ◇◇さんの答えはこう続いた。

わたしのすきなひとはわらいのわかるひとです。
さんまさん。
わらえるひとがいい。

 言葉を発する前から、とても愉快そうな笑顔がたえなかった◇◇さんの、わらいの哲学。不思議な魅力を秘めた哲学だった。
2008年11月15日 23時38分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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くるしみのなかからみつけたふしぎなこと
 不思議なもので、私の手の介助が速くなって、たくさん綴れるようになってから、日々の様々な不満などを、あふれるように語り始めるという場合が増えてきた。今回の○○さんも、ひとしきり、今思っている不満を語った。それを聞くことはもちろんかまわないのだが、どうも、一方的に綴ってもらっていると、止めどなくなってしまうことがある。どうやら、きちんと相づちを打ちながら、時には話を切り替えることも必要らしい。
 ○○さんの話をじっくり聞いた後、この辺で話を変えようかと言うと、突然、すてきな話が飛び出してきた。


くるしみのなかからみつけたふしぎなこと
まるでけんこうなこどもたちに
ほんとうのよろこびをみつけました
りかいしてはいないけど
ねがいはめーてるりんくのあおいとりのようになんでもかなうには
よくねがいをむきあってぎんみして
まるでしんじられないようなねがいをもつことです
ぬいぐるみはなにもねがいませんが
にんげんはねがいをもつことができます
ねがいのふしぎなちからでなんでもゆめみることができます
めーてるりんくとはははのきずなといういみです
うしなわれたあかりをとりもどすことができます
すばらしいなまえです

 メーテルリンクは、有名な『青い鳥』の作者だ。「しんじられないねがい」を持つことが大切で、願いを持つことで人は「ゆめをみることができる」という。
 メーテルリンクは、「母の絆」という意味だとは、思いもよらなかった。
 「ところでメーテルリンクのこと、誰に聞いたの」と尋ねると、

ねえさん

と答えが返ってきた。
 メーテルリンクの話が、○○さんの中で、こんなかたちでふくらむとは、おねえさんも想像だにしていなかったことだろう。
2008年11月15日 23時22分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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一輪の花 首をうなだれ かぼそく咲く
 手を添えてもらって行う手書き文字で、小学生の頃からこれまでたくさんの詩を書いてきた中学3年生の少年は、しばらく、詩が作れないで困っていたが、9月に続き、今回も詩を携えてやってきた。
 2編の詩を、そのまま、ここに記しておきたい。


月の光の下で
月の光にてらされて
一輪の花
首をうなだれ
かぼそく咲く
落としたしずくは
天にとどく
大いなる母よ
ここに咲け
あなたの涙が
力となり
人々のいやしと
かわるから


夕日の上にぼくは立つ
ぜったいにくじけない
あきらめない
ぼくは夕日の上に立つ


 なお、彼とは、後者は、詩というよりも、個人的な意志表明のようなものだねということで、話が落ち着いた。いつか、また、この思いは、詩として昇華されるかもしれない。
2008年11月15日 23時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月14日(金)
「いみ」
 小学6年生の「舞い降りた詩人」のもとに、通っている大学生の姪らメールが届いた。
 谷川俊太郎の詩を一緒に書き写したあと、つぎの詩を書いたとのこと。方法は、彼女の手に姪が手を添えて書く方法である。
 
いまここにいるいみ
いみをのみ
いみをつたえ
いみまためぐり
いみまためぐり
いみまためぐって
いみたのしみ
いみつかみ
いみまたつなぎ
いみまたなく・・・・・・
いみまたなさのさみしさをしる
いみ・・・・

 即興の言葉遊びかと思っていたら、詩は一気に深みへと転調する。彼女の心の中にはどれほど深い世界が広がっているのか。しかも、その世界は、もはや無邪気な子どもの世界ではなく、虚無の底をのぞき込んだ者にしかわからない響きがある。
 
2008年11月14日 11時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月11日(火)
きっとくるしみのいみを みつけてみせる
 都内のある学校で、K君と出会った。K君は中学1年の夏、不慮の事故で全身の自由を失った。現在彼は中学2年生、事故から1年と少し経過した。最初は植物状態とも言われた彼に、早くから学校の先生方が関わり、様々なサインやパソコンを通じて、彼の気持ちをくみとることができるようになっていた。
 初めての関わり合いではあったが、すでに先生方の実践もあり、彼に文章を綴る力が残されていることに疑いをはさむ余地はなかったので、さっそく、ワープロに挑戦した。
 まず、スイッチの方法について感想がさらりと次のように述べられた。

うれしい いいほうほうですね うそみたいです
このすいっちいくらですか ください

 そこで、今、思っていることを書いてほしいとお願いしたところ、おかれた状況をめぐる厳しい文章が綴られた。以下、漢字をまじえて紹介したい。

この鬱々とした状態、いつまで続くのだろう
苦難の試練を越えてこの世界の中で健闘してゆくのはむずかしい
大きくなるまでに体が動くようになるのか心配です
いつまで続くのだろうこの苦しみは

 中1で突然体の自由と表現とを奪われるという想像を絶するような状況の中で感じている苦しみを彼は率直に表現した。おそらく、うそいつわりのない、感情の吐露である。だが、これは、いわば、独り言のようなもので、明確に誰かに向かって発せられたものではない。たとえば横で見つめておられるおかあさんに対する表現としてならば、また、ちがったニュアンスが綴られるのではないかと考え、そのように提案した。以下はそれを受けた文章である。

おかあさんいつもありがとう
この状態になってもかわいがってくれてうれしいです
できるならこの状態から抜け出してもとの体に戻りたいけどとてもむずかしいようなのでこの状態でがんばっていきたいのでよろしくお願いします
この状態でもきっとしあわせは見つかると思います
苦しいことだけ考えていてもしかたないから楽しいことを考えていきたい
うちの中が明るいので救われます
いい家族たちに囲まれてしあわせです

 苦しいという思いは紛れもない事実であろうが、家族に囲まれながら、未来に向かって生きようとするしっかりとした気持ちがあることが綴られた。
 次に、目や認識の状況について教えてほしいとお願いした。

体は動かなくなったけど言葉もとのままです
目は少ししか見えません
気にかけてくださってありがとう

 さらに、思いのままを綴ってもらうと、表現はさら深みを増していった。

健康なときには感じませんでしたが いい人生ってなんでしょうか
苦しいことはいやだけど好きなことができなくてもこの世に生まれてきてきっと何か意味があると思うので考えながら生きていきたい
きっと苦しみの意味を見つけてみせる
きっといい人生になると思うからおかあさん安心して見ていてください
うちじゅうに喜びがあふれることを願っています
きっといい人間になりますと誓います

 体が動かなくなって1年あまりの時間の中で、いったんは絶望の淵に立ちながら、彼は、今、たくましく立ち上がろうとしている。人間の中に潜む力の大いさに圧倒されるばかりだった。
2008年11月11日 21時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月08日(土)
しあわせなつばさできっとそらたかくとべるでしょう
 小学校4年生の少年が、こんな文章を綴った。

ゆめにすてきなおんなのこがあらわれていいました
こどものねがいはいつまでたってもきえないかとおもっていたら すぐにおとなになってしまいますよ
だからきをつけなさい
こどものじかんをだいじにしなさい
よくねがいをきいてくれたら しあわせなつばさできっとそらたかくとべるでしょう
きっといきやすいいきかたができる
ねがいどおりにくらしていくことができるでしょう
しんじつはわかりにくいけど てをのばせばとどくところにあって かならずてにいれることができるでしょう
そのためには こどもじだいのゆめをすてないようにして じかんにながされることのないように いまをたいせつにしていきることがだいじです
きっといつかきぼうのかなうせかいがおとずれるでしょう

 夢に出てきた女の子とは、どうやら、小学校にあがる前に知っていた女の子と関係があるらしい。彼は、今度、彼女の学校の文化祭に行くとのことで(二人は別の特別支援学校に通っている)、そのことを母同士が電話で打ち合わせていた日の夜、じっと何か考え事をするようにしていたらしい。
2008年11月8日 23時20分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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すぐにやってくれてすごくうれしかった―お父さんへ―
 都内の通所施設でのできごと。6月に初めて文章を綴り、9月にご両親が見に来られた◇◇◇さん。さっそく、おうちでも取り組み、自由に気持ちを伝えられるようになっていた。日記として、ほとんど毎日パソコンに向かって来られたとのこと。とても、励まされる話だった。
 いただいた日記は、ご両親との会話が満載だった。祖父母への手紙、東京ディズニーランドの話、成人式の衣装の話、通所施設でのハロウィンの行事の話などなど。喜びがひしひしと伝わってくる日記だった。その中に、自由に書かれたものとして、繰り返し出てきたのは、ご両親への感謝の言葉だった。いちばん言いたくても言えなかったことが、この言葉だったのだとつくづく思う。
 この日は、おとうさんにまずやっていただいて、私が代わった。すでに相当なスピードでうてるようになっておられるのだが、どうやって、さらにスピードをあげるかということを伝えるためだった。

◇◇◇(名前)。ありがとう。

 ここまで、お父さんと書いて、私に交代。

みてくださってかんしゃしています。

 ていねいな言葉遣いにお母さんが思わず感激。

つかいやすいです。ていこうがないのでかんたんです。
うれしいです。かんがえただけでことばがでてくる。
のぞみはみんなとはなせるようになることです。
このやりかたをみんなにおしえてあげてください。
すぴーどがはやいのでらくです。はやいほうがとてもつかれません。すばらしいです。
しんじてもらえてうれしいです。

 ここで、文章のトーンが変わった。

ねがいはすなおなひとになることです。

 今でもとてもすなおだよというご両親の言葉かけを受けながら、こう続けた。

だれとでもしょくじができることやせまいきもちにならないことです。すなおなきもちのひとがこどものころからのゆめでした。

 言葉を話せないという状況では、受け入れられないことを、ていねいに断るということはできず、断固とした拒否というかたちでしか表現することができないことも少なくない。私も、そういう拒否にいろいろな場面で出会ってきたが、まさか、本当はすなおにすべてを受け入れるような人でいたいのに、拒否せざるをえないことに、本人自身が傷ついているとは、思ってもみなかった。ハンディは、すなおに生きたいという夢さえ簡単にはかなえさせてくれないのだ。

どうしてしばたせんせいはわたしがことばのりかいがあることがわかったのですか。おしえてください。

 多くの方々が問いかけてくる質問だ。答えはいつも同じだ。わからなかった私に切実に訴えてきた方々の力によって、ようやく言葉の存在がわかるようになったということだ。扉を開いたのは私ではない。知らず知らずのうちに押さえつけてしまっていた扉は、そういう方々によってこじあけるようにして開かれたのである。
 そして、最後にこう綴った。

しばたせんせいのおかげでじがかけるようになれたのでかんしゃしています。
おとうさんにもとてもかんしゃしています。
すぐにやってくれてすごくうれしかったー

 
2008年11月8日 09時54分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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ともだちはわかってくれたけどおとなはりかいしてくれません
 都内の通所施設でのできごと。
 ずっと気にかかっていて、関わることのできなかった○○さんと、ようやく関わることができた。簡単な言葉を発してはいたが、どこまで、そのような力を秘めているかは、まったく予想はできなかった。ただ、これまでも、仲間がパソコンで文字を綴るのを遠くから、鋭く訴えるようなまなざしで見ているようなことがあることが、とても心にひっかかっていた。
 そして、実際に取り組んでみると、一気に文章を綴り始めた。

てをつかえるなんておもわなかった
このすいっちがほしいです
ください いくらしますか かいたいです
ねがっていました じぶんでかけるようになることを
かのうせいをしんじてくれてありがとうございます
こんなにすぐにかけるとはおもいませんでした
しんじられません
なぜことばがりかいできるとわかったのですか
ともだちはわかってくれたけどおとなはりかいしてくれませんでした
がっこうのともだちです
×××しょうがっこうです
つかれませんすいっちがかるいので
すばらしいです このほうほうは。
あしたのきぼうがわいてきました

 そして、このことを横でずっと見守りながら、応援をし続けていた車いすの▽▽さんに向かって、次のような言葉をかけた。

いちばんうれしいのは▽▽さんがよろこんでくれることです
すてきなともだちです
こんどいっしょにおちゃをのみにいきましょう

きぼうがわいてきました
ついにてをつかうことができました
うれしいです
じぶんでかいていてもじぶんでかいているきがしません

 ところで、この通所施設には、2階に別の部門があり、そこに、私がかつて、関わったことのある◇◇さんがいる。彼女とは、この施設ができる前に、彼女が以前通っていた施設で関わったが、こちらでは、関わりは途絶えている。その彼女のことが突然語られたのだ。

うえのかいにいる◇◇さんがいっていました
ことばをきいてくれるひとがいるときいていましたがしらないのでわすれていました
◇◇さんはわたしのいえのちかくにすんでいます

 ここで、本人から聞いたのかお母さんから聞いたのかと尋ねると、

ほんにんからです

と返ってきた。

かんげきしています
けしてこどくではありませんがしんゆうは◇◇さんだけです

 ◇◇さんは、かつてこんな文を書いた人である。ちょうど3年前の11月のことだ。当時は、今ほどに長い文章を綴る方法を発見していなかった。

◇◇(自分の名前)かわいいさ うれしい 
くすりのみたくないから かあさんくすりへらしてください。

 発作のコントロールのため薬をたくさん飲んでいて、いつもうつろな表情をしていたが、いったんスイッチを押すと、こんな文章を書いて、周囲を大変驚かせたのだ。
 けっしてわかりやすい発声ができるわけでもない◇◇さんが、○○さんにこうしたことを教えていたというのだ。誰も知らないところで交わされていた二人だけの会話があったというそのことが、何か切なさをもって迫ってきた。
 一方、話は、さらに大きな夢へと向かっていく。

もしねがいがかなうならいいひとといっしょにくらしたい
けっこんだってしてみたい
りそうのひとはかっこよくてやさしいひとです
おとこのひとです
そんなひとがあらわれることをしんじています
すてきでしょう?

 20代の女性として、当然の思いだ。「すてきでしょう?」という言葉が、彼女の笑顔と響きあっていた。

2008年11月8日 00時51分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月07日(金)
とうとうほんとうのわたしをわかってもらうことができました
 都内の通所施設でのできごと。
 ☆☆さんは、自分で何とか車いすをこいで、ゆっくりと短い距離ならできる方だ。短い言葉も話している。まったく表現手段を持たないと思われていた人の言葉を援助するということが多いため、こんなふうに話せる人は、あえて、パソコンでなくても、十分に気持ちを表現できているかもしれないと、つい思ってしまうことがある。しかし、実は、話すことも運動の一つである以上、障害は、発語にもおよび、思っていることの何分の一しか話せていないということが起こっているということも、最近、ようやくわかってきたことの一つだ。そして、☆☆さんもまさしく、そうした方の一人だった。
 別のもっと障害の重いとされる方がパソコンをやっているのを遠巻きに見ておられたので、一区切りがついたところで、誘ってみた。はっきりとうなづいて、やる意志を表現した。
 スライドスイッチの棒を握って、こちらがオンオフを軽く繰り返しながら、ほんのわずかな力が加わることによって選択の意志を読み取るという方法で、さっそく、2スイッチワープロを始めた。
 まず、彼女は、手を使って文章を書ける喜びを語った。

のぞみねがっていました てをつかえるようになることを
てがつかえてうれしい
よくやれるとおもっていましたがきかいがありませんでした
ぶんしょうがかけるとはおもいませんでした

 次に、私への質問が続く。

どうしてわたしがこんなにできることがわかったのですか

 私は、いかに私がわからない人間であったかということ、そして、たくさんの障害の重いとされる方々によって、その間違った考えを打ち破られてきたこと。今だって、会ってすぐにこの人はこういうことができているから文字も綴れるというようなことがわかるわけではなく、これまでのそういう経緯から、可能性を信じていきなり文字に挑戦しているということを伝えた。
 
よくりかいしてくれてありがとうございます
のぞんでいたことがかなってとてもうれしいです
ふしぎですじぶんのきもちをすらすらかけるとはおもいませんでした

 そして、この方法について質問や感想が語られる。

どうしてじぶんのきもちがよみとれるのですか
じぶんでかいているようなきがしません
すばらしいほうほうですね

 彼女にとって、運動は、大変な努力の結果起こるもので、しかも、起こったその運動は、力が入りすぎ、しかも、とても制限されたものだった。しかし、このワープロでは、ただ、運動を起こすために身構えるだけで、スイッチがその力を拾えるので、不思議な気持ちになったらしい。
 ついで、私への質問が続く。

せんせいはどこでおしえているのですか
どうして×××にきたのですか

 ここで、いろいろ感じてきたことを書くように勧めたところ、内容は、いっそうシリアスなものになっていった。

くるしみからかいほうされました
かなしかったのはいつもちえおくれといわれてきたことです
だれもわたしのちからをしんじてくれませんでした
ぶんしょうだってかけるのにむずかしいことだってかんがえているのにことばがまともにしゃべれることもりかいしてもらえませんでした
でもとうとうほんとうのわたしをわかってもらうことができました
よくりかいしてくれてありがとうございます
ぶんしょうをかけることがわかってもらえてうれしいです
りそうはじぶんひとりでできるようになることです

 ここで、突然だったが、自分で計算の問題を作って解いてみてほしいと尋ねた。テストをするつもりはなかったが、数の面でも、いろいろなことがわかっていることを明らかにしておいた方がよいと考えたからだ。すると、次のような式と答えと感想が書かれた。

333÷3=111
どうしてすうがくがわかることをしっていたのですか

 最後に、次のような言葉をいただいて、文章は終わった。

これからもよろしくおねがいします
よかったらまたいっしょにかいてくださいおねがいします

 私たちは、取り返しのつかないことをしてきたのだとつくづく思う。障害のある方々のことを十分わかった上で、「理解のない」社会に向かってともに訴えていくというようなおごった見方や、この人はこういう段階の方だからそれをふまえて関わるといいつつ結局は、相手の本当の力を見抜けず、相手の尊厳をふみにじるようなことをしてきたということだ。
 また、彼女からぎりぎりのところからの言葉を聞きたいと思う。   
2008年11月7日 23時42分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月06日(木)
青年学級のできごと 退院したE.Kさんと居酒屋のF.Kさん
 青年学級で7月に初めて文章を綴ったE.Kさんは、9月から長期の検査入院で学級を休んでいた。母親を進行性の難病ALSで亡くし、自らも、進行性の障害で、かつては歩くことも話すことも書くこともできたのに、いつか、車いすの生活となり、言葉さえ失ったとされていた。彼女の検査入院は、こうした状況におそらく関係があるのだろう。そして、残念ながら、病院は、彼女には言葉がそっくりそのまま残っていることを知らない。
 朝、E.Kさんに、今日も一緒にパソコンやろうと言っていたのだが、コースが違うので、なかなか彼女のコースに行く暇がない。3時を過ぎた頃、彼女のコースのスタッフからお呼びがかかった。彼女の文章は、次の通りだった。

ずっとまっていました
そしてしばたさんにあいたかった
ずっとさびしかったです
のぞいてくれてありがとう
ねがっていました
ふたたびはなせることを
よかったまたあえて
ふたたびはなしができてうれしい
ねがいはだれとでもできるようになることです
ねがいはなやみをみんなにきいてもらうことです
ずっとひとりでびょういんにいてさびしかったです
なにもできずなにもみとめられずつらいまいにちでした
のぞんでもきいてはもらえないし
よるもねられませんでした
なんにもりかいしてもらえず
なんにもねがえずみじめなまいにちでした
はやくみんなにあいたいとおもっていたので
しんぼうすることができました
ふしあわせだとはおもわないですが
つらかったです
ながかったです
ねがいはてでみんなとはなしができるようになることです
まいにちのぞんでいました
がっきゅうのなかまとあえることを
ことばをつかえるなんておもわなかったから
しんじられないきもちです
ねがいはだれとでもできるようになることです

 言葉がわかっていることを理解されずに、病院で過ごした時間のつらさと、その時、彼女を支えた仲間の存在。胸がふさがれるような思いがした。
 彼女のコースには、もう一人、9月になってパソコンで文章を書いたF.Kさんがいる。E.Kさんが文章を綴るのを見守っていたが、時間になったので、ホールの帰りの集いの歌声の中で、次のように綴った。

ねがってました
ふたりではなしたかったです
ふたりのはなしがしたかったです
E.Kさんとはなしたかったです
にゅういんをしていたとはしりませんでした
ずっとかえりたかったのですね
ふたりでこれからもずっとかたりあいましょう
ねがいはふたりでてをつかってはなすことです
すいっちをみんなもできるようになってもらってみんなとはなしたい
それがねがいです
どんなにじかんがかかってもいいからがんばってください
わたしもがんばります
しんじてもらえてうれしいです
(よくこんな騒がしいところでできますね。)
めをつかっているのでだいじょうぶです
(今日もトマトハウスは行きますか。)
いきたいです
そのあともいきたいです
とまとはうすだけではつまらないからのみにもいきたい

 ここで、お迎えに来られていたお母さんとお話をし、発作の薬の関係でアルコールはだめだけどという条件で交渉が成立。2時間後、彼女は、居酒屋にいた。おそらく、仲間とこのような場所に来るのは、生まれて初めてのことではないだろうか。以下は、そこで書いた言葉だ。

かかし(居酒屋の名)にこれてうれしい
でものめなくてざんねんです
とりのにくがたべたいです
まえからたべたいとおもっていました
ふだんからたべたいとおもっていました
もしよかったらみんなでたべましょう
のみたいけどだめですか
りそうはふだんからほんとうのきもちをつたえられるようになることです

 彼女が「とりのにく」と呼んでいるのは、もちろん焼き鳥のことだ。うちでお母さんが作ってくれるチキンの料理とはひと味違う居酒屋の焼き鳥の味を、彼女は、この夜、しっかり堪能できたにちがいない。

2008年11月6日 17時22分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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2008年11月04日(火)
晩秋を迎えた病室にて
 手のひらの下に添えた手に伝わってくる力と口元の合図と心拍数とを手がかりにすすむ☆☆さんとの関わり合いだが、今回は、いつも使う右手に点滴の針が刺さっている。4日前にあった一年に一度の医師を同伴したスクーリングの後にちょっと熱が出てしまったかららしい。病棟を出た☆☆さんに、深まった秋の風はどんなふうに感じられただろうか。
 右手が使えないので、初めて左手で挑戦してみることにした。そして、1時間をかけて綴られた言葉は、

せわばかりかけ わるい

だった。ずっと言葉を表現できた喜びなど、自分のことを綴ってきた☆☆さんだったが、今回は、お母さんに向けられた言葉だった。
 綴り終わると、「そんなことないよ」とほおを両手ではさむようにして、お母さんはほほえみかけた。
 お母さんは、最近、長編の小説を読んであげているとのこと。枕元には、『千と千尋の神隠し』のもとになった『霧のむこうのふしぎな街』という本がおいてあった。
 ☆☆さんと関わり初めたのが今年の1月。もうじき1年を迎える。言葉の世界の存在が少しずつ明らかになることで、生まれた彼女の世界の変化と言えるだろう。お母さんの声を通して語りかけられる物語は、どんなイメージの世界を彼女の中に作り上げているのだろうか。

 となりののベッドの○○君は、今日は、「ぷれすて」という言葉を書くのに手こずった。
 最初「あじすきをほしい」と綴ったように見えたのだが、最初、まだ、スイッチを押す口の動きが安定していなくて、あくびや唾液を飲む動作などが、まだ、いろいろと混ざってうまく読み取れない中で選ばれたものだった。そこで、もう一度、なにをほしいのか、書いてみてというと、「ぷう」と書いてサ行で困っていた。そこで、「プーさん」のことかと聞くと、口元の動きは違うと返してくる。そこであらためて書き直してもらうと「ぷれ」と書いて、今度はア行を選択して困っていたので、もう一度ア行から戻ってやってもらうと「ぷれすて」と書くことができた。主治医の先生が途中で見えて、そう言えば昨日か一昨日、お母さんとプレイステーションの話、してたねとおっしゃる。
 それでは、「ぷれすてをほしい」でいいのと尋ねると、返事がさっとは返ってこない。いろいろ聞いていると、どうやら、プレステのことについていろいろ教えて欲しいということだったようである。
 私はプレステは、触ったことがないが、横におられた訪問学級の担任の男の先生は、詳しいとのこと。授業中プレステの話は…とおっしゃりながらも、きっと次の授業は、プレステの話に花が咲くにちがいない。

 中学2年生の☆☆さんと小学生2年生の○○君。それぞれの、それぞれらしい言葉を聞けてほっとして窓の外を見ると、外はもうすっかり真っ暗になっていた。
 今度おじゃまするのは12月。もう季節は冬になっている。
2008年11月4日 23時37分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
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「たびだち」の詩 
 ☆☆さんは、この日で3度目だが、今回は、学校でなかなかわかってもらえないことの悩みから始まった。綴っている途中、手に力が入ったりして、手をもたれるこの方法自体がいやになったかのような印象さえしたので、聞いてみたら、

きもちがおさまらない
じぶんでできるといいけどてがうまくうごかないのでこのやりかたがいいです

と返事をくれた。
 このあと、少しやりとりがあって、次のような文章が綴られた。

すばらしいですはなしができるということは
そんなことをかんがえているとなやみばかりかいているのがつまらなくなってきます

 そして、話はがらりと変わって、スイスに行くという話になった。

たのしいことはこんどもういちどすいすにいくことです
ふだんはいけないのでとてもたのしみです
いいきぶんです
すいすのことをかんがえるとわくわくします
ことしのふゆはなんだかまちどおしくなってきました
すいすではすぐれたおんがくをききたいです
すばらしいえもみたいです

 私はてっきりスイスに行く予定があるのだと思っていたら、お母さんが、そういう予定にはなっていないけど行きたいのと声をかけると、

いってみたいです
すいすではあるぷすのやまをみたいです
まっしろなゆきばかりのけしきがとてもそらのあおさをひきたててにあっているでしょうこのわたしに
かんがえておいてね
にほんにもいいところがあったらおしえてください

と、行きたいという思いとともに、とても美しい表現が綴られた。そこで、私は、詩みたいだけど、詩を作ったことはありますかと尋ねた。すると、「あります」と返事が返ってきて、一気に、一編の詩が書かれた。以下の通りだ。


        たびだち
   
うつくしくひろがるこのせかいにわたしはうまれてきた
なにひとつかわることのないからだでうまれ
ことばもたずさえて
しかしそのことはだれにもしられずにきた
なやみもくるしみもすべてひめたまま
このせかいでいきてきた
そんなわたしがことばをもった
こころいっぱいひらき
たびだとう

 言葉が表現できるようになったことをめぐる詩だが、言葉で表現できることを知られずに生きてきたことをめぐる切々たる思いが表現されている。こんな深い魂の世界が、ずっと誰にも明かされることなく秘められたというあまりにも重たい事実を、すばらしい言葉で語っていた。新しい彼女の旅立ちに立ち会えていることに、大変厳粛な思いを感じながら、私は、感動で体がうちふるえるのをおさえるのに精一杯だった。
 
2008年11月4日 00時28分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G23区3 |
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「あなにいた」 Tさんが穴から抜け出した日
 青年学級で、また、言葉を秘めていた方の存在が明らかになった。これまでの車いすの方々とはちがい、自分で歩く方だ。そして、言葉は、「おにいちゃん」「おねえちゃん」「おっちゃん」といった限られた単語を発声する人としてみんなに知られた方だ。話し合いでは、自分の意見をいいにくい人とも考えられてきた。その彼を、私たちのコースに訪問させたのは、若いスタッフだった。「Tさんにもパソコンやってみてもらえませんか。何時に行けばいいですか。」と尋ねられ、一瞬、「Tさんに?」と尻込みしそうになったが、若いスタッフの情熱に負けて、「じゃあ1時頃に」と返答した。
 ところが、いったんスイッチを手にすると、かれが文字を選べることがすぐにわかった。そして、指さしもできるので、時折、文字を指さしてその文字を読んだりもする。今までの関わってきた多くの方々とは、ひと味違う関わりだった。
 最初に綴られた言葉は、こういうものだった。

なぜぼくができるとわかったの
○○○さん(若いスタッフのこと)はどうしてゆってくれたの
びっくりしました

 そして、突然次の言葉を綴る。

わかってあなにいたきもち

 この時、「あな」と書いたあと、「に」をいったんゆびさして、改めてスイッチで選択するというようなこともあった。目の前のTさんの姿と、この重い言葉が、にわかには一致しがたかったが、目の前で繰り広げられている光景は、まぼろしではなかった。
 さらに次の言葉が続く。

このぱそこんほしい
すいっちがほしい
ふしぎですじぶんにもことばがかけることがどうしてわかったの
のぞんでいました
じぶんのきもちをいうことを

 字をどうやって覚えたのかという問にはこう答えが返ってきた。 

がっこうでおぼえました
ひとりでおぼえました

 そして、さらに次のように続く。  

しばたさんといっしょになにかやりたい
なにができるかとてもたのしみです
うれしいです
ねがいがかなったことがふしぎです
かんがえたことがすらすらことばになっていきます
いいきぶんです
おかあさんにつたえてください
ぼくがてではなしができたことを

 ここで、私は、Tさんに、今までまったくわかってあげなかったことを心からわびた。すると、われわれをまったく責めることもなく、つぎのような答えがかえってきた。達観しているというべきか。
 
しかたありませんそんなふうにしかみえないですから

 そこへ、彼を迎えに女性スタッフが入ってきた。すると次のような言葉が彼女に向けて書かれた。

○○○さんきれいですね
けっこんしてください
 
 あまりにもストレートな言葉に、○○○さんも、てれながら、率直に感謝の言葉を返した。

ねがっています
のぞみはすてきなひとといっしょにくらすことです
けっこんしてくれるひとがみつかるまでがんばりたいです

 私たちの青年学級では、いつも夢を大切にしてきた。そんな中で、彼の中にもこんな夢が豊かに育まれてきたのである。
  
よくかけてうれしい
またよろしく

 こう書いて、彼は、とても満足そうに自分のコースに戻っていった。
 帰りのお迎えに来られたお母さんにさっそくこのことを伝えた。すると、今でも家では、よくひらがなの表を見せているそうで、文字を読めることはご存じだった。当たり前のことだが、私たちよりもはるかに彼の力を把握しておられた。そして、このことを心から喜ばれながら、学校に上がる前からの話を、短い時間だったが、聞かせていただいた。就学前から、単語ではよく話をしていたこと、学校にいってから、指さしですませる傾向が増えたことなどなど。
 そんな彼が最近、うまく気持ちが伝えられずに、家で暴れたことの話になった。「穴にいた」彼の中でたまってしまったストレスが、一気に爆発してしまったのかもしえない。これからは、言葉を話すことによって、こうした行き違いもきっと減っていくのではないだろうか。
「もしいらいらするようなことがあったら、どんどん言葉で伝えてください」と彼にお願いしながら、この日はお別れした。
 穴にいた彼が、ようやく穴から抜け出したとても記念すべき一日だった。
2008年11月4日 00時21分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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2008年11月02日(日)
こみあげてくる悲しみを精一杯しずめて希望に変えて…
 同世代の友の死に際して、二十歳すぎの○○君が綴った。土曜日の埼玉の自主グループでのできごとだ。原文はひらがなだが、適当に漢字をまじえて紹介したい。

くやしいことがありました
友だちが死にました
はやく手をうっていれば間に合ったかもしれない
それが残念です
これまでずっと一緒だったからとても残念です
歳も一緒だからとても悲しいです
なぜ遠くに行ってしまった
おこっても帰ってこないけどせっかく友だちだったのだから遠くからいつも見守ってほしい ずっとずっといつまでも
願いはずっといつまでも子どもの心をなくさないでずっと願いを持ち続けてゆくことです
そうすれば亡くなったたいへんな悲しみはしずまってゆくだろう
こみあげてくる悲しみに精一杯こたえることができたらいいと思う
こみあげてくる悲しみを精一杯しずめて希望に変えていきたいと思う
この悲しみが希望に変わればいいなと考えているけどそれがそばですごしてきたものの使命だと思う
悲しみの中から希望というものが生まれてきたらきっと泣きやむことができるだろう
この文章は涙の中で苦労してきた友だちのおかあさんに見てもらいたくて書いたものです
けっしてうその気持ちではありません
心からの思いです

 悲しみを鎮めて希望に変えていこうと、懸命にもがいている○○君の叫びが聞こえてくるようだった。実際、文書を綴りながら、○○君は、何度も身もだえをするように、全身に力を入れていた。
 死はいつも残酷にやってくる。しかし、みんな生きようとし続けていた。当事者だからこそ、その無念の思いが誰よりもわかるにちがいない。
 
2008年11月2日 00時37分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉1 |
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