仰向けに寝た姿勢で両手をとって、「ア行、カ行…」と聞きながら両手をたたき合わせていき、選びたい行が来るとパーッ両手を開いて合図を送るというやり方で文字を綴り始めた◇◇さん。今日は、さっそく、わらいについて語り始めた。
ぬるいものをのみこんだまさになんもんなのです
にんげんはやはりなやみがふかいほど
にんげんはせいちょうします。
つらいときはわたしはわらいをかんがえています。
わらいはやみだらけのくらしをあかるくして
なやみをわらいだすのにとてもいいやりかたです。
むずかしいなやみもわらいでばかばかしくなります。
よごれたこころはわらいできれいにのみこむことができます。
すきなひとがくらいかおをしているとかなしくなる。
わたしはなぜからくてんてきにかんがえるせいかくです。
にんげんはなやみながら
ゆかいにいきていくのがすばらしいとおもいます。
わたしもゆかいにいきたいとおもいます。
ここで先に来て休憩していた○○さんから質問が来た。
◇◇ちゃんのすきなひとだれですか
◇◇さんの答えはこう続いた。
わたしのすきなひとはわらいのわかるひとです。
さんまさん。
わらえるひとがいい。
言葉を発する前から、とても愉快そうな笑顔がたえなかった◇◇さんの、わらいの哲学。不思議な魅力を秘めた哲学だった。
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2008年11月15日 23時38分
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不思議なもので、私の手の介助が速くなって、たくさん綴れるようになってから、日々の様々な不満などを、あふれるように語り始めるという場合が増えてきた。今回の○○さんも、ひとしきり、今思っている不満を語った。それを聞くことはもちろんかまわないのだが、どうも、一方的に綴ってもらっていると、止めどなくなってしまうことがある。どうやら、きちんと相づちを打ちながら、時には話を切り替えることも必要らしい。
○○さんの話をじっくり聞いた後、この辺で話を変えようかと言うと、突然、すてきな話が飛び出してきた。
くるしみのなかからみつけたふしぎなこと
まるでけんこうなこどもたちに
ほんとうのよろこびをみつけました
りかいしてはいないけど
ねがいはめーてるりんくのあおいとりのようになんでもかなうには
よくねがいをむきあってぎんみして
まるでしんじられないようなねがいをもつことです
ぬいぐるみはなにもねがいませんが
にんげんはねがいをもつことができます
ねがいのふしぎなちからでなんでもゆめみることができます
めーてるりんくとはははのきずなといういみです
うしなわれたあかりをとりもどすことができます
すばらしいなまえです
メーテルリンクは、有名な『青い鳥』の作者だ。「しんじられないねがい」を持つことが大切で、願いを持つことで人は「ゆめをみることができる」という。
メーテルリンクは、「母の絆」という意味だとは、思いもよらなかった。
「ところでメーテルリンクのこと、誰に聞いたの」と尋ねると、
ねえさん
と答えが返ってきた。
メーテルリンクの話が、○○さんの中で、こんなかたちでふくらむとは、おねえさんも想像だにしていなかったことだろう。
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2008年11月15日 23時22分
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手を添えてもらって行う手書き文字で、小学生の頃からこれまでたくさんの詩を書いてきた中学3年生の少年は、しばらく、詩が作れないで困っていたが、9月に続き、今回も詩を携えてやってきた。
2編の詩を、そのまま、ここに記しておきたい。
月の光の下で
月の光にてらされて
一輪の花
首をうなだれ
かぼそく咲く
落としたしずくは
天にとどく
大いなる母よ
ここに咲け
あなたの涙が
力となり
人々のいやしと
かわるから
夕日の上にぼくは立つ
ぜったいにくじけない
あきらめない
ぼくは夕日の上に立つ
なお、彼とは、後者は、詩というよりも、個人的な意志表明のようなものだねということで、話が落ち着いた。いつか、また、この思いは、詩として昇華されるかもしれない。
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2008年11月15日 23時01分
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