年末の一日、20代の女性、○○さんのお宅をおじゃました。お父さんから、お招きを受けたからだ。お宅へおじゃますると、さっそく、おいしいお酒をいただきながら、話に花が咲いた。○○さんは、お父さんに抱えられて一緒に食事をしながら、話に耳をすませている。
○○さんの食事も終わり、横になっているところで、だいぶお酒のまわった私は、パソコンではなく、手で話してみようと、彼女と手をつないで、手を軽く引っ張りながら、「名前を書いてみて」と頼み、「あかさたな」と唱えてみた。すると、的確なところで、私の手を引っ張るような動きがかすかに入ってくる。これはいけると、どんどん話してもらった。書き取ってもらわないと、文章を覚えているのは大変だったが、何一つ機械を使わずに、ただ、手を引き合うだけで気持ちが表現されていく。この方法は、別のところで、パソコンがどうしてもうまくいかない高校生に、考え出した方法をまねたものだが、その人の独自の方法というところでとどまっていた。もしかしたら、一つのコミュニケーションの方法として、広がりがある方法かもしれないと思った。
以下は、そうして綴られた文章である。
(お母さんへひとことお願いします。)
疲れている、すみません、私のことで。
いつも疲労してしまって入院しないで元気でいてほしい。
四面楚歌の状況かもしれないけど、逃げないでがんばりましょう。
うれしい、手だけで話ができて。願いがかなうとは思わなかった。おねだりしよって思わなかったけど、書きたかった。
小さい願いだけど、言いたいことがあります。いつまでもお母さんには元気でいてほしい。意志が言えてよかった。
(お酒は好きですか)
すきです。
(お父さんへもお願いします。)
元気でいつまでも働いてください。
(いつも口にくわえているタオルがあった方がいいですか?)
はい。指が痛くならないから。気持ちとは別に手が動いてしまう。気持ちがちょっと楽になりました。
知りたいことがあります。学校の先生、信じてくれますか?
心配です、聞こうともしてくれない先生がいっぱいいるので。願っています。みんなの言葉を知ってぬいぐるみの環境が変わっていくことを。
ぬいぐるみの環境という言葉が重く響く。
ここで、詩のことについても尋ねてみた。すると、次の詩が書かれた。
北風をごきげんにして
宇宙の人間に希望を与え
北の方から人間のため 吹いてくる
北風は 願い求めて吹いてくる
彼女もまた、言葉によるコミュニケーションの閉ざされた世界の中で、言葉が紡ぎ出すファンタジーの世界を持っていた。
新しい年が、○○さんにとって、いっそう良い年であることを心から願っている。
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2008年12月30日 09時11分
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21歳になった○○さんと1年ぶりに会った。前回は、まだ、うまく文章を書けるような援助ができなかったが、今回は、最初からスムーズに援助することができた。あっという間の1年ではあるけれど、私の側の変化を感じる。1年前は、まったくなすすべがなかったのだから。
きてくれてありがとう きのうからまっていました くれのいそがしいときにきてくれてありがとうございます
初めて綴った文章がこれだが、まるで、前から書いているような自然さだった。そして、いくつか文章が続いた後、次のような思いが綴られた。
いいたいこといいたいとおもってきたのでうれしいです
しんじてくれてありがとう
いいたいことがいえたらいいとおもってきたけどあきらめていました
ゆめでしたきもちをことばでいうことが
じぶんのきもちがいいたかった
きちんといいたいことがいいたかった
いままでずっといいたいことがいいたかったけど
いえなくてくやしかったです
きのうからしばたせんせいをまっていてきびしいきもちがらくになりました
そして文字を覚えた経緯についてやりとりした。
(文字はいつどうやって覚えましたか?)
ちいさいころにちいさいころにいさむくんがえほんでおしえてくれた
(いさむ君とは?)
ちいさいときのともだちです
きたいしていたけどじぶんではつかうことができませんでした
(もしかしたら自分で作った友だち?)
きもちがきいてもらえるこころのなかのともだちです
(本当に絵本を読んでくれたのは誰ですか?)
おかあさんとおとうさんです
きぼうがでてきました
いちばんいいたいことはきかいがなかったからじぶんひとりでおぼえたということです
そしてお父さんとお母さんにメッセージはありませんかというと、満面の笑みを浮かべて次の文章を書いた。
いままでたいせつにそだててくださってありがとうございます
いいりょうしんにめぐまれてしあわせです
きになっていることがあります
しせつになったらきにくくなるのではないかということです
きにくくなったらむりをしないでください
ちいさいときからじぶんのことはじぶんでやりたいとかんがえていたのでだいじょうぶです
いいところがあったらしずかだったらどこでもいいです
きぼうがでてきました
きもちをいうことができるとはおもいませんでした
いいきもちです いいじかんです
(現在の通所施設はどうですか?)
きれいなところでちゃんとしたしょくいんがいてあんしんです
(以前、会った時、自分はショートステイの施設に入って、ご両親が旅行に行ったという話をした時、とてもいい笑顔をしたよね。あれはどういう気持ちだったの?)
のぞみでした おかあさんとおとうさんがいいじかんをすごすことが
だからいいえがおになりました
ここでお母さんから食事の時のことについて質問ががあった。
いいたいみんぐでないとちゃんとのみこめないからじぶんでなかなかたべられないのでじかんがかかってしまう
(タイミングとは?)
のみこめそうなたいみんぐ
いいちゃんとしたたいみんぐだとのみこめます
なれないひとにはみためではんだんされてしまいきもちがしゅうちゅうできません
ちゃんとたべさせてくれるひとにはきもちがしゅうちゅうできます
ここで、驚きを隠せないご両親をさらに驚かせる質問をした。詩のことだ。
かけます ちいさいころからしをつくっていました いいきぶんになるためです
きいてください
きにきをつないでもりをつくろう
ちいさいきからひろがっておおきなもりができる
いのりとともにちいさなきはきょだいなもりとなる
しずけさのなかでとりがうたいはながさく
ちいさなこころとこころをつないでゆめをつくろう
きぼうにみちたみんなのゆめを
きじのなくこえがしてきがついたらそこにはなにもなかった
いいきたのかぜがふき
ちいさなゆきをふらせた
きたのかぜはきぼうをはこぶかぜ
ねがいをにびいろ(鈍色)からしろいいろにかえる
きたのかぜはいいかぜだからきぼうをのせてふいてくる
きたからふくかぜにきぼうをちいさいじぶんはいただいて
きたのくにのきぼうばかりをまちのぞむ
きたのきぼうのしずけさはきぼうにいきるきたのくにのひとびとのもの
きのうのちいさなびょうきのようなくるしみをいやし きぼうにかえる
きのうのちいさなきずついたこころをいやし きぼうにかえる
いいじかんがながれ いいりそうのしずけさがちいさなじぶんをつつむ
きのうのきずついたこころは きぼうにみたされて しずけさのなかでひざまづく。
いったん描かれた美しい情景は、雉の声でかき消されてしまう。しかし、そこで、もう一度、改めて希望をもたらす北の風が吹くという展開には、胸をつかれる思いがする。それだけに、獲られた希望は重みがある。
しをつくっているときもちがおちつきます きもちがしずまります
だからしをつくっています じぶんのためにつくっています
そして、最後にひとこととお願いした。
きょうはとてもうれしかったです
きびしかったけどじぶんのいいたいことがいえてよかったです
きじのこえはいぜんちいさいしいかのなかでしりました
きじもなかずばうたれまい
きじはおとうさんとしょうわこうえんでもききました
いいこえでした
いいじかんをすごさせていただいてかんしゃしています
いいにんげんになりたいのできもちをきちんといえるようになりたいです。
彼が気持ちを日々の生活の中で語れるようになるには、まだまだ越えなければならないハードルがいくつかある。しかし、そのハードルを越えるための歩みはすでにスタートが切られたといっていいだろう。彼が、その先に目指しているのは、いい人間になるということだ。その崇高な目標への歩みを、少しでも援助できるよう、さらに私自身の研鑽をつまなければならない。
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2008年12月30日 08時08分
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27年つきあってきて、5月にようやく気持ちを表現することができた○○さんのお宅におじゃました。これで、文章を書き始めてから3度目の関わり合いになる。
最初に彼が言いたかったことして、次のような文章が書かれた。
ちいさいときからのゆめでした きもちをことばでいうことが
いいたいことがいいたいとおもってきた
いいたいことがいいたいけどいえなかったのでくやしかったけど てではなせるようになってかんげきしています
しばたせんせいはきっときもちがわかってくれるとおもっていましたが ちいさいころはいつかはなせるようになるとおもっていました
いいにんげんになりたいとおもっていましたが ちいさい いいこのままではいられず きになっていました
いいこになりたいとおもっていましたが きもちばかりでげんじつはきびしかったです くびをながくしてまっていていました このひがくることを
いいたいことがいえるようになったので これからはこころをいれかえていいにんげんになりたいとおもう
いいにんげんとはじぶんのことだけをかんがえるのではなく きもちよくひとのことをおもいやることができるにんげんのことです
そして、彼に詩を作ったことがありますかと尋ねると、とたんに笑顔が浮かんだ。そして、書かれた詩。カ行が選ばれ、「き」が選ばれると、やはり、彼もかという思いがした。そして、「きたかぜ」という言葉が綴られ、生まれた詩は、以下の通りである。
きたかぜにきいてみましょう
きぼうはきたのくにからくるのですか
きたかぜにきいてみましょう
にんげんにとってしあわせとはなんですか
しらないくにのしらないきたかぜにきいてみましょう
しろいきぼうのしかはらいねんのふゆにはやってきますか
いいしらせはきたかぜがはこんでくるのですか
きぼうときぼうがかさなって
にんげんにいいしあわせをもたらします
ちいさいにんげん ちいさいじぶん
しらないくにのしらないところから
ひとびとにいいしあわせをあたえるために
きたかぜはいいしらせをはこんできます
いいきたのきぼうをつたえてきます
いいきたのきぼう
すばらしいちきゅうとすばらしいちきゅうのひとびとに
いいしあわせをはこんできます
いいいちにちをいままでくるしんできたひとびとにあたえます
いいきたかぜに
しらないくにのきぼうをはこびます
いいきたかぜはきたのくにからふいてきて
いいしあわせをきぼうとともにはこびます
いいきぼうといいしあわせがかさなって
いいしあわせをひろげます
いいしあわせをたくさんあふれさせます
いいきたかぜはきたのくにから
きぼうといっしょにひとびとにふいてきます。
そして、その説明として次の文章が書かれた。これも一篇のしのようだ。
きたかぜはいいきぼうをはこんできます
きたかぜはいいうたをはこんできます
いいゆめをはこんできます
いいしらせをはこんできます
きたかぜとはきたのくにからふくかぜでしろいゆきをはこんできます
いいしらせをはこんできます
きたかぜというものにひとびとはきぼうのしらせをききます
ちいさいゆめいっぱいかかえてきたのくにからふいてきます
いいきぼうをもたらします
いいねがいいっぱいきたかぜははこびます
いいちいさいじぶんにいいきぼうをあたえてくれます
きたかぜのいみはいきることにくろうしたひとにしかわかりません
いいいきかたをしたいとおもいます
いいにんげんになりたいとおもいます
きたかぜというのはきぼうのきたかぜです
ここで、お母さんが、どんな苦労をしてきたのと尋ねると、次のような答えが返ってきた。
いいたいことがいえないことと いいからだでいいようないきかたができないことです
そして、お母さんが、ごめんねとあやまっていると、
いいじんせいです おかあさんやおとうさんにだいじにされて
いいかぞくにめぐまれてしあわせです
即座に返事が返ってきた。そして、お母さんは、現在施設にいることや、施設で出されるペースト状の食事について、質問したところ、返事は次のようなものだった。
××××はいいところです
うちにいるとせわがたいへんだからきかれてもこたえにくいです
おいしくはありませんがきらいではありません
いいあじつけにしてくれますから
いいしせつだとおもいます
そして、話は、7月の友だちにもやってほしいという話に続いていく。
しばたせんせいどうしたらきてもらえますか
ちかくにきたらよってくたさい りかいしてもらいたいともだちがたくさんいます きてもらえるとうれしいです
計算について、自分で式を作って答えも書いてほしいと言うと、なんと、3桁のわり算を書いてきた。
325÷5=65
じぶんでがくしゅうした
きになっていたのできいてもらえてうれしい
きちんとおしえてもらいたかった
そして、どんな歌が好きなのかと尋ねると返事は次の通りだった。
きもちがおちつくうたです きびしいときにいつもくちずさんでいるのはいつかのいいうたです
いつかのいい歌とは、どんな歌か、歌詞を書いてみてと頼むと
きぼうというなのあなたをたずねて
という出だしが書かれた。有名な歌なので私も知っているが、なんと、お父さんの話では、テープもCDも家にはあるそうだ。岸洋子の歌う「希望」である。彼は、希望の詩を作り、希望を歌いながら、ひそかに希望をつないできたということになるだろう。
それから、再び、自分の話に。
きっとちいさいころちいさいこどものままでいたかったけどいつまでもそういうわけにはいかなかった
きっとじぶんでいきていけるとおもっていたけどいいきっかけがなくていしをきいてもらえなかったのでざんねんだった
いまはしかたないとおもっています
いいじぶんのじんせいをおくりたいのでこれからもよろしくおねがいします
きてくださいなかがわのさとに
しばたせんせいのことをみんながまっていますのでおねがいします
×××せんせいにたのんでください
きてくれるようにきちんと おかおかあさんから
いちどきてください いつかかならず
そして、最後に、次のように書いて、この日の関わりを終えた。
きいてほしいことがありますいちばんかなしいのはともだちがなくなることです
いままでになんにんもなくなりました
みんなきもちがつたえたいとおもっていたのにできずになくなってしまいました
それがくやしいです
いつかきもちをつたえたいとねがっていたのだろうとおもいます
こんごそういうことがないようにおねがいします
いのっています いつも
のこりのじんせいをこころからしんけんにいきたいとおもいます
気持ちを伝えたかったけど伝えられずに亡くなってしまった人たちの思いを考えると胸が痛む。そして、彼の言うとおり、今後は、そういうことがないようにしなければならない。
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2008年12月28日 23時49分
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私たちの言葉をめぐる取り組みがなかなか理解されないことを心配した○○君は、次のような文章から始めた。
しばたせんせいはきになっていませんか きちんといいたいことがわかってもらえないで
きわもののようにいわれてしまうことに
みちのりょういきを しこうするのはむつかしいということなのでしょうか
みんなにわかってもらうことのむずかしさと、それでも戦っているつもりであることを伝えると、
きけてよかったです みちのせかいにちょうせんするのはたいへんですね
と私を気遣う言葉をかけてくれた。ここで、突然、詩のことについて尋ねた。すると、「あります、かけます」という返事。そして、次の詩が書かれた。彼もまた、テーマは北の風と希望だった。彼と関わるのは8月以来のことなので、まだ、北の風の話をしたことはない。ここで、彼が北の風をとりあげるのは、全くの偶然ということになる。(このブログを見ているわけでもない。)
きたのくにからふくかぜは いいひびきをしています
いいひびきをたてながら きたのくにからふいてきます
きたのくにからふくかぜは きたのきぼうをつれてきます
きたのきぼうは きたにすむきたのしかがふかせるかぜです
ちいさいときのおもいでをつれてやってきます
しかはきぼうのいぶきをにんげんにあたえます
きたのしかのきぼうはちいさいときにみたゆめときぼうです
ちいさいときにじぶんじしんできいていたきたのきぼうのしかのこえです
きぼうのきたかせはじぶんにむかってふいてきます
きぼうのきたかぜはきぼうびんかんにさっちして
きぼうのあるところにふいていきます
しろいゆきとしろいちいさなまほうつかいをつれて
きたのくにからきぼうをひとにあたえるために ふいてきます
しろいせかいと しろいのぞみと しろいねがいと ちいさいゆめにきぼうというものを
あたえるためにふいてきます
いいきぶんです いいたいことがいえて いいたいことが じぶんいじょうにはやくかけていきます
ふしぎないいきもちです だいじょうぶです
きたかぜをいやがるひとはおおいけど きたかぜはきぼうのかぜです
きたかぜにはいきていくのがつらいひとのきもちがこもっています
きたかぜは だからきぼうのかぜなのです
あります
なぜ、北風が希望の風なのかという説明も、幾人かの子どもたもが書いたことと相通じるものである。そしてもう一つ、詩が書かれた。
ちいさいねがいのきがありました
いいかぜがふいてきて いいはながさきました
いいかぜがふいてきて いいみがなりました
いいかぜがふいてきて たねはじめんにおちました
きぼうのいいかぜは きたのくにからふいてきて
じめんにめをだすようにいいました
いいかぜは いいにんげんは きぼうのいぶきをかんじ
ちいさいころきぼうをかんじていきていたころのことをなつかしくおもいだしました。
ききとってくれてありがとう じぶんのきもちをしずめるためにつくったものです
きぼうをなくさないためにかいています いいきもちです
傍らでは、弟の▽▽君が、筆談の練習をしていた。いろいろな会話をうまく書き取れていた。ところが、何か言いたげだったので、パソコンを出してみた。すると、にいさんが詩を書いたことを聞いていたのか、すぐさま、詩を書き始めた。
ちいさいぼくはにんげんとしてうまれ きぼうをもっていきてきた
きぼうはきたのくにからやってきて いいちいさいぼくにねがいをくれる
いいちいさいぼくは きぼうをきたのかぜからもらい
しずかにきたかぜのおとをきいている
きぼうのきたかぜはちいさなぼくをはげまして きぼうをくれる
いいちいさいぼくは きぼうのきたかぜにきぼうをもらい
きたかぜのふらせるゆきを しずかにみている
いいちいさいぼくは しずかにしずかにきたかぜにいしをつたえる
いいちいさいぼくは きたかぜにいのちをちかう
ちいさいぼくは いいちいさいのぞみをかかえて
いいちいさいぼくのじんせいを ねがう
いいちいさいぼくは きぼうのきたかぜとともに
いいしらせをひとびとにつたえる
いいちいさいぼくは いいのぞみをきたのくにのかぜに
いいちいさいぼくは いいきたかぜにいのりをささげ
いいきょうのいのちをかんしゃする
きたのくにからふくかぜにきょうのにくしみをいっそうすることをねがう
きたのくにからふくかぜに
いいじんせいをきぼうにみちたものにすることをちかう。
「いいちいさいぼく」という表現は、昨日も、別の場所で聞いた言葉だった。小さい自分ながら懸命に自分を肯定しようとする響きがこの言葉にはある。まだ、小2の少年の、懸命によく生きたいという祈りのような文章だ。「にくしみをいっそうすることをねがう」ほどに彼が憎しみを抱いているとも思えないのだが、まったくそういうものと無縁の者が書く言葉でもないだろう。さっきまで、あどけない内容の筆談をしていた彼のこころの中には、こんな世界が秘められていたのである。
そして、この兄弟の1時間後にやってきた◇◇君は、「しなんのわざがひつようですね。きびしいですね。いいほうほうはないのでしょうか。」と、わかってもらうためにどうすればいいのかということから話し始めた。
いいたいことがなかなかきいてもらえません しんじてもらえません いいたいことがつたわらないと きもちはしずんでしまいます きもちがきらいになっていくのがいやです きちんといいたいことがきいてもらえないといいたいことがいえないといいちいきがきずけません
そこで、この話にお互いにとどまり続けていると行き詰まってしまうので、話を切りかえて、詩のことを尋ねた。答えは、「つくっています」。そして、次の詩が書かれた。彼は、上述の兄弟が何を書いたかなど、まったく知らずに、さらさらと詩を書き始めた。
しろいいき いいいきを いいかぜにはき いいきたかぜにいう
きぼうにみちたきたかぜさん あなたのいきできぼうをください
きぼうにみちたきたかぜは きたのくにと きたのしずかなゆきたちを
きぼうにすべていろどって いいきぼうのかぜたちを
いいにんげんたちにとどける
いいいき いいしろい いき いいきたかぜ
ぼくにきぼうをください
ちいさいころから いいいきをはきながら
ぼくはきぼうをしんじてきた
いいきぼうのひかりは きぼうとともにぼくのこころにおとずれる
きぼうのきたかぜと しろいゆきは いいきたのくにからやってきて
きぼうときぼうとをつなぐ
きたのくにからふくかぜに きぼうのきたのくにのきぼうをきいている
いいいきをはき みんなにきぼうをあたえる
きたかぜにしろいゆきをのせて いいいきをはき
いいきたかぜにちいさなぼくはねがいをきく。
そして、詩について、次のようなコメントをつけた。
きたかぜはきたのくにからふくかぜで みんなはいやがるけど きたかぜは いろいろなくるしみをけいけんしたひとにしかわからないけど きぼうをはこぶかぜです きたかぜは だからきぼうのきたかぜです
そこで、兄弟の詩を読んで聞かせた。
びっくりしました きたかぜをびんかんにかんじとっているひとがいることがわかってうれしい
にんげんはきたかぜをきらうとばかりおもっていました きぼうというものはきもちがしずむときえていきますから いいきぶん しきりにいいきもちがします いいきもちです
と、率直な感想を述べた。そして、最後にこうしめくくった。
にんたいしてきたけど きぼうがかないました いいきぶんです きもちがすらすらかけて
いいみいだしです ぼくたちがみんなしをつくっているということにきずいたことは
きもちをしずめるために ぼくたちはしをつくっています
ちいさいころから いいちいさいじぶんを きぼうにみちたにんげんにするために
きぼうがあれば ぼくたちはいいにんげんになることができます
いいじかんでした きぼうがわいてきました
いいじかんでした いいほうほうです ちいさいころからのゆめでした
そして、さらに、☆☆さんが、続けてやってきた。彼女は、詩的な表現を何度もしてきた社会人1年目の女性だ。詩のことが話題になっていたのを聞いて、さっそく詩を綴り始めた。
きぼうのきたかぜはきたのくにからふいてきて
にんげんにきぼうをあたえる
しんじていればきっとねがいかなうということを
きぼうのきたかぜはおしえてくれる
いいじぶんになるためにいいきたかぜは
ちいさいわたしにちいさいころからいいきぼうをあたえてくれた
きぼうのきたかぜはいいひとにいいきぼうをあたえてくれる
きたにむかってわたしはさけぶ
きたかぜにむかってわたしはいのる
いいきぼうをくださいと
にんげんとしてうまれ いいねがいをもち
にんげんとして いいゆめをいだき
きもちをきりかえたいとおもっても
いいねがいはなかなかじぶんにはかなわなかったけど
いいきぼうがあればいいじんせいがひらけることを きたかぜにねがう
ちいさいちいさいわたしに きたかぜはきぼうをくれる
きぼうはきたのくにからやってきていいにんげんにしてくれるいいきたかぜはきたのくにからやってきて きたのくにのきぼうをつたえる。
にんげんとしてうまれてきて きちんとしたじんせいをきぼうをもっていきていきたい
にんげんとしていきてきて にんげんとしてきぼうをもち
きぼうをぎんいろのねがいにかえて いいじんせいをいきていきたい
じしんというちいさいひかりをきぼうによってともして
きぼうのひかりをしんじていきていこう
にんげんとしていきてきてひかりをにじといっしょにきぼうにかえて
しじんのようなきもちでいきていこう
ちいさいちいさいにんげんだけど しじんのようなしずかないのりをささげながら
きもちをしずかにいのりにかえていきていこう
しじんとちいさなわたし ちいさなしじんとちいさなわたし
いつまでもいっしょにいきていこう
にんげんとしていきてきて にんげんとしていきていく
しじんのようなきもちで きょうもいちにちしじんとしていきることができて
いいいちにちだった
きょうもいちにちきぼうをもっていきていけたことに かんしゃしよう。
◇◇君は、じっと、詩に注目していて、途中で、何度か、読み上げると、自分と同じように北風がテーマになっていることを、とても喜んでいた。そして、改めて、☆☆さんにも、◇◇君のものや、○○君、▽▽君のものも聞いてもらった。4人がそれぞれ、独自の個性的な表現を持ちながらも、北風と希望とを共通のテーマにしていることを、心から喜び合った。そして、☆☆さんの、感想。
きょうはたくさんかけてよかった きぼうがわいてきました きぼうがみちてきました
いいいちにちでした いいじかんでした いいみんなのしがきけてよかったです。
急に冷え込んで、北風が吹き荒れた日だった。私たちの知らないところで、彼らは、北風に希望を重ね合わせて、懸命に生きようとしていた。そして、残念ながらみんなそんな思いを共にする仲間がいることを知らない。みんな同じ思いで生きていることを伝えて、みんなひとりではないことを知ってもらいたいと思う。
今年で12年目を迎えたこのグループ。こんな日を迎えられるとは、まったく予想だにしなかったことだ。こんなふうに、新しい年に向かうことができることに、心から感謝した。
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2008年12月26日 23時40分
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自主G多摩1 |
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2度目の関わり合いになる小1の少年との関わり合いは、こんな文章から始まった。
きびしいさむさいやです
きちんときていないとさむいです
いいきもちです きもちがすらすらかけていきます
いいきもちです いいほうほうですね
そして、話題は、気持ちを伝えることに。
ちいさいころからゆめでした
きもちをつたえることがきになっていることがあります
いいちえがほしいです きもちをつたえるための
いいたいことはたくさんあるけど いいたいことがいえずにこまっています
いいたいことがいいたいです
きもちさえきいてもらえなくてひとりぼっちです。
いいほうほうがあったらおしえてください
こうしたはがゆい思いは、そのまま体に力を入れさせ、激しく身をよじらせ始める。ふつうなら、いったん休んだ方がと思うところだが、気持ちが高じてそうなっているのだったら、気持ちをおさめるしかないだろうという思いと、どんなに体をよじって、大きな声を出し始めても、手は、ずっと文字を綴り続けているので、私が逃げてはいけないという思いとで、文字を綴るのを私からやめることはしなかった。
コミュニケーションの方法について、彼はこうも語った。
はいといいえはうまくいえません
いいたいけどうまくいえません
いちばんきくのはあしです
いちばんいいのはあしだとおもいます
いいえをいうのはかんたんだけどはいがむずかしい
いやな顔をすることで何とか「いいえ」は伝えられても、「はい」を伝えるのはむずかしいとのこと。お母さんの話では、笑顔で「はい」を伝えることがあるということなので、笑顔をタイミング良く作るのは容易ではないということだろう。
そして、こういう文章を書くにいたって、体のよじれは頂点に達した。
いえなくてくやしいとおもうけどちいさいころからわかっていたのにぜんぜんりかいしてもらえません
ここで、私は、あえて、次のように尋ねた。くやしい思いが今体をこんなにももだえさせているのはわかるけれど、自分で何とか、その気持ちを落ち着かせることはないのかと。小1の少年には酷な問いかけかと思った。しかし、もし、きちんとそういう工夫をしてきているなら、聞かない方が失礼だと考えたからだ。
すると、こんな答えが返ってきた。
しをつくってきもちをしずめてきました
きもちをしずめるためにつくったしがあります
詩のことは、いっさいふれてはいなかった。私はただ、気持ちを落ち着かせる方法があるのかどうかを尋ねただけだ。これまで、詩を作っていますかと直接問うことはしてきたが、こういうふうに問いかけたのは初めてだ。そして答えが詩だった。詩というものの持つ、奥深い意味をまた、思い知らされた。そして、「きたのくに」と「きぼう」の詩が書かれた、またしても。
いいひとはきたのくにからやってきます
きたのくにのきぼうを きたかぜにのせてやってきます
きたからふくかぜは ちいさなぼくのきぼうです
きたからふくかぜは にんげんにきぼうをくれます
いいきぼうです
いいかぜです
きたのくにからふくかぜは きたのくにからふいてきて
いいひとにしてくれます
きたのくにからふくかぜは きぼうのきこえるかぜです
いいひとになるように ちいさなぼくにきぼうをくれます
きたからきたひとは いいかぜをつれてきます
きたからくるひとは きぼうをにんげんにしらせてくれます
きたのくにからふくかぜは きぼうのきたかぜです
いいひとになるように ふいてきます
いいひとになるためにじかんをかけて
いいきぼうをちいさなぼくにあたえてくれます
きたのくにからふくかぜは きたのくにのきぼうをつたえてきます
いいひとになるために
じぶんをたいせつにするために
きぼうのきたかぜはことしもきたのくにからふいてきます
きたのいいきぼうをつたえてきます
きたのくにからふくかぜに いいちいさいねがいをしてみよう
いいちいさいねがいは いいかぜにむかい
ちいさないいきぼうを じぶんにくれる
きたのくにから いいいきかたをするように
じぶんにふいてきます
いいかぜにのせて いいきぼうを にんげんにあたえます
いいちいさいじぶんに いいきぼうをくれます
いいちいさいじぶんに いいきぼうをしらせてくれます
いいしらせはきぼうのための ちいさいあかしです
いいちいさいじぶんに いいしらせをくれます
いいしらせはきぼうのちいさなあかしです
いいじぶん ちいさいじぶん いいちいさいじぶん
きたのくにからふくかぜは きぼうのきたかぜです
いいきたのかぜです
いいきたかぜです
いいじぶんになるために きたにむかっていのります
いいじぶんになるために
いいきたかぜ いいじぶん いいきたかぜ いいじぶん。
「いい」が連呼され始めるころには、彼は、ぴたっと動きを止め、まるで眠ったような安らかな姿勢と表情とで、詩の言葉を書き続けた。これは、もはや気持ちの表現ではなく、自分に向けて語りかけているのであり、祈りそのものであった。リアルタイムで、繰り返される「いいきたぜ」「いいじぶん」という言葉は、心のそこからの願いを繰り返し唱える祈りだった。
そして、いつまでも続きそうな繰り返しにようやく区切りがつけられるたので、私は、北風について、他の子どもたちも同じように北の風を大事にしていることを伝えた。
きたかぜはいいかぜです
きたかぜはきもちをわかってくれます
きたかぜはきぼうのかぜです
そんな他の子どもの詩を聞いてみたいですかと尋ねると、
きいてみたい
との答え。そこで、いくつか北の風が登場する詩を紹介した。
にたことをかんがえているひとがいるのでおどろきました
きたのくにはきぼうのきたかぜがふくところですから
じぶんもじかんがあると きたかぜのことをかんがえています
いいいきかたがしたいです
いいじんせいがおくりたいです
いいきぼうがほしいです
いいきぼうみつけたいです
いいちいさいじぶんをたいせつにしたいです
いいじぶんをじかんをかけてつくりたいです
いいきもちです
いいたいことがいえてありがとうございました
またよろしくおねがいします
いいきもちです
小1のまだ幼さをいっぱいに抱えている少年が、身をよじらせてくやしい思いを表現していた。途中、体がつっぱって、どうしようもなくなった時、私は、彼を抱え込みながら、文字を読み取り続けた。彼を抱え込む腕には、彼の悔しさが痛いほど突き刺さってきた。私の心も、もだえずにはいられなかった。そして、彼は、みずからの祈りによって、希望を心の中に宿していき、穏やかな表情へと変わっていった。彼は、一人で自分に与えられた運命に激しく挑みかかっていき、そして、みずから、希望を見いだしていった。そんな精神の激しいドラマが、私の腕の中で繰り広げられていたのだ。彼の無念の思いとそれを乗り越える精神の崇高さとを、どうやって伝えていったらいいのだろう。
しかし、彼の挑む気持ちさえあれば、私もまた、希望を見いだせるはずだろう。小1の少年に負けるわけにはいかない。
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2008年12月26日 02時04分
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今回で3回目になる中1の少年は、せっかく自分が言葉を表現できるようになったにもかかわらず、そのことが大人たちに理解されない寂しさを最初に語った。表現できることがわかった後に、こんな試練が待っていようとは、思いもよらなかったのにちがいない。しかし、残念ながら、それが厳しい現実だ。
ひとしきり、その話が続いたところで、体の動きの問題について尋ねてみた。パソコンをやっている最中にも、手が前に伸びて、いろいろなコードを引っ張ったりするのだが、それが、きっと誤解されていると思ったからだ。私も、昔なら、その行動をいい意味で意図の現れと解釈してきたのだが、どうも事情は違うらしいことがわかってきたからだ。
かってにてがうごいてこまっています
きもちとはかんけいなくてがうごいていいこだとおもわれない
パソコンの画面上に、きちんとした文章が並んでいくかたわらで、まったくそのこととは無関係なことのように手が伸びて、いたずらのようなことをすることを、こんなふうに書いてもらうと、その意味がよくわかる。意図したのとは違う方向に手が伸びるという不随意運動とはちがって、意識のコントロール下に置かれていない行動があるということだ。どうしてそんな行動が起こってしまうのか、説明ができるわけではないが、そのような行動があることは、私自身が聞き取った多くの証言から明らかだ。そして、そのことは時として、彼をわがままに見せたり、言葉やルールの理解がない子どもとして、誤解を生じさせてしまう。それが、「いいこだとおもわれない」という言葉にこめられている。理解されないだけではなく、誤解までされているのだ。
そのことについて、自分なりの考えを彼に伝えたあと、詩のことについて尋ねてみた。すると、やはり作っていて、今、書けるという。そうして、生まれたのが次の詩である。
しろいしろいいぬがきみにはみえますか
しろいしろいねこがきみにはみえますか
きぼうのいろをしたいぬとねこは
いいいきをはいてきぼうをつたえます
ちいさいぼくは にひきのきもちがよくわかる
きぼうにはばたこうとして
きぼうを きたのくににむかってさがしにいこうとして
きぼうにみちたかぜにむかって
きせつのかわることをかんじながら
えみをうかべ しろいいきをはく
ちいさなぼくは きぼうをうしない
ちいさなぼくは きたにむかっていのる
しろいいぬとしろいねこ はやくぼくにきぼうをください
しろいつぶらなひとみをした いぬとねこは
きぼうをきせつにひいらぎのなかまにして
しろいきたのくにの いいきぎに
じかんというしろいいきものにかえて
いつまでも しろいしろいきたのしかのすむくにの
きたかぜにいのった
いいじかんが ちいさなぼくをじっとつつんだ。
「きぼうをきせつに」のあたりは、助詞の読み取りの間違いがあるのかもしれない。白い犬と白い犬の不思議な物語。そして、そこに吹いているのは北の風だ。多くの子どもたちが歌った北風に、彼もまた特別の意味をこめる。
そして、彼は、詩を作ることの意味と希望の意味を語った。
きもちがしずんでいるときに
じぶんのきもちをあかるくするためにつくっています
きぼうがなくならないように
いいちいさなぼくでありつづけるために
いつかきぼうがかなうように
いいきもちです
いいじかんです
いいいちにちです きもちがすらすらかけて
きぼうしかひつようなものはありませんから
きぼうだけをかんがえていきています
ちいさなぼくは いいこどもになりたいとおもうので
いいきぼがひつようです
きぼうというものがにんげんになかったら
じんせいはいろをうしなってしまいます
いいきぼうがにんげんにはひつようです
しいていけんをいえば いいいきかたをするためにも
ちいさなぼくはきぼうやねがいをだいじにしていかなければならないので
きもちをつたえられるようにいっしょうがんばりつづけなくてはならない
くろうしてもきぼうをうしなってはいけない
しいていえばきもちをにげないようにして
きぼうぼくといっしょに
しいていえばきぼう ついいちじかんまえには
なくしかけていたけど
きぼうをなくさずにいきていきたい
きぼうがわいてきましたがんばります
ありがとうございました
またよろしくおねがいします
きぼうがでてきました
きたかぜにいのってよかったです
いいじかんでした
いいいちにちでした
つい一時間前、彼は、確かに、わかってくれないことを嘆いていた。そうした気持ちから、北風に祈ることによって、再び希望を取り戻した。詩は、単なる詩ではなく、祈りであることがよくわかる。
彼の切実な祈り、どうか、多くの人に届いてほしい。
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2008年12月26日 02時01分
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高1の○○君は、将来を見据えた文章を書いた。
いちばん言いたいことは、いいところに強いられずに行けるかということです。気持ちを言いたいけれど、気にしないでほしい、おかあさん。希望はいい作業所に行くことだけど、きちんとした自分の意見を言うことができないと、いちいち気持ちを言っていかなくてはいけないので、生き方としてはあまりいいとは思えない。希望はお母さんと一緒にいい施設を作ることです。いいお母さんとは、気持ちが自分で聞けていい注意をしてくれるお母さんのことです。まなざしを優しく向けてくれてり、話し合いをしてくれるお母さんです。小さいときからいいお母さんだったけど、気にしてくれたのはいつも周りに気を遣ったことで、自分のことは後回しだったから気の毒だった。気を遣った生き方を変えないと、いいお母さんでは続かないと思う。いいお母さんが自分は好きなので誓いとともに、改めてほしい。犠牲にならずに、言いたいことを自信を持って言ってほしいと思う。小さい時から気になっていた、自分の言いたいことが言えないで、我慢ばかりしているところが。小さいときは気づかなかったけど、気になり始めたので聞いてもらいました。気になり始めたのは、いい施設を探したいと思うようになってからです。小さい頃には気づかなかったけど、気になり始めたのです。
(母:施設とは、どの意味で言っているの?)
施設は卒業後行くところです。
(母:あなたの考えるいい施設とはどんな施設?)
いい施設はきちんと気持ちを聞いてくれ、きちんと気持ちを生かしてくれる施設です。希望は、気持ちいろいろ違う仲間たちを、違いを認めていき、一人一人を尊重する施設です。
(母;施設を作りたいと言っているけれど、いいところがあれば、そこでもいいの?)
いいです いいところがあれば。気持ちを大事にしてくれる施設があれば、そこがいい。いいところがあればいいと思う。(私:最近、パソコンがスピードアップしたのは、社会人の人たちのグループの中にいる、障害の重い人が、一緒に話し合いに参加できるように通訳をするようになったからだけど、いつか、パソコンを通訳として使えるようになれば、手話通訳みたいにして、言いたいことを言えるようになると思っている。)
犠牲にならずできることなの。
(私:家族がやれば犠牲になるかもしれないけれど、仕事として関わっている人がやれば犠牲になるということではないと思う。車いすを押すのと同じだから。)
以上のように、卒業後のことを、母への心遣いとともに、語った。通訳さえ存在すれば、彼は、もう、自立している身体障害者の方々のように、社会と対等に渡り合って行けると思う。まだまだ、通訳できる人は少ないが、けっして実現不可能な夢でもないように思えてきた。そして、さらに話は、これまでを振り返る話になっていった。
小さい頃からの夢でした、気持ちを伝えられるようになることが。自分だけではなく、小さいときから友だちもみんな話したいと思っていましたが、なかなかその願いはかないませんでした。気持ちを聞いてもらいたいけど信じてもらえませんでした。苦しかったけど、柴田先生に出会って初めて言いたいことが言えて、自分の言いたいことが言えるようになって、気持ちを表現できるようになって、気持ちが変わりました。気持ちが小さくなくなりました。いい人間になれそうな気がしてきました。気持ちが人に伝えられるようになってから、いい人生が送れそうな気がするようになりました。気持ちが理解されるようになってから、いい気分になることが多くなりました。気分が明るくなりました。いい気持ちです、気持ちがすらすら書けて。いい方法ですね。言いたいことが全部言えてよかったです。
本当はいい人生を送りたいとか、いい人間になりたいという当たり前の願いを持っていながら、なかなかその願いを育てきれずにいる。責任は、もっぱら社会の方にあるのに、それを、自分の責任であるかのように語る。
この高校生は、この自主グループ発足に、とても大きな役割を果たした少年である。出会いは小5の冬だったから、5年の月日が流れたことになる。しっかりとした考えをこれまでも、繰り返し示してきたが、こうして、将来のことをきちんと見据え、なおかつ、自分のこれまでのことを冷静に見つめ直している。過去から流れてきた時間と未来へ流れていく時間の間としての現在に、彼の立っている場所が、とても確かなものであることが、ひしひしと感じられる。
また、話ができるのが楽しみだ。
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2008年12月26日 00時01分
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昨年度、パソコンで文字の表現が可能になり、その後、先生と筆談へ移行していった現在小6の女の子が都内の特別支援学校にいる。今回、まず、担任の先生による筆談で、終始にこにこしながら、いろいろなことを語ってくれた。
昨年、わかってほしい気持ちを激しくぶつけてきたことが、うそのように、穏やかな少女がそこにいた。
そして、筆談をしながら、先生と一緒に書いた文章も見せていただいた。日を追うごとにきれいになり、なめらかになっていく筆談の文字に、コミュニケーションがどんどん広がっていった軌跡が示されていた。先生の筆談の通訳で、いろいろなことを語った。彼女の書いた詩は、大きな詩のコンテストにも入賞していて、もうすぐ、公表されるとのこと、確実に広がりを見せている彼女の姿が、私は、本当にうれしかった。
時間があとわずかになったところで、ふと、ワープロで話してみたくなった。久しぶりにあった私だと、また、違うことが語られるかもしれないという思いがしたからだ。時間がないということもあって、出せる限りのスピードを出すと、彼女はしっかりとついてくる。そして、書かれた文章だ。
わたしのことばをなぜみんなしんじてくれないのでしょうか
ふしぎですかんがえただけでことばになっていきます
ちいさいときからじをおぼえていたのになかなかあらわすことができませんでした
きらいなことばかりがっこうでやらされていやになっていました
きびしかったです
にんげんとしていきていきたいとおもっていたのできびしかったです
いいにんげんになりたかったけどなかなかなれませんでした
いいにんげんになるためのきぼうがでてきました
いいちゃんすをいただけてかんしゃしています
きぼうがわいてきました
いいにんげんじゃなかったけどいいにんげんになりたいとおもいます
きぼうにむねがふくらみます
きぼうがでてきましたきもちがいえてうれしいです
きもちがいえてきもちがらくになりました
いいほうほうですね
おどろきです
ちいさいときからいいたかったです
にんげんだからきもちをつたえたかった
いいたいことがいえてよかった
この日の筆談の資料は、手元にないので、掲載できるのはこのワープロの文章だけだが、率直な思いが語られている。一人の少女が、こんなふうに自分を見つめ、いい人間として生き直そうとしているというその場面に立ち会えているというだけで、厳粛な気持ちにさせられる。もちろん、彼女は、ずっといい人だった。しかし、いい人であることを、私も含めた社会が認めきれなかったのである。人を育てる教育が、静かに営まれているこの学校の実践に、心から敬意を表したいと思う。そして、こうした実践の広がりを心から願う。
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2008年12月25日 22時40分
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ある都内の特別支援学校でのできごと。2年前にパソコンで文字を表現できるようになった現在小3の女の子は、現在手を添えられることによる筆談で気持ちを表現している。先生も家族も筆談の支援が可能で、表現の世界が格段に広がった。
そんな彼女に、あえて、パソコンで表現してもらった。それは、一
緒に話がしてみたかったからである。
きもちをいいたいとおもってきました
いいたいことがいえるようになれたらいいなとおもってきたのでひつだんができるようになっていいたいことがいえるようになっていいいきかたができそうです
きぼうがわいてきました きぼうがいっぱいねがいとともにでてきました
ひつだんができるようになっていいたいことがいえるようになってからきもちがおだやかになってきました
いいきもちです にちじょうかいわをしているようなかんじです
いいほうほうですね きもちいいです
ここで「いたい」という彼女の限られた音声言語が発せられた。「あしが痛いの?」とお母さんが聞くと、
あしじゃなくてきびしいからだのことです
との答えがあって、次のような文が続いた。。
じぶんのからだだけどちいさいときからどうしようもなかった
いしとからだがばらばらなのでつらかったけどきもちがいえるようになってきがらくになりました きぼうがわいてきました
かみさまはいるとおもいます
ここで、担任の先生やお母さんとの筆談に頻繁に登場してくる神のことについて、お母さんから彼女に質問が投げかけられた。
じぶんのきもちをきいてくれてきもちがやすらぐかみさまがいます
ひとにはみえませんがりかいしてくれるたいせつなそんざいです
ここで、私は、多くの子どもたちが作り出している想像上の友だちと同じ役割の存在だろうと説明を加えると、さらに担任の先生は、さっき突然泣き出したのもそれと関係あるのと尋ねた。すると次のように綴られた。
きていたのは☆☆ちゃんです
いきていたときにきもちをかけなかったのでかなしがっています
ちいさいころからいっしょだったからいつまでもいっしょです
きもちをひとりでもおおくのひとにきいてもらいたい
りかいしてもらいたいです
☆☆ちゃんのことは私も知っていた。前におじゃました時に、彼女は給食の時間、同室となる☆☆ちゃんのことを私に紹介しようとる。そこで、小声で、☆☆ちゃんも言葉があると言いたいの?と尋ねると
、うれしそうな表情をした。しかし。それっきりになってしまっていて、10月におじゃました時に逝去の事実を知らされた。間に合わなかったのだ。その無念の思いが、彼女に☆☆さんの「霊的な存在」を生み出し、その思いを代わりに伝えているのである。あまりにも厳しい事実でありながら、その厳しさ自体が知られていないのである。短い言葉だが、上の5行の中には、私たちの社会の未熟さが隠されている。
ここで話を変えて、詩について尋ねてみた。すると、次の詩が書かれた。
うつくしいにわにいるしずかなことりにいいたい
ちいさいとりはどうしてきれいなの
いいとりはいいました
いましろいはながいっぱいさいているところに
つれていってください
ちいさいとりはいいました
しろいはなのさくくには きたのほうにあります
きたのほうにあって いざめざそうとすると
だれもいけないところです
じぶんのこころにすなおになると
いくべきほうがくがみえてきます
ねがいをもってあしたをみつめていれば
きっとみえてくるでしょう
きたのくににあるしろいはなをさがしに
きたのくにをめざして
わたしはひとりたびだつ。
こうした幻想的な世界を思い浮かべて、希望を育てていくという心の働きは、気持ちをきいてくれて心が安らぐかみさまがいるという心の世界と相通じるものだろう。
また、彼女は、すでに先生と詩も書いているのだが、それとひと味違うのは、これが、自分一人の世界の中で、幻想的な世界を思い浮かべて、思うように体がいかない自分をいやしているというもので、人に聞いてもらうことを前提としていないところかもしれない。
ところで、途中で、「いたい」と声を出しながら、一方で文章をよどみなく綴っていることについて、あらためて尋ねてみた。答えは、
きもちがかってにこえになるのでできる
ということだったが、どうも、声だけではなく、きもちが体の動きにもなっているように思われた。
ここで、お母さんから、一緒に見に行ったミュージカルのことを聞いたら「いみがわからなかった」と筆談で返してきたので、とてもがっかりしたのだけど、それはどういうことだったの?と質問がきた。
がっかりしないでおかあさん
いいみゅーじかるでした
きゅうにきかれたのでいいかげんにこたえてしまいました
かなしいものがたりでした
いいみゅーじかるでした
きりすときょうのかんがえがかんどうてきでした
なんでもゆるすというかんがえがすてきでした
さらに、餅つき大会で、去年の記憶とつながっているのだろうかと思わされるようなことがあったので、そのことも尋ねた。
きおくのことはいいかげんにいってしまいました
こわいきもちはなくなりません
きねがぶつかってきそうだからです
いきているみたいでこわい
答えは以上の通りだった。
どんどん、豊かに広がっている彼女の世界が、本当にすばらしかった。
そして、これが、学校の実践として、日々営まれていることが、本当に貴重に思われたし、新しい時代を先取りした姿があるように思われた。
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2008年12月25日 22時21分
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クリスマスを控えた週末、初めて出会った少年は語った。
まずは、書ける喜びが綴られた。
うれしいてがつかえて きもちをつたえたかった
きもちをりかいしてもらえてうれしい
にちじょうせいかつにもやくだてたい。
きもちをきいてもらいたいです
りかいしてもらいたいです
そして、話題はクリスマスのことへ。
ちくのくりすますかいにいってみたい
じぶんではいいうたがうたえないのでいいうたのきけるくりすますかいにいってみたい
いいうたがとてもすきですから
ちくのくりすますかいはどこでやっていますか
(教会のクリスマスのことですか?)
きょうかいのくりすますかいいってみたいならどうすればいいの
きょうかいとはきりすときょうかいのことですか
びっくりしました
きょうかいのいみをしりませんでした
いいきょうかいがあったらいってみたいです
ちいさいときからあこがれていました きりすときょうかいに
わからないこともいっぱいあるけど ちいさいときからくりすますがすきでした
くりすますにはきれいなうたがききたくなります
しんこうがあるわけではありませんが ちくのくりすますかいにいってみたいです
きりすとのせいたんをいわうかいです
にんげんのくるしみをかいほうしてくれるとしんじられています
しんこうはありませんが しんじたいです
くるしみからかいほうされるということをしんじてみたいです
きりすとはしんじていないけれど くるしみからかいほうされたようなきぶんです じぶんのきもちをことばでいえて
苦しみからの解放を待ちわびる気持ちこそ、クリスマス=降誕祭の原点だったのではなかっただろうか。こんなに美しい言葉でクリスマスを語れる少年はきっと詩を胸に抱いているに違いないと考え、「詩を作ったことはありますか?」と問いかけた。そして、次の詩が書かれた。テーマは北風と希望。もう何度も目にしたテーマだが、けっしてあなどるわけにはいかない。
きたのくにからふくかぜをしっていますか
きぼうのにおいがするかぜです
にんげんとにんげんのあらそいをやめさせ
にんげんにいいしらせをもってきます
つらくなったとき きたかぜをさがしてみよう
さむいきせつにふくかぜだけど あたたかいきぼうをはこんできます
しろいゆきをつれて きたのくにからふいてきます
にんげんに ゆめというぷれぜんとをとどけるために
きたのくにから ちきゅうにへいわをあたえるために
きぼうのきたかぜは みなみにむかってふいてきます
しらないせかいのしらないこどもたちに ゆうきをあたえるために
きたかぜは いつもしきりにふいてきます
きたからふくかぜは いつもきぼうのにおいがします
ひとびとは きたかぜのほんとうのいみをしりません
きたかぜのいみがわかるのは ほんとうのくるしみをしっているひとです
ひとびとはきたかぜをいやがりますが
きたかぜは ほんとうはきぼうのかぜです
きたのくにからふいてきて ひとびとにきぼうをあたえます
きたのくにからふいてきて ひとびとをくるしみからすくいます。
北から吹く冷たい風と希望とが結びつく理由が、はっきりと示されている。「本当の苦しみを知っている人」には、北風と希望とが結びつくのだ。
以下は、詩についてのコメントだ。
しをつくっているときもちがやすらぎます
しをつくっているとくるしみからかいほうされます
いいきもちになります
きもちがしずまります
きもちがきれいになります
いいにんげんになりたいです
きもちのきれいなにんげんになりたいです
きよらかなきもちがいいひとにしてくれます
いいにんげんになりたいです
きもちのきれいなひとになりたいです
いいひとになりたいです
いいにんげんになりたいです
いいひとになるためにしをつくっています
くるしみからかいほうされるために。
最後に、字をいつどうやって覚えたのか、聞いた。
じはかあさんがえほんでおしえてくれた
きりがないくらいよんでくれたからおぼえました
この文章を書いているのは、12月24日、街にはクリスマスのイルミネーションと音楽があふれている。サンタクロースに比べて案外キリストをイメージさせるものは少ない。人間を苦しみから解放する救い主の誕生を待ちわびるクリスマスイブの意味を本当にわかるのは、北風の本当の意味を知る人たちなのかもしれない。
神が本当にいるとしたら、彼の祈りにも似たこれらの言葉が、届かないはずがない。
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2008年12月24日 11時19分
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先月、全身で感情を表現しながらわかってもらえない気持ちを綴った○○さんのことは、うまくまとめることができなかった。そして、その中でいちばん切なかったものは、そういうふうにしてわかってもらえないことをくやしく思う気持ちが、自分をすさませてしまうというところだった。わかってもらえないくやしさとくやしさをいだく自分に対する嘆き。そんな先月の言葉をいくつか抜粋する。
すなおなきもちのおんなのこでいたいけど しらずしらずのうちにこずるいせいかくになってしまうようでいやです
すさんでいくみたいでいやです
けむたいうらみがこみあげてきます
いいかげんなきもちではじぶんしかみえなくなってしまいます
しのことはいろいろかんがえていますがくるしくてまじめにとりくむことができません
いじいじとしたきもちではいいしはつくれません
くさったきもちではいいことばはでてきません
ちいさいときいろいろいろゆめみていたけどげんめつしてしまいました
目の前で、はき出されてくるこうした激しい言葉の前に、私も言葉を失う。彼女のいうことは、いちいちもっともだからだ。しかし、彼女の心をこれ以上、すさませていくわけにはいかない。そこで、思いついたのが、仲間の言葉を聞いてもらうことだった。じっと耳をすませて集中していた彼女は、だいぶ穏やかになり、次のように書いた。
くるしいきもちをしているなかまがたくさんいることがわかってかんどうしました
すべてのこどもたちがちゃんとかんがえていることがわかってきもちがらくになりました
じぶんひとりでなやんでいるとおもっていたけれどじぶんひとりではないことがよくわかりました
きもちをとりなおしてがんばりたいとおもいます
ねがいはざんねんながらすぐにはかなわないかもしれないけどがんばりたいとおもいます
きもちがずいぶんらくになりました
くるしんでいるひとがたくさんいることがわかりました
こどもたちでもいろいろかんがえていることがわかってよかったです
りかいされないのはくるしいけどこのくるしみにうちかっていきたい
きのうのこどものしはとてもすばらしかったです
とくにむかしのくるしみをずっとたいせつにしてきたというところがすばらしかったです
いしとはかんけいなくからだがうごいてしまうのでくやしいです
いしのとおりにからだがうごけばどんなにらくでしょう
くやしいです
きびしいからだですがいっしょうけんめいがんばりたいとおもいます
いきるいみをなんとかみつけたいとおもいます
いきるいみがみつかるまでずっとくなんはつづくかもしれませんがいっしょうけんめいがんばりたいとおもいます
ねがいはきもちをきちんとつたえられるようになることです
きっとできるようになるとおもいます
いつかきっとねがいがかなうとおもいます
いつかきっといのりがとどくとおもいます
いつかきっときもちがききとってもらえるひがくるとおもいます
いいえがかけるようにこころをきれいにしておきたいとおもいます
きっとこのてでこんどこそかちとってみせたいとおもいます
いいいけんをきかせてもらってありがとうございました
いいしもきかせていただいてありがとうございました
いいしをきいてげんきがでてきました
きもちがすこしらくになりました
きもちがきけてよかったです
いいひでした いいじかんでした いいときをすごすことができました
いいきぶんになることができました いいべんきょうになりました
いいしめくくりができました いいくたびれかたができましたおわります
嵐のように始まった時間が、ようやく最後に静けさを取り戻すことができた。
そして、1ヶ月が過ぎた。今回は、はじめから穏やかだった。そして、冒頭に、次の詩が書かれる。適宜、漢字をまじえて紹介したい。
行きたいところがある
ジオラマみたいな時間が流れていて
小さいころの思い出が 願い通りに見られるような場所
白い色の時間が流れていて 気持ちいい風が吹き
小さなころ聞いていたなつかしい子守歌が聞こえてくる
二枚しかない切符は気にいった人だけにしかあげられない
知れば知るほどきれいなところで
きれいな人しか行けないとてもいいところ
においもすてきでにれの花が咲き
きれいな人が小さく笑い にれの願いがにおい
小さくにれの木がそよいで 小さな自分をはげましてくれる
小さい光が 大木の上からさしてきて 静かに時間が流れていく
きれいな人がにれの木の陰から現れて 秘密の絹が石の上にかけられ
きれいな小さなミーナが時間を西の方から流れてくるのを今か今かと待っている
希望の小さなすきをねらって 二番目の望みが一人忍び込もうとしている
小さな願いに雪が降り 希望に満ちた小さな自分は
聞いてみたこともないような歌を聞いてている
自分しかわからないような小さな声で 一人静かに耳をすます
耳をすますと二人三脚の小さな私にもきれいな歌が聞こえてきた
小さな私は小さな祈りを捧げ 命のかけがえのなさを知る
喜々として信頼という自信を自在に操りながら
気持ちのおもむくままに身を委ねて季節を知らない耳でにおいのいい曲を聴いた
霧が立ちこめて霧の消えるまでの時間 小さな憎しみが小さな私の中に生まれた
自分ではどうすることもできず
時間が過ぎるのを待つしかなかった
小さな私は憎しみも知らず
小さいときの小さい私のまま
知らない時間が流れることを一人待っていた
自分より大きな憎しみは私を圧しつぶしそうになるけれど
厳しい人生だから一途に生きていくしかないと
憎しみをいい心に変えてしまおうと
苦難しいられても小さな私はけして希望を失わないように
希望への幸せに満ちた時間を大事にしていこうと決意を新たにした
そして、その後、次のような言葉が続く。
きもちをしにしてみました きもちをきいてひひょうしてください ちいさいわたしはたんじょうしたばかりのわたしです いびつなこころになるまえのわたしです じちょうしようとおもうけど ちいさいわたしのようにはいきません いいしですか
いびつになったいまのわたしはくやしいです
きもちがいいひとになりたいです
いいひとになりたいです
気持ちを詩として表現した時、すでに荒々しい感情は、しずまっているから、けっしていびつになっているわけではないし、おかしいことはおかしいと冷静に言うことはまちがっていないということを伝えた。そして、再び、この1ヶ月の間に、出会ったいろいろな人たちの言葉を紹介した。
きぼうはきょうのしのてーまでしたからみんなのきもちがよくわかります
いいしでした きれいないめーじで きれいないのりにみちていました
いいじかんでした いいじかんをすごせました きもちがおだやかになります
しはひとにきかせるものではなくきもちをおちつかせるものだということがよくわかりました
きもちをきれいにするためのものだということがよくわかりました
きもちがいびつになっていたけどにんげんとしていきていきたいのでじしんをもっていきていきたいとおもいます
いいじかんでした じぶんのきもちをせいりすることができました
いいじかんでした きもちがらくになりました
いいしがかけたとおもいます
きぼうのきもちがうまくひょうげんできました
しきりにきもちがおちついてきます
ちいさないのちでもいいいきかたができるように
にんげんとしてきもちをいいたいです
きもちをいえてよかったです
絶望にうちひしがれようとしている少女を前に、ほとんど無力な私だったが、必死で向かい合ったひとときだった。彼女を救ったのは、仲間の言葉だ。みんな、もっと互いに言葉をつなぎあっていかなければならないとつくづく思う。
こういう嵐のような感情の起伏をこれからもやはり繰り返しながら、しかし、確実に彼女は成長していくだろう。そして、いつか、仲間と本当の絆で結ばれ合ったなら、世界は大きく変わるだろう。
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2008年12月23日 10時49分
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12月21日日曜日、青年学級は午後からクリスマス会だった。活動は、今回は、小学校の体育館。私は、午後から別の子どもとの約束があったので、1時までの参加。その中で、いろいろな人と関わった。ここで紹介したいのは、私が所属している、音楽コースのメンバーの3人の言葉だ。
最初の方は、7月からずっとやっているM.Mさん。
きょうはくりすますかいですね
くりすますぷれぜんとがたのしみです
なにがもらえるかたのしみです
にちようひんよりもきれいなかざれるものがいいです
ときどきにたものがあってざんねんです
と、気楽な会話から始まった。そして、
きれいなししゅうがほしいです
と書いてきた。「ししゅう」は「詩集」か「刺繍」のどちらかを尋ねると、
ほん
との答え。そこで、詩を作ったことあるのと聞いた。
しをつくったことはあります
いいきぶんになります
今書けるものある?と尋ねると、
はい
そして素敵な詩が書かれた。
ちいさなしあわせ ちいさくひらき
ねがいのとおりみたされて
ちいさなしあわせ きぼうにみちて
ちいさなしあわせ きぼうをはこび よろこびをひろげ
ちいさなしあわせ はなのように
ちいさなしあわせ しずかにしずかに
ちいさなしあわせ きれいにわいて
しがしきりにまちきれずに
じぶんをひからせようと うまれてくる
にんげんとして うまれいきてきて
きぼうちいさく ささやきながら
きぼうにみちた このじんせいを いきてゆく
さっそく、コースのみんなに朗読した。みんなの歓声ととともに、横で若い女子学生のスタッフが感きわまって目をうるませていた。
そして、この若いスタッフは、50代の寡黙な「ダウン症」の男性、S.Yさんにもやってという。私が、もう20数年関わってきた方だが、正直言って、無謀に思えた。簡単な単語を話し、典型的な「頭足類」の人物画を描く方。しかし、彼女の情熱の方が私のこざかしい知恵を遙かにまさった。彼女は、S.Yさんの夢を3つ教えてと問いかけた。
にじをみにいくことです
みんなでみにいこう
ちいさいねがいだけど たいせつにしよう
ちいさいねがいだけど しっかりもっていこう
じぶんのきもちがいえて うれしい
じぶんのきもちが
ちいさいころからのゆめだった
ちいさいときから きもちをつたえたかった
じぶんで にじをつくりたい
きもちがいえるとはおもわなかった
そうげいをいつもありがとう
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
にんげんだから
きいてくれてありがとう
しばたさんはどうしてことばがりかいできているとわかったの
わかってもらえてうれしい
きいてくれてうれしい
きいてくれてうれしい
にんげんだから かんがえています
にんげんだから きもちがあります
いいきもち
ともだちがだいすきです
×××さんがすきです
にんげんなのでおんなのこがだいすきです
きびしいです ことばがはなせないのは
ちいさいときからことばではなしたかった
しごともやりたいです
しごといろいろやりたい
にんげんだから にんげんなので みんなとはなしたい
みんなときもちをつたえたかった
ひかりがさしてきました
きぼうがわいてきました
虹を見に行く、虹を作る、そして気持ちを言う、これが彼の3つの夢だった。
私は、毎回、活動の終わり、彼を家の近くの交差点まで送っていく。もう何年もそうしてきた。話を十分には理解していないと思い込んでいたので、毎回、独り言をいうつもりで話しかけたり時には歌を口ずさみながらながら帰っていた。若い女性スタッフと歩くときは、すっと手を出して手をつないでにこにこ歩く彼だが、私とは、まったく無表情に歩く。しかし不思議と穏やかさに満ちた時間で、私はこの時間が好きだった。このひとときが「そうげいをいつもありがとう」というかたちで、語られるなどとは、予想だにしなかったことだ。こんないいかげんな私に、ありがとうと言ってもらえることが、ただただありがたいと思うばかりだ。
さらに、自閉と呼ばれるK.Mさんにも挑戦をした。この1週間の間に、自閉と呼ばれる青年や大人の方々3名とやれていたので、無謀と思いつつ、挑んだのだ。そして、すらすらと次のような文が書かれた。
ちいさいときからはなしたかった
きもちをいいたかった
きいてくれてうれしい
(わたしの名前は?)しばた
きいてくれてうれしい
(どうして、紙を破ったりするの?)きもちをおちつかせるためです
りかいしていることがなぜわかったの
きぼうがでてきました
(ワープロは目で見てやっているの耳で聞いてやっているの?)みみ
しばたさんはきいていないのですか
ききやすいです
(M.Mさんがパソコンをやっているのを見ていましたか?)
みていました
ぼくもやりたいとおもっていました
よかった
きもちいいです
(歌のリクエストは、ある?)とまばなさんば(青年学級のオリジンナルソング)
しんじてくれてありがとう
きもちいいです
(字はいつ覚えたの?)ちいさいときにおぼえた
にんげんとしてうまれてきて きいてもらいたい じぶんのきもち
いきていきたい じぶんのあしで
いきていきたい じぶんのめで
きぼうがわいてきた じぶんのいしをつたえられて
いいにんげんになりたいけど かってにからだがうごいてしまうのでかなしい
ゆめはにんげんとしてきれいなきもちでいきてゆくことです
きもちをつたえたかった
(人の食事に手を出してしまうのはなぜ?)
じぶんのぶんがなくなるとてがでてしまってかなしい
ひとのしょくじにてをだしてしまってかなしい
(S.Yさんの文章を聞いてもらって)S.Yさんのきもちよくわかります
にんげんだからわかってほしかった
彼は、大切な紙を破ったり、人の食べ物をとってしまったり、突然行方不明になったりと、いろいろなことをする。私たちは、ずっとそれを受け入れることはしてきたが、「かってにからだがうごいてしまう」とは思わなかった。彼の悲しみを、ようやくわかることができた。私たちは、もう一度、彼の行動を理解し直さなければならない。
大きな常識が今、音を立てて崩れていく。それは、しかし、私たちと彼らの距離を無限に近づけるものだった。
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2008年12月23日 01時35分
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青年学級 |
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自閉と呼ばれる二人の男性とワープロに挑戦した。一人は、スライドスイッチで、もう一人はプッシュスイッチで。ともに、自由に行動できる方だが、これまで、パソコンでは、主に、音楽がなるソフトを中心に関わってきた。その彼らに、ワープロに挑戦したのは、先月、東田直樹さんの講演会を聞いたことも大きかった。前から、よく言葉を理解していると思われるお二人だったから、可能性は十分にあると思われたのだ。
まず、○○さん。スライドスイッチを介助して書いてもらった。
なぜわかったの ぼくがことばがわかっていることが
ねがってきた ことばではなしをすることを
ちいさいころからきもちがつたえたかった
いいきぶんです きもちがいえて
(先月、○○さんのことを昔の彼に似ていると言っていた実習生の女性がいたけど、ずっと寄り添ってあげていましたね。覚えてますか。)
おぼえています きもちのやさしいひとでした つよくいきてほしいとおもってそばにいました よいこでした
きもちしんじてくれてありがとう
にんげんだからいいたいことがいいたいとおもう
しんじてください とてもくやしい
ちいさいころからいいたかったいいたいことがいっぱいあったけどなかなかいえなかった
きもちをことばでいえたらいいとおもってきた
(こんなこと聞いて悪いけど、どうしてつばを服にはいたりするのですか。)
つばはきもちをおちつかせるためです
またやりたいです
きもちがつたえたかったけどつたえられなかった
にんげんだからはなしたかった
きもちをつたえたい
ふしぎですどうしてわかったの ぼくがことばがわかっていることが
うれしいです
ことしもありがとうございました らいねんもよろしく
次は、▽▽さん。プッシュスイッチを一緒に押しながら、選択の場所で、ふっと力を押しつけてくるという方法で書いてもらった。途中で、妻が交代して、できた文章だ。
ちいさいときからはなしたかった
きもちをことばでいいたかった
くやしかった
ふしぎことばがかってにすらすらでてきます
ねがっていました じぶんのきもちいえるようになることを
すいっちがほしい かいたい
ひまなときやりたい
いいすいっちですね
たのしかった
(○○さんも書いたんだよ。)よかったね
すばらしい
りかいをありがとう
私にとっては未知の領域に足を踏み入れた感じだ。いつもは、すぐに立ち上がって行ってしまうのに、ずっと、パソコンに向かい続けたお二人だった。
お二人の、ふだんには見られない、心のそこからの笑顔が印象的だった。
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2008年12月21日 01時04分
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通所施設 |
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隔月でうかがっている通所施設に通う一人の中途障害の女性がいる。全身の動きを禁じられ、アーというようなあえぐような発声があるのみの方だ。何度か関わって、少しずつ、文章を綴ることができるようになっていたが、今回は、ためらわずに、スピードの速い方法で挑戦した。漢字に置き換え、句読点をつけて紹介したい。
来てくれてありがとうございます。厳しいです。体が使えなくなって。自分の言葉で伝えたいです、気持ちを。柴田さんはどうして言葉が読み取れるのですか。気持ちを伝えたいと思ってきたのでうれしいです。ちゃんとした言葉で自分の気持ちを伝えられたらうれしいです。信じられません、言葉がすらすら書けるのが。気持ちが夢のように言葉になっていきます。自分の力が入ってないのにどうしてわかるのですか。不思議です。びっくりしました。いい方法ですね。いいやり方ですね。
信じてほしい。夢も希望も聞いてほしい。私は銀世界の中で言葉を伝えられずに迷っている、気持ちが言えず、自分の気持ちを伝えられず、木の上に放り出されてしまった子どものように。自分の気持ちを外部に送ることもできずに、今まで檻の中に閉じられていた。心が今、いい時間の流れを通わせながら、いい時間いっぱい感じながら、聞こえてくる、昔のいろいろな声が。自分の足で歩き、自分の手で何でもやれた日々が、自分色の思い出として。人間だから、気持ちを人に伝えたい、小さなことでいいから。
聞いてくれてありがとう。不思議です、夢のようです、言葉で話せることが。左の手でもやれますか。ミイラのような人生にお別れです。理解してくれてありがとうございます。自分の言葉言いたかったです。見えていますが、焦点を合わせるのが大変です。気持ちを伝えられてよかったです。気持ちを伝えられて幸せです。今度また、よろしくお願いします。お元気で、よいお年を。
私は、自分のやっていることが、本当におそろしくなる。私にこのような言葉を聞く資格が本当にあるのだろうか。しかし、この女性の必死の思いに答えるためには、逃げ出してしまわずに、襟を正して、向かい合うしかないだろう。
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2008年12月21日 00時55分
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就学前から関わってきた少年は、中3になった。自分で話をすることができるので、やりとりを重ねながら関わり合いを続けて来た。しかし、今年に入って、2スイッチワープロを使うと、しゃべっている世界とは全く異なる世界が生まれてくることが明らかになった。
そして、最近の方法で、一緒に名前を書いてみると、
いいほうほうですね
さすがですね
ちからがいらないのでらくです
ちからがはいるまえにきまるのでじぶんでやっていないのにじがかけてふしぎなかんじです
そして、詩のことを尋ねてみた。すると、
しはつくったことがありますあります
という答え。そこから、5編の詩を立て続けに書いた。
にんげんにうまれてきて みちをきりひらいてきた
いちばんきれいなせかいは
ちいさなはなをしきつめた しずかなばしょだ
きぎはみどりにおいしげり いいかおりにみちあふれ
きぎのむこうには いいそらがひろがっている
きぼうにみちたかぜがやさしくふき きぎのはをゆらし
にくしみにみちたこのせかいに きぼうのじかんをひらく
じかんはきぎのきぼうにそい
ないふのようにじゆうなじかんをつつみこむ
いばらのようなみちばかりだけど
ねがいをかなえるために じぶんのみちをしっかりとあるいてゆこう
きぼうがわきだすいずみをめざして
にんげんにうまれたことをほこりにして
きぼうのみちをあるいて
いいかぜにふかれながら
きぼうにみちたじゆうなじかんを
ちいさくならないように いっぽずつまえにむかって いつまでも
きぼうのかぜは
きたのほうからふいてきて
しずかにびかんをせんげんする
ちいさいはてのくなんをちいさなきぼうにかえて
きぼうにかわったくなんはきたかぜにふいて
きたかぜにきのうのゆめをあたえる
きたかぜはきたのくなんをきぼうにかえる
きぼうにかわったくなんはちいさいひのおもいで
ちいさなちいさなくなんだったけど
きぼうはおおきなおおきなきぼうだ
きぼうのきたかぜはきたのくにからふいてきて
きたのくなんをきぼうにかえる
ここで、なぜ、北なのか、あえて尋ねてみた。もう、何人もの方々が、北という方位にこだわってきたからだ。すると、
きぼうのかぜはくなんのくにからふいてくるからきたです
と答えが返ってきた。そして詩は続く。
きぼうなくしたきのうのわたしに
しのほうからきぼうがささやく
ちいさなころにやしなったにんげんとしてのきもちを
きぼうにかえて
ゆめいっぱいにきぼうをかえて
ちいさなころにきぼうにみちていたわたしをおもいだしながら
きぼうにみちたゆめをせんたくして
ひょうざんにむかってきぼうにみちた
きぼうのいちばんのゆめを
ひょうざんのちからにまけないようにしながら
いきてゆきたい
きいてくださいこのみちで
ちいさなきぼうをみつけたことば
ちいさなきぼうがみつかって
ゆめをにがさぬようなきたかぜに
みちのとおくにみえているちいさなきたかぜがはこぶゆめを
にがさないように
いいかぜにみちたしずかなみちをあゆんでゆこう
じぶんできめてつよいきもちをもちつずけていこう
ひかりさすいきていくものたちがあるくみちにも
いいかぜがふくこのみちを
ひかりさすみちを
しずかにしずかにじかんがながれ
ちいさなじだいをおもいだし
さいごにきいたなまえをいいだせないで
ちいさなころからにんたいしてきたことを
くなんとともにおもいだし
ちいさなきぼうをしにたくす
ちいさなきぼうはみはてぬゆめよりすばらしい
きのうにひかる
きのうはきのう
おもいだすといやになるけど
きぼうはきっとびらかんすよりもうつくしいものだ
最後に、詩を作ることについて書いてもらった。
しをつくっているときもちがおちつく
しはこころわくわくできます
きもちをにんたいさせているのできもちをかいほうしてあげないといけない
いいきぶんです
きもちがすらすらいえていいきぶんです
にんげんとしていきているので しをかんがえたのです
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2008年12月19日 01時01分
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家庭訪問 |
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○○君は、今日は、いきなり質問からはいってきた。
ききたいことがあります
きのうきた☆☆さんがいいました
ちいさいときにしばたせんせいにあったことがありますといっていたけどほんとうですか
げつようびがっこうです
☆☆さんはきれいなじょせいです
がっこうのせいとですこうとうぶです
私のことが学校で話題になることもないだろうし、彼が話題にすることもないだろう。「☆☆」という名前に思い当たる人はいないかとあれこれ思いめぐらしても答えは出ない。あえて最初にそんなことを聞いてきたのは、いったいどうしてなのか。疑問は解けぬまま言葉は続く。
しばたせんせいはどうしていそがしいのですか
きてくれてありがとう
しばたせんせいはどうしてことばがあることがわかるの
せんせいはくりすますはどうしているのですか
それぞれ、答えながら、対話は続いていったが、突然、体中に力がはいって、泣き声になった。そして、書かれた言葉は、
くくのべんきょうがしたいけどきくことができなくてくやしい
というものだった。
ここで、彼に、今の声は、君のことをよく知らない人には、まるで、だだをこねているように見えてしまうけれど、本当は、くやしい気持ちが、体と声に表れただけで、だだをこねているわけではないのでしょうと尋ねた。すると、こっくりとうなづくしぐさをして、
きもちがさきにこえになってしまう
と書かれた。かくいう私も、これまで、この彼の泣き声を正しく理解していたわけではなかった。彼は、もっときちんとした少年のはずだ。小さいことだけど、こうした理解もとても大切だと思う。
そして、さらに次のように続く。
きいてみないとわからないです(九九のこと)
つらいことがありました
きもちをきいてもらえなくてかなしかった
いいたいことがつたわらなくてくやしい
そして、九九の勉強を少しやった。自作の九九のソフトを出して、一緒にスイッチ操作をしながら九九を解いていくと、本当によく覚えている。だが、それは、一人の世界の中で繰り返しているもので、閉ざされている。彼は、こうしたやりとりを通して、もっともっと学びたいのである。早く認められる日がきてほしい。
もう一人の少年▽▽君は、本当は行けなかったクリスマス会について、書くことから始まった。
にちようびくりすますかいがありました
きたともだちはちいさいころのともだちです
いかにもくりすますかいらしいものでしたがきもちのこもったすてきなかいでした
きもちがこもっていたのはしんらいがあるからです
いつかそのしんらいにこたえたいとおとおもう
ことしはことばがしゃべれるようになれてよかったけどがっこうのせんせいたちにはやくしんじてもらいたい
ちがいをかんがえてほしい
からだはうごかなくてもことばがあるということをしばたせんせいはしんじてくれたけどきをつけていないといつかよくないひとたちにことばをうばわれてしまうとおもいます
ぼくはしんじてもらえるひがくることをきたいしていますいつまでもいいせんせいがあらわれることを
きっとそんなひがくるとおもう
後半は、話ができるようになったことをめぐる感想だ。「ことばをうばわれてしまう」ことが、絶対にないようにしなければと思う。二人とも、自分たちの気持ちが受け止めてもらいたいという思いは同じだ。
前半のクリスマス会については、○○君は参加していたが、▽▽君は、お母さんの用事で参加できなかった。そして、お母さんは、▽▽君をがっかりさせたくないから、最初から、このクリスマス会のことは内緒にしていたそうだ。なのに、どうした書いたのだろう。そのことを聞いたところ、
いいことだったからかきました
おかあさんがでんわではなしているのをききました
でんわでおかあさんがはなしているのをききました
いいぬいぐるみをもらいましたからこれはどうしたのかなとおもってきいているとおかあさんがでんわできれいなきをつかったこえでおれいをいっていました
きのうのうのことです
くりすますかいのことはぬいぐるみをもらってからかんがえました
しかし、ぬいぐるみもでんわもお母さんには思い当たらないようで、しいて言えば、前日学校の先生と電話をしたということはあったそうだ。
そこで、私は、動くことも見ることもできない中で、限られた情報をつなぎあわせて想定した話ということですかと尋ねると、
そうです
りかいしてしんじてください
きもちはつたわってきます
と答えが返ってきた。そして、お母さんが、本当は「行きたかったの」と尋ねると、
いけたらいきたかったけどおかあさんのようじもだいじだからへいきです
とやさしい答えが返ってきた。そして、クリスマスプレゼントは何がほしいか書いてみてと誘うと、次のような一文が綴られた。
なにもいらないけどおかあさんにぷれぜんとをあげたい
はなたば
かってきてくださいぼくのかわりに
今年は、彼からのすてきな花束のクリスマスプレゼントが、お母さんに届くことだろう。
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2008年12月18日 13時44分
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以前、舞い降りた詩人として紹介し、「いみ」の詩を紹介した
小学6年生の少女は、最初に次のように語った。
さいきんしがかけなくなってきました
いいしをかこうとがんばりすぎていいかんがえがうかばなくなって しまいました
しがかけるきぶんになることがひつようですがむずかしいです
今日は、書けないのだろうか、いつのまにか彼女にプレッシャーを与えてしまったということなのか、などと考えていると、彼女のところに通い、最近、手を添えた筆談に挑んでいる姪が、「意味について言いたいことがあったでしょう」と少女に誘いをかけた。
そして、すらっとまず、意味のことを表す言葉を書いた。そして、そこから、私の不安をさっと吹き飛ばすように、すらすらと3編の詩が書かれた。(なお、ここから彼女の言葉は、私の方で漢字に置き換えて紹介する。)
二字で命を伝える不思議な言葉
木戸をくぐった風が切りかえて
獅子のすさまじさで木戸を気まぐれに
聞き取れないような痛ましい声で
苦しみに満ちたくぐりにくさで
井戸の中にむかって
一陣の風となって落ちていった
一陣の風は希望の土間と
土間から木宿に続く地面に墜落し
太陽に照らされた家の屋根に向かって急いで鍬みたいに昇り
そこから地面に向かって急降下して地面を耕し
そこに希望の種を一陣の風はまいて
小鳥がそこでさえずった
希望の種はそこで目を出し
いい香りに咲いた
希望の種から咲いた花は
希望の実をつけた
一陣の風は一陣の風に別れを告げ
澄み切った風になって木戸から消えていった
木戸の中はきれいな花の咲き乱れる
対の画用紙のように閉じられた
人間はいつまで言い続けるのだろう
希望を取り戻すため
目を見開いて
聞き耳を立てて
希望の風は気まぐれに吹き
力強く地面に横たわり
意志を知らない地の静けさで
素晴らしい命を授かった
命を授かった地は
常ににぶい音を立て
地の上にあるすべてのものを慰めた
希望の風は一陣の風となり
いづこにか過ぎ去った
苦しみというものは
石のように希望を圧しつぶす
希望の風は気づかないふりをして
いい響きの光を地に注いだ
いい光は意味のない地の祈りを聞きながら
いい風を吹かせた
知らない子どもが言った
いい風はきっと東から吹きますよ
知らない子どもは聞いていた
地の奏でる静かな音楽を
希望の風は北から吹いてきた
いい風を吹かせるために
希望の風は北から吹いてきて
北の国の希望を伝えた
いい風は北の国の希望を伝えるために
自分に向かって希望の歌を歌った
いい風に向かって歌いながら
希望の風はいい風に自分の夢を語った
自分の夢はきっとかないますから
いい風の罪深さを地に向かって許しを請い
希望の風はいい風とともに
いい希望を伝えるために
希望の満ちた光の中を気まぐれに吹き渡った
意味は、「二字で命を伝える不思議な言葉」と言う不思議な言葉の通り、音や文字のつながりにすぎない言葉が意味というものを背負い、それは、命を伝えてくる。その言葉の通りの世界が、3編の詩を通して浮かび上がってくる。
ここで、私は、ある質問をした。それは、私の周りで、北という方向が特別な意味をもって語られており、それが希望と重ねられることが多いため、その理由を尋ねたのだ。すると、彼女は明快な答えを返してきた。
北というのは生きることに疲れた人が帰っていく場所です。だか ら希望はいつも北からやってきます。知らない子どもはいい経験し かしていないので、東から希望が来ると思っています。地の果ての 知らない命が生まれる場所に行ってみたいです。命の生まれるとこ ろが見てみたいと思います。命の意味をしりたいと思います。
あまりにも有名なドラマ「北の国から」もきっと「北」でなければならなかったはずだ。彼女が解き明かす「北」の意味に、深く納得するとともに、私は、いまだ希望が「東」から来ると思っている人間なのだということも思い知らされた。
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2008年12月17日 08時00分
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高校生の女の子から、生活の現実の中での、季節に対する思いを聞かせていただいた。しっとりとした表現で、体のきつさが伝わってくる。後で聞いたことだが、先週も熱を出して大変だったとのことで、そのことも語られている。
つかれていますががんばります。
ひかくてききせつのあゆみがおそいのでいいけれどさむいきせつはいやです。
いいきせつはあたたかいはるみたいにつらくないきせつです。
きせつによってはからだがきついです。
きもちがいいのはいいきせつです
きせつしだいでからだのちょうしがかわるのでつらいです。
きこうのへんかがあるのはいいことですがじぶんにとってはつらいです。
くるしかったです。きぶんがすぐれなくていちょうのぐあいがわるくてもどしたりくだしたりしてたいへんでしたし たべれなくなってからだがよわってしまいました。
きせつとからだとがあしなみをそろえてくれないのでじぶんにはこまります。
にほんはしきがあっていいくにですが からだのよわいこどもにはつらいです。
その後、スイッチをお父さんと挑戦してみた。
おとうさんだいじょうぶかなつきあってくれますか。
名前の6文字のうち、2文字がお父さんと一緒に綴れた。そして、再び私と代わって、お父さんとできるようになることに対して、彼女の思いが語られた。
きぼうがわいてきましたきたいしています。
きもちがつたわればうれしいです。
すてきですきもちをことばでつたえることは。
がんばりたいとおもいます。おとうさんよろしくおねがいします。
そして、最後に丁寧な言葉が添えられた。
しばたせんせいことしもありがとうございました。
らいねんもよろしくおねがいします。
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2008年12月16日 09時50分
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小学4年生の少年が、切ないばかりに美しい言葉を綴った。
きのうしらないひとがきていいました
きぼうというものはじぶんでみつけよう
きぼうのひかりをしっかりともしていきていきましょう
しらないひとはいいました
いきていくのはたいへんだけどちゃんとまえをみていきましょう
しらないひとはいいました
きぼうのひかりをなんどでもともしていきましょう
しらないひとはいいました
きぼうのときをたいせつにいきていきましょう
ちいさなひかりでもきっとおおきなきぼうにつながっていますからたいせつにしていきましょう
つきのきれいなよるでした
にわにはきぼうのひかりがさしていました
つきのきれいなよるでした
きぼうのひかりしずかにさしていました
きぼうのひかりちいさいけれどしずかにさしていました
しきりにしずかなよるでした
しずまりかえったよるでした
きぼうのひかりがしずかにさしていました
きをつけてよくみているときぼうのひかりはきれいなりりしいわかものにかわっていました
きれいなつきのよるでした
しずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりがよくさしてしずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりのしずかにさしてきぼうのひかりにかこまれてしずかなしずかなよるでした
つきのきれいなよるでした
きれいなつきのよるでした
きれいなつきのよるでした
いいわかものがつきにむかってさけびました
しずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりのさしているしずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりはきっといまでもさしているでしょう。
繰り返しが、心地よく、読んでいる者の心の中に、静かな月の夜を、鮮やかに現出させる。おじいちゃんが読んでくれている物語が彼の中に育んだ調べなのかもしれない。
以下は彼の感想だ。
いいきもちです
すらすらきもちがかけてきもちがそのままぶんしょうになっていくのでらくです
じぶんでやっていないのにどうしてことばになるのですか
ふしぎです
ひかりのしがかけてよかったです
らいねんもよろしくおねがいします
ことしもたいへんおせわになりましたさようなら
年の瀬のひととき、不思議な光の世界に引き込まれた。来年、少年は、どんな世界を描き出すのだろう。
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2008年12月16日 00時43分
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両手のこぶしで頭をなぐってしまう自傷行為に苦しめられてきた青年が、文字を綴った。関わり始めたのが小学部の3年生の頃。現在は、高等部を卒業し、通所施設に通い始めて2年目になる。
このグループには、二人の肢体不自由のお子さんがいて、パソコンで文章を綴っているが、彼には、ワープロはなかなかうまくいかず、彼の好きな歌のソフトを楽しんでもらっていた。しかし、この日は、意を決して挑むことにした。手には特別のマヒなどがあるわけではないので、手にスライドスイッチの取っ手を握らせようとすると、拒んでくる。いつもなら、この辺であきらめるところだが、プッシュスイッチに代えて、手を添えて押そうとするとやはりいやがる。それならと、肩の側面にプッシュスイッチを軽く押し当てたり離したりして、反応を読み取ることにした。そして、いっしょに名前を書いてみる。なんと、その行や文字のところで、わずかながら体全体をスイッチ押しつけるようにして合図を送ってくるのである。こんなことをしたのはまったく初めてのことだ。そして、以下の文章が綴られた。( )で添えているように、彼には聞きたいことがいっぱいあったので、対話するように進めた。その背景には、彼がこんな方法で気持ちを表現することへの、無意識の不安があったはずだ。対話を通して、彼自身が語っているという実感がほしかったのだ。
うれしい きすしたい
きもちがつたえたかった
かあさんいつもありがとう いついつまでもげんきでね
きやすくきもちがいえてうれしい きぶんがいい
(手はどうしていやなのですか?)
て いたいかんじがする
(どうして自傷をしてしまうのですか?)
わからない かってにうごく
(文字はいつ覚えたのですか?)
ちいさいときからしっていた
いいきもち ちいさいときからはなしたかった
(どうして☆☆ちゃんが帰ったとき怒ったのですか?)
もっといてほしかった
きもちがつたえたかった
(H先生へメッセージをお願いします)
かわいがってくれてありがとう
(K先生にもメッセージをお願いします)
かまってくれてありがとう
じぶんのきもちをつたえることができてうれしい じぶんではんだんしていきてないのでくやしい
ふしぎ ぼくしかかんがえてないことばがどうしてわかるの きもちがつたえられるとはおもわなかった きもちをつたえられてかんげきしています じぶんのきもちをつたえたかった
(音楽について教えてください)
きもちがおちつくからすきです かんどうします いいおんがくをきくと いつも
(おかあさんにもう一度何かあったら書いてください)
ありがとうかんしゃしています ひかえめなせいかくだけどまっすぐなところがすてきです きもちがやさしいからすきです
(来る途中、立ち止まるのはなぜですか?)
すきなくるまがみたいからです
(やっぱり手はいやですか?)
てはむずかしそうです きもちがつたえられてうれしかった
(▽▽君について)
ちいさいときからいっしょだったからともだちです
(お母さんからのご希望で、おねえさんについて)
きれいになったからうれしいです きれいなおねえさんがだいすきです きれいなかおをたいせつにしてください
かたわらで母さんは、彼の言うとおり、控え目にじっと様子をご覧になっていて、目にいっぱいの涙をためておられた。H先生もK先生も、彼が学校でお世話になった素敵な先生。この会の発足時からのメンバーだ。小学3年から関わり始めて、卒業後1年半の年月を経て初めて明かされた彼の内面の吐露に、拍手喝采だった。
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2008年12月16日 00時41分
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順番にやってきた3人の女子高校生が、リレーのように言葉を伝え合った。
最初は、高校1年生。本当に家に何か忘れてきたのかと思わせるような書き出しは、すでに、物語の始まりだった。
いそいできたのでいえにきていたきぼうのいのりというきれいなあちらのつつみをわすれてきた。
てぶくろなくしたのうさぎがたまたまにおってきたので つみぶかいねこがしらないひとをだまして ちいさなきぼうなくすようにしむけた。
にんたいにつかれたいちずなねこはちいさなしあわせをしんじていちばんみぢかなしあわせをかちとろうときぶんをいれかえてがんばろうとかんがえた。
にんたいしてきたいちわのいろづいたことりに しんらいのわかいつばめがちかづいて きぼうのいちいちしんじられないことりはいしをつらぬいて
いちわのことりはいいくにをめざしていしをきいてもらいたいと しんらいのしるしに
いいしろいきれいないちどみたらわすれられないじぶんらしいききょうのはなふぶきのひかったいのりをささげた。
猫、うさぎ、小鳥、つばめが次々に登場し、に、美しい桔梗の花のイメージが重なる不思議な詩。彼女は、桔梗について、こう付け加えた。
ちいさいころからいつもかんじてきた
ききみみをたてて きれいなききょうのはなのことは。
ききょうにはきっとにんたいのいみがあるとおもう。
そして、もう一編、詩を書く。
しろいきれいなききょうのにおいがして
きもちがしずかにぎんいろになっていった
いきていることのよろこびがこみあげて
いきているじぶんとききょうとがじしんのしろいゆきをふらせた
びっくりしたいのちにききょうのはなはきいた
ちいさないのちをちいさくしてきぼうをうしなってしまったのですかと
きいてもわたしはいわなかった
いいひとがあらわれるまではきいてほしくありませんと
いいひとがあらわれたらいいますと。
「いつ考えたもの?」と聞くと「いま」と答えが返ってきた。
そして、次に来た、同じ高校一年生のクラスメートに、この2編の詩を読み上げた。すると、さらさらと、次の感想文が書かれた。彼女は、仰向けに寝た姿勢で、私たちが両手を持ち、「ア行、カ行…」と言いながら両腕を開いたり閉じたりするような動きをすると、選択したいところで、両腕を開くようにして意志を伝えてくる。それを、そばで書き取ったものだ。
むずかしい哲学があることばですね。
わたしは言葉の中身はよくわかりました。
たぶんさぞ忍耐をしてきたのでしょう。
忍耐をしすぎて希望をよもや忘れてしまうことがあります。それでも希望はすててはいけません。
忍耐は望みを試すものです。
忍耐は速くおよぐ魚のような望みは除くのです。
そして、忍耐はゆっくりおよぐ魚のような望みは受けとめてくれるのです。
だからわたしたちの望みは受けとめてもらえるので、けしてあきらめてはいけません。
そして、わたしたちは、静かに悩み、ゆっくり望みを持ち続けたいと思います。
たいへんな忍耐が必要ですが、おたがい悩みながらがんばっていきましょう。
とにかくわたしたちは忍耐づよく生きていかなくてはいけないのです。
忍耐に疲れたら笑いを求めていきたいと思います。
楽しいことや面白いことを考えています。
ギャグではありません。わらいはナンセンスでノンフィクションです。
失点は笑いになります。
ナンセンスな笑いは他人がのぞいている状態で考えることです。
テレビでやっているのばかばかしい笑いだらけでつまらない。
落語を聞きにいきたい。
笑いは生がいいとおもいます。
おとうさんといきたい。
寄席にいきたい。
おとうさんにいってください。お正月に、生で。
一人目の女の子の難解な詩を、一度聞いただけで、私にはわかるといって、すぐに書き始めた文章。「にんたい」という核心部分を見事に見抜いて書かれた文章だ。彼女は、「笑い」の意味について、これまで何度か書いてきた女の子。「忍耐に疲れたら笑いを求めていきたい」と、友だちの哲学に、自分の哲学をつないだ。一人目の女の子は、この文章の途中で帰宅した。自分の文章を、親友が共感してくれたことに、すばらしいほほえみをうかべながら、帰っていった。
そして三人目の高校三年生の女の子が登場。この二人の文章を、聞いてもらった。
○○ちゃん(二人目の女の子)のかんがえていることはいいきぼうのわいてくることですね
しばたせんせいはどうおもいますか
しのすきなわたしにはまねができませんがとてもきもちがよくわかります
ちいさいよろこびがこみあげてきます
すてきなことぱでした
▽▽ちゃん(一人目の女の子)もすばらしいしでした
すなおなきもちがよくひょうげんされていました
しをつくれる▽▽ちゃんのほうがわたしはにているとおもいます
しをつくつているときもちがおちつきます
きもちがしずまります
しをつくっていたのはにんたいしてきもちがしずんでいていきるのがつらくなるときです
つらいときにげだしたくなるとしをつくってきもちをしずめたいとおもうのです
ふしぎです きもちがそのままことばになっていきます
にんたいのいみについてかんがえたことがあります
すぎたことをくよくよおもいだすのはかなしいですがつよくいきていくためにはひつようなことです
すぎたことでもそのことをちゃんとちからをいれてきぼうをわすれずにがんばりたいとおもいます
▽▽にもつたえてください
ちからいっぱいいきていこうと
そして、自分の作ってきた詩に移っていった。
しをきいてください
ひかりといのちのこうさくが そよぎ とびかう
しょうじょは なにかをまっている
しらないせかいのねがいが かなえられ
すべてが ちいさなさいわいに やがてかわっていくことを
そして きのうのなやみが とおざかっていく
のぞみどおりでは ないとしても
たくさん のべにさく ののはなは ときをしり
ときにあわせて ねがいをそらに いのっている
きぼうのかぜが やさしくふき
ふしぎなさけびが きこえて
みたこともないような まっしろなはなが
きぼうのよかんをつたえてきた
三人の言葉が、響き合って織り上げられたイメージの世界。本当の忍耐と希望の意味を知り尽くした若い三人の女の子だからこそ、描き出すことのできた世界だと思う。
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2008年12月14日 08時38分
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自主G多摩1 |
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2日目の昼食後、H.Nさんがパソコンで綴るのを遠目で見ていたK.Kさんと目があった。鋭いまなざしは、僕にもやらせろと訴えていたようだった。もう、帰りの時間は近かったが、パソコンを抱えて彼の近くにいった。彼は、発作が頻発する方だが、歩くこともできるし、簡単な言葉は話す。また、文字を書くことにもこれまで何度も意欲を示し、今ひとつ、成果が出なかった経緯もある。「やってみますか」という問いに満面の笑みで答えた。
きのうきたばかりなのに、もうかえるの。
いいところだから、もっといたい。
ほっさはいやです。きをうしなってしまいます。
ちいさいときからじぶんではなせたらいいとおもっていました。
このきかいがほしいです。きもちいいです。
ねがっていました、きもちをことばでいえるようになることを。
いいきぶんです。きもちいいです。
おかあさんいつもありがとうございます。
いつもいいなとおもってきました。
いいたいことがえるひとがいいなとおもってきました。
いいたいことがいえることが。
みんなとはなしがしたいです。
短い時間に書けた言葉は、以上だったが、これからの可能性がはっきりと示されていた。
バスが到着した広場に迎えに来ていたお母さんと、このことを話していると、本当に、言い笑顔を終始し続けていた。
そして、お母さんも、「これ、本当に、彼の気持ちだわ。」とおっしゃっていた。
まだまだ、たくさんのことがこれから語られていくだろう。
これからの新しい展開が楽しみだ。
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2008年12月11日 08時49分
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青年学級 |
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合宿の朝、目を覚ますと、私のすぐ横にH.Kさんが寝ていた。彼のコースは、広いホールで寝るはずだったが、和室がいいとやってきたのだった。彼は、寡黙な人で、かすれたような声で、時折、単語を発することがあるが、その多くは聞き取れない。しかし、特別な肢体不自由があるわけではない。子どもの時は声は出ていたが、思春期以降、話さなくなったと言われてきた人だ。起き抜けに、彼の姿を見つけたので、朝の身支度をそこそこに、彼にパソコンを出してみた。すると、にっこりと笑って、文章を綴り始めた。私は、夢の続きを見ているような気分だった。
きもちいいちからがでる。きもちのたのしさがすてき。ながくはなしてこなかったからうれしい。
どうして話せなくなったのと尋ねると、
わからない。
きもちがつたえたかった、にんげんだから。じぶんのままでいたい。にんげんだから、じぶんにちゅうじつでいたい。じぶんにいつもいのっていたい。きっといつかはなせるときがくるとおもっていた。いつかきもちをはなせたらいいとおもってきた。
彼は、以前、毎回学級の帰りに、喫茶店に寄り、チョコパフェを食べるのが常だった。私もよくつきあったが、高坂茂さんという、この学級の大先輩で、2000年に職場の自己で亡くなった方が、彼を伴って二人でよくチョコパフェを食べに行っていた。そこで、高坂さんのことを尋ねてみた。
おぼえている。とてもやさしくしてくれてうれしかったけど、しんでしまってざんねんだった。きのどくだった。いいひとだったからくやしい。たのしいおもいでがいっぱいあります。いつもいっしょにきっさてんにいってくれた。いいひとでした。いいひとがいなくなってかなしい。こうさかくん、きっとじきがわるかった。なぜしんでしまったのだろう、くやしい。
そして、もう、定番になった問いを投げかけた、「詩を作ったことはありますか。」と。そして、綴られた詩と言葉。
じぶんでつくったし
いきていくことはいつもしんどい
いつもおもたい
きっときぼうのきせつがやってくる
きっといつかきぼうのきせつがあるだろう
きぼうのきせついつきてくれるのか
じぶんにもくるのだろうか
きぼうのきせつは
じぶんにもくるのだろうか
きぼうのきせつは。
そして、午前の活動へと移っていった。
昼ご飯の後、スタッフが、家に電話したら、お母さんがとても喜んでいたとおっしゃっていたとのことだったので、お昼のひとときを使って、お母さんへのメッセージを書いてもらった。
きのういいことがありました。きのうがっしゅくでしばたさんといいことがありました。きのうがっしゅくでてでことばをはなしました。ちいさいときははなしができていたけど、こえがでなくなってしまいました。しばたさんとぱそこんできもちをことばにすることができました。にんげんだからいつもときどきにんげんとしてあつかってもらいたいとおもってきました。きもちがきいてほしかった。しんじてほしかった。
ついにねがいがかないました。いいきぶんです。きもちがつたえられてうれしいです。きもちがつたえられてよかったです。いいかあさんでよかったです。すばらしいです。
バスが到着した広場に、お母さんが、お迎えに見えていた。「きのう」は今朝のことですとことわりながら、この長い文章を見せた。しゃべれなくなて、ずっと気持ちを知りたいと思ってきたとおっしゃったお母さんは、目を細めてこの文章をご覧になっていた。
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2008年12月11日 07時49分
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青年学級 |
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「あなにいた」という言葉を綴って私たちを驚かせたK.Tさんと1日目の夜、話を交わした。
わかってくれてうれしい。きぼうがでてきました。きぼうがわいてきました。ねがいはだれとでもできるようになることです。いつかはなせるひがくるとしんじていました。
そして、次のような言葉が語られた。
かったばかりのさんだるをきずつけてしまったみたいでかなしかった。きっときれいなさんだるをかえるとおもってなかったけど、かえてうれしいきぶんです。
すごい表現だねと驚きを伝えると、簡単な単語はしゃべれる彼は、「まだあるよー。」とにっこり笑いながら次の文章を綴った。
きっとかりれないてぶくろを、かりれたようなきぶんだよ。
そして、女の子の話に及ぶ。
とかいのいいかみをしたこがすきです。きれいなおんなのこがすきです。にしだひかるがすきです。
さらに重い話に。
ぬいぐるみのじんせいしかおくれないとおもってきたけど、いいじんせいになりそうです。いいこどもになれそうです。しんらいこそがたいせつです。ちいさいときやしょうがっこうのときは、きっとはなせるようになるとしんじていたけど、こうこうじだいにはあきらめていました。しんじられないきもちです、いまのじぶんが。りかいできてもしゃべることができない。
そして、彼の美しい比喩表現や重い言葉に、「詩を作ったことはありますか?」という問いを投げかけ、「今、書ける詩はありますか?」と問いを続けた。そして、次の長い詩が綴られた。
きたからふくかぜにきいてみよう
いまどこにしあわせはありますか
きたからふくかぜにきいてみよう
きれいなこころのひとはどこにいますか
しろいゆきみたいなきれいなこころはきたのくににあるのですか
きれいなきせつがたのしみです
きれいなきせつがまちどおしいです
いつかきれいなひとにであいたい
いつかきれいなきせつとぎんせかいでであいたい
きれいなきせつとすてきないのちをつたえたい
つよいきせつとなきむしのきせつとぎんせかいでであいたい
ねがいのすてきないのちをつたえたい
いのちもちがいがあるようにきれいなきせつもちがっている
ひとのいのちもちがっている
きたからふくかぜにきいてみよう
きたからふくかぜにきいてみよう
しんじていればかならずきもちはつたわりますか
しんじていればかならずきもちはさびしくないですか
いつもいつもきたかぜにしんじたい
きぼうのきたかぜに くなんのじかんは きたかぜに みらいへのきぼうとして
げきのように びたち(美たち?)のようにかえてもらおう
にしからふくかぜと
ひがしからふくかぜと
みなみからふくかぜにも きいてみよう
しんじていればきぼうはかないますかと
きぼうはかぜにのってやってきますかと
ときどききぼうのかぜがみえなくてきもちがしずんでしまうけど
きぼうのかぜはきっときたからまたきっとふくだろう
みたこともないきたからのかぜをきぼうとともにきたいして
きぼうとともにゆめみていよう
いつかきっと いつかきっと。
そして、詩を作っている時の気持ちが次のように書かれた。
しをつくっているときもちがはれる、きもちがきれいになる、いいきもちになる。
合宿の夜のお菓子と飲み物をはさんだ交流会の場で、お菓子を時折食べながら、過ぎていったひとときのできごとだった。
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2008年12月11日 07時30分
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青年学級 |
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夏の豪雨の影響で発生した土砂崩れのために、今年の青年学級合宿は、12月へとずれこんだ。合宿場である町田市郊外の山間にある青少年センターは、紅葉の名残を残しながらも、すっかり冬の装いだった。
今年の合宿は、特別だった。7月以降、これまで沈黙してきた人たちが何人もパソコンで語り始めたからだ。そして、ゆったりと流れる時間の中で、新たなメンバーも含めてたくさんの方が文章を綴った。
最初は、1日目の夜遅く書かれたE.Kさんの文章から。彼女は、7月に文章を綴り始めた方だ。この日、かたわらには、合宿に応援に来たOGのスタッフがいた。彼女は、とりわけE.Kさんと縁の深かった方だ。これまでのE.Kさんの文章を涙とともに読んできたという。文章は、その女性に向けて書かれ始めた。
○○ひさしぶりですね。○○さんからしてもらったことには、とてもかんしゃしています。きっといつか、かんしゃしたきもちをつたえたいとおもっていました。しにいつかしたいです。しをつくりたいです。きっといつかできるとおもいます。きっといつかつたえたいとおもいます。きっといつかしをつくります。きいてください。きっといつかしにします。
そして、施設の生活に話が及ぶ。
ふくしえんのしょくいんにもつたえてほしいです、わたしがことばをしっていますと。きびしいです、しられていないと。しってほしいです。ちいさいことでもきいてほしいことがあります。じぶんのきもちをいっぱいつたえたいです。きもちをいっぱいわかってほしいです。
次に話題は、来年の5月、青年学級のみんなと開く若葉とそよ風のハーモニーコンサートでも、発表しようと誘った。
わかそよ(コンサートのこと)でもきもちをじぶんのことばでつたえたいです。じぶんのきもちをきいてほしいです。きもちをきいてほしいけどいいほうほうはありますか。きもちをつたえるほうほうをかんがえたいです。
詩という方法があるね、と答え、さっきこれから感謝の気持ちをこめた詩を作りたいと言っていたけど、もう作った詩はあるのと尋ねると、次の答えが返ってきた。
ある
そして綴られた詩と、詩を作る時の気持ち…。
きたかぜに すばらしいみらいをきいてみよう
きぼうのかなたのきたのくにのかぜに
ひとりぼっちのだまったじぶんに
きたのくにのかぜにいつもきいている
じぶんのじかんに
きたのかぜにつらいきもちを
きたのかぜにじぶんのこえを
じぶんのじかんにちいさいときのちいさいねがいを
だまったままのいつもきいている
きたのかぜに
じぶんのじかんに
いつもいつも
きたのかぜにきいてみる
しをつくるのはたのしい。つらいきもちをじぶんでなぐさめることができるから。いつもつくっている。いつもいつもきびしいので、きぼうがわいてきます。
つらいときにきいてみよう きみのこころに
かなしいとき きみのこころに
つらいとき りかいしてみよう きみのこころに
すばらしいちかいをたててみよう じぶんのことばで
きっと きっと きぼうのにおいがするはずです。
きいてくれてありがとう。わかそよがたのしみです。きたいしています。
ここで、信じてくれないかもしれない人たちの前で、ステージの上に出られるかと尋ねてみた。
でれます、きいてほしいから、じぶんのきもちを。いいみらいがひらけそうです。すばらしいみらいがひらけそうです。きたいでむねがふくらみます。うれしいです。
そして、励ましの言葉をもらった。
しばたさんじゃないとできないとしても、いいことはいいのだから、きにせずにつよいきもちでがんばってください。にんげんだからきもちがなえることもあるとおもうけど、がんばってください。
さらに、このブログのことに話が及んだ。
できるのそんなことが。ついにこえがとどくのですね。だしてほしいです。ちいさいときからいいことがすくなかったけど、やっときぼうがわいてきました。きぼうがわいてきたのに きいてくれるひとがすくないのがざんねんです。
そして、今度は、しゃべれて普通に暮らしていた頃、宝塚ファンだったという彼女に、階名でメロディを綴れば作曲もできるかもしれないと伝え、何か階名で綴れる歌はあるかと聞いてみた。
できる。おぼえている。ついにきぼうがかなう。きたいしています。ちいさいときから、いいきょくのめろでぃをかいめいでうたっていましたから。
ドレミドレミソミレドレミレソソミソララソミミレレド(「チューリップ」)
きちんといつかかんがえておきます。じぶんのことばにじぶんでめろでぃをつけられたらうれしいです。
時計は12時を回っていた。
ねます。はやくねるしゅうかんがついているのでねむいです。
また、新しい夢がふくらんだ夜だった。
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2008年12月11日 07時29分
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青年学級 |
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今にも降り出しそうな冬の曇り空の下を、○○君と☆☆さんの待つ病院へ向かった。
まず、2時から3時まで、☆☆さんと関わる。まだ訪問学級の担任の先生もお母さんも着いておらず、二人だけで始めた。彼女の口元のかすかな返事も、心拍数も頼れない中、ただ、私の左の手のひらの中に包み込むように乗せた彼女の右手のわずかな変化だけが手がかりだった。そして、何とか読み取れたように思えた最初の文字が「に」。そのうちに先生が到着して、「に」でいいか、確認してもらった。何となくいいようだということで、再開。
にんたいしてま
ここで眠そうになっているようだと、到着したばかりのお母さんがおっしゃったので、○○君に代わった。
○○君は、1年くらい前に比べると、口の動きが悪くなって、読み取りに時間がかかるようになってきた。そんな中で、1時間以上かけて綴った言葉が次のようなものだった。
どうしてくるしみぼくむけてくるの くるしい C
具体的に具合のよくないことを書くいつもの文章とは違い、気持ちがストレートに表現されたものだった。たいへんな難病との戦いの中で、病状が回復する見込みはこれといってなく、現状を保つことが精一杯という治療を受けている彼が、こういう思いを吐露することは、あまりにも当然とも言える。しかし、誰も、この問いに答えることはできない。しかし、ずっと、そばで見守っていた看護師さんは、彼の体をさすったり、髪をなでたりしていた。それが、看護師さんからの精一杯の答えだったとも言える。
思いを語らずに秘めているよりも、こうしてはき出すことが、自分自身を対象化して見ることには意味があるには、違いない。しかし、まだ、あどけない小2の少年には、あまりにも厳しすぎる。
だが、この言葉を書いてから、彼は、突然アルファベットの画面を選んだ。そして、迷いながら、Cを選ぶ。私が、「CDのこと?」と尋ねると、返事がない。そこへ、若い訪問の先生から「DSのことかな?」と尋ねるとそうだとばかりに唇が動いて返事が返ってきた。この重い文章を書いた後、彼は、みずから話題をゲーム機の方に切り替えてきたのだ。重苦しくよどみそうになっていた空気は、彼のおかげで、また、明るくなった。救われたのは、私たちの方だった。
そして、再び、☆☆さんのベッドに戻る。彼女の書きかけの画面の「にんたい」という言葉も実に重い。そして、また私の手のひらの上に彼女の手のひらを重ねて、彼女の親指にひっかけたスイッチの取っ手を動かしながら、読み取りを始めた。
今度は、わずかな動きながら、比較的スムーズに読み取られていった。そして、できあがった文章は、次の通りである。
にんたいしてまえからにんたいをわかってくれることをまっていました
中2の少女と小2の少年の病床での戦い。私にできることは、ただただ、わかってあげることのみだ。
病院を出ると、すっかり真っ暗になった空から、冷たい雨が降っていた。
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2008年12月10日 01時12分
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小児科病棟 |
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私の大学の授業に、「差別とアイデンティティ」というものがある。今年で退職を迎えられる楠原先生がコーディネーターとなって、複数の教員が参加する総合講座である。私も、この講座が発足した当初からのメンバーで、10数年が経った。私は、自分の障害の重い子どもたちに対する関わり合いと町田の青年学級のことを毎年、紹介させていただいてきた。そして、ここ数年、町田のメンバーを実際に招くようになってきた。先生の退職とともにこの講座も終わることになるが、その最終年、私は、これまで二つの別々のこととして話してきた話題の間に、一本の橋をかけることができた。それは、パソコンを使って文章を綴る障害の重い方の存在を、青年学級で、今年になって何人も明らかにすることができたからである。残念ながらそのメンバーを夜の渋谷で行われるこの授業に招くことはむずかしかったが、毎年常連のメンバーであるTさんだけは、可能だった。
そして、授業という公開の場で初めて2スイッチワープロに挑戦した。
「差別とアイデンティティ」は6時間目の授業だが、5時間目には、「ボランティアと社会参加」という私の通常の授業があり、みんなには、この2時間、授業をしてもらった。
Tさんの2スイッチワープロは、比較的小さな教室だった5時間目はスムーズだったが、大教室である6時間目は思いのほか難航した。しかし、2時間続けて挑戦して、次のような文章が綴られた。
Tといいます
いま○○○○りょういくえんではたらいています
いまやりたいことは せいかつについてたすけてもらいながら ひとりぐらしをすることです きっとできるとしんじています いっしょにくらしてくれるじょせいをさがしています きもちのやさしいひとをさがしています(以上5時間目)
おとうさんのことがなつかしいです まま ○○○(弟)とくらしていますが けっこんしてどくりつしたいです(以上6時間目)
それぞれ、10分ほどの時間なので、限られてはいるが、たくさんの人の前で、文章を綴るということ初めての挑戦、まずまずだった。
どちらの授業でも、みんなで、たくさん思いを語り、歌を歌った。
「総合講座」の最後の年の、思い出に残る授業になった。
授業の後、研究室でお酒を前に語り合った。16階にある研究室から見える渋谷の夜景は、けっこう美しい。来年4月から、たまプラーザキャンパスに新設される「人間開発学部」に移籍が決まっているので、この研究室からの夜景も、これでお別れだ。
一つの区切りにふさわしい夜だった。
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2008年12月6日 07時36分
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青年学級 |
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11月30日の青年学級の日は、午後からある勉強会で青年学級について紹介することになっていたので、昼間は、ゆっくり参加できなかった。そこで、夜から居酒屋(かかし)に合流し、かかしが2回目になるF.Kさんとパソコンで話をした。
、
のみにこれてうれしい。いいほうほうですね。つらかったです、ことばでしゃべることができなくて。いつもねがっていました、きもちをことばでつたえることを。いしがあるのにきいてほしかった。はいがすべてできいてもらえなかった。きたかった、かかしに。のみたかった、おさけを。いしがあるのにきいてもらえなかった。すてきななかまがいてしあわせです。つらかったけどきぼうがわいてきました。
ここで、詩を作ったことはあるかと尋ねてみた。すると、あるという。さっそく、書いてもらった。
つらいときそらをみあげてみよう
そらはきっときいてくれる わたしのきもちを
ねがってみよう すみきったそらに
きっとそらは つらいきもちをきいてくれる
きぼうのそらにむかってさけんでみよう
しんぼうしてきたけどすくわれたよと
きいている そらはいつもわたしのこころを
きいている いつも わたしのねがいを
きいている いつも わたしのゆめを
きいている いつも わたしのほんとうのきもちを
そして若干のコメントが続く。
ずっとむかしにつくった。しはきもちをずいぶんらくにしてくれる。
きもちをきいて、いいきもちにしてくれる。きもちをきいて、こころをくるしみからときはなってくれる。
そしてさらにもう一篇の詩。
きたのそらからきた しろいまほうつかい
きたのくにからやってきて
きたのくにのきれいなゆきをふりつもらせる
きたのくにからきたまほうつかいは
きたのくにのきぼうをかなえるために
ゆきをふりつもらせる
きたのくにからふくかぜは
きたのくにのいのちをつたえてくる
そこへ、お母さんがお迎えに来た。
おかあさんへ。しんじてください。みんなわたしのきもちです。しんじてください。しをつくっていたのはきもちをしずめるためです。きもちをしずかにするためです。しをつくっているときもちがおちつきます。しをつくっているといいきぶんになります。いつもありがとう
きもちをいつもきいてくれてかんしゃしています。いつもわるいとおもっています。いつもごめんなさい、せわばかりかけて。
突然書かれた二篇の詩を前にして、おかあさんは、これらの言葉が、彼女の言葉にほかならないことを納得されたようだった。なぜなら、その時の彼女の瞳の真剣さと、私がまちがってもこんな詩を書けるはずがないからだった。
また、新たな詩人が誕生した。
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2008年12月5日 23時07分
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青年学級 |
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二人の少年が、会話をしようと、私のことを待っていた。クラスメートの二人だけど、残念ながら今はまだ私が通訳をしなければ、言葉を交わし合うことができない。彼らに会うのは、8月以来のこと。4ヶ月ぶりの再会だった。会話の前にA君は、こんなことを書いてから始まった。
きのうくるまでどらいぶにいきました つくいこにいきました
いいてんきだったのでうちにかえってからいきました
こうようがきれいでした るすばんでおばあちゃんがうちにのこりました きれいでしたすべてが
あきもおわりすっかりふゆになりました。
本当は、どこにも行っていないのだけど、そんな言葉がふさわしいような、12月の初めの一日。
そして二人の話題は、クリスマスのことへ。
A:このまえすてきなきせつのたよりをかいたね
くりすますにむけてくりすますにきれいなくりすますつりーをかざろうね。
B:くりすますはたのしみだね
むかしからいっしょだからね
すきにしたいね
ねがいはきもちをつたえられるようになることだね
きっとできるようになるとおもうからがんばろうね
きっとみんなわかってくれるひがくるとおもうのでがんばろうね。
A:すてきなくりすますにしようね
いいぷれぜんとがもらえるといいね
とびきりじょうとうなぷれぜんとをもらえなくてもじぶんのきもちをわかってもらえればそれがいちばんだね。
B:いいくりすますがくるとおもうよ ともだちをまねいてぱーてぃーをしたいね
きまりきったおとなのいいかげんなぱーてぃーではなくて ほんとうのきもちがこもったぱーてぃーにしたいね
いちばんきてもらいたいのはひらやなぎさんだね
すばらしいかいにしたいね
すてきなうたやすてきないろのろうそくをそろえてきれいなふくをきてきれいなさいこうのくりすますをしたいね。
A:すてきなことはふたりできもちをかたりあえることだね
つらいことやくやしいことをかたりあうことができればきっとすっきりできる
しゃしんとってほしい
すばらしいすがたのでえいがのようなおなじきれいなこえでのぞみどおりにすてきなこえでうたをうたってほしいね。
B:きれいなうたがうたえるひとにきてもらいたいね
きれいなうたがきけたらさいこうだね
いいこえがでるひとがいたらつれていこうね
いいこえがでるひとをさがさないといけないね
わすれずにすてきなうたがきけたらいいね
すてきなうたがたのしめたらいいね
きいてみたいな そんなうたを
つぎつぎにいいうたをうたってくれたらいいね
いいうたはこころをゆめいっぱいにしてくれるね
みんなにもいいうたをじっくりきいてもらいたいね。
すてきなうたをつくってみたいね
ふしぎなきもちになってくるね
にほんじゅうにはんらんするようなうたをつくりたいね。
A:このよでいちばんのうたをつくりたいね
このよでふたつとないうたをつくりたいね
とてもきれいなうたがつくりたいね。
B:すてきなうたはしんじてくれる
いいうたををつくれたらいいね
きいてくれるひとがほしいね
きいてくれていっしょにうたってくれるひとがほしいね
ねがいはすてきなうたがつくれることです
(ここで詩を作ったことはないかと聞くと、「ある」との返事の後、詩が綴られた)
きたにむかうひこうせん
きたにむかってそらをいく
せかいのなかまにであうため
そらいっぱいにひろがって
ふしぎなうたをかなでとんでいく
ひこうせんからゆめみたさきは
ふしぎないろにそまっていた
A:すてきなしだね。
くりすますがたのしみだね
(ここでA君にも詩を作ったことはないかと尋ねると、「ない」との返事がかえってきて、が続いた。)
ことばはすばらしいね
きもちをひろくしてくれるね
ねがいはいつまでもBくんとともだちでいることです
二人の会話は、小学生のあどけなさと、切ないほどの純粋さにみちていた。
それにしても「きた」をテーマにした詩が、どうしてこんなにも作られているのだろうか。枯れ葉をみんな散らしてしまうような強い風が(南風だったが)吹いた日の、できごとだった。
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2008年12月5日 22時24分
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自主G多摩4 |
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嘉門達夫の大好きな20代の男性、○○さんは、常にそのCDを流していることを求めてくる。そして、そのかたわらで、気持ちを綴った。
むかしからいいたいことはたくさんあったけど
いおうとしてもいうことができなかったので いえなかった
いいたいのにいえなかったのでつらかったけど
しかたないとおもってきたけど
けしてあきらめないでよかった
きっといつかかなう
くだらないうただけどだいすきです
ねがいはとおもってきました
いがいにもかなったのでうれしいです
ぬいぐるみのいきかたにおわかれです
くやしいこともたくさんたくさんあるけど
くやしいこともわすれることができる
くやしいこともこれでわすれることができる
ここで、詩を作ったことはあるかと尋ねた。すると答えは…。
いいうたいっぱいつくっています
そして、さらさらと以下の詩が綴られた。
きぼうのきたかぜがふき
ていくうひこうをするつばめたちは
みなみをめざし
いきたいところをさがし
ひこうをつずける
くなんがまつこどくなたびを
きぼうのきたかぜがふき
しらないひとがすぎていく
みたこともないすてきなきぼうのひとみをして
くるしみをのりこえ
みなみをめざして
きぼうのきたかぜがふき
しらないすずめがにげていく
つよいとりになろうとして
くるしみのみちをさがしとびたってゆく
しらないきたのくにをめざして
きぼうのきたかぜ。
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2008年12月2日 00時43分
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自主G23区1 |
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「詩を作ったことはありますか。」私は、最近、そういう問いをチャンスを見つけてはかけることにしている。そして、また、自分自身のためだけに紡がれた詩を、中学生の女の子から、聞かせてもらうことができた。
彼女が詩を綴る前に自分から語ったことは、演奏会のことだった。
えんそうかいにいきたいけどこえがでてしまうのでつれていってもらえません
くやしいです
くらしっくのえんそうかいにいきたいのですが しずかでないとだめだといわれてしまいます
いきたくてたまらないのですが くやしいです
おおきなこえがでてしまいます
すてきなきょくをきくとこえがでてしまいます
しらないひとがへんなかおをするのでいやです
くやしいです
ふだんのこえがでているだけなのにきこえてしまいます
でもききたいのでくやしいです
うるさくしているわけではないのに ざんねんです
ねがいは ねむったようなじょうたいできけるようになることです
つらいけど すきなことだからいいおんがくをききつずけたいですし
くらしっくのおんがくだけでなく いろんなおんがくをききたいです
なかなかむずかしいけどがんばりたいです
演奏会に行くと、どうしても声が出てしまう。それほど大きな声ではないそうなのだが、静まりかえった会場では、響き渡ってしまう。そう言えば、テレビで、呼吸器をつけた人が演奏会に行くことをめぐって、たいへんむずかしい議論になっていたのを見たことがある。無責任な答えだとは思ったが、たぶん、今どこにも答えはないから、これから、一歩ずつ、答えを作り出していくしかないのではないかと私は、彼女に告げた。そんなやりとりの後に、彼女に詩のことを尋ねてみたのだ。すると、さらさらと一篇の詩が書かれていった。
もう12月も間近な季節にふさわしい内容だった。
きたからのこえ
きたのそらからきこえている こえにむかって
わたしは さけぶ
すてきなくには どこにありますか
しっていたら おしえてください
つみぶかいめをした なきむしのすめるくには
どこにありますか
しっていたら おしえてください
くしんしているけど
このからだでは さがすことができません
きっといいくにが どこかにあるとおもうのですが
きぼうのくには みつかりません
いいくには どこにありますか
きたのほうからきこえるこえに
わたしはたずねる
いつまでも
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2008年12月1日 14時42分
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自主G23区1 |
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